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zoom RSS 『岩波講座 日本歴史  第10巻 近世1』

<<   作成日時 : 2014/06/22 00:00   >>

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 本書は『岩波講座 日本歴史』全22巻(岩波書店)の第10巻で、2014年1月に刊行されました。すでに『第6巻 中世1』(関連記事)・『第1巻 原始・古代1』(関連記事)・『第2巻 古代2』(関連記事)をこのブログで取り上げました。各論文について詳しく備忘録的に述べていき、単独の記事にしようとすると、私の見識・能力ではかなり時間を要しそうなので、これまでと同じく、各論文について短い感想を述べて、1巻を1記事にまとめることにしました。



●藤井讓治「近世史への招待」(P1〜24)
 本論文は、近世という時代区分が近代以降の日本の歴史学においてどのように把握されてきたのか、過去の『岩波講座』など講座ものがどのような時代区分を採用してきたのか紹介しつつ、学説史を把握・整理しています。また、近世史研究が拡散していき、それぞれに重要な成果が生み出されているものの、近世を全体としてどのように把握するのか、という視点が希薄になっているのではないか、との懸念も述べられています。これは、近世史や歴史学に限らない現代社会の多くの学問に共通する問題でもあるのでしょう。本論文は『岩波講座 日本歴史』の近世史の巻頭論文的役割を担っており、今後刊行される『岩波講座 日本歴史』の近世の巻の諸論文の簡潔な紹介にもなっています。


●堀新「織田政権論」(P25〜62)
 本論文の特徴は、信長と朝廷との対立を強調する見解を否定しているところです。そうした見解では、本能寺の変の「黒幕」は朝廷だとされることも少なからずあり、一般の歴史愛好者の間でもかなり浸透しているように思われます。本論文の提示する織田政権像にたいしては、豊臣政権の雛形だったとの印象を強く受けます。信長は天下統一後に中華大陸へと侵攻し、一族による領土分割を計画していた、というわけです。秀吉はこれを実行に移したものの、挫折しました。本論文はこれを「日本国王」から「中華皇帝」への展開として把握しています。


●中野等「豊臣政権論」(P63〜98)
 本論文は最初に、豊臣政権の20年ほどの間に日本列島の社会はきわめてダイナミックに変貌したと指摘し、秀吉とその政権の視点から見た政治過程を扱うので、豊臣政権を論じるにあたっては、構造論的に分析するというやり方も考えられるが、ここでは実際の歴史過程を叙述的に論じていくという方法をとりたい、と述べています。しかし正直なところ、豊臣政権の側からのやや詳しい通史的叙述に留まっているように思われます。構造論的分析の方が講座ものには相応しかったような気もするのですが。豊臣政権の公儀権力の重心が、伝統的な国制から(秀吉より秀頼へ世襲される)豊臣家(とそれを支える奉行衆)に移っていく、との指摘はなかなか興味深いと思います。


●李啓煌「朝鮮から見た文禄・慶長の役」(P99〜134)
 本論文は、朝鮮の視点から文禄・慶長の役を叙述していきます。この戦争の当事者たる日本・明・朝鮮にはそれぞれの思惑があり、「同じ陣営」のはずの明と朝鮮でさえ、それぞれの思惑が一致していないことがあることが分かります。戦場となった朝鮮の立場は、日本・明双方にしばしば無視されたり軽視されたりしました。当然、日本と明との思惑の違いもあり、それは、日本の「国内事情」に起因するところもあった、とされます。本論文は、当時の日本の支配体制の脆弱さ、非中央集権的性格を指摘しています。ただ、たとえば日本と交戦相手の明・朝鮮との比較では、そうした認識がどこまで妥当なのだろうか、とふと考えてみました。


●牧原成征「兵農分離と石高制」(P135〜168)
 本論文は、近世史研究において兵農分離と石高制が中世と近世を分かつ疑問の余地のない指標とされてきたことにたいして、近年になって中世史・戦国史研究の側から批判が出ていることを受けて、改めて兵農分離と石高制について検証しています。本論文は、等級別の高額斗代(石高)制・収穫高分配法(検見法)と、村への検地帳交付による村請制は相互に関連しており、広く近世の収取制度を特徴づけるとして、織豊政権、とくに豊臣政権の新しさを強調しています。

 しかし本論文は、当時の日本社会における社会経済構造の地域差は大きく、兵農分離政策と石高制という共通性はありながらも、近世には多様な土地・身分制度が形成されていったことも指摘しています。また、織田政権の戦国大名にはない新しさとして、家臣団の城下集住や楽市などを採用しての家臣団や町人・都市の支配が挙げられています。私がこの分野の勉強から遠ざかって10年以上経過しているので、自信はないのですが、これらは本当に織田政権の新しさなのでしょうか?中世史の研究者の側の見解も調べていこう、と考えています。


●岡美穂子「キリシタンと統一政権」(P169〜204)
 本論文は、キリスト教が中世〜近世移行期の日本社会においてかなりの程度浸透しながらも、統一政権により弾圧された理由を考察しています。本論文で強調されているのが、キリスト教は17世紀初頭の頃まで、日本社会において南蛮から渡来した仏教の一派との認識が根強かった、という事実です。これには、布教地の特性を考慮し、各文化の価値を認め、それに適した形で布教しようとした宣教師たちの方針も大きく影響していたようです。また、キリスト教の教えと当時の日本社会の仏教の教えに多くの共通点があったことも、影響していたようです。中世〜近世移行期の日本社会においてキリスト教が急速に信者を獲得したのには、そうした事情があったようです。では、なぜキリスト教が統一政権に弾圧されたのかという問題ですが、その要因の一つとして、日本のキリスト教勢力とスペイン・ポルトガルとが結びつき、日本で反乱を起こすことにたいする領主権力の警戒が挙げられるようです。じっさい、日本征服を計画していた宣教師もいました。


●福田千鶴「江戸幕府の成立と公儀」(P205〜237)
 近代以降に幕府や藩と呼ばれる組織は、当時は公儀と称されました。本論文は、この重層的意味合いを有する公儀という概念から、慶長〜寛永年間の政治史を考察していきます。(大軍事指揮権と領地宛行権を有する)天下人の秀吉は晩年に、(自分の死後短期的には)天下人継承者が不在となる事態に備えて、構成員による合議により決定する公儀の枠組みを創出しました。

 関ヶ原合戦後に(領地宛行権の行使で不充分なところがあるとはいえ)天下人となった家康は、この枠組みを維持しつつも、取次を自身の側近によって占拠させ、そこを通じて天下人たる家康の意思を個別に伝達させることで、公儀を実質的に運営しました。豊臣恩顧の有力大名とは、いきなり主従関係を強要するのではなく、血縁関係を結ぶことでじょじょに取り込んでいきました。これにより、私縁を持ち込む場として内証ルートが創出されました。

 家康死後に秀忠が天下人となっても、天下の公儀と将軍を核・頂点とする幕府公儀は必ずしも一致しませんでした。内証ルートのために、天下人と地域領主たちのルートが断たれなかったからです。この構造が崩れてくるのは、三代将軍家光の代に幕府老中制が整えられ、地域領主の御用と訴訟を月番で老中が担当する制度が確立してからのことでした。


●伊藤毅「近世都市の成立」(P239〜276)
 本論文は、近世都市の代表たる城郭都市のみならず、鉱山町・温泉町・港町・在郷町も取り上げ、近世都市の成立の様相を検証しています。また本論文は、近世都市のなかでも特異な発展を遂げた江戸・京都・大坂の三都も個別に取り上げるとともに、オランダなど日本以外の同時代の都市との比較も提言しています。本論文は、近世都市がまったく新規に未開地に建設された例はないとして、直接的には中世後期からの連続的状況を把握する必要がある、と指摘しています。

 本論文は、じゅうらいの都市論で建築の問題が軽視されていたことを指摘し、宅地に適合的な建築タイプたる町屋が都市住宅として定着することが、近世都市成立の欠かせない指標だ、との見解を提示しています。本論文によると、近世城下町の指標となるのは安土城下町であり、その町造りは中世的な既得権を強く否定した、中世と近世を分かつ画期的なものであり、信長の都市理念が示されている、とされます。果たしてこの理解が妥当なのか、中世史研究者の見解も調べていこう、と私は考えています。


●横田冬彦「近世の身分制」(P277〜312)
 近世において対キリシタン政策として創出された戸籍制度たる宗門人別帳は、キリシタンか否かという要件以外を問題としておらず、人種(的なもの)や家筋を特定したり、職業・居住地を固定化したりする機能を有していませんでした。しかし、別帳化されるかどうかで、武士・平人・「其外」が区別され、「其外」の内実は各地の実情により異なりましたが、平人ではないという意味で賤民とされました。この戸籍身分が内婚制をともなうことにより各々が「身分集団」を構成し、「種姓」を再生産する社会的仕組みになりました。本論文は、近世の身分制の成立をこのように概観します。

 じっさい、賤民とされた「其外」の人々は、婚姻の多くが村内で行なわれ、他村との婚姻でも、対象は広範な範囲の「其外」の人々に限定されていたようです。平人にかなり自由で広範な流動が確認され、平人と武士との間にも流動性が見られることと比較すると対照的であり、そこに身分意識の基盤があるのではないか、というのが本論文の見解です。こうした賤民とされた「其外」の人々は、近世になって初めて生まれたのではなく、中世社会に起源がある、との見通しも提示されています。いわゆる鎖国政策と関連して、幕藩体制が「日本人」を確定していくさいに、人種・血統(的な)主義ではなく、「居住地国籍主義」がとられ、それは環シナ海世界の「倭寇的状況」・「諸民族雑居状態」に対応したものだった、との指摘も興味深いと思います。

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『岩波講座 日本歴史  第9巻 中世4』
 本書は『岩波講座 日本歴史』全22巻(岩波書店)の第9巻で、2015年2月に刊行されました。すでに『第6巻 中世1』(関連記事)・『第1巻 原始・古代1』(関連記事)・『第2巻 古代2』(関連記事)・『第10巻 近世1』(関連記事)をこのブログで取り上げました。各論文について詳しく備忘録的に述べていき、単独の記事にしようとすると、私の見識・能力ではかなり時間を要しそうなので、これまでと同じく、各論文について短い感想を述べて、1巻を1記事にまとめることにしました。 ...続きを見る
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2015/04/13 00:00

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