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zoom RSS 青木健『マニ教』

<<   作成日時 : 2015/09/18 00:00   >>

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 これは9月18日分の記事として掲載しておきます。講談社選書メチエの一冊として、講談社より2010年11月に刊行されました。著者の他の著書『古代オリエントの宗教』を以前このブログで取り上げたことがありますが(関連記事)、その後再読して、マーニー教(マニ教)についての解説も含めて改めて面白いと思いましたし、マーニー教はシンクレティズムの時代においても際立っているように思えて興味を持っていたので、本書も読んでみました。著者の他の著書では、『アーリア人』もこのブログで取り上げています(関連記事)。

 本書はマーニー教の興隆から衰退までを概観しています。マーニー教は「世界宗教」的性格を有していた、と本書は評価していますが、じっさい、マーニー教は拠点だったメソポタミアのみならず、地中海世界広域・中央アジア・東アジアにまで広がっています。本書はマーニー教のこの広範な足跡を検証しています。マーニー教の研究史にも言及し、教祖のマーニー・ハイイェーの生涯を一般向け書籍としては詳しく取り上げているのも、本書の特徴です。

 本書が教祖個人の生涯を詳しく取り上げているのは、マーニー教には他の古代以来の宗教とは異なる特徴があるからです。普通、そうした宗教の発展史では、最初に突出した宗教的求心力を持つ教祖が出現し、教祖没後に何世代もかけて信徒たちによって少しずつ教義や教会組織が整備されていきます。しかしマーニー教においては、教祖のマーニー自身が60年ほどの生涯のうちに教義と教団組織を整備し、教義を書物にまとめました。さらにマーニーは、自ら使徒を任命して指示を与えたうえで各地に布教させています。このことからも、マーニー教史において教祖のマーニーの役割はきわめて大きかった、と言えるでしょう。

 シンクレティズムの時代を象徴するようなマーニー教の背景として、教祖マーニーの出自と経歴は大きな意味を有しているようです。マーニーはイラン系のパルティアの貴族の家柄(父はパルティア貴族で母はパルティア王族の出自)に生まれながら、メソポタミアのセム的な宗教環境で育ち、父の意向によりユダヤ・キリスト教系の洗礼教団であるエルカサイ教団に属しました。言語・地理的制約を受けつつも、そこで多様な文献に接したマーニーは、やがてエルカサイ教団の教義に異議を唱えて破門され、インド訪問などを経て、マーニー教を創設するに至りました。教祖マーニーのこうした出自と経歴を考えると、シンクレティズムの時代を象徴するようなマーニー教の創出にも納得がいきます。

 もっとも、マーニーの出自でもあるアーリア系のミフル神(ミトラ神)とゾロアスター教から、メソポタミアのセム的な宗教、さらには仏教などさまざまな信仰要素を取り入れ、各信仰の神格を融通無碍に教義体系に組み込んでいった、シンクレティズムの時代を象徴すると言えそうなマーニー教ですが、本書が指摘しているように、マーニー教の起源は独占的にユダヤ・キリスト教にある、と把握すべきなのでしょう。マーニー教は「ゾロアスター教・キリスト教・仏教を融合した世界宗教」である、との認識はとても妥当とは言えないようです。

 マーニー教に「世界宗教」的性格を認める本書ですが、一方で、そうとは断定できないマーニー教の弱点も指摘しています。マーニー教が浸透できたのはキリスト教や仏教が先行していた地域だけであり、浸透すればするほど、本来の姿を失って先行宗教に同化する弱点を有していました。マーニー教には、宿主たるキリスト教や仏教に寄生する宗教としての性格もあった、というわけです。さらに、マーニー教は広く浸透したとはいっても、確固たる基盤を築いたのは、天山ウイグル王国の国教に採用された9世紀後半〜10世紀後半だけだった、と本書は指摘します。

 マーニー教は結局のところ人々の間に深く浸透したわけではなかった、というわけです。その一因として本書は、教祖マーニーが書物ではっきりと教義を定めたために、発展しにくかったことを挙げています。本書は、マーニー教を書物の宗教と認識しています。これと関連して、マーニーが書記言語として用いた東アラム語と中世ペルシア語がイスラーム時代には死語になってしまったことも、書物の宗教たるマーニー教にとって打撃となりました。ただ、マーニー教の聖典は積極的に各言語に翻訳されているので、これは致命的ではなかったようです。

 もちろん、ゾロアスター教やキリスト教などの先行宗教および後発宗教のイスラーム、またそれらを信仰する政治権力の弾圧があったことも、マーニー教衰退の要因となりました。さらに、ゾロアスター教の布教が支配層を主要な対象とする傾向にあったことも、民衆に広く確固として定着しなかった一因かもしれません。また、マーニー教の教義として、教祖マーニーがエルカサイ教団から破門される直接的要因ともなった、農作業への強い忌避があったことも、マーニー教が衰退した一因なのかもしれません。この教義もあり、マーニー教の信者には商人が多かったようです。

 こうした理由でマーニー教は衰退していき、明王朝末期の記録における江南での存在を最後に、記録からは消え去ります。20世紀になって、マーニー教の研究が飛躍的に進展すると、主体的にマーニー教を「信仰」しようと考える人々が現れます。たとえばアメリカ合衆国では、1981年にオレゴン州で「正統マーニー教会」が結成されています。もちろんこれは、伝統的なマーニー教会と直接的な関係があるわけではなく、マーニー教は滅び去ってしまった宗教である、と本書は指摘しています。本書はマーニー教についての行き届いた基本的な解説となっており、期待通り得るところが多々ありました。

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