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日本は百済の植民地との説に潜む問題

2018/06/02 18:57
 古代日本(倭)は百済の植民地(領土)だった、との説(以下、日本植民地説と省略します)があるそうです。ネットで検索すると、日本語で読める記事もありますが、正直なところ、どこまで本気で主張しているのか、判断の難しいところです。ただ、日本でもわずかながら本気で支持する人がいる可能性は高そうですし、韓国では日本よりも支持者の割合はずっと高いでしょう。とはいっても、韓国でも支持する人は少数派だと思います(自信はありませんが)。

 日本植民地説の問題点は、近代的世界観を前近代史に投影していることだと私は考えています。確かに、漢字文化・寺院建築に代表される技術・統治体制などの点で、百済が倭よりも「先進的」だった側面が多分にあるのは否定できないでしょう。しかし、広義の文化において「先進的」な方が政治的にも優位に立つという観念は、19世紀〜20世紀前半における近代西洋の衝撃の印象を、7世紀以前にも安易に投影したものだと思います。たとえば、前漢は匈奴にたいして漢字文化や少なからぬ技術において「先進的」だと言えるでしょうが、だからといって前漢が当初より匈奴にたいして政治的に優位に立っていたわけではありません。前近代のユーラシア東部圏において、「先進的」な側が「後進的」な側にたいして政治的に優位に立っていたとは限らない、というわけです。

 同様のことは倭と百済の関係にも当てはまるでしょう。百済の「国際的」地位は不安定で、5世紀後半には滅亡しかけています(一旦は滅亡したと言えるかもしれません)。百済は倭の政治的支援(軍事的要素も含みます)を必要とする側であり、百済から倭への「先進的」な人材・文化・技術の流入も、倭の支援もしくは好意的立場への期待・見返りという側面が多分にあった、と考えるのが妥当なところだと思います。好太王碑からは、倭がじっさいに朝鮮半島に出兵し、百済と対立していた高句麗と戦って敗れたことが窺えますし、7世紀の百済滅亡時にも、倭は百済の残存勢力と組んで唐・新羅と戦い、敗れました。

 少なくとも5世紀以降、百済と新羅が倭に王族を派遣する一方で(これを人質としてのみ把握するのは妥当ではないでしょうが)、倭から百済と新羅への王族派遣の証拠はないことからも、倭と百済のどちらが政治的に優位に立つ傾向にあったのか、明らかだと思います。『隋書』には、百済と新羅は倭を大国とみなして敬っている、とあります。これは倭人の説明をそのまま採録しただけかもしれませんが、実態に近かったのではないか、と思います。このような状況で、百済が倭を植民地とすることはあり得なかっただろう、と思います。

 それ故に、百済から日本列島への渡来民・難民が、政治・文化も含めて日本(倭)の国家体制の確立に大きく寄与したことは間違いないとはいっても、その政治的地位は、ごく一部が上級貴族(公卿)の最下層に何とか昇進できる、という程度のものでしかありませんでした。したがって、少なくとも5世紀以降、倭(日本)の上位支配層に百済からの渡来民・難民が入り込む余地はまずなかった、と思います。おそらく、4世紀や3世紀においてもそうしたことはなかったでしょう。大王(天皇)や蘇我氏のような有力一族は、遅くとも4世紀までに日本列島に定住した人々の中から台頭してきた可能性がきわめて高いでしょう。もっとも、日本列島における氏族自体、おそらく5世紀後半〜6世紀前半にかけて形成されていき、5世紀の時点ではまだ後世ほどには明確ではなかったでしょう。なお、倭が百済にたいして政治的に優位に立つ傾向があったとはいっても、倭が百済を植民地にしていたとか、属国にしていたとかいった見解も的外れだと思います。

 日本植民地説については、倭と百済の密接な関係との歴史認識も要注意だと思います。『日本書紀』の編纂には亡命百済人の知識層も少なからず関わっていたと思われますし、何よりも、百済系史料が用いられたことは『日本書紀』に明記されています。そうすると、倭と百済との密接な関係との歴史認識も、百済滅亡後に「異国」で暮らしていかねばならない百済系知識層の立場による偏向を想定しなければならないでしょう。

 とはいっても、白村江の戦いはあまりにも無謀であり、倭と百済の親密な関係を想定しなければ理解できない、との見解もあるでしょう。そうした認識に基づき、天智天皇(当時、天皇という称号が用いられていたのか、確証はありませんが)は百済の王族だった、との説さえ主張されたほどです。しかし、もう18年近く前(2000年9月)に述べましたが(関連記事)、天智による百済救援は当時の「国際情勢」で理解できる妥当なものであり、それはその後の対朝鮮半島外交も同様です。

 百済は660年に滅亡したとはいえ、復興運動はかなりの成果を収め、一時は旧領の過半を回復する勢いを見せました。上述したように、5世紀後半にも百済は滅亡しかけてから復興しており、百済(残党)への支援は、当時としては無謀とは言えないでしょう。もちろん、南北朝時代だった5世紀後半とは異なり、660年には唐が存在し、その唐が新羅と共に百済を滅ぼした、という状況の違いはあります。しかし、当時はまだ高句麗が健在で、唐は太宗の時代と白村江の戦いの少し前にも高句麗に攻め入って撤退していました。

 客観的に見ても、当時、倭が百済救援方針を採用しても無謀とまでは言えないでしょうし、倭と百済との特別に密接な関係を想定する必要もないでしょう。もちろん、倭が激動の朝鮮半島情勢を傍観する選択肢も、唐・新羅と組む選択肢もあったわけですが、百済救援方針が無謀とは考えられなかったことと、窮地にある百済にたいして決定的に優位に立てそうなことから、百済救援方針が採用されたのでしょう。倭は、長年倭に滞在し、復興百済の王に迎えられることになった余豊璋に織冠を授けており、(将来の)百済王を明確に臣下に位置づけられる、という政治的成果に大きな価値を認めたのでしょう。まあ、仮に百済復興運動が成就していたとしたら、余豊璋やその後の王がいつまで倭(日本)の臣下という位置づけに甘んじていたのか、定かではありませんが。

 このように、白村江の戦いも倭と百済の特別に親密な関係を証明するわけではなく、「常識的」な「国際関係」の一つの在り様として理解できると思います。日本列島、その中でも北部九州はとくに朝鮮半島と地理的に近いのですが、近年の考古学的成果からは、縄文時代の北部九州はとても朝鮮半島南部と文化を共有する一帯の地域とは言えない、と指摘されています(関連記事)。もちろん、日本列島と朝鮮半島との交流は縄文時代以降、時代による密度の差はあれどもずっと続いていますが、対馬海峡は日本列島と朝鮮半島との大きな障壁として作用し続けたのかもしれません。

 倭と百済の密接な関係との歴史認識に偏りがあるとすると、問題となるのは倭(日本)と新羅との関係です。倭と新羅とは加羅地域などで対立している、という側面が強調されているように思いますが、これも、『日本書紀』の編纂に百済系知識層が関わり、百済系史料が引用・参照されていることと関わっているかもしれません。百済系知識層の中には、新羅に悪感情を抱く人が少なくなったのではないか、と推測されるからです。また、倭(日本)と新羅との関係の変容も、日本の新羅認識に影響を及ぼした可能性があります。新羅は唐と対立していた時期(おおむね天智朝末期〜持統朝)には倭(日本)にたいして低姿勢でしたが、唐との関係が改善されると、日本にたいする低姿勢の傾向を改めるようになります。その結果、日本と新羅の関係は悪化していき、そのような時期に『日本書紀』は編纂されました。

 そのため『日本書紀』では、新羅から倭(日本)への影響が過小評価されている側面が多分にあるかもしれません。逆に、百済から倭への影響は過大評価されている可能性があります。具体的には、たとえば、5世紀以降の日本の馬具への新羅の強い影響など、新羅と倭(日本)との関係は『日本書紀』から推測されるよりもずっと密接だった可能性があります。何よりも、倭(日本)と唐(周)の直接的関係が途絶えているなかで、飛鳥浄御原令と大宝律令が編纂されているわけですから、倭(日本)の律令編纂にさいして、直接的には新羅の影響が強かった可能性はじゅうぶん想定されると思います。
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アイスランドにおける人類集団の遺伝的浮動

2018/06/01 17:12
 アイスランドにおける人類集団の遺伝的浮動についての研究(Ebenesersdóttir et al., 2018)が報道されました。アイスランドへの人類の移住は紀元後870〜紀元後930年に始まり、その担い手はヴァイキングやその奴隷とされた人々だと推測されています。アイスランドの人類集団は、初期の移住後1000年間は人口が1万〜5万人と比較的小規模で、孤立していました。現在では、アイスランドには約33万人が居住しています。

 本論文は、アイスランドの27人の遺骸のゲノムを解析し、アイスランドの現代人と比較しました。放射性炭素年代測定により、年代は最初の移住に近い1000年前頃と推定されました。ゲノム解析の結果、初期アイスランド人は古代スカンジナビア人(現在のノルウェーとスウェーデン)とゲール人(現在のアイルランドとスコットランド)から、ほぼ同程度の遺伝的影響を受けている、と明らかになりました。しかし、現代のアイスランド人では、スカンジナビア系の遺伝的影響が70%と強くなっています。これは、1100年間での急速な遺伝的浮動の結果と考えられます。他の動物集団ではしばしば見られる、孤立した集団に起きる遺伝的浮動と同様の結果ではないか、というわけです。

 ただ、別の解釈も提示されています。スカンジナビア半島からの移住、とくにデンマーク人の比較的最近の移住もまた、アイスランド人の遺伝子プールに影響を及ぼした可能性がある、というわけです。他には、アイスランドの初期住民のうち奴隷にはゲール人の遺伝的影響が強く、スカンジナビア系の遺伝的影響の強い支配層の方がより多く子孫を残した(適応度が高い)可能性も提示されています。また、奴隷は支配層よりも丁寧に埋葬されなかったかもしれないので、標本数が少なく偏っている可能性も提示されています。アイスランドは狭く、人口規模が小さくて家系図が充実しているので、今後も人類遺伝学の研究に大きく寄与していくのではないか、と期待されます。


参考文献:
Ebenesersdóttir SS. et al.(2018A): Ancient genomes from Iceland reveal the making of a human population. Science, 360, 6392, 1028-1032.
https://dx.doi.org/10.1126/science.aar2625
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東南アジアの古代ゲノム解析

2018/05/18 05:21
 東南アジアの古代ゲノム解析に関する研究(Lipson et al., 2018B)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。東南アジアの現代人は遺伝的・言語的に多様ですが、どのように形成されたのか、詳細はよく分かっていません。東南アジアは一般的に高温多湿なので、より寒冷なヨーロッパと比較すると、DNAの保存には適していないため古代DNA研究も遅れています。本論文は、貴重な事例となる東南アジアの古代ゲノム解析結果を報告し、東南アジアにおける人口構造の形成史を検証しました。

 本論文は、東南アジアの146人の遺骸でDNA抽出を試み、そのうちベトナム・ミャンマー・タイ・カンボジアの18人でじゅうぶんな遺伝的情報を得ることに成功しました。年代は、新石器時代〜鉄器時代となる4100〜1700年前頃です。このうち最古の人類遺骸は、ベトナムのマンバク(Man Bac)遺跡で発見されました。マンバク遺跡で発見された、装飾陶器・複雑な翡翠装飾品などの遺物は、マンバク遺跡よりも古い中国南部の稲作農耕遺跡のものと類似しています。そのため、マンバク遺跡には、先住の狩猟採集民系統と、中国南部から新たに南下してきて稲作など新技術をもたらした農耕民系統とが居住していた、と考古学者たちは推測していました。マンバク遺跡の住民のゲノム解析からは、在来の狩猟採集民と中国南部からの移住民との混合が推測され、考古学の通説と合致しました。

 これらの中国南部から移住してきた初期農耕民は、オーストロアジア語族の祖語を東南アジアにもたらしたかもしれません。オーストロアジア語族は、現在では東南アジアに拡散しています。カンボジアのクメール人(Khmer)・インドのニコバル諸島のニコバル人・タイとラオスの国境のムラブリ人(Mlabri)といったオーストロアジア語族話者の人々のゲノムも、マンバク遺跡で見られたような、異なる祖先集団の混合を示しています。中国南部から東南アジアに南下してきた初期農耕民は、東南アジア全域に遺伝子と文化を広めたのではないか、と推測されています。

 さらに、ベトナム・カンボジア・ミャンマー・タイのもっと後の遺跡では、2000年前頃となる中国南部からの別の移住の波の痕跡も確認されました。この新たな移住者もまた農耕民で、おそらくは青銅器加工技術をもたらし、東南アジアは青銅器時代に入りました。この新たな移住の波を経て、東南アジアの各地域集団は、現在の各地域の住民と遺伝的に類似するようになりました。

 先住の狩猟採集民・初期農耕民・もっと後の移住民の波という3系統の混合により東南アジアの現代人の遺伝的構造が形成されたことは、古代DNA研究の進展により明らかになってきた、ヨーロッパ先史時代の集団形成史と類似しています。ヨーロッパでは、7000年前頃に近東からの移住民が農耕をもたらし、先住の狩猟採集民と混合して、もっと後の青銅器時代に中央アジア草原地帯からの移住の波があり、現在のような各地域集団の遺伝的構造が確立しました。ユーラシアの両端にあるヨーロッパと東南アジアで同じような時期に類似の移住・集団形成史が見られるのは、興味深いと思います。日本列島に関しても古代DNA研究が進むことを期待しています。


参考文献:
Lipson M. et al.(2018B): Ancient genomes document multiple waves of migration in Southeast Asian prehistory. Science.
https://dx.doi.org/10.1126/science.aat3188
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ユーラシア草原地帯の人類集団史とB型肝炎ウイルス感染の痕跡

2018/05/17 17:01
 ユーラシア草原地帯における人類集団史に関する二つの研究が報道されました。一方の研究(Damgaard et al., 2018B)は、約8000 kmに及ぶハンガリーから中国北東部までの広大なユーラシア草原地帯における、青銅器時代以降の約4000年間に及ぶ137人の古代人のDNA解析結果(平均網羅率は約1倍)を報告しています。さらにこの研究は、502人の現代人に自分の祖先の出身地(中央アジア・アルタイ・シベリア・コーカサス)を自己申告させ、そのゲノムデータを解析しました。こうして得られた知見から、ユーラシア草原地帯の人類集団の歴史が明らかになりました。

 鉄器時代を通してユーラシア草原地帯で優勢だったスキタイ人集団は、遺伝的には後期青銅器時代の牧畜民・ヨーロッパの農耕民・シベリア南部の狩猟採集民から構成される多様な起源を有していた、と明らかになりました。その後、スキタイ人は匈奴連合体を形成したステップ東部の遊牧民と混合し、紀元前3世紀もしくは紀元前2世紀頃に西方へ移動し、4〜5世紀にはフン族の伝統を築くとともに、「ユスティニアヌスの疫病」の根源となるペストを持ち込んだ、と推測されています。これらの遊牧民はさらに、中世の複数の短い汗国の時代に東アジアの集団と混合しました。こうした歴史的事象により、ユーラシア草原地帯は、ユーラシア西部の系統が大部分であるインド・ヨーロッパ語族の居住地から、東アジア系統の、現在のおもにチュルク語を話す集団の居住地へと変遷を遂げました。

 もう一方の研究(Mühlemann et al., 2018)は、ユーラシア中央部および西部の、7000〜200年前頃の304人のDNA解析結果を報告しています。注目されるのは、このうち25人がB型肝炎ウイルス(HBV)に感染していたと推測されることです。現在、約2億5700万人がHBVに慢性的に感染しており、2015年には約887000人が合併症を引き起こして死亡しています。HBVには少なくとも9タイプ存在しますが、どのように進化してきたのは不明でした。これら二つの研究は、ユーラシアの古代人合計304人中25人のゲノムにHBVの証拠が見つかった、と報告しています。古代のウイルスの塩基配列が今後新たに発見されれば、HBVの正確な起源と初期の歴史が明確になり、B型肝炎の負荷と死亡率に対する自然の変化および文化的変化の寄与の解明に役立つ可能性があります。

 この研究は、青銅器時代から中世にわたる、4500〜800年前頃の完全あるいは部分的な古代HBVゲノム12例(現存しない遺伝子型を含みます)について報告し、ヒトHBVと非ヒト霊長類HBVの現生種と共に解析しました。れらの古代ゲノム塩基配列は、現生人類のHBVクレードまたは他の類人猿のHBVクレードの内部に、あるいはそれらの姉妹系統として位置していました。HBV系統樹の根の年代は20900〜8600年前頃と推定されています。これらゲノムの特徴はおおむね、現代のHBVのものと一致しました。

 複数の例で、古代の遺伝子型の地理的位置と現在の分布とが一致しませんでした。現在のアフリカおよびアジアに典型的な遺伝子型と、インドに由来する亜型(subgenotype)は、初期にユーラシアに存在していたことが明らかになりました。古代HBVと現代HBVの遺伝子型に認められる地理的パターンおよび時間的パターンは、すでに立証されている青銅器時代および鉄器時代の人類移動のパターンと一致します。この研究は、HBVの遺伝子型Aが組換えによって生じ、さらに現代HBVの遺伝子型が長期にわたりヒトと関連してきた、と明らかにしています。また、現在は存在しないかつてのヒトの遺伝子型も発見されました。こうしたデータは、現代の塩基配列のみの検討では解明できないような、HBV進化の複雑さを明らかにします。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


【ゲノミクス】古代ゲノムで見つかった人類史と肝炎に関する手掛かり

 約1500〜4500年前に生きていた137人のヒトのゲノム塩基配列について報告する論文と、これらのゲノムと共に青銅器時代の167人のヒトのゲノムを解析し、合計304人中25人のゲノムにB型肝炎ウイルス(HBV)の証拠が見つかったことを報告する論文が、今週掲載される。これらの新知見は、数千年間にわたって、ユーラシア全土でヒトのHBV感染があったことを示唆している。

 Eske Willerslevたちは、第1の論文で、ハンガリーから中国北東部までの約8000 kmに及ぶ広大なユーラシア・ステップで生活していた137人の古代人のゲノム塩基配列を解読した結果を報告している。これらのゲノムは約4000年間を網羅している。Willerslevたちは、502人の現代人に自分の祖先の出身地(中央アジア、アルタイ、シベリア、コーカサス)を自己申告させて、そのゲノムデータを解析した。こうして得られた知見から、ユーラシア・ステップのヒト集団の歴史が明らかになり、青銅器時代のユーラシア出身の牧畜民から主に東アジア出身の騎馬兵士への移行がゆっくりと進んだことが示唆された。

 また、Willerslevたちは第2の論文で、約200〜7000年前に生きていた304人の中央ユーラシアと西ユーラシアの人々のDNA塩基配列を解析し、うち25人がHBVに感染しており、約4000年にわたってHBV感染があったことを示す証拠を報告している。Willerslevたちは、合計12点のHBVの完全ゲノムまたは部分ゲノム(現存しない遺伝子型を含む)を分離し、ヒトHBVと非ヒト霊長類HBVの現生種と共に解析した。その結果、現在の分布と一致しない領域に古代HBVゲノムが存在していたことと、少なくとも1つ以上の現存しない遺伝子型が明らかになった。

 全世界で約2億5700万人が慢性HBV感染に苦しんでおり、2015年にはその合併症で約88万7000人が命を落としているが、HBVの起源と進化は解明されていない。古代のウイルスのゲノム塩基配列が今後新たに発見されれば、HBVの正確な起源と初期の歴史が明確になり、B型肝炎の負荷と死亡率に対する自然の変化および文化的変化の寄与の解明に役立つ可能性がある。


集団遺伝学:ユーラシアのステップ全域に由来する137例のヒト古代ゲノム

社会人類学:青銅器時代から中世の古代B型肝炎ウイルス

集団遺伝学:古代ゲノムから明らかになった人類史とヒト肝炎の手掛かり

 今週号の2報の論文でE Willerslevたちは、ヒトの古代ゲノム解析により得られた、人類史と肝炎についての手掛かりについて報告している。1報目の論文では、過去4000年間にわたるユーラシアのステップ全域に由来する137例のヒト古代ゲノムについて、塩基配列の解読結果が示されている。自己申告に基づく系統が中央アジア、アルタイ、シベリア、およびコーカサスである現代人502人に関する遺伝子型を用いた解析からは、ユーラシアステップ中央部の集団史のモデルが示され、これは、例えば青銅器時代におけるユーラシア西部系統の牧畜民から東アジア系統の多い騎兵馬への漸進的な移行など、この地域についてのこれまでの歴史言語学的研究の結果と一致していた。2報目の論文では、前期青銅器時代から中世にわたるユーラシア中央部および西部のヒト骨格304体に由来する古代DNAの塩基配列を解析し、その中にB型肝炎ウイルス(HBV)の塩基配列を探索した結果が報告されている。完全または部分的に復元したHBVゲノム12例について、現代人HBVおよび非ヒト霊長類HBVの塩基配列と共に解析したところ、ユーラシア全域の人類が数千年にわたってHBVに感染していたことが示唆された。



参考文献:
Damgaard PB. et al.(2018B): 137 ancient human genomes from across the Eurasian steppes. Nature, 557, 7705, 369–374.
https://dx.doi.org/10.1038/s41586-018-0094-2

Mühlemann B. et al.(2018): Ancient hepatitis B viruses from the Bronze Age to the Medieval period. Nature, 557, 7705, 418–423.
https://dx.doi.org/10.1038/s41586-018-0097-z
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インド・ヨーロッパ語族の拡散の見直し

2018/05/11 18:38
 おもに5500〜3500年前頃となる、内陸アジアとアナトリア半島の74人の古代ゲノムの解析結果と比較を報告した研究(Damgaard et al., 2018A)が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。インド・ヨーロッパ語族の拡散については複数の仮説が提示されていますが、有力なのは、ポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)の遊牧民集団の拡散にともない、インド・ヨーロッパ語族祖語も広範な地域で定着していった、というものです。

 この「草原仮説」においては、ヤムナヤ(Yamnaya)文化集団の拡散が、ヨーロッパから西・中央・南アジアにまで及ぶ、インド・ヨーロッパ語族の広範な定着に重要な役割を果たしたのではないか、との想定もあります(関連記事)。ヤムナヤ文化集団は5000年前頃からヨーロッパへの大規模な拡散を始め、ヨーロッパに大きな遺伝的影響を残した、と推測されています(関連記事)。ヤムナヤ文化集団がインド・ヨーロッパ語族祖語を各地に定着させ、やがて言語が多様化していったのではないか、というわけです。ヤムナヤ文化集団が初めてウマを家畜化したとの見解も提示されており、ウマの家畜化や車輪つき乗り物の開発などによる移動力・戦闘力の点での優位が、ヤムナヤ文化集団の広範な拡散と大きな遺伝的影響をもたらした、と考えられます。

 しかし、ウマの家畜化については議論が続いており、カザフスタン北部のボタイ(Botai)文化集団が、初めてウマを家畜化した、との見解も提示されています(関連記事)。しかし、この研究では、現代におけるボタイ文化集団の遺伝的影響は小さく、中期〜後期青銅器時代に他集団に駆逐され、置換されたと推測されています。これは、ボタイ文化の初期家畜馬は現生家畜馬に2.7%程度しか遺伝的影響を及ぼしていない、という知見(関連記事)と整合的です。ボタイ文化集団は、3人のゲノム解析結果から、ヤムナヤ文化集団とは遺伝的に近縁関係にはなく、それぞれ独自にウマを家畜化したのではないか、と推測されます。ボタイ文化集団は、近隣の集団が農耕・牧畜を採用した後も長く狩猟採集生活を維持し続けたので、孤立していたとも考えられていましたが、ウマの埋葬儀式に関しては他のアジアの文化との共通点があり、他集団との交流は一定上あったと考えられます。

 ヤムナヤ文化集団がインド・ヨーロッパ語族祖語を広範な地域に拡散させた、との仮説の検証で重要なのは、インド・ヨーロッパ語族の使用が最初に確認されている、アナトリア半島を中心に繁栄した古代オリエントの強国ヒッタイトの住民と、ヤムナヤ文化集団との関係です。この研究では、アナトリア半島の住民の古代ゲノム解析の結果、古代アナトリア半島ではヤムナヤ文化集団の遺伝的影響は確認されませんでした。また、シリアの古代都市エブラ(Ebla)の記録から、インド・ヨーロッパ語族はすでにアナトリア半島で2500〜2400年前頃には用いられていたのではないか、と推測されています。この研究は、インド・ヨーロッパ語族集団はヤムナヤ文化の拡大前にアナトリア半島に到達していただろう、と指摘しています。

 中央・南アジアに関しても、ヤムナヤ文化集団の遺伝的影響はほとんど確認されませんでした。これまで、アジアにおけるユーラシア西部集団の遺伝的影響は、ヤムナヤ文化集団の拡散の結果と考えられ来ました。しかし、この研究は、その可能性が低いと指摘し、5300年前頃にユーラシア草原地帯の南方にいたナマズガ(Namazga)文化集団が、ヤムナヤ文化集団の大移住の前に、ユーラシア西部系住民の遺伝子をアジア人集団にもたらしたのではないか、と推測しています。

 ヤムナヤ文化集団の遺伝的影響はヨーロッパにおいて大きかったものの、アジアではたいへん小さかったようです。もちろん、文化的影響は遺伝的影響を伴うとは限りませんが、この研究で報告されたゲノム解析結果と比較は、ヤムナヤ文化集団がインド・ヨーロッパ語族祖語を広範な地域に定着させ、インド・ヨーロッパ語族は各地で多様化していった、という仮説と整合的とは言えないでしょう。インド・ヨーロッパ語族の拡散に関しては、この研究のように、学際的な研究の進展が欠かせない、と言えるでしょう。その意味で、この研究の意義は大きいと思います。


参考文献:
Damgaard PB. et al.(2018A): The first horse herders and the impact of early Bronze Age steppe expansions into Asia. Science.
http://dx.doi.org/10.1126/science.aar7711
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夏王朝の実在をめぐる議論と大化前代をめぐる議論の共通点(追記有)

2018/05/03 00:00
 夏王朝の実在認定をめぐって、日中ではかなりの温度差があったようです。佐藤信弥『中国古代史研究の最前線』(関連記事)第1章第2節によると、中国では夏王朝の実在は確実とされ、それを前提として議論が展開されているのにたいして、日本では夏王朝の実在認定に慎重だったようです。しかし、二里頭遺跡の発掘・研究が進み、原初的な王権と宮廷儀礼が成立していたと考えられ、二里頭文化の範囲がある程度まで広がっており、初期の殷に滅ぼされたと推測されることから、日本でも二里頭遺跡を夏王朝と認める研究者が増えてきているそうです。

 しかし、竹内康浩『中国王朝の起源を探る』(関連記事)では、二里頭文化においてすでに「礼制」が成立し、新石器時代においては分節的で横並びだった地域間関係のなかに、はじめて一つの中心的位置を占める地域的文化として登場し、地域間関係を再編成していった、と二里頭文化の画期性が指摘されているものの、なおも夏王朝の実在認定には慎重です。それは、出土文献で確認されないからです。二里頭遺跡が後世の出土もしくは伝世文献に「夏」と見える王朝と部分的にせよ一致しているのか、確認できていない、というわけです。

 これは夏王朝の実在を確認できないということであり、夏王朝は実在しなかった、と主張しているわけではありません。殷よりも前に初期王朝もしくは国家と呼べるかもしれないような政治勢力は存在したものの、それを「夏王朝」と呼ぶのはまだ妥当ではないだろう、というわけです。これは実にまっとうな姿勢と言うべきで、中国では夏王朝の実在が確実と考えられているのに、日本では懐疑的な姿勢が見られるのは、日本の研究者の側に何らかの偏見があるからではなく、あくまでも研究者として禁欲的な姿勢を貫いているからと言うべきでしょう。

 『中国古代史研究の最前線』によると、夏王朝の実在を認める日本の研究者にしても、現時点での証拠からは文献に見える夏王朝に関する記載がどれほど事実を伝えているのか、証明は難しいと指摘しています。中国の考古学者にしても、夏王朝の実在を前提としながらも、論文などでは「夏王朝」ではなく「夏文化」や「夏商考古学」など曖昧な表現を採用しているそうです。落合淳思『古代中国の虚像と実像』(関連記事)では、現存の文献資料の夏王朝の記述に二里頭文化を反映した部分は一文もないとのことで、やはり、同書が提言しているように、二里頭遺跡を王朝の証拠として認めるにしても、「夏王朝」ではなく「二里頭王朝」と表記すべきなのでしょう。なお、『中国古代史研究の最前線』によると、夏王朝に関する現時点で最古の記載は西周の金文ですが、これには偽銘の疑いがあるそうです。

 このように、二里頭遺跡を夏王朝実在の根拠とすることにはかなり無理があると思うのですが、『中国王朝の起源を探る』によると、近年中国では、二里頭遺跡をもって夏王朝実在の考古学的根拠とされ、概説や通史では、二里頭遺跡の考古学的成果が夏王朝史として述べられているのではなく、文献で伝えられている夏王朝の記載を根拠として夏王朝史が述べられていることがきわめて多いそうです。考古学的に夏王朝の実在が証明されたので、夏王朝に関する文献上の記述がそのまま史実を伝えるものとして認定される傾向が強い、というわけです。これは明らかに問題で、『中国古代史研究の最前線』で指摘されているように、考古学的資料を文献の奴隷や脚注にしてしまう行為だと言えるでしょう。ただ、こうした状況を苦々しく思っている中国の研究者は少なくないかもしれません。


 こうした傾向が問題なのは日本史についても同様です。以前、雄略天皇(5世紀に天皇という称号が用いられていたとは思いませんが、便宜的にこう表記します)について雑感を述べましたが(関連記事)、雄略についても、夏王朝の実在をめぐる議論と通ずる問題があるように思います。雄略の実在を疑う人は皆無に近いでしょうし、確実な証拠もあるとされます。一つは、稲荷山古墳鉄剣銘に見える「獲加多支鹵(ワカタケル)大王」で、もう一つは『宋書』に見える「倭王武」です。年代的にも、この三者を同一人物と考えてもおかしくはない、というかその可能性が高いとは言えるでしょう。

 ただ、上記の記事で取り上げた遠山美都男氏の指摘にあるように、そもそも実在か否かという問題設定自体を疑問視すべきかもしれません。また、遠山氏が指摘するように、雄略と獲加多支鹵大王・倭王武を一応は切り離して考えることも必要だと思います。じっさい、『宋書』に見える「倭王武」の記述と『日本書紀』に見える雄略の記述とはあまり重なりません。もっとも、父と兄の跡を継いだという系譜は一致すると言ってもさほど問題ないでしょう。その両者を相次いで亡くしたという倭王武の上表文と、父の允恭天皇が亡くなり、その3年後に位を継承した兄も亡くなって(殺害されて)雄略が即位した、との『日本書紀』の記事も符合すると言えるかもしれません。しかし、これも確定的とするには弱いと思います。

 雄略と獲加多支鹵大王の関係にしても、前者の宮は泊瀬朝倉なのにたいして、後者は斯鬼宮にいたとされます。泊瀬朝倉を含む一帯を5世紀後半にはシキと呼んだ可能性も、雄略が複数の宮を設けた可能性も考えられますが、記録を表面的に見ると一致はしていません。なお、遠山氏も倭王武=獲加多支鹵大王は確実と考えていますが、上記の雑感でも述べたように、私は以前から確定とは言えないのではないか、と考えていました。河内春人『倭の五王』は、武の前の興が獲加多支鹵大王だった可能性も提示し、倭の五王を安易に記紀の「天皇」に比定することに注意を喚起しています(関連記事)。

 このように、私は雄略=倭王武=獲加多支鹵大王という有力説にやや懐疑的なのですが、これが有力説で、一定以上の根拠があることも否定できないでしょう。少なくとも、二里頭遺跡を夏王朝と結びつけるよりもずっと説得力があると思います。しかし、たとえ雄略は「実在」したとの仮説がかなりの程度有力だからといって、『日本書紀』の雄略に関する記述をそのまま概説・通史に反映させれば、それは問題だと思います。『日本書紀』の雄略に関する記述で、(準)同時代の文献(出土文献と伝世文献)たる稲荷山古墳鉄剣銘および『宋書』と一致していると言えそうなのは、せいぜい名前と系譜くらいで、即位事情も一致していると解釈できるかもしれない、という程度です。

 同様のことは、「実在」した最初の「天皇」と考えている人も多いだろう崇神と、その後の垂仁・景行にも言えます(崇神・垂仁とは異なり、景行は名前から実在を疑う見解も少なくなさそうですが)。崇神以降の「天皇」を実在と考えると、崇神の在位年代は3世紀後半〜4世紀前半と考えて大過はないでしょう。考古学的には、3世紀半ば〜後半(4世紀にまでくだるかもしれませんが)の箸墓古墳が、日本列島における王権・国家形成史において時代を画すると言えそうで、ここで本州・四国・九州のかなりの範囲に及ぶ何らかの王権・政治勢力が成立した可能性は高そうです。その中心地は、纏向遺跡である可能性が高そうです。

 考古学的には、ここまで言っても大きな問題はないでしょう。これを『日本書紀』と照合すると、崇神・垂仁・景行という3代の宮は纏向遺跡もしくはその周辺地域にあり、垂仁に関しては埴輪の始まりを伝える記述もあります。崇神・垂仁・景行の3代に関する文献は、少なくとも夏王朝よりはずっと、考古学的研究成果から推測される内容を反映している、とも解釈できます。まあ、私はやや懐疑的ですが。しかし、だからといって、崇神・垂仁・景行に関する『日本書紀』の記述をそのまま概説・通史に反映させれば、やはり問題でしょう。

 日本史に関しても、中国史と同様に、考古学的資料を文献の奴隷や脚注にしてはならない、と言うべきでしょう。ただ、『古代中国の虚像と実像』の感想記事でも述べましたが、中国の経済・軍事・政治力の強化とともに、「夏王朝」の「実在」が「正しい歴史認識」・「真実の歴史」として日本国内でも声高に主張されるようになるかもしれません。しかも、利害関係や中国側の脅迫なしに、「進歩的で良心的な」勢力により「自主的に」主張される可能性は低くありません。戦後、政府に限らず日本社会にアメリカ合衆国への従属的な姿勢があることは否定できないでしょうが、やはりそれも利害関係やアメリカ合衆国側の脅迫なしに、「現実主義者」が「自主的に」主張している側面も多分にあると思います。

 あるいは、「夏王朝」の「実在」に疑問を呈すと、「歴史修正主義者」とか「ネトウヨ」とか「自主的な」多くの人から批判されるような時代が到来するかもしれませんが、そうなったとしたら、個人としてはできるかぎり抵抗したいものではあります。逆に、今後日本社会で「愛国的」な動向がずっと強まり、雄略の「実在」に疑問を呈すと、「非国民」とか「反日」とか「自主的な」多数派から批判されるような時代が到来するかもしれませんが、そうなったとしたら、こちらにも個人としてはできるかぎり抵抗したいものではあります。


追記(2018年5月3日)
 述べ忘れていたことがあったので、追記しておきます。雄略に関する雑感でも引用しましたが、遠山氏は、崇神が実在したのか否か、との議論にはあまり意味を見出していません。私も同意で、5世紀後半と考えられる稲荷山古墳鉄剣銘には、擬制的かもしれませんが、自らの祖先をたどろうとする傾向が見られるものの、それが4世紀、さらには3世紀にまでさかのぼるのか、確定したとは言えないでしょう。5世紀には王位は特定の一族に限定されていなかった、との見解も提示されていますが(関連記事)、そうだとすると、やはり4世紀以前に王の名前を正確に継承しようという強い意識があったのか、疑問は残ります。

 崇神と垂仁の名前は「7〜8世紀風」ではなさそうということから、両者の実在の根拠とされてきましたが、直接的な証拠はありません。崇神・垂仁・景行の3代に関する『日本書紀』の記述には、古墳時代初期というか、ヤマト(纏向遺跡)を中心とした広範な政治的勢力・王権の初期を反映したものがある可能性も考えられますが、決定的ではありません。何らかの記憶が継承されていた可能性も否定できませんが、6世紀以降の支配層によりに名前と系譜も含めて新たに紡がれた物語(建国神話)である可能性も、じゅうぶん考えられると思います。確かに、崇神・垂仁・景行の3代をはじめとして、継体よりも前の『日本書紀』の記述に、考古学的成果と符合すると解釈できそうな箇所はありますが、だからといってそれが『日本書紀』の他の記述の信頼性を高めるとは限りません。やはり、安易に『日本書紀』の説話的な記述を採用すべきではないでしょう。

 これは、殷に関する問題も同様だと思います。殷は、『史記』などの伝世文献と、殷後期〜周最初期という同時代の出土文献で一致点が多いことから、実在した王朝と表現して基本的に問題ないでしょう。日本古代史との比較で言えば、崇神・垂仁・景行の3代はもとより、雄略よりもはるかに「実在性」は高いと言えるでしょう。しかし、だからといって、たとえば『史記』のような伝世文献に見える殷についての記述が、とくに説話的な箇所まで史実を反映しているのかというと、大いに疑問です。

 確かに、たとえば『史記』に見える殷の王の系譜は、殷末期の「同時代資料」のそれとおおむね一致しています。これは、殷末期の系譜が漢代武帝期までかなり忠実に継承されていることを意味します。しかし、だからといって、『史記』の殷に関する記述全体が信用できるのかというと、それはやはり「同時代資料」による裏付けが必要となるでしょう。また、そもそも殷の王の系譜にしても、あくまでも殷後期〜末期の支配層の認識であり、史実だと断定するのには無理があると思います。もちろん、史実に忠実なところは多分にあるのでしょうが、殷王朝内の「敗者」にとってはまた異なる系譜があり得た、との想定は無理筋ではないと思います。
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佐藤信弥『中国古代史研究の最前線』

2018/04/29 08:28
 星海社新書の一冊として、星海社から2018年3月に刊行されました。本書は紀元前21世紀〜紀元前1世紀頃までを対象に、伝世文献主体だった中国古代史研究が、近代以降に出土文献も含む考古学的研究の進展によりどのように変わってきたのか、解説しています。「**研究の最前線」というような題の一般向け書籍は、複数の執筆者で構成されていることが多いと思いますが、本書は殷王朝の前から前漢王朝末期までの約2000年間分を一人が執筆しています。しかし、本書は対象を伝世文献と出土文献および主な考古学的な遺物・遺構に限定しており、禁欲的というか、一人の執筆者の扱う範囲として良心的と言えるかもしれません。その分、期待していた環境考古学や古代DNA研究による中国古代史研究の見直しには言及されていないので、今後はそのような本・論文を少しずつ読んでいこう、と考えています。

 本書が強調しているのは、考古学的資料を文献の奴隷や脚注にしてはならない、ということです。出土文献など考古学的資料を安易に伝世文献の枠組みのなかで理解することが戒められているわけですが、これはもっともだと思います。近年、中華人民共和国では、殷よりも前の政治勢力の痕跡と思われる二里頭文化をもって夏王朝実在の証拠とし、伝世文献の夏王朝に関する記述が無批判に史料として引用される傾向もあるそうです。本書はこうした傾向に批判的で、二里頭文化を夏王朝と呼ぶことにやや慎重な姿勢を示しています。私も本書の慎重な見解に同意します。

 私は小中学生の頃に伝世文献に基づく子供向け中国史を読んで育ったので、成人後に出土文献を取り入れた研究成果に基づく一般向け書籍もそれなりに読んできたとはいえ、今でも、本書が提示するような中国古代史像には馴染めないところがあります。本書を読んで一般向け書籍としてはやや難しいのではないか、と思ってしまったのは、私の勉強不足が大きいのでしょう。とはいえ、本書の提示する中国古代史研究の最新の動向は興味深く、優先順位はそれほど高いわけではありませんが、今後も少しずつ追いかけていきたいものです。
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新石器時代のウシの頭蓋手術?

2018/04/23 18:34
 新石器時代のウシの頭蓋に開けられた穴についての研究(Rozzi, and Froment., 2018)が公表されました。人類史において頭蓋手術の最古の証拠は中石器時代のもので、穿頭術(頭蓋骨の層に穿孔、切断、または削り取りによって穴を開ける手術)の証拠の残る最古のヒト頭蓋骨は、過去に用いられた技術に類似した技術が使用されたことを示唆しています。この研究は、フランスのシャンデュラン(Champ-Durand)の新石器時代となる紀元前3400〜紀元前3000年頃の遺跡で発見されたウシの頭蓋骨を分析しました。

 その結果、ウシの右前頭葉の骨に穴が開いていたと明らかになったものの、頭部の強打と一致する骨折や破片は見つかりませんでした。そのため、別のウシの角で突かれた跡とも考えられました。しかし、この穴の断面がほぼ正方形で、外部の力による圧力を示す痕跡がなく、穴の周囲に切り痕があるので、この穴の原因が外科的処置であった可能性が示唆されます。また、治癒の証拠が見つかっていないので、この外科的処置がウシの死体を使って行なわれたか、処置中にウシが死んだことが示唆されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【考古学】新石器時代に行われていたウシの頭蓋手術

 新石器時代遺跡(紀元前3400〜3000年)で発見されたウシのほぼ完全な頭蓋骨の分析が行われ、ウシの頭蓋手術が行われた可能性が示唆されていることを報告する論文が、今週掲載される。この新知見は、動物の外科的実験が行われていたことを示す最古の証拠となる可能性がある。

 ヒトの歴史において頭蓋手術の最古の証拠は中石器時代(紀元前約1万〜2700年)のもので、穿頭術(頭蓋骨の層に穿孔、切断、または削り取りによって穴を開ける手術)の証拠の残る最古のヒト頭蓋骨は、過去に用いられた技術に似た技術が使用されたことを示唆している。

 今回、Fernando Ramirez RozziとAlain Fromentは、シャンデュラン(フランス)の新石器時代遺跡で発見されたウシの頭蓋骨を分析した。右前頭葉の骨に穴が開いていたが、頭部の強打と一致する骨折や破片は見つからなかった。そのため、別のウシの角で突かれた跡とも考えられた。しかし、この穴の断面がほぼ正方形であること、外部の力による圧力を示す痕跡がないこと、穴の周囲に切り痕があることから、この穴の原因が外科的処置であった可能性が示唆される。また、治癒の証拠が見つかっていないことから、この外科的処置がウシの死体を使って行われたか、処置中にウシが死んだことが示唆されている。



参考文献:
Rozzi FR, and Froment A.(2018): Earliest Animal Cranial Surgery: from Cow to Man in the Neolithic. Scientific Reports, 8, 5536.
https://dx.doi.org/10.1038/s41598-018-23914-1
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桜井万里子、本村凌二『集中講義!ギリシア・ローマ』

2018/04/22 00:00
 これは4月22日分の記事として掲載しておきます。ちくま新書の一冊として、筑摩書房から2017年12月に刊行されました。20年前の『世界の歴史5 ギリシアとローマ』(中央公論社、1997年)と同じ著者二人による古代ギリシア・ローマ史です。この間、研究は大きく進展しているでしょうから、時間を作って『世界の歴史5 ギリシアとローマ』を再読し、違いを見つけていくのも楽しいかもしれません。

 ただ、古代ギリシア・ローマ史の概説書という制約を課せられていた『世界の歴史5 ギリシアとローマ』にたいして、本書はより自由な姿勢で執筆されたとのことで、古代ギリシア・ローマ史の復習としてよりは、現代社会も視野に入れた新たな視点・考察への示唆として読むべきなのかな、とも思います。さすがに大御所二人の解説・対談だけに、本書から得るものは少なくないと思います。

 本書は、第1章では政治体制、第2章では文化・生活について、ギリシア・ローマの観点から著者二人がそれぞれ解説した後、第3章で著者二人の対談を収録する、という構成になっています。一般向け概説書という制約がないため、弁論や奴隷制など、特定の観点からの古代ギリシア・ローマ史という性格が強く出ています。古代ギリシアとはいっても一様ではないという指摘と、古代ギリシアは古代ローマよりも非寛容な傾向がある、との指摘がとくに印象に残ります。

 第3章は著者二人による対談ですが、暴走気味の本村氏にたいして、桜井氏が(困惑しつつ?)突っ込みを入れている様子が窺え、私のような非専門家の部外者が読む分には、その点でも楽しめました。意外だったのは、桜井氏が『黒いアテナ』を一定以上評価していることです。桜井氏によると、『黒いアテナ』の主張はある程度受け入れられ、古代ギリシア文化におけるオリエントの影響の大きさを重視すべきだ、という見解が主流になりつつあるそうです。
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天皇号と日本国号の画期性

2018/04/12 00:00
 これは4月12日分の記事として掲載しておきます。入院中に考えていたことを短くまとめてみます。天皇号と日本国号の画期性については、たとえば、網野善彦『日本の歴史第00巻 「日本」とは何か』(講談社、2000年)で強調されています。しかし、そうした見解には疑問も残ります。まずは天皇号についてです。天皇号の成立時期については、天武朝説が有力だと思いますが、推古朝説や、遅くとも天智朝には成立していたという説も提示されています(関連記事)。ただ、天武朝成立説では、天皇は天武個人の称号だった、との見解が有力だと思います。

 天皇号の成立時期について、有力な天武朝説を前提とすると、日本国号の採用および律令制定の時期と近接していることからも、その画期性が強調されても不思議ではありません。ただ、養老令(おそらく大宝令でも)儀制令では日本国君主の称号は場面により天子・天皇・皇帝と使い分けると規定されており、天皇とは本来「もう一つの中華世界の皇帝(天子)」に他ならないと思います。もちろん、実態も同じだったわけではありませんが、あくまでも理念的には、ということです。天皇号にしても、天武朝とかなり時代の重なる唐の高宗が用いています。すでに推古朝の遣隋使で天子と称していたように、天皇号の成立は当時の日本(倭)が「(中華世界的)普遍性」を追求した長い歴史の中に位置づけられるべきで、決定的な画期とは言えないのではないか、との疑問は残ります。

 現代日本社会では、どうも天皇と(中華世界の)皇帝との同質性が軽視されているように思います。上述したように、日本国君主の称号は、本来天皇に一元化されていたのではなく、天子でもあり皇帝でもありました。律令制成立当初の日本は、理念的には「もう一つの中華」を目指した国だった、ということは強調されるべきでしょう。日本国の正史である『続日本紀』では、日本が「中国」と表記されることさえありました。このように天皇と(中華)皇帝との同質性が軽視されているのは、近代になって日本国君主の称号の表記がほぼ天皇に一元化された一方で、中華世界では唐代半ば以降に(おそらくは)君主の称号として天皇号が用いられなかったからなのでしょうが、その近代日本においても、皇帝が用いられることもありました。これは、中世〜近世後期にかけて天皇号は公的には用いられなかったことが、一般にはあまり知られていない(だろう)こととも関連しているのでしょう。

 日本国号成立に関しても過大評価されているのではないか、との疑問は残ります。小林敏男『日本国号の歴史』(吉川弘文館、2010年)では、日本国号の画期性を強調する見解は呼称の変化に本質(実体)を見る観念的言説で、自称としてのヤマトの連続性が強調されています(関連記事)。同書では、日本という国号の表記の発信源は中華世界にあり、百済や新羅、とくに百済の知識人が倭の別称として用いたのが直接の起源で、それが渡来人などによりヤマトに伝わり、遅くとも天智朝期には、ヤマト朝廷周辺で百済系渡来人や知識人の間で使用されており、正式に対外的な呼称として採用される前提を形成していたのだ、と推測されています。

 確かに、天皇号にしても日本国号にしても、その成立の意義を軽視することはできませんが、ともに当時の日本(倭)が「(中華世界的)普遍性」を追求した長い歴史の中に位置づけられるべきで、その画期性の強調は、多分に呼称の変化に本質(実体)を見る観念的言説ではないか、とも思います。確かに、律令の制定は日本列島において画期ですが、それにより中央集権的体制が確立したというよりは、通俗的に律令体制の「崩壊」と言われるような過程を経て、「日本国」という枠組みはむしろ浸透していったのではないか、と思われます(関連記事)。このような展開の延長線上に、平安時代後期〜江戸時代にかけての長く緩やかな変容があり、日本の「伝統社会」が成立したのではないか、というのが私の見通しです。
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タイトル 日 時
楊海英『「中国」という神話 習近平「偉大なる中華民族」のウソ』
 これは4月8日分の記事として掲載しておきます。文春新書の一冊として、文藝春秋社から2018年1月に刊行されました。本書は内陸アジアの視点から「中国」を相対化し、中華人民共和国における体制教義とも言える「中華民族」なる概念(関連記事)に疑問を呈しています。本書が強調する中華人民共和国の民族差別について、誇張や認識の誤りを指摘する識者もいるかもしれませんが、大きくは外していないように思います。まあ、門外漢の感想・印象にすぎませんし、本書を差別本・「ネトウヨ」的だとして罵倒・嘲笑する人は少なくないか... ...続きを見る

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2018/04/08 00:00
人類の拡散などチベット関連記事のまとめ
 これは4月7日分の記事として掲載しておきます。チベット関連の記事をまとめてみます。チベット高原高地帯における人類の痕跡は15000年以上前までさかのぼるものの、人類が生活していたのか、それとも短期間の野営場として利用したのか、定かではありません(関連記事)。チベット高原高地帯における農耕は3600年前頃までさかのぼり、海抜3400mにまで達しましたが、それ以前のチベット高原における農耕は海抜2500m以下に限定されていました(関連記事)。そのため、チベット高原高地帯における人類の永続的な定住年... ...続きを見る

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2018/04/07 00:00
新石器時代〜青銅器時代のヨーロッパにおける大規模な移住の性差
 これは4月4日分の記事として掲載しておきます。取り上げるのが遅れてしまいましたが、新石器時代〜青銅器時代のヨーロッパにおける人類の大規模な移住の性差に関する研究(Goldberg et al., 2017)が報道されました。人類史においてはたびたび大規模な移住が見られますが、性別の偏りが伴っている場合もあります。たとえば、ヨーロッパ勢力がアメリカ大陸へと侵出していったさいには、さまざまな証拠から、単身男性に偏っていたと考えられています(関連記事)。 ...続きを見る

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2018/04/04 00:00
漢籍と日本史料に見える異文化の名前・称号の理解
 これは3月24日分の記事として掲載しておきます。隋や唐の日本(倭)にたいする理解について、ツイッターで最近述べたことや過去のネットでの発言を再構成します。遣隋使をめぐる『隋書』と『日本書記』の相違についてはよく知られているでしょうが、10年以上前(2008年3月4日)に関連論文を取り上げたことがあります(関連記事)。『隋書』や『旧唐書』や『新唐書』などといった中華地域の漢文史料と、『日本書紀』など日本史料との相違は議論となっていますが、以下の東野治之『遣唐使』(関連記事)の以下の指摘(P23)... ...続きを見る

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2018/03/24 00:00
中央アナトリア高原における初期農耕の伝播
 これは3月22日分の記事として掲載しておきます。中央アナトリア高原における初期農耕の伝播に関する研究(Baird et al., 2018)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。南西アジアの「肥沃な三日月地帯」は、紀元前10世紀〜紀元前9世紀という、世界でも最初期に農耕の始まった地域です。ここから周辺地域にどのように農耕が伝播したのか、本論文は検証しています。かつては、狩猟採集から農耕・牧畜への移行は移住民を伴い短期間だった、と考えられていましたが、本論文の提示する見... ...続きを見る

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2018/03/22 00:03
中世初期のバイエルンに見られる移住の性差
 これは3月20日分の記事として掲載しておきます。中世初期のバイエルンに見られる移住の性差に関する研究(Veeramah et al., 2018)が報道されました。ローマ帝国西方の衰退・崩壊の頃から始まる、いわゆる民族大移動の期間の6世紀中頃には、現在のバイエルンにバヨヴァリー(Baiuvarii)族と呼ばれる集団が存在していた、と文献記録に見えます。バヨヴァリー族はローマ帝国辺境の住民とドナウ川北部の住民との混合により形成された、と考えられています。 ...続きを見る

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2018/03/20 00:02
ヒツジとヤギの家畜化過程の違い
 これは3月8日分の記事として掲載しておきます。ヒツジとヤギの家畜化過程の違いに関する研究(Alberto et al., 2018)が公表されました。これまでにさまざまな家畜が、従順さ・成長の速さ・スタミナといった特定の形質を定着させるために選択的に交配されてきました。ヒツジの野生原種であるアジアムフロン(Ovis orientalis)とヤギの野生原種であるパサン(Capra aegagrus)は、それぞれ10500年前頃に中東(具体的にはアナトリア南東部とイランのザグロス山脈)で家畜化され... ...続きを見る

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2018/03/08 00:00
野生の馬はもう存在していなかった
 これは2月26日分の記事として掲載しておきます。馬の古代ゲノムを解析・比較した研究(Gaunitz et al., 2018)が報道されました。AFPでも報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。馬の家畜化については議論が続いていますが、5700〜5100年前頃となる、カザフスタン北部のボタイ(Botai)文化が、馬の家畜化の確実な証拠としては最古になる、との見解が提示されています(関連記事)。ボタイ遺跡の動物の骨の95%以上は馬で、馬の利用に特化した生活様式だったようです... ...続きを見る

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2018/02/26 00:03
河内春人『倭の五王 王位継承と五世紀の東アジア』
 これは2月25日分の記事として掲載しておきます。中公新書の一冊として、中央公論新社から2018年1月に刊行されました。『古事記』・『日本書紀』にはあまり依拠せず、おもに中華地域と朝鮮の史料および考古学的研究を活用しているのが本書の特徴です。また、本書の特徴としては、倭の五王を東アジア史のなかに位置づけるという姿勢が強く現れていることも挙げられます。もちろん、倭の五王に言及したこれまでの本・論文も、第二次世界大戦以降であれば、東アジア史を強く意識してはいたのでしょうが、本書は、朝鮮半島や中華地域... ...続きを見る

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2018/02/25 00:00
主要な河川から離れた地域でも繁栄したインダス文明
 これは2月19日分の記事として掲載しておきます。インダス文明の繁栄と河川との関係についての研究(Singh et al., 2017)が公表されました。初期の都市社会の居住地の位置は、河川の移動に影響されてきたと考えられています。しかし、青銅器時代のインダス文明(4600〜3900年前頃)の人々の居住地が最も集中していたのは、インドとパキスタンのガンジス川-ヤムナー川水系とインダス川水系に挟まれた地域で、主要な現河川から遠く離れていました。このように河川から離れていた居住地がどのようにして繁栄... ...続きを見る

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2018/02/19 00:00
石野裕子『物語 フィンランドの歴史 北欧先進国「バルト海の乙女」の800年』
 これは2月4日分の記事として掲載しておきます。中公新書の一冊として、中央公論新社から2017年10月に刊行されました。本書はフィンランドの通史で、基本的にはスウェーデンの支配下以降の時期が対象となっています。新石器時代や更新世についてもわずかに言及されており、フィンランド西部で4万年以上前のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の痕跡が1980年代に発見された、との興味深い記述もあるのですが、北緯53度よりも北方では明確なネアンデルタール人の遺跡は発見されていないので... ...続きを見る

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2018/02/04 00:00
フェニキア人のmtDNA解析
 これは1月13日分の記事として掲載しておきます。フェニキア人のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析についての研究(Matisoo-Smith et al., 2018)が報道されました。フェニキア人は紀元前1800年頃に北部レヴァントに出現し、紀元前9世紀までには地中海全域に拡散していました。しかし、フェニキア人の情報はおもにギリシアとエジプトの記録に依拠しており、そこには偏りが生じているかもしれません。本論文は、サルデーニャ島とレバノンのフェニキア人およびフェニキア人出現前の住民の古代mt... ...続きを見る

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2018/01/13 00:00
火山の噴火と古代エジプトの衰退の関係
 火山の噴火と古代エジプトの衰退の関係についての研究(Manning et al., 2017)が公表されました。AFPやナショナルジオグラフィックでも報道されています。大都市アレクサンドリアに首都を置いたプトレマイオス朝時代(紀元前305〜30年)のエジプトの繁栄は、ナイル川と直接結びついていました。夏になると発生するナイル川の洪水は、おもにエチオピア高原でのモンスーンによる降水に起因しており、ナイル川流域の農業を成立させるために必須でした。詳細に記述された当時の文献には、ナイル川の洪水がない... ...続きを見る

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2017/11/01 00:00
渡辺克義『物語 ポーランドの歴史 東欧の「大国」の苦難と再生』
 これは10月22日分の記事として掲載しておきます。中公新書の一冊として、中央公論新社から2017年7月に刊行されました。本書は10世紀後半〜現代までのポーランド史を概観しています。ポーランド映画への言及は多めなのですが、政治史が主体で、文化史・経済史は少なく、社会構造への言及はきわめて少なくなっています。ポーランドの通史なのですから、もう少し幅広く取り上げられていてもよいのではないか、とも思いますが、「物語」としての通史という企画意図なのでしょうから、政治史が主体となるのは仕方のないところでし... ...続きを見る

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2017/10/22 00:00
白石典之『モンゴル帝国誕生 チンギス・カンの都を掘る』
 これは9月10日分の記事として掲載しておきます。講談社選書メチエの一冊として、講談社より2017年6月に刊行されました。なぜチンギスというかモンゴルが12世紀末以降に台頭し、短期間で大勢力を築いたのか、専門家の間でも決定的な見解はまだ提示されていないようです。文献からだけでは解明に限界のあるこの謎を、本書は考古学的観点から検証しています。本書は古気候学や古生態学の研究成果を大きく取り入れ、学際的な内容になっています。気候変動とチンギスやその周囲の諸勢力の動向を結びつける見解は興味深いものでした... ...続きを見る

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2017/09/10 00:00
後期新石器時代〜初期青銅器時代の中央ヨーロッパにおける配偶形態
 これは9月8日分の記事として掲載しておきます。後期新石器時代〜初期青銅器時代の中央ヨーロッパにおける配偶形態についての研究(Knipper et al., 2017)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。この研究は、ドイツの南バイエルンのレヒ川(Lech River)渓谷にある後期新石器時代〜初期青銅器時代にかけての7ヶ所の遺跡を調査しました。7ヶ所の遺跡の84点の人類遺骸は放射性炭素年代測定法により年代が推定され、さらには、ミトコンドリアDNA(mtDNA)・酸素安... ...続きを見る

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2017/09/08 00:00
澁谷由里『<軍>の中国史』
 これは9月3日分の記事として掲載しておきます。講談社現代新書の一冊として、講談社から2017年1月に刊行されました。本書は軍事的観点からの中国通史です。古代・中世(唐代まで)と近世(宋〜18世紀末まで)にも1章ずつ、近代以降に3章割かれています。現代中国社会では、前近代と近代との境目としてアヘン戦争が特筆されているようですが、本書では太平天国の乱が重視されており、さらにその前史として、18世紀末の白蓮教徒の乱が取り上げられています。 ...続きを見る

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2017/09/03 00:00
青銅器時代のミノア人とミケーネ人のDNA解析(追記有)
 これは8月4日分の記事として掲載しておきます。青銅器時代のミノア人とミケーネ人のDNA解析に関する研究(Lazaridis et al., 2017)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。これまでの古代DNA研究で、初期ヨーロッパ農耕民の主要な祖先は、紀元前7千年紀からギリシアと西部アナトリア半島に居住していた、複数のきわめて類似した新石器時代の集団とされています。それ以降、青銅器時代までのこれらの地域の歴史についてはさほど明確になっておらず、ギリシア本土とクレタ島の... ...続きを見る

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2017/08/04 00:00
古代エジプト人のDNA解析
 これは6月2日分の記事として掲載しておきます。古代エジプト人のDNA解析結果を報告した研究(Schuenemann et al., 2017)が報道されました。この研究は、古代エジプト人のDNAを解析し、古代の西アジアやヨーロッパの住民およびエジプトも含む現代の各地域の住民のDNAと比較しています。この研究が解析したのは、カイロよりもナイル川上流に位置するアブシールエルメレク(Abusir-el Meleq)遺跡で発見されたミイラのDNAです。アブシールエルメレク遺跡では、少なくとも紀元前32... ...続きを見る

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2017/06/02 00:00
シルクロードの形成過程
 これは3月15日分の記事として掲載しておきます。シルクロードの形成過程に関する研究(Frachetti et al., 2017)が公表されました。現在の中国から地中海東岸、さらにその先まで伸びる複雑な交易路網であるシルクロードは、その途中でいくつもの苛酷な山岳地帯を通り抜けています。シルクロードがどのように形成されたのか、どのような要因がシルクロードの地理的特性に影響を与えたのか、まだ確証はありません。これまで、シルクロードの形成をモデル化しようとした研究はありますが、経路網上の既知の地点を... ...続きを見る

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2017/03/15 00:00
さかのぼるチベット高原高地帯の人間の定住年代
 これは1月7日分の記事として掲載しておきます。チベット高原高地帯の人間の定住年代に関する研究(Meyer et al., 2017)が報道されました。チベット高原高地帯における人間の永続的な定住年代については、農耕の始まった3600年前頃以降(関連記事)ではないか、と考えられてきました。この研究は、1998年にチベット高原中央のチュサン(Chusang)村近くで発見された人間の手形や足跡の年代について報告し、チベット高原高地帯への人間の永続的な居住はじゅうらいの推定よりも少なくとも数千年はさか... ...続きを見る

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2017/01/07 00:00
檀上寛『天下と天朝の中国史』
 これは12月15日分の記事として掲載しておきます。岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2016年8月に刊行されました。天下と天朝という観点からの中国通史となっています。天下には中国王朝の実効的支配領域(中華)を指す狭義の天下と、「中華」と「夷狄」の両方を指す広義の天下がある、というのが本書の基本認識です。また、東アジア世界においては、中華世界の(知識層の)天下観念(大天下)をもとに、やがて日本も含めて周辺地域においても天下観念(小天下)が形成されていき、大天下と小天下が併存していた、と指... ...続きを見る

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2016/12/15 00:00
後期青銅器時代におけるサントリーニ火山噴火後の大洪水の原因
 これは12月10日分の記事として掲載しておきます。後期青銅器時代におけるサントリーニ火山噴火後の大洪水の原因に関する研究(Nomikou et al., 2016)が公表されました。後期青銅器時代のサントリーニ火山噴火による津波は、ミノア文明の終焉につながる一因だったとする見解が提示されており、9 m以上の高波があったことを示す証拠が、ギリシアのクレタ島のミノア遺跡の発掘現場で発見されています。じゅうらいの研究では、カルデラ(火山クレーター)が海側に崩壊したことが噴火後の津波の原因だった、とい... ...続きを見る

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2016/12/10 00:00
岡本隆司『中国の論理 歴史から解き明かす』
 これは12月9日分の記事として掲載しておきます。中公新書の一冊として、中央公論新社から2016年8月に刊行されました。本書は、現代中国社会の論理がいかに形成されたのか、歴史的経緯から解説しています。前近代の論理の特徴・形成過程の解説に重点を置いているのが本書の特徴で、そうした前近代の知的状況を前提として、西洋の衝撃を受けた近代以降にどのように中国の論理が変容していったのか、また前近代の論理が現代にどのように残っているのか、ということが論じられています。 ...続きを見る

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2016/12/09 00:00
森下章司『古墳の古代史 東アジアのなかの日本』
 これは11月4日分の記事として掲載しておきます。ちくま新書の一冊として、筑摩書房から2016年9月に刊行されました。本書は、墳墓の変遷という視点から、紀元前1世紀〜紀元後4世紀頃の日本列島を東アジア世界のなかに位置づけています。もっとも、日本列島とはいっても、対象となっているのは基本的に前方後円墳の築造された地域です。朝鮮半島および中華地域の墳墓の状況も詳しく取り上げられ、それらとの比較により、日本列島の墳墓・社会の特質を浮き彫りにする、というのが本書の特徴です。 ...続きを見る

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2016/11/04 00:00
本村凌二『ローマ帝国 人物列伝』
 祥伝社新書の一冊として、祥伝社より2016年5月に刊行されました。ローマ帝国の人物列伝とはいっても、共和政初期以降の人物が取り上げられており、ローマ史人物伝になっています。最後に取り上げられているのはアウグスティヌスで、西ローマ帝国の滅亡の半世紀ほど前までが対象となっています。本村氏らしく読みやすくて面白くなっており、本村氏の祥伝社新書のローマ通史(関連記事)を読んでおけば、ローマ史の初心者にもじゅうぶん分かりやすいと思います。 ...続きを見る

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2016/11/01 00:00
佐藤信弥『周―理想化された古代王朝』
 これは10月4日分の記事として掲載しておきます。中公新書の一冊として、中央公論新社から2016年9月に刊行されました。本書の特徴は、金文・甲骨文・竹簡のような出土文献を重視した周代史となっていることです。子供向けの現代語訳『史記』などを読んで育った私のような門外漢にとっては、『史記』のような伝世文献に依拠した物語的な概説の方が馴染みやすいので、その意味では、やや難解というかとっつきにくいところがありました。もちろん本書は、出土文献を重視するとはいっても、伝世文献を軽視しているわけではなく、考古... ...続きを見る

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2016/10/04 00:00
6000年間ほとんど遺伝的に変わっていないオオムギ
 オオムギのDNA解析を報告した論文2本が公表されました。一方の研究(Mascher et al., 2016)は、イスラエルの死海近くにある古代の要塞「マサダ」に位置する探査の難しい砂漠の洞窟で6000年前のオオムギ粒を発掘しました。この地域の気候は乾燥しているので、このオオムギのDNA解析に成功しました。もう一方の研究(Russell et al., 2016)は、世界中で260以上のオオムギ種の植物を収集し、そのDNAを解析しました。両者の比較により、6000年前のオオムギ粒と最も近縁で、... ...続きを見る

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2016/09/09 00:28
冨田健之『世界史リブレット人012 武帝 始皇帝をこえた皇帝』
 山川出版社より2016年2月に刊行されました。漢の武帝は恵まれた状況で即位した、と言われています。呉楚七国の乱で中央集権化が進み、大規模な「対外戦争」が長期にわたってなかったこともあり、国家財政では巨額の蓄えがあった、というわけです。しかし本書は、呉楚七国の乱により直轄領が激増したことで中央政府から派遣されるべき官吏が不足したことなど、武帝即位時にはその前の国政改革により政治状況は楽観的なものではなかった、と指摘しています。武帝は困難な政治状況下まだ十代で即位し、試行錯誤しつつ皇帝としての権威... ...続きを見る

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2016/09/08 00:00
アイスマンの衣服
 これは8月21日分の記事として掲載しておきます。アイスマンの衣服に関する研究(O’Sullivan et al., 2016)が報道されました。1991年にイタリアのエッツタールアルプスで発見された5300年前頃のミイラは「アイスマン(愛称エッツィ)」と呼ばれています。アイスマンの状態は良好だったので、遺伝学などさまざまな分野の研究が進んでいます。この研究は、アイスマンの衣服と矢筒に由来する9点の皮革断片のミトコンドリアDNAを解析し、どの動物種の皮革断片なのか、明らかにしました。 ...続きを見る

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2016/08/21 00:00
モンゴル軍のハンガリーからの撤退と気候変動の関係
 モンゴル軍のハンガリーからの撤退と気候変動の関係についての研究(B&#252;ntgen, and Cosmo., 2016)が公表されました。1242年初頭、モンゴル軍はドナウ川を渡ってハンガリー西部に侵攻しましたが、その2ヶ月後に突然撤退し始め、セルビアとブルガリアを経由する南経路でロシアに戻りました。この理由について議論が続いてきましたが、この研究は、気候変動との関係を指摘しています。この研究は、木の年輪データおよび気候に関する情報を含む文献を用いて、1230〜1250年の環境条件を調べ... ...続きを見る

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2016/06/01 05:36
大津透『日本古代史を学ぶ』
 これは5月24日分の記事として掲載しておきます。岩波書店より2009年2月に刊行されました。学術誌に掲載された論文やシンポジウムでの報告やジュネーヴ大学文学部日本学科での講義をまとめたもので、本書の内容を大まかに区分すると、日本古代史研究の現状の整理と課題の指摘、日本古代国家の位置づけと変容をめぐる研究史の整理および自説の提示、東アジア世界という枠組みからの古代日本史の概観、ということになるでしょう。私は日本古代史の研究史に詳しいわけではありませんが、本書では、なかなか的確に研究史が整理されて... ...続きを見る

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2016/05/24 00:00
檀上寛『永楽帝 華夷秩序の完成』
 これは5月15日分の記事として掲載しておきます。講談社学術文庫の一冊として、2012年12月に講談社より刊行されました。本書の親本は、『永楽帝 中華「世界システム」への夢』との題にて、講談社選書メチエの一冊として1997年に講談社より刊行されました。本書は現代日本社会ではあまり人気のなさそうな永楽帝を取り上げていますが、後書にもあるように、永楽帝の伝記というよりは、問題設定的なアプローチを試みるなかで、永楽帝の人物像に迫るとともに、明初の政治史を解明しようとするものであり、少なからぬ読者にとっ... ...続きを見る

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2016/05/15 00:00
入江曜子『古代東アジアの女帝』
 岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2016年3月に刊行されました。率直に言って、本書がなぜ岩波新書の古代史本として刊行されたのか、理解に苦しみます。いやまあ、岩波書店が本書をどのように位置づけているのか、私には正確なところは分からないのですが、カバーの広告には日本古代史本が掲載されていたので、やはり本書は古代史本という位置づけなのでしょう。 ...続きを見る

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2016/05/12 00:18
吉川真司『シリーズ日本古代史3 飛鳥の都』
 これは5月3日分の記事として掲載しておきます。岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2011年4月に刊行されました。本書は、飛鳥寺の創建から大宝律令の制定までを対象としています。文献のみならず、考古学など他分野の研究成果も積極的に取り入れているのが本書の特徴です。また、飛鳥時代史を「東アジア」の観点から考察するのは、現在では当然のこととなっていますが、その対象をユーラシア東部世界にまで広げているのも本書の特徴です。近年では、本書のようにユーラシア世界を意識した日本史叙述が増えているように思... ...続きを見る

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2016/05/03 00:00
小泉龍人『都市の起源 古代の先進地域=西アジアを掘る』
 これは4月28日分の記事として掲載しておきます。講談社選書メチエの一冊として、講談社より2016年3月に刊行されました。都市の起源の解明となると、まず問題となるのが都市の定義です。本書は都市の必要十分条件を「都市計画」・「行政機構」・「祭祀施設」と定義し、最初の都市は5300年前頃に成立したウルク(イラク南部)と(その直後にウルクの模倣都市として成立した)ハブーバ・カビーラ南(シリア)である、との見解を提示しています。5300年前頃のウルクよりも古いとされる、最初の都市候補としてよく名前の挙が... ...続きを見る

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2016/04/28 00:00
6世紀〜7世紀の寒冷化と社会変化
 これは4月20日分の記事として掲載しておきます。6世紀〜7世紀の寒冷化と社会変化に関する研究(B&#252;ntgen et al., 2016)が公表されました。この研究は、ロシアのアルタイ山脈とヨーロッパのアルプス山脈で得られた年輪の幅の測定を用いて、西暦で紀元後536年〜660年頃は、それ以外の過去2000年間と比較すると、ヨーロッパとアジアでは異常に寒冷であったことを示しました。この寒冷化は一連の大規模火山噴火と関連した気候のフィードバックが原因であり、この急激な寒冷化が農産物の不作と... ...続きを見る

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2016/04/20 00:00
田中史生『国際交易の古代列島』
 角川選書の一冊として、角川学芸出版より2016年1月に刊行されました。本書は、紀元前の弥生時代から中世の始まる前までの、日本列島と他地域、さらには日本列島内における交易の変容を解説しています。本書は、この間の「国際交易」の変容を「国際情勢」や日本列島における政治体制の変容と関連づけて、上手く解説しているように思います。 ...続きを見る

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2016/04/17 00:00
南川高志『世界史リブレット人008 ユリアヌス 逸脱のローマ皇帝』
 山川出版社より2015年12月に刊行されました。本書は、後世のキリスト教勢力から「背教者」として非難されてきたローマ皇帝ユリアヌスの簡略な伝記です。本書はユリアヌスを、「逸脱」という観点から把握し、ユリアヌスの「逸脱」から当時のローマ帝国の性格が浮き彫りにされる、と指摘しています。ユリアヌスはコンスタンティヌス1世の甥であり、恵まれた出生身分と言えそうですが、それ故に警戒され、皇帝に即位するまでにも、たびたび生命の危機を経験しました。恵まれた出生身分とは言っても、当初は同時代の人々から皇帝に即... ...続きを見る

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2016/03/06 00:00
ブリテン島の移住史
 これは1月23日分の記事として掲載しておきます。ブリテン島における人間集団の移住に関する二つの研究が公表されました。ナショナルジオグラフィックで報道された一方の研究(Martiniano et al., 2016)は、イギリス北部の9人の遺体のDNAを解析しました。このうち7人はヨークにあるローマ帝国時代の墓地に埋葬されており、残りの2人のうち1人の年代はアングロサクソン時代で、もう1人の年代はローマ帝国時代よりも前の鉄器時代です。これら9人のDNA解析の結果、ローマ帝国時代の7人のゲノムは全... ...続きを見る

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2016/01/23 00:00
小林登志子『文明の誕生 メソポタミア、ローマ、そして日本へ』
 中公新書の一冊として、中央公論新社から2015年6月に刊行されました。本書は、現代世界の「標準」たる西洋「文明」の起源はメソポタミアにある、との認識に基づき、シュメルを中心にメソポタミアの古代「文明」について解説しています。副題にもあるように、ローマ帝国や日本への言及も多く、古代ギリシアの事例も度々取り上げられています。 ...続きを見る

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2015/11/18 00:00
ブライアン・ウォード=パーキンズ『ローマ帝国の崩壊 文明が終わるということ』第4刷
 これは11月13日分の記事として掲載しておきます。ブライアン・ウォード=パーキンズ(Bryan Ward-Perkins)著、南雲泰輔訳で、白水社より2014年9月に刊行されました。第1刷の刊行は2014年6月です。原書の刊行は2005年です。ローマ帝国が衰退・崩壊し、古代は終焉して暗黒の中世が始まった、との見解は今でも一般では根強いようです。これまで、ローマ帝国の衰退・崩壊には大きな関心が寄せられており、本書でも取り上げられているように、ある研究者によると、ローマ帝国の衰退の要因は210通り... ...続きを見る

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2015/11/13 00:00
ベルトラン=ランソン『古代末期 ローマ世界の変容』
 これは11月5日分の記事として掲載しておきます。ベルトラン=ランソン(Bertrand Lan&#231;on)著、大清水裕・瀧本みわ訳で、文庫クセジュの一冊として、白水社から2013年7月に刊行されました。原書の刊行は1997年です。「古代末期」との概念は、現代日本社会において私のような門外漢にも浸透しつつあるのではないか、と思います。古代末期という概念では、西ヨーロッパにおけるローマ帝国の衰退・滅亡による断絶を強調するのではなく、文化・心性の連続性を強調し、古代から中世への長期にわたる移行... ...続きを見る

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2015/11/05 00:00
鶴間和幸『人間・始皇帝』
 これは10月18日分の記事として掲載しておきます。岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2015年9月に刊行されました。始皇帝の伝記となると『史記』が基本となり、もちろん本書でもそれは同様なのですが、20世紀第4四半期以降に相次いで発見された出土文献の研究成果を多く取り入れていることが、本書の特徴となっています。それら出土文献の多くは同時代史料であり、『史記』の記述・歴史観に新たな情報を付け加えるとともに、修正することも少なからずあるので、秦漢史の研究の進展に大きく貢献しているようです。 ... ...続きを見る

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2015/10/18 00:00
井上文則『軍人皇帝のローマ 変貌する元老院と帝国の衰亡』
 講談社選書メチエの一冊として、講談社より2015年5月に刊行されました。本書は、軍人皇帝時代にローマ帝国の支配の様相が変容したことを論じ、西ローマ帝国の滅亡までを取り上げています。本書の特徴は、ローマ帝国の変容・衰退を時代の近い漢王朝やもっと広く中華地域の変容と比較し、ローマ帝国の変容・衰退の性格を論じていることです。どの学問分野でも細分化が進むなか、こうした壮大な比較は勇気の必要なことでしょうが、意義のあることだとも思います。 ...続きを見る

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2015/10/05 00:00
青木健『マニ教』
 これは9月18日分の記事として掲載しておきます。講談社選書メチエの一冊として、講談社より2010年11月に刊行されました。著者の他の著書『古代オリエントの宗教』を以前このブログで取り上げたことがありますが(関連記事)、その後再読して、マーニー教(マニ教)についての解説も含めて改めて面白いと思いましたし、マーニー教はシンクレティズムの時代においても際立っているように思えて興味を持っていたので、本書も読んでみました。著者の他の著書では、『アーリア人』もこのブログで取り上げています(関連記事)。 ... ...続きを見る

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2015/09/18 00:00
青木健『アーリア人』
 講談社選書メチエの一冊として、講談社より2009年5月に刊行されました。著者の他の著書『古代オリエントの宗教』を以前このブログで取り上げたことがありますが(関連記事)、その後再読して改めて面白いと思ったので、本書も読んでみました。本書の定義する「アーリア人」とは、インド・ヨーロッパ語族のうちインド・イラン系を指します。本書はおもに、そのうちイラン系を取り上げています。本書はこの「イラン系アーリア人」を、さらに中央アジアを中心とする範囲の騎馬遊牧民と、中央アジアのオアシス地帯やイラン高原の定住民... ...続きを見る

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2015/09/13 00:00
南川高志『ローマ五賢帝 「輝ける世紀」の虚像と実像』
 講談社現代新書の一冊として、講談社より1998年1月に刊行されました。昨年(2014年)1月に本書は文庫化されているので(講談社学術文庫)、おそらくは増補・改訂・解説のあるだろう文庫版を読む方がよいのでしょうが、新書版を安価に入手できたので、こちらを読むことにしました。著者には『新・ローマ帝国衰亡史』という著書もあり(関連記事)、五賢帝の後のローマ帝国の衰亡を検証しています。同書では、ローマ帝国が衰亡へと向かう転機は五賢帝の時代の終焉ではなく、コンスタンティヌス1世の時代とされています。 ... ...続きを見る

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2015/09/05 00:00
マケドニア王フィリッポス2世の墓?
 マケドニア王フィリッポス2世の墓を特定した、と報告した研究(Bartsiokas et al., 2015)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。フィリッポス2世は有名なアレクサンドロス大王(アレクサンドロス3世)の父です。フィリッポス2世は紀元前336年に暗殺され、アレクサンドロス3世が後継者となりました。フィリッポス2世の最後の妻(紀元前337年に結婚)はクレオパトラ=エウリュディケ(後述のフィリッポス3世の妻と区別するために、この記事ではクレオパトラで統一します... ...続きを見る

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2015/07/25 00:00
青銅器時代のヨーロッパにおける人間の移動
 新石器時代〜青銅器時代のヨーロッパにおける人間の移動に関する、『ネイチャー』に掲載された二つの研究が報道されました。『ネイチャー』には解説記事(Callaway., 2015)も掲載されています。5000〜3000年前頃のユーラシアの青銅器時代には、精巧な武器や馬に牽引させる戦車が拡散し、埋葬習慣の変化が広範に確認されるなど、大きな文化的変容が生じた、とされています。この大きな文化的変容が、おもに文化のみの拡散によるのか、それとも人間集団の移動に伴うものだったのか、ということをめぐって議論が続... ...続きを見る

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2015/06/12 00:00
青銅器時代のヨーロッパの女性の生涯
 青銅器時代のヨーロッパの女性人骨についての研究(Frei et al., 2015)が報道されました。ナショナルジオグラフィックでも報道されています。この研究は、1921年にデンマークのエグトベド(Egtved)村で発見された、3400年前頃の推定16〜18歳の女性遺骸を分析しています。歯のエナメル質のストロンチウム同位体比の分析からは、この女性がデンマーク生まれではないことが示されました。衣服に用いられた羊毛の同位体分析からは、羊毛の産地がデンマークではないことが明らかになりました。この女性... ...続きを見る

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2015/06/03 00:00
落合淳思『殷 中国史最古の王朝』
 中公新書の一冊として、中央公論新社から2015年1月に刊行されました。本書は、『史記』などの後世の文献ではなく、同時代の甲骨文字を重視して殷王朝の実態を解明していこうとします。『史記』などの後世の文献による物語的な殷王朝史・殷周交代史でまず歴史に馴染んだ私からすると、本書の叙述にはどこかで違和感が残ります。とはいえ、成人以降に何冊か一般向け概説書を読んでいたので、受け入れられないというほどの違和感ではありませんし、専門家による新書が本書のような方針で執筆されるのは、基本的には歓迎すべきだろう、... ...続きを見る

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2015/03/28 00:00
ヨーロッパにおける絵画の技法の変遷
 ヨーロッパにおける絵画の技法の変遷についての研究(Kim et al., 2014)が公表されました。この研究では、11世紀〜19世紀中期にかけての8798点(美術史では、中世・初期ルネサンス・北方ルネサンス・盛期ルネサンス・マニエリスム・バロック・ロココ・新古典主義・ロマン主義・写実主義の10区分となります)の西洋絵画における個々の色の使用状況・色の多様性・明度の幅が調べられました。その結果、油絵の具と新種の着色顔料の導入により画家が使用する色の範囲が拡大し、明度対比を利用した絵画が増えたこ... ...続きを見る

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2014/12/18 00:00
海抜3000m以上のチベット高地における農耕の開始
 チベット高地の海抜3000m以上の地域での農耕の始まりに関する研究(Chen et al., 2015)が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。低酸素で寒冷な高地は、人類の生活には厳しい環境と言えます。チベット高地もそのような場所ですが、アンデス山脈のように、採集狩猟民がそうした高地に1万年以上前に適応した事例も知られています(関連記事)。 ...続きを見る

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2014/11/22 00:00
本村凌二『愛欲のローマ史』(追記有)
 講談社学術文庫の一冊として、2014年5月に講談社より刊行されました。本書の親本『ローマ人の愛と性』は、講談社現代新書の一冊として1999年に講談社より刊行されました。ローマ帝国は平和と繁栄のなかで飽食・性的放縦など堕落・退廃していき、それが滅亡の要因となった、との通俗的見解は今でも一般には根強いように思います。本書で重要な史料として取り上げられている諷刺詩からも、そのように解釈できるように思われます。しかし本書は、ローマ人の性愛意識・行動に関してそうした通俗的見解に疑問を呈し、変わったのはロ... ...続きを見る

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2014/10/02 00:00
アシュケナージ系ユダヤ人の起源
 アシュケナージ系ユダヤ人の起源についての研究(Carmi et al., 2014)が公表されました。この研究によると、アシュケナージ系ユダヤ人集団は800〜600年前頃にヨーロッパ系祖先集団と中東系祖先集団が融合して出現したそうです。そのさいの遺伝子プールに占める両祖先集団の割合はほぼ同程度だった、と推測されています。アシュケナージ系ユダヤ人集団が形成された時期と近い頃に、集団ボトルネックが起きたようです。また、ヨーロッパ系祖先集団が最終氷期極大期の頃の22100〜20400年前に中東系祖先... ...続きを見る

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2014/09/13 00:00
2013年「回顧と展望」ヨーロッパ・アメリカ
比佐篤「ヘレニズム世界の紛争と共和政期ローマの進出」『関学西洋史論集』36 ...続きを見る

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2014/09/10 00:00
2013年「回顧と展望」アジア・アフリカ
齋藤道子「古代中国社会における「姓」」『東海大学紀要』文学部98 ...続きを見る

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2014/09/07 00:00
本村凌二『はじめて読む人のローマ史1200年』
 祥伝社新書の一冊として、祥伝社より2014年6月に刊行されました。本書は、ローマの建国から西ローマ帝国の滅亡までのおよそ1200年間を扱います。広範な時空間を新書一冊で扱うため、本書は工夫をしています。一つは、ローマ史を理解するうえで重要な鍵となる用語を最初に簡潔に解説していることです。具体的には、「S.P.Q.R」・ローマ法・父祖の遺風・パトロヌスとクリエンテテス・多神教と一神教です。これらの簡潔な解説により、ローマ史の特徴を浮かび上がらせています。 ...続きを見る

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2014/09/02 00:00
廣瀬憲雄『古代日本外交史』
 まだ日付は変わっていないのですが、4月21日分の記事として2本掲載しておきます(その二)。講談社選書メチエの一冊として、講談社より2014年2月に刊行されました。本書はまず、古代日本外交の研究の学説史を整理します。冊封体制論は中華王朝と周辺王朝との君臣関係から導き出されたことに起因する問題点を抱えている、と本書は認識しています。そこで本書は、近年の日本史・東洋史の研究動向を踏まえ、中華王朝と周辺王朝の君臣関係に限定されない「国際関係」史を検証・考察します。 ...続きを見る

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2014/04/21 00:00
フィリップ=アリエス著、杉山光信・杉山恵美子訳『<子供>の誕生』第18刷
 本日は3本掲載します(その一)。みすず書房より1999年12月に刊行されました。第1刷の刊行は1980年12月です。本書は1973年に刊行された新版の翻訳で、原書初版は1960年に刊行されています。副題は「アンシァン・レジーム期の子供と家族生活」です。本書にたいして否定的な評価を下している一般向け書籍も読みましたが、ネット上でのやり取りから、本書の主張を直接知りたいと思い、読んでみました。本書の背景をさらに理解しようと思い、本書にも言及している『中世の身体』も合わせて読んでみました。 htt... ...続きを見る

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2014/03/21 00:00
匈奴による独自の鉄生産
 まだ日付は変わっていないのですが、12月19日分の記事として掲載しておきます。匈奴が独自に鉄を生産していたことを明らかにした研究が報道されました。先月開催されたシンポジウムで報告されたそうで、その聴講記録もあります。匈奴の墓からは鉄・鏃・刀・馬具など豊富な鉄製品が出土しています。これまで、匈奴は秦や漢から鉄の素材や製品を略奪したり、拉致した「漢人」技術者に鉄を製造させたりしていた、と考えられていたそうです。 ...続きを見る

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2013/12/19 00:00
岡本隆司編『中国経済史』
 まだ日付は変わっていないのですが、11月23日分の記事として2本掲載しておきます(その二)。2013年11月に名古屋大学出版会より刊行されました。「特に序章は岡本イズムが全面的に展開されており、『近代中国史』の読者であればかなり読みやすいのではないかと思います」とのブログ記事を読んだので、私には敷居が高いかな、とも思ったのですが、購入して読んでみました。本書は、概論となる序章・本論となる5章・個別の述語および事象の解説となるテーマで構成されています。本論はあくまでもあらすじを把握するためのもの... ...続きを見る

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2013/11/23 00:00
水野俊平『庶民たちの朝鮮王朝』
 まだ日付は変わっていないのですが、11月20日分の記事として2本掲載しておきます(その一)。角川選書の一冊として、角川学芸出版より2013年6月に刊行されました。朝鮮王朝の庶民とはいっても、朝鮮王朝の歴史は500年以上になることもあって、扱う時代はおもに18世紀(17世紀末〜19世紀初頭)で、対象地域は首都の漢城に限定されています。つまり、朝鮮王朝の庶民の多くを占めるだろう農民については触れられていません。羊頭狗肉との感もありますが、朝鮮王朝の長さを考えると仕方のないところでしょうか。 ...続きを見る

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2013/11/20 00:00
関周一『朝鮮人のみた中世日本』
 明日(11月9日)からしばらく留守にするかもしれないので、とりあえず来週分までまとめて更新することにします。これは11月11日分の記事として掲載しておきます。 ...続きを見る

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2013/11/11 00:00
長田俊樹『インダス文明の謎 古代文明神話を見直す』
 これは11月6日分の記事として掲載しておきます。学術選書の一冊として、京都大学学術出版会より2013年10月に刊行されました。著者はインダス文明に関するプロジェクトを2004年に発足させ、予備研究などを経て2007年から5年間、本研究としてファルマーナー・カーンメールという二つのインダス文明遺跡の発掘やインダス文明遺跡地域での環境調査を行なった、とのことです。著者はその成果を取り入れつつ、インダス文明について包括的に論じています。著者は考古学者ではなく言語学者で、考古学的な細かい解説にはなって... ...続きを見る

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2013/11/06 00:00
南川高志『新・ローマ帝国衰亡史』第4刷
 岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2013年8月に刊行されました。第1刷の刊行は2013年5月です。気宇壮大な表題に惹かれて購入し、読んでみました。本書は、日本における一般向けのローマ(衰亡)史とはかなり異なるように思います。一つは、ローマ帝国の支配域において西北にあたるヨーロッパ大陸内部やブリテン島(現在ではフランス・スイス・ドイツ・イギリスなどの領土です)を重視していることです。ローマ帝国を地中海帝国と認識する見解は、日本でも一般層に広く浸透しているように思いますが、そのような認識... ...続きを見る

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2013/11/01 00:00
杉山正明『中国の歴史08 疾駆する草原の征服者』
 まだ日付は変わっていないのですが、10月29日分の記事として掲載しておきます。2004年〜2005年にかけて講談社より『中国の歴史』全12巻が刊行されました。その第8巻である本書は2005年10月に刊行されました。私は全巻刊行後すぐに購入して読んだのですが、ホームページが開店休業状態で、ブログを開始する前だったということもあり、ホームページでもブログでも取り上げてきませんでした(このブログで参考文献として引用したことはありますが)。 ...続きを見る

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2013/10/29 00:30
2012年「回顧と展望」ヨーロッパ・アメリカ
桜井万里子「ジェンダー史の可能性−西洋古代史研究の立場から」『歴史評論』748 ...続きを見る

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2013/10/22 00:00
2012年「回顧と展望」アジア・アフリカ
A・P・デレヴィアンコ 「人類の起源とユーラシア大陸における人類の居住」『旧石器研究』8 ...続きを見る

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2013/10/17 00:00
岡本隆司『近代中国史』
 これは10月11日分の記事として掲載しておきます。ちくま新書の一冊として、筑摩書房より2013年7月に刊行されました。本書における「中国」の範囲は、おおむね欧米でいうところの「中国本土」に相当します。したがって、本書の「中国」は中華人民共和国の支配領域全てを含んでいるわけではありません。本書は、他地域と比較しつつ、中国の伝統的な経済社会がいかに形成され変容していったのか、明・清朝(ダイチングルン)を中心に論じており、清朝の後の民国期の変容についてもそれなりに分量を割いています。 ...続きを見る

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2013/10/11 00:00
本村凌二、中村るい『古代地中海世界の歴史』
 ちくま学芸文庫の一冊として、筑摩書房より2012年11月に刊行されました。本書は2004年に刊行された放送大学用教科書に大幅に加筆・修正したものとのことで、全15章で構成されています。本書はおおむね本村氏が執筆しているのですが、美術史となる第5章・第9章・第13章は中村氏が執筆しています。本書が対象としているのは、時代でいうと前4000年紀から西ローマ帝国の滅亡の頃まで(6世紀以降についてもわずかながら言及されてはいますが)、地域でいうと、地中海沿岸地域を中心として、メソポタミア・ペルシア・ヨ... ...続きを見る

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2013/09/20 00:00
長谷川修一『聖書考古学』
 まだ日付は変わっていないのですが、4月25日分の記事として掲載しておきます。中公新書の一冊として、中央公論新社から2013年2月に刊行されました。聖書考古学の当初の目的は聖書の史実性を実証することだったのですが、もちろん本書はそうした目的を掲げておらず、本書における聖書考古学の定義(P62)は、「聖書の歴史記述の深い理解に達するため、特に聖書の舞台となった古代パレスチナを中心とした考古学」というものです。本書は、聖書考古学がどのような学問かということだけではなく、考古学と聖書についても基本的な... ...続きを見る

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2013/04/25 00:00
NHKスペシャル『中国文明の謎』「第三集 始皇帝 “中華”帝国への野望」
 これは12月4日分の記事として掲載しておきます。「第一集 中華の源流 幻の王朝を追う」 http://sicambre.at.webry.info/201210/article_16.html と「第二集 漢字誕生 王朝交代の秘密」 http://sicambre.at.webry.info/201211/article_13.html を視聴したので、この第三集も視聴することにしました。今回も「中国」の定義がはっきりとせず、古くから多民族国家であることが述べられていましたが、今回は孫... ...続きを見る

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2012/12/04 00:00
NHKスペシャル『中国文明の謎』「第二集 漢字誕生 王朝交代の秘密」
 これは11月13日分の記事として掲載しておきます。前回の「第一集 中華の源流 幻の王朝を追う」 http://sicambre.at.webry.info/201210/article_16.html があまりにもひどい内容だったので、第二集も期待できそうにないな、と思っていたのですが、怖いもの見たさもあって視聴しました。今回は、漢字(甲骨文字)の使用法の変化を王朝交代と関連づけた内容となっていました。神意を占うための文字から他部族との連携・契約にも使用する文字への変化という番組で主張され... ...続きを見る

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2012/11/13 00:00
NHKスペシャル『中国文明の謎』「第一集 中華の源流 幻の王朝を追う」
 これは10月16日分の記事として掲載しておきます。今回から3回にわたって、『中国文明の謎』と題して、古代「中国文明」についてNHKスペシャルで放送されます。今年は日中国交「正常化」40周年ということで、このような特集が企画されたのでしょうが、NHKも企画時には、まさかこのように日中関係が悪化した状況で本放送を迎えるとは予想していなかったことでしょう。現代の日本社会において対中感情の悪化は否定できないでしょうから、おそらくネットではこの特集への批判的な見解が目立つだろう、と私は予想していますが、... ...続きを見る

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2012/10/16 00:00
本村凌二『古代ローマとの対話 「歴史感」のすすめ』
 まだ日付は変わっていないのですが、10月5日分の記事として掲載しておきます。岩波現代文庫の一冊として、岩波書店より2012年6月に刊行されました。表題と少し読んだ印象からは、かなり内容が薄いのではないか、との懸念もあったのですが、本村氏の一般向け著作ということで購入して読んでみることにしました。本書は、新聞や雑誌などに掲載された著者の文章を加筆訂正してまとめたものとのことで、随筆集的な性格が強くなっています。それだけに、各随筆を年代順に並べて通史的な構成にするなど工夫も見られるものの、やや散漫... ...続きを見る

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2012/10/05 00:00
2011年「回顧と展望」ヨーロッパ・アメリカ
 まだ日付は変わっていないのですが、9月14日分の記事として掲載しておきます。 ...続きを見る

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2012/09/14 00:00
2011年「回顧と展望」アジア・アフリカ
大場正善「中国湖北省清江流域に残る旧石器時代のヒトの活動痕跡」『アジア流域文化研究』7 ...続きを見る

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2012/09/09 00:00
大城道則『古代エジプト文明 世界史の源流』
 まだ日付は変わっていないのですが、9月5日分の記事として掲載しておきます。講談社選書メチエの一冊として、2012年4月に刊行されました。エジプトに統一王朝が成立した時代からローマ帝国の統治下に組み込まれた時代まで、3000年以上にわたる古代エジプト史が、古代エジプトの枠内だけからではなく、周辺地域との双方向的な影響という観点から概観されています。エジプトと周辺地域との交流は、もちろん古王国時代からあったことですが、本書では、古代エジプトが「異民族」のヒクソスに支配されたことが、地中海世界へと進... ...続きを見る

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2012/09/05 00:00
渡邉義浩『「三国志」の政治と思想』
 講談社選書メチエの一冊として、2012年6月に刊行されました。同じ著者の『魏志倭人伝の謎を解く』 http://sicambre.at.webry.info/201206/article_10.html が面白かったので本書も読んだのですが、本書も面白く、再度『三国志』の時代にはまる契機になるかもしれません。ただ、専門家ではない私には本格的な評価はとてもできませんが、面白すぎるというか、整然とした説明になっているので、理念化・類型化が行き過ぎているのではないか、との疑問がないわけではありま... ...続きを見る

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2012/08/05 00:00
佐藤次高『イスラームの「英雄」サラディン』第2刷
 講談社学術文庫の一冊として、2011年11月に講談社より刊行されました。第1刷の刊行は2011年10月です。本書の親本は、講談社選書メチエの一冊として1996年に講談社より刊行されました。巻末の解説によると、著者は昨年(2011年4月)急逝したとのことです。本書は、寛大な英雄としてイスラーム社会だけではなくヨーロッパのキリスト教社会においても賞賛され続けてきたサラディン(サラーフ=アッディーン)の伝記ですが、伝統的なサラディン賛美ではなく、同時代の史料から当時の社会情勢とサラディンの人物像・行... ...続きを見る

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2012/07/26 00:00
青木健『古代オリエントの宗教』
 講談社現代新書の一冊として、講談社より2012年6月に刊行されました。都市文化・文字文化が古くから栄えたメソポタミア平原・イラン高原という「東方地域」において、「聖書ストーリー」はいかに解釈・受容され、「東方地域」の在来の信仰はどのように変容していったのかという観点から、1〜13世紀にかけての「東方地域」の精神史が概観されています。本書を読むと、地中海(東岸)発の「聖書ストーリー」の影響力がきわめて強いことが印象に残り、この時期の「東方地域」の宗教・思想は、基本的には西から東へという流れになり... ...続きを見る

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2012/07/05 00:00
渡邉義浩『魏志倭人伝の謎を解く』
 中公新書の一冊として、中央公論新社から2012年5月に刊行されました。副題は「三国志から見る邪馬台国」です。三国志と邪馬台国論争は、現代日本社会においてとくに人気の高い歴史分野なのですが、邪馬台国論争はまさに三国時代のことで、邪馬台国は三国で最大の勢力を誇った魏と密接な関係を有していたというのに、一般の歴史愛好者層では両者が密接に関連しているという印象はあまりなく、それぞれ個別に盛り上がっている感があります。 ...続きを見る

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2012/06/10 00:00
氣賀澤保規編『遣隋使がみた風景−東アジアからの新視点−』
 八木書店より2012年2月に刊行されました。倭と隋との関係について、東アジアという枠組みから考察するという、現代日本ではすっかり浸透した視点による論文集なのですが、複数の分野の研究者が加わっているということもあり、陳腐な印象は受けませんでした。図版もなかなか豊富ですし、巻末には、『隋書』や『日本書紀』といった遣隋使関連の史料が採録されており、新聞記者によるコラムも掲載されていますから、一般の読者にも配慮した内容と言えるでしょう。また、450ページにも及ぶ大部の書でありながら、価格は税込み399... ...続きを見る

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2012/06/05 00:06
本村凌二『ローマ人に学ぶ』
 集英社新書の一冊として、集英社より2012年1月に刊行されました。表題から、かなり内容が薄いのではないか、との懸念もあったのですが、これまでに読んだ本村氏の一般向け著作には外れがなかったので、読んでみることにしました。しかし今回は、懸念がやや当たった感があり、雑多な感が否めず、ビジネス雑誌などで見られる歴史を現代に活かすという内容の特集と、悪い意味で通ずる軽さがあるように思われます。ただ、さすがに紹介されている個々の史実・伝承の取り上げ方と解説は読みごたえがありました。読んで損をしたとは思いま... ...続きを見る

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2012/04/18 18:34
本村凌二『古代ポンペイの日常生活』第4刷
 講談社学術文庫の一冊として、2010年10月に講談社より刊行されました。第1刷の刊行は2010年3月です。本書は、中公新書として1996年に刊行された『ポンペイ・グラフィティ』の増補・改訂版である『優雅でみだらなポンペイ』(講談社、2004年)を原本としたもので、ともにこれまで読んだことがなかったのですが、これまでに読んだ本村氏の一般向け著作には外れがなかったので、講談社学術文庫として刊行されたこの機会に読んでみることにしました。本村氏の学界での評価については、専門家ではない私にはよく分かりま... ...続きを見る

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2011/12/18 04:45
2010年「回顧と展望」ヨーロッパ・アメリカ
小河浩『紀元前4世紀ギリシアにおける傭兵の研究』(溪水社) ...続きを見る

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2011/09/07 00:00
2010年「回顧と展望」アジア・アフリカ
佐藤宏之「旧石器時代の北東アジアと日本列島」『考古学ジャーナル』605 ...続きを見る

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2011/09/03 00:07
杉山正明氏の明・朱元璋にたいする評価
 一般向け書籍での過激な?叙述で知られる杉山正明氏ですが、大元ウルスから「中華の地」を奪った(奪還した?)という事情のためなのか、明王朝とその創始者の朱元璋にたいしては、荒唐無稽とは言えないにしても、研究者とは思えないような表現の厳しい評価がくだされています。ただ、伝統的に中華(漢人と言うべきかもしれませんが)正統史観の強い日本では、「中華王朝」への厳しいというか突き放した見方にも一定以上の意義があるとは思いますし、今後、中華人民共和国の経済・軍事・政治力がますます強大化するようなことがあれば、... ...続きを見る

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2011/06/05 05:22
日本で根強い大元ウルス統治下の文化にたいする低い評価
 以前、このブログにて、「たとえば、私はその方の著作を一冊も読んだことがないので具体名は挙げませんが、現代日本のある人気作家の中国大陸史に関する小説のなかには、文天祥を賛美するものがあるそうです」と述べたことがありますが、 http://sicambre.at.webry.info/200803/article_53.html そのさいに念頭に置いていたのは田中芳樹氏で、上述したように、田中氏の著書を読んだことがなく確認できなかったため、具体的に人名を挙げませんでした。その後も田中氏の著書を... ...続きを見る

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2011/05/13 00:00
手嶋兼輔『ギリシア文明とはなにか』
 講談社選書メチエの一冊として、2010年8月に刊行されました。著者は後書きにて、「学問の最前線からは遠ざかり、専門家たちの常識にも疎い私には、とんだ見当違いや自分勝手な思い込みに陥っている点、恐らく多々あろう」と述べており、この点に不安はあるのですが、狭義の古代ギリシア史ではなく、対象としているのが地理的・時間的に広範で、壮大な見通しが提示されているということもあって、専門家ではない私はひじょうに面白く読み進めました。私のように、古代ギリシア史に関心はあるものの、それほど詳しいというわけではな... ...続きを見る

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2011/03/17 00:00
2400年前のスープ?
 中国の陝西省西安近郊で、西安空港拡張のため発掘中の墓から出土した小さな青銅製容器の中から、2400年前頃のスープと思われる液体と骨が発見された、と報道されました。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101213-00000079-jij-ent ...続きを見る

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2010/12/14 00:00
竹内康浩『中国王朝の起源を探る』
 世界史リブレット95として、山川出版社より2010年3月に刊行されました。著者の姿勢はきわめて慎重というか禁欲的で、それは夏王朝の認定についての見解によく表れています。現代の中国では、夏王朝の実在は学界においても確実なこととして認定されており、夏王朝の実在について、日本では慎重な姿勢を示すことの研究者が多いことと対照的です。著者によると、中国では、二里頭遺跡をもって夏王朝実在の考古学的根拠とされているのですが、中国で刊行される概説や通史では、二里頭遺跡の考古学的成果が夏王朝史として述べられてい... ...続きを見る

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2010/11/21 05:50
2009年「回顧と展望」ヨーロッパ・アメリカ
阿部拓児「クテシアス『ペルシア史』と前4世紀」『史潮』新65 ...続きを見る

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2010/09/29 06:32
2009年「回顧と展望」アジア・アフリカ
水羽信男「1950年代における「民族資産階級」について」『東洋史研究』67-4 ...続きを見る

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2010/09/28 06:39
室谷克実『日韓がタブーにする半島の歴史』
 新潮新書の一冊として、新潮社から2010年4月に刊行されました。近年量産されている嫌韓本とは水準がことなり、古代の日本列島と朝鮮半島の関係について真剣に検証されているとの評判を聞いたので、勉強の停滞している日本古代史についての勉強になるかと思い、購入してみました。しかし、読み始めてすぐに、いきなり九州王朝説に好意的な見解が提示され、脱力してしまいました。これは本書の後半になっても変わらず、著者は九州王朝説のほうが通説よりずっと説得力がある、と考えているようです。このような著者の古代史についての... ...続きを見る

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2010/05/12 00:00
ローマ帝国の東アジア人?
 イタリア南部バリ県の古代ローマ時代の共同墓地跡で、ミトコンドリアDNAに東アジア系の特徴を持つ人骨が見つかった、と報道されました。 http://www.47news.jp/CN/201002/CN2010020501000058.html ...続きを見る

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2010/02/10 06:33
中国には「純粋な漢民族」は存在しない?
 DNA鑑定の結果、中国には「純粋な漢民族」は存在しないことが分かった、とする見解が報道されました。この報道を読んでも、どのようなDNA分析の結果が得られたのかよく分からないのですが、歴史時代においても、いわゆる中原を中心とした「中華地域」では大規模な人類集団の移動があり、そうしたこともあって、現在「漢民族」と分類されている集団の多様性がかなり大きく、「純粋な漢民族」なるものが存在しないだろうということは、多少なりとも「漢民族」について知っている人には常識でしょう。しかし、それを学術的に証明する... ...続きを見る

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2010/02/09 06:32
曹操の墓をめぐる議論、年末の挨拶
 曹操の墓が特定された、との報道を今年12月28日分の記事で取り上げましたが、曹操の墓と地元河南省の文物局が断定したことについて、疑問が呈されているそうです。まず、河南省安陽市安陽県の安豊郷西高穴村の「曹操高陵」が発見されるにいたった経緯ですが、この報道によると、2005年末に、水が地面の一ヶ所で消えてしまうことに作業中の農民が気づき、掘ってみたところ大きな空間があった、とのことです。すぐに「古い墓が見つかった」との噂が広まり、2009年1月末には、何者かが新たに侵入した形跡が確認され、その後も... ...続きを見る

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2009/12/31 00:00
曹操の墓が特定される?
 中国河南省安陽市安陽県の安豊郷西高穴村の「曹操高陵」が、河南省文物局により曹操の墓と断定された、と報道されました。河南省文物局の陳愛蘭局長によると、墓の規模や状況などが当時の記録と合致し、内部の壁画も後漢末から魏にかけての時代のものと判断されましたが、もっとも有力とされた証拠は「魏武王」との文字が刻まれた石牌が発見されたことだそうです。60代とみられる男性の骨が発見されているのも、有力な証拠となります。 ...続きを見る

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2009/12/28 00:04
ドイツをめぐる国家と民族の問題
 国家と民族というたいへん難しい問題を提示しましたが、もちろん私に深い考察ができるわけではありません。そもそも、民族の定義が難しいという問題もありますが、近代における一民族一国家という原則・理想像にしても、現実にはほとんど無理なのであって、一つの民族が複数の国家にまたがったり、一つの国家に複数の民族が存在したりするのが世界の現状となっています。「ドイツ民族」をめぐる問題をみていくと、とくにその思いを強くします。 ...続きを見る

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2009/11/08 06:44
落合淳思『古代中国の虚像と実像』(講談社)
 講談社現代新書の一冊として、2009年10月に刊行されました。『史記』などの古典に基づく、事実ではない作り話がいまだに根強く浸透している現状にたいして、2000年以上も昔の話だからこのような誤解は放置してもたいした害はないだろうが、自分は非科学的なものが嫌いなので、あえて虚像を指摘し、それを正す文章を書くことにした、との冒頭の一節から、良くも悪くも精神的に若い人だなあ、との印象を受けましたが、じっさい、著者は1974年生まれとのことで、歴史学の研究者としては若手と言ってよいでしょう。本書で取り... ...続きを見る

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2009/10/30 00:00
満田剛「劉表政権について─漢魏交替期の荊州と交州」
 「回顧と展望」で取り上げられていた著書・論文のうち、とくに面白そうなものをこのブログで紹介していますが、この論文も、そうしたものの一つです。 http://sicambre.at.webry.info/200907/article_11.html ...続きを見る

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2009/10/16 00:11
栗田伸子・佐藤育子『興亡の世界史03 通商国家カルタゴ』
 講談社の『興亡の世界史』シリーズ19冊目となります(2009年9月刊行)。カルタゴの歴史を扱っていますが、フェニキア史としての性格も有しています。フェニキア・カルタゴ史の知識に乏しい私にとっては、新鮮な見解が多く提示されていたということもあり、なかなか面白く読めた一冊でした。とくに、前5世紀前半のシチリアでの敗戦がカルタゴにとって転機となった、との見解は興味深いものでした。カルタゴの運命を知っている後世の人間にとって、カルタゴ史の通読は、読み進むにつれて陰鬱な気分になりがちですが、悪い意味では... ...続きを見る

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2009/10/09 00:00
2008年「回顧と展望」中国・明清
桃木至朗編『海域アジア史入門』(岩波書店) ...続きを見る

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2009/09/26 00:00
2008年「回顧と展望」中国・五代宋元
宮崎聖明「北宋徽宗朝の官制改革について」『史朋』41 ...続きを見る

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2009/09/24 00:00
2008年「回顧と展望」中国・隋唐
氣賀澤保規「遣隋使の見た隋」王維坤・宇野隆夫編『古代東アジア交流の総合的研究』(国際日本文化研究センター) ...続きを見る

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2009/07/17 07:07
2008年「回顧と展望」中国・魏晋南北朝
 『史学雑誌』は「回顧と展望」の号しか購入していないのですが、毎年漠然と読んでいるだけでは意味がないので、備忘録的性格の強いこのブログで、面白そうな著書・論文を時代・地域別にまとめておき、後で購入したり図書館などで読んだりするさいの参考にしようと思います。まずは、わりと最近に読み、面白そうな論考の多かった中国・魏晋南北朝を取り上げます。 ...続きを見る

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2009/07/11 06:10
石澤良昭『興亡の世界史11 東南アジア 多文明世界の発見』
 講談社の『興亡の世界史』シリーズ18冊目となります(2009年5月刊行)。東南アジア史の概観も述べられているとはいえ、表題とは異なり、実質的にはアンコール王朝の政治・経済・社会・文化史となっており、筆者がアンコール王朝の専門家であるいじょう仕方のないこととはいえ、やや問題のある表題だったと思います。「東南アジア 多文明世界の発見」は副題とし、「アンコール王朝の興亡」を表題とするか、複数の著者による分担執筆とするほうがよかったのではないでしょうか。 ...続きを見る

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2009/06/13 10:22
インダス文字は言語を表している?
 インダス文字は言語を表しているのではないか、と指摘した研究(Rao et al., 2009)が報道されました。この研究では、インダス文字で書かれた文書の文字配列の統計的構造が、シュメール語や古代タミル語やリグ=ヴェーダのサンスクリット語といった他の言語体系、人間のDNAや細菌の蛋白質配列といった非言語体系、人工の言語体系と比較されました。その結果、インダス文字は言語体系と酷似しており、非言語体系とは似ていないことが分かりました。 ...続きを見る

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2009/05/30 05:44
湯浅邦弘『諸子百家』
 中公新書の1冊として、中央公論新社より2009年に刊行されました。諸子百家の思想について、20世紀後半以降に出土した文献資料に基づき、見直しが提言されています。全体として、諸子百家の各思想が、その時代にあって突出したものではなく、思想史的な流れの中から生じたものだ、ということが主張されています。とくに孟子の思想について、出土文献に基づいてじゅうらいの通説を見直す必要のあることが強調されています。 ...続きを見る

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2009/05/16 12:57
世界最古の鉄器?
 現時点では世界最古と思われる鉄器がトルコのカマン=カレホユック遺跡で発見された、と報道されました。隕鉄など鉄の利用自体は有史時代以前にさかのぼる可能性が高いようですが、鉄を生産・加工した証拠としては、現時点では最古になる、とのことです。この鉄器は小刀の一部と推測されており、紀元前2100〜紀元前1950年の地層から発見されました。これまでは、鉄の生産・加工が始まったのは紀元前15世紀頃と考えられていました。 ...続きを見る

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2009/03/26 06:03
NHK特集『大黄河』「第9集 仏陀の道」
 NHK・BS2の「蔵出し劇場」で放映されているのを偶然知り、懐かしさもあって録画して見ました。この『大黄河』が放送されたのは私が中学2年生の頃で、この頃には、日本史だけではなく、いわゆる中国史にも強い関心をもっており、そういう時期に放送が開始されたことと、音楽が素晴らしいこともあって(この第9集において、麦積山石窟の紹介の場面などでBGMとして用いられている曲は、とくにお気に入りです)、たいへん熱心に見ていたことを思い出します。『シルクロード』の二番煎じ的なところは否めませんでしたし、中学2年... ...続きを見る

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2009/03/12 00:00
馬の家畜化の起源
 馬の家畜化について論じた研究(Outram et al., 2009)が報道されました。この研究によると、現在の北カザフスタン地域で5700〜5100年前に栄えたボタイ文化から、現時点では最古となる確実な馬の家畜化の証拠が得られたそうです。交通・経済・軍事面などで、馬の家畜化が人類の歴史に大きな影響を与えたことは言うまでもありませんが、その起源の確実な証拠となると、検出が困難なのが現状と言うべきでしょう。そうした意味で、この研究はたいへん貴重だと思います。 ...続きを見る

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2009/03/11 00:00
宮崎市定「『史記』の中の女性」
 『史記』に記載のある伍子胥の話は日本でもよく知られています。元々は楚人であった伍子胥は、父と兄を楚の平王に殺され、鄭を経て呉へと逃れます。そこで呉王闔閭の擁立に功績があり、呉を強国として呉軍を率いて楚へと攻め込み、父と兄を殺した楚王の墓をあばき、その屍を鞭打つこと300に及び、恨みを晴らしたと伝えられます。この後の呉越の攻防は日本でも有名で、「臥薪嘗胆」・「狡兎死して走狗烹らる」といった故事は、日本でも馴染み深いと言えるでしょう。 ...続きを見る

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2008/12/16 06:40
最古の茶畑?
 茶の産地としてしられる中国浙江省余姚市にある田螺山遺跡で、茶畑と思われる遺構が発見された、と報道されました。この遺跡では、6000〜5500年前と推定される茶の木らしいツバキ属の植物の株が、30本ほど発見されました。このツバキ属の植物は、当時の竪穴建物に沿って掘られた長さ約2メートルの楕円形の「くぼみ」2基に、ほぼ直線に並ぶように植えられた状態だった、とのことです。こうしたことから、当時の人々が列状に植えた茶畑の可能性がある、と研究者たちは考えているそうです。 ...続きを見る

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2008/12/02 00:01
林佳世子『興亡の世界史10 オスマン帝国500年の平和』
 講談社の『興亡の世界史』シリーズ15冊目となります(2008年10月刊行)。オスマン帝国を「トルコ人の国」ではなく、多面的に描こうとする本書の基調は、オスマン帝国の領域に現在住む人々の多くにとっては、あるいは説得的ではないかもしれませんが、ポストモダン社会に突入した日本においては、わりと受け入れられやすいだろうと思います。それはまた、米国や西欧でも同様だろうとも思うのですが、トルコ人移民の多い西欧においては、あるいはそうではないのかもしれません。 ...続きを見る

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2008/11/25 00:00
キリストの実在を示す壺?
 アレクサンドリアの沖合いで発見された壺は、キリストについて直接言及した史料としては世界最古のものになる、と報道されました。この壷は紀元前2世紀から紀元1世紀のものであり、その表面に古代ギリシャ語で「DIA CHRSTOU O GOISTAIS(魔術師たるキリストによるもの」という意味)という文字が刻み込まれていた、とのことです。 ...続きを見る

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2008/11/13 00:00
酪農の起源
 酪農の起源を論じた研究(Evershed RP et al.,2008)が公表されました。家畜を殺すことにより、その肉・内臓・毛皮などを人間は得ることができますが、乳・牽引力などは、家畜を殺さなくても人間が利用できます。このような家畜の「二次的」利用が、家畜の利用から間もなくのことだったのか、それとも家畜の利用から数千年後のことだったのか、議論が続いています。 ...続きを見る

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2008/09/27 06:25
テンプル騎士団協会、700年前の騎士団解散令の却下を要請
 テンプル騎士団協会がローマ教皇に対し、1307年に時の教皇クレメンテ5世によって解散させられたテンプル騎士団の復活を求めると同時に、同騎士団の解散時に押収された財産についての認知を要請する訴えを起こした、と報道(8月4日のニュース)されました。テンプル騎士団協会によると、財産の返還やカトリック教会に打撃を与えることが目的ではなく、かつてテンプル騎士団が受けた不当な扱いと、それに伴って、どれだけの財産が没収されたかなど、歴史的な事実を知らしめるのが目的である、とのことです。しかし、マドリッド自治... ...続きを見る

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2008/09/04 06:03
陣内秀信『興亡の世界史08 イタリア海洋都市の精神』
 講談社の『興亡の世界史』シリーズ14冊目となります(2008年7月刊行)。著者のイタリア海洋都市への情熱はよく伝わってきたのですが、正直なところ、一般向けの歴史書というよりは、イタリア観光のための案内書といった感じの内容であるように思います。ただ、この分野についての予備知識がもっと私にあれば、受け止め方が変わっていたかもしれません。 ...続きを見る

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2008/07/26 05:14
衛の滅亡は始皇帝没後?
 まだ日付は変わっていないのですが、6月13日分の記事を掲載しておきます。周代から戦国時代を経て秦代にかけて、いわゆる戦国の七雄には数えられていませんが、衛という国が存在していました。衛の始祖は、周の武王の弟で、商(殷)の故地に封ぜられた康叔封です。高校生の頃に渡辺信一郎「商鞅と始皇帝」を読み、その衛の滅亡が始皇帝没後とされていることを知りました。 ...続きを見る

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2008/06/13 00:00
間野英二「“シルクロード史観”再考」
 まだ日付は変わっていないのですが、6月10日分の記事を掲載しておきます。今年3月2日分の記事にて、森安孝夫『興亡の世界史05 シルクロードと唐帝国』(講談社、2007年)を取り上げました。同書では、間野英二氏の中央アジア論が徹底的に批判されていたのですが、これにたいする間野氏の反論「「シルクロード史観」再考─森安孝夫氏の批判に関連して─」が、『史林』第91巻2号(2008年)に掲載されました。 ...続きを見る

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2008/06/10 00:00
サハラの砂漠化は緩やかだった
 サハラの砂漠化は緩やかだった、との研究(Kr&#246;pelin et al.,2008)が報道されました。更新世末期以降の温暖化により、サハラは砂漠からから湿潤で植物の豊富な環境に変わりました。しかし、7000年前以降、サハラは再び乾燥化し、比較的短期間のうちに砂漠になったとされます。 ...続きを見る

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2008/05/12 00:00
堀晄『古代インド文明の謎』
 歴史文化ライブラリーの一冊として、吉川弘文館より2008年3月に刊行されました。朝日新聞の書評ではたいへん面白そうでしたし、この6〜7年、古代文明についての勉強がまったく進んでいないので、最新の見解を知っておこうという考えもあって、読んでみました。 ...続きを見る

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2008/05/08 00:00
中国大陸における人類の遺伝的構成の変化(追記有)
追記(2010年9月12日)  この研究(Wang et al.,2000)を否定する研究があることは、確か昨年知ったのですが、それほど関心の高い問題ではなかったので、とくに調べずにきました。今日になって、ヤフー掲示板の“unadon_applepie”さんの投稿により、Wang et al.,2000を否定する研究(Yao et al.,2003)を具体的に知りました。古代臨&#28100;の住民のミトコンドリアDNAは、ヨーロッパよりも現代の中国南部の住民のほうに近い、とのことです。以下の... ...続きを見る

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2008/04/17 00:00
最近の「チベット」情勢についての平野聡氏の見解
 本日付の朝日新聞「私の視点」に、今年3月4日分の記事で取り上げた『興亡の世界史17 大清帝国と中華の混迷』(講談社、2007年)の著者の平野聡氏の“「中華民族」国家造り 限界”と題する見解が掲載されました。主な点を列挙すると次のようになります。 ...続きを見る

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2008/03/27 21:02
「チベット」と「中国文明」の関係(3)
 前回の記事にたいして、子欲居さんからトラックバックをいただきました。この記事はその返信ですが、このブログのこれまでの記事で主張したいことはおおむね述べてきましたので、今回は手短に私見を述べることにし、私のほうも、この問題についてはとりあえずこの記事で最後にするつもりです。 ...続きを見る

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2008/03/19 00:02
「チベット」と「中国文明」の関係(2)
 前回の記事にたいして、子欲居さんからトラックバックをいただきました。この記事は、その返信です(以下、引用箇所は青字)。 ...続きを見る

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2008/03/17 00:03
「チベット」と「中国文明」の関係
 前回の記事にたいして、子欲居さんからトラックバックをいただきました。この記事は、その返信です。そもそもの発端・「暴動」の内容・中国政府の対応・死者数など、現在のラサの情勢には不明な点が多く、現時点での断言は避けておきます(以下、引用箇所は青字)。 ...続きを見る

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2008/03/16 16:03
「チベット」と「中国」について
 昨日の記事にたいして、子欲居さんからトラックバックをいただきました。この記事は、その返信です。外国人がラサの情勢を把握するのは難しく、死者は10人ともされている一方で、最大で100人に達している、との報道もあります。じっさいのところどうなのか、現時点はもちろんのこと、後世になっても把握できないかもしれません。 ...続きを見る

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2008/03/16 00:00
最近の「チベット」情勢と歴史問題
 最初に断っておきますと、「東アジア世界論」についての私見(前編と後編)でも述べたように、私は中国を中華人民共和国の略称として用いており、通時的な地理的呼称としては中国大陸を用いています。他の方の文章・発言から引用するさいに、通時的な地理的呼称として「中国」が用いられているような場合は、原則として「」をつけることにしています。なお、「チベット」としているのは、中国大陸についてもそうであるように、地理的区分にはどうしても曖昧なところがあるとはいえ、「チベット」の範囲については、とくにそうした性格が... ...続きを見る

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2008/03/15 11:06
杉山正明『興亡の世界史09 モンゴル帝国と長いその後』
 講談社の『興亡の世界史』シリーズ12冊目となります(2008年2月刊行)。過激な?叙述で知られる杉山氏の執筆とあって、色々な意味で注目していたのですが、相変わらず杉山節全開といった感じで、たいへん面白く読み進めました。欧州および中華中心史観を徹底的に批判する杉山節は、あるいは行き過ぎの面もあるように思われますが、欧州中心史観だけではなく、中華中心史観も根強い日本においては、杉山氏のような歴史叙述は依然として重要だと言えるでしょう。 ...続きを見る

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2008/03/04 00:02
羽田正『興亡の世界史15 東インド会社とアジアの海』
 講談社の『興亡の世界史』シリーズ11冊目となります(2007年12月刊行)。東インド会社を軸として、近代への移行も視野にいれつつ、「アジアの海」を中心とした17〜18世紀の世界史が描かれます。膨大な研究蓄積があり、本書が扱う地理的範囲の中心となる「アジアの海」も広大なだけに、これを一冊の一般向け書籍として執筆するにあたっては、歴史家としてのかなりの力量が要求されますが、本書の試みは一定の成果をおさめたように思われます。 ...続きを見る

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2008/03/04 00:02
平野聡『興亡の世界史17 大清帝国と中華の混迷』
 講談社の『興亡の世界史』シリーズ10冊目となります(2007年10月刊行)。現代の「中国」という枠組みが築かれるうえで決定的な役割を果たした清帝国の興亡とともに、近現代の「中国」という概念がいかなる歴史的文脈のもとに形成されたか、叙述されています。 ...続きを見る

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2008/03/04 00:01
本村凌二『興亡の世界史04 地中海世界とローマ帝国』
 講談社の『興亡の世界史』シリーズ9冊目となります(2007年8月刊行)。本書は、曖昧模糊とした都市国家ローマの建国から、いわゆる東西分裂のあたりまでが主に扱われ、西ローマ帝国の滅亡の様相や、東ローマ帝国のその後についてはほとんど扱われていません。著者の本村氏の著書・論考には面白いものが多く、楽しみにしていた一冊です。本村氏は競馬ファンでもあり、『優駿』やスポーツ紙の競馬面へたびたび寄稿していましたが、最近はどうなのでしょうか。 ...続きを見る

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2008/03/04 00:01
遣隋使をめぐる『隋書』と『日本書記』の相違について
 ちょっと検索していたら、たまたま興味深い研究(川本芳昭「隋書倭国伝と日本書紀推古紀の記述をめぐって」)を見つけたので、私見を交えつつ、この研究について見ていきます。このときの検索で知ったのですが、日本の人文・社会科学においては、私が想像していたよりもずっと電子化が進んでいるようで、自宅にいながらにして部外者が容易に論文を読めるとは、まことによい時代になったものです。ただ、印刷物からスキャンした画像をそのままPDFファイルにしているようなので、本文から引用するさいにコピペができないのが難点ですが... ...続きを見る

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2008/03/04 00:00
原聖『興亡の世界史07 ケルトの水脈』
 講談社の『興亡の世界史』シリーズ8冊目となります(2007年7月刊行)。キリスト教・古典古代文明とならんで、欧州文明の源流とされるケルトが取り上げられていますが、本書でも強調されているように、ケルトの定義はじつに曖昧です。私はケルトについての専門書を読んだことがなく、予備知識が乏しいということもあってか、本書を読んでも、ケルトがいかなるものなのか、どうもはっきりと思い描くことができませんでした。もっとも、予備知識の乏しい分野でしたので、色々と教えられるところが多く、つまらなかったというわけでは... ...続きを見る

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2008/03/03 00:01
林俊雄『興亡の世界史02 スキタイと匈奴 遊牧の文明』
 講談社の『興亡の世界史』シリーズ7冊目となります(2007年6月刊行)。遊牧社会が自身の文献記録を残すようになったのが、定住社会よりかなり遅れたということもあったため、じゅうらい、遊牧社会への一般的な関心は低かったように思われます。そのため、欧州・西アジア・中国といった記録の豊富な定住社会と比較すると、遊牧社会の重要性が低く評価されていたようですが、近年の日本では、杉山正明氏による積極的な啓蒙活動もあってか、じゅうらいよりも遊牧社会への評価が高くなっているように思われます。 ...続きを見る

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2008/03/02 00:10
井野瀬久美恵『興亡の世界史16 大英帝国という実験』
 講談社の『興亡の世界史』シリーズ6冊目となります(2007年4月刊行)。帝国としてのイギリスの変貌の契機を、植民地アメリカの喪失によるイギリス人のアイデンティティの変化に求めるという視点は、英国史に通じている人にとっては常識なのかもしれませんが、不勉強な私にとっては新鮮でした。奴隷貿易をめぐる問題も、こうした文脈のうえで解釈されていますが、アメリカ独立運動や奴隷貿易などを、できるだけ多面的に分析しようという叙述姿勢には好感が持てます。 ...続きを見る

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2008/03/02 00:10
土肥恒之『興亡の世界史14 ロシア・ロマノフ王朝の大地』
 講談社の『興亡の世界史』シリーズ5冊目となりますが(2007年3月刊行)、近現代の日本においてはずっと、ソ連邦も含めてロシアへの好感度も関心も低く、売り上げは苦戦するのではないかと思います。もっとも、日露戦争の前後にはロシアへの関心がひじょうに高まりましたし、社会主義者の中にはソ連邦に傾倒した人もいますが、米・英・仏・独・中といった他の大国への日本人の好感度・関心と比較した場合、日本人のロシアへの態度は冷淡だと言えるでしょう。 ...続きを見る

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2008/03/02 00:09
森安孝夫『興亡の世界史05 シルクロードと唐帝国』
 講談社の『興亡の世界史』シリーズにはいわゆる中国史ものが少なく、この05巻は数少ない中国史ものに近い一冊となっています(2007年2月刊行)。これは、数年前に講談社から『中国の歴史』シリーズが刊行されたことに配慮したからなのでしょう。もっとも、この05巻は古い型の中国史ものではなく、中華主義の克服が提唱されていますが。 ...続きを見る

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2008/03/02 00:08
森谷公俊『興亡の世界史01 アレクサンドロスの征服と神話』
 ブログ用に書き溜めておいた記事がかなりの量になったので、これから1週間くらい、読後雑感を中心に毎日5本ていど記事を掲載していくことにします。以前、多忙を理由にあまり更新しなくなったら、怠惰な性分なものですから、しだいに更新間隔が延びていき、ついには1年3ヶ月以上も更新を放置してしまいました。 ...続きを見る

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2008/03/02 00:07
梅毒の起源
 今年1月23日分の記事にて、『1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見』という本を取り上げましたが、同書の付記では、梅毒の起源をめぐる議論において、学術的な意味合いだけではなく、心理的要素が絡んでいることが指摘されています(P601〜606)。同書でも述べられていますが、梅毒は梅毒トレポネーマ(Treponema Pallidum)により惹き起こされます。梅毒トレポネーマにより惹き起こされる症状は4種類に区分されていますが、(1)と(4)は非性的感染となります。 ...続きを見る

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2008/01/26 00:00
『1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見』(日本放送出版協会)
 チャールズ=C=マン著、布施由紀子訳で、2007年7月に刊行されました。原書の刊行は2005年です。先コロンブス期のアメリカ大陸についての研究成果がまとめられており、アメリカ合衆国などにおける一般的なアメリカ先住民像を書き換えよう、との意欲に満ちた書です。アメリカ大陸史の近年の研究成果を知るために読んだのですが、私が不勉強なこともあり、知らなかった見解も多く、私にとってはじつに読み応えのある一冊となりました。 ...続きを見る

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2008/01/23 00:00
河川の形状についての認識
 一般的に認識されている「自然な」河川の形状は、人の手がかなり加えられた結果であることを指摘した研究が公表されました。この研究には日本語の要約もあります。大規模な河川土木事業の始まる前の河川は、一本のリボンのような水路の形状をし、景観のなかを蛇行していた、と考えられていました。 ...続きを見る

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2008/01/19 00:00
ヴァチカン法王庁がテンプル騎士団の宗教裁判の史料を公開
 1307年、フランス王フィリップ4世はテンプル騎士団襲撃を命じましたが、これに関連して1311年にヴィエンヌ公会議が開催されました。この公会議では、テンプル騎士団の処分について宗教裁判が行なわれ、テンプル騎士団の解散が決定されました。ヴァチカン法王庁が、そのときの史料である“Processus Contra Templarios”を、700年ぶりに公開することを決定した、との報道がありました。 ...続きを見る

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2007/11/14 00:00
最古の水田?
 中国の浙江省杭州市近くの跨湖橋遺跡は、現在確認されている最古の水田ではないか、との研究が報道されました。この遺跡は7700年前頃のもので、当時は、低湿地帯を選んで低木を焼き払って水田を開拓し、耕作を行なっていたのだろう、とされています。低湿地のこの遺跡は沿岸にあるので、塩分を含んだ水が浸透してくるのを防ぐため、堤防が築かれたかもしれない、と指摘されています。また、人間や動物の排泄物も高頻度で検出されましたが、肥料として用いられたかどうかは定かではない、とのことです。跨湖橋遺跡の水田は、7550... ...続きを見る

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2007/09/28 00:00
ヘロデ王の墓が発見されたとの報道
 かなり前の話題ですが、イスラエルの考古学者がヘロデ王の墓を発見した、との報道がありました。 http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/6633979.stm イエス生誕のさい、多数の幼児を虐殺したという伝説でも知られていますが、その伝説の真否はともかくとして、多数の人を殺したことは確かなようです。こうした古代史の研究は、イスラエルやキリスト教の正当性にも関わりかねないだけに、なかなか難しいところがあるだろうとは思いますが、できるかぎり客観的な研究が進むこ... ...続きを見る

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2007/07/07 09:49
堀敏一氏死去
 著名な東洋史家の堀敏一氏が、5月29日に82歳で亡くなったとの報道がありました。 http://www.asahi.com/obituaries/update/0530/TKY200705300376.html ...続きを見る

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2007/06/01 00:00
アトランティスを破壊した津波
 クレタ文明滅亡の原因を、サントリーニ島の噴火とそれにともなう津波に結びつけた見解が報道されました。 http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/6568053.stm ...続きを見る

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2007/04/26 22:09
400年前の韓流?(東京新聞社説より)
 4月15日の東京新聞の社説「週のはじめに考える 四百年前の『韓流』」には考えさせられるものがありました。この社説は、明石書店より2000年に刊行された、日本語訳『国定韓国高等学校歴史教科書』などに見られる、韓国の一般的な歴史認識とも通ずるところが多分にあります。次に、同書から朝鮮通信使に関する記述を引用します(青字の箇所)。 ...続きを見る

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2007/04/17 07:56
『天からの洪水 アトランティス伝説の解読』
 エバーハート=ツァンガー著、服部研二訳で、1997年に新潮社から刊行されました。この本の存在は以前から知っていたのですが、ノンフィクションのアトランティス関連本には当たりの作品があまりないということもあり、敬遠していました。しかし最近になって、このブログに書き込んでくださった「イリヤのファン」さんから面白いと紹介されたので読んでみたのですが、たいへん興味深い内容で、これまでに私が読んだアトランティス関連本のなかではもっとも面白い本でした。 ...続きを見る

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2007/02/22 07:43
高句麗論争についての雑感(3)
 ここ数日、高句麗論争について子欲居さんとのやりとりが続いていて、子欲居さんの元記事→私の返信→子欲居さんの返信→私の再返信→子欲居さんの再返信という経緯なのですが、以下に述べる内容はほとんど現状認識論となっており、私の考えはおおむね述べることができましたし、あまり長く続けるのもどうかと思われますので、私からの返信はとりあえずこれで最後にします。  子欲居さんと私の見解の相違は、現状認識の違い、さらにはそれに起因する歴史観の違いによるものでしょう。これは、歴史の性質を考えてみれば当然のことでも... ...続きを見る

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2007/02/11 16:02
続・高句麗論争についての雑感
 昨日、高句麗論争についての雑感という記事をこのブログに掲載し、子欲居さんのホームページのブログの記事にトラックバックを送ったところ、ブログにて回答がありましたので、それを受けて私のほうでも返答しておこうと思います。以下、引用箇所は青字で示します。 ...続きを見る

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2007/02/10 12:03
高句麗論争についての雑感
 当ホームページからリンクさせていただいている子欲居さんのホームページのブログの記事を読んで、高句麗論争、さらには共通の歴史認識という問題についての雑感を述べていきますが、関心や歴史認識の違いから、子欲居さんの記事とは異なる方向での雑感となります。 ...続きを見る

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2007/02/09 19:23
小杉泰『興亡の世界史06 イスラーム帝国のジハード』
 いよいよ、講談社から『興亡の世界史』シリーズの刊行が始まりました。この06巻の『イスラーム帝国のジハード』と、19巻『空の帝国 アメリカの20世紀』の同時刊行でシリーズの幕が開くことになります。テロとの戦争が大きな問題となっている現在を生きる人々にとって、関心の高いだろう分野の二冊を最初に刊行したということでしょうか。 ...続きを見る

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2006/12/30 10:23
富の源泉としてのアトランティスと邪馬台国
 『イリヤッド』では欧州文明の源流と言われているアトランティスですが、今回は、『イリヤッド』を離れて、アトランティスについて少し雑感を述べようと思います。  欧米社会におけるアトランティスへの関心は今でも強いようで、さまざまな本が刊行されたり、新説が提示されたりしています。アマチュアだけではなく、アカデミズムの側からの発言もあります。今でも、古そうな遺跡(に見えるもの)が発見されると、アトランティスとの関連が取りざたされます。欧米社会において、アトランティスは、まさに金のなる木なのです。今年も... ...続きを見る

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2006/10/17 19:06

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