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zoom RSS ネアンデルタール人観の変容とその動機

<<   作成日時 : 2014/09/17 00:00   >>

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 ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)は今でも未開・野蛮の象徴として言及されることが少なくないようで、東京都議会での野次にたいして、「議員達は国家を助けるために選出されたのにも関わらず、自らのネアンデルタール人レベルの意識から抜け出せていない」との感想(日本ではありませんが)もあるようです(関連記事)。日本でも、「野蛮に見える」顔の人物にたいして、この人はネアンデルタール人(の子孫)だと揶揄する例は珍しくないように思います。

 学術的にも、ネアンデルタール人にたいする評価は大きく揺れ動いており、野蛮性を強調する見解が優勢だった時期と、現生人類(Homo sapiens)と基本的には変わらないとして野蛮性・未開性を否定する見解が有力だった時期とが、何度か繰り返されてきました(関連記事)。1990年代になって、現生人類アフリカ単一起源説が優勢となって以降、ネアンデルタール人の絶滅理由を説明しやすいため、現生人類とネアンデルタール人との違いを強調する傾向が強くなりました。そこでは、再びネアンデルタール人の未開性・野蛮性が強調される傾向にあったのは否めないでしょう。

 現生人類アフリカ単一起源説が優勢になった決定的契機は、1997年にネアンデルタール人のミトコンドリアDNAの解析結果が発表されたことだと思います。これにより、ネアンデルタール人と現代人とのミトコンドリアDNAがはっきりと異なることが判明し、ネアンデルタール人と現生人類との間に交雑はなかった、との見解が決定的に優勢になりました。そのため、ネアンデルタール人と現生人類との違いもさらに強調され、認知能力・技術・社会組織などの点で優位に立つアフリカ起源の現生人類がネアンデルタール人を滅亡に追いやった、との見解が決定的に優勢となったように思います。

 しかし一方で、1990年代後半以降には、こうした傾向に対して、ネアンデルタール人見直し論とも言うべき研究動向も見られました。そこでは、ネアンデルタール人は現生人類アフリカ単一起源説(の一部)で言われるほど、現生人類との違いがあるわけではない、ということが強調されました。ネアンデルタール人と現生人類との違い(とくに認知能力を主要な対象として)をどの程度と推定するのかという議論は近年も活発で、今後も容易に決着がつかないでしょうが、近年の傾向として、1990年代後半〜2000年代前半の頃までと比較すると、ネアンデルタール人と現生人類との類似性を強調する見解が増えてきたように思います。

 こうしたネアンデルタール人見直し論の背景として、「白人」がネアンデルタール人の子孫だと判明したことがあるのではないか、との見解を日本ではしばしば見かけます(おそらく日本以外でもあるのでしょうが)。たとえば、

30 名前:名無しのひみつ@転載は禁止 投稿日:2014/08/11(月) 23:57:18.88 ID:rmXP6dHg
白人にネアンデルタール由来の遺伝子が見つかったから持ち上げに必死
あほらしいよ学問というものは


といった見解が代表的です。上述したように、1997年以降、ネアンデルタール人と現生人類との間に交雑はなかった、との見解が決定的に優勢になったのですが、この状況は2010年5月に公表された『サイエンス』論文(関連記事)により一挙に覆ります。これ以降の諸研究により、非アフリカ系現代人の核ゲノムにはネアンデルタール人由来のDNAが存在する(とはいっても、その割合は各個人の核ゲノムで1割に満たないようですが)、との見解が現在では圧倒的に優勢となっています。

 個々の研究者の動機というか心情を推測するのは難しいのですが、「白人」研究者(や他の非アフリカ系研究者)に、ネアンデルタール人は我々の祖先(の一部)なのだからその能力を高く見積もりたいという動機がある、との推測は、まったくの邪推とまでは言えないでしょう。1960年代に人類単一種説(人類は誕生以降ずっと単一種であり続け、文化の進歩が人類進化において重要な役割を果たしてきた、とする見解)が主張され、ネアンデルタール人の「名誉回復」が声高に唱えられるとともに、ネアンデルタール人は我々の祖先である、と強調されたこともありました。

 ただ、現在のネアンデルタール人見直し論に直接的につながる研究動向は1990年代後半には明確になっていましたし、2007年の時点ですでに、ネアンデルタール人見直し論はかなりの広がりを見せていました(関連記事)。そうしたネアンデルタール人見直し論の側の諸研究の間で、見解が必ずしも統一されていたわけではありませんが、遺伝学的研究を踏まえて、ネアンデルタール人がそのまま(ヨーロッパや西アジアの)現生人類に進化した、とする研究はまずなく、ネアンデルタール人と現生人類との交雑についても、自明のものとしていた研究はなかった、と私は認識しています。

 我々の祖先だからとの理由で、「(おもに)白人」研究者の側にネアンデルタール人の能力を高く見積もりたいという動機があるのかもしれませんが、ここ20年ほどの研究動向を見ると、そうした動機が研究に大きく影響しているとか、研究を歪めているとかいったことはないだろう、と私は考えています。ネアンデルタール人と現生人類がどの程度異なっていたのかという問題は、ネアンデルタール人のゲノム解読の成功により、その解明への道が大きく切り開かれたように思います。しかし、各遺伝子と表現型・能力との関係(当然、ある表現型に複数の遺伝子が関わっていることも多いはずです)、さらには環境の影響など、困難な検証が多くあるので、ある程度の見通しが立つのはまだ当分先のことでしょう。

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