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zoom RSS 『週刊新発見!日本の歴史』第33号「江戸時代6 田沼意次と松平定信」

<<   作成日時 : 2014/02/12 00:00   >>

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 まだ日付は変わっていないのですが、2月12日分の記事として掲載しておきます。この第33号は徳川吉宗の死から松平定信の失脚までを対象としており、おおむね田沼時代と寛政の改革を扱っています。「新発見」的な見解としては、政権獲得に「奥」の掌握が必須だった、ということが指摘されています。4代将軍家綱以降、老中が将軍側近的性格を失い、「表」の長官としての性格を強めるなか、側用人や御側御用取次などの将軍側近としての「奥」が重要な役割を果たすことになります。田沼意次は「奥」の一員として頭角を現し、「表」と「奥」の双方を掌握して権勢を振るいました。

 意次失脚後に将軍実父の一橋治済などが推したにも関わらず、松平定信の老中就任が遅れたのも、「奥」が田沼派に掌握されていたからでした。「奥」の田沼派を排除してやっと、松平定信の老中就任が実現しました。寛政の改革の期間は短かったのですが、定信の敷いた政治路線は、一部修正されつつも、文化末年(1818年)まで長期に亘って継承された、という点も「新発見」的でしょうか。もっとも、これはすでに一般にも広く浸透しているかもしれませんが。定信は老中就任後次第に独裁的になっていったために反感を買ってしまい、それに対応するため大老就任を画策したそうです。けっきょく、定信への反感の強さから、こうした画策は失敗に終わり、定信は失脚します。

 田沼時代に武家と庶民の文化の垣根は身分の違いを超えて低くなり、文化の大衆化への道筋がつけられた、という見解も「新発見」的かな、とも思ったのですが、こちらもすでに一般にも広く浸透しているかもしれません。東洲斎写楽の正体については、昭和の昔から派手に議論されてきましたが、この第33号では、写楽は阿波の能役者の斎藤十郎兵衛である、という説が研究者の間では承認されつつある、と指摘されています。

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中野三敏『写楽 江戸人としての実像』
 これは6月11日分の記事として掲載しておきます。中公文庫の一冊として、中央公論新社より2016年9月に刊行されました。本書の親本は、同じ題名で中公新書の一冊として中央公論新社から2007年2月に刊行されました。東洲斎写楽はおそらく浮世絵師のなかでも知名度では最上位を争うくらいの人物で、「謎解き」の観点から高い関心が寄せられてきました。写楽の正体に関しては、もう幕末に近い天保年間の『増補浮世絵類考』に、阿波藩お抱えの能役者である斎藤十郎兵衛とあり、本来ならば詮索は無用だったはずですが、同時... ...続きを見る
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