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zoom RSS ヨルダンの早期上部旧石器時代の年代

<<   作成日時 : 2015/07/29 00:00   >>

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 ヨルダンにある「Mughr el-Hamamah」遺跡(以下、MHM遺跡と省略)の早期上部旧石器時代のより精確な年代を報告し、レヴァントにおける中部旧石器時代〜上部旧石器時代の移行期について考察した研究(Stutz et al., 2015)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。「Mughr el-Hamamah」とは、「鳩の洞窟群」という意味だそうです。MHM遺跡は5ヶ所の洞窟から成り、海抜約80mに位置しています。5ヶ所の洞窟のうち洞窟2が最も大きく、カルスト空洞となっています。

 MHM遺跡B層では石器群が発見されており、膨大な石刃および細石刃が確認され、剥片表面が長く狭いのが特徴とされており、頻繁に掻器(endscrapers)や彫器(burin)が製作されています。この石器群に関しては、前期アハマリアン(Early Ahmarian)や最初期上部旧石器文化ともされるエミラン(Emiran)といった特定のインダストリーにはまだ区分されておらず、それらの混合要素とも解釈できるかもしれない、とのことです。

 また、MHM遺跡B層では中部旧石器時代の石器製作で優占的だったルヴァロワ技術が時折用いられており、レヴァントの上部旧石器時代において遅れて出現する後期レヴァントオーリナシアン(the later Levantine Aurignacian)や後期アハマリアン(Late Ahmarian)の石器技術が見られないことからも、レヴァントにおける中部旧石器時代〜上部旧石器時代の移行期を検証するうえで重要と言えそうです。MHM遺跡B層の石器群には高品質の燧石が用いられているものもあり、それらはMHM遺跡から10km〜30kmの範囲内にあるそうです。

 MHM遺跡B層では炉床も確認されており、ひじょうに保存状態の良好な炭が発見されています。本論文はこの炭で年代を測定しているのですが、新たな処理法を用いているので、より精確な推定年代になっている、とのことです。放射性炭素年代測定法で当初より問題とされていたのは、標本の汚染です。そこで、汚染物質を除去するための酸-アルカリ-酸処理法(ABA法)が用いられてきました。その後、ABA法の最後の酸処理を酸化処理とした酸-アルカリ-酸化処理法(ABOx法)が開発され、近年では、さらにその後に段階加熱処理を行うABOx-SC法が開発されました。

 本論文は、より信頼性の高いABOx-SC法を用いて、加速器質量分析法(AMS法)による放射性炭素年代測定を行ないました。その結果、MHM遺跡B層の炭の較正年代は、95.4%の確率で44600〜39300年前となりました。本論文はこの年代を、レヴァントの他の遺跡の、中部旧石器時代〜上部旧石器時代の移行期と考えられる遺物・人骨の年代と比較しています。本論文は、較正年代で45000年前頃には始まっていたと考えられるMHM遺跡B層の早期上部旧石器時代の年代は、レヴァントの他の遺跡の早期上部旧石器時代の年代とおおむね一致する、と指摘しています。

 しかし本論文は一方で、レヴァントの他の遺跡において、5万〜4万年前頃と推定される中部旧石器時代〜上部旧石器時代の移行期に該当しそうな痕跡のなかには、推定年代の信頼性の低いものもあると指摘し、石器技術の多様性と信頼性の高い推定年代の提示されているMHM遺跡B層の意義を強調しています。レヴァントにおける中部旧石器時代〜上部旧石器時代の移行期を検証するさいには、今後MHM遺跡を無視することはできない、と言えそうです。

 本論文は、レヴァントにおける中部旧石器時代〜上部旧石器時代の移行期の解明にMHM遺跡が重要な役割を果たせるだろう、と強調しつつも、レヴァント全体としては、まだ移行期の様相が不明なことも認めています。各遺跡の年代に不確実さが残ることから、石器技術などの文化的移行の様相にも不明なところがありますが、移行期のレヴァントの人骨が少ないことから、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の衰退と現生人類(Homo sapiens)の拡散についてはもっと不確実だ、と本論文は指摘しています。

 最近では、レバノンのクサールアキル(Ksâr ‘Akil)遺跡にて、最初期上部旧石器時代の層で発見された現生人類人骨の年代が、遅くとも45900年前頃になりそうだ、と報告されています(関連記事)。レヴァント北部のクサールアキル遺跡の最初期上部旧石器時代層は中部旧石器時代〜上部旧石器時代の移行期とも言われており、MHM遺跡との比較で言えば、レヴァントでは南部よりも北部の方で移行期が早く始まった可能性も考えられますが、まだ判断するのは時期尚早と言うべきなのでしょう。

 イスラエルのマノット洞窟(Manot Cave)遺跡の現生人類人骨の年代は、ウラン-トリウム年代測定法により60200〜49200年前頃と推定されています(関連記事)。こちらは、厳密な前処理の適用された放射性炭素年代測定よりも精度が落ちるのもやや難点なのですが、何よりも、考古学的文脈が不明なのが惜しいと言うべきでしょう。中部旧石器時代〜上部旧石器時代の移行期を検証するさいには、そこが問題となります。

 本論文では、MHM遺跡は分業や採集戦略や空間パターンなど当時の人類の具体的な行動を解明する可能性を秘めている、と指摘されているくらいですが、上記報道では、本論文が人類社会における分業の始まりとの関連で大きく取り上げられています。上部旧石器時代の現生人類社会において本格的に分業が始まったとする見解は以前から提示されていますが(関連記事)、MHM遺跡はそうした見解の根拠となり得るのではないか、というわけです。

 本論文の筆頭著者のシュタッツ(Aaron Jonas Stutz)博士は、MHM遺跡B層の多様な石器群および異なる製作方法は分業を示しているかもしれない、と指摘しています。またシュタッツ博士は、槍に装着する大量の石刃が製作されており、石材の消費を最小限に抑えようとしていると推測されることから、これが流れ作業への概念的な前兆だった可能性を指摘しています。シュタッツ博士は、当時すでに構造化された複雑な社会が存在していた可能性を想定しています。

 もしMHM遺跡にて分業が進展していたのならば、焼けた動物の骨が発見されたことから、近くで誰かが道具を製作しているさいに他の誰かが炉床で肉を焼いたのではないか、また、外で遊んでいる子供たちがヒョウなどの捕食動物を観察していたのではないか、などとシュタッツ博士は推測しています。現時点では、MHM遺跡の事例を根拠に、当時の人類(現生人類?)社会で分業が進展していた、と直ちに結論づけることは難しいでしょうが、中部旧石器時代〜上部旧石器時代の移行期に人類社会で分業が大きく進展した可能性はあると思います。


参考文献:
Stutz AJ. et al.(2015): Early Upper Paleolithic chronology in the Levant: new ABOx-SC accelerator mass spectrometry results from the Mughr el-Hamamah Site, Jordan. Journal of Human Evolution, 85, 157-173.
http://dx.doi.org/10.1016/j.jhevol.2015.04.008

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