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zoom RSS ネアンデルタール人像の見直し

<<   作成日時 : 2016/06/19 00:00   >>

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 これは6月19日分の記事として掲載しておきます。近年の諸研究成果に基づきネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)像を見直した研究(Roebroeks, and Soressi., 2016)が公表されました。この研究は、考古学を中心に、形質人類学・遺伝学などにおけるネアンデルタール人についての近年の諸研究を取り上げ、ネアンデルタール人像の見直しを提言しており、最新のネアンデルタール人像を把握するうえでたいへん有益だと思います。

 本論文の要点は、ネアンデルタール人と同時代のアフリカおよびユーラシアの一部(たとえば、レヴァント)の人類との間に、現時点での考古学的記録から大きな違いは見出せない、ということです。本論文は、現生人類(Homo sapiens)の出アフリカの前の、ネアンデルタール人と同時代のアフリカおよびユーラシアの一部の人類を、「near-modern humans」と呼んでいます。現代人の祖先集団もしくはその近縁集団ではあるものの、「完全に現代的」とまでは言えないかもしれない集団をこのように呼んでいるのでしょう。とりあえずこの記事では、「近-現生人類」と表記しておきます。

 本論文はまず、ネアンデルタール人が現生人類にとって近縁集団であり、それ故に現生人類との違いに大きな関心が寄せられてきた、と指摘しています。これは、近代の発祥地たる西ヨーロッパにネアンデルタール人の化石・遺物が多いことも理由となっているでしょう。ネアンデルタール人の化石・遺物が西ヨーロッパに偏在している理由として、石灰岩地域の洞窟や岩陰で化石が保存されていたこととともに、研究密度が著しく不均衡であることも指摘されています。他地域にたいする近代以降の西ヨーロッパの経済・学術の優越が、西ヨーロッパのネアンデルタール人の研究密度を高めたことは否定できないでしょう。

 こうした限界も踏まえつつ、本論文はネアンデルタール人について概観しています。ネアンデルタール人の起源というか、ネアンデルタール人の派生的特徴の出現は、中期更新世にまでさかのぼります。本論文は、スペイン北部の43万年前頃以降の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡(以下、SHと省略)や、同じくらいの年代のイギリスのスウォンズクーム(Swanscombe)遺跡で、後期更新世のネアンデルタール人に独特な頭蓋・下顎の特徴が現れている人骨群が発見されていることを指摘しています。

 ネアンデルタール人の絶滅は較正年代で41000〜39000年前頃と推定されています。ヨーロッパ最初の現生人類について盛んに議論されていますが、直接的な証拠に限定すると、較正年代で41500年前頃となる、ルーマニア南西部の「骨の洞窟(Peştera cu Oase)」で発見された現生人類の人骨よりもさかのぼるものはない、との見解を本論文は提示しています。ネアンデルタール人と現生人類とのヨーロッパでの共存は最小限で2000年程度となるものの、ネアンデルタール人の絶滅と現生人類のヨーロッパへの到達は、放射性炭素年代測定法の限界に近い年代のことであることを考慮しなければならない、と本論文は注意を喚起しています。

 ネアンデルタール人の生息範囲は、北では北緯53度あたりが限界となります。これよりも北では明確なネアンデルタール人遺跡が発見されていません。南では、アフリカではネアンデルタール人化石は発見されていませんが、レヴァント北部では発見されています。本論文は、レヴァントの海洋酸素同位体ステージ(MIS)4の頃のネアンデルタール人が、頭蓋顔面の形態でヨーロッパの同時代のネアンデルタール人と異なっていたことから、ネアンデルタール人に形態的多様性があったことを指摘しています。東方では、南シベリアのアルタイのデニソワ洞窟(Denisova Cave)でネアンデルタール人が発見され、この洞窟では種区分未定のデニソワ人(Denisovan)も発見されています。デニソワ人・ネアンデルタール人・現生人類の間で交雑があった、と推定されています。

 本論文は、ネアンデルタール人はオーストラリアよりずっと広い範囲に分布しており、気候変動に応じて多様だっただろう、と指摘しています。また本論文は、ネアンデルタール人はある地域では連続的に存在した一方で、他の地域では断絶が一般的だったかもしれない、と推測しています。ネアンデルタール人は流動的な集団であり、高頻度で退却・植民・地域的絶滅・再植民が繰り返され、人口密度は低かっただろう、との見解を本論文は提示しています。本論文は、こうしたネアンデルタール人の歴史がその遺伝的多様性の低さの要因になった可能性を指摘しています。

 本論文はネアンデルタール人の身体的特徴として、大きな脳と大きな身体の人類で、他のホモ属とは異なる長く平らな頭蓋を有していたことを指摘しています。顔面中部の下顎前突や後ろから見ると球形の頭蓋がネアンデルタール人の特徴です。また、ネアンデルタール人の体型が現代の寒冷な地域の人々と類似していることも指摘されています。ネアンデルタール人と現生人類との成長速度の比較に関しては、歯を根拠にさまざまな見解が提示されており、大まかには変わらないといった見解や、学習期間の長さに影響を及ぼすくらいの微妙な違いがあった、との見解が提示されています。

 ネアンデルタール人の食性や生存戦略については、大型・小型のさまざまな陸上動物のみならず、水棲動物や植物も食資源として利用されていたことが指摘されています。ネアンデルタール人の食性の範囲は広かったようで、同時代の「近-現生人類」と比較して、植物利用に違いは見出せませんでした。ネアンデルタール人の食性や生存戦略はかなり柔軟なものだったようで、同時代の「近-現生人類」と比較して決定的な違いがあった、との考古学的証拠はまだ得られていないようです。

 石器技術の点では、最初期のネアンデルタール人に関しては、握斧(ハンドアックス)が優先する技術的伝統であるアシューリアン(Acheulian)と分類されています。アフリカ・ヨーロッパ・一部のアジアで広く見られるアシューリアンは、ヨーロッパでは30万年前頃に終焉します。これが下部旧石器時代の終わりとなり、この後のMIS8にヨーロッパでは中部旧石器時代が始まります。その指標は調整石核技法であるルヴァロワ技法の採用です。同じ頃の中期石器時代のアフリカの人類もルヴァロワ技法を採用しています。

 中部旧石器時代には、ネアンデルタール人とレヴァントの「近-現生人類」の双方で石器の技術的多様性が見られるようになります。研究の進展している西ヨーロッパでは、たとえばアシューリアン伝統ムステリアン(Mousterian of Acheulian Tradition)やキーナムステリアン(Quina Mousterian)などといった石器技術伝統に細分化されています。中央ヨーロッパでも、MIS5〜3の期間に見られるカイルメッサー(Keilmesser)グループが、地域・技術伝統によりさらに細分化されています。

 ネアンデルタール人の遺跡では、おおむね遺跡から5km以下の石材が利用されていたものの、石器の完成品は50km以上移動することもあり、ネアンデルタール人所産の多様な形状の石器の遍在的な輸送が、中部旧石器時代の特徴として挙げられています。また、石材の再利用といった石材戦略が、少なくとも北西フランスのアキテーヌ(Aquitaine)盆地では、中部旧石器時代後期と上部旧石器時代前期とで強く類似していることも指摘されています。

 「現代的行動」の指標とされる象徴的行動については、ネアンデルタール人と現生人類とを分かつ重要な指標とされてきました。ネアンデルタール人では象徴的行動がないか稀であるのにたいして、現生人類にはよく見られる、というわけです。本論文は、ネアンデルタール人による装飾品の製作の事例が蓄積されつつあることを指摘しており、ここでも、ネアンデルタール人と同時代の「近-現生人類」との間で、大きな違いがあると言えるのか、慎重に考えねばならない、と思います。

 「現代的行動」の具体例としては、埋葬・葬儀もあります。ネアンデルタール人が埋葬を行なっていた、との見解は今では広く受け入れられているでしょうが、本論文は、埋葬と葬儀とは明確に区別しなければならず、副葬品などの考古学的記録から、ネアンデルタール人が葬儀を行なっていたことを裏づける確実な証拠はない、と指摘しています。しかし一方で、上部旧石器時代の現生人類に関しても、明確(で豪華)な葬儀的儀式の証拠は稀であり、ほとんどの場合はネアンデルタール人の埋葬とあまり変わらなかった、と指摘しています。

 このように考古学を中心としてネアンデルタール人に関する近年の諸研究を概観した本論文は、ネアンデルタール人と同時代の「近-現生人類」との間で大きな違いは認められない、との見解を提示しています。これは、ネアンデルタール人の絶滅要因をアフリカの同時代人たる現生人類もしくは「近-現生人類」との認知能力・技術の違いでおもに説明する主流的見解とは異なります。本論文は、ネアンデルタール人の表現型が現生人類との競争を通じて究極的には消滅したことを肯定しつつ、その要因として、現生人類がネアンデルタール人の生息域へと移住してきたことによる、遺伝的交換と同化を挙げています。

 そうすると、ネアンデルタール人が現生人類に同化された理由が問題となるわけですが、ネアンデルタール人の低い人口密度・交雑の過程でネアンデルタール人男性が繁殖能力の問題で父系を維持しにくかったかもしれないことなどが挙げられています。しかし本論文は、ネアンデルタール人の絶滅理由とその過程の詳細はまだ不明だとして、今後の研究課題だと指摘しています。

 また本論文は、ネアンデルタール人と同時代の「近-現生人類」との間で大きな違いがなかったことと関連して、人類社会で大きな考古学的変化が起きたのは4万年前頃である、とも指摘しています。これは、現代人の主要な遺伝子源となったであろう現生人類集団が出アフリカを果たした数万年後のことで、現生人類がネアンデルタール人やデニソワ人と交雑した数万年〜数千年後のことでもあり、ネアンデルタール人の絶滅と近い年代ともなります。ただ本論文は、こうした4万年前頃の大きな考古学的変化は世界中どこでも見られるわけではない、とも注意を喚起しています。

 この主要な変化の具体例として本論文が挙げているのが、人類にとって未知の領域だった北極圏や生物地理的境界を越えたオーストラリア大陸(更新世の寒冷期にはニューギニアやタスマニア島と陸続きでサフルランドを形成していました)への進出です。本論文は現生人類の拡散に関して、東アジア南部への現生人類の進出は5万年前よりもずっとさかのぼる、との見解を受け入れるとしたら、現生人類にとってネアンデルタール人がヨーロッパなどにおいて拡散の障壁になったかもしれない、と指摘しています。また、彫像や壁画などといった芸術が本格的に出現するのも4万年前頃以降で、壁画に関してはヨーロッパと東南アジアという遠く離れた地域でほぼ同時に出現したことも指摘されています。

 オーストラリア大陸への人類の進出は5万年前頃までさかのぼるかもしれませんが、本論文が指摘するように、ネアンデルタール人と現生人類(もしくは「近-現生人類」)との間で、少なくとも現時点での考古学的記録からは、大きな違いを見出しにくいことは否定できないでしょう。本論文はこの4万年前頃の大きな考古学的変化の理由として、人口の増大や脳神経の変異を候補として挙げています。ネアンデルタール人の絶滅理由とも関連して、4万年前頃(5万〜4万年前頃とするのがより妥当だと私は考えますが)の大きな考古学的変化がどのような過程・理由で起きたのか、今後の研究の進展が期待されます。


参考文献:
Roebroeks W, and Soressi M.(2016): Neandertals revised. PNAS, 113, 23, 6372–6379.
http://dx.doi.org/10.1073/pnas.1521269113

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