アクセスカウンタ

zoom RSS テーマ「日本史中世」のブログ記事

みんなの「日本史中世」ブログ


渡邊大門編『信長研究の最前線2 まだまだ未解明な「革新者」の実像』

2017/08/20 00:00
 これは8月20日分の記事として掲載しておきます。日本史史料研究会監修で、 歴史新書の一冊として洋泉社より2017年8月に刊行されました。本書は『信長研究の最前線 ここまでわかった「革新者」の実像』の続編となります(関連記事)。本書は5部構成で、各部は複数の論考から構成されています。本書で提示された見解のなかには、すでに他の一般向け書籍で知ったものもありましたが、信長に関する勉強はこの十数年ほどほとんど進んでいなので、多くの知見を得られました。『信長研究の最前線 ここまでわかった「革新者」の実像』と併せて読むと、たいへん有益だと思います。以下、本書で提示された興味深い見解について備忘録的に述べていきます。以下、西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です



●渡邊大門「はじめに 中世的かつ保守的な信長」P3〜9
 近年の織田信長研究の動向を紹介しつつ、本書の各論考を簡潔に紹介しています。「革新者」としての信長像には現代では否定的な研究者が多いだろう、とのことですが、一方で、現代日本社会における信長の高い人気が「革新者」という印象に基づくものだろう、ということも指摘されています。この溝はまだ深いように思われます。



第1部 信長の「基本情報」の真偽


●小川雄「織田一族の家系 信長以前の織田氏と、そのルーツとは」P20〜38
 信長以前の織田氏(勝幡織田氏、弾正忠家)について解説されています。勝幡織田氏は、尾張守護の斯波氏の守護代だった清洲織田氏の一門として、16世紀初頭以降に頭角を現していったようです。斯波氏は越前の守護でもあったものの、応仁の乱以降、越前は実質的に守護代の朝倉氏が支配するようになっており、斯波氏は尾張の支配に重点を置くようになっていったようです。勝幡織田氏は、信長の父である信秀の代に、隣国の三河や美濃の混乱に乗じて台頭していきましたが、三河での今川氏との戦いに敗れた後、晩年(とはいっても、満年齢で40歳になったばかりのようですが)には各地で反撃を受けて苦境に立たされていたようです。


●石神教親「尾張の地理的環境 信長を生んだ、尾張国の地形・地理的環境とは」P39〜53
 中世の国境には曖昧なところがあり、尾張と三河・伊勢・美濃の間のように、政治情勢によって変更されることもあった、と指摘されています。たとえば、一向一揆の拠点だった長島は伊勢に属していたものの、信長は長島一揆との戦いのなかで長島を尾張と認識し、豊臣政権でも長島は尾張とされていました。長島が伊勢に戻されたのは江戸時代初期になってからです。信長にとって初期の経済基盤となった津島と熱田に関しては、門前町だったことが指摘されています。また、尾張は大半が平野で、防御に優れた山城の構築ができないことから、戦略や用兵が重要となり、織田氏の軍事力が強化されたのではないか、との見解も注目されます。


●和田裕弘「伝記と伝本 信長の一代記『信長記』はいかなる書物か」P54〜70
 太田牛一が著わした『信長記(信長公記)』について解説されています。『信長記』の題名は、著者の太田牛一がつけていなかったようなので、確定できないそうです。『信長記』は信頼性の高い史料とされており、近代以降の歴史学でも高く評価されてきましたが、信長より年長の太田牛一が信長に仕えたのは比較的遅かったことや、重臣とまでは言えない身分のため知らなかった機密情報もあることなどから、誤りや漏れもある、と指摘されています。


●藤本正行「信長の画像 信長の顔・姿は、どこまで本物に近いのか」P71〜86
 信長を描いた絵は多数伝わっており、木像も伝わっています。本論考は、それらの由来・性格を検証しています。中世には、人物画は法要のために描かれることが多く、生前に描かれること(寿像)は少なかったようです(木像も同様)。信長に関しては、寿像は確認されておらず、死後間もない法要のための人物画・木像もあることから、信長の外見・人物像を知るための格好の手がかりになっているようです。



第2部 信長の「敵対勢力」との関係


●千葉篤志「初期信長権力の形成過程 スムーズではなかった、信長の「家督相続」の現実」P88〜103
 信長の尾張統一は順調ではなく、一族や元々は仕えていた守護代、さらには守護との対立・連携のなかで進んでいき、尾張国内に限らず、美濃の斎藤氏や駿河・遠江から三河・尾張へと勢力を拡大してくる今川氏との対立・連携も関わっていたことが指摘されています。信長が守護と連携したことや上洛したことも、そうした状況での権威確立のためだったようです。信長が弾正忠家(勝幡織田氏)の正当な継承者だったことは自明とされていましたが、弟の信勝(達成、信成)の花押や官途から、弾正忠家における家督継承は曖昧で、信長と信勝の分掌体制が見られる、とも指摘されています。


●木下聡「道三と義龍・龍興 信長と美濃斎藤氏との関係とは」P104〜116
 織田氏と美濃の斎藤氏は信長の父である信秀の代には対立関係にありましたが、斎藤道三の娘が信長の妻となることで和睦します。道三は信長に肩入れしていたようで、これは、織田氏との友好関係により美濃の統治を安定化させる、という目的もあったようです。道三は織田氏との縁戚関係を築いた後、主君の土岐頼芸を追放しています。道三は嫡男の義龍と争い殺害され、これ以降、義龍・龍興の親子は信長と激しく対立しますが、道三の他の子孫たちは織田氏に重臣として仕えました。このことからも、道三が信長に肩入れしたという逸話は、かなりの程度事実を反映しているのではないか、と思います。


●太田浩司「信長と浅井氏 浅井長政は、なぜ信長を裏切る決断をしたのか」P117〜135
 信長の妹である市と浅井長政との婚姻時期については、1567〜1568年とする見解が通説となっていましたが、本論考は、浅井長政の改名(賢政から長政)が1560年であることから、『東浅井郡志』に見える1561年説が妥当だろう、との見解を提示しています。長政が信長を裏切った理由として、信長が浅井氏を家臣として位置づけようとしていたからではないか、と推測されています。1572〜1573年の武田信玄の西上作戦については、当初は遠江・三河の制圧が目的だったものの、三方ヶ原の戦いでの勝利により、周囲の要求などから上洛を意識するようになったのではないか、と推測されています。


第3部 信長と「室町幕府・朝廷」の関係


●山田康弘「信長と室町幕府 室町幕府の「幕府」とは何か」P138〜156
 本論考は、戦国時代・戦国大名といった基本的な用語を掘り下げて定義しようとしています。これは昔からの持論ですが、一般的に、基本的な概念ほど定義が難しいものだと思います。戦国時代・戦国大名についても、掘り下げていくと、定義は難しいとよく分かります。本論考はとくに幕府について掘り下げており、幕府には、将軍と大名たちとの全体的な相互補完関係(広義)、および将軍とその直属の中央機関(狭義)という二つの意味がある、と指摘しています。この観点から、足利義昭が京都から追放されて室町幕府が「滅亡した」と言えるのか、といった問題を考察しなければならない、と本論考は指摘しています。また、諸大名が将軍の命令に従う場合などの理由として、権威で説明されるものの、権威とは何か、本当に権威で説明できるのか、といった問題も提起されています。


●堺有宏「信長と朝廷・東大寺 信長は、なぜ蘭奢待を切り取ったのか」P157〜172
 信長が東大寺の蘭奢待を切り取ったことは、信長と天皇との関係で論じられてきました。これは、正親町天皇にたいする信長の示威行為であり、信長と天皇・朝廷との対立を示すものだ、というわけです。しかし近年では、信長と天皇との対立関係に否定的な見解が有力なようです。本論考は、信長による蘭奢待切り取りを、信長による寺院政策の一環として位置づけ、信長が奈良における新たな支配者であることを誇示する目的があったのではないか、と推測しています。


●神田裕理「朝廷と信長の関係 信長の「馬揃え」は、朝廷への軍事的圧力だったのか」P173〜189
 1581年2月28日と同年3月5日に京都で行なわれた馬揃えについて検証されています。この2回の馬揃えについては、信長と天皇・朝廷との対立を前提として、信長による天皇・朝廷への示威行為との見解も提示されています。しかし本論考は、この時期に信長と天皇・朝廷との深刻な対立の確たる証拠は見られず、また朝廷側との協議で馬揃えが行なわれていることから、示威行為説を否定しています。本論考は、京都での馬揃えの前提として同年1月15日の安土での馬揃えがあり、その評判を聞きつけた朝廷が、皇太子生母の死に伴う喪が明けたことから、華やかな馬揃えの実施を求めたのではないか、と推測しています。



第4部 信長の「宗教政策」と権力の源泉


●松本和也「宣教師と信長 信長とイエズス会の本当の関係とは」P192〜208
 信長は仏教を弾圧し、キリスト教を擁護した、と通俗的には言われているかもしれませんが、信長の対宗教政策は仏教とキリスト教とでとくに変わらない、と指摘されています。信長は、自分に従順な宗派には友好的に、従順ではない宗派には敵対的に接しただけで、キリスト教も、信長と友好的な関係を築いていたものの、荒木村重の謀反の時のように、対応を間違えれば信長から弾圧された可能性が指摘されています。当時、キリスト教が仏教の一派として把握されていたこととも関わってくるのでしょう。


●松下浩「信長の神格化の問題 信長「神格化」の真偽を検証してみる」P209〜226
 イエズス会史料に見える信長の神格化に関する、さまざまな見解が取り上げられています。本論考は、信長神格化に肯定的な見解と否定的な見解の核心は、信長の政権をどう把握するかにある、と指摘しています。神格化肯定説の前提は、信長は超越的な専制権力を志向しており、本願寺のイデオロギー、さらには天皇をも越えようとしていた、との認識であり、神格化否定説の前提は、信長は既存の秩序に自らを位置づけようとしていた、との認識です。本論考は、信長の基本的な宗教政策は、敵対しなければ既存の宗派を保護するというものであり、信長が自らを神として崇拝させるような新宗教を創出したとは考えられない、との見解を提示しています。


●木戸雅寿「安土城天主像の諸説 安土城「天主」の復元は、どこまで可能なのか」P227〜244
 本論考は、天主(天守)の起源と展開について検証しつつ、安土城天主の復元に関する諸説を取り上げています。天主という文字が当てられたのは信長によってであり、豊臣秀吉が大坂城を築いた頃に天守という表記に変わった、と指摘されています。安土城天主は時代を画するものとなったようですが、その起源については、室町時代の金閣・銀閣と、中世以降に発達してきた城郭施設が融合したものだ、と指摘されています。安土城の復元に関しては諸説提示されていますが、今後も飛躍的な進展は難しい、との見通しが提示されています。



第5部 信長と「商人」の関係


●渡邊大門「信長と銀山 信長は生野銀山を直接支配したのか」P246〜265
 信長が生野銀山を直接支配したのか、検証されています。1569年の織田の但馬侵攻は、生野銀山の支配を目的としたもの、との見解も提示されています。しかし本論考は、信長は毛利氏との連携において但馬に侵攻した、と指摘しています。織田に攻め込まれた山名氏は、銭の献上で信長に赦免を乞おうとして、今井宗久も仲立ちをしましたが、その財源とされたのが生野銀山だった、と推測されています。しかし、山名氏やその重臣の抵抗により銭の献上との約束は破棄されており、信長による生野銀山の支配も行なわれなかっただろう、と推測されています。


●廣田浩治「信長と都市・豪商 信長と都市・堺はどのような関係だったのか」P266〜281
 堺は町衆の自治都市だったものの、武家政権の都市でもあった、と指摘されています。信長の上洛前には、三好氏の直轄地となり、三好長慶は家臣を堺の代官としています。信長は上洛後、堺を支配下に置きますが、堺は武家権力との関わりが以前より強かったため、信長による支配にも適応できたのではないか、と指摘されています。また、堺は信長の支配下に置かれたものの、経済活動には信長に統制されない面があったことも指摘されています。


●八尾嘉男「信長と茶の湯 「名物狩り」と「御茶湯御政道」の実像とは」P282〜299
 信長がいつ茶の湯を知ったのか、確実なことは不明のようですが、信長の傳役だった平手政秀が尾張に立ち寄った公家に茶を振る舞い、茶道具を持っていたことなどからも、信長は1559年の最初の上洛以前に茶の湯を知っていただろう、と推測されています。信長は「名物狩り」により名物茶道具を天下人に集中させ、「御茶湯御政道」により主従関係の構築・強化に茶の湯を利用しました。こうした信長による茶の湯の活用は、豊臣政権・徳川政権にも継承されました。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


大石泰史編『今川氏研究の最前線 ここまでわかった「東海の大大名」の実像』

2017/08/13 00:00
 これは8月13日分の記事として掲載しておきます。日本史史料研究会監修で、歴史新書の一冊として洋泉社より2017年6月に刊行されました。本書は4部構成で、各部は複数の論考から構成されています。本書で提示された見解のなかには、すでに他の一般向け書籍で知ったものもありましたが、今川氏についてはよく知らなかったので、多くの知見を得られました思います。今川氏についての近年の研究動向を手軽に知ることができ、たいへん有益だと思います。以下、本書で提示された興味深い見解について備忘録的に述べていきます。以下、西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です



●大石泰史「はじめに 具体的な今川氏像≠目指して」P3〜17
 鎌倉時代から南北朝時代・室町時代を経て戦国時代へといたる今川氏の歴史を簡潔に解説するとともに、今川氏研究を概観し、本書の各論考を簡潔に紹介しています。本論考によると、今川氏研究は検地など一部の分野で進展したものの、城郭研究などまだあまり解明されていない分野も少なからずある、とのことです。簡潔かつ的確な導入部になっていてよいと思います。



第1部 今川領国の領主たち


●清水敏之「今川本家と今川一門 駿河今川氏の「天下一名字」は史実か」P26〜49
 多数いた今川氏の一門について、鎌倉時代から戦国時代まで概観されています。これら多数の今川一門のなかには、戦国時代まで存続した家系もあれば、その前に史料から見えなくなり、没落したと思われる家系もあります。永享の乱での功績により、駿河今川氏の当主のみが今川と称すことを室町幕府第6代将軍の足利義教から許された、との記録もありますが、その後も今川一門のなかには今川と称した家系もあったことが指摘されています。しかし、それらの今川一門も戦国時代には今川を称さなくなったようで、それは駿河今川氏の圧力のためではないか、と本論考は推測しています。


●遠藤英弥「今川氏の主従関係 今川氏の被官と「駿遠三」の国衆」P50〜67
 今川氏の主従関係が検証されています。今川氏は武田氏と徳川氏から攻撃を受けて没落しましたが、そのさいに多くの国衆が今川氏から離反しており、大名の動向が国衆に規定されていることを示している、と指摘されています。寄親寄子制成立については、検地の実子・知行制の実施・不入権の否定が画期として挙げられています。また、寄親寄子制には、従属度の高いものと低いものがあったことも指摘されています。主従関係にはない他大名の家臣に知行を与える事例も紹介されています。


●糟谷幸裕「外様国衆・井伊氏と今川氏 今川氏の「徳」が問われた「井伊谷徳政」とは?」P68〜90
 今年(2017年)放送中の大河ドラマ『おんな城主 直虎』でも大きく取り上げられた「井伊谷徳政」について解説されています。「井伊谷徳政」は、1566年の今川氏の徳政令が銭主方の反発により反故にされたことに起因しますが、この時、徳政令を望んだ百姓は今川氏に失望し、それが翌年から翌々年にかけての「井伊谷徳政」のさいの百姓の消極的な態度につながった、とされています。百姓は、徳政令を実施できない今川氏に失望し、その直後の徳川氏の侵攻にも強く抵抗しなかったのではないか、というわけです。なお、昨年公表されて話題になった、井伊直虎は男性(関口氏経の息子)だったとの説について本論考は、確証はないものの、その蓋然性は高い、と評価しています。



第2部 今川氏の外交


●大石泰史「今川氏と京都 公家・将軍家との「外交関係」を支えた今川家の側近たち」P92〜116
 今川氏と京都の幕府・朝廷との関係について検証されています。戦国大名には京都駐在の家臣(在京雑掌)がおり、今川氏でも確認されていますが、詳しくは解明されていないようです。上杉氏の事例からは、幕府・朝廷との交渉や援助、政治工作、情報収集などを任務としていたことが窺えるようです。今川氏の場合、在京雑掌は基本的に法体の人物だったようです。また、今川氏では義元の代になって、京都との交渉に重臣が関わってくるようになることも指摘されています。


●丸島和洋「武田・北条氏と今川氏 今川氏の栄枯盛衰と連動した「甲駿相三国同盟」」P117〜142
 15世紀末から氏真の代での没落までの今川氏の外交について、北条氏・武田氏との関係を中心に解説されています。この間、当初は今川氏・北条氏と武田氏・上杉氏(扇谷・山内)との対立という構造だったのが、義元の代になって、今川氏は武田氏と結び、北条氏と対立するようになります。武田氏は北条氏とも結び、武田氏の仲介もあって今川氏は北条氏と和解し、時期は異なるものの、三氏は婚姻関係を重ねていき、今川・北条・武田の「三国同盟」が成立します。しかし、桶狭間の戦いで義元が戦死した後、武田氏が織田氏との関係を深めていくなかで、武田氏と今川氏との関係が悪化していきます。苦境に立った氏真が上杉氏(長尾氏)と結ぶと、これを大義名分として武田氏は今川氏との盟約を破棄し、今川氏は武田氏と徳川氏に攻められて没落するにいたります。


●柴裕之「三河・尾張方面の情勢 織田氏との対立、松平氏の離叛はなぜ起きたか」P143〜164
 おもに三河における今川氏の動向と、織田氏・松平(徳川)氏との関係が解説されています。今川氏と織田氏との対立は、三河における勢力圏争いに起因し、三河の国衆がどちらに従属するかで優勢が決まります。今川氏の三河への勢力浸透は順調には進まず、国衆を従属させるのに時間を要し、敵対する国衆は尾張の織田氏を頼みとします。松平氏も、今川氏と織田氏との間で揺れ動いた一族で、竹千代(徳川家康)が織田氏の人質になったのは、今川氏の人質になるところを誘拐されたからではなく、松平氏が織田氏に服属したからだ、と指摘されています。その後、松平氏は今川氏へと服属しますが、桶狭間の戦いの後、今川氏は西三河の国衆を保護するだけの力を失い、松平氏は今川氏から離反することになります。



第3部 桶狭間合戦前後の今川氏と周辺状況


●木下聡「桶狭間合戦と義元上洛説 「三河守任官」と尾張乱入は関係があるのか」P166〜183
 桶狭間の戦い直前の義元の三河守任官が検証されています。桶狭間の戦いにおける義元の目的は上洛だったとの古典的な説は、現在では否定されており、尾張を領する意図や、そうだとしてどの範囲だったのか、という観点からおもに議論されているようです。義元の三河守任官については、事実ではあるものの、義元の側からの要請ではなく、今川氏の世話になった公家が自発的に手続きをしたのではないか、と推測されています。また武家社会において、三河守は今川氏当主がよく用いた上総介よりもかなり格下に位置づけられていた、とも指摘されています。


●小笠原春香「今川義元と太原崇孚 臨済宗寺院の興隆と今川氏の領国拡大」P184〜203
 義元を幼少期から支えた太原崇孚の動向を中心に、今川領国内における臨済宗寺院の興隆と今川氏の勢力圏の拡大が解説されています。太原崇孚は臨済宗でも妙心寺派に転じます。現在静岡県の寺院では臨済宗の割合が21%で、そのなかでも妙心寺派が圧倒的に多いのですが、これは太原崇孚の影響とされてます。義元は北条氏・武田氏と結んで三河から尾張へと西方に侵攻していきますが、武田氏が長尾(上杉)氏との対立の結果、東美濃の掌握が不充分になったため、三河平定が遅れるなど、武田氏の動向に今川氏が影響を受けたことも指摘されています。義元が武田氏と長尾氏の仲介を担ったのは、今川氏の三河平定を進めるためでもありました。


●小川雄「南信濃・東美濃と三河 桶狭間敗戦以降の三河情勢と「今川・武田同盟」」P204〜222
 桶狭間の戦い以降の三河情勢が解説されています。桶狭間の戦い以降、三河では今川氏と松平(徳川)氏との対立を中心に情勢が展開します。ただ、松平氏は桶狭間の戦い直後に今川氏から離反したのではなく、当初は織田氏勢力と戦っており、今川氏に従属する国衆として活動していたようです。しかし、今川氏が三河を安定化させられないことから、松平氏は今川氏を見限って、織田氏と結びます。桶狭間の戦い以降の三河情勢には武田氏も関わっており、これは、三河と隣接する自国領の安定化のためでもありました。しかし、武田氏はそのために織田氏と結び、それが今川氏との関係悪化を招来します。しかし、1568年までは、緊張関係を内包しつつ、今川氏と武田氏の盟約は継続しました。



第4部 今後期待される研究テーマ


●望月保宏「考古学からみた今川氏 今川氏時代の城館跡の特徴を検証する」P224〜242
 考古学の研究成果から、今川氏領国のおもに戦国時代の城館の特徴が検証されています。平地城館については、一辺約100mの方形居館を基調とする館城ではないか、と推定されています。こうした特徴は、甲斐武田氏のような守護大名の系譜の戦国大名と同様で、「室町殿体制」を踏襲していたのではないか、と指摘されています。山上や丘陵上の城については、自然地形を利用した連郭式の縄張で、おもに堀切で遮断する構造が一般的だったのではないか、と推定されています。


●鈴木将典「今川氏と検地 「検地」の実像は、どこまでわかっているのか」P243〜260
 本論考は、戦国時代の検地の研究史にも触れつつ、戦国時代の今川氏の検地を検証しています。今川氏の検地に関する研究は、検地帳や検地書出が現存しないため、北条氏や武田氏ほどには進んでいないようです。そうした制約があるなか、本論考は現存する史料から今川氏の検地を検証していますが、今川氏は訴訟を受けて検地を実施し、「増分」を確定して直轄領とすることもありました。しかし、今川氏のこうした検地は武田氏では「改」とされており、今川氏が北条氏や武田氏や豊臣政権のような検地を実施したのか、まだ確証は得られていないようです。


●小川剛生「今川氏と和歌 文学活動に長い伝統と実績を持つ家柄」P261〜283
 戦国時代の今川氏を中心に、中世における和歌の在り様が解説されています。南北朝時代にはすでに、和歌は上級武家の教養として必須とされていましたが、今川氏もその頃には歌道をとくに重んじるようになっていきます。中世の地方の武家の和歌については、歌会や歌合が行なわれたことは諸史料によりに明らかですが、和歌そのものはあまり伝わっていないそうです。今川氏でも、義元の真作についてはほとんど知られていなかったのですが、研究の進展により、義元の和歌も確認されつつあるようです。氏真の和歌は多くが確認されており、題詠を巧みに処理する点では水準以上であるものの、素人臭は抜けず、真率な述懐が見られる点に特色がある、と本論考では評価されています。氏真が晩年に父である義元の戦死を想起した和歌を残していたことは、印象に残りました。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


亀田俊和『観応の擾乱 室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い』

2017/08/06 00:00
 これは8月6日分の記事として掲載しておきます。中公新書の一冊として、中央公論新社から2017年7月に刊行されました。都内の某大型書店で本書を購入したのですが、入荷数が多いのに驚きました。本書は刊行前よりネットで話題になっているように見えましたが、それは私の観測範囲の狭さが原因で、知名度のあまり高くない争乱だけに、刊行当初より書店に多数入荷されるとは予想していませんでした。同じ中公新書の『応仁の乱』(関連記事)の大ヒットもありましたし、第二次?中世史ブームが起きているということでしょうか。

 それはさておき、本書についてですが、観応の擾乱は、初めて知った小学校高学年の頃より、情勢の変転が急で理解しにくい争乱だ、との印象をずっと抱いてきました。本書はまず、観応の擾乱の前提となる室町幕府初期の体制と、室町幕府内部の対立の深まりを解説した後、観応の擾乱の具体的な様相を叙述し、最後に観応の擾乱の位置づけを論じています。なかなか分かりやすい構成になっており、本書からは、おそらく一般層には理解しにくいだろう観応の擾乱を、一般向けにできるだけ平易に解説しよう、との意図が伝わってきます。

 本書は観応の擾乱を、鎌倉幕府と建武政権の影響を強く受けた体制から室町幕府独自の体制が構築される契機になった、と重視しています。後に幕府の模範とされた足利義満期の体制も、観応の擾乱を契機とする改革が基礎になっている、というわけです。本書はこうした枠組みのもと、通説・俗説とは異なる見解を多く提示しています。室町幕府初期の体制について、一般層でも日本中世史に関心のある人の多くは、足利尊氏とその弟である直義との二頭政治で、尊氏が主従制的支配権を、直義が統治権的支配権を掌握していた、との見解を知っていることでしょう。しかし本書は、初期室町幕府において、尊氏が全権限を直義に委ねたわけではないにしても、直義が「三条殿」として事実上の最高権力者だった、との見解を提示しています。また本書は、尊氏と直義の役割分担について、創造(変革)の尊氏と保全(既存の秩序維持)の直義との見解を提示しています。

 このような前提のもと、本書は観応の擾乱を検証していきます。本書は観応の擾乱の要因として、直接的には尊氏の実子で直義の養子だった直冬の処遇問題があったのではないか、と推測しています。尊氏は優秀な実子の直冬を忌み嫌っており、それが諸将の反感を招来したのではないか、というわけです。さらに、その反感は、尊氏の意向に忠実で、尊氏の嫡男である義詮を次期将軍にすべく献身していた高師直に集中したのではないか、とも指摘されています。

 本書は、直冬の処遇問題が直接的契機となった観応の擾乱が深刻化した理由として、所領問題、とくに恩賞宛行を重視しています。直義は保守的で高師直は革新的との見解もありますが、両者はともに保守的なところがあり、それが両者の急速な没落を招来したのではないか、との見通しを本書は提示しています。直義も高師直も、恩賞問題で自陣営の武将を満足させることができず、そのために急速に支持を失っていったのではないか、というわけです。直義と高師直との間に理念・政策上の大きな違いはなく、恩賞問題への不満が諸将の急速な鞍替えにつながった、との見解を本書は提示しています。本書を読んで改めて、観応の擾乱における事態の流動性の高さを思い知らされました。

 恩賞問題と関連して、本書は裁判の方法の違いを重視しています。中世の裁判として、争う双方の主張を聴いて裁定をくだす「理非糾明」と、訴えた者の主張のみを聴いて一方的に判決をくだす「一方的裁許」があります。前者が理想的・進歩的との観念が今でも強いものの、戦乱が長期化するなかで、時間を要する「理非糾明」の裁判では恩賞問題で諸将の不満を高め、高師直や直義が支持を急速に失う結果になったのではないか、と本書は推測しています。鎌倉幕府の政治を理想とする直義は、高師直と同様に新たな時代に上手く対応できず、急速に没落したのではないか、というわけです。

 一方、一般にはあまり高く評価されていない義詮は、裁判を「一方的裁許」の方へと大きく舵を切り、幕府への求心力を強めた、と高く評価されています。また、尊氏と義詮が一時的に東西を分割する体制を築いたことで、室町幕府初期の役割を分割する体制から、領域を分割する体制へと移行していったことも、観応の擾乱の大きな意義として評価されています。これにより、それぞれの領域で最高権力者が権限を一元的に掌握することになった、というわけです。

 人物論について積極的なのも本書の特徴で、観応の擾乱における直義は無気力で、それは40歳を過ぎて誕生した嫡男が夭折したことや、尊氏とは戦いたくなかったことが原因ではないか、と指摘されています。また、直冬が尊氏に負けた要因として、直義と同様に尊氏と戦いたくなかった心理があるのではないか、と指摘されています。一方で、観応の擾乱以前には直義や高師直に依存して将軍としては無気力なところのあった尊氏は、観応の擾乱勃発以降は精力的に行動し、そうした気概の差が勝敗を決したのだ、と本書は評価しています。本書は、40代半ばまで無気力だった尊氏の変貌には勇気を与えられる、と述べていますが、現在(2017年8月)、観応の擾乱勃発の頃の尊氏とほぼ同じ年齢の私も共感します。もっとも、尊氏も直義も双方との講和を最後まで模索しており、観応の擾乱が深刻化した要因として、双方の強硬派(たとえば、尊氏陣営では義詮、直義陣営では桃井直常)の存在も指摘されています。

 観応の擾乱の背景として、相次ぐ災害が指摘されていることも注目されます。パイが縮小するなか、奪い合いが激化したのではないか、というわけです。観応の擾乱の頃の14世紀半ばについては、杉山正明・北川誠一『世界の歴史9 大モンゴルの時代』(中央公論社、1997年)において、ユーラシア規模の気候悪化とそれに伴うモンゴル帝国の衰退との見解も提示されているので、その意味でも注目される見解だと思います。また、正平の一統で講和条件を破ったのは南朝である、と強調されていることも印象に残ります。尊氏や義詮は、直義との戦いのために仕方なく一時的に南朝と講和したのではなく、少なくとも直義よりは本気だった、とされています。本書では、観応の擾乱における直義の南朝への降伏は禁じ手と指摘されていますが、確かに、四条畷の戦いで機内およびその周辺では事実上軍事的敗北が確定していた南朝がその後もしぶとく存続し、南北朝の争乱が長期化した契機なったという意味で、禁じ手と言うべきなのでしょう。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


金子拓『織田信長 不器用すぎた天下人』

2017/06/25 00:00
 これは6月25日分の記事として掲載しておきます。河出書房新社から2017年5月に刊行されました。本書は、裏切られ続けた人物との観点から信長の人物像を検証しています。信長を裏切った人物として検証の対象になっているのは、浅井長政・武田信玄・上杉謙信・毛利輝元・松永久秀・荒木村重・明智光秀です。このうち、浅井長政・武田信玄・上杉謙信・毛利輝元は同じ戦国大名の同盟者として、松永久秀・荒木村重・明智光秀は信長の家臣として位置づけられています。しかし、本書でも言及されているように、この区分には曖昧なところもあります。信長の主観では、書状の受け取り手への虚勢もあるだろうとしても、浅井長政や毛利輝元を家臣のように考えていたところもありますし、松永久秀は、当初は信長の家臣というよりは同盟者に近い立場でした。荒木村重と明智光秀は、羽柴秀吉と同様に、軽輩から信長に取り立てられた家臣と言えそうです。

 本書は、信長を裏切ったこの7人について、それぞれの経緯を検証し、共通する要因があったのではないか、と推測しています。本書の推測する要因とは、信長は武田信玄と徳川家康や上杉謙信のような同盟者間の対立や、自身と同盟者との境界の勢力に関して配慮の足らないところがあったのではないか、ということです。どうも、信長は外交が下手だったのではないか、というわけです。これは信長を裏切った家臣についても言えることで、信長は家臣や友好勢力間の対立について配慮の足らないところがあり、それが裏切りを招来したのではないか、と指摘されています。松永久秀に関しては、同じく信長の家臣で、松永久秀と敵対関係にあった筒井順慶を重用したことが要因ではないか、と推測されています。荒木村重に関しては、中国地方対策を担っていたのに、その役割が羽柴秀吉に任されるようになったことが、明智光秀に関しては、光秀の家臣の縁戚で、信長にとって友好勢力だった長宗我部元親との関係が悪化したことが要因ではないか、と指摘されています。

 本書はこのように、信長が裏切られた要因として、同盟者や家臣の間の利害関係への配慮が足らなかったことを挙げ、信長は外交が不得手で家臣団を上手く統制できていなかったのではないか、と指摘します。また本書は、信長はこれらの裏切りをまったく予想できていなかったようであり、信長は人を信じすぎたのではないか、とも指摘しています。一方で、信長の外交を高く評価する見解や、信長が尊大だったことを指摘する見解も本書では取り上げられています。しかし本書は、そうした見解と本書の見解は矛盾するものではない、と指摘しています。相手を深く信頼することと尊大であることは両立しますし、信長は一地方大名としての立場から天下人になるまでに勢力を拡大していきましたが、一地方大名の時には上手く機能した外交方針(遠交近攻)や家臣団統制が、天下人の立場では上手く機能しなかったのではないか、というわけです。信長の勢力拡大は急速であり、それに信長が上手く対応できなかったのかもしれません。

 本書を読むと、信長は相手の立場・心情を理解するのが苦手で、尊大さと通ずるというか、尊大さに起因するとも言える、相手への深い信頼ゆえの油断により、たびたび裏切られ、ついには自害に追い込まれた、との印象を受けます。本書の提示する信長像にはおおむね共感しました。ただ、本書でも示唆されていますが、この点で信長が特異というか、とくに無能な人物だったというわけでもないように思います。前近代の情報伝達事情では正確な情報の入手は難しかったわけで、相手の立場・心情を的確に理解するのは容易ではなかっただろう、と思います。他の戦国大名も、信長と同様の失敗を繰り返し、何度も裏切られることは珍しくなかったのではないか、とも思います。ただ、他の戦国大名の多くは、信長ほどには急速に勢力を拡大したわけではないので、その意味で信長の「裏切られ人生」は特異に見えるところがあるかもしれません。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


和田裕弘『織田信長の家臣団 派閥と人間関係』

2017/06/18 00:00
 これは6月18日分の記事として掲載しておきます。中公新書の一冊として、中央公論新社から2017年2月に刊行されました。本書は織田信長の家臣団について、陪臣も含めてその地縁・血縁関係や事蹟を検証していき、信長時代の織田家特徴を家臣団の観点から浮き彫りにしています。とにかく取り上げられている人物が多く、その地縁・血縁関係にまで言及されているので、一回読んだだけでは見落としていることも多そうで、今後何回か再読する必要がありそうです。本書は、信長について詳しく知る目的だけではなく、小説・ゲームなど創作においてもネタの宝庫になっていると言えそうで、その点でも有益です。

 本書はまず信長の生涯について概観し、次に織田領国が拡大してから各地に置かれた「軍団」を個別に検証していきます。本書が取り上げている「軍団長」は、信長の息子である信忠と信孝、信長よりも前から織田家に仕えていた一族の出身と思われる佐久間信盛と柴田勝家、信長の代で取り立てられた羽柴秀吉・滝川一益・明智光秀です。本書は、各「軍団」の特徴を指摘し、それが各「軍団」の運命をどのように左右したのか、検証しています。本能寺の変後の勝家と秀吉の行動の差について、軍団の一体感の強弱の違いを要因とするところは結果論的解釈かな、とも思えるのですが、地縁・血縁関係からの各「軍団」の分析は読みごたえがありました。

 具体的には、たとえば佐久間信盛が追放されたのは、他の「軍団長」とは異なり、有力家臣や主君である信長との縁戚関係が薄かったからだ、との指摘は興味深いものでした。信盛追放後の信長の処置からは、信長自身と嫡男信忠(この時点ですでに家督を継承していましたが)の勢力強化という目的が窺えますが、筆頭家臣とも言うべき信盛を追放しても、他の有力家臣からの反発は強くないだろう、との思惑が信長にあったのではないか、と本書は指摘します。また本書は、明智光秀の謀反が成功した(信長・信忠父子を討ち取るまでは成功したものの、けっきょくは羽柴秀吉に敗れて明智「軍団」は壊滅するわけですが)一因として、配下に尾張衆がいなかったことを挙げており、これも興味深い見解だと思います。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


渡邊大門『おんな領主 井伊直虎』

2017/03/12 00:00
 これは3月12日分の記事として掲載しておきます。中経の文庫の一冊として、2016年9月にKADOKAWAより刊行されました。大河ドラマ『おんな城主 直虎』関連本としては読んだのは本書で2冊目となります。以前に読んだ関連本(関連記事)は、門外漢にはかなり奇抜な内容に思えたので、もう一冊関連本を読むことにしました。中世〜近世移行期にはまっていた十数年前ならば、もっと多くの関連本を読んだでしょうし、そうする方がよいに決まっているのですが、今は中世〜近世移行期の優先順位が下がってしまったので、現在の能力・経済力・気力ではもう一冊読むのが限度といったところです。

 本書は大河ドラマ関連本として無難な内容になっており、安価で携帯性にも優れているので、私のように井伊直虎のことを手軽にもっと知りたいと考えている門外漢にとって、手頃な一冊になっていると思います。しかし、本書を読んで改めて思い知らされたのは、直虎(次郎法師)の生涯について確定的なことはほとんど分かっていない、ということです。確実な史料から人物像を推測することも難しいようです。そもそも、井伊家についても、直政以前の事績には不明なところが多く、本書も含めて今年の大河ドラマの関連本の著者は苦労しているのだろうな、と推察されます。

 まあそれでも、中世〜近世移行期の「勝ち組」でも上位に位置するだろう井伊家は、まだ史料に恵まれているのかもしれません。井伊家のように一定以上重要な役割を果たした武士の家でも、まだほとんど史実が解明されていないような場合も珍しくないのでは、とも思います。本書は、井伊家について平安時代から室町時代にかけての動向にも簡潔に言及しつつ、戦国時代の井伊家を、関わりの深い周辺勢力の動向を取り上げつつ描き出しています。直虎についての一般向け解説としては、もっとも無難な構成と言えるでしょう。

 本書の描き出す戦国時代の井伊家の動向は、桶狭間の戦いや一族の謀殺や雌伏の時期や直政の代での飛躍など数々の起伏があり、優秀な作家ならば物語として面白くできそうだ、と思います。今年の大河ドラマは、現時点では視聴率が低迷しているようで、まあ確かに地味な感は否めませんが、本書を読むと、桶狭間の戦いの後の展開はかなり面白い物語になるのではないか、との期待も抱きたくなります。

 とくに、本書でも取り上げられている、後世の編纂史料では逆臣・佞臣とされる小野但馬がどのように描かれるのかは、大いに注目されます。今年の大河ドラマの小野但馬は、井伊直親(亀之丞)・主人公の直虎とともに、前半の主要人物とされています。第9回までの時点では、小野但馬は単純な悪人として造形されておらず、むしろ爽やかイケメンで屑の直親や狭い世界の厭らしさを体現している井伊家中との対比で、視聴者の同情を誘うように工夫されていると思います。小野但馬の今後と最期は、今年の大河ドラマ最大の見どころになりそうで、楽しみです。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


平野明夫編『家康研究の最前線 ここまでわかった「東照神君」の実像』

2016/12/04 00:00
 これは12月4日分の記事として掲載しておきます。日本史史料研究会監修で、歴史新書の一冊として洋泉社より2016年11月に刊行されました。本書は、同じく歴史新書の一冊として、一昨年(2014年)刊行された『信長研究の最前線 ここまでわかった「革新者」の実像』(関連記事)と、昨年(2015年)刊行された『秀吉研究の最前線 ここまでわかった「天下人」の実像』(関連記事)の続編と言えそうです。本書は4部構成で、各部は複数の論考から構成されています。本書で提示された見解のなかには、すでに他の一般向け書籍で知ったものもありましたが、柏書房より昨年刊行された『家康伝説の嘘』(関連記事)とあわせて読むと、徳川家康についての近年の研究動向を手軽に知ることができ、たいへん有益だと思います。以下、本書で提示された興味深い見解について備忘録的に述べていきます。なお、以下の西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です。



●平野明夫「はじめに─家康の伝記と松平・徳川中心史観をめぐって」P3〜16
 江戸時代における家康についての諸伝記の成立過程とその特徴について簡潔に解説されています。すでに江戸時代初期において、史実に反して、家康の伝記で家康個人、さらには徳川(松平)氏を称揚する傾向が見られるそうです。続いて、近現代歴史学における家康および徳川(松平)氏の研究について概観されていますが、実証性の高まった近現代歴史学においても、「徳川(松平)中心史観」的な側面が見られることもあったようです。1970年代以降、「徳川中心史観」への自覚的な反省も見られるようになり、現在まで続く動向となっているようです。



第1部 戦国大名への道


●村岡幹生「家康のルーツ・三河松平八代 松平氏「有徳人」の系譜と徳川「正史」のあいだ」P22〜46
 家康へといたる松平氏の動向が解説されています。家康の前の松平氏については、史料が少なく、曖昧としたところが多分にあるようですが、諸史料からより妥当な松平氏像を提示する試みになっていると思います。本論考でも、家康の祖父である清康による東三河遠征と三河統一など、後世の文献による松平氏顕彰の傾向が指摘されています。清康に関しては、英雄とする人物像に少なからぬ捏造があるようです。また、松平氏が、15世紀には賀茂姓を称したこともある、との指摘も興味深いものです。


●平野明夫「人質時代の家康 家康は、いつ、今川氏から完全に自立したのか」P47〜65
 家康の幼少期から桶狭間の戦いの後の今川氏からの自立までが検証されています。色々と興味深い見解が提示されているのですが、まず、今川氏と織田氏はずっと対立していたわけではなく、三河での軍事行動で協調していた時期もあり、その時には松平氏は今川氏に従属していたのではなく、今川・織田両氏と対立していた、ということです。次に、家康(竹千代)は幼少期には駿府ではなく吉田にいた可能性が高い、ということです。後世の史書には、家康は駿府で厚遇されていた、とする「徳川・松平中心史観」による作為が見られるのでないか、というわけです。桶狭間の戦いの後、家康(元康)は今川義元の後継者である氏真から直ちに離反したわけではなく、仇討ちを勧めたものの、氏真にはそれを実行する様子が見られなかったので、家康は今川かを見限った、との俗説にたいして、それは家康神格化のための捏造であり、家康は桶狭間の戦いの直後から自立を図っていた、との見解も注目されます。


●安藤弥「領国支配と一向宗 「三河一向一揆」は、家康にとって何であったのか」P66〜84
 三河一向一揆は、家康による三河領国化の進展の重要な契機になった、と評価されています。ただ、家康の家臣団の分裂や戦況の推移などから、家康が意図的に起こしたものではなく偶発的だった、とも指摘されています。三河一向一揆の背景として、当時激しかった松平(徳川)氏と今川氏との対立があり、時代が下ると、三河の一向一揆教団にのみ「反乱」の責任を負わせるような言説が出てきますが、本論考は、だからといって三河の一向一揆教団の重要性を軽視してはならない、と注意を喚起しています。また本論考は、本能寺の変後に、家康が三河の一向一揆教団を赦免したことも視野に入れていく必要がある、と提言しています。


●堀江登志実「家康の譜代家臣 家康の家臣団は、どのように形成されたのか」P85〜100
 家康の家臣団が西三河を基盤として、東三河から遠江へと領地が拡大し、さらには武田氏の滅亡と本能寺の変により駿河・信濃・甲斐も所領としていき、後北条氏滅亡後に関東に移封となる過程で、今川・武田・後北条の旧臣を取り込んでいったことが指摘されています。武田旧臣の取り込みのさいには、井伊直政が重要な役割を担ったようです。関東移封後にとくに重用された本多忠勝・榊原康政・井伊直政には、徳川氏から与力が付属させられ、この与力は本多・榊原・井伊の家臣というより、徳川の家臣という意識が強く、その意識は江戸時代にも続いた、と指摘されています。



第2部 戦国大名 徳川家康


●遠藤英弥「今川氏真と家康 義元の死後、家康と今川家との関係はどうなったのか」P102〜114
 本論考は、上述の平野明夫「人質時代の家康」とは異なり、家康と今川氏真との対立は、桶狭間の戦いの直後ではなく、その翌年からだと推測しています。その一因として、今川氏が同盟相手の北条氏に援軍を送ったため、三河にまで援軍を派遣する余裕がなかっただろう、ということが挙げられています。氏真の器量については、後々まで付き従った家臣がいることからも、暗愚説は後世の創作が多分にあるのではないか、と指摘されています。また、家康が氏真を保護した理由として、武田との抗争における名分の確保が指摘されています。


●平野明夫「名将たちと家康の関係 信長・信玄・謙信を相手に独自外交を展開した家康」P115〜129
 家康が信長・武田信玄・上杉謙信を相手に独自の外交を展開したことが検証されています。この問題で重要となるのは家康と信長との関係で、1570年以前は、徳川から織田への援軍は足利義昭の要請によるものであり、家康が信長に従属するようになったのは1575年以降だとされます。1575年以前は、信長と謙信を巻き込んで武田包囲網を形成しようとした家康の外交方針が、信長のそれとは齟齬をきたすようなこともあった、と指摘されています。また、家康が今川から自立した時期は桶狭間の戦いの直後であるものの、氏真が家康の反逆を認識したのはそれから少し経過してからではないか、と推測されています。


●宮川展夫「北条氏と家康 徳川氏と北条氏の関係は、関東にいかなる影響を与えたのか」P130〜146
 家康と北条氏との関係は断続的なものだった、と指摘されています。桶狭間の戦いの後、家康が今川氏と対立するようになると、北条氏は和睦仲介者として家康と接触しますが、この和睦は成立しませんでした。家康も北条氏も武田氏と対立するようになると、家康と北条氏は関係を復活させますが、北条氏が武田氏との同盟を復活させ、再び関係が途絶えます。武田氏が衰退するなか、北条氏は家康との交渉を再開しますが、これは、織田体制での生き残りをかけたもので、家康が織田体制において関東の「惣無事」を担当していたからでした。この体制は本能寺の変の後も続き、家康は秀吉との対立を経て、今度は豊臣体制において同様の役割を担い、北条氏と接触します。しかし、この家康の立場は、北関東の反北条氏の有力者との関係も含むものであり、家康の立場が北条氏にとって微妙なものでもあったことが指摘されています。



第3部 豊臣大名 徳川家康


●播磨良紀「秀吉と家康 豊臣政権の中枢で、積極的な役割を果たした家康」P148〜160
 家康と秀吉との関係は、小牧・長久手の戦い前には良好であり、対立関係を経て家康が秀吉に従属した後は、家康は豊臣政権の重鎮として行動し、実績を積み重ねていった、と指摘されています。家康が豊臣政権において面従腹背だったのか、定かではないものの、少なくとも史料に見える行動からは、豊臣政権を崩壊させようという意図は窺えない、というのが本書の見解です。後の結果からの逆算や、それも反映した後の時代の文献により、当時の両者の関係が的確に把握できていない、ということもあるようです。これは、秀吉と家康の関係に限らない問題なのでしょう。


●谷口央「五か国総検地と太閤検地 家康の検地は、秀吉に比べ時代遅れだったのか」P161〜179
 家康は秀吉に臣従した後まもなく、五ヶ国の領地において検地を実施しています。この検地の性格をめぐって、太閤検地論争以降に議論が続いており、時代遅れだった、との見解も提示されました。本論考は、この領国総検地により、有力農民層に基づく年貢収納体制から村請制へと転換していったとして、豊臣政権からの直接の指示は史料上確認できないものの、事実上の太閤検地として位置づけられる、との見解を提示しています。豊臣政権の奉行ではなく、大名が主導した検地ということでしょうか。


●中野達哉「関東転封と領国整備 家康の「関東転封」は、何をもたらしたのか」P180〜201
 関東転封後の家康の領国整備について解説されています。関東転封後は、まだ各村の石高を把握できていないので、上級家臣団の領地については、まず拠点となる城が指定され、それと同時かやや遅れて石高が確定した後、じっさいの領地が決まっていったようです。関東転封の翌年から領国内での検地が進み、上級家臣団の領地も確定していきますが、これには時間を要したようです。こうした関東での徳川氏による領国整備により、関東は近世へと移行していった、との見通しが提示されています。


●佐藤貴浩「家康と奥州 「関東入国」直後、「奥羽仕置」で大活躍した家康」P202〜219
 1590年、秀吉は伊達政宗を臣従させ、奥羽も支配下に置きますが、奥羽の情勢は安定せず、大崎・葛西一揆や九戸一揆など動乱が続きます。家康はこうした不穏な奥羽情勢への対応に忙殺され、知行割といった重要な問題にも豊臣秀次とともに関与していました。家康は豊臣政権の家臣としてその維持に奔走しており、これが後の家康の政治的基盤の形成に役立った、と考えられます。また家康は、奥羽情勢への対応から、新たな所領である関東の領国整備を進めることがなかなかできなかったようです。



第4部 天下人 徳川家康


●鍋本由徳「イギリス商人の家康理解 大御所 徳川家康はエンペラーかキングか」P222〜239
 17世紀初頭のイギリス商人は家康を皇帝として認識しており、それは家康の死まで変わらなかった、と指摘されています。家康の息子である秀忠は、すでに1605年に征夷大将軍に就任していましたが、当時のイギリス商人は、あくまでも家康を最高権力者として把握していました。こうした認識の背景として、ヨーロッパにおいては譲位・隠居が一般的ではなかったことが指摘されています。当時のイギリス商人にとっての日本の皇帝は天下人という概念とよく一致する、と言えるかもしれません。


●大嶌聖子「大御所・家康と駿府 家康最晩年の「政権移譲構想」と隠居問題とは」P240〜258
 家康は1605年に征夷大将軍職を息子の秀忠に譲り、駿府城に移りました。しかし、秀忠が担ったのは徳川の家政であり、家康は大御所として全国統治権を掌握し続けました。これも隠居の一例ですが、当時の隠居には多層的な意味合いが含まれていたことと、家督を譲った先代と新たな当主とが職務を分担し、先代が実質的な最高権力者として君臨するような体制は、戦国時代にも見られることが指摘されています。その家康が、1615年には隠居を計画し、隠居所も選定していったことが本論考では取り上げられており、それは、家康にとって孫である家光(竹千代)の元服の後見役を務めることと関連づけられていた政権移譲構想だった、というのが本書の見解です。


●生駒哲郎「家康の信仰と宗教政策 東照大権現への神格化は、家康の意志だったのか」P259〜282
 家康の存命時の信仰と家康死後の江戸幕府の宗教政策が比較・検証されています。家康の宗教観については、天海との出会いが転機になったのではないか、と指摘されています。家康の死後、遺言は一部守られず、家康の遺体は久能山から日光山へと移されました。これには、日本の諸神はすべて日光山の東照大権現の分身であり、日光山は諸神の中心でなければならないとの観念があったから、と本論考は推測しています。また、家康の本格的な神格化は家康死後に始まったのであり、家康は秀吉とは異なり、死後に日本を守護する神として祀られるような意図はなかっただろう、というのが本書の見解です。
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 4


夏目琢史『井伊直虎 女領主・山の民・悪党』

2016/11/30 00:00
 これは11月30日分の記事として掲載しておきます。講談社現代新書の一冊として、講談社から2016年10月に刊行されました。来年の大河ドラマ『おんな城主 直虎』の予習になると思い、読んでみました。本書は、第一章で井伊直虎(次郎法師)の生涯と井伊氏の動向について解説し、第二章で直虎の正体というか、歴史的位置づけを解明しようと試みています。井伊直虎についても、井伊直政の登場前の井伊氏についてもほとんど知識がなかったので、基礎知識を得ようという目的もありました。

 第一章を読むと、直虎についても、その時期までの井伊氏についても、よく分からないことがまだ多いようで、今後の研究の進展が期待されます。直政登場前の井伊氏は、一族が上位権力の今川氏に処刑されたり、当主が戦死したりと、厳しい状況のなか何とか生き延びてきたようで、そうした中で直虎の人生も翻弄されたようです。本書によると、後世の記録では、井伊氏の重臣である小野氏が井伊氏の一族を陥れたり、所領を横領したりと、悪役として描かれているようですが、もちろん本書も指摘するように、実際のところはどうだったのか、よく分かりません。本書は、井伊氏内部の微妙な対抗関係が要因ではないか、と推測していますが、来年の大河ドラマではどのように描かれるのでしょうか。

 第一章を踏まえたうえで展開される第二章には、率直に言ってかなり困惑させられました。本書は、「山の民」・「未開」と「都市」・「文明」というように、二項対立的に中世社会を把握し、後者が前者を圧倒していき、近世社会が成立した、という見通しを提示しています。本書は、井伊氏は「山の民」を統率する有力な一族だったものの、「都市」・「文明」が次第に優位に立つ時代のなか、「都市」・「文明」の側の今川氏に従属するものの、「山の民」としての誇り・拘りも依然として強く、それが内紛の要因になったのではないか、と推測しています。

 本書は、「山の民」・「未開」が「都市」・「文明」に従属する形で融合していく時代の大きな流れに直虎を位置づけ、直虎はこの転換期の象徴的人物だった、と把握しています。正直なところ、「山の民」は母系制社会で、井伊氏もそうした背景のなかで存続してきた、との見解も含めて、第二章の説得力は乏しかったように思います。もっとも、私の現在の見識と気力では、本書の問題点を的確かつ簡潔に述べることは無理なので、素朴な感想を述べることしかできませんが。率直に言って、本書はかなり期待外れの一冊でした。
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0


美川圭『日本史リブレット人021 後三条天皇 中世の基礎を築いた君主』

2016/11/27 00:00
 これは11月27日分の記事として掲載しておきます。山川出版社から2016年9月に刊行されました。本書は、後三条天皇(尊仁親王)の出自についてやや詳しく解説しています。一般には、後三条天皇は宇多天皇以来久しぶりに藤原氏を外戚としない天皇でとされています。しかし、後三条天皇の母である禎子内親王(陽明門院)の母方祖父は藤原道長ですし、後三条天皇の父である後朱雀天皇の母方祖父も藤原道長です。そのため、摂関家はいぜんとして後三条天皇の外戚だった、との見解も提示されているようです。

 しかし本書は、醍醐天皇から後冷泉天皇までの約170年間、歴代の天皇の母が藤原氏(摂関の家系)だったなか、後三条天皇の母が皇女だったことは大きな変化であり、藤原頼通が後三条天皇の即位を執拗に阻止しようとしたこともその傍証になるとして、外戚とは母方祖父もしくはそれに準ずる母方オジまでに限定される、という通説が妥当だ、と指摘しています。また、三条天皇の娘である禎子内親王は、男子を望んでいた藤原道長にとって好ましくない存在であり、そのことを禎子内親王も早くから認識していただろう、ということも指摘されています。

 藤原頼通の妨害を受けながらも尊仁親王が即位できた理由として、道長の息子たちの間の対立が指摘されています。道長の息子たちでは、源倫子を母とする者と、源明子を母とする者がいますが、摂関に就任できた前者の頼通や教通と比較して、後者の頼宗・能信たちは冷遇されています(とはいえ、貴族社会においては高位にあるわけですが)。頼宗・能信たちが尊仁親王を強く支持したことで、尊仁親王は即位することができました。藤原氏恒例の兄弟争いが後三条天皇を生んだ、というわけです。しかし本書は、後三条天皇がもはや外戚となる可能性の低い教通を引き続き関白として、外戚となる可能性のある能長(頼宗の子で能信の養子)を関白としなかったことから、後三条天皇が摂関家との距離を置こうとしていた、と指摘しています。

 後三条天皇の治世で有名な荘園整理令と記録荘園券契所の設置(あくまで臨時的組織ですが)については、荘園存廃の最終的判断を下すのは天皇となり、天皇(王家)の求心力を高めるとともに、荘園制が公認され、中世社会の基盤になっていった、とその重要性が指摘されています。天皇の求心力が高まったことについては、天皇(王家)への所領集積の道を切り開いたことと、土地をめぐる裁判の増加にともない、裁判機構が充実していき、最終判断者たる天皇の権力が強化されていったことも指摘されています。天皇権力の強化は、荘園整理令・焼失した内裏の再興・全国共通の枡の制定・荘園と公領を問わず課される一国平均役などと関連しており、摂関家との距離を置こうとしたことと併せて、後三条天皇の諸政策が整合的なものだったことを窺わせます。

 後三条天皇の治世も含む前後の時代の東北地方の動向についても言及されており、河内源氏が大和源氏に東北地方での軍事貴族の座を脅かされそうになったものの、それを阻止することができ、やがて大和源氏の地位が大きく低下していったことが指摘されています。また、後三条天皇の御願寺についての解説から、摂関家の外戚政策が皇統の分裂を招くものであったので、摂関家を抑制した後三条天皇により、対立していた「冷泉皇統」と「円融皇統」を合流させたのだ、とする見解も提示されており、興味深いと思います。

 後三条天皇が院政開始の意図を持っていたのか、近代以降に議論されましたが、これには皇国史観も関わっていたようです(摂関政治や院政や武家政治を望ましくない変則的な政治制度とし、天皇親政を理想とします)。現在では、後三条天皇の早い(と思われる)息子の白河天皇への譲位は、白河天皇の弟である実仁親王の即位を早めることにあり、後三条天皇に院政開始の意図はなかった、との見解が通説となっているそうです。しかし本書は、院政において皇位継承権の掌握が重要であり、白河天皇も、譲位後にずっと実権を掌握できていたわけではない(関白の藤原師通と息子である堀河天皇により専権が阻止されました)として、白河天皇が譲位した1086年を白河院政成立、堀河天皇が崩御した1107年を白河院政確立とすると、譲位後の後三条上皇の時代も院政と言わねばならないだろう、とも指摘しています。

 本書は上述したような事績から、後三条天皇を、摂関政治の幕を引き、中世の基礎を築いた君主と位置づけています。後三条天皇以降、摂関が外戚となることは稀で、一時的に政治を主導することがあっても、それが長続きすることはほぼなくなりました。後三条天皇の荘園政策は王家への荘園集積をもたらし、王家の家長の政治力・経済力を飛躍的に向上させ、院政の前提条件となりました。後三条天皇の治世が画期的だったとの認識は前近代において珍しくなかったようで、もちろん、近現代の歴史学と視点が完全に一致するわけではないでしょうが、後三条天皇が歴史の転換において重要な役割を果たしたことは間違いないのでしょう。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


呉座勇一『応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱』

2016/11/23 00:00
 これは11月23日分の記事として掲載しておきます。中公新書の一冊として、中央公論新社から2016年10月に刊行されました。本書の特徴としてまず挙げられるのが、応仁の乱そのものだけではなく、その前史と応仁の乱後の情勢の解説にもかなりの分量が割かれていることです。応仁の乱の前提条件と応仁の乱の影響が解説され、戦国時代への展望が提示されており、射程が長いと言えるでしょう。大和国からの視点となっていることも本書の特徴です。本書は、興福寺の僧である経覚と尋尊の日記を用いて、同時代の人々の思惑・反応を復元していきます。

 階級闘争・革命史観への批判的視点も本書の特徴です。その観点から本書は、新たな情勢を嘆くだけの懐古的で無力な旧勢力の一人として扱われがちだった尋尊を再評価し、現実的で精力的だったところも多分にある、と指摘しています。本書のもう一つの特徴は、応仁の乱と第一次世界大戦とに共通点を見出していることです。主要人物は短期決戦を想定していたにも関わらず、防御施設の発達など戦法の変化により長期化したことと、戦乱が長期化したことが社会・政治体制を変容させていった、ということが共通点として指摘されています。

 戦乱が長期化した要因として、細川勝元と山名宗全が相手より優位に立つために諸大名を引き込もうとしたことも指摘されています。勝元と宗全の間には姻戚関係があったように、不俱戴天の仇というわけではなく、応仁の乱直前の文正の政変までは、ともかく協調関係を維持できていました。応仁の乱勃発後も、おそらく当事者の誰にとっても予想外の長期戦となったことから、負担が大きくなり、勝元と宗全の間で和睦交渉が行なわれました。しかし、それがなかなか成立しなかったのは、東西両軍に多くの有力者たちが参加したため、誰もが納得のいく条件が成立しなかったからでした。けっきょく、勝元と宗全が相次いで病没し、細川と山名の単独和睦が成立した後も、戦乱がだらだらと続きました。

 本書は、応仁の乱が大きな影響を及ぼした、と指摘しています。各国の守護の統治が、室町幕府将軍の権威ではなく、自らの実力により保証されるような時代に移行し、守護大名や守護代たちが在京して成立していた幕府体制は崩壊していき(最終的には明応の政変でほぼ完全に崩壊)、守護大名は在国して実力で領地を維持していかねばならなくなりました。これは、守護大名にとって、在地の武力の動員が必要になったことで、在京して守護代などの代官に在地を支配させ、京都で在地からの収入を消費する体制が維持できなくなったことを反映しており、大名が在地と向き合い、統治を深化させる契機となりました。これらは戦国大名が進めたことであり、応仁の乱は戦国時代の幕開けになった、というわけです。本書を読むと、戦国大名の先駆的存在としての畠山義就が強く印象に残ります。また、応仁の乱以前、京都において文化の庇護者だった有力武士たちが領国に帰還したことで、文化が地方に伝播していったことも指摘されています。

 応仁の乱は、めまぐるしい離合集散の末に何ともすっきりとしない結末を迎え、本書も指摘するように、明確な勝者のいない戦いとなりました。この時代が現代日本社会において不人気なのも、ある程度仕方ないのかな、とも思います。この時代を扱った司馬遼太郎氏の作品に『妖怪』がありますが、率直に言って、私が読んだ司馬作品の中編・長編では最も面白くありませんでした。もちろん、この時代を扱った面白い小説もあり得るとは思いますが、司馬遼太郎氏でさえ失敗したと言えるわけで、この時代が戦国時代に匹敵するような人気を有することは今後もないのでしょう。一般向け書籍とはいえ、小説ではなく学術的な本書が、どれだけこの時代の人気を高められるのかというと、厳しいものがありそうですが、この時代に多少なりとも関心のある人にとっては、射程の長さと文化面の解説もある視野の広さにより、たいへん興味深い一冊になっているのではないか、と思います。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


タイトル 日 時
神田千里『戦国と宗教』
 これは10月30日分の記事として掲載しておきます。岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2016年9月に刊行されました。本書では、戦国時代における宗教の大きな役割が強調されています。戦国大名間の合戦においても宗教は重要な役割を担っており、「信仰心が薄れて合理的になった」現代日本社会との違いは大きいように見えます。しかし本書は、戦国時代の人々も信仰を絶対視していたわけではなく、現代日本社会とも通ずるような「合理性」が見られたことを指摘しています。さらに本書は、「信仰心が薄れて合理的になった」... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/10/30 00:00
渡邊大門編『戦国史の俗説を覆す』
 これは10月27日分の記事として掲載しておきます。柏書房より2016年10月に刊行されました。この十数年間、戦国時代〜江戸時代初期についての勉強が停滞しており知識が古くなっていそうなので、近年の研究成果を大まかにまとめて把握できるのではないかと思い、読んでみました。本書は一般向け書籍ということで、一般層が戦国時代でとくに関心を持ちそうな問題を広範に取り上げているように思います。価格も手ごろで、私のような一般層もわりと気軽に購入できそうなのはありがたいことです。この記事では、年代は西暦で統一しま... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/10/27 00:00
平山優『真田信之 父の知略に勝った決断力』
 これは10月23日分の記事として掲載しておきます。PHP新書の一冊として、2016年9月にPHP研究所より刊行されました。本書は真田信之(信幸)の伝記ですが、戦国時代末期〜江戸時代初期という、中近世移行期の真田家の動向を詳細に知るのにも適した一冊になっています。と言いますか、信之の思惑や心情について、推測を述べることに抑制的なので、近世大名たる真田家の成立期の解説という性格が強くなっているかもしれません。新書としては厚く、分量があるだけではなく密度も濃く、主要参考文献も掲載されているので、読み... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/10/23 00:00
村井章介『シリーズ日本中世史4 分裂から天下統一へ』
 これは8月30日分の記事として掲載しておきます。岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2016年7月に刊行されました。すでに第1巻と第2巻と第3巻はこのブログで取り上げています。本書は戦国時代〜17世紀前半までを扱っています。中世から近世への移行期が対象と言えるでしょうか。本書の特徴は、「対外関係」や当時は日本に「包摂」されきっていなかった地域というか、「日本」の「周辺地域」に関する叙述が中心となっていることです。本書はこのように「対外関係」や「周辺地域」を中心に据えることで、近世日本の特... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/08/30 00:00
榎原雅治『シリーズ日本中世史3 室町幕府と地方の社会』
 これは8月28日分の記事として掲載しておきます。岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2016年5月に刊行されました。すでに第1巻と第2巻はこのブログで取り上げています。本書が扱うのは、鎌倉幕府の崩壊から明応の政変までとなります。「地方」の情勢を詳しく取り上げているのが本書の特徴ですが、「中央」の政治情勢の解説にもかなりの分量が割かれています。地域社会の変容・新たな文化的動向・「国際」情勢などにも一定以上の分量が割かれており、南北朝時代〜戦国時代の始まりの頃までの一般向け通史に相応しい内容... ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

2016/08/28 00:00
近藤成一『シリーズ日本中世史2 鎌倉幕府と朝廷』
 これは8月24日分の記事として掲載しておきます。岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2016年3月に刊行されました。すでに第1巻はこのブログで取り上げています。本書は治承・寿永の乱から鎌倉幕府の滅亡までを扱っています。表題にあるように、鎌倉幕府と朝廷を中心にこの時代を解説しており、おもに政治史中心の叙述となっています。裁判に関する解説が多いのも特徴で、法制史にもそれなりに分量が割かれています。本書が対象とする期間の大事件となると、何と言ってもモンゴル襲来となります。そのため本書では、外交... ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 2 / コメント 0

2016/08/24 00:00
五味文彦『シリーズ日本中世史1 中世社会の始まり』
 これは8月19日分の記事として掲載しておきます。岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2016年1月に刊行されました。本書の冒頭にて構成の意図が説明されていますが、宗教も含めて文化史の割合が高いのが本書の特徴です。本書は、中世社会の前提となる古代社会についても1章を割いて叙述し、その後に、院政期からおおむね足利義満の頃までを、文化を中心に叙述しています。院政期から平氏政権までは政治史もやや詳しく叙述されていますが、鎌倉幕府成立以降の政治史の叙述はかなり簡略化されています。これは、第2巻以降... ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 3 / コメント 0

2016/08/19 00:00
呉座勇一編『南朝研究の最前線 ここまでわかった「建武政権」から後南朝まで』
 これは7月24日分の記事として掲載しておきます。日本史史料研究会監修で、 歴史新書の一冊として洋泉社より2016年7月に刊行されました。本書は4部構成で、各部は複数の論考から構成されています。本書で提示された見解のなかには、すでに他の一般向け書籍で知ったものもありましたが、南北朝時代、とくに南朝については知識が乏しかったので、得るところが多々ありました。本書は、近年の研究動向を手軽に知ることができ、たいへん有益な一冊になっていると思います。戦国時代ではなく南北朝時代でもこのような本が刊行された... ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/07/24 00:00
鍛代敏雄『戦国大名の正体 家中粛清と権威志向』
 これは3月13日分の記事として掲載しておきます。中公新書の一冊として、中央公論新社から2015年11月に刊行されました。副題にあるように、本書は戦国大名の特徴というか、戦国大名を形成・存立させる要素として家中粛清を重視しています。本書は戦国大名権力を、主従制的な支配と一揆的な原理により縦横に結ばれた、全体として統合された家中である、と認識しています。そのため、特定の譜代宿老への権限の集中や、家臣の反抗にたいしては、家中の合意に基づいて粛清が行なわれた、というわけです。一方、大名自身が専制化して... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/03/13 00:00
本多博之『天下統一とシルバーラッシュ 銀と戦国の流通革命』
 これは3月101日分の記事として掲載しておきます。歴史文化ライブラリーの一冊として、吉川弘文館より2015年7月に刊行されました。本書は銀の動向を軸に、戦国時代から豊臣・徳川統一政権までの政治・経済構造の変容を検証しています。表題から容易に推測できる人も多いでしょうが、本書は日本列島に限定せず、広く東アジアや東南アジア、さらにはそれらの海域に進出してきたヨーロッパ勢力も取り上げています。現代日本社会では珍しくない視点でしょうが、少なからぬ非専門家層にとっては必ずしも自明のこととは言えないでしょ... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/03/10 00:00
久保健一郎『戦国大名の兵粮事情』
 歴史文化ライブラリーの一冊として、吉川弘文館より2015年12月に刊行されました。本書は兵粮事情から戦国時代の経済・社会状況を検証しています。本書は兵粮をモノとカネの二つの側面で把握しています。もちろん、兵粮は食として消費されるわけですが、それだけではなく、カネのように運用されることもあるわけです。兵粮とはコメを指すことが多いようですが、近世の石高制ではまさにコメがカネ・価値基準として通用しているのであり、石高制の成立にカネとしての兵粮の深化があったのではないか、との見通しが本書では提示されて... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/03/03 00:25
村井良介『戦国大名論 暴力と法と権力』
 これは2月24日分の記事として掲載しておきます。講談社選書メチエの一冊として、講談社より2015年9月に刊行されました。本書の特徴の一つは、一般向け書籍としては珍しいくらい、研究史への直接的言及が多いことです。研究史の整理を直接読者に提示することにより、問題の所在を浮き彫りにする、という狙いがあるようです。また、フーコー(Michel Foucault)の権力論やゲーム理論など、歴史学以外の分野の研究成果を積極的に援用していることも本書の特徴と言えるでしょう。そのため、本書は歴史理論・歴史哲学... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/02/24 00:00
黒嶋敏 『天下統一 秀吉から家康へ』
 講談社現代新書の一冊として、講談社より2015年11月に刊行されました。本書は、武威という視点からおもに「対外」関係を対象として豊臣秀吉と徳川家康の「天下統一」を検証しており、なかなか興味深く読み進められました。「対外」関係の点でも豊臣政権と徳川政権には連続性が認められ、それは武家政権たる両者が武威に基づき支配体制を構築してきたからだ、というのが本書の見通しです。天下人たる秀吉・家康と同じく、諸大名も武威により地域的な支配体制を構築しており、天下人が武威を掲げて統一を進めたことを諸大名が受け入... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/02/17 00:22
神田裕理編『ここまでわかった 戦国時代の天皇と公家衆たち 天皇制度は存亡の危機だったのか』
 これは12月25日分の記事として掲載しておきます。日本史史料研究会監修で、 歴史新書の一冊として洋泉社より2015年12月に刊行されました。本書は4部構成で、各部は複数の論考から構成されています。本書で提示された見解のなかには、すでに他の一般向け書籍で知ったものもありましたが、戦国時代の朝廷については知識が乏しかったので、得るところが多々ありました。本書は、近年の研究動向を手軽に知ることができ、たいへん有益な一冊になっていると思います。以下、本書で提示された興味深い見解について備忘録的に述べて... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/12/25 00:00
丸島和洋『真田四代と信繁』
 これは12月18日分の記事として掲載しておきます。平凡社新書の一冊として平凡社より2015年11月に刊行されました。著者は来年(2016年)の大河ドラマ『真田丸』の時代考証担当者の一人です。真田四代とは、幸綱・信綱・昌幸・信之(信幸)という戦国時代〜江戸時代初期にかけての真田家の当主のことです。この四人と昌幸の次男である信繁とに1章ずつ割かれており、全体では5章構成となっています。幸綱は以前には幸隆という名前で知られていましたが、諱(実名)は幸綱で、幸隆は法名(一徳斎幸隆)の一部である可能性が... ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/12/18 00:00
渡邊大門編『家康伝説の嘘』
 これは11月28日分の記事として掲載しておきます。柏書房より2015年11月に刊行されました。さすがに徳川家康のことともなると、大まかな事績を知っているのですが、この十数年間、戦国時代〜江戸時代初期についての勉強が停滞しており知識が古くなっていそうなので、近年の研究成果を大まかにまとめて把握できるのではないかと思い、読んでみました。本書は4部構成で、各部は複数の論考から構成されています。家康について一般層も関心を持ちそうな問題を広範に取り上げているのが本書の特徴で、内容は充実していると思います... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 1 / コメント 0

2015/11/28 00:00
平山優『真田信繁 幸村と呼ばれた男の真実』
 これは11月25日分の記事として掲載しておきます。角川選書の一冊として、角川学芸出版より2015年10月に刊行されました。著者は来年(2016年)の大河ドラマ『真田丸』の時代考証担当者の一人です。真田信繁については基本的な知識もあやふやなので、来年の大河ドラマの予習の意味にもなると思い、読んでみました。本書は、史料的制約のあるなか、信繁の生涯を詳しく検証しており、信繁の伝記として長く参照されることになるでしょう。私も得るところが多々ありました。史料的制約のため、信繁の事績・評価については確定で... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2015/11/25 00:00
日本史史料研究会編『秀吉研究の最前線 ここまでわかった「天下人」の実像』
 歴史新書の一冊として洋泉社より2015年8月に刊行されました。本書は、昨年(2014年)同じく日本史史料研究会の編纂で刊行された『信長研究の最前線 ここまでわかった「革新者」の実像』(関連記事)の続編と言えそうです。本書は4部構成で、各部は複数の論考から構成されています。本書で提示された見解のなかには、すでに他の一般向け書籍で知ったものもありましたが、豊臣秀吉についての近年の研究動向を手軽に知ることができ、たいへん有益だと思います。本書もたいへん面白かったので、次は徳川家康についても同様の新書... ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

2015/08/18 00:00
亀田俊和『高師直 室町新秩序の創造者』
 歴史文化ライブラリーの一冊として、吉川弘文館より2015年8月に刊行されました。めったに歴史文化ライブラリーを入荷することのない近所の書店に置いてあったので、遠回りせずに購入できたのは幸いでした。著者の前著『南朝の真実 忠臣という幻想』(関連記事)が好評だったということでしょうか。高師直は、蘇我入鹿・道鏡・梶原景時・吉良上野介などと並ぶ、日本史上の悪役というか嫌われ者ではないか、と思います。 ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/07/28 00:00
渡邊大門編『真実の戦国時代』
 柏書房より2015年6月に刊行されました。この十数年間、戦国時代についての勉強が停滞しているので、近年の研究成果を大まかにまとめて把握できるのではないかと思い、読んでみました。本書は5部構成で、各部は複数の論考から構成されています。戦国時代の諸問題について広範に取り上げているのが本書の特徴で、内容は充実していると思います。戦国時代に関心があり、深く知りたいと思う一般層にとって格好の入門書になっている、と言えそうです。以下、各論考について簡潔に備忘録的に述べていきます。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2015/07/18 00:00
『岩波講座 日本歴史  第9巻 中世4』
 本書は『岩波講座 日本歴史』全22巻(岩波書店)の第9巻で、2015年2月に刊行されました。すでに『第6巻 中世1』(関連記事)・『第1巻 原始・古代1』(関連記事)・『第2巻 古代2』(関連記事)・『第10巻 近世1』(関連記事)をこのブログで取り上げました。各論文について詳しく備忘録的に述べていき、単独の記事にしようとすると、私の見識・能力ではかなり時間を要しそうなので、これまでと同じく、各論文について短い感想を述べて、1巻を1記事にまとめることにしました。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2015/04/13 00:00
神田千里『織田信長』
 ちくま新書の一冊として、筑摩書房より2014年10月に刊行されました。本書は、これまでの信長像の見直しを提言しています。これまでの信長像とは、戦前であれば勤王家、戦後であれば、旧来の権威を打破し、画期的な政策を実行し、新たな秩序を樹立していく革新的・合理的な人物、というものです。こうした人物像は、その時代の価値観が反映されたものです。この問題については、このブログでも言及したことがあります(関連記事)。著者は専門家らしく堅実に、じゅうらいの信長像に疑問を呈していきます。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 2 / コメント 0

2014/10/15 00:00
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 ここまでわかった「革新者」の実像』
 歴史新書の一冊として洋泉社より2014年10月に刊行されました。織田信長は現代日本社会において一・二を争う人気の高い歴史上の人物です。その大きな理由として考えられるのは、信長は革新的な人物である、との認識が広く浸透していることです。信長の「強い革新性」が戦国時代研究の進展により否定されつつあるのに、一般向け書籍では依然として「超人的な信長像」が提示されており、信長はたいへん革新的な人物との認識が一般では主流であることから、そうした一般の認識を改めることを目的として、複数の執筆者による解説が14... ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 3 / コメント 4

2014/10/12 00:00
安野眞幸『教会領長崎』
 講談社選書メチエの一冊として、2014年6月に刊行されました。本書の特徴は、戦国時代の日本におけるイエズス会を「権門」として把握し、「適応主義」対「原則主義」というイエズス会の内部対立に着目するとともに、イエズス会の財政基盤となった南蛮貿易の実態を解明するために、地理的・年代的に広範な事例を参照していることです。また本書は、日本におけるイエズス会の動向をスペイン・ポルトガル連合王国の成立とも関連させて論じており、視野の広い一般向け書籍になっていると思います。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

2014/09/15 00:00
平山優『検証長篠合戦と武田勝頼』第2刷
 歴史文化ライブラリーの一冊として、吉川弘文館より2014年9月に刊行されました。第1刷の刊行は2014年8月です。本書は、『敗者の日本史』全20巻の第9巻として2014年2月に吉川弘文館より刊行された『敗者の日本史9 長篠合戦と武田勝頼』の続編というか、同書にて紙幅の関係で割愛した論考を再構成したものです。同書と併せて本書を読むことで、長篠の戦いと武田勝頼に関する著者の見解がはっきりと見えてきますので、ともに読むことをお勧めします。『敗者の日本史9 長篠合戦と武田勝頼』については、以前このブロ... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2014/09/06 00:00
2013年「回顧と展望」日本・中世
古澤直人「平治の乱における源義朝謀叛の動機形成」『経済志林』80-3 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/08/24 00:00
金子拓『織田信長<天下人>の実像』
 講談社現代新書の一冊として、講談社より2014年8月に刊行されました。本書は、対朝廷・天皇の観点から、信長の志向を検証しています。本書の背景には、領地支配・流通政策などにおいて、信長の革新性を見直すという戦国時代の研究動向があります。本書を読む前は、信長の領地支配・流通政策などについても、通俗的に語られている革新性を検証していくのかな、と期待していたのですが、それらの「考察はしかるべき時機にゆだねざるをえない」とのことで、正直なところこの点では残念でした。しかし、信長と朝廷・天皇との関係につい... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/08/23 00:00
神田千里『戦争の日本史14 一向一揆と石山合戦』第3刷
 吉川弘文館より2012年4月に刊行されました。第1刷の刊行は2007年10月です。本書は通俗的な一向一揆像とは異なる見解を提示しています。一向一揆は、江戸時代における本願寺教団の東西分裂という状況のなか、それぞれの立場の人々に都合よく語られてきた伝承によって、当時の実情とは異なった印象が形成されており、近代以降の歴史学も、そうした印象を必ずしも払拭できなかったばかりか、その時々の潮流に沿って実情とは異なる歴史観を強化することさえあった、というのが本書の見通しです。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 1 / コメント 0

2014/07/02 00:00
亀田俊和『南朝の真実 忠臣という幻想』
 歴史文化ライブラリーの一冊として、吉川弘文館より2014年6月に刊行されました。ネットで評判になっていたので、読んでみました。めったに歴史文化ライブラリーを入荷することのない近所の書店に置いてあったので、渋谷・新宿・池袋にまで出かけたり立ち寄ったりすることなく購入できたのは幸いでした。評判がよいということで、入荷されたのでしょうか。本書は、今でも一般には根強いかもしれない、南朝の構成員の方が北朝のそれより道徳的にはるかに優れている、との歴史認識を検証しています。戦後の一般向け通史などでも、北朝... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 1 / コメント 0

2014/06/06 00:00
平山優『敗者の日本史9 長篠合戦と武田勝頼』
 本日は3本掲載します(その三)。『敗者の日本史』全20巻の第9巻として、2014年2月に吉川弘文館より刊行されました。本書は長篠の戦いのみを検証しているのではなく、戦国時代の軍編成と戦闘の在り様についての所見解の見直しも提示し、さらには勝頼の置かれた立場を勝頼誕生以前にまでさかのぼって武田家と諏訪家の動向から論じており、広い視野に基づいていると思います。以下、本書の見解を備忘録的に述べていきます。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

2014/03/21 00:00
呉座勇一『戦争の日本中世史 「下剋上」は本当にあったのか』
 新潮選書の一冊として、新潮社から2014年1月に刊行されました。モンゴル襲来から応仁の乱までの戦争から見た日本社中世史となっています。本書を貫くのは、戦後歴史学、とくにマルクス主義的な「階級闘争史観」と意識的に距離を置こう、という姿勢です。本書のこの姿勢の前提として、1980年代以降、「階級闘争史観」はある程度克服されたように見えても、今でも研究者たちを拘束しているところがあるのではないか、との認識があるようです。そのため、「階級闘争史観」と意識的に距離を置くことにより、視野を広げられるのでは... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2014/03/18 00:00
織田信長の記事についてのまとめ(追記有)
 ブログを始めてから7年半以上経過しました。一度更新をしないとそのままずるずると更新しなくなるだろうから、との考えでブログ開始当初から毎日更新するよう心掛けており、それはほぼ守れているので、怠惰な私にしては上出来だと思います。しかし、多忙な時やとくに書くことが思い浮かばない時もあるだろうと考えて、ブログを始めた当初から予備の記事を執筆してきました。今ではそうした記事がかなり溜まっているのですが、中には執筆してから7年以上経過したものも少なくなく、今更公開する意味があるのだろうか、と疑問に思うもの... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/03/08 00:00
関幸彦『敗者の日本史6 承久の乱と後鳥羽院』
 『敗者の日本史』全20巻の第6巻として、2012年10月に吉川弘文館より刊行されました。本書は後鳥羽院をはじめとした敗者の視点から承久の乱を解説しています。承久の乱で敗者となった、後鳥羽院をはじめとして天皇家の人々や貴族・武士のうちで主要な人々について、なぜ鎌倉幕府ではなく後鳥羽院の側に立ったのか、人脈・経歴・当時の状況などから解説されるとともに、敗者となった人々の乱後の動向・運命も言及されています。あまり有名ではない敗者の経歴もやや詳しく取り上げられているのが本書の特徴で、『敗者の日本史』に... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/03/04 00:00
岡野友彦『院政とは何だったか 「権門体制論」を見直す』
 PHP新書の一冊として、2013年3月にPHP研究所より刊行されました。公的な最高位者と最高権力者が異なることがほぼ常態化した分かりにくい中世政治史を、専門家の立場から分かりやすく説明する、という意図の一冊です。このような主題は、新書に相応しいと言えるでしょう。本書は中世政治史の分かりにくさの要因を荘園制に求めますが、この荘園制も一般層には分かりにくいとよく言われています。新書にて難題を二つも分かりやすく解説しようという意欲的な試みですが、それはおおむね達成されているのではないか、と思います。... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

2014/02/07 00:00
矢部健太郎『敗者の日本史12 関ヶ原合戦と石田三成』
 『敗者の日本史』全20巻の第12巻として、2014年1月に吉川弘文館より刊行されました。本書は関ヶ原の戦いやその前後の日本全域での騒乱状況についてはあまり触れておらず、実質的には豊臣政権を論じた一冊になっています。関ヶ原の戦いの考察にあたって、豊臣政権の構造を解明することは必須だと言えるでしょう。その意味で、私にとって本書はたいへん面白く有益な一冊となりましたが、表題から受ける印象との乖離は否定できないでしょうから、不満に思う一般読者は少なくないかもしれません。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 3 / トラックバック 1 / コメント 2

2014/02/04 00:03
黒田基樹『戦国大名 政策・統治・戦争』
 平凡社新書の一冊として平凡社より2014年1月に刊行されました。著者は、1980年代以降に大きく進展した戦国大名研究を踏まえて、現時点における戦国大名像を一般読者に提示する、という意図で執筆したそうです。著者の他の著作(ちくま新書『百姓から見た戦国大名』)や『週刊新発見!日本の歴史』第27号「戦国時代2 戦国大名たちの素顔」など(関連記事)を読んでいたこともあり、本書で提示されている戦国大名像は私にとって大きな違和感はありませんでした。以下、備忘録的に本書の見解について述べていきます。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/01/30 00:00
諏訪勝則『黒田官兵衛』
 まだ日付は変わっていないのですが、1月25日分の記事として3本掲載しておきます(その一)。中公新書の一冊として、中央公論新社から2013年11月に刊行されました。今年の大河ドラマ『軍師官兵衛』を最終回まで視聴することになりそうなので、あまりよく知らなかった官兵衛について基礎知識を得るために読んでみました。本書は大河ドラマ便乗本なのでしょうが、ほぼ確実な事績と怪しげな伝承とを区別しており、一般読者向けの堅実な入門書になっていると思います。すべての大河ドラマ便乗本が本書くらいの水準であればよいので... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/01/25 00:00
『岩波講座 日本歴史  第6巻 中世1』
 『岩波講座 日本歴史』全22巻(岩波書店)の刊行が始まりました。この第6巻は、2013年12月に刊行されました。すでに全巻の構成内容は明かされており、たいへん楽しみですが、どの巻を購入すべきか悩んでいます。金銭的な問題・昨年大々的に部屋を片づけたとはいえ場所の問題・読む時間の問題があるので、さすがに全巻購入はためらいます。すでに刊行されている第1巻と第6巻のうち、迷ったすえに第1巻は購入を見送り、第6巻のみ購入しました。今後、第2巻と第10巻は必ず購入するとして、すでに刊行されている第1巻も含... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 4 / コメント 0

2014/01/21 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第27号「戦国時代2 戦国大名たちの素顔」
 まだ日付は変わっていないのですが、12月25日分の記事として掲載しておきます。この第27号は、戦国大名の支配構造を中心に扱っています。戦国時代は現代日本社会において最も人気の高い時代でしょうが、多くの人が関心を持ち詳しく知っているのは、英雄譚を中心とした人物中心の物語(「格好よく」言えば、人物中心の政治史)でしょう。小説・漫画・映像作品・ゲームなどで展開される戦国時代の物語は、現代社会との類比を強調し、現代にも通ずる普遍的な人生訓として人々に受容されることが多いように思います。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2013/12/25 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第26号「戦国時代1 乱世を生きた人々」
 まだ日付は変わっていないのですが、12月18日分の記事として2本掲載しておきます(その一)。この第26号は応仁の乱の終結の頃から桶狭間の戦いの頃までを対象としています。このブログの各号の感想を述べた記事にて、**という見解が「新発見的」だと述べてきましたが、じつはそうした「新発見的」見解の多くは、すでに近年刊行された一般向け書籍・雑誌で紹介されており、私がすでに知っていたものも少なくありません。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2013/12/18 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第25号「室町時代4 日本文化の源流の実態」
 まだ日付は変わっていないのですが、12月12日分の記事として掲載しておきます。この第25号は南北朝時代から16世紀前半頃までという、おおむね中世後期の文化史を対象としています。日本文化の源流をこの時代に求める見解は、現代日本社会において一般にもわりと浸透していると言えるかもしれません。この第25号は、そうした見解に妥当性のあることも認めつつ、この時代の文化の代表としての茶の湯・生け花・能・水墨画、この時代の文化要素としての幽玄・侘びを強調すると、中世後期の文化を限定的に把握することになる、と警... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2013/12/12 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第24号「室町時代3 応仁・文明の混迷と戦乱」
 まだ日付は変わっていないのですが、12月4日分の記事として3本掲載しておきます(その一)。この第24号は、義持の将軍就任の頃から応仁の乱の終結の頃までを対象としています。この第24号も「新発見」的な見解を複数提示しています。大名が任国ではなく京都で幕政に関与していたという見解は、教科書などに掲載されている守護の分布状況図が強い印象を残すだけに、少なからぬ人にとっては「新発見」的な見解かもしれません。この時期の相国寺の巨大伽藍と七重大塔は、「新発見」というか、一般にはよく知られていない史実の紹介... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2013/12/04 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第23号「室町時代2 足利義満が目指したもの」
 まだ日付は変わっていないのですが、11月27日分の記事として掲載しておきます。この第23号は足利義満の誕生(同年に義満の祖父の尊氏が死亡しています)の頃から足利義満の死の頃までを対象としています。この第23号の特徴は、公武の対立を大前提とする伝統的歴史観からの脱却を全面に打ち出していることです。それと関連して、1990年代以降に一般にも広く浸透した、義満による皇位簒奪計画があったという説に否定的であることも特徴となっています。近年の学界では、この皇位簒奪説に否定的な見解が主流になっています。 ... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2013/11/27 00:00
鍛代敏雄『敗者の日本史11 中世日本の勝者と敗者』
 まだ日付は変わっていないのですが、11月25日分の記事として掲載しておきます。『敗者の日本史』全20巻の第11巻として、2013年11月に吉川弘文館より刊行されました。本書は4章構成となっています。第1章は政治史、第2章は社会史、第3章は「日本周縁」の地域史、第4章は文化史です。本書はこの構成に沿って、勝者と敗者という観点から中世史全体を概観しています。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2013/11/25 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第22号「室町時代1 南北朝の動乱に迫る」
 まだ日付は変わっていないのですが、11月20日分の記事として2本掲載しておきます(その二)。この第22号は後醍醐天皇の即位の頃から足利義詮の死・細川頼之の管領就任の頃までを対象としており、おおむね『太平記』の時代に相当します。この第22号でも、「新発見」的な見解が提示されています。まずは、後醍醐天皇が綸旨の発給により天皇と武士との距離を一気に縮めた、ということです。一方、室町幕府は、後醍醐天皇により接近した天皇と武士との距離を再び引き離すことにより、足利家による秩序安定を企図したことが指摘され... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2013/11/20 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第21号「鎌倉時代4 鎌倉仏教の主役は誰か」
 これは11月17日(日)分の記事として掲載することにします(その三)。この第21号は鎌倉時代の仏教を扱っています。鎌倉時代の仏教というと、いわゆる鎌倉新仏教を中心に把握する見解がかつては有力視されていました。しかし、顕密体制論が提示されて以降は、鎌倉新仏教中心史観も見直されています。この第21号でも顕密体制論を踏まえたうえで議論が展開されていますが、鎌倉時代は宗教改革が行なわれた日本仏教の黄金期だった、と評価されています。では、鎌倉新仏教中心史観に依拠せずに提示される鎌倉時代の宗教改革とは何な... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 1 / コメント 0

2013/11/17 00:00
関周一『朝鮮人のみた中世日本』
 明日(11月9日)からしばらく留守にするかもしれないので、とりあえず来週分までまとめて更新することにします。これは11月11日分の記事として掲載しておきます。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2013/11/11 00:00
『日本中世の歴史』全7巻の記事のまとめ
 明日(11月9日)からしばらく留守にするかもしれないので、とりあえず来週分までまとめて更新することにします。これは11月9日分の記事として掲載しておきます。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2013/11/09 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第20号「鎌倉時代3 対モンゴル戦争は何を変えたか」
 これは11月7日分の記事として掲載しておきます。この第20号は北条時頼が執権職を辞任した頃から後醍醐天皇の即位の頃までを対象としています。この第20号が強調している「新発見」は、一回目のモンゴル襲来(文永の役)後、北条時宗が逆にモンゴル帝国(大元ウルス)の出撃拠点である高麗へと攻め込む計画を立てていた、ということです。もっとも、これは一般読者層にも割とよく知られた話かもしれません。モンゴル襲来の前後の外交関係において、滅亡前の南宋がモンゴル帝国から日本に送られた招諭使の活動を妨害しようとしてい... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2013/11/07 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第19号「鎌倉時代2 京と鎌倉のダイナミクス」
 ブログ用に書き溜めておいた記事がそれなりの量になったので、今日は記事を3本掲載します(その一)。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2013/10/31 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第18号「平安時代6 平氏政権の可能性」
 まだ日付は変わっていないのですが、10月23日分の記事として掲載しておきます。この第18号は、鳥羽院政末期の後白河の即位から平清盛の死までを対象としています。主要な論考というか概説の執筆者は元木泰雄氏で、元木氏の著書・論考をいくつか読んできたので、私にとっては違和感のない解説でした。毎号薄いので、かなり省略された概説となっていましたが、詳しく知りたい場合は元木氏の著書を読めばよいでしょう。このブログで取り上げた元木氏の著書は、以下の通りです。 『保元・平治の乱を読みなおす』 http://... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2013/10/23 00:00
丸島和洋『戦国大名の「外交」』
 講談社選書メチエの一冊として、2013年8月に刊行されました。本書はまず、「外交」という表現を用いる理由を説明します。それは、戦国時代には「日本」という「国家」の統合力が弱まり、戦国大名という「地域国家」によって日本列島が分裂していた、という歴史認識に基づいています。以下、本書では戦国大名の外交の具体的様相が叙述され、古文書学的な知識も言及されています。ただ、後書とも関連しますが、本書の本当の狙いは、戦国大名の外交の具体的様相の解明というよりも、戦国大名論であるように思います。以下、本書の興味... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2013/10/20 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第17号「平安時代5 院政期を彩った人々」
 この第17号は後三条天皇の即位から鳥羽院政期までを対象としており、院政が確立していく過程とその時代の様相を扱っています。院政の確立ということで、王権の変容が主題となるのは当然のことなのですが、この時代の仏教の変容についてもかなりの分量が割かれているのがこの第17号の特徴であり、いわゆる鎌倉新仏教への展望にも言及されています。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 2 / コメント 0

2013/10/16 00:24
2012年「回顧と展望」日本・中世
稲葉継陽「中世の社会体制と国家」『日本史研究』600 渡邊誠『平安時代貿易管理制度史の研究』(思文閣出版) ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2013/10/01 00:00
河内将芳『信長が見た戦国京都』
 これは9月26日分の記事として掲載しておきます。歴史新書の一冊として洋泉社より2010年8月に刊行されました。副題は「城壁に囲まれた異貌の都」です。著者は信長について専門的に勉強してきたわけではなく、中世後期の都市社会史を中心に研究を進めているとのことで、表題に掲げているだけあって信長についての言及の多い本書も、実質的には中世後期の京都の歴史となっています。おそらく編集部が、「中世後期の京都」では一般向けの新書として売れそうにないと判断して、信長と絡めて中世後期の京都を取り上げるよう著者に依頼... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2013/09/26 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第6号「鎌倉時代1 源頼朝と武家政権の模索」
 まだ日付は変わっていないのですが、7月24日分の記事として掲載しておきます。この第6号は治承・寿永の乱から頼朝が没する頃までを対象としており、鎌倉幕府成立の過程についての論考が掲載されています。マスコミでよく取り上げられる鎌倉幕府の成立年代について、諸説あることがやや詳しく取り上げられており、一般向けであることを強く意識した構成になっていると思います。もっとも、この第6号では、鎌倉幕府がいつ成立したかという形式論的な議論よりも、いかにして成立したのか、段階的に把握することの重要性が指摘されてい... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2013/07/24 00:00
秋山哲雄『敗者の日本史7 鎌倉幕府滅亡と北条氏一族』
 まだ日付は変わっていないのですが、7月15日分の記事として掲載しておきます。『敗者の日本史』全20巻の第7巻として、2013年5月に吉川弘文館より刊行されました。表題が「鎌倉幕府滅亡」なので、鎌倉時代後半についての記述が多くなっているのですが、鎌倉時代前半についてもそれなりに言及されており、鎌倉時代の政治・制度史にもなっています。鎌倉幕府は滅亡したと言われますが、本書では、鎌倉幕府の制度など政治的遺産は後世に継承されており、鎌倉幕府の滅亡は北条一族の滅亡ではあったものの、鎌倉幕府の奉行人が建武... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2013/07/15 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第4号「戦国時代4 豊臣政権と朝鮮出兵の真相」
 これは7月13日分の記事として掲載します。この第4号は本能寺の変から秀吉の死までを対象としており、「惣無事令」についての一時有力になっていた見解の見直しなど、豊臣政権についての近年の見解が盛り込まれた内容になっています。「惣無事令」は豊臣政権の政策の基調と考えられていた時期もありましたが、近年では東国を対象に「惣無事」という言葉を用いての停戦交渉は存在したものの、「惣無事令」という法令自体の存在は否定されています。「惣無事」を秀吉による統一過程にどのように位置づけるのか、ということが現在の論点... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2013/07/13 00:00
元木泰雄『敗者の日本史5 治承・寿永の内乱と平氏』
 これは7月11日分の記事として掲載します。『敗者の日本史』全20巻の第5巻として、2013年4月に吉川弘文館より刊行されました。著者の他の著書や論考などを読んでいたので、著者の見解には馴染みがあり、違和感なく読み進められました。本書の主題は、治承・寿永の内乱における平氏の敗因の分析なので、治承・寿永の内乱についての叙述が中心なのですが、内乱勃発前にもかなりの分量が割かれていて、平氏の敗因が考察されています。確かに、治承・寿永の内乱における平氏の敗因を考察するうえで、内乱勃発前の検証は不可欠です... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2013/07/11 00:00
『週刊新発見!日本の歴史』第1号「戦国時代3 織田信長の見た‘夢’」
 まだ日付は変わっていないのですが、6月14日分の記事として掲載しておきます。以前このブログで取り上げましたが、 http://sicambre.at.webry.info/201305/article_5.html 朝日新聞出版より『週刊新発見!日本の歴史』の刊行が始まりました。その時の記事で述べましたが、刊行順には工夫が見られ、当初は現代日本社会で人気の高そうな時代が刊行され、その後は基本的に時代順に刊行されていくようです。次号は「近代1 幕末維新の群像劇」とのことで、現代日本社会で歴史... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2013/06/14 00:00
渡邊大門『秀吉の出自と出世伝説』
 まだ日付は変わっていないのですが、5月30日分の記事として掲載しておきます。歴史新書の一冊として洋泉社より2013年5月に刊行されました。秀吉の出自を中心として、秀吉の人物像を歴史学的な成果に基づいて一般向けに提示した一冊となっています。民俗学的成果も活用しての、近年の歴史学の提示する秀吉像においては、その出自に非農業民的性格が指摘され、秀吉の大出世と言動の要因がその出自に求められる傾向がありますか、本書はそうした傾向に批判的であり、あくまでも秀吉個人の能力・性格を重視する見解を提示しています... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2013/05/30 00:00
池上裕子『人物叢書(新装版) 織田信長』第1版第2刷
 まだ日付は変わっていないのですが、5月22日分の記事として掲載しておきます。吉川弘文館より2013年1月に刊行されました。第1版第1刷の刊行は2012年12月です。吉川弘文館の人物叢書はすでに多数刊行されており、本書で272冊目となるようです。ところが、意外なことに「大物」というか知名度の高い人物で取り上げられていない者も多く、天智天皇・天武天皇・源頼朝・足利尊氏・豊臣秀吉・徳川家康・大久保利通・伊藤博文・明治天皇などがそうで、三幕府の初代がいずれも取り上げられていないということになります。現... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2013/05/22 00:00
早島大祐『足軽の誕生 室町時代の光と影』第2刷
 まだ日付は変わっていないのですが、4月10日分の記事として掲載しておきます。朝日新書の一冊として、朝日新聞社より2013年1月に刊行されました。第1刷の刊行は2012年10月です。足軽は応仁の乱で大量に出現したとされますが、その理由というか背景となる、南北朝時代も含む室町時代前半の社会変容の叙述が本書の主題となります。本書では、足軽誕生の前提として、朝廷と武家の中心地が京都と鎌倉に分離していた鎌倉時代とは異なり、室町時代には京都に一元化され、京都に人・物資がさらに流入しやすい状況が出現していた... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2013/04/10 00:00
鈴木哲雄『動乱の東国史1 平将門と東国武士団』
 まだ日付は変わっていないのですが、12月23日分の記事として掲載しておきます。『動乱の東国史』全7巻の第1巻として、2012年9月に吉川弘文館より刊行されました。本書は、平将門の乱を中心として、前九年・後三年の役や保元・平治の乱などの動乱を軸に、9世紀後半〜12世紀後半の治承・寿永の乱の直前までの、古代〜中世へと転換していく東国史を叙述します。本書の特徴は、平将門の乱の舞台となった坂東が、今よりも広い内海を有し、河川の交錯する水上交通の盛んな地域であった、とする近年の研究成果を踏まえた叙述にな... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2012/12/23 00:00
小川剛生『足利義満』再版
 中公新書の一冊として、中央公論新社から2012年9月に刊行されました。初版の刊行は2012年8月です。足利義満は、日本ではおそらく小学校でも習うであろうくらい有名な歴史上の人物ですが、その一般的人気はかなり低いように思います。すべての事例を調べたわけではありませんし、記憶が曖昧なので確固たる自信があるわけではないのですが、好きな歴史上の人物といった投票・調査企画にて、上位10人に足利義満が選ばれたことはないでしょうし、そもそも義満に限らず室町幕府の歴代将軍も、そうした企画で上位に選ばれたことは... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2012/11/23 00:24
盛本昌広『戦国合戦の舞台裏 兵士たちの出陣から退陣まで』
 まだ日付は変わっていないのですが、10月23日分の記事として掲載しておきます。歴史新書の一冊として、洋泉社から2010年10月に刊行されました。本書の主題は、退陣・出陣式・陣中見舞いなどというように、現在でもよく用いられる陣という言葉を重要な手掛かりとして、戦国時代の合戦の一般にはあまり知られていない、舞台裏というか地味な側面の具体的な様相の解明です。著名な合戦やそれにまつわる人間模様といった、一般受けする派手な内容ではありませんが、物語として戦国時代の合戦を知る人が圧倒的に多いでしょうから、... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2012/10/23 00:00
細川重男『頼朝の武士団 将軍・御家人たちと本拠地・鎌倉』
 まだ日付は変わっていないのですが、9月13日分の記事として掲載しておきます。歴史新書の一冊として洋泉社より2012年8月に刊行されました。細川氏の著書については以前にもこのブログで 『北条氏と鎌倉幕府』 http://sicambre.at.webry.info/201104/article_13.html と『鎌倉幕府の滅亡』 http://sicambre.at.webry.info/201106/article_16.html を取り上げたことがありますが、本書には、『北条氏と... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2012/09/13 00:00
2011年「回顧と展望」日本・中世
まだ日付は変わっていないのですが、8月30日分の記事として掲載しておきます。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2012/08/30 00:00
元木泰雄『平清盛と後白河院』
 新潮選書の一冊として、新潮社から2012年3月に刊行されました。平清盛と後白河との関係を軸に、平安時代末期の政治史が詳しく解説されています。著者の他の著書や論考などを読んでいたので、著者の見解には馴染みがあり、違和感なく読み進められました。一般には、この時代の政治史は複雑で難しいと言われることが多いように思いますが、たとえばこの時代よりも一般的には人気・関心の高い時代である戦国時代と比較して、より複雑で難しいと言えるか疑問で、要は馴染み深さの問題なのではないか、とも思います。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2012/05/18 00:00
棚橋光男『後白河法皇』
 講談社選書メチエの一冊として、1995年12月に講談社より刊行されました。講談社選書メチエの創刊にあたって、講談社より著者に執筆依頼があり、著者もたいへん乗り気だったそうですが、1994年12月1日、まだ四十代の著者は肺の腺癌のため亡くなり、書き下ろしの講談社選書メチエとしては未完に終わりました。本書は、後白河に関する著者の論文と、ワープロに残されていた遺稿が掲載された論文集として刊行されることになり、講談社選書メチエとしては異例のことですが、著者の長年の友人であった橋昌明氏をはじめとして、... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2012/05/05 04:06
「特集 源氏対平氏 武士の世の始まり」『歴史読本』2012年5月号
 新人物往来社より刊行されている『歴史読本』ではよく大河ドラマと関連のある特集が組まれているのですが、『歴史読本』に限らず、大河ドラマに便乗した企画の書籍は毎年多数刊行されており、出版業界にとって大河ドラマは金のなる木ということなのでしょう。今年の大河ドラマ『平清盛』は、昨年の大河ドラマ『江〜姫たちの戦国〜』と比較してそもそも期待値が低いようで、昨年ほどには関連書籍が刊行されていないような印象を受けているのですが、それでも、近所の小規模な書店に行けば、『平清盛』の関連書籍が目につきます。大河ドラ... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2012/04/17 00:00
本郷恵子『蕩尽する中世』
 新潮選書の一冊として、新潮社から2012年1月に刊行されました。著者の以前の著書『選書日本中世史3 将軍権力の発見』 http://sicambre.at.webry.info/201104/article_26.html が面白かったので、購入しました。『選書日本中世史3 将軍権力の発見』の時もそうでしたが、本書も、一見すると細かな実証が提示されつつも、日本史上の大きな問題が常に意識された構成・叙述となっており、奥深い一冊になっていると思います。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 1

2012/03/04 00:00
橋昌明『[増補改定]清盛以前』(平凡社)
 平凡社ライブラリーの一冊として2011年12月に刊行されました。本書は、もともと平凡社選書の一冊として1984年5月に刊行され、その増補・改定版が2004年10月に文理閣より刊行されました。本書は文理閣版に若干の訂正と注記が加えられており、今年の大河ドラマが、著者が二人の時代考証担当者の一方である『平清盛』ということから、刊行されることになったのでしょう。著者は武士見直し論の第一人者であり、10年以上前に『武士の成立 武士像の創出』(東京大学出版会、1999年)を読み、たいへん面白かったことを... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2012/02/25 04:48
野口実『武門源氏の血脈 為義から義経まで』
 2012年1月に中央公論新社より刊行されました。著者は武士見直し論の代表的研究者の一人で、ネットで評判になっていましたし、今年の大河ドラマ『平清盛』の時代背景をもっと詳しく知るという目的もあって、購入して読みました。本書では、平安時代末期の武門源氏の代表的人物である為義・義朝・頼朝・義経が取り上げられ、近年の研究成果に基づいてその事績が紹介され、通俗的な歴史観とは異なるところの多分にある解釈が提示されています。著者は武士見直し論の代表的研究者の一人だけに、本書では武士と貴族を対立的に把握すると... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2012/02/04 00:00
不人気な時代
 今年の大河ドラマ『平清盛』は、ドラマとしては面白いと思うのですが、残念ながら視聴率は低迷しており、第4回が終了した時点での平均視聴率は17.5%となっています。同じく第4回終了時点での平均視聴率が、一昨年の大河ドラマ『龍馬伝』は22.6%、昨年の『江〜姫たちの戦国〜』は22.0%であり、大河ドラマは序盤の視聴率が高く、平均視聴率は序盤の視聴率を下回る傾向にあることを考えると、『平清盛』の平均視聴率は、21世紀以降だけではなく、歴代の大河ドラマでも最低記録を更新するかもしれません。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 6

2012/02/02 00:00
通俗的歴史観
 このブログにて今年の大河ドラマ『平清盛』について言及した記事にて、たびたび「通俗的歴史観」という表現を用いているのですが、具体的に念頭にあるのは、小学校6年生〜中学生の頃によく読んでいた、『図説学習 日本の歴史』(旺文社)の記述です。『図説学習 日本の歴史』は全8巻で、第1巻〜第5巻が通史(第1巻が原始〜大和時代、第2巻が奈良〜平安時代、第3巻が鎌倉〜室町時代、第4巻が安土桃山〜江戸時代、第5巻が明治時代以降)、第6巻と第7巻が人物伝(第6巻が安土桃山時代まで、第7巻が江戸時代以降)、第8巻が... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 2

2012/01/29 04:57
鳥羽天皇と崇徳天皇との関係、および天皇の権力についての雑感
 今年の大河ドラマ『平清盛』では、系図上では鳥羽の子とされている崇徳の実父が白河だという説が採用されています。これは同時代の文献には見当たらず、やや時代の下った鎌倉時代初期の文献に見えるので、疑問視する人も少なくないようですが、この問題を歴史学のみならず医学的見地からも詳細に検証し、崇徳は白河の実子だと主張した研究者もいるようです。もっとも、私はその見解を読んだことがないので、崇徳の実父が鳥羽と白河のどちらなのか、確信をもてないというのが正直なところです。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 10

2012/01/12 00:00
森田善明『戦国10大合戦の大ウソ』
 ワックより2011年10月に刊行されました。厳島・桶狭間・謙信の関東侵攻・川中島・信長の美濃侵攻・信玄の西上戦・長篠・賤ヶ岳・秀吉の小田原城攻め・関ヶ原という、戦国時代の著名な10の合戦の俗説・通説を批判し、異なる見解を提示する、という体裁になっています。個々の合戦の俗説・通説にたいする批判と、それに替わる見解については、先行研究に依拠したところが多分にあり、本書で提示された見解のなかに、目新しいものはそれほど多くありません。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2012/01/04 00:00
橋昌明編『別冊太陽 平清盛 王朝への挑戦』
 来年の大河ドラマ『平清盛』の放送開始が間近になったということで、平清盛を扱った書籍の刊行が書店で目立つようになってきました。本書は税別2300円と一般向けにしてはやや高いようにも思うのですが、ほぼすべてカラーページであり、編集部の執筆による清盛の生涯の概説には近年の研究成果が取り入れられていますし、研究者による論考が多数掲載されているので、お買い得だと思います。橋昌明氏の編纂ということで期待していたのですが、期待以上の内容でした。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 3

2011/12/22 00:00
本郷和人『謎とき平清盛』
 文春新書の一冊として、文藝春秋社より2011年11月に刊行されました。著者は来年の大河ドラマ『平清盛』の時代考証担当者の一人で、もう一人は橋昌明氏です。私が、『平清盛』の時代考証担当者が橋氏から著者に交代したのではないか、と誤解した記事を掲載したときに、著者から直接コメントをいただき、時代考証は二人体制であることが分かったのですが、 http://sicambre.at.webry.info/201110/article_30.html 本書の冒頭で、「大河ドラマ『平清盛』(以下、<ド... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 1

2011/11/27 00:00
『平清盛の真実』
 インターナショナルラグジュアリーメディアより2011年11月に刊行されました。平清盛の生涯を中心として、平氏の歴史にも触れられています。来年の大河ドラマ『平清盛』の便乗本なのでしょうが、近年の研究成果も参照されており、大河ドラマ便乗本としては、なかなかの出来になっていると思います。著者については明記されていないのですが、執筆協力は「有限会社新選社/右京裕一」となっており、複数の筆者による分担執筆ということでしょうか。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2

2011/11/22 00:00
元木泰雄『河内源氏』
 中公新書の一冊として、中央公論新社から2011年9月に刊行されました。著者は武士見直し論の代表的な研究者の一人です。河内源氏の動向について、10世紀半ば〜12世紀半ばの平治の乱までが扱われていますが、武士見直し論の代表的な研究者の一人だけあって、鎌倉幕府の成立からの逆算的な河内源氏論ではなく、当時の文脈を踏まえたものであろうとする意識が強く窺えます。もちろん、こうした姿勢は当然のことと言えるでしょうが、研究者といえども、結果論的解釈を突き放すことはそれほど容易ではないだろう、とも思います。 ... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2011/10/18 19:41
衣川仁『僧兵=祈りと暴力の力』
 講談社選書メチエの一冊として、2010年11月に刊行されました。いわゆる僧兵など、中世日本の寺社勢力が武力を有していたことはよく知られていますが、そうした構造をもたらした社会的構造は何だったのか、またどのような過程で寺社勢力が武力を有するようになったのか、さらには、現代日本社会ではほとんど賛同されないであろう、宗教勢力が武力を有するということの社会的意味についてなど、総合的に僧兵の意味合いについて考察されています。ただ、本書が対象とする時代はほぼ平安時代後期ですから、通時的な考察という側面が弱... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 4

2011/08/23 00:00
2010年「回顧と展望」日本・中世
長田圭介「後三条天皇と摂関家」『皇学館論叢』43-5 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2011/08/02 00:00
渡邊大門『戦国誕生 中世日本が終焉するとき』
 講談社現代新書の一冊として、講談社より2011年5月に刊行されました。本書の主張は、戦国時代の始まりの指標を形式から実体(実力)への変化とし、その画期は、天皇・将軍・守護の権力が著しい低下を見せるようになった、15世紀半ばだった、というものです。形式から実体への変化については、戦国大名の代表例の一つにして守護大名の代表例の一つでもあった今川家の、「今川仮名目録追加二十一条」から、同時代の人々(の一部)にも自覚されていたと考えられますし、現代の視点からも、戦国時代の開始の妥当な指標の一つと言って... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2011/07/12 00:00
橋本雄『中華幻想』
 勉誠出版より2011年3月に刊行されました。他者崇敬としての中華と自己投影としての中華という観点から、「対外関係」を中心として、室町時代の人々の中華にまつわる認識が検証されています。自己投影としての中華という室町時代の「日本人」の「幻想」が、どのような背景・契機で当時の人々に選択されたのか、努めて実証的に叙述していこうとする姿勢が窺え、好感が持てます。正直なところ、私の見識では、本書で展開された議論の細部にいたるまで、充分に理解できたと言えるのかというと、自信はありませんが、ともかく、きわめて... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2011/06/29 00:56
細川重男『鎌倉幕府の滅亡』
 歴史文化ライブラリーの一冊として、吉川弘文館より2011年3月に刊行されました。細川氏の著書は以前にもこのブログで取り上げたことがありますが、 http://sicambre.at.webry.info/201104/article_13.html なかなか面白かったので、本書も読んでみることにしました。 ...続きを見る

かわいい ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

2011/06/16 00:00
中世人の心性と大河ドラマ『江〜姫たちの戦国〜』への違和感
 彼等は、感情を表すことにはなはだ慎み深く、胸中に抱く感情を外部に示さず、憤怒の情を抑制しているので、怒りを発することは稀である。互いにはなはだ残忍な敵であっても、相互に明るい表情をもって、慣習となっている儀礼を絶対に放棄しない。胸中を深く隠蔽していて、表面上では儀礼的で丁重な態度を示すが、時節が到来して自分の勝利となる日を待ちながら堪え忍ぶのである。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 4

2011/05/25 00:00
早島大祐『室町幕府論』
 講談社選書メチエの一冊として、2010年12月に刊行されました。足利将軍家が逆賊とされた戦前はもちろんのこと、戦後も、弱々しい政権という印象もあってか、室町幕府というか室町時代の一般人気は低い(室町時代後半は大人気ですが、それは室町時代としてではなく、戦国時代としてです)のではないか、と思います。こうした状況において、研究の細分化もあり、研究者の側が一般層に体系的な室町幕府論を提示できていない、という問題意識のもと、本書は、朝廷の儀式の在り様などにも注目しつつ、儀式財政史的観点から室町幕府の在... ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 1 / トラックバック 1 / コメント 0

2011/05/24 00:00
榎本渉『選書日本中世史4 僧侶と海商たちの東シナ海』
 講談社選書メチエの選書日本中世史第4巻として、2010年10月に刊行されました。9〜14世紀における東シナ海の様相が、僧侶の往来を中心に叙述されていますが、僧侶の具体的事例の紹介が多く、なかなか興味深い一冊です。著者自身が述べているように、一般的な日本史の枠組みから外れたところが多分にあるとも言えるのですが、基本的には日本中心の視点になっており、日本中世史のという表題が羊頭狗肉というわけではない、と思います。現代日本の社会状況から考えて、今後、本書のような近代以降の国境という枠組みにとらわれな... ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 1

2011/05/08 00:00
本郷恵子『選書日本中世史3 将軍権力の発見』
 講談社選書メチエの選書日本中世史第3巻として、2010年9月に刊行されました。文書様式の特徴・変遷と、ある時期に特定の様式の文書が大量に出されていることなどから、鎌倉幕府と室町幕府との違い、さらには、朝廷(公家政権)の特質と、朝廷・天皇という仕組みが滅びずに長期間持続してきた理由を解明する端緒となり得る見解が提示されるなど、対象となる時代・事象が限定されているように見えながらも、日本史上の大きな問題が常に意識された構成・叙述となっており、奥深い一冊だと言えるでしょう。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 4

2011/04/26 00:00
細川重男『北条氏と鎌倉幕府』
 講談社選書メチエの一冊として、2011年3月に刊行されました。鎌倉幕府の実権を握った北条一族がなぜ将軍にならなかったのかという観点から、鎌倉時代を概観しつつ、義時と時宗を中心にした北条一族の盛衰と支配の論理を説明しています。北条一族がなぜ将軍にならなかったのかという問題は、天皇という枠組みがなぜ千数百年以上続いたのか、という問題と通ずるところがあるように思われます。こうした問題意識の前提として、本当は天皇や将軍になりたかったのになれなかった、という解釈があることが多いのですが、本書では、そうし... ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

2011/04/13 00:00
鈴木眞哉『戦国「常識・非常識」大論争』
 歴史新書の一冊として洋泉社より2011年2月に刊行されました。副題は「旧説・奇説を信じる方々への最後通牒」という挑発的なもので、じっさい、内容も挑発的ではあるのですが、正直なところ、これまでに著者が提示してきた見解を挑発的に言い換えただけ、といったところが多分にあり、目新しい見解は提示されておらず、著者の偏狭さのみが印象づけられるという結果になっています。著者が提示する見解自体には、納得できるものが多いので、なんとも残念です。もっとも、著者の主観では、より説得力のある自説があまり受け入れられて... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2011/04/09 00:00
藤田達生『信長革命』
 角川選書の一冊として、角川学芸出版より2010年12月に刊行されました。藤田氏の著書では、『本能寺の変の群像』や『秀吉神話をくつがえす』 http://sicambre.at.webry.info/200803/article_27.html などを読んできたので、本書で提示された基本的見解は、私には馴染みのあるものでした。つまり、研究の進展を踏まえた、より精緻な叙述になってはいるのですが、基本的な構想では、とくに目新しい点はありません。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

2011/04/08 00:00
河内祥輔、新田一郎『天皇の歴史04 天皇と中世の武家』
 『天皇の歴史』全10巻の第4巻として、2011年3月に講談社より刊行されました。平安時代後期〜鎌倉時代までを扱う第一部を河内氏、室町時代(南北朝時代〜戦国時代)を扱う第二部を新田氏が担当しています。正統という概念をキーワードとし、朝廷再建運動という観点から中世史が展望されるのですが、意識して武士対貴族という観念から脱しようとしてきた私も、やはり近代以降の武士中心の史観に慣れているということもあってか、違和感のある見解の提示が少なくなく、とくに第一部には、疑問の残る見解が少なくありません。 ... ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 3

2011/04/01 00:00
東島誠『選書日本中世史2 自由にしてケシカラン人々の世紀』
 講談社選書メチエの選書日本中世史第巻として、2010年6月に刊行されました。本書は選書日本中世史として刊行されており、具体的に取り扱われる時代はおおむね中世なのですが、現代社会の在り様とその変容について強い関心を持ち、そこから中世史を見直していき、過去のみならず今後の「変革可能性」を見出してこう、との視点が強く打ち出されています。もちろん、すべての歴史は現代史ですから、本書の視点はとくに不思議ではないのですが、それをはっきりと打ち出していることは、論点が明確になるという意味で、よいのではないか... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2011/03/08 00:00
愛国先生の平安時代論
 「愛国を考えるブログ」という、トンデモ愛好家の人々の間で有名なブログがあり、その管理人は愛国先生とも呼ばれています。 http://sinnnoaikokuhosyu.seesaa.net/ ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 3 / コメント 0

2011/01/13 00:00
本郷和人『選書日本中世史1 武力による政治の誕生』
 講談社選書メチエの選書日本中世史第1巻として、2010年5月に刊行されました。著者の提示する歴史像にはどうも納得のできないことが多いのですが、選書日本中世史シリーズでこの巻だけを読まないというのも落ち着かないので、読むことにしました。本郷氏の他の著書を以前このブログで取り上げたことがありますが、 http://sicambre.at.webry.info/200711/article_6.html 本書を読んでの全体的な感想も、その時とあまり印象は変わりません。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2011/01/08 00:00
藤本正行『本能寺の変 信長の油断・光秀の殺意』
 歴史新書の一冊として、洋泉社から2010年10月に刊行されました。すでに著者には、同じく本能寺の変を取り上げた、鈴木眞哉氏との共著『信長は謀略で殺されたのか』(洋泉社、2006年)があるので、本書の見解はおおむね意外なものではなかったのですが、『信長は謀略で殺されたのか』刊行後の本能寺の変についての二つの見解への反論や、有名な「是非に及ばず」の解釈について、通説とは異なるものが提示されているなど、単なる焼き直しにはなっていないので、読む価値はじゅうぶんにあると思います。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2

2010/12/23 00:00
二人の学者政治家
 康治2年(1143)8月11日の夜、二人の学者政治家が手をとりあってともに涙にくれた。運つたなく官職に恵まれないために出家する人物は、こう言った。「人はきっとこう思うでしょう。才が高いゆえに天は亡ぼすのだ、と。いよいよ学が廃れてしまいます。どうか殿下は学問をお捨てになりませんように」。これを聞いて、殿下はまた数行落涙した。  その13年後。「殿下」は流れ矢に当たって死去し、逃れた先の奈良で埋葬された。彼と手をとりあった人物は、「殿下」の遺体を掘り起こして、検死することを命じた─。  かつて... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2010/11/11 00:00
好きな戦国武将
 ニッカンスポーツには隔週で「日本史なんでもランキング」が掲載されているそうで、第2回のテーマは「好きな戦国武将」だったのですが、総投票数は1370票で、1位は169票の織田信長、2位は153票の真田「幸村」、3位は149票の伊達政宗、4位は136票の上杉謙信、5位は120票の武田信玄とのことで、信長の1位は、やはり近年の信長人気が本物なのだな、とも思わせるのですが、意外と票が割れているようにも思われ、戦国時代自体が人気だということでもあるのでしょう。 http://www.nikkanspo... ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

2010/11/06 00:00
鈴木眞哉『戦国軍事史への挑戦』
 歴史新書の一冊として洋泉社より2010年6月に刊行されました。戦国時代の軍事面での基本的な事柄について、著者が疑問に思ったことや、根強く浸透してしまっている誤解を訂正することが主題となっています。戦国時代の戦いで有効な武器は何だったのかという問題について、同時代の「戦闘報告書」に依拠した解説は、正直なところ、過去の著書のネタの使い回しといった感がありますし、鈴木氏の著書にそうした過去のネタの使い回しが目立つことは否定できないだろう、と思います。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2010/10/07 00:01
2009年「回顧と展望」日本・中世
「「氏寺」から見た王家・摂関家の成立」『ヒストリア』213 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2010/09/08 00:00
藤本正行『長篠の戦い 信長の勝因・勝頼の敗因』
 歴史新書の一冊として、洋泉社から2010年4月に刊行されました。藤本氏のかねてからの主張の再論といった感じで、それほど新鮮さはありませんでしたが、藤本氏の見解への批判にたいする再反論や火縄銃についての基礎知識も述べられていて、得るところが少なからずありました。本書では、長篠の戦いは戦術革命ではなく、それまでの戦術の流れを集成したものであり、後世にも引き継がれているから、その時代を象徴する戦いだった、と主張されていますが、妥当な見解だと思います。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2010/08/03 00:00
佐伯真一『建礼門院という悲劇』
 角川選書の一冊として、角川学芸出版より2009年6月に刊行されました。2012年の大河ドラマの主人公が平清盛と決まった、と報道された http://sicambre.at.webry.info/201007/article_24.html ので読んでみたというわけではなく、上記報道以前に書店でたまたま目についたので、購入して読んでみた、という次第です。建礼門院について述べた確実な史料はほとんどないので、その実像を追及するのは困難であり、本書の目的は、多くの異本からなる『平家物語』の記述に基... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2010/07/31 00:00
清水克行『日本神判史』
 中公新書の一冊として、中央公論新社から2010年5月に刊行されました。清水氏の以前の著書『喧嘩両成敗の誕生』がたいへん面白かったということもありますが、盟神探湯・湯起請・鉄火起請といった過酷な裁判を行なった当時の人々の心性に以前より関心があったので、読んでみることにしました。本書が取り扱っている時代はおもに中世後期〜近世初期で、古代の盟神探湯にはあまり触れられていません。古代の盟神探湯と中世の湯起請との間には断絶があるとの見解が歴史学では優勢だそうで、漠然と両者の類似性・継続性を考えていた自分... ...続きを見る

かわいい ブログ気持玉 1 / トラックバック 2 / コメント 0

2010/06/15 00:00
伊藤正敏『無縁所の中世』
 ちくま新書の一冊として、筑摩書房から2010年5月に刊行されました。伊藤氏の著書は以前にも読んだことがあったので、本書で提示された見解にも、それほど意外な感はありませんでした。表題からも分かるように、網野善彦氏の『無縁・公界・楽』を強く意識した内容となっていますが、著者の見解は網野氏の無縁論に批判的です。とはいえ、もちろん網野氏の見解の全否定ではなく、網野氏寄りに解釈すれば、網野氏の無縁論を批判的に継承した、と言えるでしょう。もっとも、表題から網野氏にこだわるのは妥当ではなく、本文中でも述べら... ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2

2010/05/22 00:00
中田正光『村人の城・戦国大名の城』
 歴史新書の一冊として、洋泉社から2010年4月に刊行されました。戦国時代の城、そのなかでも北条氏、とくに北条氏照の関わった城を中心に、城から見た戦国時代の在り様が提示されています。戦国時代の戦いの様相が、百姓の動向も大きく取り上げられて叙述されており、英雄豪傑の活躍する戦国絵巻ではなく、派手なところはありませんが、戦国時代の日本列島の社会が、板東を中心として具体的に記述されています。北条氏が流通の掌握を重視していたらしいことなど、本書で提示される歴史像には興味深いものが少なくありません。 ... ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

2010/05/15 00:05
神田千里『宗教で読む戦国時代』
 講談社選書メチエの一冊として、2010年2月に刊行されました。戦国時代に日本列島においてなぜキリスト教が勢力を拡大し、その後に弾圧されるにいたったのか、という日本史上の大問題にたいする意欲的な解答になっています。私が10代の頃に学校や歴史関係の本で学んだのは、キリスト教はその信者に身分秩序・権力者よりも神(信仰)を優先させるようになり、封建制度を否定しかねない危険な思想だったから、というような説明でした。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 5 / コメント 2

2010/03/30 01:05
堀新『日本中世の歴史7 天下統一から鎖国へ』
 吉川弘文館より2009年12月に刊行されました。織田信長の台頭から「鎖国の完成」という、現代日本では一般にも大きな関心をもたれている時代が扱われており、おそらく、この『日本中世の歴史』全7巻のなかで、もっとも売れるだろうと思います。本書の特徴は、武家と朝廷との関係を相互補完的な公武結合王権とする認識に基づいて、この時代の政治史を叙述している点です。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2010/02/14 06:29
信長学プロジェクト
 信長学プロジェクトというサイトが存在することを知りました。 http://nobunagagaku.com/ ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 1 / コメント 0

2010/02/07 00:00
橋昌明『平家の群像 物語から史実へ』(岩波書店)
 岩波新書の一冊として、2009年10月に刊行されました。武士見直し論の第一人者である橋氏の最新作ということで、さっそく読みました。清盛の孫である維盛(重盛の長男)と清盛の五男である重衡を中心に、平家一門の実像が追及されているとともに、平家が一枚岩ではなく、一門の構成員がそれぞれ時には相反するような独自の動きを見せていたことが示されています。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

2009/11/06 00:01
川合康『日本中世の歴史3 源平の内乱と公武政権』
 吉川弘文館より2009年月に刊行されました。川合氏の執筆ということで、民衆の動向についてもっと述べられているのかと思いましたが、『日本中世の歴史』の編集方針に沿って、政治史中心の叙述となっています。平安時代末〜鎌倉時代初期は、とくに古代史と比較すると、新聞の紙面を華やかに飾るような「大発見」に乏しく、歴史像が変わることはあまりないだろう、と一般的には思われているかもしれませんが、政治史にかぎっても、20世紀後半以降かなりの見直しが進んでおり、じつに興味深い時代だと思います。もちろん本書も、近年... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2009/11/01 00:00
野口実『伝説の将軍藤原秀郷』第2刷
 吉川弘文館より2007年に刊行されました。第1刷の刊行は2001年です。著者は武士見直し論者の一人で、武士の在り様、とくに起源をめぐる論争において、藤原秀郷はじゅうような位置を占めています。私も十数年前より武士見直し論に興味をもっており、それは本書を読んだ動機の一つになっているのですが、直接の動機は、最近見始めた『風と雲と虹と』の時代背景、さらには登場人物の一人である藤原秀郷をより詳しく知りたい、と思ったからです。そもそも、『風と雲と虹と』を見ようと思った根本的な動機は、露口茂氏が藤原秀郷(田... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2009/10/22 00:00
2008年「回顧と展望」日本・中世
遠藤基郎『中世王権と王朝儀礼』(東大出版会) ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2009/10/15 00:00
上杉和彦『戦争の日本史6 源平の争乱』
 吉川弘文館より2007年2月に刊行されました。『平家物語』などの軍記物の影響を受けた後世の価値観からの構成ではなく、同時代の史料を基礎とした、手堅い歴史叙述になっていると思います。もちろん、これは研究者にとって当然のことではあるのでしょうが、研究者といえども、『平家物語』などの軍記物の価値観から自由であることは、それほど容易なことではないでしょう。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2009/10/11 00:00
山田邦明『日本中世の歴史5 室町の平和』
 吉川弘文館より2009年9月に刊行されました。政治史・事件史偏重の叙述になっており、近年の一般向け概説書としては異例と言えるでしょう。この『日本中世の歴史』には、「近年の〈通史〉とは異なり、歴史の基本となる政治の動向を中心に、最新の成果を取り入れ、わかりやすく解説した本格的通史」との編纂意図があるのですが、 http://sicambre.at.webry.info/200904/article_22.html それにしても偏りすぎではないか、との印象は拭えません。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2009/09/27 00:00
小林一岳『日本中世の歴史4 元寇と南北朝の動乱』
 吉川弘文館より2009年8月に刊行されました。鎌倉後期〜南北朝の動乱を、社会全体の状況とからめて叙述し、この時期の政治情勢の変動が、社会の変化に対応するものであることが説明されています。もちろん、どの時代の政治情勢もそうなのでしょうが、それを社会の変動と関連させて因果関係を説明することは、それほど容易なことではないと思います。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2009/09/21 06:42
池享『日本中世の歴史6 戦国大名と一揆』
 吉川弘文館より2009年7月に刊行されました。この『日本中世の歴史』は、巻数順に刊行予定だったはずですが、川合康『日本中世の歴史3 源平の内乱と公武政権』よりも先に6巻が刊行されたのには、どのような理由があったのでしょうか。地域で区分されることの多い世界史の通史ものならば、巻数順の刊行でなくてもよいでしょうが、日本史の通史ものでは、年代順に刊行するのが望ましいと思うのですが。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2009/09/15 06:42
福島正樹『日本中世の歴史2 院政と武士の誕生』
 吉川弘文館より2009年6月に刊行されました。政治史を中心に中世初期の様相が概観され、院政を中世的な政治体制とする現在の通説にしたがった叙述となっています。荘園についての説明が少ないのが残念ではありますが、意図的に政治史中心の叙述にしたということなので、仕方のないところでしょう。全体的に、近年の研究成果を取り入れてよくまとまった概説書になっていると思います。院政を古代国家最後の政治形態とする歴史認識が戦後日本では浸透していましたが、現在では否定されています。しかし、現在でも一般的にはそのような... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 30 / トラックバック 0 / コメント 0

2009/07/02 00:10
木村茂光『日本中世の歴史1 中世社会の成り立ち』(吉川弘文館、2009年)
 『日本中世の歴史』の刊行が始まりました。この第1巻は『日本中世の歴史』の総論といった感じで、中世社会が概観されています。武士・百姓・信仰と寺社勢力・イエ・都市・一揆など、中世社会の各特徴が成立過程から論じられていますが、総論という性格上、やや物足りなさの残るところもあります。しかし、それは第2巻以降で補っていけばよいのでしょう。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2009/05/28 08:05
鈴木眞哉『戦国史の怪しい人たち』
 平凡社新書の一冊として平凡社より2008年に刊行されました。本書での「怪しい」とは、出自・経歴・事績などについての疑念や、「怪物」という意味合いです。そうした怪しい人々に関する通説・俗説を史料に基づいて検証していこう、というのが本書の主題ですが、新書という形式と、雑多な話題を扱っているということもあり、個々の検証はそれほど深く掘り下げられているわけではなく、いわば広く浅くといった感じで、戦国雑学本としての性格が強くなっているように思われます。だからといって、本書に価値がないわけではなく、気軽に... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2009/05/20 06:32
美川圭『院政』
 中公新書の一冊として、中央公論社より2006年に刊行されました。近年の研究成果も取り入れたうえで、院政についてあくまでも具体的事例でもって概観しており、院政についての一般向け概説書として、かなりよい出来なのではないか、と思います。本書では、私にとって興味深いさまざまな指摘がなされていますが、とくに面白いと思ったのは、鳥羽と崇徳との関係です。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

2009/05/13 19:12
後藤みち子『戦国を生きた公家の妻たち』(2009年)
 歴史文化ライブラリーの1冊として、吉川弘文館より刊行されました。夫婦同姓・別姓の問題を歴史的に考えていく場合に、参考になりそうだと思い読んだのですが、その期待通りにさまざまな知見が得られたので、読んで正解だったと思います。前近代の日本社会は夫婦別姓であり、現代の日本社会における夫婦同姓(夫婦同氏)は西欧の物真似で、たかだか100年ていどの歴史しかない、との夫婦別姓容認論側によく見られる歴史認識の誤謬の根本的な要因は、氏(姓)と苗字(名字)との混同です。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2009/04/24 00:00
『日本中世の歴史』全7巻
 来月より、吉川弘文館から『日本中世の歴史』全7巻の刊行が始まります。 http://www.yoshikawa-k.co.jp/tyusei1.htm ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

2009/04/22 00:00
木曽が信濃国になったのは約500年前
 日本近世史が専門で信大人文学部の山本英二准教授によると、木曽が信濃国になったのは1491〜1515年の間だと判明した、と報道されました。木曽の地名が初めて出てくる『続日本紀』には「美濃国の岐蘇山道を開く」とあり、木曽は美濃ということになっています。中世においては、木曽の北部が信濃国で南部は美濃国とされていました。17世紀半ばの信濃国の郷帳では、木曽の村がまとめて記載されていますが、この間の帰属の移行状況はよく分かっていませんでした。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2008/12/13 06:48
中世の大震災
 三浦半島で、13世紀末の大地震によるとみられる津波の痕跡が発見された、と報道されました。この地震は、江戸中期の元禄地震のひとつ前の関東大震災級の地震とみられ、文献記録にも残る1293年の地震と考えられますが、これまで200〜300年とされてきた大震災級地震の発生周期とは隔たりが大きいので、防災対策などにも影響しそうだ、とのことです。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2008/11/19 00:00
小秋元段「『太平記』の名義」
 乱世を描いていながらなぜ『太平記』なのかという疑問にたいしては、 ●太平の時代から戦乱を追憶して書いたとする祝言説。 ●戦乱の記録であることを忌んで称したとする反語・忌詞説。 ●太平の崩壊の所由を明らかにする作品の主題と関わる、または太平を渇望する民衆の声を反映するという説。 などがあります。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2008/10/06 06:54
武士と商業
 武士が商業に目をつけると先進的と評価する風潮が戦後の日本にはあり、信長の商業政策をもって、戦国時代にあっては信長のみが経済を理解していた、というような暴論も一部にはありますが、論外というべきでしょう。こうした風潮は、司馬遼太郎氏の影響もあるのでしょうが、根本的な要因は、武士の源流は草深い農村にある、という史観の根強さなのでしょう。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2008/10/01 06:33
五味文彦『源義経』
 岩波新書の一冊として、2004年10月に岩波書店から刊行されました。碩学により手堅くまとめられた義経の伝記といった感じですが、義経が後世になってさまざまな伝説に彩られたことも考慮に入れて、義経伝説についても新書としてはやや詳しく触れられていて、弁慶伝説との比較などもあり、なかなか興味深い記述となっています。派手なところはありませんが、義経の伝記としてはなかなか優れていると思います。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2008/09/18 07:03
山田邦明『日本の歴史第8巻 戦国の活力』(2008年7月刊行)
 小学館『日本の歴史』8冊目の刊行となります。応仁の乱後から大坂の陣までを扱った一般向け概説書としては、なかなか無難な出来になっていると思います。しかし、他の一般向け通史では2巻分割り当てられることが多い年代であり、戦国時代はとくに人気が高いだけに、物足りなさを感じる人も少なくないだろうと思います。私がやや不満に思ったのは、流通に関する記述が手薄なことです。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2008/08/23 04:40
安田次郎『日本の歴史第7巻 走る悪党、蜂起する土民』(2008年6月刊行)
 小学館『日本の歴史』7冊目の刊行となります。さまざまな分野の話題が手際よくまとめられており、南北朝時代〜15世紀末までをこの分量でまとめた通史としては、無難な出来になっていると思います。本書では、この時代の様相を、生産力の発展とそれによって生み出された富の争奪を軸とした、階級間闘争として描く傾向にあった以前の歴史観にたいして、むしろ飢饉や疫病などのさまざまな危機への対応を中心として動いていた、とする見解が作用されています。この見解は魅力的ですが、通説となるには、自然科学も含めての諸分野との学際... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2008/07/11 06:06
本郷恵子『日本の歴史第6巻 京・鎌倉 ふたつの王権』(2008年5月刊行)
 まだ日付は変わっていないのですが、6月11日分の記事を掲載しておきます。小学館『日本の歴史』6冊目の刊行となります。近年の研究成果を参照しつつ、中世前期の諸様相が手堅くまとめられているといった感じで、通史としてはなかなかの出来になっているのではないでしょうか。その分、一般受けする面白さに欠けたところがあるようにも思えますが、四つほど挿入されているコラムが、多少なりとも補っているように思われます。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2008/06/11 00:00
法螺を吹く
 現在では、「大言を吐く、虚言を言う」といった意味合いで用いられることがもっぱらですが、かつては違った意味で用いられていたようです。以下の青字の箇所は引用文で、引用文中の「この時代」とは戦国時代のことです。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 4

2008/05/15 00:00
五味文彦『日本の歴史第5巻 躍動する中世』(2008年4月刊行)
 小学館『日本の歴史』5冊目の刊行となります。「新視点・中世史、人びとのエネルギーが殻を破る」とのことで、1970年代の小学館版『日本の歴史』の「日本史の社会集団」や、2000年代の講談社版『日本の歴史』の「**史の論点」の巻と似た役割を担うことになるのでしょう。 ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

2008/05/01 00:00
久米邦武「鎌倉時代の武士道」
 今年1月15日分の記事で、橋昌明『平清盛 福原の夢』を取り上げましたが、その橋氏の代表的著作である『武士の成立 武士像の創出』(東京大学出版会1999年)では、冒頭で原勝郎『日本中世史』と久米邦武「鎌倉時代の武士道」の武士論が対照的なものとして取り上げられ、本論への導入部となっています。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

2008/04/11 00:00
鴨川達夫『武田信玄と勝頼−文書にみる戦国大名の実像』
 岩波新書の一冊として、岩波書店より2007年3月に刊行されました。信玄と勝頼の文書を分析し、信玄の人となりや信玄と勝頼の行動の意図が推測されていますが、古文書とはどのようなものなのか、いかに読み解くのかということに半分以上が割かれていて、古文書入門書的な性格も有していると思います。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 2

2008/03/08 00:01
小島毅『足利義満 消された日本国王』
 光文社新書の一冊として、光文社より2008年2月に刊行されました。本書は一応啓蒙書に分類されるのでしょうが、『靖国史観−幕末維新という深淵』 http://sicambre.at.webry.info/200803/article_29.html でもそうだったように、著者の人柄が反映されているのか、くだけた・軽い・ふざけた文章が頻出するのは、内容自体はなかなか面白いだけに、残念でなりません。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

2008/03/07 00:03
織田信長による国民国家的軍隊の創出(勝谷誠彦氏の見解について)
 以前から知ってはいたのですが、ネットで確認をとる手段がなかなか見つからなかったので、取り上げることを見合わせていたブログの記事があります。この一件は、『勝谷誠彦様の華麗なる脳みそ』というブログの管理人の東田氏が、『ムーブ!』というテレビ番組における、わりと有名であろうコラムニストの勝谷誠彦氏の発言内容に疑問をもたれて、勝谷氏宛にメールを送られたことが発端となりました。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 8 / トラックバック 0 / コメント 2

2008/03/06 00:04
坂田聡『苗字と名前の歴史』(吉川弘文館、2006年)
 今年2月5日分の記事(以下、前回の記事と省略)にて、夫婦別姓問題と日本における氏名の変遷について述べましたが、前の記事は坂田聡「百姓の家と村」にかなり依拠したものでした。この記事を掲載後、歴史文化ライブラリーの一冊として、坂田聡『苗字と名前の歴史』が刊行されているのを知りました。正直なところ、前回の記事については、とてつもない誤解をしているのではないか、と危惧していたのですが、本書を読んだかぎりでは、致命的な誤解はなかったようです。ただ、補足訂正の必要はあると思うので、そうした点を中心に、本書... ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

2008/02/14 00:00
「構造改革」についての議論と織田信長
 「信長の改革と構造改革はうり二つ」と題した森永卓郎氏のコラムがあります(引用箇所は青字)。「構造改革」にたいする森永氏の立場は、たとえば堺屋太一氏とは対極にあると言えるでしょうが、その歴史認識は、今年1月11日分の記事にて取り上げた堺屋氏のそれとほぼ同じものだと言えるでしょう。 ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 1 / トラックバック 1 / コメント 1

2008/02/13 00:00
橋昌明『平清盛 福原の夢』(講談社)
 講談社選書メチエの一冊として、2007年11月に刊行されました。武士見直し論の第一人者である橋氏の近著ということで、近年ほとんど勉強の進んでいない中世史の最新の成果の一端に触れるよい機会ではないかと思い、読んでみました。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2008/01/15 00:00
織田信長と小泉元首相
 小泉内閣のメールマガジン(2001年10月4日付)に、「織田信長の猛烈な行革と規制緩和」と題する堺屋太一内閣特別顧問(当時)の特別寄稿が掲載されています(青字が引用箇所)。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2008/01/11 00:00
勝俣鎭夫「バック トゥ ザ フューチュアー」
 『日本歴史』第704号(2007年1月号)の特集は「日本史のことば」で、さまざまな史料上のことばや学術用語などが取り上げられ、考察されています。その中で興味深いものについては、今後このブログで紹介していくことにしますが、まずは冒頭の勝俣鎭夫「バック トゥ ザ フューチュアー」について述べることにします。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2007/12/14 00:00
工藤健策『信長は本当に天才だったのか』
 草思社より2007年8月に刊行されました。ネット上の書評ではあまり評判がよくなかったので、読むべきか迷ったのですが、私は自称信長見直し論者(近年はほとんど勉強が進んでいませんが・・・)なので、やはりこの題名を見るとどうしても気になってしまい、読んでしまいました。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 6

2007/11/08 00:00
本郷和人『武士から王へ−お上の物語』
 ちくま新書の一冊として、筑摩書房より2007年10月に刊行されました。私は関東人ですが、著者の歴史観は関東・武士偏重に思えて、正直なところ好きではありません。しかし、読みやすく教えられるところが多いので、著者の一般向け書籍は購入するようにしています。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

2007/11/06 00:00
400年前の韓流?(東京新聞社説より)
 4月15日の東京新聞の社説「週のはじめに考える 四百年前の『韓流』」には考えさせられるものがありました。この社説は、明石書店より2000年に刊行された、日本語訳『国定韓国高等学校歴史教科書』などに見られる、韓国の一般的な歴史認識とも通ずるところが多分にあります。次に、同書から朝鮮通信使に関する記述を引用します(青字の箇所)。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2007/04/17 07:56
奴隷概念について(日本中世史を中心に)
 当ホームページ http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/index.htm からリンクさせていただいている子欲居さんのホームページ http://www.eonet.ne.jp/~shiyokkyo/ のブログ記事 http://86959807.at.webry.info/200701/article_6.html を読んで、奴隷についてちょっと雑感を述べようと思ったのですが、ブログを開始してから半年以上経過するのに、一度もトラックバックを送ったこ... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2007/01/12 22:41
元木泰雄『保元・平治の乱を読みなおす』
 NHKブックスの一冊として、日本放送出版協会より、2004年に刊行されました。武士見直し論の代表的な研究者の一人でもある元木氏の著書で、今でも一般では根強いだろうと思われる、保元・平治の乱を源平の覇権争いとし、信頼を無能とする見解が批判されています。保元・平治の乱を、後世の結果から読み解くのではなく、当時の状況にそくして解釈しようとした、意欲的な好著だと思います。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2006/11/21 19:03
織田信長と中国文化
 趣味は歴史といっておきながら、ブログでは『イリヤッド』以外の歴史の話題をほとんど述べていないので、たまには述べてみようかと思います。  一般にはあまり言われないことですが、信長には中華思想・中国文化への憧憬があり、岐阜改名や、安土城天守閣書院に描かれた、遠寺晩鐘(中国の有名な瀟湘八景の一つ)・殷代の聖人である傅説・漢代に出現したとされる伝説の仙女である西王母の絵などがそうです。また、信長の天下思想の背景に儒学の影響を強く認める見解もあります(藤田達生『本能寺の変の群像』)。  信長について... ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

2006/10/10 19:49
合理的信仰の発達
 たまには歴史の話を、ということで、信仰における合理主義の発達についてちょっと述べてみようと思います。  ここでまず問題となるのが、合理的とはどういうことなのかということですが、現代人の多数からみて、筋道だって説明可能になっていること、という意味合いと定義しておきます。  合理的信仰の発達とはいっても、世界各地で様相が異なるでしょうが、今回は日本について述べていくことにします。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2006/08/04 20:50

トップへ | みんなの「日本史中世」ブログ

雑記帳 日本史中世のテーマ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる