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先日このブログにて、神武の実在をめぐる議論について取り上げましたが、 http://sicambre.at.webry.info/201202/article_8.html この記事でも述べたように、この議論の元となった産経新聞の記事 http://sankei.jp.msn.com/life/news/120204/art12020408240002-n1.htm にたいしては批判・嘲笑が目立ちますし、じっさい、この産経新聞の記事は、神武の実在が確かだとまったく立証できておらず、こんな随筆をおそらくは肯定的な意味合いで堂々と掲載する産経新聞が嘲笑されるのも仕方ないかな、とは思います。ただ、この産経新聞の記事を批判したブログのなかにも、疑問に思う記述が見られるものがあります。 まずは、「神武天皇以後九代の天皇は実在の人ではないという説は、かなり多くの学者によって説かれるが、それは一つの臆説にすぎず、なんら実証されたものではない」という坂本太郎氏の見解(ただし、この記事の後半で取り上げるブログによると、正確な引用は「神武天皇はもとより、崇神天皇以前九代の天皇は実在の人ではないという説は、かなり多くの学者によって説かれるが、それは一つの臆説にすぎず、なんら実証されたものではない」とのことです)にたいして、「坂本氏の意見にしても、瀧川氏にしても、記紀の記述は歴史的史実であるって主張しているわけではなく、記紀は史実をある程度は反映しているっていう趣旨じゃないの」と解釈しているブログの記事です。 http://blog.goo.ne.jp/mccreary/e/a52c786af042d9c311ff781fdd29c2a2 引用された坂本氏の見解の意味するところは、「記紀は史実をある程度は反映している」ということではなく、多くの学者が支持している、神武〜開花(までというのが、おそらくは坂本氏の意図したところだろう、と思います)までの「天皇」は実在しなかったという見解に確たる根拠はない、ということでしょう。『日本書紀』では応神天皇の代の紀元後272年のこととされている百済の辰斯王の即位(便宜的な西暦換算、以下すべて便宜的に西暦に換算された年代を用います)が、『三国史記』では紀元後385年であり、『三国史記』は『日本書紀』よりも400年以上後に編纂された史書であるにしても、じっさいにもそのくらいの年代の王と考えられることからも、先に「天皇」の系譜があり、『日本書紀』の編纂までに年代が繰り上げられたということなのでしょう。 したがって、各「天皇」の年代が延びることになるわけですから、紀元前660年という神武の即位年代も、127歳という不自然な没年も、神武実在否定説の確たる根拠にはならないでしょう。皇国史観の代表的論者たる平泉澄でさえ、神武については600年ほど年代が繰り上げられているということを認め、実在についてはまったく心配いらない、という趣旨のことを戦後になって述べていたくらいです。もっとも、先に「天皇」の系譜があっただろうとはいっても、その系譜がいつ形成されたのか、『日本書紀』に見られるような系譜に整えられたのはいつなのか、という問題は残りますし、神武の実在が証明されたというわけでもありません。要するに坂本氏の主張は、実在の証明よりも不在の証明のほうがはるかに難しい、という一般論に則ったものと解釈するのがよさそうです。 次に、上記の産経新聞の記事にたいして、「それじゃ卑弥呼の存在とか、神武と矛盾する存在をどう説明する気なんでしょうか」と指摘したブログの記事についてですが、 http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20120121/5314918653 必ずしも卑弥呼の存在が神武と矛盾するとは言えないだろう、と私は考えています。 江戸時代の国学の興隆以降、卑弥呼は朝廷と無関係との説が主張されてきました(偽僣説)。これは、後の皇国史観につながる発想によるものなので、現代では評価が低いでしょうが、『日本書紀』の世界観では、天皇というか朝廷は最初から「全国支配」を達成していたわけではなく、それどころか、神武によるヤマト平定から崇神の即位前までは、せいぜい後の畿内とその周辺地域までが舞台であり、とても「全国支配」を達成した政権とは思えませんので、卑弥呼の時代の倭国の範囲が(いわゆる邪馬台国九州説にしたがって)九州北部程度だとすると、卑弥呼の存在が神武と矛盾するとは言えないでしょう。 もっとも、現在では邪馬台国畿内説がほぼ通説になっているだろう、との突っ込みもあるかもしれませんが、一部で昔から言われているように、天照大神は卑弥呼が口承で語り伝えられてきて、8世紀には神話的に理解されていた人物なのだと考えれば、卑弥呼の存在が神武と矛盾するとは言えません。また、神武の実在年代をもう少し繰り上げて想定した場合は、卑弥呼=天照大神説以上に支持者が多そうな卑弥呼=倭迹迹日百襲媛命説を採用すればよいだけでしょう。 もっとも、卑弥呼を天照大神や倭迹迹日百襲媛命と同一人物と考えればよいとはいっても、『三国志』と『日本書紀』の記述の食い違いは否定できません。これを、「国外」史料、とくに中華世界の漢文史料に見られる偏見のためや、「国内」では3世紀には文字がほとんど用いられておらず、当時の文字記録が8世紀まで伝えられるということがなく、口承で語り継がれてきたので、多分に神話化・物語化されてしまったため、という理由で簡単に説明してしまってもよいのですが、そもそもそのような場合、事績が大きく変えられて語り継がれており、名前があるていど正確に語り継がれているだけというような人物を、はたして「実在した」と言ってよいのだろうか、という疑問が生じます。これは、雄略が実在したという通説への疑問にもつながるのですが、気力が続けば、次は雄略の問題について述べることにします。 |
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でたらめもいいかげんにしてほしい(追記あり)
過日私は櫻井よしこの記事を批判しました。私が彼女のあの論説のなかでいちばんあきれかえったのが、彼女の意見とかよりもこの部分でした。 ...続きを見る |
ライプツィヒの夏 2012/02/19 19:48 |
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はじめまして。拙ブログへのトラックバックありがとうございます。 |
Bill McCreary 2012/02/19 00:33 |
ブログ紹介にて述べているように、当ブログの引用については、トラックバックの送信を希望しますが、とくに告知がなくても問題はありません。わざわざご丁寧にお知らせいただき、ありがとうございます。 |
劉公嗣(管理人) 2012/02/19 19:09 |
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