雑記帳

アクセスカウンタ

zoom RSS 檀上寛『永楽帝 華夷秩序の完成』

<<   作成日時 : 2016/05/15 00:00   >>

面白い ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

 これは5月15日分の記事として掲載しておきます。講談社学術文庫の一冊として、2012年12月に講談社より刊行されました。本書の親本は、『永楽帝 中華「世界システム」への夢』との題にて、講談社選書メチエの一冊として1997年に講談社より刊行されました。本書は現代日本社会ではあまり人気のなさそうな永楽帝を取り上げていますが、後書にもあるように、永楽帝の伝記というよりは、問題設定的なアプローチを試みるなかで、永楽帝の人物像に迫るとともに、明初の政治史を解明しようとするものであり、少なからぬ読者にとって、表題から受ける印象とは異なる内容になっているかもしれません。

 本書は、永楽帝の言動・治世を当時の状況に即して解釈し、永楽帝の事績を歴史上に位置づけていますが、永楽帝の言動・治世を規定した状況には、複数の階層が存在していました。もっとも大きな時間軸でとらえると、それは長期に亘る「中華世界」の君主たる天子・皇帝としての役割であり、内に目を向けた洪武帝と外に目を向けた永楽帝という対比で語られることがありますが、「中華世界」の君主としての自覚を強く持っていたという点で両者は同じであり、両者の相違は、「中華世界」の伝統的価値観の枠内に収まります。

 より短い時間軸でとらえると、モンゴル帝国による「中華世界」の制圧と、その「中華世界」での統治体制の弛緩にともなう「中華世界」やその「周辺地域」の混乱が、永楽帝や洪武帝の政策を規定しました。内治に力を入れ、残酷な弾圧もしつつ統制的な「国内」体制を築き上げた洪武帝の後、靖難の変を経て即位した永楽帝は、靖難の変にともなう「国内」の体制の動揺を抑える必要にも直面しつつも、父の洪武帝による「国内」体制の確立という業績を引き継いで、「周辺地域」との「正しい関係」である華夷秩序を築くことに力を入れます。そのさい、永楽帝が目標としたのはクビライの治世であり、明の成立を民族革命として認識していた一時期の日本の動向が批判されています。

 さらに短い時間軸でとらえると、永楽帝がこのように「国内」と「国外」を問わず、「中華世界」の伝統的な秩序の実現に精力的だったのは、靖難の変による皇位簒奪という汚名を雪ぐために、「盛世」を現出させるためでもありました。それは、「中華世界」の代表的名君とされるものの、皇太子だった兄を殺害して即位したという汚点に生涯ずっと悩まされ続けたであろう、唐の太宗の積極的な政治姿勢と通ずるところが多分にある、と言えるかもしれません。本書は、永楽帝の在位期間だけではなく、その前の時代の政治状況にもかなり記述が割かれ、永楽帝の治世・言動の背景が見えやすくなっており、面白く読み進められました。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 2
面白い 面白い

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
檀上寛『永楽帝 華夷秩序の完成』 雑記帳/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる