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気候変動と暴力的紛争の関連性を示す証拠の偏り

2018/03/23 06:08
 気候変動と暴力的紛争の関連性を示す証拠の偏りに関する研究(Adams et al., 2018)が公表されました。この研究は、気候変動と紛争の関連性に関する査読論文を分析し、文献に最も多く登場する国々は紛争関連死者数の多い国々であるという傾向を明らかにしました。これに対して、気候変動のリスクに最もさらされている国々、または気候変動のリスクの最も多い国々は、そうした研究で重点的に取り扱われていないか、紛争との関連性の研究が全く行われていませんでした。さらに、気候変動と紛争の関連性についての研究は、英語が公用語になっている利便性の高い旧イギリス領の国々で行われる傾向も認められました。

 気候変動は、最近の暴力的紛争の一部(たとえばシリア騒乱)を説明するために援用されてきました。しかし、この研究では、個別の事例で気候変動が紛争の原因だと断定できる場合であっても、文献にサンプリングバイアスがあることは、暴力的紛争の一般化可能性とその根底にある駆動要因のいずれも解明できていないことを意味しており、暴力を気候条件と環境条件から分離するための政策的介入に対する情報提供という点で、既存の研究の有用性が低下していることが明らかになりました。

 この研究については、気候関連紛争が起こる可能性の高い社会経済的条件と政治的条件を理解する能力と、気候と紛争の関連性のリスクを軽減するための政策的介入への情報提供という2点で、きわめて大きな意味を持っている、と指摘されています。まず、気候変動に対する身体的曝露ではなく紛争の発生率についてサンプリングを行なっているということは、気候変動が暴力を引き起こす可能性のある具体的な社会的・経済的・政治的状況に関する研究者たちの結論が、我々の期待に達していないことを意味しています。次に、気候と紛争の関連性がおもに代表例ではない背景で研究されている、つまり、研究しやすい旧イギリス領の国々で行なわれるのであれば、研究結果を基に気候と紛争の関連性一般を推論する能力が制限されます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


気候変動と暴力的紛争の関連性を示す証拠には偏りがある

 気候変動と暴力的紛争に関する研究文献に示された両者の関連性は誇張だとし、その理由として、過去に暴力的紛争があった利便性の高い地域で研究が行われる傾向があることを挙げた論文が、今週掲載される。

 Tobias Ideたちの研究グループは、気候変動と紛争の関連性に関する査読論文を分析し、文献に最も多く登場する国々は紛争関連死者数の多い国々であるという傾向を明らかにした。これに対して、気候変動のリスクに最もさらされている国々、または気候変動のリスクの最も多い国々は、そうした研究で重点的に取り扱われていないか、紛争との関連性の研究が全く行われていなかった。さらに、気候変動と紛争の関連性についての研究は、英語が公用語になっている利便性の高い旧英国領の国々で行われる傾向も認められた。

 気候変動は、最近の暴力的紛争の一部(例えば、シリア騒乱)を説明するために援用されてきた。しかし、今回の研究では、個別の事例で気候変動が紛争の原因だと断定できる場合であっても文献にサンプリングバイアスがあるということは、暴力的紛争の一般化可能性とその根底にある駆動要因のいずれも解明できていないことを意味しており、暴力を気候条件と環境条件から分離するための政策的介入に対する情報提供という点で、既存の研究の有用性が低下していることが明らかになった。

 同時掲載されるNews & Views論文で、Cullen Hendrixは次のように述べている。「これらの知見は、気候関連紛争が起こる可能性の高い社会経済的条件と政治的条件を理解する能力と、気候と紛争の関連性のリスクを軽減するための政策的介入への情報提供、という2つの点で極めて大きな意味を持っている。第1に、気候変動に対する身体的曝露ではなく紛争の発生率についてサンプリングを行っているということは、気候変動が暴力を引き起こす可能性のある具体的な社会的、経済的、政治的状況に関する研究者たちの結論が、我々の期待に達していないことを意味している。(中略)第2に、気候と紛争の関連性が主に代表例ではない背景で研究されているのなら、つまり、研究しやすい旧英国領の国々で行われるのであれば、研究結果を基に気候と紛争の関連性一般を推論する能力が制限される」。



参考文献:
Adams C. et al.(2018): Sampling bias in climate–conflict research. Nature Climate Change, 8, 200–203.
http://dx.doi.org/10.1038/s41558-018-0068-2
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渡邉美樹参院議員には「人として大切なものが欠落している」のか

2018/03/20 00:01
 これは3月20日分の記事として掲載しておきます。表題は最近私のネット環境ではよく見かける人の発言で、「正直言って渡辺美樹氏は議員として以前に、人として大切なものが欠落しているとしか思えないのです。そして彼を公聴会で質疑させた自民党に対しても、同じようにしか思えないのです」とのことです。これまでのさまざまな報道からは、渡邉美樹氏が他者への共感を欠いているように思われますが、実のところ私も、強く確信しているとまでは言わないとしても、そうしたところが多分にあるのは多分間違いないだろう、と考えています。

 その意味で、渡邉氏には「人として大切なものが欠落している」と言っても大過ないのかもしれませんが、こうした発言は妥当なのだろうか、と疑問に思ってしまいます。仮に渡邉氏に他者への共感が多分に欠けているとして、それは(ネットで得た情報だけんので確定的とは言えませんが)若い頃の本人の責任ではない苦労が原因となっていたり、生得的なものであったりする可能性も想定されます。ルールを内面化できていなかったり、他者に共感できなかったりする人々(しばしば「サイコパス」と呼ばれます)は現代社会において一定の割合で存在し、それはかなりのところ生得的ではないか、と思います。

 そうした生得的な性質にたいして、「人として大切なものが欠落している」と言ってしまってよいのか、私は今では躊躇します。もちろん、生得的だから認められねばならない、と言ってしまうと自然主義的誤謬で(関連記事)、快楽殺人さえ擁護されかねないなどといった危険性はあるのですが、生得的な性質への少なくともある程度以上の配慮や尊重のない社会は本当に恐ろしいと思います。その意味で、他者への共感が多分に欠けているような人物にたいして、「人として大切なものが欠落している」と公言してしまうことには大いに疑問が残ります。

 権力勾配や非対称性などを持ち出して、実業家として成功した国会議員なのだから、その程度の発言は当然許容されるべきだ、との見解もあるかもしれません。しかし、強者と弱者という構造は全体的には堅牢だとしても、個人単位で見ていけば案外脆いものであり、安易に個人を必要以上に叩くことには疑問が残ります。それはやがて、社会を殺伐とさせて、自分や自分が支持する個人・組織に跳ね返ってくることも充分考えられます。戦間期ドイツにおけるナチスの台頭も、敵対的な勢力への過激な発言や暴力が横行し、それらを容認してしまった社会風潮に一因があると思います。まあ、こんなことを言うと、「トーンポリシング」だと批判されそうですが。ただ、渡邉氏のような人物にたいして、つい「人として大切なものが欠落している」と言ってしまうのも普遍的心理であり、正直なところ私も、自分と直接的な関わりがあれば、自分を抑えられるか、確信を持てません。

 人類史において、フリーライダー的な性向を抑制する社会選択が強力に作用し続けてきたのに、ルールを内面化できていなかったり、しばしば「サイコパス」と呼ばれるような、他者に共感できなかったりする人々が現代社会において一定の割合で存在するのは、一見すると不可解です。しかし、人間の発達した認知能力により、ルールを内面化できていなかったり、他者に共感できなかったりする人々も、ルールや他者への共感が社会で果たす重要な役割を理解できるので、ルールを順守したり、そのように装ったりできます(関連記事)。

 利他的な傾向の強い人々の多い社会において、能力と環境(運)に恵まれたフリーライダーは、政治権力・経済力・繁殖などの点できわめて大きな利益を得ることが可能なので、狩猟採集社会よりもずっと大規模な社会においては、フリーライダーを淘汰することがより難しくなっている、と言えるかもしれません。その意味で、今後も渡邉氏的な人物が大きな社会的影響力を有する状況は変わらないでしょうから、渡邉氏的な人物の「暴走」を抑制する仕組みの構築(もちろん、完全だったり永続的だったりする仕組みは存在し得ないわけですが)が精一杯の対応と言うべきなのでしょう。

 しかし、今後遺伝子研究が進んでいく過程で、「サイコパス」と呼ばれるような人物に育つ可能性の高い遺伝子群が特定されるかもしれません(とはいっても、遺伝子と環境の複雑な関係は簡単には明らかにならないでしょうが)。では、大規模な社会では排除の難しい「サイコパス」を排除してもよいものなのか、といった議論も今後提起されるかもしれません。「サイコパス」に向いている職業があるとも言われているように、「功利的」判断から「サイコパス」の排除に反対する見解もあるかもしれませんが、これは「望ましくない性質」を排除する優生学的発想であり、優生学の問題点を考えると、「サイコパス」の排除は、せいぜい、上述した「暴走」を抑制する仕組みの構築に留めておくべきでしょう。

 優生学は、現実主義者(気取りの人)にとっては真理なのかもしれませんが、自然主義的誤謬というだけではなく、「功利的」観点からでさえ問題だと思います。現代社会では生存の危険性を高める形質には、かつては不利ではなかったか、有利でさえあったものも少なくないようです(関連記事)。生物の諸形質に関する「優秀・劣等」や「有利・不利」などという二分論的な評価は、多分に環境依存的と言うべきでしょう。これは、善悪などといった価値観に関しても同様です。この場合の環境とは、自然的なものだけではなく人為的なものでもあり(自然と人為という安易な二分法の問題はさておくとして)、その意味でも、特定の環境への過剰な適応を目的にしているとも言える優生学の危険性は明らかだと思います。

 まあ、私は自覚的な「反リベラル」傾向の強い人間なので、「リベラル側」の「多様性」や「寛容」の尊重を強調する傾向には不信感を抱いていますが、だからといって、特定の生得的な性質を安易に排除してしまうのは、取り返しのつかないたいへん恐ろしいことだと思います。もっとも、自覚的な「反リベラル」傾向が強いとはいっても、公文書での元号のみの使用がすっかり定着していることに批判的で、「反リベラル」や「保守」に徹することのできない中途半端な人間で、原理主義的な振る舞いはできそうにありませんが、私のような中途半端で平凡な人間が社会では圧倒的に多いだろう、と開き直っています。
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人間の協力の進化

2018/03/09 00:00
 これは3月9日分の記事として掲載しておきます。人間の協力の進化に関する研究(Santos et al., 2018)が公表されました。弱肉強食の世界で利他主義がどのように進化したのか、解明する探求で生まれた全てのスキームの中で、間接互恵性は最も複雑なものとされています。間接互恵性とは、行為者が、後に第三者から報酬が与えられることを期待して、離反者を罰して自らがコストを背負う場合があるというもので、これには道徳的な選択が必要であり、第三者の応答は行為者および離反者の評判によって左右されます。そのため、間接互恵性は、既知のすべての協力機構の中で最も複雑で認知的に困難なものであり、評判および地位が絡むために、最も人間的なものとされています。

 間接互恵性に基づく規範と種々の選択肢がきわめて複雑なため、人間の思考力では妥当な時間枠内でそれらを計算することはできない、との見解もありますが、人間はそうした選択を容易に行なえます。個人の過去の評判を無視するモデルにおいては、個人が主観的な規則に従う能力が重要になる場合が多く、評判を「良い評判」か「悪い評判」のいずれかに、そして行動を二者択一へと単純化します。この研究は、そうしたモデルに過去の評判を組み込み、間接互恵性の状況で第三者が直面する選択をシミュレートし、協力を促進する関連規範における重要なパターンを見いだして、最大の協力を導く選択は、必ずしも最も複雑なものではないことを明らかにしています。このパターンに適合する規範のうち、複雑さが最小で最も大きな協力(90%超)を導くものは、過去の評判に基づいて判断しておらず、判断プロセスにおける「複雑さのコスト」を考慮すると、この規範の相対的な成績はとくに明らかでした。

 この高度の協力と低い複雑さとの組み合わせは、複雑な環境でも単純な道徳原理で協力を引き出せることを示唆しています。「重要なのはあなたが行なうことと、あなたが行動するときの相手の評判だけである。善人は助け、そうでなければ助けることを拒絶しなさい。そうすれば我々はあなたに優しく接するが、そうしなければあなたは罰せられるだろう」という「厳しい判断」ですら、下から2番目の複雑さにすぎず、言語習得前の幼児でさえ行なっている、というわけです。このような間接互恵性がどのような環境で進化してきたのか解明するには、自然人類学・考古学・古環境学などの学際的な知見が必要となるでしょう。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


人間行動学:協力の進化における社会規範の複雑さと過去の評判

人間行動学:協力の複雑さ

 弱肉強食の世界で利他主義がどのように進化したのかを解明する探求で生まれた全てのスキームの中で、間接互恵性はおそらく最も複雑なものである。間接互恵性とはつまり、行為者が、後に第三者から報酬が与えられることを期待して、離反者を罰して自らがコストを背負う場合があるというもので、これには道徳的な選択が必要とされ、第三者の応答は行為者および離反者の評判によって左右される。種々の選択肢が極めて複雑であるため、人間の思考力では妥当な時間枠内でそれらを計算することはできないと考える人もいるが、人間はそうした選択を容易に行う。これはどうしてなのか。今回著者たちは、間接互恵性の状況で第三者が直面する選択をシミュレートし、最大の協力を導く選択は、必ずしも最も複雑なものではないことを明らかにしている。「重要なのはあなたが行うこととあなたが行動するときの相手の評判だけである。善人は助け、そうでなければ助けることを拒絶しなさい。そうすれば我々はあなたに優しく接するが、そうしなければあなたは罰せられるだろう」という「厳しい判断」ですら、下から2番目の複雑さにすぎず、言語習得前の幼児でさえ行っていることなのだ。



参考文献:
Santos FP, Francisco FC, and Pacheco JM.(2018): Social norm complexity and past reputations in the evolution of cooperation. Nature, 555, 7695, 242–245.
http://dx.doi.org/10.1038/nature25763
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レッテル貼りの作用

2018/01/20 00:00
 これは1月20日分の記事として掲載しておきます。レッテル貼りの作用に関する研究(Mace et al., 2018)が公表されました。「魔女である」と名指しするといった、個人を仲間外れにするような否定的なレッテルには、人間社会において長く広範囲に及ぶ歴史があるものの、その社会的な機能はよく分かっていません。魔女のレッテルは、レッテルを貼られた者が信用できない人、あるいは協力的でない人であるという印をつけるために使われていると示唆する研究もあれば、そうしたレッテルは、競争相手の意志をくじくように機能していると指摘する研究もあります。現時点では、どちらの説が正しいかを判断するための定量的なデータはほとんどありません。

 この研究は、中国南西部に住むモソ族の5つの村の800世帯を対象に、インタビューおよび贈り物を使う実験を実施しました。モソ族では、世帯主である女性およびその娘たちは、周囲の人々によって、超自然的な力を備えていて、食中毒に関わる者であると見なされると、「zhu」と呼ばれます。この研究は、世帯間の社会的相互作用を視覚的に再構成することで、「zhu」と非「zhu」にはっきりと分けられる世帯間の社会的ネットワークの存在を見いだしました。zhuの世帯は多くの場合、近親結婚が避けられ、また非zhu集団との間において農作業の協力がなされません。zhuの世帯はむしろ結婚や労役交換を、小規模なサブネットワークの中で優先的に互いにやりとりしています。

 この研究が、zhuの世帯が経済ゲームにおいて他の世帯と同程度に協力的であることを見いだした点は重要です。なぜならば、この結果から、「zhu」というレッテルが「協力的でない、あるいは信頼できない世帯である」という印をつけるために用いられているのではないことが、示唆されるからです。この研究は、魔女であるというレッテル貼りは、家系の繁栄や資源の確保に関して、競争相手の名を汚すことで競争上の優位性を得るための方法として進化してきた可能性がある、と示唆しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


社会的相互作用を構造化する魔女

 中国南西部のある村落では、魔法の使い手(中国語で「zhu」と呼ばれる)のレッテルを貼られることが、結婚の相手、協力の対象、世帯間の取引などに影響を及ぼし得ることが、今週掲載される論文で明らかになった。このようなレッテル貼りは、競争相手となり得る者に対して悪意を示すように機能している可能性がある。

 「魔女である」と名指しするといった、個人を仲間外れにするような否定的なレッテルには、人間社会において長く広範囲に及ぶ歴史があるが、その社会的な機能はよく分かっていない。魔女のレッテルは、レッテルを貼られた者が信用できない人、あるいは協力的でない人であるという印をつけるために使われていると示唆する研究もあれば、そうしたレッテルは、競争相手の意志をくじくように機能していると指摘する研究もある。現時点では、どちらの説が正しいかを判断するための定量的なデータはほとんどない。

 Ruth Mace、Ting Ji、Yi Taoたちの研究グループは、中国南西部に住むモソ族の5つの村の800世帯を対象に、インタビューおよび贈り物を使う実験を行った。モソ族では、世帯主である女性およびその娘たちは、周囲の人々によって、超自然的な力を備えていて、食中毒に関わる者であると見なされると「zhu」と呼ばれる。研究グループは、世帯間の社会的相互作用を視覚的に再構成することで、「zhu」と非「zhu」にはっきりと分けられる世帯間の社会的ネットワークの存在を見いだした。zhuの世帯は多くの場合、近親結婚が避けられ、また非zhu集団との間において農作業の協力がなされない。zhuの世帯はむしろ結婚や労役交換を、小規模なサブネットワークの中で優先的に互いにやりとりしている。今回、研究グループが、zhuの世帯が経済ゲームにおいて他の世帯と同程度に協力的であることを見いだした点は重要である。というのも、この結果から、「zhu」というレッテルが、〈協力的でない、あるいは信頼できない世帯である〉という印をつけるために用いられているのではないことが示唆されるからである。

 研究グループは、魔女であるというレッテル貼りは、家系の繁栄や資源の確保に関して、競争相手の名を汚すことで競争上の優位性を得るための方法として進化してきた可能性があると示唆している。



参考文献:
Mace R. et al.(2018): Population structured by witchcraft beliefs. Nature Human Behaviour, 2, 39–44.
http://dx.doi.org/10.1038/s41562-017-0271-6
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水資源保全対策における文化の違い

2017/11/18 00:00
 これは11月18日分の記事として掲載しておきます。水資源保全対策における文化の違いに関する研究(Castilla-Rho et al., 2017)が公表されました。地下水は、気候変動に直面する世界の食糧安全保障と、数百万世帯の農村生活の維持に重要です。農業のための水資源の濫用は世界中で深刻に懸念されていますが、地下水利用者による保全政策への遵守を促すものが何かということについては、ほとんど分かっていません。地下水保全のモニタリングおよび執行は長い時間とコストを要し、政治的に困難な側面があります。文化によって異なる考え方を理解することは、費用効果の高い管理法の立案において重要です。

 この研究は、農民による灌漑のための地下水利用を、地下水の汲み上げの抑制が必要な3地域(オーストラリアのマレーダーリング盆地、アメリカ合衆国カリフォルニア州のセントラルバレー、インド・パキスタン国境付近のパンジャーブ地方)を対象にモデル化を行ないました。さまざまな地域における協力および法令遵守に対する社会的態度に関するデータを集めた結果、パンジャーブ地方のような協力的とされる文化においては強い懲罰的な手段が有効であるものの、マレーダーリング盆地やセントラルバレーのように個人主義がより強いとされる文化では、懲罰的な手段はそれほど有効ではない、と明らかになりました。

 この研究は、地下水の保全に対する社会規範を変化させる最も有効な介入法は、ロールモデルとなる法令遵守者の数を集団中に増やすことである、と明らかにしましたが、社会における受け入れの規模を変えるために必要な法令遵守者の数は地域差が大きい、とも指摘しています。この研究は、同様のモデルは水産物や森林といった他の共有天然資源にも適用できる、と指摘しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


水資源保全の文化を理解する

 水資源の保全法に対する人々の反応に文化の違いがどのように影響するかということと、そうした知見を踏まえて各国の文化に適した有効な介入手段を見つける方法が、今週のオンライン版に掲載された論文で報告されている。

 地下水は、気候変動に直面する世界の食糧安全保障、および数百万世帯の農村生活の維持に重要である。農業のための水資源の濫用は世界中で深刻に懸念されているが、地下水利用者による保全政策への遵守を促すものが何かということについてはほとんど分かっていない。地下水保全のモニタリングおよび執行は長い時間を要し、コストを要し、政治的に困難な側面がある。文化によって異なる考え方を理解することは、費用効果の高い管理法の立案においてカギとなる。

 Juan Carlos Castilla-Rhoの研究チームは、農民による灌漑のための地下水利用を、地下水の汲み上げの抑制が必要な3つの地域(オーストラリアのマレー・ダーリング盆地、米国カリフォルニア州のセントラル・バレー、インド・パキスタン国境付近のパンジャーブ地方)を対象にモデル化を行った。さまざまな地域における協力および法令遵守に対する社会的態度に関するデータを集めた結果、協力的な文化(パンジャーブ地方)においては強い懲罰的な手段が有効であるが、個人主義のより強い文化(米国やオーストラリア)においては、懲罰的な手段はそれほど有効ではないことが分かった。研究チームは、地下水の保全に対する社会規範を変化させる最も有効な介入法は、ロールモデルとなる法令遵守者の数を集団中に増やすことであることを見出したが、社会における受け入れの規模を変えるために必要な法令遵守者の数は地域差が大きい。研究チームは、同様のモデルは、水産物や森林といった他の共有天然資源にも適用できると結論している。



参考文献:
Castilla-Rho JC. et al.(2017): Social tipping points in global groundwater management. Nature Human Behaviour, 1, 640–649.
http://dx.doi.org/10.1038/s41562-017-0181-7
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無神論者にたいする偏見

2017/11/10 00:00
 これは11月10日分の記事として掲載しておきます。無神論者にたいする偏見に関する研究(Gervais et al., 2017)が公表されました。この研究は、宗教性のひじょうに強い社会(アラブ首長国連邦やインド)から世俗性のひじょうに強い社会(中国やオランダ)まで、5大陸13ヶ国の3000人を対象に、不道徳な行為と無神論を結びつける認識について調べました。この研究は、無神論者にたいする偏見の程度を定量化するために、調査参加者たちに動物への虐待が高じてスリルを求めて殺人に及ぶ「モラルに反する人物」について書かれた文章を読ませました。この研究は、参加者の半数にたいして、罪を犯したその人物が(1)教師か(2)宗教心のある教師のどちらの可能性が高いか、残りの半数には、(1)教師か(2)神の存在を信じない教師のどちらの可能性が高いか尋ね、各群の回答者がどれほどの頻度で(2)より(1)を選択したかを測定しました。

 その結果、参加者はきょくたんな不道徳性を、信仰者の指標としてよりも、無神論者の指標としてほぼ2倍多く見なしていること(フィンランドと、程度は低いもののニュージーランドの2ヶ国を除く)と、自身を無神論者と認める参加者たちも、無神論者にたいして同様の偏見を抱いていることが明らかとなりました。この研究から、無神論者にたいする道徳上の直感的な疑念は、普遍的とまでは言えないにしても、文化の壁を越えて広く認められ、世俗的および宗教的な社会を問わず、さらには信仰者の間にも無神論者の間にも認められることが判明しました。また、宗教と道徳性の関係をめぐる科学的および一般的な認識にはかなりの多様性があることも明らかになりました。この研究は、中心となる道徳的直感は宗教とほぼ無関係に現れたようではあるものの、道徳性と宗教の間には避けがたい結びつきがあるとする一般的な見方は、ひじょうに根強いことを示唆しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


無神論者でさえ、「モラルのない人はおそらく無神論者である」と直感的に推測する

 信仰心の厚い人も神の存在を信じない無神論者も、連続殺人などの極度に不道徳な行為を犯す者はおそらく無神論者だろうと直感的に推定することが、今週オンライン版に掲載される論文で報告される。研究では、無神論者に対するこうした偏見が、対象とされた13の宗教的な国および世俗的な国の大半で認められることが明らかとなった。この結果は、多くの国であからさまな宗教性が否定されつつある状況であっても、長年に及ぶ人類の宗教経験が、「道徳性には信仰が必要である」という払拭しがたい思考を強めてきたことを示唆している。

 Will Gervaisの研究チームは、宗教性の非常に強い社会(アラブ首長国連邦やインド)から世俗性の非常に強い社会(中国やオランダ)まで、5大陸13か国の3000人を対象に、不道徳な行為と無神論を結びつける認識について調べた。無神論者に対する偏見の程度を定量化するために、研究チームは調査参加者たちに、動物への虐待が高じてスリルを求めて殺人に及ぶ〈モラルに反する人物〉について書かれた文章を読ませた。そして参加者の半数に対しては、罪を犯したその人物が(1)「教師である」か、または(2)「宗教心のある教師である」のどちらである可能性が高いかを尋ねた。また残りの半数には、(1)「教師である」か、または(2)「神の存在を信じない教師である」のどちらである可能性が高いかを尋ねた。そして研究チームは、各群の回答者がどれほどの頻度で(2)より(1)を選択したかを測定した。

 その結果、参加者は極端な不道徳性を、信仰者の指標としてよりも、無神論者の指標としてほぼ2倍多く見なしていること(フィンランドと、程度は低いもののニュージーランドの2か国を除く)、そして自身を無神論者と認める参加者たちも、無神論者に対して同様の偏見を抱いていることが明らかとなった。今回の研究から、無神論者に対する道徳上の直感的な疑念は、普遍的とまでは言えないにしても、文化の壁を越えて広く認められ、世俗的および宗教的な社会を問わず、さらには信仰者の間にも無神論者の間にも認められることが判明した。また、宗教と道徳性の関係をめぐる科学的および一般的な認識にはかなりの多様性があることも分かった。今回の研究は、中心となる道徳的直感は宗教とほぼ無関係に現れたようであるものの、道徳性と宗教の間には避けがたい結びつきがあるとする一般的な見方は非常に根強いことを示唆している。



参考文献:
Gervais WM. et al.(2017): Global evidence of extreme intuitive moral prejudice against atheists. Nature Human Behaviour, 1, 0151.
http://dx.doi.org/10.1038/s41562-017-0151
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フェイクニュースや作り話が広まる理由

2017/11/08 00:00
 これは11月8日分の記事として掲載しておきます。フェイクニュースや作り話が広まる理由に関する研究(Qiu et al., 2017)が公表されました。これまでの研究では、ソーシャルネットワークの構造と、人の注意力の有限性の組み合わせが、急速に伝播するミーム(伝達され得る情報やアイデアの断片)が出現する十分条件だと示されていました。情報の質が、どの情報が急激に伝播するかを決めることは当然のように思えますが、ソーシャルメディア上におけるフェイクニュースの誤った情報の伝播についてはそうではないことが示唆されています。

 この研究は、行動上の限界が、ソーシャルメディア・プラットフォームによる、情報の質の高低を識別する能力を低くする、と明らかにしました。この研究は、ミームの拡散モデルを開発し、情報負荷(単位時間あたりに受け取られるミームの平均数)ならびに個人の注意力が、ミームの質と相互作用し、その注目度にどのように影響するのか、調べました。

 この研究は、情報の質と多様性との間の良好なトレードオフが達成されるソーシャルメディア市場が、理論的に可能なことを明らかにしたものの、このモデルを、ツイッターやタンブラーからの情報負荷および注意に関する現実世界の測定値で較正したところ、情報はその質の高低を問わず同程度の速度で共有されることも明らかにしました。この研究は、ソーシャルメディアによる識別力を高め、誤った情報の伝播を防ぐ一つの方法として、ソーシャルメディアを質の低い情報で満たす「ボット」の使用を抑制することを提案しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


フェイクニュースや作り話が広まる理由

 人の注意力には限界があることと情報量の増大によって、フェイクニュースや作り話などの質の低い情報がソーシャルメディア上にあっという間に広まる現象を説明できるかもしれないとの報告が、今週のオンライン版に掲載される。フェイクニュースが急速に拡散する理由が分かれば、虚偽の情報の伝播を抑える新たなツールを開発する上で大いに役に立つ。

 これまでの研究では、ソーシャルネットワークの構造と、人の注意力の有限性の組み合わせが、急速に伝播するミームが出現する十分条件であることが示されていた。情報の質が、どの情報が急激に伝播するかを決めるというのは当然のように思えるが、ソーシャルメディア上におけるフェイクニュースの誤った情報の伝播についてはそうではないことが示唆されている。

 Diego Fregolente Mendes de Oliveiraたちの研究チームは、行動上の限界が、ソーシャルメディア・プラットフォームによる、情報の質の高低を識別する能力を低くすることを明らかにした。今回の研究では、ミーム(伝達されうる情報やアイデアの断片)の拡散モデルが開発され、情報負荷(単位時間あたりに受け取られるミームの平均数)ならびに個人の注意力がミームの質と相互作用してその注目度にどのように影響するかが調べられた。研究チームは、情報の質と多様性との間の良好なトレードオフが達成されるソーシャルメディア市場が理論的に可能なことを明らかにした。しかし、このモデルを、ツイッターやタンブラーからの情報負荷および注意に関する現実世界の測定値で較正したところ、情報はその質の高低を問わず同程度の速度で共有されることが分かった。

 結論として研究チームは、ソーシャルメディアによる識別力を高め、誤った情報の伝播を防ぐ1つの方法として、ソーシャルメディアを質の低い情報で満たす「ボット」の使用を抑制することを提案している。



参考文献:
Qiu X. et al.(2017): Limited individual attention and online virality of low-quality information. Nature Human Behaviour, 1, 0132.
http://dx.doi.org/10.1038/s41562-017-0132
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不公平にたいする感受性と鬱病の関係

2017/10/13 00:00
 これは10月13日分の記事として掲載しておきます。不公平にたいする感受性と鬱病の関係についての研究(Tanaka et al., 2017)が公表されました。過去の研究では、富の不平等な分配(経済的不平等)が、うつ病をはじめとする精神疾患の増加に寄与することが示唆されていましたが、その背後にある神経機構は不明でした。この研究は、仮想的なパートナーからバーチャル・マネーを受け取るコンピューターゲーム(最終提案ゲーム)をプレイ中の健常者の脳活動を測定しました。ゲームにおいてパートナーとプレイヤーは、「公平」か「不公平」かの状況に置かれます。「公平」な状況では、両者は同じ額のバーチャル・マネーを受け取りますが、「不公平」な状況では、プレイヤーが受け取るバーチャル・マネーはパートナーの半分以下または半分以上となります。

 実験の結果、不公平な提案に反応したときの脳内の海馬と扁桃体の反応が、実験時に感じる抑鬱症状と相関することが明らかになりました。同じ尺度(不公平な提案に反応する扁桃体および海馬の活動の変化)はまた、実験実施時と実験から1年後の間における抑鬱症状の変化とも相関が見られました。社会性を重視する(この実験では、あらゆるタイプの不公平を嫌う)被験者については、(ゲーム参加者当人の利益となる提案を含む)不公平さを含むあらゆる提案にたいする脳の反応から、抑鬱症状の変化を予測することができました。この研究は、臨床的な抑鬱症状の見られない健常者を対象に実施されたものですが、不公平に対する反応が気分に大きな影響を及ぼすことが明らかとなりました。この成果を元に、今後の研究では、精神疾患の発症リスクの高い人を見つけて支援する方法を考案することができる可能性があります。こうした不公平への反応は、人類が進化の過程で獲得したものなのでしょう。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


不公平に対する感受性からうつ病の発症を予測する

 コンピューターゲーム上で遭遇する不公平に対する脳の反応を調べることで、健常者が将来、うつの症状を訴えるか否かを予測できることを示した論文が、今週掲載される。この研究をきっかけとして、不公平に反応して気分障害を発症する特別のリスクがある人に関する理解が深まる可能性がある。

 過去の研究では、富の不平等な分配(経済的不平等)が、うつ病をはじめとする精神疾患の増加に寄与することが示唆されていた。しかし、その背後にある神経機構は不明であった。

 脳情報通信融合研究センターの田中敏子(たなか・としこ)研究員の研究グループは、仮想的なパートナーからバーチャル・マネーを受け取るコンピューターゲーム(最終提案ゲーム)をプレイ中の健常者の脳活動を測定した。ゲームにおいてパートナーとプレイヤーは、「公平」か「不公平」かの状況に置かれる。「公平」な状況では、両者は同じ額のバーチャル・マネーを受け取るが、「不公平」な状況では、プレイヤーが受け取るバーチャル・マネーはパートナーの半分以下または半分以上となる。実験の結果、不公平な提案に反応したときの脳内の2つの領域(海馬と扁桃体)の反応が、実験時に感じる抑うつ症状と相関することがわかった。同じ尺度(不公平な提案に反応する扁桃体および海馬の活動の変化)はまた、実験実施時と実験から1年後の間における抑うつ症状の変化とも相関がみられた。

 社会性を重視する(今回の実験では、あらゆるタイプの不公平を嫌う)被験者については、不公平さを含むあらゆる提案(ゲーム参加者当人の利益となる提案を含む)に対する脳の反応から、抑うつ症状の変化を予測することができた。今回の研究は、臨床的な抑うつ症状のみられない健常者を対象に実施されたものであるが、不公平に対する反応が気分に大きな影響を及ぼすことが明らかとなった。今回の成果を元に、今後の研究では、精神疾患の発症リスクの高い人を見つけて支援する方法を考案することができる可能性がある。

 関連するNews & Viewsでは、Megan SpeerとMauricio Delgadoが、「示唆に富む今回の研究は、そうした問題を検討するための有望な方法を提供し、うつ病にみられる消耗性の性質を促進あるいは悪化させる危険因子を明らかにすることにつながるだろう」と述べている。



参考文献:
Tanaka T, Yamamoto T, and Haruno M.(2017): Brain response patterns to economic inequity predict present and future depression indices. Nature Human Behaviour, 1, 748–756.
http://dx.doi.org/10.1038/s41562-017-0207-1
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ISとその対立集団の兵士が戦争に参加する動機

2017/09/14 00:02
 ISとその対立集団の兵士が戦争に参加する動機に関する研究(Gómez et al., 2017)が公表されました。ISは2014年夏にその勢力をイラク全土に大きく広げました。ISの戦意の高さについて提案された理由の一つは、IS兵士が「熱烈な行為者(Devoted Actor)」として行動するためというものでした。IS兵士は、譲ることのできない神聖な価値(物や金銭による補償との交換を拒絶する価値)を守ろうとする時に、自ら進んで大きな犠牲を払って過激な行為へと向かうのではないか、というわけです。

 この研究は、「熱烈な行為者」という枠組みが戦意の理解に使えることを示す新たな証拠を提示しています。この研究は、(1)拘束されたIS兵士を含むイラク北部の前線の兵士たちを対象とした2015年2月〜3月の現地インタビュー、(2)ISと交戦中の56のクルド人民兵組織(ペシュメルガ)・イラクのクルド人武装組織・スンニ派アラブ人の軍事組織を対象に2016年2〜3月に実施された定量的現地調査、(3)6000人以上のスペイン人を対象とした一連の大規模なオンライン調査を組み合わせて分析しました。

 その結果、自らの命や近親者の幸福などコストの大きい犠牲を進んで払う意志・神聖な価値の重視・自身が属する集団が敵より精神的に強いという認識の三者に共通する関係が見出されました。この研究は、クルドの言語・歴史・土地への責任を感じる感覚である「クルド性」というような抽象的理念の尊重が戦意の説明となることを示唆しているものの、さらなる研究を要する同様に重要な疑問は、なぜ一部の集団は他の集団よりも抽象的な理念への忠誠度が高くなるのかということだ、と指摘しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


ISのための精神、ISに立ち向かうための精神

 IS(イスラム国)と対立する集団のために戦う兵士、またISの兵士自身は、「神聖な価値」を奉ずること、神聖な価値を優先して近親者との絶縁をいとわないこと、敵と比較して自身の属する集団の精神力の強さを疑わないことのために、自ら進んで戦場に赴いて命を捨てようとする。今週報告された知見からは、個人が戦場へ出ていく動機が何かということについての理解が得られそうである。

 ISが2014年の夏にその勢力をイラク全土に大きく広げたとき、このテロ集団の戦場の拡大は多くの人を驚かせたが、それはイラクの軍隊が当初、戦意の弱い集団であると見なされていたためであった。ISの戦意の高さについて提案された理由の1つは、IS兵士が「熱烈な行為者(Devoted Actor)」として行動するためであるというものであった。つまり彼らは、譲ることのできない神聖な価値(物や金銭による補償との交換を拒絶する価値)を守ろうとする時に、自ら進んで大きな犠牲を払って過激な行為へと向かうという理由が考えられた。

 Scott AtranとAngel Gomezたちの研究グループは今回、〈熱烈な行為者〉という枠組みが戦意の理解に使えることを示す新たな証拠を提示している。研究グループは、(1)イラク北部の前線の兵士たち(拘束されたIS兵士を含む)を対象に2015年2月〜3月に実施された現地インタビュー、(2)ISと交戦中の56のクルド人民兵組織(ペシュメルガ)、イラクのクルド人武装組織、スンニ派アラブ人の軍事組織を対象に2016年2〜3月に実施された定量的現地調査、(3)6000人以上のスペイン人を対象とした一連の大規模なオンライン調査を組み合わせて分析を行った。

 その結果、コストの大きい犠牲(自らの命や近親者の幸福など)を進んで払う意志、神聖な価値の重視、自身が属する集団が敵より精神的に強いという認識の三者に共通する関係が見出された。研究グループは今回の調査は、(クルドの言語、歴史、土地への責任を感じる感覚である「クルド性」というような)抽象的な理念の尊重が戦意の説明となることを示唆しているものの、さらなる研究を要する同様に重要な疑問は、なぜ一部の集団は他の集団よりも抽象的な理念への忠誠度が高くなるのかということだと指摘している。

 News & ViewsではJohn Horganが、「前線の兵士たちを対象とした研究が(研究グループの言うように)「難しい」というのは控え目な表現である。むしろ今回の研究をいっそう重要なものとしているのは、内容の濃い学際的な理論的枠組みが明らかにし、かつ問いかける、民族誌的で実験的なインタビューに基づく研究の複雑さにある」と述べている。



参考文献:
Gómez Á. et al.(2017): The devoted actor’s will to fight and the spiritual dimension of human conflict. Nature Human Behaviour, 1, 673–679.
http://dx.doi.org/10.1038/s41562-017-0193-3
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序列を維持する心

2017/07/15 00:00
 序列を維持する心に関する研究(Xie et al., 2017)が公表されました。これまでの研究では、経済ゲームにおいて人は不平等な支払いを拒否することが報告されており、平等を強く望む心は、文化の違いを越えた社会規範であると示唆されていました。しかし、そうした証拠にもかかわらず、所得の不均衡は依然として解消されておらず、他の要因の関与の可能性が疑われていました。この研究は、さまざまな文化を対象に一連の経済ゲームを実施し、序列が2人の人間への支払いを等しくしたいという人々の意欲にどれほど影響を及ぼすのか、調べました。

 その結果、実験参加者の大多数は、序列が全体として変わらないと予想される状況では、富む者から貧しい者へ金を再分配することを選択する(この場合、富む者は貧しくなるものの富んだ状態は変わらず、一方で貧しかった者は当初より富むものの貧しい状態で変わりません)が、大半の参加者は、再分配が2人の序列を逆転させる(富む者が貧しくなり、所有する金額が少なくなる一方で、貧しかった者が富み、所有する金額が多くなる)状況になりそうな場合は再分配を望まないことが明らかになりました。

 子供を対象とした同様の実験では、不平等の回避は4歳までには現れますが、「序列の逆転」の回避は6歳になるまで現れないことが明らかになりました。この知見は、階層の維持が人々にとって不平等な扱いを拒否することに等しい社会規範であることを示唆しています。このような研究は、不平等の存続を許容する個人レベルの信念と行動に関する理解を深めると考えられます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


序列を維持する心

 経済的不平等を嫌う人は多いが、そうした人であっても、富む人がより少ない金を受け取り、貧しい人がより多い金を受け取るような再分配が行われて既存の「富の序列」が覆されることを望まないことが、今週のオンライン版に掲載された論文で報告されている。この知見は、階層の維持が、人々にとって不平等な扱いを拒否することに等しい社会規範であることを示唆している。

 先行研究では、経済ゲームにおいて人は不平等な支払いを拒否することが報告されており、平等を強く望む心は、文化の違いを越えた社会規範であると示唆されていた。しかし、そうした証拠にもかかわらず、所得の不均衡は依然として解消されておらず、他の要因の関与の可能性が疑われていた。

 Xinyue Zhouたちの研究グループは、さまざまな文化を対象に一連の経済ゲームを行い、序列が2人の人間への支払いを等しくしたいという人々の意欲にどれほど影響を及ぼすのかを調べた。その結果、実験参加者の大多数は、序列が全体として変わらないと予想される状況では、富む者から貧しい者へ金を再分配することを選択する(この場合、富む者は貧しくなるものの富んだ状態は変わらず、一方で貧しかった者は当初より富むものの貧しい状態で変わらない)が、大半の参加者は、再分配が2人の序列を逆転させる(つまり富む者が貧しくなって、所有する金額が少なくなる一方で、貧しかった者が富み、所有する金額が多くなる)状況になりそうな場合は再分配を望まないことが判明した。子どもを対象とした同様の実験では、不平等の回避は4歳までには現れるが、〈序列の逆転〉の回避は6歳になるまで現れないことが判明した。この結果は、「平等を求める」という規範が、発達の途上で学習されるものであることを示唆している。

 このような研究は、不平等の存続を許容する個人レベルの信念と行動に関する理解を深めると考えられる。



参考文献:
Xie W. et al.(2017): Rank reversal aversion inhibits redistribution across societies. Nature Human Behaviour, 1, 0142.
http://dx.doi.org/10.1038/s41562-017-0142
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タイトル 日 時
保守派とリベラル派の科学書の読書傾向の違い
 これは6月10日分の記事として掲載しておきます。保守派とリベラル派の科学書の読書傾向の違いに関する研究(Shi et al., 2017)が公表されました。自らの政治的信念に合致する狭い範囲の情報にのみ曝される、「反響室」や「フィルターバブル」と呼ばれる現象は、両極端に位置する政党に共鳴するそれぞれの人々の相互理解を妨げる恐れがあることから、政治学において懸念が高まっています。この研究は、世界最大級の二つのオンライン書籍小売業者の購入履歴を解析することで、実験室外において同問題を調べた数少ない... ...続きを見る

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2017/06/10 00:00
テロリストの道徳的判断
 これは6月8日分の記事として掲載しておきます。テロリストの道徳的判断に関する研究(Baez et al., 2017)が公表されました。テロは、一般社会から容認されない行為とみなされるのが普通ですが、テロリストは自らの行為を、「目的は手段を正当化する」という論理により正当化します。しかし、テロリストがこのトレードオフをどのようにとらえて道徳的判断を下しているのか、よく分かっていません。典型的な成人の道徳的判断は、人が行為の意図および結果についての情報を表現して統合する能力に基づいています。多く... ...続きを見る

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2017/06/08 00:00
究極の利他的行為の動機
 これは5月4日分の記事として掲載しておきます。究極の利他的行為の動機に関する研究(Vekaria et al., 2017)が公表されました。腎臓を見知らぬ人に提供する行為は、痛みを伴い、犠牲が大きく、標準的ではなくて極めてまれであり、利他主義の典型例とみなすことができます。ヒトの利他主義傾向を高める要因は何なのか、また、その寛大さは他者への純粋な共感から生まれるのか、それとも利己的な動機に由来するのか、といった疑問に対する答えはいまだ得られていません。 ...続きを見る

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2017/05/04 00:00
長谷川眞理子、 山岸俊男『きずなと思いやりが日本をダメにする 最新進化学が解き明かす「心と社会」』
 これは4月23日分の記事として掲載しておきます。集英社インターナショナルより2016年12月に刊行されました。本書は著者二人の対談で、一般読者層にもたいへん読みやすくなっていると思います。あとがきにあるように、編集者の力量が優れている、ということなのでしょう。さすがに第一人者同士の対談だけあって、じゅうぶん読みごたえがありましたし、教えられるところが多々ありました。 ...続きを見る

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2017/04/23 00:00
亀田達也『モラルの起源 実験社会科学からの問い』
 これは4月16日分の記事として掲載しておきます。岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2017年3月に刊行されました。本書は、人間社会のモラルの基盤を、さまざまな分野の研究成果から検証しています。本書はこれを「実験社会科学」と呼んでいます。実験社会科学とは、経済学・心理学・政治学・生物学など複数の分野の研究者たちが集まり、「実験」という共通の手法を用いて、人間の行動や社会における振る舞いを検討しようとする、新たな学問領域です。 ...続きを見る

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2017/04/16 00:00
加齢によるリスク選好の変化は脳構造の変化に起因する
 これは2月25日分の記事として掲載しておきます。加齢によるリスク選好の変化に関する研究(Grubb et al., 2016)が公表されました。ヒトがリスク(予測できない結果)を伴う意思決定を行うさいには、右後部頭頂皮質という脳領域が活動しています。これまでの研究では、この領域の灰白質の量が若年成人のリスク選好と相関していることが明らかになっています。ヒトでは、昔から知っていて見慣れたものを選ぶ傾向は、年齢を重ねるにつれて顕著になります。ヒトは年をとるとリスクのある決定をあまりしなくなるわけで... ...続きを見る

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2017/02/25 00:00
「男脳」「女脳」のウソはなぜ、どのように拡散するのか
 これは2月20日分の記事として掲載しておきます。表題の記事がナショナルジオグラフィックに掲載されました。正直なところ、表題を読んだ時には、男女には本質的な違いはないとか、性別を重視すること自体が社会的に構築されたものだとか、性別自体が生物学的に否定されているとかいった言説が展開されるのではないか、とかなり警戒したのですが、以前からの私の見解にひじょうに近いところがあり、かなり同意できる内容でした。もっとも、表題の記事で男女差の事例とされた課題実験も、社会的に構築された性差の構造に起因するものに... ...続きを見る

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2017/02/20 00:00
不正を続けると不正への脳の感受性が低下する
 不正直な行動と脳の感受性に関する研究(Garrett et al., 2016)が公表されました。この研究は、18〜65歳の80人に参加してもらい、第1被験者に1ペンス銅貨入りのガラス瓶の画像を見せて銅貨の数を見積もらせ、その数を第2被験者に伝えさせる、という実験を行ないました。この研究は、(1)第2被験者が不利益を受けて第1被験者が利益を得る、(2)第1被験者も第2被験者も利益を得る、(3)第1被験者が不利益を受けて第2被験者が利益を得る、(4)第1被験者だけが利益を得て、第2被験者は影響を... ...続きを見る

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2017/02/16 00:00
社会規範の違反の程度と応答
 これは2月8日分の記事として掲載しておきます。社会規範の違反の程度と応答に関する研究(Balafoutas et al., 2016)が公表されました。この研究は、ドイツの駅で軽微な違反行為(コーヒー用の紙コップのポイ捨て)と重大な違反行為(コーヒー用の紙コップと何かが入っている紙袋のポイ捨て)を演出し、800回以上の試行によって旅行者の反応を記録しました。これらの試行で、違反の大小はポイ捨てをした者が叱責される可能性や叱責の程度に影響を及ぼしませんでした。 ...続きを見る

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2017/02/08 00:00
社会的ネットワークにおける富の不平等と可視性
 社会的ネットワークにおける富の不平等と可視性についての研究(Nishi et al., 2015)が公表されました。富の不平等と富の可視性は、社会における協力行動のレベルや全体的な経済的繁栄のレベルに影響を及ぼす可能性があります。この研究は、オンラインゲームを用いて、この両要因がどのように相互作用するのか、調べました。その結果、プレーヤーが他者の富について知らないかぎり、富の不平等だけでは協力行動も全体の富も損なわれないことが明らかになりました。しかし、プレーヤーの富が他者に見える場合には、不... ...続きを見る

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2015/10/22 00:35
人間の協力性
 人間の協力性についての研究(Peysakhovich et al., 2014)が公表されました。この研究は、1400人以上の被験者の参加した協力ゲーム・規範強制型懲罰ゲーム・競争ゲームの結果から、協力するという決定がさまざまなシナリオにわたって相関するかどうか、検証しました。その結果、さまざまな協力ゲームにおける参加者の意思決定に相関が認められ、ゲームにおける意思決定がゲーム以外の状況下での自己申告に基づく協力の指標および実際の協力の指標の両者と相関していたことも明らかになりました。さらに、... ...続きを見る

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2014/09/25 00:00
社会学と生物学
 昨日このブログにて取り上げた高橋征仁「遺伝子共同体としての家族―マルクス主義フェミニズムからダーウィニアン・フェミニズムへの道」にはたいへん興味深い指摘が色々とあり、昨日の記事では取り上げきれなかった問題もあるので、少し補足しておきます。高橋論文では安藤寿康『遺伝子の不都合な真実─すべての能力は遺伝である』(関連記事)も引用されています。同書では「環境論者」が熱心に批判されているのですが、私はこの問題に疎いので、「環境論者」が本当に遺伝子の影響を軽視したような主張をしていたのか、あるいは「環境... ...続きを見る

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2014/07/19 00:00
高橋征仁「遺伝子共同体としての家族―マルクス主義フェミニズムからダーウィニアン・フェミニズムへの道」
 表題の論文を(高橋.,2013)読みました。ひじょうに興味深い論文で、納得できるところが多々ありました。本論文が社会学の研究者の間でどのように受け止められたのか、社会学に疎い私にはよく分かりませんが、社会学の研究者と会話をする機会があれば、尋ねてみたいものです。社会学に疎い私でも、進化学関連で色々と情報を収集していると、社会学の側に生物学への警戒感が根強くありそうだな、とは感じてきました。本論文は、義務でもないのに、進化や遺伝子という言葉を掲げ、ジェンダー研究や家族社会学の領域に足を踏み入れよ... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 2 / コメント 0

2014/07/18 00:02
人種・民族の違いと人種差別
 「人種と民族の違いを知っていますか?」という表題のブログ記事が話題になっていたので読みました。「gingin1234」氏の ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2012/08/23 20:19
視覚的な人種偏見
 テレビでの非言語的振る舞いが、視聴者の人種的偏見に継続的な影響を及ぼしていることを指摘した研究(Weisbuch et al., 2009)が公表されました。この研究では、人気番組から集めた複数の場面が編集され、特定の登場人物が一場面から取り除かれて、その場面の他の登場人物が、まだ見ぬその登場人物にどのていど好意的に接しているかを評価するよう、大学生のグループに指示されました。学生らは、ゴールデンタイムに放送される人気番組11本の登場人物について、否定的な非言語的行動が白人よりも黒人に対して示... ...続きを見る

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2010/01/26 06:50
指導者選出の基準は顔?
 指導者選出の基準について論じた研究(Antonakis, and Dalgas., 2009)が公表されました。この研究では、指導者選出の基準の1つとして、顔が重要なのではないか、と指摘されています。これは、多くの人の直感的な考えとも一致するでしょうし、常識に近い見解の再確認と言えるかもしれません。ただ、そうしたことをしっかりと実証していくことこそ学問と言うべきでしょう。 ...続きを見る

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2009/03/01 00:00

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