『千一夜物語』「真鍮の都」

 『イリヤッド』117話にて、
http://sicambre.at.webry.info/200703/article_22.html
『千一夜物語』「真鍮の都」がアトランティスの場所を特定する手がかりとされ、『イソップ物語』「柱の王国」とは異なり、創作史料ではないので、気になって読んでみました。もっとも、この話の古形とされるエジプト版は創作だと思われますが。『イリヤッド』で取り上げられていなければ、今後もぜったい読まなかっただろう話ですが(笑)、日本語訳も普及しているということで、読むことにしました。
 『千一夜物語』の日本語訳は複数あり、大場正史訳『バートン版 千夜一夜物語 4』(河出書房新社、1967年)、岩波文庫版『完訳千一夜物語 6』(岩波書店、1988年)、東洋文庫版『アラビアン・ナイト 12』(平凡社、1981年)を読みました。河出書房のバートン版では、題名は「真鍮の都」となっています。岩波文庫版の翻訳者は複数ですが、該当する「青銅の町の綺談」は渡辺一夫氏の翻訳です。東洋文庫版はイスラーム史の研究者として著名な前嶋信次氏の翻訳で、題名は「黄銅城の物語」となっています。
 東洋文庫版には前嶋氏の解説が掲載されていますので、これを参照しつつ「真鍮の都」について述べていきますが、『千一夜物語』には複数の版があり、どの版を採用するのかによって内容が異なってきますし、複数の版を採用して翻訳者が再構成している場合もあります。東洋文庫版は版ごとの異同についても触れられていて、複数の版を採用して再構成されていますので、岩波文庫版やバートン版よりも分量が増えています。

 まずはもっとも分量の少ない岩波文庫版の粗筋を紹介しますが、その前に主要登場人物を紹介しておきます。
●アブゥドルマリク=ベン=マルワーン・・・ウマイヤ朝の第五代カリフで、カリフ在位は685~705年。
●ターリブ=ブヌ=サハル・・・財宝探索者で、財宝の所在を記した書物を多数所有していたが、実在の人物か否か不明。
●アブドル=アジーズ=ブヌ=マルワーン・・・アブゥドルマリクの弟でエジプト太守。ウマイヤ朝第八代カリフであるウマルの父。
●ムーサ=ブヌ=ヌサイル・・・バスラの徴税官時代にアブゥドルマリクより公金横領の疑いをうけ、エジプトに逃亡してマルワーンの庇護を受けていた。この容疑は罰金を払うことで晴れたが、その半額はマルワーンが出したとされる。マルワーンによりチュニジア一帯の総督に任命され、北アフリカ、さらにはイベリア半島の征服を成し遂げたが、ウマイヤ朝第七代カリフであるスライマーンによって追放され、乞食となって余生を送ったとも、獄死したとも言われる。
●アブドサマード・・・あらゆる国々を旅した博識の長老。実在の人物か否か不明。

 ダマスカスにいるカリフであるアブドゥルマリクは、古代イスラエルの王であったソロモン・鬼神(アフアリート)・魔神(ジン)などについて語り合うことを好んでいました。ある日、悪魔のような形をした奇態な黒い煙が古い銅壺の中に収められているという話を聞いたアブドゥルマリクは、その信憑性を疑います。しかし、その場に居合わせた有名な旅行者のターリブ=ベン=サハルがその話は真実だと断言し、ソロモン王の命に逆らった鬼神どもが恐ろしい封印をされてから壺に閉じ込められ、マグリブの端、吠え猛る海原の底に投げ込まれたが、鬼神どもは自由な大空の中に出ると、最初の凄まじい形に還るのだ、とアブドゥルマリクに説明します。
 この話にたいへん興味をもったアブドゥルマリクは、できるならば自分で壺を調べに行きたい、と言いますが、壺が沈められている海を足許に控えた山は、足を濡らさずに通れる細長い陸地によってマグリブとつながっているので、マグリブの太守ムーサに命じて探させればよい、とターリブは言います。これを聞いてただちに、アブドゥルマリクはターリブに旅費を与え、ムーサ宛ての親書をターリブに届けさせました。ムーサはカリフの命に従うと宣言し、長老アブドサマードを呼び寄せました。アブドサマードはかつてあらゆる地域を訪れたことがあり、そうして得た知識を丹念に記録している長老でした。ムーサに壺のことを聞かれたアブドサマードは、しばらく熟考した後、以下のように答えました。

 その壺があるとされる海も、その背後にある山も記憶にないわけではありませんが、行くことはかないませんでした。そこへの道中は水に乏しく、無事にたどり着いて帰還できたとしても、行きに二年数ヶ月、帰りにそれ以上の年月を要します。その地域には住民がいて、噂によると、山の頂上に建てられた町に住んでいるとのことですが、その町に入った者は未だにいません。その町の名は「青銅の町」と申します。
 また、道中にはたいへんな危険が待ち構えていまして、砂漠を一つ横断せねばならないのですが、そこには数々の鬼神や魔神がいて、地元を守護する神霊となっています。そこは人間にとって禁断の地域なのです。人間でその地方を通過したのは、ソロモン王とアレクサンドロス大王だけです。ですから、カリフの命を遂行なさるのなら、水・食料などの準備を万全にし、魔神どもを刺激しないために、護衛兵の数は少なくしたうえで、ご遺言を残しておくことをお勧めします。

 アブドサマードの提言を聞いたムーサはその通りにし、カリフのアブドゥルマリクの命を遂行すべく、長老アブドサマード・カリフの使者ターリブとともに旅に出ました。平坦で茫漠とした地域をずっと進んでいた一行の目に、ある日、中国の鋼鉄で作られた高い城壁をめぐらし、円周が四千歩もある四列の黄金の柱で支えられている建物が入ってきました。その建物の中央の円天井は鉛でできていましたが、いるのは烏のみで、人間の姿は見当たりません。
 正門の扉が開かれた大きな壁の上にある、赤い金属で作られた板金には、「かつて支配者たりし者どもの物語を知らんがためには、ここに入れ!」という内容のイオニア文字が刻まれていました。宮殿に入った一行は、水晶の石棺の周囲にイオニア文字の記銘があるのに気づきました。そこには、かつて栄華を誇りながら、死を避けられなかったクーシュ=ベン=シャッダード=ベン=アード王(古代南アラビアに君臨したという伝説上の王)の事績が記されていました。

 宮殿を出た一行は「青銅の町」を目指してさらに旅を続け、高い台座の上に立ちつくし、長槍をふりかざしている騎馬武者の存在に気づきます。近づいてみると、その騎馬武者は青銅の像でしたが、槍の穂先に「禁断の地にまでたどり着くをえし恐れを知らぬ旅人よ、今ぞ、来たりし道を戻ることはかなわざらん!町への道が不案内ならば、汝らが腕の力を振るいて、台座の上に、我を動かし、我が止まりて、面を向けたる方をめざして進み行け」とありました。
 そこでムーサが騎馬武者の像を片手で押すと、像は回転し、これまで一行がたどってきた道とは正反対の方角へと面を向け、一行は間違いを悟って像の指し示す方向へと旅を続けました。するとしばらくして、奇態な生物が鎖でつながれている、一本の黒い柱の前にたどり着きましたが、その生物の半分は地中に埋まっていました。

 アブドサマードが、怪物に何者かと尋ねかけると、怪物は次のように答えました。自分は魔王の後裔の鬼神の一人で、名をダエーシュ=ベン=アッラーエマーシュといいます。その昔、海原の王によって統治されたこの地方に、青銅の町の守護女神として、朱瑪瑙の偶像があり、自分はその番人であり住人でもありました。あらゆる国々から、自分の神託・予言を聞きに人々が押し寄せたものです。自分のお仕えした海原の王は、ソロモン王に逆らった魔神の全軍団を動かして降り、海原の王とソロモン王との間に戦端が開かれたときは、自分がその軍団長に就任することになっていました。
 海原の王には美しい娘が一人いて、ソロモン王はこの娘を后の一人にしようとして、使者を海原の王へ送り、瑪瑙の像を破壊し、アッラー以外に神はなく、ソロモン王こそアッラーの預言者にほかならないことを認めるように求め、要求に従わない場合は、報復を蒙るぞ、と脅迫しました。海原の王は大臣や魔神の長どもを招集し、対策を協議したところ、大臣たちは勝てると進言し、大臣たちに意見を訊かれた自分は、ソロモン王の使者を棍棒で殴って返答とすべきです、と答えました。
 この処置に激怒したソロモン王は、魔神・人間・鳥・獣など、あらゆる兵力を動員し、人間の兵士の指揮はアサフ=ベン=バルキヤに、魔神や動物たちの指揮は鬼神の王ドムリヤートに委ね、海原の王の国へと侵攻しました。戦いはソロモン王有利に展開し、自分は退却を命じましたが、三ヶ月の逃走の後ついに捕らえられ、世の果てが来るまでこの黒い柱につながれるという刑を受けました。自分の配下の魔神たちは、捕虜となって煙に姿を変えられ、銅の壺に閉じ込められて、ソロモン王の玉璽をもって封印され、青銅の町の城壁に打ち寄せる海原の底深く投げ込まれました。海原の王の国の人間のことは知りませんが、青銅の町へ行けば分かることでしょう。

 鬼神ダエーシュから話を聞いた一行は、青銅の町を目指して旅を続け、ついにはるか遠くにその町の塔・城壁を見出し、さらに前進して町まで後少しというところまで来ましたが、夜になり、なぜか周囲のものがなにか敵意をもった雰囲気となったので、城門に近づくのは朝まで待つことにしました。夜が明けて青銅の城壁に近づくと、城壁はまるで鋳型から取り出されたばかりのように真新しく見え、その高さもたいへんなものでした。しかしいくら探しても、門も出入りする人間も見当たらず、ムーサは町と周囲の状況を確かめるため、アブドサマードとターリブを従え、高い山に登りました。
 月明かりのなか、青銅の町がついに三人の視界に入ってきました。宮殿の円屋根・家々の露台・静かな庭園・青銅の大きな彫像・大理石の騎馬武者・建物の間を流れる運河・町の果ての金属のような海原などを確認した三人ですが、人間の気配はまったくせず、動くものはといえば飛びまわっている吸血鳥のみで、そのほかに梟の叫びが聴こえるのみでした。下山した三人は、青銅の城壁にイオニア文字の四つの記銘が刻まれているのを見つけましたが、そこには栄華の儚さ・生死の宿命を嘆いた箴言が書かれており、ムーサは書き写すとともに、深い感銘をうけて涙を流しました。

 青銅の城壁に入口のないことを悟ったムーサは、高い梯子を作らせて城壁にかけ、登っていきました。ムーサを先頭にした一行は、しばらく城壁の上を歩いた後、青銅の一つの戸口を挟んだ二つの塔の前へ着きました。この戸口の二つの扉はぴったり閉じ合わされていましたが、戸口の上にある黄色の騎士像の掌に刻まれていたイオニア文字を解読し、それにしたがって騎士像の臍にある釘を12回こすると扉が開き、赤い花崗岩の階段が眼前に姿を現しました。
 その階段を降りていくと、部屋の中央に出ましたが、その部屋の前には街路があり、弓や剣で武装した警護の者がたむろしていました。ところが、ムーサが警護の者に話しかけようとしても、返事どころか動きすらまったくありません。そこでムーサは、アブドサマードに命じて、アラビア語のみならず、インド・ヘブライ・ペルシア・エチオピア・スーダン語で話しかけさせ、アブドサマードが知っているかぎりの国々の流儀で挨拶させましたが、警護の者たちにやはり動きはありません。

 一行は仕方なく先に進み、市場の入口までやって来て、戸が開かれているので中に入りましたが、市場で売買していた人々はみな、一行の姿を見るとまったく動かなくなってしまいました。市場を通り抜けると、大きな広場へ出ましたが、その奥には驚くほどの高さの青銅の柱がいくつも立っており、柱の間には、両側に青銅の塔が立っている大理石の宮殿がそびえていて、武装したまま動かない人々に護られていました。
 黄金の門から宮殿に入った一行はまず、地上のあらゆる国々からもたらされた宝石をはめこんだ武器の置き場になっている廻廊を目にしました。廻廊の周囲の長椅子には戦士たちがいましたが、やはり動くことはまったくありませんでした。廻廊の上は立派な軒蛇腹で飾られていて、そこには瑠璃色地に黄金の文字でイオニア語の記銘が刻まれていて、栄華の儚さ・神への信仰を説いた崇高な箴言がいくつも収められていました。

 一行は廻廊の中央の大きな戸口を越え、とある部屋に入り、そこから第二の戸口を越え、次の部屋に入りましたが、そこには古い金貨・銀貨や宝石類がうず高く積み上げられていました。第三の部屋には、貴重な金属製の武具や古い時代の武具が多数保管されていましたが、すべてたいへんよく保存されていました。第四の部屋には、貴重な木で作られた家具や、豪華な衣装が保管されていました。第五の部屋には、金・銀・水晶などで作られた壺などの道具類が保管されていました。
 こうした豪華な品々に感嘆した一行は、引き返そうとしましたが、部屋の壁の一つを覆っている金糸織りの絹の大きな垂布を掲げてみようとすると、その後ろに大きな扉が現れ、アブドサマードが苦闘しつつ扉を開けると、円天井のある大理石の部屋に入りました。その中央には聖堂があり、象牙の階段を上っていくと、豪華な寝台の上に、さまざまな宝石を身に着けた一人のたいへん美しい乙女が憩っていました。寝台の左右には白人と黒人の奴隷がそれぞれ立っていました。

 寝台の足もとの大理石の卓子には、「我はアマレク族の王の娘、処女タドモールなり。この町は、我が町なり!旅人よ、ここまで忍び入るを得しなれば、望むがままの品をすべて、持ち去ることを得。されど、我が魅力と欲情に惹かれて、我が身の上に瀆聖の手を伸ぶることは、あえてなすべからず!」との言葉が刻まれていました。眠り込んだ乙女を見て感動したムーサは、こうした驚くべきものの数々を見た今となっては、この場を去って銅の壺を探しに海の方へ行きたいが、各自心の赴くままに宝石類をとってもよい、ただし、この乙女には手を出すな、と命じました。
 ところがターリブは、乙女をカリフのアブドゥルマリクに献上しようと主張し、乙女を抱えて起そうとしたところ、二人の奴隷の剣と長槍に貫かれて死んでしまいました。これを見たムーサは、この宮殿にこれいじょう止まってはならないと判断し、宮殿を出て海岸へと向かいました。海岸では多数の人間が魚網を干していましたが、一行と会うと、ムスリムの礼式にしたがってアラビア語で挨拶を返してくれました。

 ムーサが、カリフの命によりソロモン王が鬼神を封じ込めた壺を探しに来たので、力を貸してくれまいか、また、青銅の町の不思議を解き明かしてくれまいか、と頭領と思われる老人に頼むと、老人は、次のように答えました。青銅の町の人々はすべて、古代から魔力に捕らえられて、審判の日にいたるでしょう。鬼神の入っている壺はいくつも保存しているので、差し上げるのはたやすいのですが、栓を抜く前に、両手で叩いて響きわたらせ、中の鬼神どもがムハンマドのご使命の真実なることを認め、高貴無常なるソロモン王に反逆を企てた過去の罪科を償えるよう、誓いを立てさせることが肝心です。
 また老人は、カリフへの忠誠の証として、海原の美しい娘二人を献上しますと言って、12個の壺とともに、二人の海原の娘を一行に渡しました。しかし二人の娘は、臍から上は人間でしたが、臍から下は魚の体をしていました。その声はひじょうに美しく、微笑は愛らしかったのですが、娘二人は一行の知っているいかなる言葉も知らず、一行の問にたいしては、その眼の微笑をもって答えるのみでした。

 ムーサは老人にたいして感謝し、この老人と漁師たちにたいし、この国を離れてダマスカスに来ないかと誘い、老人と漁師たちはこの提案を承諾しました。漁師たちを加えた一行は、青銅の町へ戻って宝石類など貴重な品々を持ち出した後、無事ダマスカスへ帰還しました。カリフのアブドゥルマリクはムーサの報告に驚嘆し、12個の壺を一つずつ空けましたが、そのたびにひじょうに濃い煙が立ち昇り、世にも恐ろしい鬼神の姿に変わり、アブドゥルマリクの足もとに平伏して、大声でアッラーとソロモン王に反逆の許しを乞い、天井を通って消えてしまいました。
 アブドゥルマリクは海原の二人の娘の美しさにも驚き、二人を大きな泉水の中に入れさせましたが、しばらく経つと二人とも衰弱し、熱病のために亡くなりました。ムーサはアブドゥルマリクの許しを得て聖都エルサレムに隠退し、道中で羊皮紙に写し取っていた数々の箴言について瞑想しながら残りの生涯を送り、長逝しました。

 以上が岩波文庫版の粗筋で、東洋文庫版では、複数の版が採用されているということもあり、岩波文庫にはない詩句や話も採録されています。ただ、岩波文庫版の詩句も東洋文庫版にしかない詩句も、この世の栄華の儚さ・死が運命づけられているという人生の無常・アッラーへの絶対的な信仰を説いていることに変わりはありません。
 また、岩波文庫版では「青銅の町」・「銅の壺」と訳されていますが、東洋文庫版では「黄銅の城市」・「黄銅のクムクム(頚部の長い瓶)」と訳されています。つまり、「真鍮の城市」・「真鍮の瓶」ということです。もちろん、内容が異なるとはいっても、東洋文庫版の話は岩波文庫版と基本的に同じですので、以下、岩波文庫版とは異なるところを中心に述べていきます。

 冒頭で、ソロモン王について「あのお方は未だかつて何人も到達したことのないものにまで到達したのであり、ついにはマーリド(巨魔)やサタン(悪魔)のたぐいを黄銅のびんの中に閉じこめ、その口を鉛で密封し、さらにその上をご自身の印章にて封印を施されたのでございます」と紹介された後、黄銅の瓶にまつわる話がターリブから語られますが、これは岩波文庫版にはない話です。
 その話によると、ある人がインド(プレウスラ版ではシチリアとなっていて、地中海方面が舞台の黄銅城の物語からするとそのほうがよさそうですが、ブーラーク版やカルカッタ第二版ではインドとなっている、とのことです)へと向かっていたところ遭難し、見知らぬ土地に漂着しましたが、そこには衣服を身に着けていない黒人がいました。黒人たちはアラビア語を解しませんでしたが、その王のみはアラビア語を話せました。黒人たちは無明時代(ジャーヒリーヤ)の教えを信じていて、これ以前に余所者と出会ったことはない、とのことでした。
 王は漂着した人々を鳥・獣・魚の肉でもてなしましたが、そのほかに食物はなさそうでした。漂着した人々が町を見物していたところ、漁師が海中から引き上げた網に、ソロモンの封印が施してあり、口を鉛で密封した黄銅の瓶が入っていました。漁師がその瓶を取り出して叩き壊したところ、中から碧色の煙が立ち昇り、アッラーの預言者様、後悔しています!と世にも恐ろしい叫び声が聞こえ、煙はぞっとするほど恐ろしい形相の巨人の形に変わりましたが、しばらくして視界から消えました。漂着した人々は生きた心地がしませんでしたが、黒人たちはまったく動ぜず、ソロモン王が魔神を封じ込めたのだ、と漂着した人々に説明しました。

 この話を聞いたカリフのアブドゥルマリクが瓶の探索を命じるのですが、岩波文庫版とは異なり、アブドゥルマリクと太守のムーサとの間に、アブドゥルマリクの弟でエジプト太守のマルワーン(ウマイヤ朝第八代カリフであるウマルの父)が登場し、ターリブはエジプトでマルワーンに手厚くもてなされた後、ムーサのいる上エジプトへと出かけ、カリフの命を伝えます。ムーサは配下の進言により長老アブドサマードを召しますが、岩波文庫版とは異なり、道中には牧草も水も豊富だ、とアブドサマードがムーサに説明する話が挿入されています。
 旅に出た一行が城(宮殿)を見つけて入るのは岩波文庫版と同じですが、詩句は増えています。一行が宮殿を出た後、柱に束縛された怪物と会うのは岩波文庫版と同じですが、ソロモン王と戦う人間の王は、「海洋の王」と訳されています。また、海洋の王が紅玉髄(岩波文庫版では朱瑪瑙)の神像に神託を仰いださい、この怪物が神像の中にもぐりこんで、ソロモン王を倒してやるという内容の詩を唱え、海洋の王が開戦を決意した、という岩波文庫版にはない話が加わっています。
 魔神を封じ込めた黄銅の瓶はどこにあるのか?と尋ねられた柱の怪物が、瓶はカルカル(アル=カルカル)海の中にあり、そこにはノアの子孫が住んでいるが、そこまでは大洪水も届かなかったので、彼らはアダムの子孫たちとは離れて孤立したのだ、と答える場面は岩波文庫版にはありません。

 ムーサ一行が黄銅の城市を見つけたときの描写も、岩波文庫版とは多少異なっていて、「巨大な黒いものと、その中にあたって、二本の火柱が相対して、立ち上がっている」となっています。また岩波文庫版とは異なり、アブドサマードは巨大な黒いものと二本の火柱を見てただちに、『隠された秘法の書』に記されている通りだから、黄銅の城市だ、と断言しています。
 アブドサマードによると、アル=アンダルス(イベリア半島)の黄銅で造った二基の塔を備えていて、我々のように遠くから見ると二本の火柱のように見えるので、黄銅城と呼ばれている、とのことです。岩波文庫版では城壁の高さは記されていませんが、東洋文庫版では約45mあることになっています。以下、黄銅の城市内部の碑文については、黄銅の城市に到達する前に一行が入った宮殿のときと同様に、東洋文庫版のほうが多くなっています。

 城門が見当たらないので、梯子を作って城門の上に登るというのは岩波文庫版と同様ですが、東洋文庫版には岩波文庫版にはない話が描かれていります。ムーサは偵察のために一人を城壁の上に登らせますが、その男は城内を見ると、手を叩いて「お前きれいだぞう!」と絶叫し、城内にむかって身を投げ、体は潰れてしまいました。ムーサはこれに驚き、黄銅の城市から立ち去ろうとしますが、他の者ならばもっと気性がしっかりしているでしょう、との部下の進言をうけます。ムーサは次々に偵察者を送り出しますが、続く11人全員、最初の男と同じ行動をとってしまいました。
 そこで、経験を積んだ自分が行かねば、と言ってアブドサマードが名乗り出て、ムーサが反対する中、梯子を登っていき、無事にやり過ごしました。アブドサマードによると、城壁を登って城中を見下ろしたところ、美しい10人の若い娘たちが、いらっしゃいませと手招きし、下には湖か何かがあるように見えたので、身を投じようとしたところ、先に登った仲間たちがすでに死んでいるのに気づいて思いとどまり、クルアーンを唱えることで女たちを退散させたのだ、ということでした。黄銅の城市の民は、町を上から見下ろしたり、中に入りたがったりする者を退けるためにこのような工夫を施したのでしょう、とアブドサマードは言いました。

 この後の岩波文庫版との大きな違いは、岩波文庫版では、黄銅の城市(青銅の町)の住民は、ムーサ一行を見ると動きを止めるとされているのにたいして、東洋文庫版では、女王も含めて、住民は全員死んでいるとされていることで(女王の護衛の二人は一応「動く」のですが・・・)、7年間雨が降らなかったことによる飢饉のため、所有しているあまたの財宝も役に立たず、住民が餓死したとの碑文があります。もちろん、岩波文庫版でも本当は住民が死んでいるということを意味しているのでしょうが、東洋文庫版では、皮膚は干乾びて骨は虫に食われている、という訳になっています。
 そのため、岩波文庫版ではターリブが美しい姫をカリフに献上しようとするのにたいして、東洋文庫版ではターリブが姫の身に着けている宝玉類をカリフに献上しようとし、死んだ姫には木綿の衣装でじゅうぶんだ、と言っています。東洋文庫版でも、このためにターリブは女王の護衛二人に殺され、ムーサは配下の者に財宝を運ばせ、黄銅の城市を出て海岸に沿って進んでいきました。

 すると一行は、多数の洞穴のある高山にちかづいたところ、洞穴に黒人がいるのに気づきました。ターリブがカリフに話した黒人とはこの者たちのことで、その話通り、王のみがアラビア語を解しました。黒人の王に人間か魔神かと尋ねられたムーサは、自分たちは人間だが、あなたがたはこんな孤立した山中に住んでいて、体格が巨大なので魔神族に違いないでしょう、と言いました。すると黒人の王は、自分たちはアダムの末裔で、ノアの子ハムの子孫であり、この海はアル=カルカルという名だ、と言います。このような辺鄙な土地でどのように真理についての知識を得ているのか?とムーサが尋ねると、海から光を放つ聖者のお姿が現れて、アッラーの啓示を教えてくださるのです、と王は答えました。
 ムーサが黄銅の瓶探しという自分たちの用件を王に伝えると、王は潜水夫たちに命じて12個の黄銅の瓶を引き上げさせ、ムーサは王にたいへん感謝し、おびただしい進物を王に渡しました。王は人間の姿をした魚をムーサに贈りましたが、ムーサたちがこの地に来てから、王にふるまわれていた食事とは、この魚肉のことなのでした。この後は、黒人たちをダマスカスに連れていかなかったということをのぞいて、岩波文庫版とほとんど変わりません。

 以上が東洋文庫版の内容です。次に河出書房のバートン版ですが、題名にある通り、ムーサ一行が訪れた廃墟は「真鍮の都」と訳されていて、『イリヤッド』では基本的にバートン版の訳が採用されているようです。また、ソロモン王が魔神を封じ込めた壺は、「銅の瓢箪」または「真鍮の壺」と訳されています。「海原の王」は「海の王者の中の王者」と訳されています。その他に、岩波文庫版と東洋文庫版の粗筋紹介で述べたことに付け加えるような大きな変更点はありません。これで『千一夜物語』「真鍮の都」の粗筋の紹介は終わりです。

 「真鍮の都」は、栄華の儚さ・人間にとって避けられない死という運命が主題と言え、アラーへの絶対的な信仰が強調されていて、イスラーム色が強くなっていますが、仏教的な無常観とも通ずるところが多分にあるように思われるので、日本では好む人の多そうな物語と言えるかもしれません。
 舞台は、アブドゥルマリクやムーサが登場することから、7世紀末~8世紀初頭のウマイヤ朝と思われますが、無明時代末期の大詩人アン=ナービガ=アッ=ドゥブヤーニーがアブドゥルマリクに語りかける場面があり、時代考証は厳密ではありません。アル=カルカル海や真鍮の都の位置については諸説あるようですが、主人公とも言うべきムーサの活動した場所を考慮に入れると、アル=カルカル海は大西洋、真鍮の都は北西アフリカまたはイベリア半島と考えるのがよさそうです。

 物語は、ソロモン王が魔神たちを封じ込めた真鍮の壺の探索と、廃墟となった真鍮の都の話という、二つの要素からなります。この二つの要素は、どうもムーサを媒介に結びつけられ、一つの物語となったようです。北西アフリカまたはイベリア半島の西の果てに、真鍮で築かれた城壁をめぐらした都市があるという伝説は古くからあったようで、9世紀末頃の『イブン=ハビーブ年代記』には、ムーサが妖怪の守る銅の城塞を攻めながら攻略できなかったという話が伝わっています。この『イブン=ハビーブ年代記』には、ソロモン王が悪魔を封じ込めたという銅の箱(櫃)も登場し、後の「真鍮の都」の物語への発展を予感させるものがあります。
 真鍮の都に安置されていた姫の名は版によって異なり、Tadmura、Tadmurah、Tarmuzとなっていますが、Tedmur(Tadmor)と読み、これをパルミラの別名とし、元来はその地の女王の名であった、とする見解もあります。パルミラの女王としてはゼノビアが有名ですが、パルミラの別名タドモールとは、椰子の木の多い所という意味だそうです。

 『イリヤッド』との関連で考えてみると、この「真鍮の都」の物語は、ソロモンの壺や柱の立つ都市など、『イリヤッド』のいくつかの設定の参考になっているように思われます。ただ、創作史料の『イソップ物語』「柱の王国」とは異なり、『イリヤッド』でこれまで明かされてきた設定とは異なるところもあります。まず、『イリヤッド』ではソロモン王の壺は世界に3個あるとされていますが、「真鍮の都」では多数あることになっています。もっともこれは、最強・最悪の危険な魔物を封じ込めた壺(11巻所収の85・86話より)は3個なのだ、と解釈すれば矛盾しないとも言えそうです。
 次に、『イリヤッド』では、アトランティスは敵対勢力に攻め込まれ、戦いの最中に地震で沈んだとされていますが(というよりも、そもそもプラトンがそのように書き残しているわけですが)、真鍮の都は飢饉で廃墟になったとされていて、沈んでいませんし、戦った形跡もありません。もっとも、ソロモン王と戦った海原の王を真鍮の都の主と考えることもできるかもしれませんが、そうすると、アトランティスの滅亡がソロモン王の時代よりもかなり前だと示唆されている『イリヤッド』での設定と矛盾します。まあ「真鍮の都」の物語はあくまで伝説であり、細かいところまでの一致にこだわる必要はないかもしれませんが・・・。

 真鍮の都に安置されていた姫については、タドモールという名前(版によって異なりますが)よりも、アマレク族という部族名のほうが重要な手がかりになりそうな気がしますが、どういうつながりになるのか、浅学な私には分かりません。あるいは、強引にアマレク=アマゾクと解釈するのでしょうか?また、『イリヤッド』では女王のミイラとされていますが、「真鍮の都」を読んだかぎりでは、女王とは明言されていないように思われるのも気になります。
 『イリヤッド』で紹介された、創作史料と思われる「真鍮の都エジプト版」では、財宝を持ち帰るか否かで仲違いし、お互いに殺しあったとされていますが、これの意味するところはさておき、「真鍮の都」でも、姫(が身につけている宝石類)をダマスカスに持ち帰ってカリフに献上しようとするターリブと、これに反対するムーサとの対立が描かれていて、エジプト版における仲間割れという設定は、両者の対立に着想を得たものではないかと思います。

 以上、『イリヤッド』と関連づけて『千一夜物語』「真鍮の都」について長々と述べてきましたが、『イリヤッド』の連載終了時には、上述した私の疑問・それ以外の未解決の疑問が解決し、すべての伏線も回収されることを期待しています。いったい、『イリヤッド』はどんな結末を迎えるのでしょうかねぇ。ともかく、次号が楽しみですなあ(笑)。

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