夫婦別姓問題と日本における氏名の変遷について(緑色の文字は追記です)

 現在の日本では夫婦同氏原則となっていて、夫婦別姓容認論の立場から民法改正の働きかけもあり、議論となっています。夫婦別姓容認論にたいする反論の根拠の一つは、夫婦別姓は伝統破壊につながるものだ、との見解なのですが、夫婦別姓反対論者の全員が伝統破壊を根拠としているのかというと、そうでもないようです。ただ、夫婦別姓容認論の立場からすると、夫婦別姓反対論のじゅうような根拠として伝統破壊がよく持ち出される、との印象があるようです。

追記(2008年2月14日)
 この記事を公開後、この問題についてより詳しく論じられている坂田聡『苗字と名前の歴史』(吉川弘文館、2006年)を知りました。同書の雑感については、今年2月14日分の記事にて述べています。この記事の補足訂正にもなっているので、もしよろしければあわせてお読みください。


 夫婦別姓容認論の立場からすると、夫婦別姓反対論が主張するところの伝統なるものは、せいぜい明治以降のものでしかない、ということになるようです。たとえば、佐倉ジェンダー研究所の「夫婦別姓で何が悪い!」という主張には(以下、引用箇所は青字としますが、一部は算用数字に改めました)、

 そもそもなぜ夫婦別姓がいけないのであろうか!?

 反対派などは、「日本の伝統に反する」「家族の一体感をなくす」などの理由を挙げている。しかしこれはギモンだ。

 「日本の伝統に反する」というのは、明らかに歴史的事実を誤認ないしは無視している。

 北条政子の夫は源頼朝だし、足利義政の妻は日野富子である。鎌倉あるいは室町時代はこれで普通だった。そもそも江戸時代には苗字は武士の特権と言われ、大部分の庶民は苗字がなかった。明治維新を経て、四民平等の建て前から万人に苗字が許され、夫婦同性の原則もこのとき導入されたのだが、せいぜい明治以来のことを「日本の伝統」と言い張るのは、ちょっと無理がある。

(中略)

 結局のところ、現行の戸籍制度が「家」を偏重しすぎているのだ。

 これは明治時代に、当時の支配体制に組み入れるために、夫中心の「家」制度が整備され、戸主権の確立が図られたことと無関係ではない。


 とあります(夫婦同性は夫婦同姓の誤りでしょう)。

追記(2008年2月7日)
 この記事を公開後、上記引用先の佐倉ジェンダー研究所の佐倉智美様よりメールをいただきました。それを受けて、補足しておきます。上記の引用文の執筆時期は1998年3月10日であり、現在の佐倉様の歴史認識とは必ずしも一致していません。なお、佐倉様のサイトから引用したのは、夫婦別姓と氏名の問題について検索したさい、最初に見つけて拝読したサイトだからであり、他意はありません。


 他にも検索してちょっと調べてみましたが、夫婦別姓容認論の立場からの夫婦別姓反対論への批判のなかには、上記引用にみられるような見解がけっして珍しくないようです。では、歴史的には上記見解は妥当なのでしょうか?この記事では、夫婦別姓問題についての論争に見られる歴史認識を一つのきっかけとして、日本における氏名の変遷の複雑さを、自分なりに整理してみようと考えています。



 上記のような夫婦別姓容認論にしばしば見られる歴史認識にたいして、中世史研究においては、次のような見解も提示されています(坂田聡「百姓の家と村」P23)。

 一般に夫婦別姓に関しては、女性が苗字を変えることによって社会的な不利益をこうむる場合や、慣れ親しんでいた名前が変わってしまうことに対する違和感の問題として議論されるケースが多いが、むしろそれ以上に、苗字が先祖代々つづく家のシンボルであり、お墓を守る義務とワンセットとなっている点に、夫婦別姓に関わる本質的な問題をみないわけにはいかない。その意味では、夫婦別姓をもって伝統的な家族制度の美風を壊すものとみなし、法案が国会に上程されるたびに反対運動を繰り返す保守的な政治家の危機感は、その主張の是非はさておいて、あながち的外れともいえないと思われる(ただし、彼らが声高に主張してやまない「伝統」なるものが、たかだか500年のことにすぎない点は後述する)。

 このような認識は、家産や家業や家名を父から嫡男へと父系で先祖代々継承する、永続性をもった経営体である家の形成が、近畿やその周辺部では14~16世紀にかけて百姓の間でも進行していき、結婚は家と家との結びつきという性格が強くなった、という見解に基づいています(坂田「百姓の家と村」)。

 明治以降の戸籍制度とは、多分に日本における伝統社会の慣行を前提として成立したものでした。もちろん、上記の指摘にあるように、その伝統社会の成立はせいぜい500年ほど前のことでしょうが、けっして「近代以降に創られた伝統」などと言って退けることのできるほど、根の浅いものではありません。

 一般に芸能の家業化は中央の下級貴族・官人層のウヂから始まる。地方武士の家も基本的には中央の風潮が地方に波及したものと考えるべきだろう(髙橋昌明『武士の成立 武士像の創出』P35)との指摘があるように、このような家の成立は百姓よりも上の階層でまず始まったと思われます。

 たとえば武士は、家産たる所領・武芸という家業・地名などに由来する苗字(家名)を父系で先祖代々継承していくような家を、百姓よりも早く中世初期に形成しました。ただ鎌倉時代前半までは、武士の家では分割相続が主流であり、相続した子息各々が新たに拠点とした地名で呼ばれるようになるため、苗字とされているものも厳密にはたんなる地名にすぎない場合が多い、との指摘もあります(坂田「百姓の家と村」P28~29)。

 もっとも、鎌倉時代後半以降には分割相続から長男の単独相続へと移行していき、何代にもわたって同一の場所に住み続ける例が一般化し、地名に由来する個人の通称が苗字(家名)となっていきました(坂田「百姓の家と村」P29)。地名を苗字とした例としては、足利と新田が有名です。またこの二家はともに、よく知られているように源氏です。以下、足利と新田の例をまず取り上げて、夫婦別姓の問題とも関係する、日本における氏名の変遷について見ていくことにします。


 足利や新田は苗字であり、源は姓です。中世の武士は姓と苗字を使い分けていました(坂田「百姓の家と村」P28)。では、どのように使い分けていたのかという問題になるのですが、その前に姓についての説明が必要となります。ここまで、姓(セイ)という言葉を用いてきましたが、本来これは氏名(ウジナ)と呼ぶべきで、姓(カバネ)と一組になって天皇から与えられるものです。もっとも、大伴氏や物部氏のような古くからの豪族のウジナは、必ずしも天皇(王)から与えられたとは言えないでしょうが。ウジナとは族組織の名称であり、けっして家族集団の名称ではありません(坂田聡「百姓の家と村」P26)。

 ウジナとは藤原・源・平などのことであり、カバネとは、7世紀後半に天武天皇が八色の姓(ヤクサノカバネ)を定めてからは、真人・朝臣・宿禰などのことです。ウジナとカバネの組み合わせについてですが、たとえば藤原氏や源氏や平氏のカバネは朝臣で、大伴氏のカバネは宿禰となります。ウジナおよびカバネと個人名である実名との組み合わせが、公的な場での個人の名称となります。たとえば藤原道長であれば、藤原朝臣道長となります。

 では、姓と苗字を使い分けていた中世の武士はどうなのかというと、やはりウジナとカバネと実名の組み合わせが公的な個人の名称となります。上記の足利尊氏の場合、源朝臣尊氏が公的な名称となります。では、足利という苗字はどのような場合に使われるのかというと、公的な場以外ということになります。

 もっとも、公的な場と私的な場との違いがどのような基準によるのかというと、私の学識では的確な説明は難しく、循環論法的な説明になりますが、ウジナ+カバネを使っていれば公的な場、苗字を使っていればそうではなかったと当事者たちが判断していたのだろう、と述べるにとどめておきます。

 苗字は普通実名と組み合わされることはありません。実名は諱・忌み名(イミナ)とも呼ばれるように、普段は用いるのが避けられていたようです。では、苗字はどの個人名と組み合わせて用いるのかというと、それは字(アザナ)であり、たとえば足利尊氏の場合は、足利又太郎ということになります(坂田「百姓の家と村」P36)。

 この他に、朝廷の官職(正式に任命されたものではなく、自称のものも含みます)も苗字と組み合わされることがあります。たとえば戦国時代の織田家については、次のような例があります。()内の数字は、奥野高廣『増訂織田信長文書の研究 上巻』での文書番号です。織田上総介(19)、木下藤吉郎(189)、林佐渡守・佐久間右衛門尉(371)。上総介・佐渡守・右衛門尉は官職であり、藤吉郎はアザナです。

 実名(諱・忌み名)と組み合わされるのはウジナですので、藤原信長(1)、平信長(287)となります。信長は、ウジナを藤原から平に変えたというわけです。ちなみに、豊臣秀吉は羽柴姓から豊臣姓へと変更したという誤解があるようですが、秀吉のウジナは平→藤原→豊臣と変わっているのであり、羽柴という苗字は変わっていないと考えるのが妥当だと思います。

 では、足利尊氏や織田信長という呼称はいったい何なのかという疑問が生じるでしょうが、これは室町時代にウジナが衰退したことを受けて、江戸時代以降にウジナと苗字とが混同されたための誤解であり、本来は間違った呼称です(坂田「百姓の家と村」P25、30、36)。なお、苗字のような家名は武士の間だけで用いられたのではなく、近衛や九条といった五摂家も、近衛や九条がいわば家名となりましたが、ウジナは平安時代からの藤原のままでした。以下、夫婦別姓問題とも関連させつつ記述を進めていくので、再び最初のようにウジナを姓(セイ)と呼ぶことにします。

 江戸時代に始まっていた姓と苗字の混同は明治以降にも継承され、ついにはほとんど同一視されることになり、19世紀末には法制用語「氏」として統一されました(坂田「百姓の家と村」)。この「氏」とは氏名(ウジナ)に由来するものであり、ウジナと姓(カバネ)が一体のものであったことと、中国における姓(セイ)の用法(この問題は後述します)から、「姓」と「氏名」とが同一視されるようになったものと思われます。

 こうして、「あなたの姓を教えて下さい」「私の苗字は坂田です」「ここに氏名を記入して下さい」といったような今日的状況が一般化した(坂田「百姓の家と村」P25)というわけです。もっとも、現代の姓(苗字)は姓と苗字の混同の結果とはいえ、前近代において、姓が宗族組織を指すのにたいして苗字は家族組織を指しますから、中世以降家制度が定着したことを考慮に入れると、近現代の姓は、基本的に前近代の苗字(家名)を継承したものと考えるのがよさそうです。


 こうした個人の名称の変遷は男性の場合ですので、次に問題となるのは、女性の場合です。中世前半頃までの女性は、たとえば「藤原氏女」というように、結婚前も後も実家の姓を名乗っていたのですが、姓の衰退する室町時代になると、「氏女」との呼称もほとんど見られなくなります(坂田「百姓の家と村」P30)。

 苗字については、女性が苗字を称することは稀だったものの、潜在的には未婚女性は父親と同苗字、既婚女性は夫と同苗字と考えられます(坂田「百姓の家と村」P30)。上述したように、家制度の定着以降の日本においては、結婚は家と家との結びつきであり、嫁入りというように、嫁は夫の家に入るものとされますから、既婚女性は潜在的には夫と同苗字である、との推測は妥当なところだと思われます。

 では、上記の佐倉ジェンダー研究所における主張にもあるように、北条政子はどうなのだ?との疑問が生じるでしょう。しかし、女性が苗字を名乗ることは稀であり、実名と苗字との組み合わせは基本的にない、という中世の原則からすると、北条政子という呼称はきわめて不自然であり、おそらく足利尊氏などとおなじく、後世になって間違ってそのように呼ばれるようになったものと思われます。

 じっさい『吾妻鏡』には、平政子という表記はあっても北条政子という表記はありません(ネットで確認しただけなので、間違っているかもしれませんが)。女性が姓と実名で呼ばれることは稀ですが、上述したように、姓(ウジナ)と実名による呼称は一般的ですから(政子の実家の北条の姓は平です)、その意味では平政子という表記は問題ないと言えるでしょう。

 したがって、夫婦同姓の原則、さらには結婚した女性が夫の苗字を名乗るような社会習慣は、前近代の観念に基づいたものと考えるのが妥当なところで、明治(近代)になって新たに創出された(もしくは欧米から導入された)伝統と解釈するのは不適当だろうと思います。もっとも、明治になって新たな慣行が創出されなかったというわけではなく、女性が苗字を名乗るのが一般的になったのは、新たな習慣と言えるでしょう。

 「創られた伝統論」が浸透したためか、現在の日本において「伝統」とされている事象の多くを、近代(明治)以降に創出されたものと考える見解が強くなりつつあるように思われます。そのように「創られた伝統」と認識された事象のなかには、本当に明治以降の創出と認定するのが妥当なものも少なくないでしょうが、なかにはもっと古い淵源が認められる場合もあるのかもしれません。夫婦別姓をめぐる議論でも、そのような問題が認められるように思います。


 それでも、女性はかつて結婚前も後も実家の姓を名乗っていたではないか、との指摘はあるでしょう。確かに、本当の意味での夫婦別姓がかつて日本に存在したのは間違いないでしょうし、その習慣・観念は、現在の中国や韓国の婚姻制度にも継承されているものと思われます。

 現在の中国や韓国では基本的に夫婦別姓なのですが、これは現代日本の夫婦別姓容認論者が想定しているような、男女同権・平等の観念に基づくものというよりは、伝統的な父系重視の宗族社会において、女性が結婚後も出身宗族の姓を称するという習慣に基づくものだと思います。昨年11月21日分の記事で取り上げた古田博司『新しい神の国』で指摘されているように、宗族社会の中国・朝鮮とイエ社会の日本とでは、その社会構造が大きく異なるというわけです。

 ただ上述したように、日本においてもかつては、社会の上層の女性は結婚前も後も実家の姓を名乗っており、これは中国や韓国の伝統的観念と同じものだと言ってよいでしょう。これが、新石器時代から東アジア世界(『新しい神の国』によると、日本は東アジアに属しませんが)に広く存在した古い習慣だったのか、それとも中国文明からの影響によるものなのか、二つの可能性が考えられますが、古代の日本において妻問い婚があるていど行なわれていたこと(木山英明『人間の来た道』P189~196)や、異母兄妹間の婚姻が行なわれていたことは、宗族社会の婚姻のあり方とは異質だと言うべきであり、その点から推測すると後者の可能性が高そうです。

 こうした中国の習慣は、遅くとも周代には始まっていたようです(宮崎市定「中国古代史概論」P16)。周代の貴族は姓・氏・個人名を有していましたが、男子は普通氏と個人名を称し、女子は姓だけを称します。当時もっとも高貴な一族は周の王族であり、周の姓は「姫」でしたから、周の女性はみな姫と称しました。このことから、後に高貴な一族の女性を姫と称するようになったというわけです。

 中国においてはやがて氏族制度が乱れ、姓が事実上消滅して氏と姓が混同されましたが、わりと最近まで同姓不婚が守られており(宮崎市定「東洋における素朴主義の民族と文明主義の社会」P16)、韓国ではつい最近まで法的に有効でした。違いは少なくありませんが、たとえてみると、周代の姓・氏は日本中世の姓(ウジナ)・苗字(家名)に相当することになるでしょうか。

 その後の中国では、姓(セイ)・諱(イミナ)・字(アザナ)により個人の名前が称されることになり、たとえば後漢末の曹操は、姓が曹、諱が操、字が孟徳ということになります(現在の中国では字は用いられていないようですが)。諱は呼ぶのが避けられることが多く(とくに目下の者が目上の者を呼ぶ場合)、中世の日本と似たような習慣と言えます。この習慣も、古く新石器時代から東アジア世界全体に存在していたと考えることができますが、日本で諱(忌み名)とされた実名がおおむね漢字二字で構成されることから、中国から伝えられた習慣と考えるほうがよさそうです。

 中世以前の日本における「夫婦別姓」とは、このような中国の慣習・観念に基づくものと考えられ、現代の日本社会において主張される夫婦別姓容認論とは似て非なるものと言うべきですから、現在の夫婦別姓論の根拠にはとうていなりえませんし、伝統を根拠とした夫婦別姓反対論者への揶揄にもなりません。


 日本には現代的な意味での夫婦別姓は過去になく、たいていの場合は妻が夫の姓を名乗るという意味での夫婦同姓は、けっして明治(近代)以降に新たに創出された観念によるものではなく、中世にまでさかのぼる家制度の観念に基づいたものと考えるのが妥当だ、という内容のことをここまで述べてきました。

 それでも、上記の佐倉ジェンダー研究所における主張にもあるように、大部分の庶民には苗字がなかったのだから、やはり創られた伝統だ、との反論があるでしょう。しかし、最初のほうでちょっと述べたように、この家制度は武士などごく一部の上層にのみ浸透したのではなく、日本列島の住民の多数を占める百姓(必ずしも農民とは限りません、念のため)にも広く定着していたのでした。

 確かに、江戸時代の百姓は原則として、公的な場や武士の面前で苗字が用いられることは禁止されていましたが、村の中などでは堂々と苗字が名乗られていたという事実が、多くの研究者によって明かされています(坂田「百姓の家と村」P35)。中世の庶民のなかには、苗字だけではなく擬似的な姓(天皇から与えられたわけではないという意味で)を有していた者もいますが、庶民のなかで姓から苗字が中心となり、苗字の数が飛躍的に増加するのは、15~16世紀のことです(坂田「百姓の家と村」P36~37)。苗字・家名という社会的制度は、制約があるとはいえ、前近代の日本社会に広く浸透していたのでした。

 また苗字だけではなく、平三郎や平四郎といった字(アザナ)も世襲され、いわば家名として機能していたと考えられます(坂田「百姓の家と村」P41~46)。もちろん、一部の下層民にはこのような家名はなかったでしょうし(坂田「百姓の家と村」P46)、日本列島内の地域差はあるでしょうが、16~17世紀頃には、日本社会に父系中心の家制度が広く定着したと考えてよいだろうと思います。

 では、古代についてはどうなのかというと、庶民にもたとえば孔王部(アナホベ)というような姓があったことが、現存する当時の戸籍から確認されていますが、それがどれだけの社会的実態に即したものかというと、色々と疑問も呈されているので(早川庄八『日本の歴史4』P197~239)、ここでは古代社会の実態には踏み込まないことにします。



 以上、長々と述べてきましたが、最初のほうで述べたように、この記事の目的は、夫婦別姓問題についての論争に見られる歴史認識を一つのきっかけとして、日本における氏名の変遷の複雑さを、自分なりに整理することにありました。私の学識・表現力・構成力の不足もあり、読者の方(もしいれば、ですが)にとって分かりやすい記事になったとはとても言いがたいでしょうが、自分なりに整理することはできたと思います。もっとも、たいへんな勘違いをしている可能性も高いので、読者の方に間違いをご指摘いただき、色々と史実をご教示いただければ幸いです。

 この記事を執筆する発端になった夫婦別姓問題についての論争に見られる歴史認識について、改めて私見をまとめると次のようになります。明治以降、女性も苗字を名乗ることが一般的になりましたが、夫婦が同じ苗字を名乗り、妻が夫の苗字を名乗ることは、前近代の日本社会に広く定着した観念に由来した自然な習慣であり、政府による外来文化の強制を主因とする見解は、妥当とは言いがたいでしょう。

 この私見は、現在における夫婦別姓容認論を否定する根拠になるわけではありませんが、夫婦同姓を近代に創出された伝統と考え、伝統を声高に主張する夫婦別姓反対論者を揶揄するような言説にたいしては、有効と言えるかもしれません。夫婦別姓容認論の側にとっては、夫婦同姓論は日本社会において古くから(とはいっても、1000年も前からのことではありませんが)存在する根強い観念に基づいたものである、ということを踏まえたうえでの説得活動が必要になるのでしょう。

 そのさい注意すべきなのは、上記の佐倉ジェンダー研究所における主張に見られるような、それも若い女性にさえ、「大好きなカレシと同じ苗字になりたい」という、たわけた幻想の持ち主が少なくない、といった「先覚者」を自認している人にありがちな感情が表に出てしまうことです。こういう感情が表に出てしまうと、夫婦別姓容認論が広範な支持を得ることはありえないでしょう。


 この記事で述べた私見は、夫婦別姓容認論にとって痛手になることはほとんどないでしょうが、嫌がられるものであるとは思います。私見は深く鋭いものではありませんのでその程度ですみますが、優れた学術研究が、夫婦別姓容認運動のような政治・社会的運動もしくは体制から危険視されることは珍しくありません。たとえば、今年1月23日分の記事で取り上げたチャールズ=C=マン『1491』では、1491年以前のアメリカ大陸において、住民が大規模に自然を改変していたとする見解が、環境保護運動側に敵視されている事例が紹介されています。

 確かに、政治・社会が成立するには虚構・物語が必要であり、学術的見解はときとして政治・社会にとって都合の悪いものになるでしょう。しかし、政治・社会は変容するものであり、現在は不都合な見解が将来も不都合であるとはかぎらず、それどころか有用な道標となるかもしれません。人類の過去の営みをできるだけ妥当な形で復元しようとする試みは、最大限保障されるべきだろうと思います。まあこれは多分に建前論で、興味のあることについてはできるだけ真相に近づきたい、という知的欲求が私の本音であることは否定できませんが。

 この記事で述べた私見は、もちろん優れた学術研究ではありませんが(参考にした諸研究は優れたものですが)、夫婦別姓容認論の側において、日本における夫婦同姓は明治(近代)以降の創出、とあっさり切り捨てられていることがあまりにも多いことに違和感があったので、氏名の変遷についてまとめるよい機会だと思い、この記事を執筆した次第です。



参考文献:
奥野高廣『増訂織田信長文書の研究 上巻』(吉川弘文館1994年)

木山英明『人間の来た道-人類学の話』第二刷(好文出版、2001年、初版の刊行は1994年)

坂田聡「百姓の家と村」、坂田聡・榎原雅治・稲葉継陽『日本の中世12 村の戦争と平和』(中央公論新社、2002年)

髙橋昌明『武士の成立 武士像の創出』第2版(東京大学出版会、2000年、初版の刊行は1999年)

チャールズ=C=マン著、布施由紀子訳『1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見』(日本放送出版協会、2007年、原書の刊行は2005年)

早川庄八『日本の歴史4 律令国家』(小学館、1974年)

古田博司『新しい神の国』(筑摩書房、2007年10月)

宮崎市定「中国古代史概論」『宮崎市定全集3 古代』(岩波書店、1991年)

宮崎市定「東洋における素朴主義の民族と文明主義の社会」『宮崎市定全集2 東洋史』(岩波書店、1992年)

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この記事へのコメント

morikana-morikana-kanakan
2018年01月28日 14:27
お隣の国の韓国で夫婦別姓が認められるのに、日本で夫婦別姓が認められないのはなぜなのでしょう?
夫婦別姓が強制されては問題だけれど、夫婦別姓を選択できるようにすれば何の問題も無いように思います。
強制的夫婦別姓ではなく、選択的夫婦別姓が認められるようになれば素敵なこと。
2018年01月28日 19:50
本文中でも述べましたが、現代日本社会で主張されている選択的夫婦別姓と、韓国の夫婦別姓は、その歴史的背景が大きく異なるものだと思います。

それを踏まえての選択的夫婦別姓論ならば、主張の一つとしてあり得るでしょう。

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