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みんなの「日本史原始〜古代」ブログ


「縄文人」の起源

2018/06/13 16:10
 日本人の起源に関しては、「南方系」の「縄文人」と「北方系」の弥生時代以降の渡来民との混合により形成されたとする、「二重構造モデル」が一般層にもそれなりに浸透しているように思います。この仮説では縄文人は南方系と想定されているのですが、形態学でも遺伝学でも、縄文人は南方系との合意が形成されているわけではありません。頭蓋形態の変異量の地域差からは、縄文人が北方系との見解が提示されています(関連記事)。6750〜5530年前頃の文時代前期となる富山県富山市呉羽地区の小竹貝塚の人骨群のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析では、北方系と南方系が混在している、と指摘されています(関連記事)。

 縄文人の核DNA解析も行なわれており、福島県相馬郡新地町の三貫地貝塚で発見された3000年前頃の人類遺骸からは、縄文人が現代の東ユーラシア各地域集団との比較において最も早く分岐した、と推測されています(関連記事)。ただ、あくまでも、3000年前頃の東北地方南部の縄文人の事例であり、縄文人も地域・年代によりある程度以上の違いがあった、と考えられます。三貫地縄文人の核DNA解析からは、縄文人が北方系と南方系のどちらなのか、判断できません。縄文人の起源の解明には、多様な地域・時代の縄文人とともに、ユーラシア東部の多様な地域における更新世後期〜完新世中期までの人類遺骸のゲノム解析が必要となるでしょう。ただ、ユーラシア東部でも南方地域の更新世人類遺骸のゲノム解析は難しいでしょうし、日本列島でも、更新世の人類遺骸は南方諸島を除いてほとんど発見されていません。おそらく今後もこの状況が大きく改善されるとは期待しにくいので、縄文人の起源については、半永久的にかなりの程度推測の域に留まらざるを得ないでしょう。

 現時点での証拠からあえて推測すると、縄文人は北方系と南方系の混合集団で、ユーラシア東部にかつて存在した縄文人の(複数の)祖先集団というか近縁集団は、その後の移住・混合・置換により当初の遺伝的構成を喪失したのではないでしょうか。この問題に関しては、ユーラシア大陸を北方と南方それぞれで東進してきてユーラシア東部で混合した集団が、対馬海峡経由で日本列島へと渡って日本列島最初期の住民となり、縄文人の主要な祖先集団となったのではないか、との見解が提示されています(関連記事)。現時点では、縄文人の起源についてはこの見解が有力ではないか、と思います。
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縄文時代から弥生時代への移行

2018/06/06 17:07
 縄文時代から弥生時代への移行に関する本・論文を当ブログでそれなりに取り上げてきたので、一度短くまとめてみます。じゅうらい通俗的に言われていたのは、弥生文化をもたらしたのはユーラシア東部(直接的にはおそらく朝鮮半島)から日本列島へと渡来してきた集団で、先住の縄文文化集団(以下、「縄文人」と省略)を駆逐した、というような認識です。しかし近年では、弥生時代への移行にさいして、「縄文人」の強い主体性を認める見解が有力のように思われます。

 しかし、これは、「縄文人」と「弥生人」の間に形態的な差がなかったとか、ユーラシア東部からの移住はなかった、などといったことを意味しません。「縄文人」のような形態の人類集団は、現時点では他地域で確認されておらず、細かな地域差・時代差があるとはいえ、地理的範囲は北海道から九州まで、時間的範囲は早期から晩期前半まで、「縄文人」の形態はほぼ同一とされています(関連記事)。一方、『週刊新発見!日本の歴史』第50号「弥生時代 稲作の伝来と普及の謎」(関連記事)所収の大藪由美子「縄文人と弥生時代人」でも指摘されていますが、水稲耕作など弥生文化の中核要素をもたらしたと考えられる「渡来系弥生人」と「縄文人」との形態差は大きく、明らかに違いがあります。

 ただ、「渡来系弥生人」が「縄文人」を圧倒・駆逐して縄文時代から弥生時代へと移行したのではなく、縄文文化の要素が強く継承され、形態的には「縄文人」と連続していると考えられる集団が弥生文化を受容していった、と指摘されています。弥生時代開始期に、「渡来系弥生人」のみで構成されていると確認できる弥生集落はないので、移住者が縄文集落に入り込む形で本格的な農耕へと移行していったのではないか、と推測されています(関連記事)。ただ、現代日本人は「縄文人」の遺伝的影響を強く受けていないと推測されています(関連記事)。この理由としては、弥生文化をもたらした少数の渡来集団が、農耕社会の高い人口増加力により、「縄文系」の人々を後に圧倒した、とも考えられます(関連記事)。

 文化的にも、弥生文化の中核となる渡来系要素が縄文文化を圧倒したわけではなく、弥生文化の伝播はゆっくりとしたもので、「縄文の壁」がその前に立ちはだかった、と指摘されています(関連記事)。「縄文の壁」と弥生文化の伝播の在り様については、中国・四国や近畿や中部・東海や関東といった各地でそれぞれ異なっていたようです。縄文文化の根強さとは、具体的には、弥生時代前期を象徴する板付文化において、東北の亀ヶ岡文化の土器文様や漆塗製品の影響が強いことなどです。

 以上をまとめると以下のようになります。弥生文化の中核要素は、おそらく直接的には朝鮮半島から日本列島に渡来してきた集団(渡来系弥生人)によりまず九州北部にもたらされ、各地に拡散していったものの、それは緩やかなもので、一様ではなかった、と考えられます。「渡来系弥生人」は当初は少数派で、「縄文人」の直接的子孫である在来系(先住民)集団(の一部)が弥生文化を主体的に受容していった、と考えられます。「縄文人」も「渡来系弥生人」もある程度以上多様な集団だったと考えられますが、「縄文人」には一定以上の均一性・独自性が認められるので、ある程度は遺伝的に類似した集団だった可能性が高いでしょう。一方、「縄文人」と「渡来系弥生人」との形態差は大きいので、おそらく遺伝的にも、「縄文人」内の地理的・時間的に多様な集団間での相違よりも、「縄文人」と「渡来系弥生人」の相違の方がずっと大きい、と考えられます。もちろん、縄文時代〜弥生時代にかけての、日本列島、さらにはユーラシア東部(当然、縄文時代などといった時代区分は適用できないわけですが)の古代DNA研究は今後大きく進展すると予想されますので、この記事での見解も、今後大きく修正することになるかもしれません。
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清家章『埋葬からみた古墳時代 女性・親族・王権』

2018/06/03 06:11
 歴史文化ライブラリーの一冊として、吉川弘文館より2018年5月に刊行されました。本書は古墳時代の埋葬形態から社会構造を推測し、「王朝交替論」も検証しています。複数の人物が葬られている古墳は珍しくなく、本書はおもに歯冠の比較から被葬者間の関係を推測しています。その結果、首長層よりも下位(とはいっても、一定以上の階層でしょうが)においては、古墳時代前期〜後期まで親子・キョウダイを基本とする血縁者のみがともに埋葬されていました。夫婦で埋葬されている事例も一部であるものの、基本的には血縁者がともに埋葬されており、夫婦はそれぞれ出身集団の墳墓に埋葬される傾向にあったようです。古墳の複数の埋葬者のなかでも、最初に葬られた者は「家長」である可能性が高いようです。「家長」の性比は、古墳時代前期〜中期ではほぼ1対1でした。これは古墳時代の社会が双系的親族構造だったことを示します。古墳時代後期にはやや男性「家長」の比率が高くなりますが、女性家長と考えられる人物も一定の割合で存在するので、父系化は貫徹しておらず、父系化がやや進んだ双系的親族構造だと考えられます。

 首長層の古墳においても、それ以下の階層と同じく、親子・キョウダイを基本とする血縁者のみがともに埋葬されていました。ただ、首長層の父系化はそれ以下の階層よりも早く、古墳時代中期初頭に始まります。古墳時代前期には首長にも女性が多く、近畿では1/3程度、全国規模では半分程度です。『日本書紀』には、景行天皇が西方へと遠征したさい、女性の首長がいた、とあります。これが史実を反映した記事なのか不明ですが、興味深いと思います。古墳時代中期には、近畿の女性首長の比率は1/10程度にまで低下します。日本列島における父系化は全階層を通じて一気に進行したわけではなく、段階的でした。その画期は、首長層が父系化する中期初頭と、一般層にまで及んでいく中期後葉です。ただ、父系化した首長層では、安定して首長位が継承されたわけではありません。父子間で首長位が継承される場合もありましたが、兄弟の間の格差は小さいので、兄弟間で地位が継承されることもあり得ました。さらに、兄弟それぞれの子供も首長継承の候補者となり得ました。兄弟もしくはその子供たちが袂を分かち、系譜が分派する可能性もあったわけです。

 本書は次に、王族について検証します。大和盆地東南部に王墓を築いた最初期の大王(もしくは王)たちは、1集団から擁立されるのではなく、3〜4集団のなかで実力のある者が擁立されたのではないか、と本書は推測しています。大和盆地東南部の王族の一部が分派し、佐紀古墳群を形成します。佐紀古墳群と大和盆地東南部古墳群とは一時期併存します。佐紀古墳群の勢力は、当初は大王を輩出できませんでしたが、途中から大王を輩出するようになったのではないか、と本書は推測しています。その頃、古市古墳群と百舌鳥古墳群が成立します。これも、王権に揺らぎが生じ、既存の王族が分派したのではないか、と本書は推測しています。古市古墳群と百舌鳥古墳群の成立以降、大王は両集団に限定され、これは首長位が父系的に継承される現象と無関係ではないだろう、と本書は指摘しています。

 王墓群の築造地域の移動は王族の分派活動にともなうもので、本書はそこに政治変動もしくは政権交替的意味合いを見出しています。こうした分派活動は、大王墓や首長墓の埋葬原理とそこから明らかになる親族構造に基づき、構造的に起こり得ます。ともに埋葬されるキョウダイの格差はそれほど大きくなく、首長層の場合もそうだったように、兄弟とその子供たちはそれぞれ王位の継承候補者たり得ます。王族(首長層もですが)のなかには主流派から分派することもあり、その結果としての拠点・墳墓の移動ではないか、と本書は推測しています。また本書は、父系化といっても、地位継承は父から子、さらにその子へという単純な直系原理ではなく、兄弟・父子・従兄弟・叔父甥などの間で継承があり得た、と指摘します。広い父系的親族のなかで地位継承が行なわれた、というわけです。

 このように、古墳時代には双系的社会から父系的社会へと変化していきました。古墳時代前期には女性の首長・家長が一般的に存在し、男女の地位に大きな違いはなかったようです。しかし、古墳時代中期には女性首長がほとんどいなくなり、首長層は父系化します。一般層の父系化はそれよりも遅れて古墳時代中期後葉以降でしたが、上述したように双系的要素は依然として強く残っていたようです。父系化が進行した理由は、日本列島の政治勢力が朝鮮半島をめぐる軍事的緊張・戦争に巻き込まれたか、あるいは積極的に関与したためではないか、と本書は推測しています。その主体はヤマト政権でしたが、古墳時代中期後半には、高句麗の南下政策に対応するため一般層にも父系化が及んだ、というのが本書の見通しです。埋葬形態から社会構造の変容を推測する本書の見解は興味深く、他地域・他の時代にも通ずるような普遍性もあると思います。日本列島における世襲王権の成立過程については、今後も少しずつ調べていくつもりです。


参考文献:
清家章(2018)『埋葬からみた古墳時代 女性・親族・王権』(吉川弘文館)
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日本は百済の植民地との説に潜む問題

2018/06/02 18:57
 古代日本(倭)は百済の植民地(領土)だった、との説(以下、日本植民地説と省略します)があるそうです。ネットで検索すると、日本語で読める記事もありますが、正直なところ、どこまで本気で主張しているのか、判断の難しいところです。ただ、日本でもわずかながら本気で支持する人がいる可能性は高そうですし、韓国では日本よりも支持者の割合はずっと高いでしょう。とはいっても、韓国でも支持する人は少数派だと思います(自信はありませんが)。

 日本植民地説の問題点は、近代的世界観を前近代史に投影していることだと私は考えています。確かに、漢字文化・寺院建築に代表される技術・統治体制などの点で、百済が倭よりも「先進的」だった側面が多分にあるのは否定できないでしょう。しかし、広義の文化において「先進的」な方が政治的にも優位に立つという観念は、19世紀〜20世紀前半における近代西洋の衝撃の印象を、7世紀以前にも安易に投影したものだと思います。たとえば、前漢は匈奴にたいして漢字文化や少なからぬ技術において「先進的」だと言えるでしょうが、だからといって前漢が当初より匈奴にたいして政治的に優位に立っていたわけではありません。前近代のユーラシア東部圏において、「先進的」な側が「後進的」な側にたいして政治的に優位に立っていたとは限らない、というわけです。

 同様のことは倭と百済の関係にも当てはまるでしょう。百済の「国際的」地位は不安定で、5世紀後半には滅亡しかけています(一旦は滅亡したと言えるかもしれません)。百済は倭の政治的支援(軍事的要素も含みます)を必要とする側であり、百済から倭への「先進的」な人材・文化・技術の流入も、倭の支援もしくは好意的立場への期待・見返りという側面が多分にあった、と考えるのが妥当なところだと思います。好太王碑からは、倭がじっさいに朝鮮半島に出兵し、百済と対立していた高句麗と戦って敗れたことが窺えますし、7世紀の百済滅亡時にも、倭は百済の残存勢力と組んで唐・新羅と戦い、敗れました。

 少なくとも5世紀以降、百済と新羅が倭に王族を派遣する一方で(これを人質としてのみ把握するのは妥当ではないでしょうが)、倭から百済と新羅への王族派遣の証拠はないことからも、倭と百済のどちらが政治的に優位に立つ傾向にあったのか、明らかだと思います。『隋書』には、百済と新羅は倭を大国とみなして敬っている、とあります。これは倭人の説明をそのまま採録しただけかもしれませんが、実態に近かったのではないか、と思います。このような状況で、百済が倭を植民地とすることはあり得なかっただろう、と思います。

 それ故に、百済から日本列島への渡来民・難民が、政治・文化も含めて日本(倭)の国家体制の確立に大きく寄与したことは間違いないとはいっても、その政治的地位は、ごく一部が上級貴族(公卿)の最下層に何とか昇進できる、という程度のものでしかありませんでした。したがって、少なくとも5世紀以降、倭(日本)の上位支配層に百済からの渡来民・難民が入り込む余地はまずなかった、と思います。おそらく、4世紀や3世紀においてもそうしたことはなかったでしょう。大王(天皇)や蘇我氏のような有力一族は、遅くとも4世紀までに日本列島に定住した人々の中から台頭してきた可能性がきわめて高いでしょう。もっとも、日本列島における氏族自体、おそらく5世紀後半〜6世紀前半にかけて形成されていき、5世紀の時点ではまだ後世ほどには明確ではなかったでしょう。なお、倭が百済にたいして政治的に優位に立つ傾向があったとはいっても、倭が百済を植民地にしていたとか、属国にしていたとかいった見解も的外れだと思います。

 日本植民地説については、倭と百済の密接な関係との歴史認識も要注意だと思います。『日本書紀』の編纂には亡命百済人の知識層も少なからず関わっていたと思われますし、何よりも、百済系史料が用いられたことは『日本書紀』に明記されています。そうすると、倭と百済との密接な関係との歴史認識も、百済滅亡後に「異国」で暮らしていかねばならない百済系知識層の立場による偏向を想定しなければならないでしょう。

 とはいっても、白村江の戦いはあまりにも無謀であり、倭と百済の親密な関係を想定しなければ理解できない、との見解もあるでしょう。そうした認識に基づき、天智天皇(当時、天皇という称号が用いられていたのか、確証はありませんが)は百済の王族だった、との説さえ主張されたほどです。しかし、もう18年近く前(2000年9月)に述べましたが(関連記事)、天智による百済救援は当時の「国際情勢」で理解できる妥当なものであり、それはその後の対朝鮮半島外交も同様です。

 百済は660年に滅亡したとはいえ、復興運動はかなりの成果を収め、一時は旧領の過半を回復する勢いを見せました。上述したように、5世紀後半にも百済は滅亡しかけてから復興しており、百済(残党)への支援は、当時としては無謀とは言えないでしょう。もちろん、南北朝時代だった5世紀後半とは異なり、660年には唐が存在し、その唐が新羅と共に百済を滅ぼした、という状況の違いはあります。しかし、当時はまだ高句麗が健在で、唐は太宗の時代と白村江の戦いの少し前にも高句麗に攻め入って撤退していました。

 客観的に見ても、当時、倭が百済救援方針を採用しても無謀とまでは言えないでしょうし、倭と百済との特別に密接な関係を想定する必要もないでしょう。もちろん、倭が激動の朝鮮半島情勢を傍観する選択肢も、唐・新羅と組む選択肢もあったわけですが、百済救援方針が無謀とは考えられなかったことと、窮地にある百済にたいして決定的に優位に立てそうなことから、百済救援方針が採用されたのでしょう。倭は、長年倭に滞在し、復興百済の王に迎えられることになった余豊璋に織冠を授けており、(将来の)百済王を明確に臣下に位置づけられる、という政治的成果に大きな価値を認めたのでしょう。まあ、仮に百済復興運動が成就していたとしたら、余豊璋やその後の王がいつまで倭(日本)の臣下という位置づけに甘んじていたのか、定かではありませんが。

 このように、白村江の戦いも倭と百済の特別に親密な関係を証明するわけではなく、「常識的」な「国際関係」の一つの在り様として理解できると思います。日本列島、その中でも北部九州はとくに朝鮮半島と地理的に近いのですが、近年の考古学的成果からは、縄文時代の北部九州はとても朝鮮半島南部と文化を共有する一帯の地域とは言えない、と指摘されています(関連記事)。もちろん、日本列島と朝鮮半島との交流は縄文時代以降、時代による密度の差はあれどもずっと続いていますが、対馬海峡は日本列島と朝鮮半島との大きな障壁として作用し続けたのかもしれません。

 倭と百済の密接な関係との歴史認識に偏りがあるとすると、問題となるのは倭(日本)と新羅との関係です。倭と新羅とは加羅地域などで対立している、という側面が強調されているように思いますが、これも、『日本書紀』の編纂に百済系知識層が関わり、百済系史料が引用・参照されていることと関わっているかもしれません。百済系知識層の中には、新羅に悪感情を抱く人が少なくなったのではないか、と推測されるからです。また、倭(日本)と新羅との関係の変容も、日本の新羅認識に影響を及ぼした可能性があります。新羅は唐と対立していた時期(おおむね天智朝末期〜持統朝)には倭(日本)にたいして低姿勢でしたが、唐との関係が改善されると、日本にたいする低姿勢の傾向を改めるようになります。その結果、日本と新羅の関係は悪化していき、そのような時期に『日本書紀』は編纂されました。

 そのため『日本書紀』では、新羅から倭(日本)への影響が過小評価されている側面が多分にあるかもしれません。逆に、百済から倭への影響は過大評価されている可能性があります。具体的には、たとえば、5世紀以降の日本の馬具への新羅の強い影響など、新羅と倭(日本)との関係は『日本書紀』から推測されるよりもずっと密接だった可能性があります。何よりも、倭(日本)と唐(周)の直接的関係が途絶えているなかで、飛鳥浄御原令と大宝律令が編纂されているわけですから、倭(日本)の律令編纂にさいして、直接的には新羅の影響が強かった可能性はじゅうぶん想定されると思います。
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日本列島にはいつから人類が存在したのか

2018/06/02 18:56
 2000年11月に発覚した旧石器捏造事件(関連記事)の影響もあり、現在では、日本列島における人類の痕跡は4万年以上前までさかのぼる、と想定する見解はとても主流とは言えないようです。日本列島において遺跡が急増するのは4万年前頃で(関連記事)、その担い手として現生人類(Homo sapiens)のみを想定するのが一般的な見解だと思います。しかし、石器技術の比較から、15000年前頃まで日本列島には現生人類ではない系統の人類が存在した、との見解も提示されています(関連記事)。その可能性はきわめて低い、と私は考えていますが。

 日本列島における4万年前頃よりも前の人類の痕跡も主張されていますが、現時点では、広く認められているとはとても言えないでしょう。近年では、12万年前頃とされる島根県出雲市の砂原遺跡で発見された石器が注目されていますが、これが本当に石器なのか、疑問視する見解は根強くあります(関連記事)。かりに、砂原遺跡の石器が本物だとしても、開発が進み、更新世の考古学的発掘密度の高い日本列島において、4万年前頃以降にならないと人類の痕跡がほとんど発見されないわけですから、砂原遺跡の石器群を製作した人類集団は絶滅し、現代日本人への遺伝的・文化的影響は皆無と考えるのが妥当なところでしょう。

 かりに12万年前頃の日本列島に人類が存在したとすると、どの系統なのかが問題となります。10年前くらいまでの認識ならば、日本列島に12万年前頃に現生人類が存在したとは想定しにくいのですが、近年では研究の進展により状況は大きく変わってきました。現生人類は20万年前頃までにレヴァントよりも東方まで拡散していた可能性があり(関連記事)、ユーラシア東部には12万〜8万年前頃までに到達していた可能性も指摘されています(関連記事)。これは華南の事例で、現生人類との断定は時期尚早だと思いますが、12万年前頃に華南にまで現生人類が拡散していた可能性は低くないでしょう。そうだとすると、現生人類が12万年前頃に日本列島に到達していたとしても不思議ではないと思います。

 一方、同じ頃に華北には現生人類ではなさそうな人類集団が存在しており(関連記事)、そのような人類集団がユーラシア東部から日本列島へと渡海するか、あるいは日本列島とユーラシア東部が陸続きになるような寒冷期に生存して日本列島へと陸路で到達できるのか、疑問は残りますが、現生人類ではない系統の人類集団がかつて日本列島に存在した可能性は、無視してよいほど低いものではないと思います。また、125000〜105000年前頃となる華北の別の人類遺骸からは、現生人類と他系統の人類との交雑も想定されます(関連記事)。いずれにしても、上述したように、12万年前頃の日本列島に人類集団が存在したとしても、現代日本人というか、4万年前頃以降の日本列島の住民への遺伝的・文化的影響は皆無(に近い)でしょう。
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古墳時代の東北地方の豪族の形態・DNA・食性

2018/05/29 17:12
 古墳時代の東北地方の豪族の形態・DNA・食性に関する研究が報道されました。この研究は、福島県喜多方市の灰塚山古墳の石棺に葬られていた男性の人骨を分析しました。灰塚山古墳は全長約61mの前方後円墳で、年代は古墳古墳時代中期とされています。石棺内外からは、東北地方では類がないほど多量の鉄製品が発見されました。古墳時代中期の会津地方は、古墳時代前期と比較して「大和王権との関わりが薄い」と考えられていましたが、多彩な副葬品の存在により再考が必要になりそうとのことです。

 灰塚山古墳の石棺に葬られていた男性は細身で、身長は当時の平均である162cmよりやや低い158cmと推定されています。この男性は筋肉質ではなく、腰痛持ちではあるものの、ストレスの痕跡はとくになかった、とのことです。人骨の分析から、食性は水産物にひじょうに依存していたことが明らかになりました。海からは遠いので、近くを流れる阿賀川の魚を食べていた、ということでしょうか。この男性は会津地域の首長でしょうから、会津地域の下層の人々の食性はどうだったのか、気になるところです。

 注目されるのは、この男性のDNAも解析され、「縄文人」とは大きく異なり、現代人に近いと明らかになったことです。ミトコンドリアDNAなのか核DNAなのか、報道では不明ですが、現代人に近いと判断されたとのことですから、核DNAでしょうか。「縄文人」の遺伝的多様性については、年代・地域的な差がどの程度あったのか、まだ不明なところが多分にありますが、現時点では、現代日本人における「縄文人」の遺伝的影響は低いとされています(関連記事)。日本列島における人類集団の遺伝的構成(もちろん、地域差はあるわけですが)がどのように変遷してきたのか解明するには、日本列島も含めてユーラシア東部圏の古代DNA研究の進展を俟つしかありません。その意味で、古墳時代の人骨のDNAを解析したこの研究は大いに注目されます。
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縄文時代における九州と朝鮮半島との交流

2018/05/27 18:55
 以前、当ブログで山田康弘『つくられた縄文時代 日本文化の原像を探る』を取り上げ、縄文時代における九州と朝鮮半島との交流についても少し言及しましたが(関連記事)、もう少し詳しく同書の見解を取り上げることにします(同書P129〜133)。じゅうらい、縄文時代の日本列島は他地域との交流がほとんどなかった、と考えられてきました。それは、「縄文人」のような形態の人類集団が他地域で確認されず、細かな地域差・時代差があるとはいえ、地理的範囲は北海道から九州まで、時間的範囲は早期から晩期前半まで、「縄文人」の形態はほぼ同一とされてきたからでした。

 しかし、考古学的資料により、縄文時代における九州、さらには西日本と朝鮮半島との交流が明らかになってきました。たとえば、西日本各地に分布する縄文時代前期の轟式土器や曽畑式土器は、朝鮮半島に分布する隆起線文土器や櫛目文土器との類似性が指摘されています。また、轟式土器と曽畑式土器の間に位置づけられる西唐津式土器と朝鮮半島の土器との関係も指摘されるようになっており、相互の土器形式に影響を及ぼす水準で交流があったことは確実とされています。

 朝鮮半島の煙臺島遺跡からは、縄文時代の石器として一般的な石匙が出土しています。縄文時代後期に西北九州で多くみられる石鋸も、朝鮮半島の松島遺跡など南岸部から出土しています。佐賀県の腰岳から産出する黒曜石は、朝鮮半島南岸部からも出土しています。また、朝鮮半島の土偶の中には、縄文時代早期のものとの類似性が指摘されるものもあります。その他にも、縄文時代には珍しくない貝輪・獣歯牙製装身具・土製耳飾りなどが、朝鮮半島南部で出土しています。こうした遺物だけではなく、人類遺骸でも、朝鮮半島と縄文時代の日本列島との交流の可能性が指摘されています。煙臺島遺跡から出土した人類遺骸には、縄文人の形態がよく認められるそうです。

 しかし、近年の研究の進展により、九州を中心とする縄文時代の西日本と朝鮮半島との交流については、一時期の過大評価が訂正される傾向にあるようです。まず、朝鮮半島における縄文(系)土器の出土点数は、在地の有文土器と比較すると0.1%にも満たない、とのことです。また、土器の製作技法・文様の割り付け方法・結合式釣針の製作技法などの比較の結果、縄文時代の日本列島と朝鮮半島との類似性は、同一の文様構成原理や技法で製作されたという水準ではなく、あくまでも視覚的な部分に留まっている、とも指摘されています。見た目は類似しているものの、人間が恒常的に往来して製作技法そのものが伝えられているような状況ではなかっただろう、というわけです。対馬の越高・尾崎遺跡や夫婦岩遺跡などでは、朝鮮半島系の土器が主体的に出土することもありますが、これは特定の時期だけの減少で、他の時期では基本的に縄文土器が出土するそうです。朝鮮半島には縄文(系)土器が主体的に出土する遺跡は存在せず、あくまでも単発的・客体的に出土するにすぎません。

 これまで、縄文時代の日本列島と朝鮮半島の考古学的資料の類似性は、交流の証明としてひじょうに高く評価されてきましたが、再考が必要ではないか、と本書は指摘します。縄文時代の北部九州と朝鮮半島南部との交流はさほど多くなく、南島地域との比較でも少なかったので、北部九州と朝鮮半島南部の間には言語の壁があったのではないか、との見解も提示されています。また本書は、朝鮮半島では土偶はほとんど出土せず、大型のものはないことと、縄文文化でよく見られる呪術具は朝鮮半島では出土頻度が低いことなどからも、縄文時代の北部九州と朝鮮半島南部は文化を共有するという状況ではなく、対馬海峡で線を引くことが可能ではないか、と指摘します。縄文文化がユーラシア大陸からの影響を受けたことは間違いないとしても、縄文文化はおおむね日本列島内に収まっているとの見解にも一理ある、と本書は指摘しています。
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夏王朝の実在をめぐる議論と大化前代をめぐる議論の共通点(追記有)

2018/05/03 00:00
 夏王朝の実在認定をめぐって、日中ではかなりの温度差があったようです。佐藤信弥『中国古代史研究の最前線』(関連記事)第1章第2節によると、中国では夏王朝の実在は確実とされ、それを前提として議論が展開されているのにたいして、日本では夏王朝の実在認定に慎重だったようです。しかし、二里頭遺跡の発掘・研究が進み、原初的な王権と宮廷儀礼が成立していたと考えられ、二里頭文化の範囲がある程度まで広がっており、初期の殷に滅ぼされたと推測されることから、日本でも二里頭遺跡を夏王朝と認める研究者が増えてきているそうです。

 しかし、竹内康浩『中国王朝の起源を探る』(関連記事)では、二里頭文化においてすでに「礼制」が成立し、新石器時代においては分節的で横並びだった地域間関係のなかに、はじめて一つの中心的位置を占める地域的文化として登場し、地域間関係を再編成していった、と二里頭文化の画期性が指摘されているものの、なおも夏王朝の実在認定には慎重です。それは、出土文献で確認されないからです。二里頭遺跡が後世の出土もしくは伝世文献に「夏」と見える王朝と部分的にせよ一致しているのか、確認できていない、というわけです。

 これは夏王朝の実在を確認できないということであり、夏王朝は実在しなかった、と主張しているわけではありません。殷よりも前に初期王朝もしくは国家と呼べるかもしれないような政治勢力は存在したものの、それを「夏王朝」と呼ぶのはまだ妥当ではないだろう、というわけです。これは実にまっとうな姿勢と言うべきで、中国では夏王朝の実在が確実と考えられているのに、日本では懐疑的な姿勢が見られるのは、日本の研究者の側に何らかの偏見があるからではなく、あくまでも研究者として禁欲的な姿勢を貫いているからと言うべきでしょう。

 『中国古代史研究の最前線』によると、夏王朝の実在を認める日本の研究者にしても、現時点での証拠からは文献に見える夏王朝に関する記載がどれほど事実を伝えているのか、証明は難しいと指摘しています。中国の考古学者にしても、夏王朝の実在を前提としながらも、論文などでは「夏王朝」ではなく「夏文化」や「夏商考古学」など曖昧な表現を採用しているそうです。落合淳思『古代中国の虚像と実像』(関連記事)では、現存の文献資料の夏王朝の記述に二里頭文化を反映した部分は一文もないとのことで、やはり、同書が提言しているように、二里頭遺跡を王朝の証拠として認めるにしても、「夏王朝」ではなく「二里頭王朝」と表記すべきなのでしょう。なお、『中国古代史研究の最前線』によると、夏王朝に関する現時点で最古の記載は西周の金文ですが、これには偽銘の疑いがあるそうです。

 このように、二里頭遺跡を夏王朝実在の根拠とすることにはかなり無理があると思うのですが、『中国王朝の起源を探る』によると、近年中国では、二里頭遺跡をもって夏王朝実在の考古学的根拠とされ、概説や通史では、二里頭遺跡の考古学的成果が夏王朝史として述べられているのではなく、文献で伝えられている夏王朝の記載を根拠として夏王朝史が述べられていることがきわめて多いそうです。考古学的に夏王朝の実在が証明されたので、夏王朝に関する文献上の記述がそのまま史実を伝えるものとして認定される傾向が強い、というわけです。これは明らかに問題で、『中国古代史研究の最前線』で指摘されているように、考古学的資料を文献の奴隷や脚注にしてしまう行為だと言えるでしょう。ただ、こうした状況を苦々しく思っている中国の研究者は少なくないかもしれません。


 こうした傾向が問題なのは日本史についても同様です。以前、雄略天皇(5世紀に天皇という称号が用いられていたとは思いませんが、便宜的にこう表記します)について雑感を述べましたが(関連記事)、雄略についても、夏王朝の実在をめぐる議論と通ずる問題があるように思います。雄略の実在を疑う人は皆無に近いでしょうし、確実な証拠もあるとされます。一つは、稲荷山古墳鉄剣銘に見える「獲加多支鹵(ワカタケル)大王」で、もう一つは『宋書』に見える「倭王武」です。年代的にも、この三者を同一人物と考えてもおかしくはない、というかその可能性が高いとは言えるでしょう。

 ただ、上記の記事で取り上げた遠山美都男氏の指摘にあるように、そもそも実在か否かという問題設定自体を疑問視すべきかもしれません。また、遠山氏が指摘するように、雄略と獲加多支鹵大王・倭王武を一応は切り離して考えることも必要だと思います。じっさい、『宋書』に見える「倭王武」の記述と『日本書紀』に見える雄略の記述とはあまり重なりません。もっとも、父と兄の跡を継いだという系譜は一致すると言ってもさほど問題ないでしょう。その両者を相次いで亡くしたという倭王武の上表文と、父の允恭天皇が亡くなり、その3年後に位を継承した兄も亡くなって(殺害されて)雄略が即位した、との『日本書紀』の記事も符合すると言えるかもしれません。しかし、これも確定的とするには弱いと思います。

 雄略と獲加多支鹵大王の関係にしても、前者の宮は泊瀬朝倉なのにたいして、後者は斯鬼宮にいたとされます。泊瀬朝倉を含む一帯を5世紀後半にはシキと呼んだ可能性も、雄略が複数の宮を設けた可能性も考えられますが、記録を表面的に見ると一致はしていません。なお、遠山氏も倭王武=獲加多支鹵大王は確実と考えていますが、上記の雑感でも述べたように、私は以前から確定とは言えないのではないか、と考えていました。河内春人『倭の五王』は、武の前の興が獲加多支鹵大王だった可能性も提示し、倭の五王を安易に記紀の「天皇」に比定することに注意を喚起しています(関連記事)。

 このように、私は雄略=倭王武=獲加多支鹵大王という有力説にやや懐疑的なのですが、これが有力説で、一定以上の根拠があることも否定できないでしょう。少なくとも、二里頭遺跡を夏王朝と結びつけるよりもずっと説得力があると思います。しかし、たとえ雄略は「実在」したとの仮説がかなりの程度有力だからといって、『日本書紀』の雄略に関する記述をそのまま概説・通史に反映させれば、それは問題だと思います。『日本書紀』の雄略に関する記述で、(準)同時代の文献(出土文献と伝世文献)たる稲荷山古墳鉄剣銘および『宋書』と一致していると言えそうなのは、せいぜい名前と系譜くらいで、即位事情も一致していると解釈できるかもしれない、という程度です。

 同様のことは、「実在」した最初の「天皇」と考えている人も多いだろう崇神と、その後の垂仁・景行にも言えます(崇神・垂仁とは異なり、景行は名前から実在を疑う見解も少なくなさそうですが)。崇神以降の「天皇」を実在と考えると、崇神の在位年代は3世紀後半〜4世紀前半と考えて大過はないでしょう。考古学的には、3世紀半ば〜後半(4世紀にまでくだるかもしれませんが)の箸墓古墳が、日本列島における王権・国家形成史において時代を画すると言えそうで、ここで本州・四国・九州のかなりの範囲に及ぶ何らかの王権・政治勢力が成立した可能性は高そうです。その中心地は、纏向遺跡である可能性が高そうです。

 考古学的には、ここまで言っても大きな問題はないでしょう。これを『日本書紀』と照合すると、崇神・垂仁・景行という3代の宮は纏向遺跡もしくはその周辺地域にあり、垂仁に関しては埴輪の始まりを伝える記述もあります。崇神・垂仁・景行の3代に関する文献は、少なくとも夏王朝よりはずっと、考古学的研究成果から推測される内容を反映している、とも解釈できます。まあ、私はやや懐疑的ですが。しかし、だからといって、崇神・垂仁・景行に関する『日本書紀』の記述をそのまま概説・通史に反映させれば、やはり問題でしょう。

 日本史に関しても、中国史と同様に、考古学的資料を文献の奴隷や脚注にしてはならない、と言うべきでしょう。ただ、『古代中国の虚像と実像』の感想記事でも述べましたが、中国の経済・軍事・政治力の強化とともに、「夏王朝」の「実在」が「正しい歴史認識」・「真実の歴史」として日本国内でも声高に主張されるようになるかもしれません。しかも、利害関係や中国側の脅迫なしに、「進歩的で良心的な」勢力により「自主的に」主張される可能性は低くありません。戦後、政府に限らず日本社会にアメリカ合衆国への従属的な姿勢があることは否定できないでしょうが、やはりそれも利害関係やアメリカ合衆国側の脅迫なしに、「現実主義者」が「自主的に」主張している側面も多分にあると思います。

 あるいは、「夏王朝」の「実在」に疑問を呈すと、「歴史修正主義者」とか「ネトウヨ」とか「自主的な」多くの人から批判されるような時代が到来するかもしれませんが、そうなったとしたら、個人としてはできるかぎり抵抗したいものではあります。逆に、今後日本社会で「愛国的」な動向がずっと強まり、雄略の「実在」に疑問を呈すと、「非国民」とか「反日」とか「自主的な」多数派から批判されるような時代が到来するかもしれませんが、そうなったとしたら、こちらにも個人としてはできるかぎり抵抗したいものではあります。


追記(2018年5月3日)
 述べ忘れていたことがあったので、追記しておきます。雄略に関する雑感でも引用しましたが、遠山氏は、崇神が実在したのか否か、との議論にはあまり意味を見出していません。私も同意で、5世紀後半と考えられる稲荷山古墳鉄剣銘には、擬制的かもしれませんが、自らの祖先をたどろうとする傾向が見られるものの、それが4世紀、さらには3世紀にまでさかのぼるのか、確定したとは言えないでしょう。5世紀には王位は特定の一族に限定されていなかった、との見解も提示されていますが(関連記事)、そうだとすると、やはり4世紀以前に王の名前を正確に継承しようという強い意識があったのか、疑問は残ります。

 崇神と垂仁の名前は「7〜8世紀風」ではなさそうということから、両者の実在の根拠とされてきましたが、直接的な証拠はありません。崇神・垂仁・景行の3代に関する『日本書紀』の記述には、古墳時代初期というか、ヤマト(纏向遺跡)を中心とした広範な政治的勢力・王権の初期を反映したものがある可能性も考えられますが、決定的ではありません。何らかの記憶が継承されていた可能性も否定できませんが、6世紀以降の支配層によりに名前と系譜も含めて新たに紡がれた物語(建国神話)である可能性も、じゅうぶん考えられると思います。確かに、崇神・垂仁・景行の3代をはじめとして、継体よりも前の『日本書紀』の記述に、考古学的成果と符合すると解釈できそうな箇所はありますが、だからといってそれが『日本書紀』の他の記述の信頼性を高めるとは限りません。やはり、安易に『日本書紀』の説話的な記述を採用すべきではないでしょう。

 これは、殷に関する問題も同様だと思います。殷は、『史記』などの伝世文献と、殷後期〜周最初期という同時代の出土文献で一致点が多いことから、実在した王朝と表現して基本的に問題ないでしょう。日本古代史との比較で言えば、崇神・垂仁・景行の3代はもとより、雄略よりもはるかに「実在性」は高いと言えるでしょう。しかし、だからといって、たとえば『史記』のような伝世文献に見える殷についての記述が、とくに説話的な箇所まで史実を反映しているのかというと、大いに疑問です。

 確かに、たとえば『史記』に見える殷の王の系譜は、殷末期の「同時代資料」のそれとおおむね一致しています。これは、殷末期の系譜が漢代武帝期までかなり忠実に継承されていることを意味します。しかし、だからといって、『史記』の殷に関する記述全体が信用できるのかというと、それはやはり「同時代資料」による裏付けが必要となるでしょう。また、そもそも殷の王の系譜にしても、あくまでも殷後期〜末期の支配層の認識であり、史実だと断定するのには無理があると思います。もちろん、史実に忠実なところは多分にあるのでしょうが、殷王朝内の「敗者」にとってはまた異なる系譜があり得た、との想定は無理筋ではないと思います。
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天皇号と日本国号の画期性

2018/04/12 00:00
 これは4月12日分の記事として掲載しておきます。入院中に考えていたことを短くまとめてみます。天皇号と日本国号の画期性については、たとえば、網野善彦『日本の歴史第00巻 「日本」とは何か』(講談社、2000年)で強調されています。しかし、そうした見解には疑問も残ります。まずは天皇号についてです。天皇号の成立時期については、天武朝説が有力だと思いますが、推古朝説や、遅くとも天智朝には成立していたという説も提示されています(関連記事)。ただ、天武朝成立説では、天皇は天武個人の称号だった、との見解が有力だと思います。

 天皇号の成立時期について、有力な天武朝説を前提とすると、日本国号の採用および律令制定の時期と近接していることからも、その画期性が強調されても不思議ではありません。ただ、養老令(おそらく大宝令でも)儀制令では日本国君主の称号は場面により天子・天皇・皇帝と使い分けると規定されており、天皇とは本来「もう一つの中華世界の皇帝(天子)」に他ならないと思います。もちろん、実態も同じだったわけではありませんが、あくまでも理念的には、ということです。天皇号にしても、天武朝とかなり時代の重なる唐の高宗が用いています。すでに推古朝の遣隋使で天子と称していたように、天皇号の成立は当時の日本(倭)が「(中華世界的)普遍性」を追求した長い歴史の中に位置づけられるべきで、決定的な画期とは言えないのではないか、との疑問は残ります。

 現代日本社会では、どうも天皇と(中華世界の)皇帝との同質性が軽視されているように思います。上述したように、日本国君主の称号は、本来天皇に一元化されていたのではなく、天子でもあり皇帝でもありました。律令制成立当初の日本は、理念的には「もう一つの中華」を目指した国だった、ということは強調されるべきでしょう。日本国の正史である『続日本紀』では、日本が「中国」と表記されることさえありました。このように天皇と(中華)皇帝との同質性が軽視されているのは、近代になって日本国君主の称号の表記がほぼ天皇に一元化された一方で、中華世界では唐代半ば以降に(おそらくは)君主の称号として天皇号が用いられなかったからなのでしょうが、その近代日本においても、皇帝が用いられることもありました。これは、中世〜近世後期にかけて天皇号は公的には用いられなかったことが、一般にはあまり知られていない(だろう)こととも関連しているのでしょう。

 日本国号成立に関しても過大評価されているのではないか、との疑問は残ります。小林敏男『日本国号の歴史』(吉川弘文館、2010年)では、日本国号の画期性を強調する見解は呼称の変化に本質(実体)を見る観念的言説で、自称としてのヤマトの連続性が強調されています(関連記事)。同書では、日本という国号の表記の発信源は中華世界にあり、百済や新羅、とくに百済の知識人が倭の別称として用いたのが直接の起源で、それが渡来人などによりヤマトに伝わり、遅くとも天智朝期には、ヤマト朝廷周辺で百済系渡来人や知識人の間で使用されており、正式に対外的な呼称として採用される前提を形成していたのだ、と推測されています。

 確かに、天皇号にしても日本国号にしても、その成立の意義を軽視することはできませんが、ともに当時の日本(倭)が「(中華世界的)普遍性」を追求した長い歴史の中に位置づけられるべきで、その画期性の強調は、多分に呼称の変化に本質(実体)を見る観念的言説ではないか、とも思います。確かに、律令の制定は日本列島において画期ですが、それにより中央集権的体制が確立したというよりは、通俗的に律令体制の「崩壊」と言われるような過程を経て、「日本国」という枠組みはむしろ浸透していったのではないか、と思われます(関連記事)。このような展開の延長線上に、平安時代後期〜江戸時代にかけての長く緩やかな変容があり、日本の「伝統社会」が成立したのではないか、というのが私の見通しです。
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漢籍と日本史料に見える異文化の名前・称号の理解

2018/03/24 00:00
 これは3月24日分の記事として掲載しておきます。隋や唐の日本(倭)にたいする理解について、ツイッターで最近述べたことや過去のネットでの発言を再構成します。遣隋使をめぐる『隋書』と『日本書記』の相違についてはよく知られているでしょうが、10年以上前(2008年3月4日)に関連論文を取り上げたことがあります(関連記事)。『隋書』や『旧唐書』や『新唐書』などといった中華地域の漢文史料と、『日本書紀』など日本史料との相違は議論となっていますが、以下の東野治之『遣唐使』(関連記事)の以下の指摘(P23)は重要と言えるでしょう。

なお、この時の使いが「阿毎多利思比狐」の使者とされているので、これが当時の君主の名や一般的な称号であるとする意見が昔から有力だが、これに続く使者の言葉とともに、あまり額面どおり受け取るのは考えものである。そもそも古代の中国文献については、これを全面的に信頼できるものとして一字一句を取り上げ、日本側史料の批判に使う研究者が少なくない。しかしそれは極めて危険であり、中国文献が正しいという保証はない。むしろ外国に関する知識が通訳や翻訳を介して伝達された場合、なんらかの誤りが生じるのが普通である。それは近世初期のキリスト教宣教師宣教師や、江戸時代、長崎に来航していたオランダ人、あるいは明治初年の外国人などの書き残したものをみれば、一目瞭然である。

 さらに同書P24では、『隋書』に見える「阿毎多利思比狐(アメタリシヒコ)」を、当時の倭国における君主の名や一般的な称号とする見解にたいして、遣隋使となった小野妹子の祖先が「天帯彦国押人命(アメタラシヒコクニオシヒトノミコト)」だったところから、対応した隋側が君主の名と間違って記録した、という辻善之助氏の解釈を見直すべきだろう、と提言されています。

 「正史」がそんなことを間違うはずがない、との批判もあるとは思いますが、異文化の名前・称号の仕組みを理解するのは難しく、錯誤があっても不思議ではないでしょう。現代の日本でも、すでに前近代の名前・称号の仕組みが理解されなくなっており、それ故に、夫婦別姓容認の議論において、「良心的」な人々(の大半?)において、現代の夫婦同氏(同姓)は明治になっての西洋の物真似にすぎなかった、などといった的外れな見解が浸透しているくらいです(関連記事)。辻説が妥当と断定できるわけではありませんが、真剣に検証すべき仮説だとは思います。

 異文化の名前・称号の仕組みの理解の難しさは、隋・唐と日本(倭)との関係においても散見されます。7世紀以前よりも日本列島の人々の漢文能力が高くなっただろう8世紀後半において、遣唐使の真人興能(おそらくは甘南備清野)について、真人とは官(名)を氏としたのだろう、と『新唐書』は誤解しています。また、玄宗代における唐から日本への国書より、その時の唐は日本国君主の名を「主明楽美御徳」と誤解していたことが分かります。「主明楽美御徳」は「スメラミコト」で、日本国君主の称号の訓読みです。もっとも、この件については、日本側が意図的に唐に誤解させようとした可能性が高いとは思いますが。

 なお、「中国文献が正しいという保証はない」ことが『日本書紀』の信憑性を相対的に高めるというものでもなく、基本的に『日本書紀』は、7世紀末〜8世紀初頭の支配層の価値観・歴史認識・常識によって「あるべき歴史」を描いた作品であり、中華地域の漢文史料との間に相違がある場合、倭国・日本国側の(しばしば意図的な)錯誤によるものである可能性もじゅうぶん考えられるとは思います。「阿毎多利思比狐」をめぐっても、日中双方の錯誤が想定されるので、さまざまな可能性が考えられるべきでしょう。

 ただ、『日本書紀』において、たとえば初代にさかのぼって「天皇」号が用いられていることなどを、隠蔽・改竄と断定して憚らないのは、近代的な心性にとらわれすぎではないか、とも思います。それは、歴史認識の問題に関しては、考証学などを経て近代歴史学の成果を受け入れた結果を経て形成されたものだと思います。また、近代的な心性を大前提として『日本書紀』を読むと、当時の編纂者・支配層には思いもよらなかった陰謀・隠蔽・改竄を見出すことになるのではないか、とも考えています。三王朝交替説や聖徳太子非実在説(関連記事)や天武の年齢が不明なのは異常だといった見解(関連記事)は、近代的な心性を大前提としてしまったが故の誤認だと思います。
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タイトル 日 時
縄文時代と現代日本
 これは3月7日分の記事として掲載しておきます。一つ前の記事で取り上げた、バヌアツにおける人類集団の形成史に関する研究は、日本列島における人類集団の遺伝的構成の変遷と言語の形成過程に関する議論にも参考になりそうだという点でも、大いに注目されます(関連記事)。日本列島の人類史における縄文時代の位置づけについては、まだ不明なところが多分にある、と言わざるを得ないでしょう。現代日本社会の「愛国的な見解」においては、縄文時代から現代まで継続する一貫した「日本」が措定され、現代日本社会の「確たる基盤・源流... ...続きを見る

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2018/03/07 00:00
バヌアツの人類集団の形成史
 これは3月6日分の記事として掲載しておきます。バヌアツの人類集団の形成に関する二つの研究が公表され、報道されました。『ネイチャー』のサイトには解説記事が掲載されています。これらの研究はオンライン版での先行公開となります。これら二つの研究は、バヌアツやその周辺地域の人類の古代および現代のDNAを解析し、ゲノム規模のデータを得て、バヌアツの人類集団の変遷を検証しています。両方の新研究の間で共通認識もあるものの、相違も見られます。 ...続きを見る

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2018/03/06 00:00
倉本一宏『藤原氏―権力中枢の一族』
 これは3月4日分の記事として掲載しておきます。中公新書の一冊として、中央公論新社から2017年12月に刊行されました。本書は、おもに7世紀半ばの乙巳の変から鎌倉時代の五摂家(近衛・九条・一条・二条・鷹司)の分立までを、藤原氏を視点に据えて概観しています。本書のような視点の通史は珍しくないのかもしれませんが、藤原氏のうち摂関家のみならず、氏族全体の動向・盛衰を視野に入れた一般向け書籍となると、意外と少ないのかな、と思います。まあ、私が無知なだけかもしれませんが。 ...続きを見る

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2018/03/04 00:00
河内春人『倭の五王 王位継承と五世紀の東アジア』
 これは2月25日分の記事として掲載しておきます。中公新書の一冊として、中央公論新社から2018年1月に刊行されました。『古事記』・『日本書紀』にはあまり依拠せず、おもに中華地域と朝鮮の史料および考古学的研究を活用しているのが本書の特徴です。また、本書の特徴としては、倭の五王を東アジア史のなかに位置づけるという姿勢が強く現れていることも挙げられます。もちろん、倭の五王に言及したこれまでの本・論文も、第二次世界大戦以降であれば、東アジア史を強く意識してはいたのでしょうが、本書は、朝鮮半島や中華地域... ...続きを見る

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2018/02/25 00:00
佐藤信編『古代史講義 邪馬台国から平安時代まで』
 これは2月18日分の記事として掲載しておきます。ちくま新書の一冊として、筑摩書房より2018年1月に刊行されました。日本古代史の勉強も停滞しているので、最新の研究成果を把握するために読みました。本書はたいへん有益でしたが、もちろん、古代史の論点は多岐にわたり、新書一冊で網羅することはできませんので、続編が望まれます。以下、本書で提示された興味深い見解について備忘録的に述べていきます。 ...続きを見る

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2018/02/18 00:00
古代貴族の歴史観
 17年前(2001年)に、「古代貴族の歴史観」と題して4回にわたって雑文を掲載したことがあります。 http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/history025.htm http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/history026.htm http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/history027.htm http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/histor... ...続きを見る

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2018/01/08 00:00
斎藤成也『核DNA解析でたどる日本人の源流』
 これは12月3日分の記事として掲載しておきます。河出書房新社から2017年11月に刊行されました。本書はまず人類進化史と現生人類(Homo sapiens)のアフリカからの拡散を、最新の研究成果に基づいて簡潔に概観した後、日本列島の現代人がどのように形成されてきたのか、おもに核DNAの解析結果に基づいて検証しています。もっとも、本書は、核DNAよりは得られる情報が少なくなるものの、ミトコンドリアDNA(mtDNA)とY染色体DNAについてのこれまでの研究も取り上げています。本書で言及されている... ...続きを見る

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2017/12/03 00:00
瀧浪貞子『光明皇后 平城京にかけた夢と祈り』
 これは11月12日分の記事として掲載しておきます。中公新書の一冊として、中央公論新社から2017年10月に刊行されました。本書は光明皇后(安宿媛、光明子)の生涯を、両親・息子・異母兄・夫という肉親の死の観点から描き出そうとしています。なお、安宿媛という名前は、光明皇后の父親である藤原不比等を養育した田辺史一族の本拠地に因むものだろう、と本書は推測しています。光明皇后は慈悲深く信仰心の篤い人物との印象もあるでしょうが、本書は、息子の基王に続く母親の三千代の死が、光明皇后を仏教へ深く傾斜させたので... ...続きを見る

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2017/11/12 00:00
松本直子「人類史における戦争の位置づけ 考古学からの考察」
 『現代思想』2017年6月号の特集「変貌する人類史」に掲載された論文です。戦争は人間の本性なのか、それとも社会的な要因で発生した人類史上で比較的新しい(農耕開始・国家形成移行)現象なのか、という問題は広く関心を持たれているように思います。もちろん、研究者の間ではここまで単純化された議論が展開されているわけではないでしょうが、とりあえずこの記事では、「本性説」と「後天説」と分類しておきます。本論文は、明確に後天説を支持しています。 ...続きを見る

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2017/07/05 00:00
白保竿根田原洞穴遺跡についての新たな発表
 これは5月22日分の記事として掲載しておきます。沖縄県石垣市の白保竿根田原洞穴遺跡についての新たな発表が報道されました。読売新聞でも報道されています。白保竿根田原洞穴遺跡では日本列島でも有数の古い人骨が複数発見されており、このブログでも何度か取り上げてきました。 http://sicambre.at.webry.info/201002/article_6.html http://sicambre.at.webry.info/201003/article_13.html http://si... ...続きを見る

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2017/05/22 00:00
歴史は妄想であってはならない(「聖徳太子」表記をめぐる議論)
 これは3月20日分の記事として掲載しておきます。新学習指導要領案で、「聖徳太子」について、小学校では「聖徳太子(厩戸王)」、中学校では「厩戸王(聖徳太子)」と表記が変更になる件は、抗議する団体がいたり、国会でも取り上げられたりするなど、一部?で話題になったようです。このブログでも4年前(2013年)に、高校日本史教科書での「聖徳太子」表記の問題を取り上げたことがあります(関連記事)。表題の記事では、「後世、聖徳太子と呼ばれている人物は、生きていた当時はそんな名ではなく、厩戸王だった。だから、歴... ...続きを見る

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2017/03/20 00:00
美川圭『日本史リブレット人021 後三条天皇 中世の基礎を築いた君主』
 これは11月27日分の記事として掲載しておきます。山川出版社から2016年9月に刊行されました。本書は、後三条天皇(尊仁親王)の出自についてやや詳しく解説しています。一般には、後三条天皇は宇多天皇以来久しぶりに藤原氏を外戚としない天皇でとされています。しかし、後三条天皇の母である禎子内親王(陽明門院)の母方祖父は藤原道長ですし、後三条天皇の父である後朱雀天皇の母方祖父も藤原道長です。そのため、摂関家はいぜんとして後三条天皇の外戚だった、との見解も提示されているようです。 ...続きを見る

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2016/11/27 00:00
縄文時代の妊娠・出産回数の地域的違い
 これは11月19日分の記事として掲載しておきます。2016年11月16日付読売新聞の朝刊で、縄文時代の妊娠・出産回数の地域的違いに関する研究が取り上げられました。これは、日本大松戸歯学部の五十嵐由里子・専任講師の調査によるもので、まだ予備的段階とのことです。この研究で調査対象となった人骨は、頭蓋・骨盤などから女性と確認できた208体のうち、骨の状態などを考慮して選ばれた、おおむね20歳以上と推定される190体です。その内訳は、北海道では伊達市の黄金貝塚などの12体、岩手県では一関市の蝦島貝塚の... ...続きを見る

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2016/11/19 00:00
森下章司『古墳の古代史 東アジアのなかの日本』
 これは11月4日分の記事として掲載しておきます。ちくま新書の一冊として、筑摩書房から2016年9月に刊行されました。本書は、墳墓の変遷という視点から、紀元前1世紀〜紀元後4世紀頃の日本列島を東アジア世界のなかに位置づけています。もっとも、日本列島とはいっても、対象となっているのは基本的に前方後円墳の築造された地域です。朝鮮半島および中華地域の墳墓の状況も詳しく取り上げられ、それらとの比較により、日本列島の墳墓・社会の特質を浮き彫りにする、というのが本書の特徴です。 ...続きを見る

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2016/11/04 00:00
森公章『人物叢書(新装版) 天智天皇』
 人物叢書の一冊として、吉川弘文館より2016年9月に刊行されました。巻末で認められているように、天智天皇(中大兄皇子)の人物像を探る手がかりは乏しいので、7世紀政治史のなかで天智天皇を位置づける、という構成になっています。これは仕方のないところでしょうし、「国内」の支配構造や「国際関係」も含めて7世紀政治史が詳しく解説されているので、もちろん、天智天皇の事績と後世(おもに奈良時代)の天智天皇にたいする評価(律令国家創始者としての顕彰は、天智天皇の娘である持統天皇・元明天皇によるところが大きかっ... ...続きを見る

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2016/10/12 00:26
佐藤長門『日本史リブレット人003 蘇我大臣家 倭王権を支えた雄族』
 これは10月8日分の記事として掲載しておきます。山川出版社より2016年5月に刊行されました。蘇我大臣家とは、大臣職を父系直系で世襲した稲目・馬子・蝦夷・入鹿の蘇我氏四代のことです。よく、この四代は蘇我本宗家と呼ばれますが、当時は父系での直系継承が確立していないので、蘇我大臣家という呼称を用いた、と本書は説明しています。もっとも、本書が指摘するように、当時はまだ氏から家が分立していたわけではありません。したがって本書は、蘇我大臣家という呼称も妥当とは言えないものの、他に適切な用語がないので、蘇... ...続きを見る

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2016/10/08 00:00
島泰三『ヒト―異端のサルの1億年』
 これは9月11日分の記事として掲載しておきます。中公新書の一冊として、中央公論新社から2016年8月に刊行されました。霊長類とその下位区分である類人猿の進化史のなかに人類の進化を位置づけているのが本書の特徴で、大規模な環境変動を重視していることとあわせて、広い視野での考察になっていると思います。私は霊長類・類人猿の進化に疎いので、この点では有益でした。しかし、類人猿の起源地はアフリカではない、との本書の見解は一般的ではないと思います。この点については、今後も調べていく必要があります。 ...続きを見る

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2016/09/11 00:00
縄文時代の人類の核DNA解析
 縄文時代の人類の核DNA解析結果を報告した研究(Kanzawa-Kiriyama et al., 2017)が報道されました。NHKでも報道されています。解説も公表されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。この研究は、福島県相馬郡新地町の三貫地貝塚の縄文時代(3000年前頃)の人類2人(男性と女性)の歯から核DNAのうち1億1500万塩基対を解析し、現代人や種区分未定のデニソワ人(Denisovan)も含む他の古代人と比較しています。これは、縄文時代の人類の核DNAの解析とし... ...続きを見る

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2016/09/03 00:17
仲田大人「日本旧石器時代の現代人的行動と交替劇」
 これは8月20日分の記事として掲載しておきます。『現代思想』2016年5月号の特集「人類の起源と進化─プレ・ヒューマンへの想像力」に掲載された論文です。本論文は、日本列島における「交替劇」を検証しています。土壌の問題もあり、日本列島では琉球諸島を除いて旧石器時代というか更新世の人骨がほとんど発見されていません。それだけに、旧石器時代の人類の活動とその意義を理解するには、考古学的記録に依拠せざるを得なくなります。本論文は、世界でも有数の高密度となる日本列島における旧石器時代の考古学的記録を用いて... ...続きを見る

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2016/08/20 00:00
五味文彦『シリーズ日本中世史1 中世社会の始まり』
 これは8月19日分の記事として掲載しておきます。岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2016年1月に刊行されました。本書の冒頭にて構成の意図が説明されていますが、宗教も含めて文化史の割合が高いのが本書の特徴です。本書は、中世社会の前提となる古代社会についても1章を割いて叙述し、その後に、院政期からおおむね足利義満の頃までを、文化を中心に叙述しています。院政期から平氏政権までは政治史もやや詳しく叙述されていますが、鎌倉幕府成立以降の政治史の叙述はかなり簡略化されています。これは、第2巻以降... ...続きを見る

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2016/08/19 00:00
白保竿根田原洞穴遺跡の十数体の人骨
 沖縄県石垣市の白保竿根田原洞穴遺跡で発見された十数体の「旧石器時代」の人骨について報道されました。白保竿根田原洞穴遺跡では日本列島でも有数の古い人骨が複数発見されており、このブログでも何度か取り上げてきました。 http://sicambre.at.webry.info/201002/article_6.html http://sicambre.at.webry.info/201003/article_13.html http://sicambre.at.webry.info/20110... ...続きを見る

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2016/07/01 00:00
三浦佑之『風土記の世界』
 これは6月3日分の記事として掲載しておきます。岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2016年4月に刊行されました。本書は風土記の入門書になっていますが、たんに風土記の成立事情や内容を取り上げるだけではなく、おもに『日本書紀』を対象として、風土記が8世紀前半の日本列島社会においてどのように位置づけられるのか、という点も重視しているのが特徴となっています。 ...続きを見る

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2016/06/03 00:00
大津透『日本古代史を学ぶ』
 これは5月24日分の記事として掲載しておきます。岩波書店より2009年2月に刊行されました。学術誌に掲載された論文やシンポジウムでの報告やジュネーヴ大学文学部日本学科での講義をまとめたもので、本書の内容を大まかに区分すると、日本古代史研究の現状の整理と課題の指摘、日本古代国家の位置づけと変容をめぐる研究史の整理および自説の提示、東アジア世界という枠組みからの古代日本史の概観、ということになるでしょう。私は日本古代史の研究史に詳しいわけではありませんが、本書では、なかなか的確に研究史が整理されて... ...続きを見る

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2016/05/24 00:00
入江曜子『古代東アジアの女帝』
 岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2016年3月に刊行されました。率直に言って、本書がなぜ岩波新書の古代史本として刊行されたのか、理解に苦しみます。いやまあ、岩波書店が本書をどのように位置づけているのか、私には正確なところは分からないのですが、カバーの広告には日本古代史本が掲載されていたので、やはり本書は古代史本という位置づけなのでしょう。 ...続きを見る

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2016/05/12 00:18
鈴木拓也『戦争の日本史3 蝦夷と東北戦争』
 これは5月6日分の記事として掲載しておきます。吉川弘文館より2008年12月に刊行されました。本書はおもに和銅2年の「征夷」から弘仁年間の「征夷」までを対象としています。おおむね、奈良時代全体と平安時代初期の日本国と蝦夷との関係を扱っている、と言えるでしょう。「征夷」とは当時の日本国にとってどのような意味があったのかということや、朝廷における「征夷」の手続きや、蝦夷とはどのような集団だったのかということや、戦いの発端・経緯・影響など、基本的な事柄が解説されているので、8世紀初頭から9世紀初頭に... ...続きを見る

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2016/05/06 00:00
吉川真司『シリーズ日本古代史3 飛鳥の都』
 これは5月3日分の記事として掲載しておきます。岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2011年4月に刊行されました。本書は、飛鳥寺の創建から大宝律令の制定までを対象としています。文献のみならず、考古学など他分野の研究成果も積極的に取り入れているのが本書の特徴です。また、飛鳥時代史を「東アジア」の観点から考察するのは、現在では当然のこととなっていますが、その対象をユーラシア東部世界にまで広げているのも本書の特徴です。近年では、本書のようにユーラシア世界を意識した日本史叙述が増えているように思... ...続きを見る

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2016/05/03 00:00
田中史生『国際交易の古代列島』
 角川選書の一冊として、角川学芸出版より2016年1月に刊行されました。本書は、紀元前の弥生時代から中世の始まる前までの、日本列島と他地域、さらには日本列島内における交易の変容を解説しています。本書は、この間の「国際交易」の変容を「国際情勢」や日本列島における政治体制の変容と関連づけて、上手く解説しているように思います。 ...続きを見る

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2016/04/17 00:00
遠藤慶太『六国史 日本書紀に始まる古代の「正史」』
 これは4月6日分の記事として掲載しておきます。中公新書の一冊として、中央公論新社から2016年2月に刊行されました。六国史とは、古代日本の「正史」たる『日本書紀(日本紀)』・『続日本紀』・『日本後紀』・『続日本後紀』・『日本文徳天皇実録』・『日本三代実録』です。本書は、この六国史について、その成立過程や編纂者や特徴などを解説するとともに、六国史の興味深い記事を取り上げています。一般書ということで、無味乾燥とした解説書にならないよう、配慮しているのでしょう。 ...続きを見る

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2016/04/06 00:00
小畑弘己『タネをまく縄文人 最新科学が覆す農耕の起源』
 これは4月3日分の記事として掲載しておきます。歴史文化ライブラリーの一冊として、吉川弘文館より2016年1月に刊行されました。縄文時代には農耕は行なわれていなかった、との見解が一般では長く浸透していましたが、近年では、縄文農耕論が一般にも少しずつ知られるようになってきたのではないか、と思います。ただ本書を読むと、農耕や栽培といった基本的な概念の定義に難しいところがある、とよく分かるので、どのような基準で農耕の開始と判断するのか、迷うところではあります。これは昔からの持論ですが、一般的に、基本的... ...続きを見る

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2016/04/03 00:00
縄文時代における暴力死亡率
 これは4月2日分の記事として掲載しておきます。縄文時代における暴力死亡率に関する研究(Nakao et al., 2016)が報道されました。日本語の簡易解説記事と詳細な解説記事もあります。この研究はオンライン版での先行公開となります。この研究は、縄文時代における暴力による死亡率を推定し、他地域と比較しています。暴力による死亡率は、戦争によるものや個別の殺人事件なども含みます。この研究が分析対象としたのは、縄文時代の遺跡242ヶ所の人骨2582点(1275人)です。この研究は、そのうち受傷人骨... ...続きを見る

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2016/04/02 00:00
海部陽介『日本人はどこから来たのか?』
 これは2月21日分の記事として掲載しておきます。文藝春秋社から2016年2月に刊行されました。本書は、昔から(おそらくは今後も長く)日本社会では関心の高い日本人起源論を取り上げています。本書の特徴は、日本社会ではありふれているとも言える日本人起源論を、現生人類(Homo sapiens)アフリカ単一起源説を前提として、現生人類のアフリカからの拡散という観点から検証していることです。日本列島とその周辺地域だけではなく、広く世界的な視野で考察されている、というわけです。 ...続きを見る

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2016/02/21 00:00
石井公成 『聖徳太子 実像と伝説の間』
 春秋社から2016年1月に刊行されました。著者はブログにて聖徳太子に関する最新の研究成果を公開しており(関連記事)、本書はそのブログ記事に基づいているところが少なくないので、その意味では意外な指摘の連続だったわけではありません。しかし、新規の内容も少なくないので、得るところが多々ありました。聖徳太子については、この十数年間、マスメディアで大きく取り上げられた「過激な」否定論が一般層にも広く浸透しているように思われますが、本書は、そうした否定論や今でも一部で見られる「信仰」のような肯定論に与する... ...続きを見る

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2016/02/03 00:46
坂上康俊『日本古代の歴史5 摂関政治と地方社会』
 これは1月17日分の記事として掲載しておきます。『日本古代の歴史』全6巻の第5巻として2015年12月に吉川弘文館より刊行されました。本書は9世紀後半から11世紀半ばまでの、いわゆる摂関政治の時代を扱っています。表題からも窺えるように、本書はこの時代の地方社会に重点を置いています。この時代、地方社会は大きく変容していき、またそれに対応して地方支配も変わっていきました。逆に、そうした地方支配の変容が地方社会をさらに変えていった、と言えるかもしれません。 ...続きを見る

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2016/01/17 00:00
中村修也『天智朝と東アジア』
 NHKブックスの一冊として、NHK出版より2015年10月に刊行されました。本書は天智朝の日本(ヤマト、倭)を東アジアの中に位置づけています。じゅうらい、白村江の戦いで日本が唐に惨敗した後、日本は唐と新羅の侵攻に備えて朝鮮式山城を築くなど防衛体制を構築していき、飛鳥から近江の大津への遷都にもそうした背景がある、と理解されてきました。白村江の戦いでの惨敗後も、日本は主体的に唐や新羅と対峙していた、というわけです。 ...続きを見る

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2016/01/13 00:00
倉本一宏『蘇我氏 古代豪族の興亡』
 これは1月6日分の記事として掲載しておきます。中公新書の一冊として、中央公論新社から2015年12月に刊行されました。本書は、蘇我氏は葛城方を地盤とした複数の集団の中から有力な集団が編成され独立して成立したのであり、記紀に見える「葛城氏」とは蘇我氏が作り上げた祖先伝承である、との見解を提示しています。この見解の前提にあるのは、日本列島において氏という政治組織が成立したのは6世紀初頭である、との歴史認識があります。蘇我氏は曽我の地を地盤とすることにより氏として成立し、葛城集団の勢力の大多数を支配... ...続きを見る

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2016/01/06 00:00
吉村武彦『蘇我氏の古代』
 岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2015年12月に刊行されました。本書はまず、古代日本における氏の成立過程を蘇我氏登場の前提として解説しています。中華地域や朝鮮半島の影響を受けて、日本列島においても6世紀前半にはウジナを有する氏族が成立します。蘇我氏はそうした歴史的状況を背景に、6世紀前半に台頭します。蘇我氏は地名をウジナとする臣姓の氏族として稲目の代に台頭し、葛城氏との姻戚関係が指摘されています。 ...続きを見る

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2016/01/03 00:00
山田康弘『つくられた縄文時代 日本文化の原像を探る』
 これは12月28日分の記事として掲載しておきます。新潮選書の一冊として、新潮社から2015年11月に刊行されました。本書は縄文時代の研究史であり、縄文時代像の変遷の背景として、各時代の思潮があったことを強調しているのが特徴です。本書は、そもそも縄文時代という時代区分が定着したのは第二次世界大戦後である、とまず指摘します。戦前には、縄文時代は弥生時代とともに石器時代として一括して区分されることが多かったようです。 ...続きを見る

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2015/12/28 00:00
NHKスペシャル『アジア巨大遺跡』第4集「縄文 奇跡の大集落」
 これは11月10日分の記事として掲載しておきます。率直に言って、縄文時代が過大評価されているのではないか、との疑問が大いに残りました。まず、1万年におよぶ縄文時代の長さが異例なものだと強調されていましたが、縄文文化を一体的なものというか、一つの枠組みとして把握するのならば、更新世にはもっと長期間「持続」した文化が多くあるのではないか、との素朴な疑問が残ります。 ...続きを見る

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2015/11/10 00:00
松本直子「縄文から弥生への文化変化」
 西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人3─ヒトと文化の交替劇』所収の論文です(関連記事)。本論文は縄文時代から弥生時代への移行の様相とその要因について検証しています。近年の一般向け書籍でも強調されているので、すでに広く知られつつあるかもしれませんが、弥生文化は縄文的要素と外来要素との融合により成立しました。本論文でもその点は強調されており、さらに、その前提として縄文時代において九州北部と朝鮮半島との間で継続的な交流があり、九州北部をはじめとして西日本側が朝鮮半島の文化要素を選択的に受容していたこと... ...続きを見る

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2015/05/17 00:00
小林謙一「縄紋土器にみる新人の文化進化」
 西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人3─ヒトと文化の交替劇』所収の論文です(関連記事)。本論文は縄文時代中期の東日本の土器の変化を検証しています。すでに著者は、この時期の縄文土器の精緻な形式編年を提示していますが、形式編年では土器の出現順序は分かるものの、その具体的な年代や継続期間は確定できません。本論文は、放射性炭素年代測定法より各形式編年の暦年代を確定していき、土器の変化の速度を具体的に検証していこうとします。 ...続きを見る

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2015/05/14 00:00
仲田大人「日本列島旧石器時代の文化進化」
 西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人3─ヒトと文化の交替劇』所収の論文です(関連記事)。本論文は日本列島における旧石器時代の技術革新を検証しています。日本列島における確実な年代の人類の痕跡は38000年前頃までさかのぼる、との見解を本論文は前提としています。それ以前の人類の痕跡についても議論されていますし、それがなかったというわけではないのですが、確かな根拠のある痕跡としては、現時点では38000年前頃以降のものしか認められない、というわけです。 ...続きを見る

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2015/05/11 00:02
戸川点『平安時代の死刑 なぜ避けられたのか』
 歴史文化ライブラリーの一冊として、吉川弘文館より2015年3月に刊行されました。平安時代には薬子の変から保元の乱までの350年近く死刑が執行されなかった、との見解は広く知られているように思います。本書は、すっかり通俗的になったとも言えるこの見解を検証していきます。まず本書は、律令制における刑罰について解説し、次に死刑が執行されないようになったとされる嵯峨朝の刑罰について検証していきます。 ...続きを見る

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2015/04/05 00:00
勝浦令子『孝謙・称徳天皇 出家しても政を行ふに豈障らず』
 ミネルヴァ日本評伝選の一冊として、ミネルヴァ書房より2014年10月に刊行されました。本書は、孝謙(称徳)天皇の誕生前の政治状況・皇位継承問題にも触れ、孝謙天皇がいかなる政治的立場で即位し、政治を運営していったのか、解説しています。即位前にもそれなりに分量が割かれており、皇太子(現時点では日本史上唯一の女性皇太子です)となった経緯や、どのような環境で育ち、どのような価値観を形成していったのか、解説されています。 ...続きを見る

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2015/03/10 00:00
倉本一宏『平安朝 皇位継承の闇』
 角川選書の一冊として、角川学芸出版より2014年12月に刊行されました。本書は、「暴虐」や「狂気」と語られる平安時代の4人の天皇(平城・陽成・冷泉・花山)について、それぞれの皇統問題と政治状況の考察から、その「狂気」の実態を解明していきます。本書は、これら4人の天皇は当時の基準からしても「狂って」いたわけではなく、その「狂気」を伝える史料は多分に政治的色彩が濃かったのであり、そこには「嫡流」ではなかったのに「嫡流」となった者(の子孫たち)による正当化がある、と指摘します。 ...続きを見る

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2015/03/01 00:00
吉村武彦『シリーズ日本古代史2 ヤマト王権』第4刷
 岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2011年1月に刊行されました。第1刷の刊行は2010年11月です。本書は、ヤマト王権の成立から6世紀末の崇峻の暗殺までを対象としますが、ヤマト王権成立の前提として、『漢書』や『三国志』に見える倭の情勢にも1章を割いて言及しています。本書は、ヤマト王権の初代の王は崇神(ミマキイリヒコイニヱ)であり、宮内庁が比定するようにその陵墓は行燈山古墳だろうから、行燈山古墳が築造されたと推定される4世紀前半にヤマト王権は成立した、との見解を提示しています。 ...続きを見る

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2014/12/23 00:06
縄文時代の寒冷化をめぐる議論
 縄文時代の寒冷化をめぐる議論について報道されました。先月(2015年11月)中旬に東京都内で開かれた公開シンポジウム「縄文文化の繁栄と衰退」にて、縄文時代後期〜晩期に寒冷化の影響があったとの明確な証拠はない、との見解が提示されたそうです。縄文時代中期末以降の寒冷化により、縄文時代後期には社会的停滞が見られた、との通説に見直しを迫る見解であり、会場でも大きな反響があったようで、注目されます。 ...続きを見る

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2014/12/17 00:00
石川日出志『シリーズ日本古代史1 農耕社会の成立』第3刷
 岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2010年12月に刊行されました。第1刷の刊行は2010年10月です。本書は、日本列島に人類が移住してきてから、弥生時代が終わって古墳時代が始まるところまでを対象としています。後期旧石器時代よりも前の日本列島における人類の痕跡については、まだ確実な証拠はないとして、存否の判断は保留されています。古墳時代は、定型的な大型前方後円墳の築造が始まってからとされています。 ...続きを見る

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2014/12/15 00:00
日本最古級の埋葬?
 沖縄県南城市のサキタリ洞遺跡で埋葬されたと考えられる人骨が発見された、と報道されました。年代は9000年以上前になりそうで、日本列島では、愛媛県の上黒岩岩陰遺跡や長野県の栃原岩陰遺跡などに匹敵する、最古級の埋葬例になるかもしれない、とのことです。人骨の性別は不明で、直径約30cm大の4個の石で頭や胸や腹などが人為的に覆われており、骨の関節がつながるなど元の位置を動いていないと考えられることから、洞穴内を墓として埋葬された可能性があるそうです。 ...続きを見る

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2014/12/13 00:00
義江明子『日本史リブレット人006 天武天皇と持統天皇 律令国家を確立した二人の君主』
 山川出版社より2014年6月に刊行されました。本書は、天武天皇と持統天皇の二代にわたって、どのように律令国家が形成されていったのか、近年の研究成果も取り入れつつ、簡潔に解説しています。分量はさほど多くなく、きわだって目新しい見解が提示されているわけではありませんが、地方行政・宗教政策・氏族再編・皇位継承・史書編纂など、国家制度が天武・持統の二代(およびその前後の時代)にわたって整備されていく様が、簡潔かつ丁寧に解説されていると思います。律令国家の形成について基本的な知識・流れを把握するうえで、... ...続きを見る

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2014/11/15 00:00
荒木敏夫『敗者の日本史4 古代日本の勝者と敗者』
 『敗者の日本史』全20巻の第4巻として、2014年9月に吉川弘文館より刊行されました。表題からは、大友皇子・藤原広嗣・藤原仲麻呂・平城上皇といった古代史の政治的敗者が個別に取り上げられているのかな、と予想していたのですが、そうではありませんでした。本書は、大伴氏の動向を5世紀〜平安時代まで概観し、古代史において勝者の藤原氏とは対照的に敗者とされる大伴氏の事例から、古代氏族について考察しようとしています。 ...続きを見る

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2014/11/02 00:00
山田康弘『老人と子供の考古学』
 歴史文化ライブラリーの一冊として、吉川弘文館より2014年7月に刊行されました。縄文時代の墓制研究から、老人と子供に着目して縄文時代の社会を一般向けに再構成しようとした意欲作です。縄文時代の墓制研究について、その基礎と方法論、さらには限界と難しさが詳しく解説されており、有益だと思います。本書の特徴は、考古学のみならず人類学・民俗学の研究成果も取り入れ、北アメリカ大陸といった日本列島以外の事例も積極的に援用して縄文時代の社会を再構成しようとしていることで、著者の視野の広さ・博学が印象に残ります。... ...続きを見る

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2014/10/23 00:00
蘇我系王族と非蘇我系王族
 天智(葛城、中大兄)以降、天皇(大王)は敏達→押坂彦人大兄(即位経験無)→舒明の父系で占められることになりました。ここで注目されるのは、蘇我氏と王族(皇族)との関係が密接だった欽明朝から飛鳥時代の人物だったのに、記録で判明している限りでは、敏達も押坂彦人大兄も舒明も蘇我氏の子孫ではなかった、ということです。一方、この時代には上宮王家のように蘇我氏の血の濃い王族集団も存在しました。 ...続きを見る

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2014/10/18 00:00
上原善広『石の虚塔』
 新潮社より2014年8月に刊行されました。本書は『新潮45』の連載記事をまとめて加筆訂正したもののようで、その最終回だけは読み、このブログで取り上げたことがあります。 http://sicambre.at.webry.info/201302/article_26.html ...続きを見る

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2014/10/04 00:00
竹岡俊樹『考古学崩壊 前期旧石器捏造事件の深層』
 勉誠出版より2014年9月に刊行されました。著者には『旧石器時代人の歴史 アフリカから日本列島へ』という著書もあり、以前このブログで取り上げました(関連記事)。著者は旧石器捏造事件の発覚前より捏造を指摘していたというか、旧石器捏造事件の発覚に重要な役割を果たし、いわば捏造発覚の起点になった研究者です。その著者が捏造発覚から十数年経過して改めて本書を執筆しようとした背景には、当事者の一人として感情を清算するのにそれだけ時間を要したということと、捏造事件を許してしまった日本の考古学界の問題点が、捏... ...続きを見る

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2014/09/28 00:00
2013年「回顧と展望」日本・古代
山中鹿次「仁徳条と履中条の断層と天皇の実在性」『信濃』65-5 ...続きを見る

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2014/08/19 00:00
2013年「回顧と展望」日本・考古学(旧石器時代〜歴史時代)
 遅くなりましたが、昨年 http://sicambre.at.webry.info/201310/article_25.html に続いて今年も、『史学雑誌』の2013年の歴史学界の「回顧と展望」の号(第123編5号)から、面白そうな著書・論文を時代・地域別にまとめておき、後で購入したり図書館などで読んだりするさいの参考にしようと思います。 ...続きを見る

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2014/08/16 00:00
中橋孝博「大陸から移動してきた人たち」『人類の移動誌』第3章「日本へ」コラム3
 印東道子編『人類の移動誌』初版第2刷(関連記事)所収のコラムです。本コラムは、縄文時代〜弥生時代の移行期における、いわゆる渡来人問題について考察しています。最初期の弥生文化の担い手については、在来の縄文人と渡来人のどちらに比重を置くのか、という議論があります。この問題を解決する手がかりとなる、縄文時代末期〜弥生時代移行期の北部九州の人骨が乏しく、縄文時代末の人骨にいたっては皆無のため、結論を下すのが難しくなっています。 ...続きを見る

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2014/07/03 00:00
高宮広土「奄美・沖縄諸島へのヒトの移動」『人類の移動誌』第3章「日本へ」第5節
 印東道子編『人類の移動誌』初版第2刷(関連記事)所収の論文です。本論文は、12世紀頃までの奄美・沖縄諸島への人類の移住について考察しています。沖縄諸島では、更新世の人骨が発見されています。更新世の沖縄諸島の人類と完新世以降の沖縄諸島の人類が連続しているのか断絶しているのか、まだ結論は出ていないようです。更新世の人骨から完新世の人骨まで1万年以上の空白期間があることが、断絶説の根拠となっています。島嶼環境への適応の難しさからも、連続説を安易に支持することはできないようです。 ...続きを見る

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2014/07/01 00:00
石田肇「北から移動してきた人たち」『人類の移動誌』第3章「日本へ」第4節
 印東道子編『人類の移動誌』初版第2刷(関連記事)所収の論文です。本論文は、形質人類学の研究成果を中心に、遺伝学的研究成果も引用し、北東アジアに起源のあるオホーツク文化集団がアイヌ民族の成立に影響を及ぼしていたことを主張しています。アイヌ民族は縄文人の形質を最も多く保存していることは間違いないにしても、単純な意味での直系子孫ではない、というわけです。また、オホーツク文化集団が海産物にかなり依存していたことも明らかになりつつあるようです。 ...続きを見る

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2014/06/27 00:00
小林青樹「縄文と弥生 日本列島を縦断する移動と交流」『人類の移動誌』第3章「日本へ」第3節
 印東道子編『人類の移動誌』初版第2刷(関連記事)所収の論文です。本論文は、弥生時代の開始について新説を採用しており、じゅうらいの年代観よりも弥生時代の開始が繰り上がることになります。そのため、弥生文化の伝播はゆっくりとしたものであり、「縄文の壁」がその前に立ちはだかった、というのが本論文の基本的な見通しとなります。この「縄文の壁」と弥生文化の伝播の在り様(本論文では「縄文の壁弥生文化伝播」と呼ばれています)は中四国や近畿や中部・東海や関東といった各地でそれぞれ異なっていたようです。 ...続きを見る

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2014/06/25 00:01
松本直子「縄文から弥生へ 農耕民の移動と新しい文化の誕生」『人類の移動誌』第3章「日本へ」第2節
 印東道子編『人類の移動誌』初版第2刷(関連記事)所収の論文です。本論文の特徴は、農耕民の移動を重視していることです。江戸時代への一般的印象から、農耕民は滅多なことでは移動しなかった、との通念が導かれることを懸念しているようです。また、農耕民と狩猟採集民との関係にさまざまな様相があり得たことを指摘しているのも本論文の特徴で、拡大する農耕文化にたいして、狩猟採集文化が吸収されてほとんど痕跡を残さないことも、狩猟採集社会がある程度以上の規模であるため、農耕文化の伝播が停止したり、狩猟採集社会の側が農... ...続きを見る

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2014/06/24 00:00
海部陽介「港川人の来た道」『人類の移動誌』第3章「日本へ」第1節
 印東道子編『人類の移動誌』初版第2刷(関連記事)所収の論文です。本論文は、港川人の特徴、その起源、港川人と縄文人との関係について、研究史を整理しています。日本列島全体では更新世の人骨は少ないのですが、琉球列島ではそれなりの数の人骨が発見されています。それらは断片的ではあるものの、その形態的特徴から、すべて現生人類(ホモ=サピエンス)に分類される、と本論文は指摘しています。 ...続きを見る

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2014/06/19 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第50号「弥生時代 稲作の伝来と普及の謎」
 この第50号は紀元前1500年頃〜紀元1世紀頃までを対象としています。時代区分については議論のあるところですが、おおむね、縄文時代後期の後半〜弥生時代中期末もしくは後期の前半あたりまでが対象になっている、と言えるでしょう。この第50号の特徴は、縄文時代〜弥生時代への移行における連続性と、水田稲作の導入にさいしての「縄文人」の主体性を強調しているところです。「弥生系渡来人」が一方的に水田稲作を導入し、「縄文人」を圧倒していったのではなく、相互交流のなかで、縄文社会の蓄積を前提として、選択的に水田... ...続きを見る

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2014/06/18 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第49号「旧石器・縄文 日本人はどこから来たか」
 この第49号は、更新世後期のいわゆる後期旧石器時代以降(40000〜36000年前頃以降)から縄文時代までを対象としています。日本列島の後期旧石器時代以降の住人は現生人類(ホモ=サピエンス)のみとの見解が有力です。いわゆる旧石器捏造事件の発覚直前には、日本列島にも中期旧石器時代以前が存在するとの見解が有力になりつつありましたが、発覚以降は、わずかな遺跡のみが中期旧石器時代以前のものか否か議論になっているという状況で、日本列島にも確実に中期旧石器時代以前が確認される、との共通認識は存在しません。... ...続きを見る

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2014/06/12 00:00
『岩波講座 日本歴史  第2巻 古代2』
 本書は『岩波講座 日本歴史』全22巻(岩波書店)の第2巻で、2014年3月に刊行されました。すでに『第6巻 中世1』(関連記事)・『第1巻 原始・古代1』(関連記事)をこのブログで取り上げました。各論文について詳しく備忘録的に述べていき、単独の記事にしようとすると、私の見識・能力ではかなり時間を要しそうなので、これまでと同じく、各論文について短い感想を述べて、1巻を1記事にまとめることにしました。 ...続きを見る

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2014/06/08 00:00
『岩波講座 日本歴史  第1巻 原始・古代1』
 本書は『岩波講座 日本歴史』全22巻(岩波書店)の第1巻で、2013年11月に刊行されました。すでに『第6巻 中世1』(関連記事)をこのブログで取り上げました。各論文について詳しく備忘録的に述べていき、単独の記事にしようとすると、私の見識・能力ではかなり時間を要しそうなので、『第6巻 中世1』と同じく、各論文について短い感想を述べて、1巻を1記事にまとめることにしました。ただ、佐藤宏之「日本列島の成立と狩猟採集の社会」は古人類学に関わる論文なので、別に単独で取り上げました(関連記事)。 ...続きを見る

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2014/06/01 00:00
佐藤宏之「日本列島の成立と狩猟採集の社会」
 2013年11月に刊行された『岩波講座 日本歴史  第1巻 原始・古代1』(岩波書店)所収の論文です(P27〜62)。本論文の特徴は、地理・自然環境を重視していることです。本論文は、日本列島の考古学的時代区分ではおおむね縄文時代早期以降となる完新世以降も扱っていますが、更新世の比重の方が高くなっています。安定した気候の完新世とは異なり、更新世の気候は変動が激しく、現在とはかなり異なっていました。そのため、更新世の日本列島の地形(気温により海水面が上下するため)・植物相・動物相は、現在の日本列島... ...続きを見る

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2014/05/29 00:00
今正秀『敗者の日本史3 摂関政治と菅原道真』
 『敗者の日本史』全20巻の第3巻として、2013年10月に吉川弘文館より刊行されました。地方支配を中心に国家統治の在り様の大きく変わった9〜10世紀について、「勝者」たる揺籃期の摂関政治と絡めつつ、敗者たる菅原道真を中心に描き出した一冊になっています。ただ本書は、道真と摂関政治というか基経・時平に代表される藤原氏北家とを対立的に把握しているわけではありません。つまり、門閥貴族による政治ではなく文人政治を構想した道真が藤原氏の政治力に敗れ去った、という歴史認識は妥当ではない、というわけです。また... ...続きを見る

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2014/05/04 00:00
廣瀬憲雄『古代日本外交史』
 まだ日付は変わっていないのですが、4月21日分の記事として2本掲載しておきます(その二)。講談社選書メチエの一冊として、講談社より2014年2月に刊行されました。本書はまず、古代日本外交の研究の学説史を整理します。冊封体制論は中華王朝と周辺王朝との君臣関係から導き出されたことに起因する問題点を抱えている、と本書は認識しています。そこで本書は、近年の日本史・東洋史の研究動向を踏まえ、中華王朝と周辺王朝の君臣関係に限定されない「国際関係」史を検証・考察します。 ...続きを見る

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2014/04/21 00:00
遠山美都男『天武天皇の企て 壬申の乱で解く日本書紀』
 角川選書の一冊として、角川学芸出版より2014年2月に刊行されました。遠山氏の著書をこれまでに10冊以上読んできましたが、その中には壬申の乱を主題としたり壬申の乱に言及したりしたものもあります。本書の基本的な認識・理解は、遠山氏がこれまでにそうした著書などで提示したものと変わっていない、とのことです。じっさい、『日本書紀』において、中国的な王朝交替の枠組みが組み込まれたとか、天智天皇(中大兄皇子、葛城皇子)の位置づけの変更から蘇我氏逆臣(王朝簒奪)説が構想された、とかいった見解は、遠山氏の以前... ...続きを見る

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2014/04/04 00:00
佐々木恵介『日本古代の歴史4 平安京の時代』
 まだ日付は変わっていないのですが、2月23日分の記事として掲載しておきます。『日本古代の歴史』全6巻の第4巻として2014年1月に吉川弘文館より刊行されました。本書は、8世紀後半の長岡京への遷都から、菅原道真が失脚した10世紀初頭の昌泰の変までを扱っています。あとがきにて「本シリーズの企画段階では、高校生にもわかるようになるべく平易な内容とし、かつ高校日本史の教科書に記されたことには、原則としてすべて言及するという方針があった」と述べられていますが、本書はその方針をかなりの程度実現できた、手堅... ...続きを見る

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2014/02/23 00:00
西宮秀紀『日本古代の歴史3 奈良の都と天平文化』
 『日本古代の歴史』全6巻の第3巻として2013年11月に吉川弘文館より刊行されました。本書が対象としている時代は、文武天皇の即位から長岡京への遷都までの90年弱です。奈良時代を語るにあたって大宝律令の制定は欠かせない、という意図もあるのかもしれません。また、『続日本紀』が文武天皇の元年から始まるので、区切りがよいということなのかもしれません。 ...続きを見る

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2014/02/18 00:00
雄略天皇は実在したと言えるのか
 まだ日付は変わっていないのですが、12月22日分の記事として掲載しておきます。この記事では便宜的に、天皇という称号が用いられていないだろう時代の君主についても天皇と表記し、漢風諡号を用い、西暦は厳密な換算ではなく、1年単位で換算します。以前、神武天皇の実在について雑感を述べた時、神武天皇が実在しないという見解が実証されたとは言えない、と述べました(関連記事)。その時、実在は確実とされる雄略天皇は、果たして本当に実在したと言ってよいのだろうか、との疑問を述べました。 ...続きを見る

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2013/12/22 00:00
篠川賢『日本古代の歴史2 飛鳥と古代国家』
 まだ日付は変わっていないのですが、12月7日分の記事として掲載しておきます。『日本古代の歴史』全6巻の第2巻として2013年9月に吉川弘文館より刊行されました。本書は継体の即位から平城京遷都の直前までを扱っています。あとがきにて「本シリーズは、一般読者がわかりやすい叙述とすること、政治史を基軸としながらも、政治・経済・社会・文化すべての分野にわたってまんべんなく取りあげること、高校の教科書に収載されている用語について解説すること、などを方針とした通史である」と述べられていますが、本書はその方針... ...続きを見る

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2013/12/07 00:00
仲田大人「日本列島で交替劇は起きたか?」
 まだ日付は変わっていないのですが、12月3日分の記事として掲載しておきます。西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人─旧石器考古学からみた交替劇』所収の報告です(関連記事)。琉球諸島以外の日本列島では更新世の人骨がほとんど発見されておらず、確実な「原人」や「旧人」の人骨は全く発見されていません。したがって、石器群とその担い手との関係を示す直接的証拠は皆無と言ってよく、「交替劇」の考察は考古学、なかでも石器研究に大きく依拠することになります。幸い、日本列島では更新世の石器が多数発見されており、旧石器遺... ...続きを見る

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2013/12/03 00:00
遠山美都男『敗者の日本史1 大化改新と蘇我氏』
 まだ日付は変わっていないのですが、11月29日分の記事として2本掲載しておきます(その二)。『敗者の日本史』全20巻の第1巻として、2013年11月に吉川弘文館より刊行されました。このブログでは以下のように何度か遠山氏の著書を取り上げてきました。 ...続きを見る

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2013/11/29 00:00
高松康『朱鳥翔けよ』
 まだ日付は変わっていないのですが、10月26日分の記事として掲載しておきます。幻冬舎ルネッサンスより2013年9月に刊行されました。アマゾンのお勧めで興味を持って調べたところ、出版社の紹介文と目次を読んで面白そうだと思ったので、購入して読んでみました。 http://www.gentosha-r.com/products/9784779009976/ ...続きを見る

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2013/10/26 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第16号「平安時代4 摂関政治の絶頂と転機」
 まだ日付は変わっていないのですが、10月9日分の記事として掲載しておきます。この第16号は藤原道長の摂政就任から藤原頼通の死去までを対象としており、いわゆる摂関政治の全盛期とその終焉を扱っています。頼通の晩年には、後三条天皇が即位し、譲位して半年後に崩御するのですが、この第16号は後三条天皇についてほとんど言及していません。後三条朝の政治は次号で取り上げられるということなのかもしれません。この第16号の基調は、摂関政治の全盛期〜末期だった11世紀の第1四半期〜第3四半期を、中世の胎動期として位... ...続きを見る

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2013/10/09 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第15号「平安時代3 天皇と貴族の24時間365日」
 この第15号は、承平・天慶の乱〜藤原道長の摂政就任までを対象としており、天皇でいうと朱雀朝から三条朝までということになります。この時期に摂関政治は確立していきます。この第15号は、当時の貴族による政治および地方支配の在り様について、前代からの変容という視点も盛り込みつつ解説しています。 ...続きを見る

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2013/10/02 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第14号「平安時代2 平安仏教と王権の変容」
 これは9月28日分の記事として掲載しておきます。この第14号は主に淳和朝〜醍醐朝の頃までを扱っていますが、平将門と藤原純友の乱についても少し言及されています。この第14号の基調は、この時期に王権・国家および王権と仏教との関わりが変容していった、というものです。もちろん、両者は別個の事象ではなく、相互に関連したものであることも指摘されています。 ...続きを見る

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2013/09/28 00:00
2012年「回顧と展望」日本・古代
 まだ日付は変わっていないのですが、9月25日分の記事として掲載しておきます。 ...続きを見る

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2013/09/25 00:00
2012年「回顧と展望」日本・考古学(旧石器時代〜歴史時代)
 遅くなりましたが、昨年 http://sicambre.at.webry.info/201209/article_15.html に続いて今年も、『史学雑誌』の2012年の歴史学界の「回顧と展望」の号(第122編5号)から、面白そうな著書・論文を時代・地域別にまとめておき、後で購入したり図書館などで読んだりするさいの参考にしようと思います。 ...続きを見る

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2013/09/23 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第13号「平安時代1 平安遷都の構想力」
 この第13号は桓武朝から嵯峨朝までを対象としていますが、おもに桓武朝が取り上げられています。都が平城京から長岡京を経て平安京へと移ったこの時代を画期と考えている人は多いでしょうが、この第13号も、桓武の個性に焦点を当てて時代の変容を描いています。桓武・嵯峨朝に天皇の在り様が唐風化していったことは、20世紀末以降に刊行された一般向け通史でも指摘されることが多いと私は認識していますが、この第13号でもそうした視点が強調されています。 ...続きを見る

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2013/09/19 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第12号「奈良時代2 女帝と「怪僧」の時代」
 これは9月13日分の記事として掲載しておきます。この第12号はおもに孝謙・称徳朝を中心に取り上げており(その間に淳仁朝がありますが)、奈良時代後半を対象としています。表題にある通り、取り上げられている人物としては孝謙(称徳)天皇と道鏡とが中心になりますが、藤原仲麻呂についての記述も多めです。称徳天皇と道鏡というと、やはり宇佐八幡宮神託事件についての関心が一般にはもっとも高いのでしょうが、この第12号では、その問題について一般の読者層に受けやすそうな明快な「解答」が提示されているわけではなく、や... ...続きを見る

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2013/09/13 00:00
坂上康俊『シリーズ日本古代史4 平城京の時代』
 まだ日付は変わっていないのですが、9月11日分の記事として掲載しておきます。岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2011年5月に刊行されました。岩波新書の『シリーズ日本古代史』は全6巻で構成されており、これまでさほど読みたいとは思わなかったので、本書が初めて読んだ一冊になるのですが、たまたま古書店で見かけて安いので購入して読んでみたところ、なかなか面白かったので、今後古書店で他の巻を見かけたら購入する予定です。本書は奈良時代の大半を対象としていますが、教科書的な時代区分とは異なり、文武天... ...続きを見る

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2013/09/11 00:00
大海人には即位の資格がなかったのか
 この記事では、(治天下)大王という表記は用いず、天皇という表記で統一することにします。また、王族ではなく皇族という表記で統一します。『日本書紀』において、大海人皇子(天武天皇)は天智朝において皇太子(東宮)に立てられたと記載されているのですが、大海人皇子には本来天皇に即位する資格がなかったのではないか、との見解は、たとえば遠山美都男氏が『日本書紀の虚構と史実』 http://sicambre.at.webry.info/201209/article_26.html や『天智と持統』 ht... ...続きを見る

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2013/09/10 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第11号「奈良時代1 聖武天皇と大仏造立」
 この第11号は平城京遷都から聖武上皇崩御あたりまでを対象としています。平城京の下級官人や庶民の様相についてもやや詳しく述べられているところが、一般向け歴史書でよく見られる物語的な政治史に慣れている読者にとっては「新発見」になるでしょうか。この第11号では、平城京の下級官人や庶民がたくましく生きぬいていた様が、木簡などから描かれています。また、宮城や寺院など大規模な建築の相次いだ奈良時代は、大規模建築にあたって造営工程や施行方法を見直して単純労働者による工事を増やす傾向が見られ、職人技の時代から... ...続きを見る

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2013/09/04 00:00
カタカナの起源は朝鮮半島にあったか
 まだ日付は変わっていないのですが、9月3日分の記事として掲載しておきます。表題の記事がNHKのサイトに掲載され、話題になっているようですが、この記事だけではどうも根拠がよく分からず、疑問が残ります。まず、「横に添えられた読みがなとみられる文字」を新羅の言語と判断したのが妥当なのか、疑問です。新羅の言語は、隣接する百済の言語と比較したらずっと解明されているのでしょうが、文献が限定されているので、たとえば同時代の日本列島の言語と比較すると、不明なところがはるかに多いでしょう。もっとも、新羅や日本列... ...続きを見る

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2013/09/03 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第10号「飛鳥時代2 飛鳥・藤原京の理想と現実」
 この第10号は乙巳の変から大宝律令の制定あたりまでという、おおむね飛鳥時代の後半を対象としています。大化改新否定論が、近年の考古学的成果により見直されており、『日本書紀』に見える改新詔に『日本書紀』編纂時の潤色はあるにしても、孝徳朝からある程度は改革が進められていた可能性が高いことや、藤原京の規模が以前の推定よりも大きく、平城京・平安京以上の面積だったことが発掘により明らかになったことや、中国で天聖令が発見されたことにより、日本と唐との令の比較が大きく進展したことなどが紹介されており、「新発見... ...続きを見る

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2013/08/30 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第9号「古墳時代2 ヤマト王権誕生の実態」
 この第9号は4世紀から6世紀後半までを対象としており、ヤマト王権が成立して拡大していく時期となります。日本列島のこの時代、とくに4世紀は、(準)同時代の文字記録がほとんどないため、昔から謎の4世紀とも言われています。5世紀になると、鉄剣銘文や『宋書』もあるのですが、それでも文字記録の少ない時代であることは否定できません。そのため、この第9号も考古学の研究成果にかなり依拠した構成になっています。また、朝鮮半島と現在の中華人民共和国領の当時の情勢の中で、日本列島の動向を位置づけていく、という近年で... ...続きを見る

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2013/08/21 00:00
水谷千秋『継体天皇と朝鮮半島の謎』
 文春新書の一冊として、文藝春秋社より2013年7月に刊行されました。異例の経緯で即位し、「新王朝」の祖と考えている人も少なくないだろう継体について、数少ない文献と、考古学の研究成果および当時の朝鮮半島情勢とを総合し、謎を解明しようとする意欲的な新書になっています。文献から継体の実像を探るには限界があるので、考古学的成果を活用するのは当然とも言えますが、本書では、近年の考古学的成果が大きく取り入れられており、かなり考古学の比重が高くなっています。多くの研究者が真の継体陵と考えている今城塚古墳につ... ...続きを見る

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2013/08/20 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第8号「古墳時代1 邪馬台国と卑弥呼の謎」
 この第8号は卑弥呼のいた頃を中心に、弥生時代後半から古墳時代初めの移行期を対象としています。気候変動に着目して、世界史規模での考察を志向しているのがこの第8号の特色となっています。邪馬台国所在地論争は現代日本社会でもとくに人気の高そうな歴史の問題でしょうが、この第8号では、近年の研究成果が反映されており、基本的には邪馬台国大和説が妥当だとされています。ただ、研究者ではない日本人の間ではまだ根強いように思われる九州説にも配慮しているということなのか、九州説の研究者の論考も掲載されています。 ... ...続きを見る

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2013/08/08 00:00
木下正史『日本古代の歴史1 倭国のなりたち』
 まだ日付は変わっていないのですが、7月28日分の記事として掲載しておきます。『日本古代の歴史』全6巻の第1巻として2013年7月に吉川弘文館より刊行されました。『日本古代の歴史』の編纂意図は、第1巻〜第5巻までは政治史を軸にした時系列の通史とし、第6巻は古代全体の時代像を示す、とのことです。第5巻は『王朝貴族と国風文化』とのことで、院政期の前までを対象とするようです。院政期からが中世というのが現在の有力な時代区分でしょうから、妥当なところでしょうか。この第1巻は、日本列島に人類が移住してきた更... ...続きを見る

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2013/07/28 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第3号「飛鳥時代1 蘇我氏と大王家の挑戦」
 まだ日付は変わっていないのですが、7月6日分の記事として掲載しておきます。この第3号は6世紀後半から乙巳の変までを対象としており、聖徳太子について多く触れられているのが特徴となっています。聖徳太子虚構説が一般向け書籍で主張されてから十数年が経過し、この間にテレビ番組でも度々取り上げられていますから、今では少なからぬ日本人が聖徳太子虚構説を知っているでしょうし、古代史のなかでもとくに関心の高い問題でしょうから、聖徳太子を中心とした構成になっているのも当然かもしれません。年代順を無視して第3号と早... ...続きを見る

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2013/07/06 00:00
倉本一宏『藤原道長の日常生活』
 これは5月13日分の記事として掲載しておきます。講談社現代新書の一冊として、講談社より2013年3月に刊行されました。本書は、藤原道長の日記『御堂関白記』・藤原実資の日記『小右記』・藤原行成の日記『権記』を丁寧に読み解き、道長の日常生活・言動・公的立場・個性・世界観を明らかにしています。もちろん本書は、道長だけではなく、当時の朝廷の政務・儀式の在り様や、朝廷上層部の人々の公的および私的活動・世界観にも言及しており、摂関政治最盛期の朝廷の様相を詳しく描き出しています。当時の朝廷を非専門家が知るう... ...続きを見る

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2013/05/13 00:00
愛国先生の新平安時代論
 これは5月9日分の記事として掲載しておきます。愛国先生については、以前その平安時代論 http://sinnnoaikokuhosyu.seesaa.net/article/171695409.html をこのブログで取り上げたことがありますが、 http://sicambre.at.webry.info/201101/article_13.html 最近、愛国先生が新たな平安時代論を「愛国を考えるブログ」で公表していたことに気づきました。 http://sinnnoaikokuho... ...続きを見る

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2013/05/09 00:00
瀧浪貞子『敗者の日本史2 奈良朝の政変と道鏡』
 まだ日付は変わっていないのですが、5月4日分の記事として掲載しておきます。『敗者の日本史』全20巻の第2巻として、2013年3月に吉川弘文館より刊行されました。『敗者の日本史』は20巻構成で、すでに半数近く刊行されているのですが、本書を最初に購入して読み終えました。まだ本書しか読んでいないのですが、たいへん面白そうな構成になっているので、できれば全巻購入して読もう、と考えています。 http://www.yoshikawa-k.co.jp/news/n4704.html ...続きを見る

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2013/05/04 00:00
聖徳太子は実在せず? 高校日本史教科書に「疑う」記述
 まだ日付は変わっていないのですが、3月30日分の記事として掲載しておきます。先日、朝日新聞に表題の記事が掲載され、なかなかの話題になったようです。大山誠一氏の聖徳太子非実在説を想起させるような見出しでありながら、紹介されているコラムでは、大山氏が聖徳太子非実在説を主張する前に指摘されていた見解が取り上げられており、見出しに問題があるように思います。この見出しを読んで思うのは、大山氏の聖徳太子非実在説がすでに日本の主要メディアにかなり浸透しているのだろう、ということで、地上波で放送されている『世... ...続きを見る

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2013/03/30 00:00
遠山美都男『聖徳太子の「謎」』
 宝島社より2013年2月に刊行されました。書店で歴史本として分類されているもののなかには、聖徳太子を通説では別人とされている人物と実は同一だったと主張するものがあり、聖徳太子と同一とされる人物は、蘇我馬子・蘇我入鹿・突厥の王などさまざまです。また、聖徳太子は妻と心中したので、その死後に法隆寺で怨霊として祀られることになった、といった聖徳太子怨霊説もそうした歴史本で主張されることがあります。そうした「妄想」は、日本古代史の研究者たちが無視している間に現代日本人の間に浸透している、との危機感から、... ...続きを見る

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2013/03/01 05:17
荒木敏夫『古代天皇家の婚姻戦略』
 まだ日付は変わっていないのですが、2月20日分の記事として掲載しておきます。歴史文化ライブラリーの一冊として、吉川弘文館より2013年1月に刊行されました。本書が扱うのは、古代日本(倭国)の王族(皇族)の婚姻についてです。本書で指摘される古代日本の王族の婚姻の特徴は、閉鎖的だということです。日本古代史に関心のある人ならば、古代日本の王族では近親婚が盛行したことをよく知っているでしょう。本書では、近親婚の盛行は、女性王族の婚姻規制(王族以外の男性との婚姻の禁止)や、ハプスブルク家および漢・唐・新... ...続きを見る

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2013/02/20 00:00
森公章『古代豪族と武士の誕生』
 まだ日付は変わっていないのですが、1月20日分の記事として掲載しておきます。歴史文化ライブラリーの一冊として、吉川弘文館より2013年1月に刊行されました。本書は4世紀以前にも少し触れていますが、5世紀を起点として中央との関係を軸にしつつ、文献だけではなく考古学的成果も活用して古代豪族の動向を描き出し、鎌倉時代への展望も最後に提示されます。中央と地方という視点が所与の前提になっていることで見落とされるものがあるのではないか、という疑問もありますが、著者の意図している「教科書的書物」としての役割... ...続きを見る

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2013/01/20 00:00
遠山美都男『日本書紀の虚構と史実』
 まだ日付は変わっていないのですが、9月26日分の記事として掲載しておきます。歴史新書の一冊として洋泉社より2012年8月に刊行されました。このブログでも過去に何度か遠山氏の著書を取り上げてきましたが、 http://sicambre.at.webry.info/200803/article_25.html http://sicambre.at.webry.info/200901/article_22.html http://sicambre.at.webry.info/201206/ar... ...続きを見る

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2012/09/26 00:00
2011年「回顧と展望」日本・古代
 まだ日付は変わっていないのですが、8月28日分の記事として掲載しておきます。 ...続きを見る

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2012/08/28 00:00
2011年「回顧と展望」日本・考古学(旧石器時代〜歴史時代)
 まだ日付は変わっていないのですが、8月25日分の記事として掲載しておきます。昨年 http://sicambre.at.webry.info/201109/article_8.html に続いて今年も、『史学雑誌』の2011年の歴史学界の「回顧と展望」の号(第121編5号)から、面白そうな著書・論文を時代・地域別にまとめておき、後で購入したり図書館などで読んだりするさいの参考にしようと思います。 ...続きを見る

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2012/08/25 00:00
遠山美都男『天智と持統』
 講談社現代新書の一冊として、講談社より2010年11月に刊行されました。遠山氏の著書の多くは読みやすく面白いのですが、厳密さという点では疑問の残ることが多く、 http://sicambre.at.webry.info/200901/article_22.html 注意して読む必要があるでしょう。本書も、こうした過去の遠山氏の著書と同じ傾向にあるのですが、もう10年以上勉強の停滞している日本古代史について、新たに得た知見もあったので、一読の価値はあったと思います。 ...続きを見る

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2012/06/26 00:00
渡邉義浩『魏志倭人伝の謎を解く』
 中公新書の一冊として、中央公論新社から2012年5月に刊行されました。副題は「三国志から見る邪馬台国」です。三国志と邪馬台国論争は、現代日本社会においてとくに人気の高い歴史分野なのですが、邪馬台国論争はまさに三国時代のことで、邪馬台国は三国で最大の勢力を誇った魏と密接な関係を有していたというのに、一般の歴史愛好者層では両者が密接に関連しているという印象はあまりなく、それぞれ個別に盛り上がっている感があります。 ...続きを見る

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2012/06/10 00:00
氣賀澤保規編『遣隋使がみた風景−東アジアからの新視点−』
 八木書店より2012年2月に刊行されました。倭と隋との関係について、東アジアという枠組みから考察するという、現代日本ではすっかり浸透した視点による論文集なのですが、複数の分野の研究者が加わっているということもあり、陳腐な印象は受けませんでした。図版もなかなか豊富ですし、巻末には、『隋書』や『日本書紀』といった遣隋使関連の史料が採録されており、新聞記者によるコラムも掲載されていますから、一般の読者にも配慮した内容と言えるでしょう。また、450ページにも及ぶ大部の書でありながら、価格は税込み399... ...続きを見る

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2012/06/05 00:06
原田実『つくられる古代史』
 新人物往来社より2011年7月に刊行されました。邪馬台国関連の遺跡や旧石器捏造事件や『東日流外三郡誌』問題や飛鳥時代の遺跡や聖徳太子実在論争など、具体的に取り上げられている歴史的事象・遺跡は多岐にわたっているのですが、遺跡そのものの学術的価値よりも、現代人の利益・利権という観点から遺跡の保存の有無が決まってしまう現状と、後世の人間の価値観・利害などから古代史が「造られる」ことへの警鐘が一貫した主題となっているので、雑多とかまとまりがないとかいった印象は受けませんでした。 ...続きを見る

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2012/05/26 04:18
森公章『日本史リブレット人002 倭の五王』
 山川出版社より2010年4月に刊行されました。邪馬台国論争ほどではないにしても、倭の五王についても一般の関心はなかなか高そうで、それは、おもに人物比定という謎解きの側面に集中しているように思います。本書でも、『宋書』に見える倭の五王が、「国内史料」たる『日本書紀』に見えるどの人物に相当するのか、ということにも触れられていますが、それは主な論点にはなっておらず、「国内史料」・「海外史料」・考古学的研究成果に基づき、該当期の前代も踏まえての「国内情勢」・「国際情勢」が堅実に検証・解説されています。... ...続きを見る

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2012/05/11 04:19
藤尾慎一郎『〈新〉弥生時代 500年早かった水田稲作』
 歴史文化ライブラリーの一冊として、吉川弘文館より2011年10月に刊行されました。国立歴史民俗博物館により、弥生時代の始まりがじゅうらい考えられていたよりも500年さかのぼる、との見解が公表されたのは2003年のことで、もう10年近く前のことになります。当時報道機関で大きく取り上げられたように、ひじょうに衝撃的な発表だったことは間違いないのですが、それだけにこの見解にたいする批判は根強くあるようで、今でも通説としての地位を確立したとは言えず、依然として議論が続いているように思います。 ...続きを見る

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2012/04/04 05:19
神武の実在をめぐる議論(2)
 先日このブログにて、神武の実在をめぐる議論について取り上げましたが、 http://sicambre.at.webry.info/201202/article_8.html この記事でも述べたように、この議論の元となった産経新聞の記事 http://sankei.jp.msn.com/life/news/120204/art12020408240002-n1.htm にたいしては批判・嘲笑が目立ちますし、じっさい、この産経新聞の記事は、神武の実在が確かだとまったく立証できておらず、こん... ...続きを見る

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2012/02/19 00:00
神武の実在をめぐる議論
 産経新聞の「消えた偉人・物語」という随筆枠に、「神武天皇 古代史学の進展で実在確かに」という記事が掲載され、いかにも産経新聞らしい古代史の記事ということで、さっそく少なからぬ人々が嘲笑しています。「共産趣味者」という造語があるそうですが、産経新聞にも「産経趣味者」とでも言うべき愛好者が少なからずいるのかもしれません。それはともかくとして神武についてですが、どの雑誌だったか忘れたものの、講演会で神武や崇神は実在したのかという話になると盛り上がる、という趣旨のことをある古代史研究者が述べていたこと... ...続きを見る

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2012/02/08 00:00
都出比呂志『古代国家はいつ成立したか』(岩波書店)
 岩波新書(赤版)の一冊として、2011年8月に刊行されました。前方後円墳体制論の提唱者として有名な著者は、本書でも、さまざまな考古学的知見を取り入れつつ、自説を補強しています。けっきょくのところ、国家成立の問題は、国家をいかに定義するかによるので、最終的には、価値観の相違が重要になってくるのだろう、とは思います。とはいえ、考古学や文献史学などの研究成果を踏まえつつ、より整合的で時代・地域の対象を広げるような国家成立論をめざして見解の応酬が続くのは、有意義なことではあると思います。 ...続きを見る

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2011/09/30 06:24
小路田泰直『邪馬台国と「鉄の道」』
 歴史新書の一冊として、洋泉社から2011年4月に刊行されました。小路田氏の著書では、邪馬台国論争を手掛かりとして、近代日本におけるナショナリズムと歴史認識の問題を論じた『「邪馬台国」と日本人』が面白く、自サイトで取り上げたことがありました。 http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/read003.htm ...続きを見る

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2011/09/23 00:00
2010年「回顧と展望」日本・古代
廣瀬憲雄「倭国・日本史と東部ユーラシア」『歴史学研究』872 ...続きを見る

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2011/07/31 00:00
2010年「回顧と展望」日本・考古学(旧石器時代〜歴史時代)
 昨年 http://sicambre.at.webry.info/201010/article_6.html に続いて今年も、『史学雑誌』の2010年の歴史学界の「回顧と展望」の号(第120編5号)から、面白そうな著書・論文を時代・地域別にまとめておき、後で購入したり図書館などで読んだりするさいの参考にしようと思います。 ...続きを見る

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2011/07/28 04:51
佐々木恵介『天皇の歴史03 天皇と摂政・関白』
 『天皇の歴史』全10巻の第3巻として、2011年2月に講談社より刊行されました。本書が対象とするのは9世紀半ば〜11世紀半ばで、いわゆる摂関政治の時代を扱っています。この時代の天皇の存在感が前代までと比較して薄いのではないか、と多くの人が考えているでしょうが、本書でも指摘されているように、それは、誰が天皇になっても摂政や関白や蔵人所などが天皇の権能を過不足なく行使できる体制が整えられた時代ということでもあり、天皇が制度化された、ということでもあるのでしょう。その意味で、天皇という枠組みが安定し... ...続きを見る

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2011/03/01 00:00
吉川真司『天皇の歴史02 聖武天皇と仏都平城京』
 『天皇の歴史』全10巻の第2巻として、2011年1月に講談社より刊行されました。いわゆる奈良時代を中心としつつも、天智朝末や平安時代初期と、その前後の時代も扱われています。藤原京・平城京・長岡京・平安京など、都城の構造からもそれぞれの時代の政権の構造が考察されており、なかなか興味深いと思います。表題にあるように、平城京を仏都として把握するのが本書の中心的な視点で、それは、長岡京、さらには平安京の遷都後も変わらなかった、とされています。 ...続きを見る

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2011/02/22 06:30
愛国先生の平安時代論
 「愛国を考えるブログ」という、トンデモ愛好家の人々の間で有名なブログがあり、その管理人は愛国先生とも呼ばれています。 http://sinnnoaikokuhosyu.seesaa.net/ ...続きを見る

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2011/01/13 00:00
大津透『天皇の歴史01 神話から歴史へ』
 『天皇の歴史』全10巻の第1巻として、2010年11月に講談社より刊行されました。この書名は、明らかに、40年以上前の中公版『日本の歴史』の第1巻を意識したものでしょう。井上光貞『日本の歴史1 神話から歴史へ』は、シリーズものの歴史書としては異例の売れ行きだったそうです。この『天皇の歴史』は、第1巻〜第8巻までが時代順の通史的役割を担い、第9巻と第10巻は、通史ではまとまった叙述の難しい、宗教・芸能と天皇との関係が取り上げられます。毎日新聞では、著者へのインタビュー記事も掲載されています。 ... ...続きを見る

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2010/12/21 00:00
大田皇女の墓発見?
 斉明天皇(当時、天皇という称号が用いられていたか、定かではありませんが、ここでは皇女・皇后という表記とともに便宜的に用いることにします)の墓と確実視されている、7世紀後半とされている奈良県明日香村の牽牛子塚古墳の約20メートル南東で、新たに棺を納める別の石室が見つかり、明日香村教育委員会が昨日、この石室周囲を地名から「越塚御門古墳」と名付けた、と発表したことが報道されました。石室の位置関係などが、斉明天皇の墓の前に斉明天皇の孫娘(天智天皇の娘)である大田皇女が葬られたとする『日本書紀』の記述と... ...続きを見る

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2010/12/10 00:00
足立倫行『激変!日本古代史』
 朝日新書の一冊として、朝日新聞社より2010年1月に刊行されました。著者はノンフィクション作家で、著者自身の見解を提示するのではなく、専門家の見解を取材しまとめています。邪馬台国論争を中心に、聖徳太子・大化改新・伊勢神宮など、一般にも関心の高い問題が取り上げられています。本書の特徴は、著者が現地に赴いて取材していることで、このような手法は珍しくありませんが、現地で研究者にしっかりと取材しているところは、新書としてはなかなかよいと思います。 ...続きを見る

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2010/11/07 00:00
川尻秋生編『歴史と古典 将門記を読む』
 吉川弘文館より2009年2月に刊行されました。「将門記を読む」と題されていますが、『将門記』についての詳細な研究だけではなく、武器についての研究なども含む、総合的な平将門研究を一般向けに紹介した一冊となっています。平将門の乱は舞台が坂東ということで、ほぼ同時期の藤原純友の乱とは対照的に、一般には陸上の視点からとらえられているかもしれませんが、本書では、近年の研究成果も踏まえて、将門の乱の背景として、水上交通が重要な役割を果たしていただろうということと、それと整合的な研究として、この時期が温暖だ... ...続きを見る

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2010/11/03 00:00
最近の聖徳太子研究
 聖徳太子については、大山誠一氏の非実在説が一般にもかなり浸透しているようで、大手マスコミのなかには、大山説が通説として学界で認められている、というような社説を掲載した新聞社さえあります。 http://sicambre.at.webry.info/200802/article_15.html ...続きを見る

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2010/11/02 00:00
広瀬和雄『前方後円墳の世界』
 岩波新書の一冊として、岩波書店より2010年8月に刊行されました。前方後円墳が築造された350年(この年代は、一部の古代史愛好家にとっては長すぎるということになるのでしょうが)ほどの時代の政治・社会が、各地の前方後円墳の大きさ・副葬品・立地・年代などから推測されています。全体的に、大和への求心力・大和の中心性を強調する見解になっており、九州王朝説派など一部の古代史愛好家にとっては、大和中心史観・皇国史観として糾弾すべき見解になっている、と言えるでしょう。 ...続きを見る

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2010/10/03 00:00
天武の年齢が不明なのは異常なことなのか
 この問題について調べたのはずいぶんと昔のことで、 http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/032.htm 『日本書紀』の諸本について詳しく調べたわけではないので、間違いがあるかもしれず、お気づきの方にご教示いただければ幸いですが、過疎ブログなので、そもそも読者数がひじょうに少ないわけですから、これは私の自分勝手な願望と言うべきかもしれません。それはともかくとして、兄天智と弟天武という同父同母の兄弟関係を疑う説においてよく指摘されるのが、『日本書紀』において天... ...続きを見る

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2010/09/30 00:00
小林敏男『日本国号の歴史』
 歴史文化ライブラリーの一冊として、吉川弘文館より2010年8月に刊行されました。本書では、網野善彦氏に代表される、日本国号の画期性を強調し、日本国号制定以前には「日本人」はいなかった、というような見解は、呼称の変化に本質(実体)を見る観念的言説だとして退けられ、自称としてのヤマトの連続性を強調する見解が提示されています。日本という表記は、倭に代わる国号として7世紀後半〜8世紀初頭に定められましたが、倭にせよ日本にせよ、中華の地の諸王朝や朝鮮半島諸国向けの対外的なもので、日本列島(の大部分を覆う... ...続きを見る

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2010/09/03 00:00
2009年「回顧と展望」日本・古代
佐藤長門『日本古代王権の構造と展開』(吉川弘文館) ...続きを見る

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2010/08/07 00:00
2009年「回顧と展望」日本・考古学(旧石器時代〜歴史時代)
 昨年に続いて今年も、『史学雑誌』の2009年の歴史学界の「回顧と展望」の号(第119編5号)から、面白そうな著書・論文を時代・地域別にまとめておき、後で購入したり図書館などで読んだりするさいの参考にしようと思います。 ...続きを見る

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2010/08/04 00:00
室谷克実『日韓がタブーにする半島の歴史』
 新潮新書の一冊として、新潮社から2010年4月に刊行されました。近年量産されている嫌韓本とは水準がことなり、古代の日本列島と朝鮮半島の関係について真剣に検証されているとの評判を聞いたので、勉強の停滞している日本古代史についての勉強になるかと思い、購入してみました。しかし、読み始めてすぐに、いきなり九州王朝説に好意的な見解が提示され、脱力してしまいました。これは本書の後半になっても変わらず、著者は九州王朝説のほうが通説よりずっと説得力がある、と考えているようです。このような著者の古代史についての... ...続きを見る

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2010/05/12 00:00
大山誠一『天孫降臨の夢 藤原不比等のプロジェクト』
 NHKブックスの一冊として、日本放送出版協会より2009年11月に刊行されました。書店で目次とカバーの概要を読んだとき、聖徳太子架空人物説で有名な大山誠一氏も、ついに一線を超えてしまい、「古代史解明本」や「古代史真相本」を自信満々に世に問いかける「在野の研究者の世界」へと踏み入ってしまったのか、と嫌な予感がしたのですが、聖徳太子架空人物説について新たな見解を知ることができるかな、と思って読んでみました。残念ながら、嫌な予感は半ば以上的中したと言えるかもしれませんが、本書で提示された「過激な」見... ...続きを見る

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2010/02/27 07:00
早川万年『壬申の乱を読み解く』(2009年)
 歴史文化ライブラリーの1冊として、吉川弘文館より刊行されました。壬申の乱についての近年の研究成果を把握しておきたいと思い、倉本一宏『戦争の日本史2 壬申の乱』 http://sicambre.at.webry.info/201001/article_5.html の直後に読みました。 ...続きを見る

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2010/01/06 00:00
倉本一宏『戦争の日本史2 壬申の乱』第3刷
 吉川弘文館より2007年2月に刊行されました。第1刷の刊行は2007年2月です。壬申の乱についての近年の研究成果を把握しておきたいと思い、読んでみました。本書は、壬申の乱の詳細な様相を時系列に留意して地図を用いつつ説明し、研究史についてもこれまでの問題点を簡潔にまとめており、一般向けの壬申の乱についての本としては親切な構成になっている、と思います。この詳細な叙述だけでも、今後長く壬申の乱についての一般向け概説書として読まれるだけの価値があるでしょう。 ...続きを見る

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2010/01/05 06:39
小沢幹事長の韓国での発言
 民主党の小沢幹事長が、訪問先の韓国で、「韓半島南部の権力者が日本の国家を樹立した」と語った、と報道されました。 http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=123895&servcode=A00  どのような話の流れでこの発言がなされたのか、不明なのですが、この発言をそのまま受け取り、「日本の国家」をいわゆるヤマト王権や律令国家だと解釈すると、朝鮮半島南部の権力者が日本国の樹立したことを証明するような考古学的証拠も文献もないわけで... ...続きを見る

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2009/12/15 00:00
纏向遺跡で3世紀前半の大型建物跡発見
 奈良県桜井市の纏向遺跡で、3世紀前半と推定される大型建物跡が発見された、と報道されました。 http://www.asahi.com/culture/update/1110/OSK200911100082.html ...続きを見る

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2009/11/11 00:00
野口実『伝説の将軍藤原秀郷』第2刷
 吉川弘文館より2007年に刊行されました。第1刷の刊行は2001年です。著者は武士見直し論者の一人で、武士の在り様、とくに起源をめぐる論争において、藤原秀郷はじゅうような位置を占めています。私も十数年前より武士見直し論に興味をもっており、それは本書を読んだ動機の一つになっているのですが、直接の動機は、最近見始めた『風と雲と虹と』の時代背景、さらには登場人物の一人である藤原秀郷をより詳しく知りたい、と思ったからです。そもそも、『風と雲と虹と』を見ようと思った根本的な動機は、露口茂氏が藤原秀郷(田... ...続きを見る

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2009/10/22 00:00
2008年「回顧と展望」日本・古代
「特集/古代国家論の新展開」『歴史評論』693 ...続きを見る

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2009/10/13 00:00
2008年「回顧と展望」日本・考古学(旧石器時代〜歴史時代)
佐藤宏之編『環日本海北部地域の後期更新世における人類生態系の構造変動』(総合地球環境学研) ...続きを見る

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2009/10/08 00:01
川尻秋生『戦争の日本史4 平将門の乱』第3刷
 吉川弘文館より2009年4月に刊行されました。第1刷の刊行は2007年4月です。この『戦争の日本史』全23巻は、企画編集委員の一人が小和田哲男氏で、その小和田氏執筆の巻(15巻『秀吉の天下統一戦争』)が最初期に刊行されたことで、これまで避けていたのですが、小和田氏以外の執筆の巻には期待できそうなので、今後は面白そうな巻、とくに古代史の巻を読んでいこう、と考えています。本書を最初に選んだのは、大河ドラマ『風と雲と虹と』を視聴するにあたって、 http://sicambre.at.webry.i... ...続きを見る

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2009/09/11 00:00
古代史研究者の若井敏明氏
 著作・論文等を読んだことはまったくないのですが、古代史研究者の若井敏明氏が気になります。若井氏は関西の私立大学の講師のようです。 http://oc-academy.com/rekisi/kodaisi.html ...続きを見る

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2009/07/04 00:00
田中史生『越境の古代史』
 ちくま新書の一冊として筑摩書房より2009年に刊行されました。弥生時代〜10世紀にかけての、アジア東部における広域的な「交流」の様相を、日本列島を中心として多面的に描き出そうとした意欲作だと思います。ただ、王権の交流に限定されない多面的な交流を描き出そうとする意欲はよいのですが、考古学的成果よりも文献のほうに圧倒的に比重が置かれていることもあり、とくに6世紀以前の交流については、著者の意図がじゅうぶんに実現されたとは言えないように思います。とはいえ、日本と新羅とのネットワークが強い影響を及ぼし... ...続きを見る

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2009/05/14 06:21
天智の娘と天武の婚姻関係について
 天武が天智と両親を同じくする弟であることは、常識といってよいでしょうが、戦後になって、じつは天武が天智よりも年上なのではないか、天武と天智の父は違うのではないか、両者はそもそも兄弟関係になかったのではないか、といった異説が提唱されるようになりました。こうした異説への私見を9年前に述べたことがあります。 http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/032.htm ...続きを見る

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2009/04/15 00:00
溝口睦子『アマテラスの誕生―古代王権の源流を探る』(岩波書店)
 岩波新書(赤版)の一冊として、2009年に刊行されました。本書の論証には疑問の残る箇所もあるのですが、新書という性格上仕方のないところもあり、本書でもたびたび述べられているように、詳細な論証は著者による他の著作を読むしかないのでしょう。 ...続きを見る

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2009/02/07 00:01
遠山美都男『蘇我氏四代の冤罪を晴らす』
 学研新書の一冊として、学習研究社より2008年に刊行されました。蘇我氏断罪史観と、それにたいする反発から主張されている見解の一部を、『日本書記』を中心とした史料の検証により見直していこうとする一冊です。蘇我氏断罪史観は、さすがに戦後になって克服されたのかと私は考えていたのですが、皇国史観に浸っているというわけではなさそうな人が、数年前にある掲示板で大真面目に蘇我氏断罪史観を主張していたのを見ると、今でも根強いのかもしれません。その意味では、本書の意義は小さくないのかな、とも思います。 ...続きを見る

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2009/01/22 04:54
7世紀後半の木簡に『万葉集』の歌が記されていたことが判明
 7世紀後半のものと推測される木簡に『万葉集』の歌が記されていたことが判明した、と報道されました。この木簡は奈良県明日香村の石神遺跡で発見され、近くで出土した別の木簡に「己卯年」と記されており、これが679年のことと考えられるため、7世紀後半のものと推定されました。 ...続きを見る

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2008/10/18 00:00
遠山美都男「天武天皇殯宮の‘事’」
 「日本史のことば」を特集した『日本歴史』第704号(2007年1月号)の中の一論考です。『日本書紀』の天武天皇の葬送儀礼の記事に見える「諸王の事」・「宮内の事」・「左右大舎人の事」・「大政官の事」などの「事」とは何を意味するのか、ということが論じられています。これまでは、「こと」・「ことがら」とみなされてきましたが、「つかえる」という意味ではなかろうか、ということがこの論考では主張されていて、そうすると、たとえば「大政官の事」とは「大政官の仕へまつれる状」と解釈されます。 ...続きを見る

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2008/10/08 06:42
中田興吉『「大王」の誕生』(学生社、2008年)
 日本における大王の誕生について、考古学と文献の両方から考察されています。こうした問題が論じられる場合、普通は弥生時代中期以降が対象となるのですが、本書では、縄文時代をも視野に入れた見解が提示されています。本書では、大王号は敬称ではなく称号だとし、その根拠として朝鮮半島の事例が紹介されているのですが、この問題についてはさらなる検証が必要だと思われます。 ...続きを見る

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2008/09/05 05:30
東野治之『遣唐使』(岩波書店、2007年)
 『史学雑誌』恒例の「回顧と展望」の今年の号(第117編第5号「2007年の歴史学界」)で、「古代史像の見直しを迫るもの」であり、「開かれた日本」論に疑問が呈されている、と紹介されていたので(日本古代、P679)、気になって読んでみました。遣唐使の具体的様相と意義について包括的に述べられており、参照文献も示され、索引もあるので、良書と言ってよいだろうと思います。本書において興味深いと思った見解は、以下のようなものです。 ...続きを見る

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2008/08/01 04:47
久米邦武「鎌倉時代の武士道」
 今年1月15日分の記事で、橋昌明『平清盛 福原の夢』を取り上げましたが、その橋氏の代表的著作である『武士の成立 武士像の創出』(東京大学出版会1999年)では、冒頭で原勝郎『日本中世史』と久米邦武「鎌倉時代の武士道」の武士論が対照的なものとして取り上げられ、本論への導入部となっています。 ...続きを見る

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2008/04/11 00:00
川尻秋生『日本の歴史第4巻 揺れ動く貴族社会』(2008年3月刊行)
 小学館『日本の歴史』4冊目の刊行となります。災害・地方政治の在り様・各地の戦乱・宗教の変容・貴族の生活・外交など、幅広く取り扱われています。その分、個々の事象について深く掘り下げられていないとの感想もあるとは思いますが、概説書としてはこれでよいのではないでしょうか。 ...続きを見る

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2008/04/01 00:00
日本における中華意識の形成
 倭国における対外交渉の変遷を、中華意識および大宰府の形成と関連させて論じた研究(川本芳昭「倭国における対外交渉の変遷について」)があります。律令国家の外交の一端も担った大宰府の淵源を、『三国志』に見える一大率に求める見解がありますが、この研究では、一大率は外交機関というよりも、むしろ卑弥呼・倭国の側からの国内的要因のもとに設置されていたのであり、倭国の中心地としてかつて対中外交を担っていたという権威のある伊都国や、それを核として再結集する可能性のある国内諸国を監視することがその本質だった、とさ... ...続きを見る

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2008/03/10 00:08
神野志隆光『複数の「古代」』
 講談社現代新書の一冊として、講談社より2007年10月に刊行されました。著者の専攻は日本古代文学で、本書においては、古代日本には『古事記』・『日本書紀』など複数の歴史があったとされ、おもに『古事記』と『日本書紀』との歴史の語りかたの違いが論じられています。 ...続きを見る

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2008/03/10 00:05
遠山美都男『古代の皇位継承 天武系皇統は実在したか』
 歴史文化ライブラリーの一冊として、吉川弘文館より2007年11月に刊行されました。天智と天武の関係については、7年以上前に私見を述べたことがあります。その後、天智系と天武系という区分は当時(飛鳥時代後期〜奈良時代)存在したのだろうか、そうした区分をはじめてはっきりと意識したのは桓武だったのではなかろうか、との疑問が生じました。しかし、日本中世史や古人類学のほうに関心が移ったこともあり、この疑問は放置したままにしていました。そのため、書店で本書を見かけたとき、以前からの疑問を解決する手がかりにな... ...続きを見る

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2008/03/06 00:03
鐘江宏之『日本の歴史第3巻 律令国家と万葉びと』(2008年2月刊行)
 小学館『日本の歴史』3冊目の刊行となります。本書は、このような通史ものとしては珍しく、政治史の記述がきわめて少ないのが特徴となっています。このような全集ものの通史でも、たとえば第2巻『日本の原像』のような主題別の巻ならば、このような構成でもよいでしょうし、巻末にてこのような構成とした理由が述べられてはいますが、通常の巻でこのような構成になっていることには、やや疑問が残ります。 ...続きを見る

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2008/03/05 00:01
遣隋使をめぐる『隋書』と『日本書記』の相違について
 ちょっと検索していたら、たまたま興味深い研究(川本芳昭「隋書倭国伝と日本書紀推古紀の記述をめぐって」)を見つけたので、私見を交えつつ、この研究について見ていきます。このときの検索で知ったのですが、日本の人文・社会科学においては、私が想像していたよりもずっと電子化が進んでいるようで、自宅にいながらにして部外者が容易に論文を読めるとは、まことによい時代になったものです。ただ、印刷物からスキャンした画像をそのままPDFファイルにしているようなので、本文から引用するさいにコピペができないのが難点ですが... ...続きを見る

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2008/03/04 00:00
中日新聞社説で取り上げられた聖徳太子非実在説
 「書き換わる聖徳太子像 週のはじめに考える」という題の中日新聞2月10日付社説では、聖徳太子非実在説が取り上げられています。聖徳太子非実在説の代表的論者である、大山誠一中部大学教授の見解に依拠した社説なのですが、はたして大山説に代表される聖徳太子非実在説は、本当にこの社説で述べられているように、決定的と言えるのでしょうか? ...続きを見る

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2008/02/12 00:00
平川南『日本の歴史第2巻 日本の原像』(2008年1月刊行)
 小学館『日本の歴史』2冊目の刊行となります。「新視点・古代史、稲作や特産物から探る古代社会の実像」とのことで、2000年代の講談社版『日本の歴史』の「**史の論点」の巻と似た役割を担うことになるのでしょう。本書の特徴は、各地の発掘成果が多数紹介され、そこから日本史像が構成されていることで、中央からの視点・中央の動向に偏らない叙述となっていて、なかなか興味深い一冊となっています。 ...続きを見る

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2008/02/06 00:00
松木武彦『日本の歴史第1巻 列島創世記』(2007年11月刊行)
 いよいよ、小学館から『日本の歴史』全16巻の刊行が始まりました。じっさいに読んでみての感想ですが、文字が大きくて読みやすいのはよいと思います。また文章についても、この第1巻は、できるだけ分かりやすいようにという配慮がなされており、なかなか読みやすくなっています。第2巻以降も期待できそうです。 ...続きを見る

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2007/11/16 00:00
門脇禎二氏死去
 著名な日本古代史研究者である門脇禎二氏が12日に亡くなったとのことです。 http://www.asahi.com/obituaries/update/0612/OSK200706120066.html ...続きを見る

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2007/06/14 00:00
堀敏一氏死去
 著名な東洋史家の堀敏一氏が、5月29日に82歳で亡くなったとの報道がありました。 http://www.asahi.com/obituaries/update/0530/TKY200705300376.html ...続きを見る

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2007/06/01 00:00
縄文時代の推定平均寿命の妥当性をめぐる議論
 昨日、縄文時代の平均寿命についての一文を掲載しましたが、 http://sicambre.at.webry.info/200701/article_10.html この一文を執筆するきっかけは、最近ある掲示板にて、縄文時代の平均寿命は30歳だというA氏の投稿があったので、15歳以下ではないかと指摘したところ、そんなことで人類集団を維持できるわけがなく、15歳説など読むに値しないと反論されたので、それにたいして私が試みた批判を整理してまとめてみよう、と思ったからです。A氏としたのは、以下の文... ...続きを見る

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2007/01/11 19:39
縄文時代の平均寿命について
 まずは定義についてですが、平均寿命とは0歳時の平均余命のことです。たとえば、X歳時の平均余命をY年とすると、X歳時の平均死亡年齢は(X+Y)歳となり、X=0のときのY歳が平均寿命となります。 ...続きを見る

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2007/01/10 19:00
富の源泉としてのアトランティスと邪馬台国
 『イリヤッド』では欧州文明の源流と言われているアトランティスですが、今回は、『イリヤッド』を離れて、アトランティスについて少し雑感を述べようと思います。  欧米社会におけるアトランティスへの関心は今でも強いようで、さまざまな本が刊行されたり、新説が提示されたりしています。アマチュアだけではなく、アカデミズムの側からの発言もあります。今でも、古そうな遺跡(に見えるもの)が発見されると、アトランティスとの関連が取りざたされます。欧米社会において、アトランティスは、まさに金のなる木なのです。今年も... ...続きを見る

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2006/10/17 19:06
合理的信仰の発達
 たまには歴史の話を、ということで、信仰における合理主義の発達についてちょっと述べてみようと思います。  ここでまず問題となるのが、合理的とはどういうことなのかということですが、現代人の多数からみて、筋道だって説明可能になっていること、という意味合いと定義しておきます。  合理的信仰の発達とはいっても、世界各地で様相が異なるでしょうが、今回は日本について述べていくことにします。 ...続きを見る

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2006/08/04 20:50

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