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zoom RSS 森下章司『古墳の古代史 東アジアのなかの日本』

<<   作成日時 : 2016/11/04 00:00   >>

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 これは11月4日分の記事として掲載しておきます。ちくま新書の一冊として、筑摩書房から2016年9月に刊行されました。本書は、墳墓の変遷という視点から、紀元前1世紀〜紀元後4世紀頃の日本列島を東アジア世界のなかに位置づけています。もっとも、日本列島とはいっても、対象となっているのは基本的に前方後円墳の築造された地域です。朝鮮半島および中華地域の墳墓の状況も詳しく取り上げられ、それらとの比較により、日本列島の墳墓・社会の特質を浮き彫りにする、というのが本書の特徴です。

 本書の基調は、紀元前1世紀〜紀元後4世紀頃の東アジア世界において、ヒトおよびモノ、さらには思想などの伝播があり、とくに中華地域から朝鮮半島や日本列島へと強い影響力が認められるものの(一方通行ではないものの、朝鮮半島から日本列島へも)、それは東アジア世界の均質化を促進したのではなく、共通要素を形成しつつも、相違・独自性も強めていった、というものです。本書はそうした要因として社会の違いを指摘しています。

 たとえば、中華地域から朝鮮半島や日本列島へと伝播した銅鏡は、日本列島においてはとくに重視され、権威の象徴となりました。本書は、日本列島において墳墓は聖域であり、現実の生活・政治といった世俗社会から切り離される傾向にあったのにたいして、中華地域や朝鮮半島では墳墓は世俗社会と強くつながっており、その延長線上にあったことが、副葬品の好みの違いや、中華地域と朝鮮半島では墳墓の造営が続いたのに、日本列島では8世紀以降に廃れてしまったことの要因ではないか、と指摘しています。

 朝鮮半島や日本列島における3世紀以降の墳墓の巨大化は、階層化や政治権力の強大化といった「内的要因」もあるにしても、中華地域の政治権力の統制が弛緩したこと(400年におよぶ漢王朝の崩壊後の、魏晋南北朝の政治的混乱期)も一因になっている、との指摘も興味深いものです。この時期、中華地域では社会の混乱を反映してか、薄葬礼などにより墳墓が衰退していきます。この時代・地域に限りませんが、ある地域から別の地域への強い影響は、単純に均質化・模倣をもたらすわけではない、ということなのでしょう。

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