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みんなの「日本史原始〜古代」ブログ


佐藤信編『古代史講義 邪馬台国から平安時代まで』

2018/02/18 00:00
 これは2月18日分の記事として掲載しておきます。ちくま新書の一冊として、筑摩書房より2018年1月に刊行されました。日本古代史の勉強も停滞しているので、最新の研究成果を把握するために読みました。本書はたいへん有益でしたが、もちろん、古代史の論点は多岐にわたり、新書一冊で網羅することはできませんので、続編が望まれます。以下、本書で提示された興味深い見解について備忘録的に述べていきます。


●吉松大志「邪馬台国から古墳の時代へ」P13〜29
 本論考は弥生時代末期から古墳時代への移行を、文献と考古学から展望しています。いわゆる邪馬台国論争については、考古学的成果を安易な文献解釈と結びつけることのないよう、注意が喚起されています。邪馬台国の基本文献となるのは『三国志』ですが、誤認識や古典からの引用などもあり、正確に当時の倭国の様相を伝えているとは限らない、と指摘されています。また、考古学からは、北部九州や畿内だけではなく出雲など、複数の中心地から構成される多極的なネットワークがあったと推測されています。古墳時代には、こうした弥生時代的な体制から畿内主導の体制へと変容していった、との見通しを本論考は提示しています。


●須原祥二「倭の大王と地方豪族」P31〜52
 本論考はヤマト王権の展開と地方豪族との関係を検証しています。4世紀後半〜5世紀前半の古墳の巨大化は王権の強化を示すものだ、との見解が提示されています。この時期、本州・四国・九州の大半で前方後円墳が築造されるようになり、ヤマト王権を中心とする政治体制が形成されていき、王権は強化された、と評価されています。一方で本論考は、5世紀後半以降の古墳の数と規模の縮小に関しては、王権の衰退ではなく古墳築造の規制であり、制度の強化・安定だと評価しています。古墳の規模から王権の構造を直接把握するのには慎重でなければならないとは思いますが、現時点では有力な解釈として認められていることも否定できないでしょう。『日本書紀』に見える5世紀後半〜6世紀前半の王位継承の不安定性については、王権の強化と矛盾するものではなく、奈良時代のように、王権の強化がかえって王位継承の不安定さを惹起する場合もある、と指摘されています。


●鈴木正信「蘇我氏とヤマト王権」P53〜71
 本論考は、蘇我氏本宗家と言われる稲目・馬子・蝦夷・入鹿の4代をヤマト王権に位置づけて解説しています。古代史本となると、非専門家の私はつい無責任に「刺激的な」見解を求めてしまうのですが、簡潔で穏当な本論考は一般向け書籍にふさわしいと思います。蘇我氏本宗家が滅亡した乙巳の変の要因については、外交方針・王位継承争い・蘇我氏の内部抗争という側面が重視されています。


●中村順昭「飛鳥・藤原の時代と東アジア」P73〜86
 本論考は乙巳の変から平城京への遷都の前までの国制整備の進展を概観しています。表題には東アジアとありますが、東アジア情勢への言及は予想していたよりも少なく、白村江の戦いの後の、新羅と唐の対立および唐の朝鮮半島における直接的支配の破綻の背景などへの言及はありませんでした。表題にあるように、東アジアという視点をもっと前面に出してもよかったように思います。ただ、7世紀後半〜8世紀初頭の国制整備史としては短くも的確な内容になっていると思います。


●馬場基「平城京の実像」P87〜104
 本論考は平城京について多角的に検証しています。平城京への遷都の前提として、8世紀初頭の遣唐使があるようです。この時に唐(というか、正確には当時の国号は周でしたが)の都である長安を訪れた遣唐使一行は、当時の日本の都だった藤原京が儀礼空間として不充分であることに気づいたのではないか、というわけです。また、平城京の地は遷都まで閑散としていたわけではなく、それなりに開発が進み、交通の要衝だった、とも指摘されています。


●佐々田悠「奈良時代の争乱」P105〜122
 本論考は奈良時代の争乱、具体的には長屋王事件・藤原広嗣の乱・橘奈良麻呂の変・藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱について、その背景と経緯を解説しています。「過激な」見解が提示されているわけではなく、穏当な奈良時代争乱史になっており、簡潔な奈良時代政治史としても有益だと思います。奈良時代に武力を用いた上層部間の争乱が相次いだ理由として、天皇という仕組みが個人的資質と血統に左右され、平安時代のように安定的制度として整っていなかったことが指摘されています。


●佐藤信「地方官衙と地方豪族」P123〜144
 本論考はおもに奈良時代における地方支配の実態を、郡司・郡家(群衙)に着目して検証しています。本論考は、郡司が律令制よりも前の時代の地方支配層から採用され、そうした支配層の政治力を活用することで律令制下当初の地方支配が可能だったことを強調しています。また、郡には郡司を担える複数の家柄が存在したこともあった、とも指摘されています。律令制では文書主義が徹底され、地方でも郡司の下の層まで文字が浸透しつつあったことが窺えます。


●飯田剛彦「遣唐使と天平文化」P145〜162
 本論考は天平文化の性格と遣唐使の役割について検証しています。天平文化については、その「国際性」が強調されることもありますが、天平文化の「国際性」の象徴たる正倉院の宝物も、薬物を除けば舶載品は最大でも5%に満たないだろう、との推定が提示されています。そのうえで本論考は、天平文化の「国際性」の真の意味とは、外来要素を受容し、自国でのさまざまな物の制作に活かしたことだろう、と指摘しています。このような「国際性」のある天平文化が開花するうえで、唐から直接国際色の豊かな文化を持ち帰った遣唐使の役割は大きかったようです。


●吉野武「平安遷都と対蝦夷戦争」P163〜182
 本論考は桓武天皇の二大事業である軍事(対蝦夷戦争)と造作(平城京から長岡京、さらには平安京への遷都)を検証しています。桓武天皇がこの二大事業を推し進めた要因として、皇位継承者としては血統的に弱点があり、権威を確立する必要があった、と指摘されています。長岡京から平安京への遷都に関しては、怨霊を恐れたからというよりも、洪水による都市機能への打撃が懸念されたためではないか、と推測されています。桓武天皇が怨霊を恐れたのは平安京への遷都後ではないか、というわけです。桓武天皇は晩年に、徳政相論によりこの二大事業を停止しますが、桓武天皇自身も民の疲弊から二大事業の継続に無理があることを認識しており、有徳の英明な君主としての姿を示すために徳政相論をさせたのではないか、と本論考は推測しています。


●仁藤智子「平安京の成熟と都市王権の展開」P183〜198
 本論考は、平安時代前期の政治史と平安京が都として確立していく過程を解説しています。平安時代初期の平城朝に関しては、その治世が4年と短かったことと、平城天皇(上皇)が政治的敗者となり、その子孫が皇統とはならなかったこともあり、低く評価されているようにも思われますが、本論考は、国制改革を積極的に推進した時期として重視しています。この平城上皇が政変(薬子の変)で敗れたことにより、平安京は都として定着していくことになり、支配層の間で平安京を中心とした世界観が形成されていきます。


●榎本淳一「摂関政治の実像」P199〜213
 本論考は摂関の地位・権能がどのように成立してきたのか、摂関は国制においてどのような役割を果たしたのか、検証しています。本論考は、摂政・関白とともに内覧の権能を重視しており、摂政・関白・内覧の解説となっています。摂関の地位が10世紀後半に大きく変わったこと(太政大臣の地位との分離、律令官職の超越)や、藤原道長政権期を中心とした摂関政治全盛期においても、摂関が恣意的に政治を運営することはできず、以前からの朝廷の枠組みでの政治運営だったことが指摘されています。摂関は誰が天皇であっても安定的な国政運営が可能となるような制度として形成されていったのであり、天皇親政と対立的に把握されるべきではない、との指摘は、今でも天皇と摂関を対立的に把握する通俗的見解が根強いように思われるだけに、重要だと思います。


●河内春人「国風文化と唐物の世界」P215〜232
 本論考は、遣唐使の廃止により唐文化の流入が途絶え、日本独自の「国風文化」が発達した、という見解の見直しを提示しています。遣唐使の「廃止」については、すでに近年では一般向け書籍でも取り上げられているように、廃止ではなく延期だったことが指摘されています。「国風文化」については、唐が滅亡してからも、中華地域からの「唐物」が日本の文化に必要であり、規範にもなっていたことが指摘されています。この前提として、遣唐使のような国家間の通交は衰退しても、商人による東アジア交易が盛んになっていったことがあります。また、「国風文化」の対象はおもに貴族層に限定されており、圧倒的多数を占める庶民の文化も考慮に入れられなければならない、とも提言されています。


●三谷芳幸「受領と地方社会」P233〜249
 本論考は平安時代に地方制度が変容していったことを解説しています。9世紀に律令制以前からの郡司層が没落していき、中央政府(朝廷)は受領(国司の首席で通常は守)に権限を集中させる新たな制度を構築していきます。受領は大きな権限を把握しますが、在地の有力者と受領が都から引き連れてきた郎等の間で対立が生じ、それが「尾張国郡司百姓等解文」に代表される国司苛政上訴の頻発を招来しますが、院政期には受領と在地勢力との関係は安定し、在地勢力を取り入れた体制が確立していきます。大きな権限を得た受領の任命と評価について、摂関などの有力者による恣意的人事もあったものの、全体的には朝廷支配層(公卿)による真剣な検証・討議が行なわれた、と指摘されています。朝廷は地方政治への高い関心を有していた、というわけです。本論考は奈良時代〜平安時代の地方制度について、「神話」の8世紀から「道徳」の9世紀を経て「経済」の10世紀へと転換していき、それは古代日本における「文明化」であった、と評価しています。


●宮瀧交二「平将門・藤原純友の乱の再検討」P251〜264
 本論考は平将門の乱と藤原純友の乱を、考古学や古環境学の研究成果も取り入れて検証しています。平安時代には温暖化が進んだことから、平将門の乱に関しては、増大した富の奪い合いが背景にあるのではないか、と推測されています。また、平将門の乱の頃のものではありませんが、近い年代の関東の集落では焼き討ちの痕跡が確認されており、平将門の乱に関する文献は今後考古学的にも裏づけられるのではないか、と指摘されています。藤原純友の乱に関しては、9世紀後半に瀬戸内海の海上交通圏を掌握していた伴(大伴)氏・紀氏が中央政界で没落したことにより、その配下の交易に関わっていた海上輸送集団が海賊として取り締まられ、海上交通の利権が再編されるなかで生じた利権争いとしての側面があるのではないか、と指摘されています。なお、本論考は1976年放送の大河ドラマ『風と雲と虹と』に言及していますが、「豪華なキャスティング」のなかに藤原秀郷(田原藤太)役の露口茂氏の名前がなかったのは残念でした。


●大平聡「平泉と奥州藤原氏」P265〜281
 本論考は奥州藤原氏について、考古学的研究成果を大きく取り入れて解説しています。奥州藤原氏は、都(平安京)とのつながりを強く有しつつも、北東ユーラシアともつながり、単なる都の模倣ではなく、独自性を有していた、と本論考は評価しています。奥州藤原氏の拠点となった平泉に関する考古学的研究の進展には目覚ましいものがあるようで、奥州藤原氏の富強が強く印象づけられます。ただ、奥州藤原氏がどのような支配体制を築いていたのか、なぜ源頼朝の侵攻にあっさりと支配体制が崩壊したのか、という問題には言及されていないのは残念でした。
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古代貴族の歴史観

2018/01/08 00:00
 17年前(2001年)に、「古代貴族の歴史観」と題して4回にわたって雑文を掲載したことがあります。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/history025.htm
http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/history026.htm
http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/history027.htm
http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/history028.htm

 たいへん未熟な内容になってしまっているのですが、恥ずかしながら、16年経過してもこの問題についてほとんど勉強が進んでいません。今後、少しずつ調べていこうと考えているのですが、記事が4本に分割されていると読み返すのが面倒なので、1本にまとめてこのブログに掲載することにしました。私にしか役立たない記事となりますが、このブログはほとんど備忘録のようなもので、これでよいかな、と思います。なお、漢字を平仮名にしたり、算用数字を半角にしたりと一部の表記を見直したり、分割掲載のための余分な説明を省略したり、段落構成を変更したり、誤字脱字を修正したり、文章を一部入れ替えたり、文章表現をこのブログに合わせたりしましたが、基本的には当時の記事の再掲です。皇祖神についてなど、この16年間に新たに得た知見もありますが、今回は修正しないことにします。歴代の「天皇(という称号の成立は7世紀以降なのでしょうが)」に関しては、「実在」か否か、「即位」前か後かに関わらず、表記は後代の漢風諡号で統一します。以下、本文です。



 表題では「古代貴族」としましたが、これは皇族なども含めて7世紀後半〜8世紀後半における律令国家の支配層全体を含んでいます。不正確な表現でしょうが、前之園氏の表現に倣ったのと、「古代貴族」とすると簡潔に見えるように思われたので、こうしました。

 戦後になって水野祐氏により提唱された王朝交替説は学界のみならず在野にも大きな影響を与え、水野説にたいして肯定的または批判的な立場から様々な王朝交替説が提示されました。こうした王朝交替説にたいして、根本的な批判もなされるようになり、前之園亮一氏は『古代王朝交替説批判』(吉川弘文館、1986年)などにおいて、王朝交替説とは古代貴族階級の時代区分観を王朝の交替と誤認したものである、と批判しました。前之園氏の提示する古代貴族階級の時代区分観が妥当なものかどうか、私には判断するだけの見識はありませんが、興味深い見解だと思います。以下、この前之園氏の見解や遠山美都男『天皇誕生』(中央公論社、2001年)を参考に、古代貴族の歴史観と『日本書紀』について述べていきます。


 『日本書紀』については権力側の自己正当化と記述の正確さという問題があり、在野の研究者の中には、この問題を重視して、『日本書紀』における歴史の捏造を強調する人も多くいます。確かに、『日本書紀』の記述がどこまで歴史的事実に即しているかはよく分からず、推古朝以降の記事はおおむね信用できるのではないか、というのが一般的な見解でしょうから、推古より前の記事にどこまで信憑性があるのか、よくは分からない、ということになります。

 何故このようになったのかというと、少なからぬ論者が、天皇(皇族)の万世一系と支配層の正当性を証明するために、都合の悪い歴史的事実を隠蔽しようとして過去の記事を捏造したのだ、と主張するわけですが、この点には疑問が残ります。確かに、支配の正当化のための捏造がなかったとは言いませんが、『日本書紀』の記事が年代をさかのぼるほど信憑性が低くなる根本的な要因は、政治的圧力よりも編者の歴史的知識と見識の欠乏にあった、と私は考えています。

 つまり、推古より前に関しては、文字史料がきょくたんに少なかったため、歴史事実があまり正確には伝えられず、その時代に関する歴史的知識が乏しかったのに、推古以前の時代についても歴史書として書かねばならなかったため、編者(というか、編者も含めての当時の支配層)の価値観(願望や理想像も含まれます)・歴史観に大きく依拠した記述となり、乏しい歴史知識に基づいた歴史観によって書かれたので、時として史実とは大きく異なる記述になったのでしょう。この古代貴族の歴史観について、『日本書紀』に即して述べていこう、というのが私の意図するところです。


 『日本書紀』は神話から始まります。多くの地域や共同体においては、歴史の始まりは神話から語られ、神話を排した歴史が一般的となるのは、文字による記録が行なわれるようになったこの5000年間でも、ごく最近のことです。もちろん、合理主義の発達にともない、神話や神話もどきの説話への疑念は呈されるようになっており、中国などは、そうした傾向が世界でも最初期に認められる地域と言えるかもしれません。それはともかく、一般的には、神話を歴史の起点に置くことが圧倒的に長期にわたって行われてきたのでした。

 人間が自らの起源と来歴について関心を抱くのは普通のことで、人類学や遺伝学などの確立していない時代にも、その時代の知見と価値観により、自らの起源と来歴が考えられていました。しかし、よく分からないことだけに、自らの起源を不可知的な存在であると考えていた神に結びつけたのは、自然なことでした。そう考えると、『日本書紀』が神話から始まっているのも当然で、古代貴族の価値観・歴史観が反映された結果であると言えます。もちろん、天皇や各氏族を直接・間接に神と結びつけることにより、支配の正統性と自らの高貴性を証明せんとの意図もあったわけですが、別にそれは必ずしも神に根拠を求めなくても可能なものです。神に自らの根拠を求めたのは、人間の起源を神との密接な関係に求める歴史観というか観念が広く浸透していたからでした。

 古代貴族の歴史観では、神と直接・間接に結びつけられた天皇(皇族)や各氏族は、いきなり神から人になったのではないようで、前之園亮一氏が論じているように、その間に過渡期が設定されていると思われます。つまり、神と人との性格を併せ持つ人物がいた、との設定になっています。『日本書紀』に見える初期の天皇は、驚くほど長命です。初代の神武から15代の応神まで没年齢(数え年)は順に、127・84・57・77・113・137・128・116・111・120・140・106・107・52・110、となります(現在では天皇と数えられていない神功は100歳で没)。応神より後は、没年齢が不明な場合が多く、判明している場合も、一応は常識の範囲内に収まっています。このような長命は、応神以前は天皇が未だに神と人との中間的存在である、と理解されていたからで、異様な長命も何ら不思議ではありません。

 一方で、推古朝に建国の年代を大幅に繰り上げた結果、各天皇の寿命が大幅に引き延ばされた、との見解もあります。この見解を全否定するつもりはありませんが、さらにはそこから、『日本書紀』に見える歴代の天皇は実在しており、初期の天皇の不自然な長命は無理に建国の年代を繰り上げたためで、初期の天皇が架空の人物だとしたら、このような不自然な寿命にするのではなく、適当にさらに何代かの天皇を創作し、それぞれの天皇の寿命をもっともらしいものにすればよい、との見解も提示されています。しかし、この見解はまったくの誤りでしょう。神と人との中間的存在である天皇が常識外れの長命であることは、古代貴族の歴史観に沿ったものであり、彼らにとって不自然なことではなかったのです。


 『日本書紀』では、最初から天皇の支配が「日本」全土に及んでいたとされているわけではありません。天皇の支配が「日本」全土に及ぶ(「全国支配」も、古代貴族の歴史観というか、観念・理想・願望なわけですが)に至った経緯についても、古代貴族なりの歴史観があり、それに沿って『日本書紀』は編纂されました。後に初代天皇とされた彦火火出見(神日本磐余彦天皇または神武天皇)が、元は日向(現在の宮崎県)にいたことはよく知られています。神武は45歳になった時、東征を決意して出立するわけですが、そのさいの決意表明は、大略次のようなものです。

 昔、天神がこの国を我が祖先に授けられ、代々祖先の神々はこの西のほとりを統治して善政をしいてこられ、恩沢がゆきわたった。だが遠国では、まだ王の恩恵を受けず、邑(ムラ)には君(キミ)が、村(アレ・フレ)には長(ヒトコノカミ)がいて、境を分かって相争っている。さて、塩土老翁(シオツトノオキナ)に聞くと、東方によき地(クニ)があり、青い山に囲まれていて、天磐船(アマノイワフネ)に乗って飛び降りた者がいるという。余が思うに、その地(クニ)は大業を広め、天下を治めるのに充分であり、国の中心となろう。何としてもそこへ行き都としよう。

 まず、この国の統治権が神により自らの祖先に与えられたこと、故に自らの全国支配が正当なものであることを述べていますが、だからといって当初より全国支配がなされていたと主張しているわけではありません。邑や村といった単位で首長がいて、それぞれ境界を争っている、と述べられています。現在の訓読みでは共に「ムラ」という邑と村とが別に記述されているのは興味深いことで、知見不足なので見当外れの説明になっているかもしれませんが、村の連合体が邑で、邑同士で境界を争っているのみならず、その邑を構成する村同士でも境界を争っていて、村にせよ邑にせよ強固な政治組織ではないことが窺えます。古代貴族が、邑を後の国(武蔵国や河内国というさいの国)か郡の前身だと考えていたとしたら、当初より全国支配がなされていたわけではない、ということのみならず、各地方単位での政治統合も元来は強固なものではなかった、と認識していたわけで、古代貴族の歴史観を知る上で実に興味深いことです。

 それはともかく、神武が東征に出る前までは、天皇(と後になるべき人)の支配領域は九州南部の一部程度で、各地は境界を相争い分裂していた、というのが古代貴族の歴史観でした。日向を出立した神武一行は、各地に立ち寄りながら河内(現在の大阪府)の青雲白肩津に着き、ここから中洲(ウチツクニ)に入ろうとしましたが、この地に勢力を持つ長髄彦の抵抗に遭い、兄を失うなど苦戦しつつも、勝利しました。この中洲とは、後に橿原宮を建造させてそこで即位したことなどからして、奈良盆地南部を指す狭義のヤマトのことなのでしょう。

 初期の天皇の宮が狭義のヤマトに集中していることから推測すると、ヤマトこそ天皇家と国家の発祥地・本拠地であると古代貴族は考えていたようで、神武東征説話は、神の子孫である天皇が如何にしてヤマトを根拠地とするに至ったかという問いにたいする、古代貴族なりの説明だったと思われます。それなら、日向ではなく最初からヤマトに下ればよさそうなものですが、太陽神的性格の強い天照大神の子孫である天皇家の降臨先としては、ヤマトよりも日向の方が相応しいと考えられたのでしょう。

 神武東征説話は、たとえば天皇家の祖先が九州より東征してヤマトを征服したといった、天皇家と国家の発祥に関する事実を何らかの形で反映しているのかもしれませんが、その可能性は高くはないように私には思われます。神武東征説話は、天皇と国家との成立事情を伝えたものではなく、古代貴族の歴史観を色濃く反映したものだと思います。ただ、神武東征説話が全くの創作かというとそうではなく、やはり何らかの史実を反映している可能性は高く、水野祐氏などが指摘されているように、神武のヤマト平定説話は、壬申の乱における天武側の進軍が参考にされたのでしょう。


 長髄彦を倒した(饒速日命が殺害したわけですが)神武がその後にやったことといえば、一部周辺地域の平定、橿原宮の建造、そこでの即位、といったあたりです。即位2年前の令に、周辺がまだ鎮定されていない、とあることからも、神武の平定した地域はヤマトとその一部周辺に留まっていたと言えるでしょう。その後の2〜9代の天皇については、いつ都(宮)をどこに移したか、いつ誰を皇后・皇太子にしたか、いつ亡くなったか、ということが簡潔に記されているだけで、これといって目ぼしい事跡はほとんどありません。ただ、第2代の綏靖に関しては、即位前の兄との争いがやや詳しく描かれています。このことから、2〜9代の天皇は実在しなかったとするのが一般的見解で、欠史8代と呼ばれています。

 さて、この大した事跡のない2〜9代の天皇は、古代貴族の歴史観においてはどのような存在だったのでしょうか。この問題については、遠山美都男氏が『天皇誕生』(中央公論新社、2001年)において興味深い見解を提示しています。遠山氏は、『日本書紀』編纂時には皇后は皇族から選ぶのが一般的なのに、欠史8代の場合のみ例外的に県主の娘から皇后が選ばれていることに着目しました。『日本書紀』本文では県主出身の皇后はこの間も1人ですが、異伝と『古事記』では県主出身の皇后が多くなっています。県主とは県の中心に祭られている神々の祭祀を統括する役目を世襲した神官的な氏族で、大和の名家でしたが、皇后を出す程の家柄ではありません。欠史8代は、大和の名家と婚姻関係を結ぶことにより奈良盆地とその周辺に勢力を浸透させていった、という役割を担わされたのではないか、と遠山氏は論じています。

 この遠山氏の見解は、大筋では妥当なものだと思います。欠史8代では、県主や物部氏や尾張氏や穂積氏といった、『日本書紀』編纂時には到底皇后を輩出できないような家柄から皇后を立てられていることが多くなっています。物部氏も、神武より先にヤマトに降り立っていた天孫族の饒速日命を祖とするとされているのですから、天皇より先にヤマトに勢力を有していたという設定になります。欠史8代は、神武のヤマト平定の跡を受けて、ヤマト土着や近隣の豪族と婚姻関係を結んでいくことで、ヤマトとその周囲に勢力を浸透させていった時代であった、というのが古代貴族の歴史観だったと思われます。欠史8の後の崇神は、古代貴族の歴史観において画期とされていると思われますので、ここで今まで述べてきたことを、今後述べていく予定の見解も一部含めてまとめてみます。

 ヤマトを根拠地とする古代貴族は、自らの「全国支配」が領域的にも質的にも長い時間をかけて徐々に達成されてきたとの歴史観を持ち、「日本国」支配の根源的な正当性が神々との直接・間接の連続性(天皇の場合は直接的な連続性となります)にある、と考えていました。そこで、『日本書紀』においてまずは「天界」での神話が、続いて「俗界」への降臨が述べられました。『日本書紀』編纂時には太陽神的性格が強い天照大神が皇祖神とされていたので、降臨先には日向が選ばれました。むろん、日向のような地名は各地にあったのでしょうが、遠山美都男氏が述べられているように、『日本書紀』編纂時には現在の宮崎県である日向が最も有名で、そのために降臨先に選ばれたのでしょう。

 この時点では、支配領域は日向の一部程度です。ここから、古代貴族の根拠地とされていたヤマトに移らなければなりません。そのため、後に初代天皇となる人物が東征してヤマトを平定すると考えられ、その結果創られたのが神武東征説話でしたが、この時点でも支配領域はヤマトとその周辺の極一部です。その後、2〜9代の天皇は、ヤマトとその周辺に勢力を有する豪族と婚姻関係を結んでいくことで、それらの地域に勢力をじょじょに浸透させていきました。しかし、それでも支配領域は神武の頃と大して変わらず、天皇は未だに神と人の両方の性格を有していた、というのが古代貴族の大まかな歴史観です。

 要するに、古代貴族の基本的な歴史観は、自らを神々と直接・間接に繋がるとし、根拠地・発祥地であるヤマトから次第に勢力を浸透させていき「全国支配」を達成したというもので、それに加えて、皇祖神の性格との整合性から神武東征説話が創られたのではないか、というのが私の現時点(2001年)での考えです。
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斎藤成也『核DNA解析でたどる日本人の源流』

2017/12/03 00:00
 これは12月3日分の記事として掲載しておきます。河出書房新社から2017年11月に刊行されました。本書はまず人類進化史と現生人類(Homo sapiens)のアフリカからの拡散を、最新の研究成果に基づいて簡潔に概観した後、日本列島の現代人がどのように形成されてきたのか、おもに核DNAの解析結果に基づいて検証しています。もっとも、本書は、核DNAよりは得られる情報が少なくなるものの、ミトコンドリアDNA(mtDNA)とY染色体DNAについてのこれまでの研究も取り上げています。本書で言及されている核DNA解析には、現代人だけではなく、縄文時代の住民のもの(古代DNA)も含まれています。

 本書は、4万年前頃から続く日本列島における人類史を把握するために、「ヤポネシア」という概念を提示しています。本書はヤポネシアを、千島列島・樺太島・北海道を中心とした北部、本州・四国・九州を中心とした中央部、琉球列島弧(南西諸島)の南部に区分しています。本書は、「ヤポネシア人」成立の説明として、近年の遺伝学的知見からも、「二重構造モデル」が大まかには妥当だ、との見解を提示しています。「二重構造モデル」とは、更新世に東南アジア方面から日本列島に移住してきた人々が縄文人となり、弥生時代に北東アジア起源の集団が日本列島に移住してきて先住の「縄文系」と混血し、現代日本人が形成されていった、とする仮説です。「二重構造モデル」では、北部のアイヌ人と南部のオキナワ人は、弥生系渡来人の影響をほとんど受けなかった、とされます。

 本書は、現代アイヌ人の形成においてオホーツク文化集団の影響があったことや、更新世に日本列島に渡来した集団が、東南アジアのみではなく複数の方面に由来するであろうことを指摘し、「二重構造モデル」を修正しています。更新世に日本列島に移住してきて、縄文人の主要な祖先になったと思われる集団は、著者も執筆者の一人となった論文において、現代東ユーラシア系集団とは遺伝的に大きく異なっていたことが明らかになりました(関連記事)。

 本書の見解で「二重構造モデル」との相違点としては、このようなものもありますが、最も大きな違いは、日本列島への移住民集団の第一波である「縄文系」にたいする新たな渡来系の波には二段階あった、とするものでしょう。「縄文系」が居住していた日本列島に、まず4400〜3000年前頃、ユーラシア大陸東部から人々が移住してきました(移住民第二波)。この集団の起源地はまだ不明ですが、朝鮮半島・遼東半島・山東半島周辺から、「海の民」もしくは園耕民が日本列島に移住してきた可能性を本書は指摘しています。また本書は、この渡来集団が日本語の祖語をもたらした可能性も想定しています。

 3000年前頃以降、第二波と遺伝的に近い第三波の移住民が水田稲作を日本列島にもたらしました。本書はこの第三波の移住民を、弥生時代と古墳時代の二段階に区分しています。本書は、まだ一般にはほとんど知られていないだろう縄文人のDNA解析の最新の研究成果も少し紹介しており、今後の研究の進展が期待されます。とくに、西日本の縄文人のDNA解析が進められているとの情報には、東西の違いという観点からも、大いに注目しています。本書は、現代日本人の遺伝学的な起源論に関心のある人にはお勧めの一般書になっていると思います。


参考文献:
斎藤成也(2017)『核DNA解析でたどる日本人の源流』(河出書房新社)
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瀧浪貞子『光明皇后 平城京にかけた夢と祈り』

2017/11/12 00:00
 これは11月12日分の記事として掲載しておきます。中公新書の一冊として、中央公論新社から2017年10月に刊行されました。本書は光明皇后(安宿媛、光明子)の生涯を、両親・息子・異母兄・夫という肉親の死の観点から描き出そうとしています。なお、安宿媛という名前は、光明皇后の父親である藤原不比等を養育した田辺史一族の本拠地に因むものだろう、と本書は推測しています。光明皇后は慈悲深く信仰心の篤い人物との印象もあるでしょうが、本書は、息子の基王に続く母親の三千代の死が、光明皇后を仏教へ深く傾斜させたのではないか、と推測しています。

 これと関連して本書の見解で興味深いのは、光明皇后と聖徳太子信仰との関わりを、三千代の影響ではないか、と推測していることです。河内の帰化氏族との深いつながりのなかで育った三千代は、早くから聖徳太子への追慕の念を抱いており、光明皇后は母が帰依した聖徳太子への崇敬を継承することが、母への供養と考えたのではないか、というわけです。法隆寺は奈良時代初期まで国家から特別扱いされることはなかったのですが、三千代の死後、光明皇后はたびたび仏具を献納するとともに、東院を造営します。

 光明皇后には、強気で権勢欲の強い人物だったとの印象もあるでしょうが、これは、夫である聖武天皇が病弱で弱気な人物であり、母も妻も藤原不比等の娘であることから藤原氏の言いなりになっていた、との印象と一体のものと言えるでしょう。しかし本書は、聖武天皇は政治に意欲的で剛直なところがあり、藤原氏を牽制することもあった、との見解を提示しています。光明皇后は夫となる聖武天皇とともに不比等のもとで育ち、夫の性格をよく理解していたので、そのような夫を支えたのではないか、と本書は推測しています。飛鳥時代には皇后から天皇(大王)に即位した例もありますが、光明皇后は自身の即位をまったく想定しておらず、それは周囲も同様だっただろう、というのが本書の見解です。

 光明皇后にとって異母姉であり、聖武天皇の母親でもあった宮古は、聖武天皇を出産直後に鬱病と思われる状態に陥り、長きにわたって息子と面会することがありませんでした。その面会に功績のあったのが玄ムと吉備真備で、二人は光明皇后・聖武天皇の信頼を得ていくことになります。本書は、宮古と聖武天皇の対面が天平年間の藤原四兄弟の相次ぐ死の後であることから、宮古を聖武天皇から隔離したのは、不比等とその息子たちである四兄弟の意向ではないか、と推測しています。
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松本直子「人類史における戦争の位置づけ 考古学からの考察」

2017/07/05 00:00
 『現代思想』2017年6月号の特集「変貌する人類史」に掲載された論文です。戦争は人間の本性なのか、それとも社会的な要因で発生した人類史上で比較的新しい(農耕開始・国家形成移行)現象なのか、という問題は広く関心を持たれているように思います。もちろん、研究者の間ではここまで単純化された議論が展開されているわけではないでしょうが、とりあえずこの記事では、「本性説」と「後天説」と分類しておきます。本論文は、明確に後天説を支持しています。

 冷戦期までは後天説の方が主流と言えたようですが、冷戦後は、狩猟採集社会において戦争の頻度は高く、むしろ国家の形成により戦争も含む暴力が抑制されてきた、との見解がしだいに影響力を強めているようです。本書はその代表例として、『文明と戦争』(関連記事)や『暴力の人類史』(関連記事)を挙げています。しかし本論文は、戦争と暴力を区別する必要性と、本性説の根拠とする考古学的データに、東アジアの事例が抜け落ちていることなどを指摘し、じゅうぶんな裏づけはない、と指摘します。

 本論文は、東アジアの事例として、著者も関わった縄文時代の受傷人骨を取り上げています(関連記事)。本論文は、縄文時代には明確な大量殺戮や子供の殺害や明確な対人用武器・防御集落などが認められないことから、日本列島という特定地域では1万年にわたって戦争はなかった可能性が高く、本性説への反証になる、と主張しています。また本論文は、弥生時代には受傷人骨の割合が高くなるものの(約3%)、それでも本性説の想定する戦争死亡率(約14%)よりずっと低い、と指摘しています。

 本論文は、受傷人骨の認定の難しさや、狩猟採集社会が現代と農耕開始前の更新世とでは異なるかもしれないといった不確定要素も認めつつ、後天説が妥当だと明確に主張しています。本論文は、戦争の始まりを経済も含めて社会的要因で説明し、とくに、殺人を躊躇う傾向のある人間を戦争へと向かわせる、更新世には存在しなかった新たな文化的制度が重要となり、その研究が必要になる、と指摘しています。

 本論文の見解は傾聴すべきでしょうが、本論文も認める受傷人骨の認定の難しさ、とくに更新世の人骨はほとんどが断片的であることを考慮すると、すでに43万年前頃に明確な殺人行為が認められていること(関連記事)からも、後天説にはかなりの疑問が残ります。かなり精度の高い暴力死亡率の分かる時代に関して、『暴力の人類史』は、暴力死亡率の低下要因として国家統合の進展や通商の拡大などを挙げています。これはかなり説得力のある議論だと私は考えていますので、更新世にはそれらが存在しない(もしくはたいへん未熟)ことを考えると、戦争と定義できるか否かはさておき、更新世の人類社会の平均的な暴力死亡率は、本論文の想定よりかなり高かったのではないか、と思います。人間の認知メカニズムは、人類史において一般的だった環境において、戦争も含む暴力を容易に発動してきたのではないか、と私は考えています。


参考文献:
松本直子(2017)「人類史における戦争の位置づけ 考古学からの考察」『現代思想』第45巻12号P162-174(青土社)
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白保竿根田原洞穴遺跡についての新たな発表

2017/05/22 00:00
 これは5月22日分の記事として掲載しておきます。沖縄県石垣市の白保竿根田原洞穴遺跡についての新たな発表が報道されました。読売新聞でも報道されています。白保竿根田原洞穴遺跡では日本列島でも有数の古い人骨が複数発見されており、このブログでも何度か取り上げてきました。
http://sicambre.at.webry.info/201002/article_6.html
http://sicambre.at.webry.info/201003/article_13.html
http://sicambre.at.webry.info/201101/article_22.html
http://sicambre.at.webry.info/201111/article_11.html
http://sicambre.at.webry.info/201607/article_1.html

 今回の新たな発表では、白保竿根田原洞穴遺跡の更新世の人骨群が少なくとも19個体分になることと、そのうちのほぼ全身の骨格が残っている、推定身長165.2cmで比較的高齢の男性と考えられる1体(4号人骨)の年代が、放射性炭素年代測定法により、較正年代で27000年前頃になることが明かされています。4号人骨は仰向けに手足を強く折り曲げた屈葬の姿勢をとっており、白保竿根田原洞穴遺跡は更新世では最大級の規模の墓域で、風葬が採用されていたのではないか、と指摘されています。

 人骨と共伴した石器は発見されておらず、2体の上顎の歯がきょくたんにすり減っていたことから、歯が道具として利用されていた可能性が指摘されています。また、1体の頭蓋骨では両耳の部分が瘤状に変形しており、日常的に海に潜っていたのではないか、と推測されています。日本列島で発見された更新世の人骨はたいへん少なく、骨の保存に適した土壌の沖縄県に集中しています。同じく沖縄県で発見された更新世の人骨(湊川人)との比較では、白保竿根田原洞穴遺跡の4号人骨の方が、かなり身長が高いと指摘されています。
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歴史は妄想であってはならない(「聖徳太子」表記をめぐる議論)

2017/03/20 00:00
 これは3月20日分の記事として掲載しておきます。新学習指導要領案で、「聖徳太子」について、小学校では「聖徳太子(厩戸王)」、中学校では「厩戸王(聖徳太子)」と表記が変更になる件は、抗議する団体がいたり、国会でも取り上げられたりするなど、一部?で話題になったようです。このブログでも4年前(2013年)に、高校日本史教科書での「聖徳太子」表記の問題を取り上げたことがあります(関連記事)。表題の記事では、「後世、聖徳太子と呼ばれている人物は、生きていた当時はそんな名ではなく、厩戸王だった。だから、歴史教科書では、いわば両論併記で厩戸王(聖徳太子)と書くように変更しようとしたわけです」と指摘されています。

 これが「リベラル派」やアンチ「ネトウヨ」派の一般的な認識かどうかは分かりませんが、「厩戸王」も不適切だということは、『聖徳太子 実像と伝説の間』(関連記事)の著者である石井公成氏がブログでも指摘しています。現時点の知見では、「厩戸王」は江戸時代後期まで見られない表記ですが、「聖徳太子」は8世紀半ば頃成立の『懐風藻』に見えます。さらに、『日本書紀』には「聖徳太子」という名称そのものはありませんが、「敏達紀(巻廿)」には「東宮聖徳」、「推古紀(巻廿二)」には「上宮太子」とあるので、『日本書紀』成立の頃には、「聖徳太子」という表記が用いられる要素は出そろっていた、と言えそうです。

 確かに、『日本書紀』では、後世の作文ではないかと疑われている十七条憲法は聖徳太子の作と明示されているのにたいして、準同時代史料の『隋書』で確認のとれる冠位十二階や遣隋使については聖徳太子の関与が明示されていないことなど、通俗的に漠然と思い描かれてきた聖徳太子像を見直す必要はあるでしょう。しかし、だからといって、「厩戸王」が「正しい表記」で、「聖徳太子」は「後世の造語」だ、という見解は妥当ではないでしょう。

 ただ、「聖徳太子」よりも「厩戸王」の方がまだしも妥当な表記だ、との見解にも一定以上の説得力があるかもしれません。通説とまでは言えないかもしれませんが、7世紀初頭のヤマト政権には後世の皇太子制のようなものはなかった、との見解が有力だと思われるからです。その意味で、太子という表記は適切とは言えないかもしれません。もっとも、これもすでに多くの人が指摘しているでしょうが、それならば、「欽明天皇」や「推古天皇」のような表記も問題視されるべきではあるでしょう(天皇号の成立については、天武朝説が有力ではあるものの、それよりも前との説も根強くあるようです)。

 ただ、『隋書』によると、当時の倭国には太子が存在したことになっています。これが中華王朝の知識層の常識(皇帝や王などの君主がいるならば太子もいるだろう)による誤認なのか、当時すでに後の皇太子制に類似したものがあったのか、門外漢には判断の難しいところです。おそらく当時の王(大王)は、群臣・王族の有力者の力関係に基づく協議により、(多くの場合は)複数の有力候補者の中から選ばれたのではないか、と思います。

 まとまりのない記事になってしまいましたが、元服・出家・還俗など人生の節目に新たな名を名乗ることの多かった前近代の日本の人物を、義務教育の水準において「当時の(正しい)名前」で表記することに拘るのにあまり意味があるとも思えないので、「聖徳太子」から「厩戸王」に表記を変更したり、両者を併記したりする必要はなく、「聖徳太子」のままでよいのではないか、と思います。その意味で、「北条政子」や「日野富子」もとくに表記を改める必要はない、と考えています。ついでに述べると、北条政子や日野富子を具体例に、日本における夫婦同姓は西洋の物真似にすぎず、100年ていどの歴史しかない「創られた伝統」だ、との見解にも問題が多いと思います(関連記事)。まあこんなことを言うと、「リベラル派」から嘲笑・罵倒されそうですが。
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美川圭『日本史リブレット人021 後三条天皇 中世の基礎を築いた君主』

2016/11/27 00:00
 これは11月27日分の記事として掲載しておきます。山川出版社から2016年9月に刊行されました。本書は、後三条天皇(尊仁親王)の出自についてやや詳しく解説しています。一般には、後三条天皇は宇多天皇以来久しぶりに藤原氏を外戚としない天皇でとされています。しかし、後三条天皇の母である禎子内親王(陽明門院)の母方祖父は藤原道長ですし、後三条天皇の父である後朱雀天皇の母方祖父も藤原道長です。そのため、摂関家はいぜんとして後三条天皇の外戚だった、との見解も提示されているようです。

 しかし本書は、醍醐天皇から後冷泉天皇までの約170年間、歴代の天皇の母が藤原氏(摂関の家系)だったなか、後三条天皇の母が皇女だったことは大きな変化であり、藤原頼通が後三条天皇の即位を執拗に阻止しようとしたこともその傍証になるとして、外戚とは母方祖父もしくはそれに準ずる母方オジまでに限定される、という通説が妥当だ、と指摘しています。また、三条天皇の娘である禎子内親王は、男子を望んでいた藤原道長にとって好ましくない存在であり、そのことを禎子内親王も早くから認識していただろう、ということも指摘されています。

 藤原頼通の妨害を受けながらも尊仁親王が即位できた理由として、道長の息子たちの間の対立が指摘されています。道長の息子たちでは、源倫子を母とする者と、源明子を母とする者がいますが、摂関に就任できた前者の頼通や教通と比較して、後者の頼宗・能信たちは冷遇されています(とはいえ、貴族社会においては高位にあるわけですが)。頼宗・能信たちが尊仁親王を強く支持したことで、尊仁親王は即位することができました。藤原氏恒例の兄弟争いが後三条天皇を生んだ、というわけです。しかし本書は、後三条天皇がもはや外戚となる可能性の低い教通を引き続き関白として、外戚となる可能性のある能長(頼宗の子で能信の養子)を関白としなかったことから、後三条天皇が摂関家との距離を置こうとしていた、と指摘しています。

 後三条天皇の治世で有名な荘園整理令と記録荘園券契所の設置(あくまで臨時的組織ですが)については、荘園存廃の最終的判断を下すのは天皇となり、天皇(王家)の求心力を高めるとともに、荘園制が公認され、中世社会の基盤になっていった、とその重要性が指摘されています。天皇の求心力が高まったことについては、天皇(王家)への所領集積の道を切り開いたことと、土地をめぐる裁判の増加にともない、裁判機構が充実していき、最終判断者たる天皇の権力が強化されていったことも指摘されています。天皇権力の強化は、荘園整理令・焼失した内裏の再興・全国共通の枡の制定・荘園と公領を問わず課される一国平均役などと関連しており、摂関家との距離を置こうとしたことと併せて、後三条天皇の諸政策が整合的なものだったことを窺わせます。

 後三条天皇の治世も含む前後の時代の東北地方の動向についても言及されており、河内源氏が大和源氏に東北地方での軍事貴族の座を脅かされそうになったものの、それを阻止することができ、やがて大和源氏の地位が大きく低下していったことが指摘されています。また、後三条天皇の御願寺についての解説から、摂関家の外戚政策が皇統の分裂を招くものであったので、摂関家を抑制した後三条天皇により、対立していた「冷泉皇統」と「円融皇統」を合流させたのだ、とする見解も提示されており、興味深いと思います。

 後三条天皇が院政開始の意図を持っていたのか、近代以降に議論されましたが、これには皇国史観も関わっていたようです(摂関政治や院政や武家政治を望ましくない変則的な政治制度とし、天皇親政を理想とします)。現在では、後三条天皇の早い(と思われる)息子の白河天皇への譲位は、白河天皇の弟である実仁親王の即位を早めることにあり、後三条天皇に院政開始の意図はなかった、との見解が通説となっているそうです。しかし本書は、院政において皇位継承権の掌握が重要であり、白河天皇も、譲位後にずっと実権を掌握できていたわけではない(関白の藤原師通と息子である堀河天皇により専権が阻止されました)として、白河天皇が譲位した1086年を白河院政成立、堀河天皇が崩御した1107年を白河院政確立とすると、譲位後の後三条上皇の時代も院政と言わねばならないだろう、とも指摘しています。

 本書は上述したような事績から、後三条天皇を、摂関政治の幕を引き、中世の基礎を築いた君主と位置づけています。後三条天皇以降、摂関が外戚となることは稀で、一時的に政治を主導することがあっても、それが長続きすることはほぼなくなりました。後三条天皇の荘園政策は王家への荘園集積をもたらし、王家の家長の政治力・経済力を飛躍的に向上させ、院政の前提条件となりました。後三条天皇の治世が画期的だったとの認識は前近代において珍しくなかったようで、もちろん、近現代の歴史学と視点が完全に一致するわけではないでしょうが、後三条天皇が歴史の転換において重要な役割を果たしたことは間違いないのでしょう。
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縄文時代の妊娠・出産回数の地域的違い

2016/11/19 00:00
 これは11月19日分の記事として掲載しておきます。2016年11月16日付読売新聞の朝刊で、縄文時代の妊娠・出産回数の地域的違いに関する研究が取り上げられました。これは、日本大松戸歯学部の五十嵐由里子・専任講師の調査によるもので、まだ予備的段階とのことです。この研究で調査対象となった人骨は、頭蓋・骨盤などから女性と確認できた208体のうち、骨の状態などを考慮して選ばれた、おおむね20歳以上と推定される190体です。その内訳は、北海道では伊達市の黄金貝塚などの12体、岩手県では一関市の蝦島貝塚の27体、福島県では新地町の三貫地貝塚の43体、愛知県田原市では吉胡貝塚の54体および伊川津貝塚の25体、岡山県では津雲貝塚の29体です。

 この研究では、骨盤を構成する仙骨と寛骨の間接面の耳状面にできる妊娠・出産痕の有無や強弱が調べられました。妊娠中や出産直後の女性はホルモンの影響で骨盤の靭帯が肥大し、出産時に壊れた軟骨の破片が嚢胞に吸収されます。その結果、肥大した靭帯や軟骨を吸収した嚢胞が寛骨に押しつけられ、耳状面に妊娠・出産痕と呼ばれる窪みや溝が刻まれます。妊娠・出産痕は妊娠・出産回数が増えると強く現れます。妊娠・出産痕は、北海道・岩手では全個体で確認されましたが、その他の地域では9割程度でした。

 また、妊娠・出産痕の状態を強弱に二分して調べたところ、最も強い割合は北海道の6割で、岩手県と福島県が約5割、愛知県は2割前後、岡山県は約1割と、北から南へ行くほど低くなりました。五十嵐氏は、北海道の縄文人は集団の安定的存続のために他地域より多産である必要があったのではないか、と推測しています。現代では、遊動的な狩猟民の出産回数が少ないことから、定住により出産回数が増えた可能性が指摘されています。また、女性は体内の脂肪の不足や授乳により排卵が起きにくくなるので、栄養状態が悪かったり、離乳食がなくて母乳を与え続けたりするような場合に妊娠・出産回数が減ることから、北海道では高タンパク質で脂肪分の多い海獣類の消費により妊娠・出産回数が多かったのではないか、と推測されています。

 歯や骨の状態からの年齢推定の結果、岩手県や福島県では若年者が多く、岡山県では高齢者がいたことも確認されています。そこから、人口を維持するため、北海道や東北地方では多産戦略が、(比較的)長寿の岡山県では出産回数を少なくする戦略が採用され、地域によって人口構造が異なっていた可能性がある、と指摘されています。ひじょうに興味深い研究ですが、報道では各人骨の年代が不明なので、地域とともに、年代による差もあるのではないか、とも思います。
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森下章司『古墳の古代史 東アジアのなかの日本』

2016/11/04 00:00
 これは11月4日分の記事として掲載しておきます。ちくま新書の一冊として、筑摩書房から2016年9月に刊行されました。本書は、墳墓の変遷という視点から、紀元前1世紀〜紀元後4世紀頃の日本列島を東アジア世界のなかに位置づけています。もっとも、日本列島とはいっても、対象となっているのは基本的に前方後円墳の築造された地域です。朝鮮半島および中華地域の墳墓の状況も詳しく取り上げられ、それらとの比較により、日本列島の墳墓・社会の特質を浮き彫りにする、というのが本書の特徴です。

 本書の基調は、紀元前1世紀〜紀元後4世紀頃の東アジア世界において、ヒトおよびモノ、さらには思想などの伝播があり、とくに中華地域から朝鮮半島や日本列島へと強い影響力が認められるものの(一方通行ではないものの、朝鮮半島から日本列島へも)、それは東アジア世界の均質化を促進したのではなく、共通要素を形成しつつも、相違・独自性も強めていった、というものです。本書はそうした要因として社会の違いを指摘しています。

 たとえば、中華地域から朝鮮半島や日本列島へと伝播した銅鏡は、日本列島においてはとくに重視され、権威の象徴となりました。本書は、日本列島において墳墓は聖域であり、現実の生活・政治といった世俗社会から切り離される傾向にあったのにたいして、中華地域や朝鮮半島では墳墓は世俗社会と強くつながっており、その延長線上にあったことが、副葬品の好みの違いや、中華地域と朝鮮半島では墳墓の造営が続いたのに、日本列島では8世紀以降に廃れてしまったことの要因ではないか、と指摘しています。

 朝鮮半島や日本列島における3世紀以降の墳墓の巨大化は、階層化や政治権力の強大化といった「内的要因」もあるにしても、中華地域の政治権力の統制が弛緩したこと(400年におよぶ漢王朝の崩壊後の、魏晋南北朝の政治的混乱期)も一因になっている、との指摘も興味深いものです。この時期、中華地域では社会の混乱を反映してか、薄葬礼などにより墳墓が衰退していきます。この時代・地域に限りませんが、ある地域から別の地域への強い影響は、単純に均質化・模倣をもたらすわけではない、ということなのでしょう。
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タイトル 日 時
森公章『人物叢書(新装版) 天智天皇』
 人物叢書の一冊として、吉川弘文館より2016年9月に刊行されました。巻末で認められているように、天智天皇(中大兄皇子)の人物像を探る手がかりは乏しいので、7世紀政治史のなかで天智天皇を位置づける、という構成になっています。これは仕方のないところでしょうし、「国内」の支配構造や「国際関係」も含めて7世紀政治史が詳しく解説されているので、もちろん、天智天皇の事績と後世(おもに奈良時代)の天智天皇にたいする評価(律令国家創始者としての顕彰は、天智天皇の娘である持統天皇・元明天皇によるところが大きかっ... ...続きを見る

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2016/10/12 00:26
佐藤長門『日本史リブレット人003 蘇我大臣家 倭王権を支えた雄族』
 これは10月8日分の記事として掲載しておきます。山川出版社より2016年5月に刊行されました。蘇我大臣家とは、大臣職を父系直系で世襲した稲目・馬子・蝦夷・入鹿の蘇我氏四代のことです。よく、この四代は蘇我本宗家と呼ばれますが、当時は父系での直系継承が確立していないので、蘇我大臣家という呼称を用いた、と本書は説明しています。もっとも、本書が指摘するように、当時はまだ氏から家が分立していたわけではありません。したがって本書は、蘇我大臣家という呼称も妥当とは言えないものの、他に適切な用語がないので、蘇... ...続きを見る

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2016/10/08 00:00
島泰三『ヒト―異端のサルの1億年』
 これは9月11日分の記事として掲載しておきます。中公新書の一冊として、中央公論新社から2016年8月に刊行されました。霊長類とその下位区分である類人猿の進化史のなかに人類の進化を位置づけているのが本書の特徴で、大規模な環境変動を重視していることとあわせて、広い視野での考察になっていると思います。私は霊長類・類人猿の進化に疎いので、この点では有益でした。しかし、類人猿の起源地はアフリカではない、との本書の見解は一般的ではないと思います。この点については、今後も調べていく必要があります。 ...続きを見る

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2016/09/11 00:00
縄文時代の人類の核DNA解析
 縄文時代の人類の核DNA解析結果を報告した研究(Kanzawa-Kiriyama et al., 2017)が報道されました。NHKでも報道されています。解説も公表されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。この研究は、福島県相馬郡新地町の三貫地貝塚の縄文時代(3000年前頃)の人類2人(男性と女性)の歯から核DNAのうち1億1500万塩基対を解析し、現代人や種区分未定のデニソワ人(Denisovan)も含む他の古代人と比較しています。これは、縄文時代の人類の核DNAの解析とし... ...続きを見る

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2016/09/03 00:17
仲田大人「日本旧石器時代の現代人的行動と交替劇」
 これは8月20日分の記事として掲載しておきます。『現代思想』2016年5月号の特集「人類の起源と進化─プレ・ヒューマンへの想像力」に掲載された論文です。本論文は、日本列島における「交替劇」を検証しています。土壌の問題もあり、日本列島では琉球諸島を除いて旧石器時代というか更新世の人骨がほとんど発見されていません。それだけに、旧石器時代の人類の活動とその意義を理解するには、考古学的記録に依拠せざるを得なくなります。本論文は、世界でも有数の高密度となる日本列島における旧石器時代の考古学的記録を用いて... ...続きを見る

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2016/08/20 00:00
五味文彦『シリーズ日本中世史1 中世社会の始まり』
 これは8月19日分の記事として掲載しておきます。岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2016年1月に刊行されました。本書の冒頭にて構成の意図が説明されていますが、宗教も含めて文化史の割合が高いのが本書の特徴です。本書は、中世社会の前提となる古代社会についても1章を割いて叙述し、その後に、院政期からおおむね足利義満の頃までを、文化を中心に叙述しています。院政期から平氏政権までは政治史もやや詳しく叙述されていますが、鎌倉幕府成立以降の政治史の叙述はかなり簡略化されています。これは、第2巻以降... ...続きを見る

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2016/08/19 00:00
白保竿根田原洞穴遺跡の十数体の人骨
 沖縄県石垣市の白保竿根田原洞穴遺跡で発見された十数体の「旧石器時代」の人骨について報道されました。白保竿根田原洞穴遺跡では日本列島でも有数の古い人骨が複数発見されており、このブログでも何度か取り上げてきました。 http://sicambre.at.webry.info/201002/article_6.html http://sicambre.at.webry.info/201003/article_13.html http://sicambre.at.webry.info/20110... ...続きを見る

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2016/07/01 00:00
三浦佑之『風土記の世界』
 これは6月3日分の記事として掲載しておきます。岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2016年4月に刊行されました。本書は風土記の入門書になっていますが、たんに風土記の成立事情や内容を取り上げるだけではなく、おもに『日本書紀』を対象として、風土記が8世紀前半の日本列島社会においてどのように位置づけられるのか、という点も重視しているのが特徴となっています。 ...続きを見る

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2016/06/03 00:00
大津透『日本古代史を学ぶ』
 これは5月24日分の記事として掲載しておきます。岩波書店より2009年2月に刊行されました。学術誌に掲載された論文やシンポジウムでの報告やジュネーヴ大学文学部日本学科での講義をまとめたもので、本書の内容を大まかに区分すると、日本古代史研究の現状の整理と課題の指摘、日本古代国家の位置づけと変容をめぐる研究史の整理および自説の提示、東アジア世界という枠組みからの古代日本史の概観、ということになるでしょう。私は日本古代史の研究史に詳しいわけではありませんが、本書では、なかなか的確に研究史が整理されて... ...続きを見る

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2016/05/24 00:00
入江曜子『古代東アジアの女帝』
 岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2016年3月に刊行されました。率直に言って、本書がなぜ岩波新書の古代史本として刊行されたのか、理解に苦しみます。いやまあ、岩波書店が本書をどのように位置づけているのか、私には正確なところは分からないのですが、カバーの広告には日本古代史本が掲載されていたので、やはり本書は古代史本という位置づけなのでしょう。 ...続きを見る

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2016/05/12 00:18
鈴木拓也『戦争の日本史3 蝦夷と東北戦争』
 これは5月6日分の記事として掲載しておきます。吉川弘文館より2008年12月に刊行されました。本書はおもに和銅2年の「征夷」から弘仁年間の「征夷」までを対象としています。おおむね、奈良時代全体と平安時代初期の日本国と蝦夷との関係を扱っている、と言えるでしょう。「征夷」とは当時の日本国にとってどのような意味があったのかということや、朝廷における「征夷」の手続きや、蝦夷とはどのような集団だったのかということや、戦いの発端・経緯・影響など、基本的な事柄が解説されているので、8世紀初頭から9世紀初頭に... ...続きを見る

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2016/05/06 00:00
吉川真司『シリーズ日本古代史3 飛鳥の都』
 これは5月3日分の記事として掲載しておきます。岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2011年4月に刊行されました。本書は、飛鳥寺の創建から大宝律令の制定までを対象としています。文献のみならず、考古学など他分野の研究成果も積極的に取り入れているのが本書の特徴です。また、飛鳥時代史を「東アジア」の観点から考察するのは、現在では当然のこととなっていますが、その対象をユーラシア東部世界にまで広げているのも本書の特徴です。近年では、本書のようにユーラシア世界を意識した日本史叙述が増えているように思... ...続きを見る

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2016/05/03 00:00
田中史生『国際交易の古代列島』
 角川選書の一冊として、角川学芸出版より2016年1月に刊行されました。本書は、紀元前の弥生時代から中世の始まる前までの、日本列島と他地域、さらには日本列島内における交易の変容を解説しています。本書は、この間の「国際交易」の変容を「国際情勢」や日本列島における政治体制の変容と関連づけて、上手く解説しているように思います。 ...続きを見る

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2016/04/17 00:00
遠藤慶太『六国史 日本書紀に始まる古代の「正史」』
 これは4月6日分の記事として掲載しておきます。中公新書の一冊として、中央公論新社から2016年2月に刊行されました。六国史とは、古代日本の「正史」たる『日本書紀(日本紀)』・『続日本紀』・『日本後紀』・『続日本後紀』・『日本文徳天皇実録』・『日本三代実録』です。本書は、この六国史について、その成立過程や編纂者や特徴などを解説するとともに、六国史の興味深い記事を取り上げています。一般書ということで、無味乾燥とした解説書にならないよう、配慮しているのでしょう。 ...続きを見る

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2016/04/06 00:00
小畑弘己『タネをまく縄文人 最新科学が覆す農耕の起源』
 これは4月3日分の記事として掲載しておきます。歴史文化ライブラリーの一冊として、吉川弘文館より2016年1月に刊行されました。縄文時代には農耕は行なわれていなかった、との見解が一般では長く浸透していましたが、近年では、縄文農耕論が一般にも少しずつ知られるようになってきたのではないか、と思います。ただ本書を読むと、農耕や栽培といった基本的な概念の定義に難しいところがある、とよく分かるので、どのような基準で農耕の開始と判断するのか、迷うところではあります。これは昔からの持論ですが、一般的に、基本的... ...続きを見る

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2016/04/03 00:00
縄文時代における暴力死亡率
 これは4月2日分の記事として掲載しておきます。縄文時代における暴力死亡率に関する研究(Nakao et al., 2016)が報道されました。日本語の簡易解説記事と詳細な解説記事もあります。この研究はオンライン版での先行公開となります。この研究は、縄文時代における暴力による死亡率を推定し、他地域と比較しています。暴力による死亡率は、戦争によるものや個別の殺人事件なども含みます。この研究が分析対象としたのは、縄文時代の遺跡242ヶ所の人骨2582点(1275人)です。この研究は、そのうち受傷人骨... ...続きを見る

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2016/04/02 00:00
海部陽介『日本人はどこから来たのか?』
 これは2月21日分の記事として掲載しておきます。文藝春秋社から2016年2月に刊行されました。本書は、昔から(おそらくは今後も長く)日本社会では関心の高い日本人起源論を取り上げています。本書の特徴は、日本社会ではありふれているとも言える日本人起源論を、現生人類(Homo sapiens)アフリカ単一起源説を前提として、現生人類のアフリカからの拡散という観点から検証していることです。日本列島とその周辺地域だけではなく、広く世界的な視野で考察されている、というわけです。 ...続きを見る

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2016/02/21 00:00
石井公成 『聖徳太子 実像と伝説の間』
 春秋社から2016年1月に刊行されました。著者はブログにて聖徳太子に関する最新の研究成果を公開しており(関連記事)、本書はそのブログ記事に基づいているところが少なくないので、その意味では意外な指摘の連続だったわけではありません。しかし、新規の内容も少なくないので、得るところが多々ありました。聖徳太子については、この十数年間、マスメディアで大きく取り上げられた「過激な」否定論が一般層にも広く浸透しているように思われますが、本書は、そうした否定論や今でも一部で見られる「信仰」のような肯定論に与する... ...続きを見る

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2016/02/03 00:46
坂上康俊『日本古代の歴史5 摂関政治と地方社会』
 これは1月17日分の記事として掲載しておきます。『日本古代の歴史』全6巻の第5巻として2015年12月に吉川弘文館より刊行されました。本書は9世紀後半から11世紀半ばまでの、いわゆる摂関政治の時代を扱っています。表題からも窺えるように、本書はこの時代の地方社会に重点を置いています。この時代、地方社会は大きく変容していき、またそれに対応して地方支配も変わっていきました。逆に、そうした地方支配の変容が地方社会をさらに変えていった、と言えるかもしれません。 ...続きを見る

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2016/01/17 00:00
中村修也『天智朝と東アジア』
 NHKブックスの一冊として、NHK出版より2015年10月に刊行されました。本書は天智朝の日本(ヤマト、倭)を東アジアの中に位置づけています。じゅうらい、白村江の戦いで日本が唐に惨敗した後、日本は唐と新羅の侵攻に備えて朝鮮式山城を築くなど防衛体制を構築していき、飛鳥から近江の大津への遷都にもそうした背景がある、と理解されてきました。白村江の戦いでの惨敗後も、日本は主体的に唐や新羅と対峙していた、というわけです。 ...続きを見る

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2016/01/13 00:00
倉本一宏『蘇我氏 古代豪族の興亡』
 これは1月6日分の記事として掲載しておきます。中公新書の一冊として、中央公論新社から2015年12月に刊行されました。本書は、蘇我氏は葛城方を地盤とした複数の集団の中から有力な集団が編成され独立して成立したのであり、記紀に見える「葛城氏」とは蘇我氏が作り上げた祖先伝承である、との見解を提示しています。この見解の前提にあるのは、日本列島において氏という政治組織が成立したのは6世紀初頭である、との歴史認識があります。蘇我氏は曽我の地を地盤とすることにより氏として成立し、葛城集団の勢力の大多数を支配... ...続きを見る

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2016/01/06 00:00
吉村武彦『蘇我氏の古代』
 岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2015年12月に刊行されました。本書はまず、古代日本における氏の成立過程を蘇我氏登場の前提として解説しています。中華地域や朝鮮半島の影響を受けて、日本列島においても6世紀前半にはウジナを有する氏族が成立します。蘇我氏はそうした歴史的状況を背景に、6世紀前半に台頭します。蘇我氏は地名をウジナとする臣姓の氏族として稲目の代に台頭し、葛城氏との姻戚関係が指摘されています。 ...続きを見る

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2016/01/03 00:00
山田康弘『つくられた縄文時代 日本文化の原像を探る』
 これは12月28日分の記事として掲載しておきます。新潮選書の一冊として、新潮社から2015年11月に刊行されました。本書は縄文時代の研究史であり、縄文時代像の変遷の背景として、各時代の思潮があったことを強調しているのが特徴です。本書は、そもそも縄文時代という時代区分が定着したのは第二次世界大戦後である、とまず指摘します。戦前には、縄文時代は弥生時代とともに石器時代として一括して区分されることが多かったようです。 ...続きを見る

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2015/12/28 00:00
NHKスペシャル『アジア巨大遺跡』第4集「縄文 奇跡の大集落」
 これは11月10日分の記事として掲載しておきます。率直に言って、縄文時代が過大評価されているのではないか、との疑問が大いに残りました。まず、1万年におよぶ縄文時代の長さが異例なものだと強調されていましたが、縄文文化を一体的なものというか、一つの枠組みとして把握するのならば、更新世にはもっと長期間「持続」した文化が多くあるのではないか、との素朴な疑問が残ります。 ...続きを見る

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2015/11/10 00:00
松本直子「縄文から弥生への文化変化」
 西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人3─ヒトと文化の交替劇』所収の論文です(関連記事)。本論文は縄文時代から弥生時代への移行の様相とその要因について検証しています。近年の一般向け書籍でも強調されているので、すでに広く知られつつあるかもしれませんが、弥生文化は縄文的要素と外来要素との融合により成立しました。本論文でもその点は強調されており、さらに、その前提として縄文時代において九州北部と朝鮮半島との間で継続的な交流があり、九州北部をはじめとして西日本側が朝鮮半島の文化要素を選択的に受容していたこと... ...続きを見る

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2015/05/17 00:00
小林謙一「縄紋土器にみる新人の文化進化」
 西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人3─ヒトと文化の交替劇』所収の論文です(関連記事)。本論文は縄文時代中期の東日本の土器の変化を検証しています。すでに著者は、この時期の縄文土器の精緻な形式編年を提示していますが、形式編年では土器の出現順序は分かるものの、その具体的な年代や継続期間は確定できません。本論文は、放射性炭素年代測定法より各形式編年の暦年代を確定していき、土器の変化の速度を具体的に検証していこうとします。 ...続きを見る

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2015/05/14 00:00
仲田大人「日本列島旧石器時代の文化進化」
 西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人3─ヒトと文化の交替劇』所収の論文です(関連記事)。本論文は日本列島における旧石器時代の技術革新を検証しています。日本列島における確実な年代の人類の痕跡は38000年前頃までさかのぼる、との見解を本論文は前提としています。それ以前の人類の痕跡についても議論されていますし、それがなかったというわけではないのですが、確かな根拠のある痕跡としては、現時点では38000年前頃以降のものしか認められない、というわけです。 ...続きを見る

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2015/05/11 00:02
戸川点『平安時代の死刑 なぜ避けられたのか』
 歴史文化ライブラリーの一冊として、吉川弘文館より2015年3月に刊行されました。平安時代には薬子の変から保元の乱までの350年近く死刑が執行されなかった、との見解は広く知られているように思います。本書は、すっかり通俗的になったとも言えるこの見解を検証していきます。まず本書は、律令制における刑罰について解説し、次に死刑が執行されないようになったとされる嵯峨朝の刑罰について検証していきます。 ...続きを見る

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2015/04/05 00:00
勝浦令子『孝謙・称徳天皇 出家しても政を行ふに豈障らず』
 ミネルヴァ日本評伝選の一冊として、ミネルヴァ書房より2014年10月に刊行されました。本書は、孝謙(称徳)天皇の誕生前の政治状況・皇位継承問題にも触れ、孝謙天皇がいかなる政治的立場で即位し、政治を運営していったのか、解説しています。即位前にもそれなりに分量が割かれており、皇太子(現時点では日本史上唯一の女性皇太子です)となった経緯や、どのような環境で育ち、どのような価値観を形成していったのか、解説されています。 ...続きを見る

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2015/03/10 00:00
倉本一宏『平安朝 皇位継承の闇』
 角川選書の一冊として、角川学芸出版より2014年12月に刊行されました。本書は、「暴虐」や「狂気」と語られる平安時代の4人の天皇(平城・陽成・冷泉・花山)について、それぞれの皇統問題と政治状況の考察から、その「狂気」の実態を解明していきます。本書は、これら4人の天皇は当時の基準からしても「狂って」いたわけではなく、その「狂気」を伝える史料は多分に政治的色彩が濃かったのであり、そこには「嫡流」ではなかったのに「嫡流」となった者(の子孫たち)による正当化がある、と指摘します。 ...続きを見る

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2015/03/01 00:00
吉村武彦『シリーズ日本古代史2 ヤマト王権』第4刷
 岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2011年1月に刊行されました。第1刷の刊行は2010年11月です。本書は、ヤマト王権の成立から6世紀末の崇峻の暗殺までを対象としますが、ヤマト王権成立の前提として、『漢書』や『三国志』に見える倭の情勢にも1章を割いて言及しています。本書は、ヤマト王権の初代の王は崇神(ミマキイリヒコイニヱ)であり、宮内庁が比定するようにその陵墓は行燈山古墳だろうから、行燈山古墳が築造されたと推定される4世紀前半にヤマト王権は成立した、との見解を提示しています。 ...続きを見る

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2014/12/23 00:06
縄文時代の寒冷化をめぐる議論
 縄文時代の寒冷化をめぐる議論について報道されました。先月(2015年11月)中旬に東京都内で開かれた公開シンポジウム「縄文文化の繁栄と衰退」にて、縄文時代後期〜晩期に寒冷化の影響があったとの明確な証拠はない、との見解が提示されたそうです。縄文時代中期末以降の寒冷化により、縄文時代後期には社会的停滞が見られた、との通説に見直しを迫る見解であり、会場でも大きな反響があったようで、注目されます。 ...続きを見る

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2014/12/17 00:00
石川日出志『シリーズ日本古代史1 農耕社会の成立』第3刷
 岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2010年12月に刊行されました。第1刷の刊行は2010年10月です。本書は、日本列島に人類が移住してきてから、弥生時代が終わって古墳時代が始まるところまでを対象としています。後期旧石器時代よりも前の日本列島における人類の痕跡については、まだ確実な証拠はないとして、存否の判断は保留されています。古墳時代は、定型的な大型前方後円墳の築造が始まってからとされています。 ...続きを見る

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2014/12/15 00:00
日本最古級の埋葬?
 沖縄県南城市のサキタリ洞遺跡で埋葬されたと考えられる人骨が発見された、と報道されました。年代は9000年以上前になりそうで、日本列島では、愛媛県の上黒岩岩陰遺跡や長野県の栃原岩陰遺跡などに匹敵する、最古級の埋葬例になるかもしれない、とのことです。人骨の性別は不明で、直径約30cm大の4個の石で頭や胸や腹などが人為的に覆われており、骨の関節がつながるなど元の位置を動いていないと考えられることから、洞穴内を墓として埋葬された可能性があるそうです。 ...続きを見る

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2014/12/13 00:00
義江明子『日本史リブレット人006 天武天皇と持統天皇 律令国家を確立した二人の君主』
 山川出版社より2014年6月に刊行されました。本書は、天武天皇と持統天皇の二代にわたって、どのように律令国家が形成されていったのか、近年の研究成果も取り入れつつ、簡潔に解説しています。分量はさほど多くなく、きわだって目新しい見解が提示されているわけではありませんが、地方行政・宗教政策・氏族再編・皇位継承・史書編纂など、国家制度が天武・持統の二代(およびその前後の時代)にわたって整備されていく様が、簡潔かつ丁寧に解説されていると思います。律令国家の形成について基本的な知識・流れを把握するうえで、... ...続きを見る

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2014/11/15 00:00
荒木敏夫『敗者の日本史4 古代日本の勝者と敗者』
 『敗者の日本史』全20巻の第4巻として、2014年9月に吉川弘文館より刊行されました。表題からは、大友皇子・藤原広嗣・藤原仲麻呂・平城上皇といった古代史の政治的敗者が個別に取り上げられているのかな、と予想していたのですが、そうではありませんでした。本書は、大伴氏の動向を5世紀〜平安時代まで概観し、古代史において勝者の藤原氏とは対照的に敗者とされる大伴氏の事例から、古代氏族について考察しようとしています。 ...続きを見る

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2014/11/02 00:00
山田康弘『老人と子供の考古学』
 歴史文化ライブラリーの一冊として、吉川弘文館より2014年7月に刊行されました。縄文時代の墓制研究から、老人と子供に着目して縄文時代の社会を一般向けに再構成しようとした意欲作です。縄文時代の墓制研究について、その基礎と方法論、さらには限界と難しさが詳しく解説されており、有益だと思います。本書の特徴は、考古学のみならず人類学・民俗学の研究成果も取り入れ、北アメリカ大陸といった日本列島以外の事例も積極的に援用して縄文時代の社会を再構成しようとしていることで、著者の視野の広さ・博学が印象に残ります。... ...続きを見る

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2014/10/23 00:00
蘇我系王族と非蘇我系王族
 天智(葛城、中大兄)以降、天皇(大王)は敏達→押坂彦人大兄(即位経験無)→舒明の父系で占められることになりました。ここで注目されるのは、蘇我氏と王族(皇族)との関係が密接だった欽明朝から飛鳥時代の人物だったのに、記録で判明している限りでは、敏達も押坂彦人大兄も舒明も蘇我氏の子孫ではなかった、ということです。一方、この時代には上宮王家のように蘇我氏の血の濃い王族集団も存在しました。 ...続きを見る

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2014/10/18 00:00
上原善広『石の虚塔』
 新潮社より2014年8月に刊行されました。本書は『新潮45』の連載記事をまとめて加筆訂正したもののようで、その最終回だけは読み、このブログで取り上げたことがあります。 http://sicambre.at.webry.info/201302/article_26.html ...続きを見る

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2014/10/04 00:00
竹岡俊樹『考古学崩壊 前期旧石器捏造事件の深層』
 勉誠出版より2014年9月に刊行されました。著者には『旧石器時代人の歴史 アフリカから日本列島へ』という著書もあり、以前このブログで取り上げました(関連記事)。著者は旧石器捏造事件の発覚前より捏造を指摘していたというか、旧石器捏造事件の発覚に重要な役割を果たし、いわば捏造発覚の起点になった研究者です。その著者が捏造発覚から十数年経過して改めて本書を執筆しようとした背景には、当事者の一人として感情を清算するのにそれだけ時間を要したということと、捏造事件を許してしまった日本の考古学界の問題点が、捏... ...続きを見る

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2014/09/28 00:00
2013年「回顧と展望」日本・古代
山中鹿次「仁徳条と履中条の断層と天皇の実在性」『信濃』65-5 ...続きを見る

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2014/08/19 00:00
2013年「回顧と展望」日本・考古学(旧石器時代〜歴史時代)
 遅くなりましたが、昨年 http://sicambre.at.webry.info/201310/article_25.html に続いて今年も、『史学雑誌』の2013年の歴史学界の「回顧と展望」の号(第123編5号)から、面白そうな著書・論文を時代・地域別にまとめておき、後で購入したり図書館などで読んだりするさいの参考にしようと思います。 ...続きを見る

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2014/08/16 00:00
中橋孝博「大陸から移動してきた人たち」『人類の移動誌』第3章「日本へ」コラム3
 印東道子編『人類の移動誌』初版第2刷(関連記事)所収のコラムです。本コラムは、縄文時代〜弥生時代の移行期における、いわゆる渡来人問題について考察しています。最初期の弥生文化の担い手については、在来の縄文人と渡来人のどちらに比重を置くのか、という議論があります。この問題を解決する手がかりとなる、縄文時代末期〜弥生時代移行期の北部九州の人骨が乏しく、縄文時代末の人骨にいたっては皆無のため、結論を下すのが難しくなっています。 ...続きを見る

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2014/07/03 00:00
高宮広土「奄美・沖縄諸島へのヒトの移動」『人類の移動誌』第3章「日本へ」第5節
 印東道子編『人類の移動誌』初版第2刷(関連記事)所収の論文です。本論文は、12世紀頃までの奄美・沖縄諸島への人類の移住について考察しています。沖縄諸島では、更新世の人骨が発見されています。更新世の沖縄諸島の人類と完新世以降の沖縄諸島の人類が連続しているのか断絶しているのか、まだ結論は出ていないようです。更新世の人骨から完新世の人骨まで1万年以上の空白期間があることが、断絶説の根拠となっています。島嶼環境への適応の難しさからも、連続説を安易に支持することはできないようです。 ...続きを見る

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2014/07/01 00:00
石田肇「北から移動してきた人たち」『人類の移動誌』第3章「日本へ」第4節
 印東道子編『人類の移動誌』初版第2刷(関連記事)所収の論文です。本論文は、形質人類学の研究成果を中心に、遺伝学的研究成果も引用し、北東アジアに起源のあるオホーツク文化集団がアイヌ民族の成立に影響を及ぼしていたことを主張しています。アイヌ民族は縄文人の形質を最も多く保存していることは間違いないにしても、単純な意味での直系子孫ではない、というわけです。また、オホーツク文化集団が海産物にかなり依存していたことも明らかになりつつあるようです。 ...続きを見る

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2014/06/27 00:00
小林青樹「縄文と弥生 日本列島を縦断する移動と交流」『人類の移動誌』第3章「日本へ」第3節
 印東道子編『人類の移動誌』初版第2刷(関連記事)所収の論文です。本論文は、弥生時代の開始について新説を採用しており、じゅうらいの年代観よりも弥生時代の開始が繰り上がることになります。そのため、弥生文化の伝播はゆっくりとしたものであり、「縄文の壁」がその前に立ちはだかった、というのが本論文の基本的な見通しとなります。この「縄文の壁」と弥生文化の伝播の在り様(本論文では「縄文の壁弥生文化伝播」と呼ばれています)は中四国や近畿や中部・東海や関東といった各地でそれぞれ異なっていたようです。 ...続きを見る

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2014/06/25 00:01
松本直子「縄文から弥生へ 農耕民の移動と新しい文化の誕生」『人類の移動誌』第3章「日本へ」第2節
 印東道子編『人類の移動誌』初版第2刷(関連記事)所収の論文です。本論文の特徴は、農耕民の移動を重視していることです。江戸時代への一般的印象から、農耕民は滅多なことでは移動しなかった、との通念が導かれることを懸念しているようです。また、農耕民と狩猟採集民との関係にさまざまな様相があり得たことを指摘しているのも本論文の特徴で、拡大する農耕文化にたいして、狩猟採集文化が吸収されてほとんど痕跡を残さないことも、狩猟採集社会がある程度以上の規模であるため、農耕文化の伝播が停止したり、狩猟採集社会の側が農... ...続きを見る

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2014/06/24 00:00
海部陽介「港川人の来た道」『人類の移動誌』第3章「日本へ」第1節
 印東道子編『人類の移動誌』初版第2刷(関連記事)所収の論文です。本論文は、港川人の特徴、その起源、港川人と縄文人との関係について、研究史を整理しています。日本列島全体では更新世の人骨は少ないのですが、琉球列島ではそれなりの数の人骨が発見されています。それらは断片的ではあるものの、その形態的特徴から、すべて現生人類(ホモ=サピエンス)に分類される、と本論文は指摘しています。 ...続きを見る

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2014/06/19 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第50号「弥生時代 稲作の伝来と普及の謎」
 この第50号は紀元前1500年頃〜紀元1世紀頃までを対象としています。時代区分については議論のあるところですが、おおむね、縄文時代後期の後半〜弥生時代中期末もしくは後期の前半あたりまでが対象になっている、と言えるでしょう。この第50号の特徴は、縄文時代〜弥生時代への移行における連続性と、水田稲作の導入にさいしての「縄文人」の主体性を強調しているところです。「弥生系渡来人」が一方的に水田稲作を導入し、「縄文人」を圧倒していったのではなく、相互交流のなかで、縄文社会の蓄積を前提として、選択的に水田... ...続きを見る

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2014/06/18 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第49号「旧石器・縄文 日本人はどこから来たか」
 この第49号は、更新世後期のいわゆる後期旧石器時代以降(40000〜36000年前頃以降)から縄文時代までを対象としています。日本列島の後期旧石器時代以降の住人は現生人類(ホモ=サピエンス)のみとの見解が有力です。いわゆる旧石器捏造事件の発覚直前には、日本列島にも中期旧石器時代以前が存在するとの見解が有力になりつつありましたが、発覚以降は、わずかな遺跡のみが中期旧石器時代以前のものか否か議論になっているという状況で、日本列島にも確実に中期旧石器時代以前が確認される、との共通認識は存在しません。... ...続きを見る

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2014/06/12 00:00
『岩波講座 日本歴史  第2巻 古代2』
 本書は『岩波講座 日本歴史』全22巻(岩波書店)の第2巻で、2014年3月に刊行されました。すでに『第6巻 中世1』(関連記事)・『第1巻 原始・古代1』(関連記事)をこのブログで取り上げました。各論文について詳しく備忘録的に述べていき、単独の記事にしようとすると、私の見識・能力ではかなり時間を要しそうなので、これまでと同じく、各論文について短い感想を述べて、1巻を1記事にまとめることにしました。 ...続きを見る

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2014/06/08 00:00
『岩波講座 日本歴史  第1巻 原始・古代1』
 本書は『岩波講座 日本歴史』全22巻(岩波書店)の第1巻で、2013年11月に刊行されました。すでに『第6巻 中世1』(関連記事)をこのブログで取り上げました。各論文について詳しく備忘録的に述べていき、単独の記事にしようとすると、私の見識・能力ではかなり時間を要しそうなので、『第6巻 中世1』と同じく、各論文について短い感想を述べて、1巻を1記事にまとめることにしました。ただ、佐藤宏之「日本列島の成立と狩猟採集の社会」は古人類学に関わる論文なので、別に単独で取り上げました(関連記事)。 ...続きを見る

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2014/06/01 00:00
佐藤宏之「日本列島の成立と狩猟採集の社会」
 2013年11月に刊行された『岩波講座 日本歴史  第1巻 原始・古代1』(岩波書店)所収の論文です(P27〜62)。本論文の特徴は、地理・自然環境を重視していることです。本論文は、日本列島の考古学的時代区分ではおおむね縄文時代早期以降となる完新世以降も扱っていますが、更新世の比重の方が高くなっています。安定した気候の完新世とは異なり、更新世の気候は変動が激しく、現在とはかなり異なっていました。そのため、更新世の日本列島の地形(気温により海水面が上下するため)・植物相・動物相は、現在の日本列島... ...続きを見る

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2014/05/29 00:00
今正秀『敗者の日本史3 摂関政治と菅原道真』
 『敗者の日本史』全20巻の第3巻として、2013年10月に吉川弘文館より刊行されました。地方支配を中心に国家統治の在り様の大きく変わった9〜10世紀について、「勝者」たる揺籃期の摂関政治と絡めつつ、敗者たる菅原道真を中心に描き出した一冊になっています。ただ本書は、道真と摂関政治というか基経・時平に代表される藤原氏北家とを対立的に把握しているわけではありません。つまり、門閥貴族による政治ではなく文人政治を構想した道真が藤原氏の政治力に敗れ去った、という歴史認識は妥当ではない、というわけです。また... ...続きを見る

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2014/05/04 00:00
廣瀬憲雄『古代日本外交史』
 まだ日付は変わっていないのですが、4月21日分の記事として2本掲載しておきます(その二)。講談社選書メチエの一冊として、講談社より2014年2月に刊行されました。本書はまず、古代日本外交の研究の学説史を整理します。冊封体制論は中華王朝と周辺王朝との君臣関係から導き出されたことに起因する問題点を抱えている、と本書は認識しています。そこで本書は、近年の日本史・東洋史の研究動向を踏まえ、中華王朝と周辺王朝の君臣関係に限定されない「国際関係」史を検証・考察します。 ...続きを見る

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2014/04/21 00:00
遠山美都男『天武天皇の企て 壬申の乱で解く日本書紀』
 角川選書の一冊として、角川学芸出版より2014年2月に刊行されました。遠山氏の著書をこれまでに10冊以上読んできましたが、その中には壬申の乱を主題としたり壬申の乱に言及したりしたものもあります。本書の基本的な認識・理解は、遠山氏がこれまでにそうした著書などで提示したものと変わっていない、とのことです。じっさい、『日本書紀』において、中国的な王朝交替の枠組みが組み込まれたとか、天智天皇(中大兄皇子、葛城皇子)の位置づけの変更から蘇我氏逆臣(王朝簒奪)説が構想された、とかいった見解は、遠山氏の以前... ...続きを見る

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2014/04/04 00:00
佐々木恵介『日本古代の歴史4 平安京の時代』
 まだ日付は変わっていないのですが、2月23日分の記事として掲載しておきます。『日本古代の歴史』全6巻の第4巻として2014年1月に吉川弘文館より刊行されました。本書は、8世紀後半の長岡京への遷都から、菅原道真が失脚した10世紀初頭の昌泰の変までを扱っています。あとがきにて「本シリーズの企画段階では、高校生にもわかるようになるべく平易な内容とし、かつ高校日本史の教科書に記されたことには、原則としてすべて言及するという方針があった」と述べられていますが、本書はその方針をかなりの程度実現できた、手堅... ...続きを見る

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2014/02/23 00:00
西宮秀紀『日本古代の歴史3 奈良の都と天平文化』
 『日本古代の歴史』全6巻の第3巻として2013年11月に吉川弘文館より刊行されました。本書が対象としている時代は、文武天皇の即位から長岡京への遷都までの90年弱です。奈良時代を語るにあたって大宝律令の制定は欠かせない、という意図もあるのかもしれません。また、『続日本紀』が文武天皇の元年から始まるので、区切りがよいということなのかもしれません。 ...続きを見る

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2014/02/18 00:00
雄略天皇は実在したと言えるのか
 まだ日付は変わっていないのですが、12月22日分の記事として掲載しておきます。この記事では便宜的に、天皇という称号が用いられていないだろう時代の君主についても天皇と表記し、漢風諡号を用い、西暦は厳密な換算ではなく、1年単位で換算します。以前、神武天皇の実在について雑感を述べた時、神武天皇が実在しないという見解が実証されたとは言えない、と述べました(関連記事)。その時、実在は確実とされる雄略天皇は、果たして本当に実在したと言ってよいのだろうか、との疑問を述べました。 ...続きを見る

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2013/12/22 00:00
篠川賢『日本古代の歴史2 飛鳥と古代国家』
 まだ日付は変わっていないのですが、12月7日分の記事として掲載しておきます。『日本古代の歴史』全6巻の第2巻として2013年9月に吉川弘文館より刊行されました。本書は継体の即位から平城京遷都の直前までを扱っています。あとがきにて「本シリーズは、一般読者がわかりやすい叙述とすること、政治史を基軸としながらも、政治・経済・社会・文化すべての分野にわたってまんべんなく取りあげること、高校の教科書に収載されている用語について解説すること、などを方針とした通史である」と述べられていますが、本書はその方針... ...続きを見る

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2013/12/07 00:00
仲田大人「日本列島で交替劇は起きたか?」
 まだ日付は変わっていないのですが、12月3日分の記事として掲載しておきます。西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人─旧石器考古学からみた交替劇』所収の報告です(関連記事)。琉球諸島以外の日本列島では更新世の人骨がほとんど発見されておらず、確実な「原人」や「旧人」の人骨は全く発見されていません。したがって、石器群とその担い手との関係を示す直接的証拠は皆無と言ってよく、「交替劇」の考察は考古学、なかでも石器研究に大きく依拠することになります。幸い、日本列島では更新世の石器が多数発見されており、旧石器遺... ...続きを見る

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2013/12/03 00:00
遠山美都男『敗者の日本史1 大化改新と蘇我氏』
 まだ日付は変わっていないのですが、11月29日分の記事として2本掲載しておきます(その二)。『敗者の日本史』全20巻の第1巻として、2013年11月に吉川弘文館より刊行されました。このブログでは以下のように何度か遠山氏の著書を取り上げてきました。 ...続きを見る

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2013/11/29 00:00
高松康『朱鳥翔けよ』
 まだ日付は変わっていないのですが、10月26日分の記事として掲載しておきます。幻冬舎ルネッサンスより2013年9月に刊行されました。アマゾンのお勧めで興味を持って調べたところ、出版社の紹介文と目次を読んで面白そうだと思ったので、購入して読んでみました。 http://www.gentosha-r.com/products/9784779009976/ ...続きを見る

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2013/10/26 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第16号「平安時代4 摂関政治の絶頂と転機」
 まだ日付は変わっていないのですが、10月9日分の記事として掲載しておきます。この第16号は藤原道長の摂政就任から藤原頼通の死去までを対象としており、いわゆる摂関政治の全盛期とその終焉を扱っています。頼通の晩年には、後三条天皇が即位し、譲位して半年後に崩御するのですが、この第16号は後三条天皇についてほとんど言及していません。後三条朝の政治は次号で取り上げられるということなのかもしれません。この第16号の基調は、摂関政治の全盛期〜末期だった11世紀の第1四半期〜第3四半期を、中世の胎動期として位... ...続きを見る

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2013/10/09 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第15号「平安時代3 天皇と貴族の24時間365日」
 この第15号は、承平・天慶の乱〜藤原道長の摂政就任までを対象としており、天皇でいうと朱雀朝から三条朝までということになります。この時期に摂関政治は確立していきます。この第15号は、当時の貴族による政治および地方支配の在り様について、前代からの変容という視点も盛り込みつつ解説しています。 ...続きを見る

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2013/10/02 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第14号「平安時代2 平安仏教と王権の変容」
 これは9月28日分の記事として掲載しておきます。この第14号は主に淳和朝〜醍醐朝の頃までを扱っていますが、平将門と藤原純友の乱についても少し言及されています。この第14号の基調は、この時期に王権・国家および王権と仏教との関わりが変容していった、というものです。もちろん、両者は別個の事象ではなく、相互に関連したものであることも指摘されています。 ...続きを見る

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2013/09/28 00:00
2012年「回顧と展望」日本・古代
 まだ日付は変わっていないのですが、9月25日分の記事として掲載しておきます。 ...続きを見る

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2013/09/25 00:00
2012年「回顧と展望」日本・考古学(旧石器時代〜歴史時代)
 遅くなりましたが、昨年 http://sicambre.at.webry.info/201209/article_15.html に続いて今年も、『史学雑誌』の2012年の歴史学界の「回顧と展望」の号(第122編5号)から、面白そうな著書・論文を時代・地域別にまとめておき、後で購入したり図書館などで読んだりするさいの参考にしようと思います。 ...続きを見る

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2013/09/23 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第13号「平安時代1 平安遷都の構想力」
 この第13号は桓武朝から嵯峨朝までを対象としていますが、おもに桓武朝が取り上げられています。都が平城京から長岡京を経て平安京へと移ったこの時代を画期と考えている人は多いでしょうが、この第13号も、桓武の個性に焦点を当てて時代の変容を描いています。桓武・嵯峨朝に天皇の在り様が唐風化していったことは、20世紀末以降に刊行された一般向け通史でも指摘されることが多いと私は認識していますが、この第13号でもそうした視点が強調されています。 ...続きを見る

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2013/09/19 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第12号「奈良時代2 女帝と「怪僧」の時代」
 これは9月13日分の記事として掲載しておきます。この第12号はおもに孝謙・称徳朝を中心に取り上げており(その間に淳仁朝がありますが)、奈良時代後半を対象としています。表題にある通り、取り上げられている人物としては孝謙(称徳)天皇と道鏡とが中心になりますが、藤原仲麻呂についての記述も多めです。称徳天皇と道鏡というと、やはり宇佐八幡宮神託事件についての関心が一般にはもっとも高いのでしょうが、この第12号では、その問題について一般の読者層に受けやすそうな明快な「解答」が提示されているわけではなく、や... ...続きを見る

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2013/09/13 00:00
坂上康俊『シリーズ日本古代史4 平城京の時代』
 まだ日付は変わっていないのですが、9月11日分の記事として掲載しておきます。岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2011年5月に刊行されました。岩波新書の『シリーズ日本古代史』は全6巻で構成されており、これまでさほど読みたいとは思わなかったので、本書が初めて読んだ一冊になるのですが、たまたま古書店で見かけて安いので購入して読んでみたところ、なかなか面白かったので、今後古書店で他の巻を見かけたら購入する予定です。本書は奈良時代の大半を対象としていますが、教科書的な時代区分とは異なり、文武天... ...続きを見る

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2013/09/11 00:00
大海人には即位の資格がなかったのか
 この記事では、(治天下)大王という表記は用いず、天皇という表記で統一することにします。また、王族ではなく皇族という表記で統一します。『日本書紀』において、大海人皇子(天武天皇)は天智朝において皇太子(東宮)に立てられたと記載されているのですが、大海人皇子には本来天皇に即位する資格がなかったのではないか、との見解は、たとえば遠山美都男氏が『日本書紀の虚構と史実』 http://sicambre.at.webry.info/201209/article_26.html や『天智と持統』 ht... ...続きを見る

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2013/09/10 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第11号「奈良時代1 聖武天皇と大仏造立」
 この第11号は平城京遷都から聖武上皇崩御あたりまでを対象としています。平城京の下級官人や庶民の様相についてもやや詳しく述べられているところが、一般向け歴史書でよく見られる物語的な政治史に慣れている読者にとっては「新発見」になるでしょうか。この第11号では、平城京の下級官人や庶民がたくましく生きぬいていた様が、木簡などから描かれています。また、宮城や寺院など大規模な建築の相次いだ奈良時代は、大規模建築にあたって造営工程や施行方法を見直して単純労働者による工事を増やす傾向が見られ、職人技の時代から... ...続きを見る

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2013/09/04 00:00
カタカナの起源は朝鮮半島にあったか
 まだ日付は変わっていないのですが、9月3日分の記事として掲載しておきます。表題の記事がNHKのサイトに掲載され、話題になっているようですが、この記事だけではどうも根拠がよく分からず、疑問が残ります。まず、「横に添えられた読みがなとみられる文字」を新羅の言語と判断したのが妥当なのか、疑問です。新羅の言語は、隣接する百済の言語と比較したらずっと解明されているのでしょうが、文献が限定されているので、たとえば同時代の日本列島の言語と比較すると、不明なところがはるかに多いでしょう。もっとも、新羅や日本列... ...続きを見る

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2013/09/03 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第10号「飛鳥時代2 飛鳥・藤原京の理想と現実」
 この第10号は乙巳の変から大宝律令の制定あたりまでという、おおむね飛鳥時代の後半を対象としています。大化改新否定論が、近年の考古学的成果により見直されており、『日本書紀』に見える改新詔に『日本書紀』編纂時の潤色はあるにしても、孝徳朝からある程度は改革が進められていた可能性が高いことや、藤原京の規模が以前の推定よりも大きく、平城京・平安京以上の面積だったことが発掘により明らかになったことや、中国で天聖令が発見されたことにより、日本と唐との令の比較が大きく進展したことなどが紹介されており、「新発見... ...続きを見る

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2013/08/30 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第9号「古墳時代2 ヤマト王権誕生の実態」
 この第9号は4世紀から6世紀後半までを対象としており、ヤマト王権が成立して拡大していく時期となります。日本列島のこの時代、とくに4世紀は、(準)同時代の文字記録がほとんどないため、昔から謎の4世紀とも言われています。5世紀になると、鉄剣銘文や『宋書』もあるのですが、それでも文字記録の少ない時代であることは否定できません。そのため、この第9号も考古学の研究成果にかなり依拠した構成になっています。また、朝鮮半島と現在の中華人民共和国領の当時の情勢の中で、日本列島の動向を位置づけていく、という近年で... ...続きを見る

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2013/08/21 00:00
水谷千秋『継体天皇と朝鮮半島の謎』
 文春新書の一冊として、文藝春秋社より2013年7月に刊行されました。異例の経緯で即位し、「新王朝」の祖と考えている人も少なくないだろう継体について、数少ない文献と、考古学の研究成果および当時の朝鮮半島情勢とを総合し、謎を解明しようとする意欲的な新書になっています。文献から継体の実像を探るには限界があるので、考古学的成果を活用するのは当然とも言えますが、本書では、近年の考古学的成果が大きく取り入れられており、かなり考古学の比重が高くなっています。多くの研究者が真の継体陵と考えている今城塚古墳につ... ...続きを見る

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2013/08/20 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第8号「古墳時代1 邪馬台国と卑弥呼の謎」
 この第8号は卑弥呼のいた頃を中心に、弥生時代後半から古墳時代初めの移行期を対象としています。気候変動に着目して、世界史規模での考察を志向しているのがこの第8号の特色となっています。邪馬台国所在地論争は現代日本社会でもとくに人気の高そうな歴史の問題でしょうが、この第8号では、近年の研究成果が反映されており、基本的には邪馬台国大和説が妥当だとされています。ただ、研究者ではない日本人の間ではまだ根強いように思われる九州説にも配慮しているということなのか、九州説の研究者の論考も掲載されています。 ... ...続きを見る

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2013/08/08 00:00
木下正史『日本古代の歴史1 倭国のなりたち』
 まだ日付は変わっていないのですが、7月28日分の記事として掲載しておきます。『日本古代の歴史』全6巻の第1巻として2013年7月に吉川弘文館より刊行されました。『日本古代の歴史』の編纂意図は、第1巻〜第5巻までは政治史を軸にした時系列の通史とし、第6巻は古代全体の時代像を示す、とのことです。第5巻は『王朝貴族と国風文化』とのことで、院政期の前までを対象とするようです。院政期からが中世というのが現在の有力な時代区分でしょうから、妥当なところでしょうか。この第1巻は、日本列島に人類が移住してきた更... ...続きを見る

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2013/07/28 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第3号「飛鳥時代1 蘇我氏と大王家の挑戦」
 まだ日付は変わっていないのですが、7月6日分の記事として掲載しておきます。この第3号は6世紀後半から乙巳の変までを対象としており、聖徳太子について多く触れられているのが特徴となっています。聖徳太子虚構説が一般向け書籍で主張されてから十数年が経過し、この間にテレビ番組でも度々取り上げられていますから、今では少なからぬ日本人が聖徳太子虚構説を知っているでしょうし、古代史のなかでもとくに関心の高い問題でしょうから、聖徳太子を中心とした構成になっているのも当然かもしれません。年代順を無視して第3号と早... ...続きを見る

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2013/07/06 00:00
倉本一宏『藤原道長の日常生活』
 これは5月13日分の記事として掲載しておきます。講談社現代新書の一冊として、講談社より2013年3月に刊行されました。本書は、藤原道長の日記『御堂関白記』・藤原実資の日記『小右記』・藤原行成の日記『権記』を丁寧に読み解き、道長の日常生活・言動・公的立場・個性・世界観を明らかにしています。もちろん本書は、道長だけではなく、当時の朝廷の政務・儀式の在り様や、朝廷上層部の人々の公的および私的活動・世界観にも言及しており、摂関政治最盛期の朝廷の様相を詳しく描き出しています。当時の朝廷を非専門家が知るう... ...続きを見る

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2013/05/13 00:00
愛国先生の新平安時代論
 これは5月9日分の記事として掲載しておきます。愛国先生については、以前その平安時代論 http://sinnnoaikokuhosyu.seesaa.net/article/171695409.html をこのブログで取り上げたことがありますが、 http://sicambre.at.webry.info/201101/article_13.html 最近、愛国先生が新たな平安時代論を「愛国を考えるブログ」で公表していたことに気づきました。 http://sinnnoaikokuho... ...続きを見る

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2013/05/09 00:00
瀧浪貞子『敗者の日本史2 奈良朝の政変と道鏡』
 まだ日付は変わっていないのですが、5月4日分の記事として掲載しておきます。『敗者の日本史』全20巻の第2巻として、2013年3月に吉川弘文館より刊行されました。『敗者の日本史』は20巻構成で、すでに半数近く刊行されているのですが、本書を最初に購入して読み終えました。まだ本書しか読んでいないのですが、たいへん面白そうな構成になっているので、できれば全巻購入して読もう、と考えています。 http://www.yoshikawa-k.co.jp/news/n4704.html ...続きを見る

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2013/05/04 00:00
聖徳太子は実在せず? 高校日本史教科書に「疑う」記述
 まだ日付は変わっていないのですが、3月30日分の記事として掲載しておきます。先日、朝日新聞に表題の記事が掲載され、なかなかの話題になったようです。大山誠一氏の聖徳太子非実在説を想起させるような見出しでありながら、紹介されているコラムでは、大山氏が聖徳太子非実在説を主張する前に指摘されていた見解が取り上げられており、見出しに問題があるように思います。この見出しを読んで思うのは、大山氏の聖徳太子非実在説がすでに日本の主要メディアにかなり浸透しているのだろう、ということで、地上波で放送されている『世... ...続きを見る

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2013/03/30 00:00
遠山美都男『聖徳太子の「謎」』
 宝島社より2013年2月に刊行されました。書店で歴史本として分類されているもののなかには、聖徳太子を通説では別人とされている人物と実は同一だったと主張するものがあり、聖徳太子と同一とされる人物は、蘇我馬子・蘇我入鹿・突厥の王などさまざまです。また、聖徳太子は妻と心中したので、その死後に法隆寺で怨霊として祀られることになった、といった聖徳太子怨霊説もそうした歴史本で主張されることがあります。そうした「妄想」は、日本古代史の研究者たちが無視している間に現代日本人の間に浸透している、との危機感から、... ...続きを見る

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2013/03/01 05:17
荒木敏夫『古代天皇家の婚姻戦略』
 まだ日付は変わっていないのですが、2月20日分の記事として掲載しておきます。歴史文化ライブラリーの一冊として、吉川弘文館より2013年1月に刊行されました。本書が扱うのは、古代日本(倭国)の王族(皇族)の婚姻についてです。本書で指摘される古代日本の王族の婚姻の特徴は、閉鎖的だということです。日本古代史に関心のある人ならば、古代日本の王族では近親婚が盛行したことをよく知っているでしょう。本書では、近親婚の盛行は、女性王族の婚姻規制(王族以外の男性との婚姻の禁止)や、ハプスブルク家および漢・唐・新... ...続きを見る

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2013/02/20 00:00
森公章『古代豪族と武士の誕生』
 まだ日付は変わっていないのですが、1月20日分の記事として掲載しておきます。歴史文化ライブラリーの一冊として、吉川弘文館より2013年1月に刊行されました。本書は4世紀以前にも少し触れていますが、5世紀を起点として中央との関係を軸にしつつ、文献だけではなく考古学的成果も活用して古代豪族の動向を描き出し、鎌倉時代への展望も最後に提示されます。中央と地方という視点が所与の前提になっていることで見落とされるものがあるのではないか、という疑問もありますが、著者の意図している「教科書的書物」としての役割... ...続きを見る

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2013/01/20 00:00
遠山美都男『日本書紀の虚構と史実』
 まだ日付は変わっていないのですが、9月26日分の記事として掲載しておきます。歴史新書の一冊として洋泉社より2012年8月に刊行されました。このブログでも過去に何度か遠山氏の著書を取り上げてきましたが、 http://sicambre.at.webry.info/200803/article_25.html http://sicambre.at.webry.info/200901/article_22.html http://sicambre.at.webry.info/201206/ar... ...続きを見る

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2012/09/26 00:00
2011年「回顧と展望」日本・古代
 まだ日付は変わっていないのですが、8月28日分の記事として掲載しておきます。 ...続きを見る

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2012/08/28 00:00
2011年「回顧と展望」日本・考古学(旧石器時代〜歴史時代)
 まだ日付は変わっていないのですが、8月25日分の記事として掲載しておきます。昨年 http://sicambre.at.webry.info/201109/article_8.html に続いて今年も、『史学雑誌』の2011年の歴史学界の「回顧と展望」の号(第121編5号)から、面白そうな著書・論文を時代・地域別にまとめておき、後で購入したり図書館などで読んだりするさいの参考にしようと思います。 ...続きを見る

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2012/08/25 00:00
遠山美都男『天智と持統』
 講談社現代新書の一冊として、講談社より2010年11月に刊行されました。遠山氏の著書の多くは読みやすく面白いのですが、厳密さという点では疑問の残ることが多く、 http://sicambre.at.webry.info/200901/article_22.html 注意して読む必要があるでしょう。本書も、こうした過去の遠山氏の著書と同じ傾向にあるのですが、もう10年以上勉強の停滞している日本古代史について、新たに得た知見もあったので、一読の価値はあったと思います。 ...続きを見る

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2012/06/26 00:00
渡邉義浩『魏志倭人伝の謎を解く』
 中公新書の一冊として、中央公論新社から2012年5月に刊行されました。副題は「三国志から見る邪馬台国」です。三国志と邪馬台国論争は、現代日本社会においてとくに人気の高い歴史分野なのですが、邪馬台国論争はまさに三国時代のことで、邪馬台国は三国で最大の勢力を誇った魏と密接な関係を有していたというのに、一般の歴史愛好者層では両者が密接に関連しているという印象はあまりなく、それぞれ個別に盛り上がっている感があります。 ...続きを見る

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2012/06/10 00:00
氣賀澤保規編『遣隋使がみた風景−東アジアからの新視点−』
 八木書店より2012年2月に刊行されました。倭と隋との関係について、東アジアという枠組みから考察するという、現代日本ではすっかり浸透した視点による論文集なのですが、複数の分野の研究者が加わっているということもあり、陳腐な印象は受けませんでした。図版もなかなか豊富ですし、巻末には、『隋書』や『日本書紀』といった遣隋使関連の史料が採録されており、新聞記者によるコラムも掲載されていますから、一般の読者にも配慮した内容と言えるでしょう。また、450ページにも及ぶ大部の書でありながら、価格は税込み399... ...続きを見る

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2012/06/05 00:06
原田実『つくられる古代史』
 新人物往来社より2011年7月に刊行されました。邪馬台国関連の遺跡や旧石器捏造事件や『東日流外三郡誌』問題や飛鳥時代の遺跡や聖徳太子実在論争など、具体的に取り上げられている歴史的事象・遺跡は多岐にわたっているのですが、遺跡そのものの学術的価値よりも、現代人の利益・利権という観点から遺跡の保存の有無が決まってしまう現状と、後世の人間の価値観・利害などから古代史が「造られる」ことへの警鐘が一貫した主題となっているので、雑多とかまとまりがないとかいった印象は受けませんでした。 ...続きを見る

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2012/05/26 04:18
森公章『日本史リブレット人002 倭の五王』
 山川出版社より2010年4月に刊行されました。邪馬台国論争ほどではないにしても、倭の五王についても一般の関心はなかなか高そうで、それは、おもに人物比定という謎解きの側面に集中しているように思います。本書でも、『宋書』に見える倭の五王が、「国内史料」たる『日本書紀』に見えるどの人物に相当するのか、ということにも触れられていますが、それは主な論点にはなっておらず、「国内史料」・「海外史料」・考古学的研究成果に基づき、該当期の前代も踏まえての「国内情勢」・「国際情勢」が堅実に検証・解説されています。... ...続きを見る

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2012/05/11 04:19
藤尾慎一郎『〈新〉弥生時代 500年早かった水田稲作』
 歴史文化ライブラリーの一冊として、吉川弘文館より2011年10月に刊行されました。国立歴史民俗博物館により、弥生時代の始まりがじゅうらい考えられていたよりも500年さかのぼる、との見解が公表されたのは2003年のことで、もう10年近く前のことになります。当時報道機関で大きく取り上げられたように、ひじょうに衝撃的な発表だったことは間違いないのですが、それだけにこの見解にたいする批判は根強くあるようで、今でも通説としての地位を確立したとは言えず、依然として議論が続いているように思います。 ...続きを見る

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2012/04/04 05:19
神武の実在をめぐる議論(2)
 先日このブログにて、神武の実在をめぐる議論について取り上げましたが、 http://sicambre.at.webry.info/201202/article_8.html この記事でも述べたように、この議論の元となった産経新聞の記事 http://sankei.jp.msn.com/life/news/120204/art12020408240002-n1.htm にたいしては批判・嘲笑が目立ちますし、じっさい、この産経新聞の記事は、神武の実在が確かだとまったく立証できておらず、こん... ...続きを見る

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2012/02/19 00:00
神武の実在をめぐる議論
 産経新聞の「消えた偉人・物語」という随筆枠に、「神武天皇 古代史学の進展で実在確かに」という記事が掲載され、いかにも産経新聞らしい古代史の記事ということで、さっそく少なからぬ人々が嘲笑しています。「共産趣味者」という造語があるそうですが、産経新聞にも「産経趣味者」とでも言うべき愛好者が少なからずいるのかもしれません。それはともかくとして神武についてですが、どの雑誌だったか忘れたものの、講演会で神武や崇神は実在したのかという話になると盛り上がる、という趣旨のことをある古代史研究者が述べていたこと... ...続きを見る

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2012/02/08 00:00
都出比呂志『古代国家はいつ成立したか』(岩波書店)
 岩波新書(赤版)の一冊として、2011年8月に刊行されました。前方後円墳体制論の提唱者として有名な著者は、本書でも、さまざまな考古学的知見を取り入れつつ、自説を補強しています。けっきょくのところ、国家成立の問題は、国家をいかに定義するかによるので、最終的には、価値観の相違が重要になってくるのだろう、とは思います。とはいえ、考古学や文献史学などの研究成果を踏まえつつ、より整合的で時代・地域の対象を広げるような国家成立論をめざして見解の応酬が続くのは、有意義なことではあると思います。 ...続きを見る

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2011/09/30 06:24
小路田泰直『邪馬台国と「鉄の道」』
 歴史新書の一冊として、洋泉社から2011年4月に刊行されました。小路田氏の著書では、邪馬台国論争を手掛かりとして、近代日本におけるナショナリズムと歴史認識の問題を論じた『「邪馬台国」と日本人』が面白く、自サイトで取り上げたことがありました。 http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/read003.htm ...続きを見る

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2011/09/23 00:00
2010年「回顧と展望」日本・古代
廣瀬憲雄「倭国・日本史と東部ユーラシア」『歴史学研究』872 ...続きを見る

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2011/07/31 00:00
2010年「回顧と展望」日本・考古学(旧石器時代〜歴史時代)
 昨年 http://sicambre.at.webry.info/201010/article_6.html に続いて今年も、『史学雑誌』の2010年の歴史学界の「回顧と展望」の号(第120編5号)から、面白そうな著書・論文を時代・地域別にまとめておき、後で購入したり図書館などで読んだりするさいの参考にしようと思います。 ...続きを見る

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2011/07/28 04:51
佐々木恵介『天皇の歴史03 天皇と摂政・関白』
 『天皇の歴史』全10巻の第3巻として、2011年2月に講談社より刊行されました。本書が対象とするのは9世紀半ば〜11世紀半ばで、いわゆる摂関政治の時代を扱っています。この時代の天皇の存在感が前代までと比較して薄いのではないか、と多くの人が考えているでしょうが、本書でも指摘されているように、それは、誰が天皇になっても摂政や関白や蔵人所などが天皇の権能を過不足なく行使できる体制が整えられた時代ということでもあり、天皇が制度化された、ということでもあるのでしょう。その意味で、天皇という枠組みが安定し... ...続きを見る

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2011/03/01 00:00
吉川真司『天皇の歴史02 聖武天皇と仏都平城京』
 『天皇の歴史』全10巻の第2巻として、2011年1月に講談社より刊行されました。いわゆる奈良時代を中心としつつも、天智朝末や平安時代初期と、その前後の時代も扱われています。藤原京・平城京・長岡京・平安京など、都城の構造からもそれぞれの時代の政権の構造が考察されており、なかなか興味深いと思います。表題にあるように、平城京を仏都として把握するのが本書の中心的な視点で、それは、長岡京、さらには平安京の遷都後も変わらなかった、とされています。 ...続きを見る

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2011/02/22 06:30
愛国先生の平安時代論
 「愛国を考えるブログ」という、トンデモ愛好家の人々の間で有名なブログがあり、その管理人は愛国先生とも呼ばれています。 http://sinnnoaikokuhosyu.seesaa.net/ ...続きを見る

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2011/01/13 00:00
大津透『天皇の歴史01 神話から歴史へ』
 『天皇の歴史』全10巻の第1巻として、2010年11月に講談社より刊行されました。この書名は、明らかに、40年以上前の中公版『日本の歴史』の第1巻を意識したものでしょう。井上光貞『日本の歴史1 神話から歴史へ』は、シリーズものの歴史書としては異例の売れ行きだったそうです。この『天皇の歴史』は、第1巻〜第8巻までが時代順の通史的役割を担い、第9巻と第10巻は、通史ではまとまった叙述の難しい、宗教・芸能と天皇との関係が取り上げられます。毎日新聞では、著者へのインタビュー記事も掲載されています。 ... ...続きを見る

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2010/12/21 00:00
大田皇女の墓発見?
 斉明天皇(当時、天皇という称号が用いられていたか、定かではありませんが、ここでは皇女・皇后という表記とともに便宜的に用いることにします)の墓と確実視されている、7世紀後半とされている奈良県明日香村の牽牛子塚古墳の約20メートル南東で、新たに棺を納める別の石室が見つかり、明日香村教育委員会が昨日、この石室周囲を地名から「越塚御門古墳」と名付けた、と発表したことが報道されました。石室の位置関係などが、斉明天皇の墓の前に斉明天皇の孫娘(天智天皇の娘)である大田皇女が葬られたとする『日本書紀』の記述と... ...続きを見る

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2010/12/10 00:00
足立倫行『激変!日本古代史』
 朝日新書の一冊として、朝日新聞社より2010年1月に刊行されました。著者はノンフィクション作家で、著者自身の見解を提示するのではなく、専門家の見解を取材しまとめています。邪馬台国論争を中心に、聖徳太子・大化改新・伊勢神宮など、一般にも関心の高い問題が取り上げられています。本書の特徴は、著者が現地に赴いて取材していることで、このような手法は珍しくありませんが、現地で研究者にしっかりと取材しているところは、新書としてはなかなかよいと思います。 ...続きを見る

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2010/11/07 00:00
川尻秋生編『歴史と古典 将門記を読む』
 吉川弘文館より2009年2月に刊行されました。「将門記を読む」と題されていますが、『将門記』についての詳細な研究だけではなく、武器についての研究なども含む、総合的な平将門研究を一般向けに紹介した一冊となっています。平将門の乱は舞台が坂東ということで、ほぼ同時期の藤原純友の乱とは対照的に、一般には陸上の視点からとらえられているかもしれませんが、本書では、近年の研究成果も踏まえて、将門の乱の背景として、水上交通が重要な役割を果たしていただろうということと、それと整合的な研究として、この時期が温暖だ... ...続きを見る

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2010/11/03 00:00
最近の聖徳太子研究
 聖徳太子については、大山誠一氏の非実在説が一般にもかなり浸透しているようで、大手マスコミのなかには、大山説が通説として学界で認められている、というような社説を掲載した新聞社さえあります。 http://sicambre.at.webry.info/200802/article_15.html ...続きを見る

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2010/11/02 00:00
広瀬和雄『前方後円墳の世界』
 岩波新書の一冊として、岩波書店より2010年8月に刊行されました。前方後円墳が築造された350年(この年代は、一部の古代史愛好家にとっては長すぎるということになるのでしょうが)ほどの時代の政治・社会が、各地の前方後円墳の大きさ・副葬品・立地・年代などから推測されています。全体的に、大和への求心力・大和の中心性を強調する見解になっており、九州王朝説派など一部の古代史愛好家にとっては、大和中心史観・皇国史観として糾弾すべき見解になっている、と言えるでしょう。 ...続きを見る

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2010/10/03 00:00
天武の年齢が不明なのは異常なことなのか
 この問題について調べたのはずいぶんと昔のことで、 http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/032.htm 『日本書紀』の諸本について詳しく調べたわけではないので、間違いがあるかもしれず、お気づきの方にご教示いただければ幸いですが、過疎ブログなので、そもそも読者数がひじょうに少ないわけですから、これは私の自分勝手な願望と言うべきかもしれません。それはともかくとして、兄天智と弟天武という同父同母の兄弟関係を疑う説においてよく指摘されるのが、『日本書紀』において天... ...続きを見る

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2010/09/30 00:00
小林敏男『日本国号の歴史』
 歴史文化ライブラリーの一冊として、吉川弘文館より2010年8月に刊行されました。本書では、網野善彦氏に代表される、日本国号の画期性を強調し、日本国号制定以前には「日本人」はいなかった、というような見解は、呼称の変化に本質(実体)を見る観念的言説だとして退けられ、自称としてのヤマトの連続性を強調する見解が提示されています。日本という表記は、倭に代わる国号として7世紀後半〜8世紀初頭に定められましたが、倭にせよ日本にせよ、中華の地の諸王朝や朝鮮半島諸国向けの対外的なもので、日本列島(の大部分を覆う... ...続きを見る

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2010/09/03 00:00
2009年「回顧と展望」日本・古代
佐藤長門『日本古代王権の構造と展開』(吉川弘文館) ...続きを見る

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2010/08/07 00:00
2009年「回顧と展望」日本・考古学(旧石器時代〜歴史時代)
 昨年に続いて今年も、『史学雑誌』の2009年の歴史学界の「回顧と展望」の号(第119編5号)から、面白そうな著書・論文を時代・地域別にまとめておき、後で購入したり図書館などで読んだりするさいの参考にしようと思います。 ...続きを見る

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2010/08/04 00:00
室谷克実『日韓がタブーにする半島の歴史』
 新潮新書の一冊として、新潮社から2010年4月に刊行されました。近年量産されている嫌韓本とは水準がことなり、古代の日本列島と朝鮮半島の関係について真剣に検証されているとの評判を聞いたので、勉強の停滞している日本古代史についての勉強になるかと思い、購入してみました。しかし、読み始めてすぐに、いきなり九州王朝説に好意的な見解が提示され、脱力してしまいました。これは本書の後半になっても変わらず、著者は九州王朝説のほうが通説よりずっと説得力がある、と考えているようです。このような著者の古代史についての... ...続きを見る

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2010/05/12 00:00
大山誠一『天孫降臨の夢 藤原不比等のプロジェクト』
 NHKブックスの一冊として、日本放送出版協会より2009年11月に刊行されました。書店で目次とカバーの概要を読んだとき、聖徳太子架空人物説で有名な大山誠一氏も、ついに一線を超えてしまい、「古代史解明本」や「古代史真相本」を自信満々に世に問いかける「在野の研究者の世界」へと踏み入ってしまったのか、と嫌な予感がしたのですが、聖徳太子架空人物説について新たな見解を知ることができるかな、と思って読んでみました。残念ながら、嫌な予感は半ば以上的中したと言えるかもしれませんが、本書で提示された「過激な」見... ...続きを見る

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2010/02/27 07:00
早川万年『壬申の乱を読み解く』(2009年)
 歴史文化ライブラリーの1冊として、吉川弘文館より刊行されました。壬申の乱についての近年の研究成果を把握しておきたいと思い、倉本一宏『戦争の日本史2 壬申の乱』 http://sicambre.at.webry.info/201001/article_5.html の直後に読みました。 ...続きを見る

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2010/01/06 00:00
倉本一宏『戦争の日本史2 壬申の乱』第3刷
 吉川弘文館より2007年2月に刊行されました。第1刷の刊行は2007年2月です。壬申の乱についての近年の研究成果を把握しておきたいと思い、読んでみました。本書は、壬申の乱の詳細な様相を時系列に留意して地図を用いつつ説明し、研究史についてもこれまでの問題点を簡潔にまとめており、一般向けの壬申の乱についての本としては親切な構成になっている、と思います。この詳細な叙述だけでも、今後長く壬申の乱についての一般向け概説書として読まれるだけの価値があるでしょう。 ...続きを見る

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2010/01/05 06:39
小沢幹事長の韓国での発言
 民主党の小沢幹事長が、訪問先の韓国で、「韓半島南部の権力者が日本の国家を樹立した」と語った、と報道されました。 http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=123895&servcode=A00  どのような話の流れでこの発言がなされたのか、不明なのですが、この発言をそのまま受け取り、「日本の国家」をいわゆるヤマト王権や律令国家だと解釈すると、朝鮮半島南部の権力者が日本国の樹立したことを証明するような考古学的証拠も文献もないわけで... ...続きを見る

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2009/12/15 00:00
纏向遺跡で3世紀前半の大型建物跡発見
 奈良県桜井市の纏向遺跡で、3世紀前半と推定される大型建物跡が発見された、と報道されました。 http://www.asahi.com/culture/update/1110/OSK200911100082.html ...続きを見る

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2009/11/11 00:00
野口実『伝説の将軍藤原秀郷』第2刷
 吉川弘文館より2007年に刊行されました。第1刷の刊行は2001年です。著者は武士見直し論者の一人で、武士の在り様、とくに起源をめぐる論争において、藤原秀郷はじゅうような位置を占めています。私も十数年前より武士見直し論に興味をもっており、それは本書を読んだ動機の一つになっているのですが、直接の動機は、最近見始めた『風と雲と虹と』の時代背景、さらには登場人物の一人である藤原秀郷をより詳しく知りたい、と思ったからです。そもそも、『風と雲と虹と』を見ようと思った根本的な動機は、露口茂氏が藤原秀郷(田... ...続きを見る

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2009/10/22 00:00
2008年「回顧と展望」日本・古代
「特集/古代国家論の新展開」『歴史評論』693 ...続きを見る

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2009/10/13 00:00
2008年「回顧と展望」日本・考古学(旧石器時代〜歴史時代)
佐藤宏之編『環日本海北部地域の後期更新世における人類生態系の構造変動』(総合地球環境学研) ...続きを見る

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2009/10/08 00:01
川尻秋生『戦争の日本史4 平将門の乱』第3刷
 吉川弘文館より2009年4月に刊行されました。第1刷の刊行は2007年4月です。この『戦争の日本史』全23巻は、企画編集委員の一人が小和田哲男氏で、その小和田氏執筆の巻(15巻『秀吉の天下統一戦争』)が最初期に刊行されたことで、これまで避けていたのですが、小和田氏以外の執筆の巻には期待できそうなので、今後は面白そうな巻、とくに古代史の巻を読んでいこう、と考えています。本書を最初に選んだのは、大河ドラマ『風と雲と虹と』を視聴するにあたって、 http://sicambre.at.webry.i... ...続きを見る

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2009/09/11 00:00
古代史研究者の若井敏明氏
 著作・論文等を読んだことはまったくないのですが、古代史研究者の若井敏明氏が気になります。若井氏は関西の私立大学の講師のようです。 http://oc-academy.com/rekisi/kodaisi.html ...続きを見る

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2009/07/04 00:00
田中史生『越境の古代史』
 ちくま新書の一冊として筑摩書房より2009年に刊行されました。弥生時代〜10世紀にかけての、アジア東部における広域的な「交流」の様相を、日本列島を中心として多面的に描き出そうとした意欲作だと思います。ただ、王権の交流に限定されない多面的な交流を描き出そうとする意欲はよいのですが、考古学的成果よりも文献のほうに圧倒的に比重が置かれていることもあり、とくに6世紀以前の交流については、著者の意図がじゅうぶんに実現されたとは言えないように思います。とはいえ、日本と新羅とのネットワークが強い影響を及ぼし... ...続きを見る

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2009/05/14 06:21
天智の娘と天武の婚姻関係について
 天武が天智と両親を同じくする弟であることは、常識といってよいでしょうが、戦後になって、じつは天武が天智よりも年上なのではないか、天武と天智の父は違うのではないか、両者はそもそも兄弟関係になかったのではないか、といった異説が提唱されるようになりました。こうした異説への私見を9年前に述べたことがあります。 http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/032.htm ...続きを見る

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2009/04/15 00:00
溝口睦子『アマテラスの誕生―古代王権の源流を探る』(岩波書店)
 岩波新書(赤版)の一冊として、2009年に刊行されました。本書の論証には疑問の残る箇所もあるのですが、新書という性格上仕方のないところもあり、本書でもたびたび述べられているように、詳細な論証は著者による他の著作を読むしかないのでしょう。 ...続きを見る

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2009/02/07 00:01
遠山美都男『蘇我氏四代の冤罪を晴らす』
 学研新書の一冊として、学習研究社より2008年に刊行されました。蘇我氏断罪史観と、それにたいする反発から主張されている見解の一部を、『日本書記』を中心とした史料の検証により見直していこうとする一冊です。蘇我氏断罪史観は、さすがに戦後になって克服されたのかと私は考えていたのですが、皇国史観に浸っているというわけではなさそうな人が、数年前にある掲示板で大真面目に蘇我氏断罪史観を主張していたのを見ると、今でも根強いのかもしれません。その意味では、本書の意義は小さくないのかな、とも思います。 ...続きを見る

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2009/01/22 04:54
7世紀後半の木簡に『万葉集』の歌が記されていたことが判明
 7世紀後半のものと推測される木簡に『万葉集』の歌が記されていたことが判明した、と報道されました。この木簡は奈良県明日香村の石神遺跡で発見され、近くで出土した別の木簡に「己卯年」と記されており、これが679年のことと考えられるため、7世紀後半のものと推定されました。 ...続きを見る

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2008/10/18 00:00
遠山美都男「天武天皇殯宮の‘事’」
 「日本史のことば」を特集した『日本歴史』第704号(2007年1月号)の中の一論考です。『日本書紀』の天武天皇の葬送儀礼の記事に見える「諸王の事」・「宮内の事」・「左右大舎人の事」・「大政官の事」などの「事」とは何を意味するのか、ということが論じられています。これまでは、「こと」・「ことがら」とみなされてきましたが、「つかえる」という意味ではなかろうか、ということがこの論考では主張されていて、そうすると、たとえば「大政官の事」とは「大政官の仕へまつれる状」と解釈されます。 ...続きを見る

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2008/10/08 06:42
中田興吉『「大王」の誕生』(学生社、2008年)
 日本における大王の誕生について、考古学と文献の両方から考察されています。こうした問題が論じられる場合、普通は弥生時代中期以降が対象となるのですが、本書では、縄文時代をも視野に入れた見解が提示されています。本書では、大王号は敬称ではなく称号だとし、その根拠として朝鮮半島の事例が紹介されているのですが、この問題についてはさらなる検証が必要だと思われます。 ...続きを見る

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2008/09/05 05:30
東野治之『遣唐使』(岩波書店、2007年)
 『史学雑誌』恒例の「回顧と展望」の今年の号(第117編第5号「2007年の歴史学界」)で、「古代史像の見直しを迫るもの」であり、「開かれた日本」論に疑問が呈されている、と紹介されていたので(日本古代、P679)、気になって読んでみました。遣唐使の具体的様相と意義について包括的に述べられており、参照文献も示され、索引もあるので、良書と言ってよいだろうと思います。本書において興味深いと思った見解は、以下のようなものです。 ...続きを見る

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2008/08/01 04:47
久米邦武「鎌倉時代の武士道」
 今年1月15日分の記事で、橋昌明『平清盛 福原の夢』を取り上げましたが、その橋氏の代表的著作である『武士の成立 武士像の創出』(東京大学出版会1999年)では、冒頭で原勝郎『日本中世史』と久米邦武「鎌倉時代の武士道」の武士論が対照的なものとして取り上げられ、本論への導入部となっています。 ...続きを見る

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2008/04/11 00:00
川尻秋生『日本の歴史第4巻 揺れ動く貴族社会』(2008年3月刊行)
 小学館『日本の歴史』4冊目の刊行となります。災害・地方政治の在り様・各地の戦乱・宗教の変容・貴族の生活・外交など、幅広く取り扱われています。その分、個々の事象について深く掘り下げられていないとの感想もあるとは思いますが、概説書としてはこれでよいのではないでしょうか。 ...続きを見る

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2008/04/01 00:00
日本における中華意識の形成
 倭国における対外交渉の変遷を、中華意識および大宰府の形成と関連させて論じた研究(川本芳昭「倭国における対外交渉の変遷について」)があります。律令国家の外交の一端も担った大宰府の淵源を、『三国志』に見える一大率に求める見解がありますが、この研究では、一大率は外交機関というよりも、むしろ卑弥呼・倭国の側からの国内的要因のもとに設置されていたのであり、倭国の中心地としてかつて対中外交を担っていたという権威のある伊都国や、それを核として再結集する可能性のある国内諸国を監視することがその本質だった、とさ... ...続きを見る

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2008/03/10 00:08
神野志隆光『複数の「古代」』
 講談社現代新書の一冊として、講談社より2007年10月に刊行されました。著者の専攻は日本古代文学で、本書においては、古代日本には『古事記』・『日本書紀』など複数の歴史があったとされ、おもに『古事記』と『日本書紀』との歴史の語りかたの違いが論じられています。 ...続きを見る

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2008/03/10 00:05
遠山美都男『古代の皇位継承 天武系皇統は実在したか』
 歴史文化ライブラリーの一冊として、吉川弘文館より2007年11月に刊行されました。天智と天武の関係については、7年以上前に私見を述べたことがあります。その後、天智系と天武系という区分は当時(飛鳥時代後期〜奈良時代)存在したのだろうか、そうした区分をはじめてはっきりと意識したのは桓武だったのではなかろうか、との疑問が生じました。しかし、日本中世史や古人類学のほうに関心が移ったこともあり、この疑問は放置したままにしていました。そのため、書店で本書を見かけたとき、以前からの疑問を解決する手がかりにな... ...続きを見る

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2008/03/06 00:03
鐘江宏之『日本の歴史第3巻 律令国家と万葉びと』(2008年2月刊行)
 小学館『日本の歴史』3冊目の刊行となります。本書は、このような通史ものとしては珍しく、政治史の記述がきわめて少ないのが特徴となっています。このような全集ものの通史でも、たとえば第2巻『日本の原像』のような主題別の巻ならば、このような構成でもよいでしょうし、巻末にてこのような構成とした理由が述べられてはいますが、通常の巻でこのような構成になっていることには、やや疑問が残ります。 ...続きを見る

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2008/03/05 00:01
遣隋使をめぐる『隋書』と『日本書記』の相違について
 ちょっと検索していたら、たまたま興味深い研究(川本芳昭「隋書倭国伝と日本書紀推古紀の記述をめぐって」)を見つけたので、私見を交えつつ、この研究について見ていきます。このときの検索で知ったのですが、日本の人文・社会科学においては、私が想像していたよりもずっと電子化が進んでいるようで、自宅にいながらにして部外者が容易に論文を読めるとは、まことによい時代になったものです。ただ、印刷物からスキャンした画像をそのままPDFファイルにしているようなので、本文から引用するさいにコピペができないのが難点ですが... ...続きを見る

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2008/03/04 00:00
中日新聞社説で取り上げられた聖徳太子非実在説
 「書き換わる聖徳太子像 週のはじめに考える」という題の中日新聞2月10日付社説では、聖徳太子非実在説が取り上げられています。聖徳太子非実在説の代表的論者である、大山誠一中部大学教授の見解に依拠した社説なのですが、はたして大山説に代表される聖徳太子非実在説は、本当にこの社説で述べられているように、決定的と言えるのでしょうか? ...続きを見る

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2008/02/12 00:00
平川南『日本の歴史第2巻 日本の原像』(2008年1月刊行)
 小学館『日本の歴史』2冊目の刊行となります。「新視点・古代史、稲作や特産物から探る古代社会の実像」とのことで、2000年代の講談社版『日本の歴史』の「**史の論点」の巻と似た役割を担うことになるのでしょう。本書の特徴は、各地の発掘成果が多数紹介され、そこから日本史像が構成されていることで、中央からの視点・中央の動向に偏らない叙述となっていて、なかなか興味深い一冊となっています。 ...続きを見る

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2008/02/06 00:00
松木武彦『日本の歴史第1巻 列島創世記』(2007年11月刊行)
 いよいよ、小学館から『日本の歴史』全16巻の刊行が始まりました。じっさいに読んでみての感想ですが、文字が大きくて読みやすいのはよいと思います。また文章についても、この第1巻は、できるだけ分かりやすいようにという配慮がなされており、なかなか読みやすくなっています。第2巻以降も期待できそうです。 ...続きを見る

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2007/11/16 00:00
門脇禎二氏死去
 著名な日本古代史研究者である門脇禎二氏が12日に亡くなったとのことです。 http://www.asahi.com/obituaries/update/0612/OSK200706120066.html ...続きを見る

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2007/06/14 00:00
堀敏一氏死去
 著名な東洋史家の堀敏一氏が、5月29日に82歳で亡くなったとの報道がありました。 http://www.asahi.com/obituaries/update/0530/TKY200705300376.html ...続きを見る

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2007/06/01 00:00
縄文時代の推定平均寿命の妥当性をめぐる議論
 昨日、縄文時代の平均寿命についての一文を掲載しましたが、 http://sicambre.at.webry.info/200701/article_10.html この一文を執筆するきっかけは、最近ある掲示板にて、縄文時代の平均寿命は30歳だというA氏の投稿があったので、15歳以下ではないかと指摘したところ、そんなことで人類集団を維持できるわけがなく、15歳説など読むに値しないと反論されたので、それにたいして私が試みた批判を整理してまとめてみよう、と思ったからです。A氏としたのは、以下の文... ...続きを見る

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2007/01/11 19:39
縄文時代の平均寿命について
 まずは定義についてですが、平均寿命とは0歳時の平均余命のことです。たとえば、X歳時の平均余命をY年とすると、X歳時の平均死亡年齢は(X+Y)歳となり、X=0のときのY歳が平均寿命となります。 ...続きを見る

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2007/01/10 19:00
富の源泉としてのアトランティスと邪馬台国
 『イリヤッド』では欧州文明の源流と言われているアトランティスですが、今回は、『イリヤッド』を離れて、アトランティスについて少し雑感を述べようと思います。  欧米社会におけるアトランティスへの関心は今でも強いようで、さまざまな本が刊行されたり、新説が提示されたりしています。アマチュアだけではなく、アカデミズムの側からの発言もあります。今でも、古そうな遺跡(に見えるもの)が発見されると、アトランティスとの関連が取りざたされます。欧米社会において、アトランティスは、まさに金のなる木なのです。今年も... ...続きを見る

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2006/10/17 19:06
合理的信仰の発達
 たまには歴史の話を、ということで、信仰における合理主義の発達についてちょっと述べてみようと思います。  ここでまず問題となるのが、合理的とはどういうことなのかということですが、現代人の多数からみて、筋道だって説明可能になっていること、という意味合いと定義しておきます。  合理的信仰の発達とはいっても、世界各地で様相が異なるでしょうが、今回は日本について述べていくことにします。 ...続きを見る

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2006/08/04 20:50

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