杉山正明『興亡の世界史09 モンゴル帝国と長いその後』

 講談社の『興亡の世界史』シリーズ12冊目となります(2008年2月刊行)。過激な?叙述で知られる杉山氏の執筆とあって、色々な意味で注目していたのですが、相変わらず杉山節全開といった感じで、たいへん面白く読み進めました。欧州および中華中心史観を徹底的に批判する杉山節は、あるいは行き過ぎの面もあるように思われますが、欧州中心史観だけではなく、中華中心史観も根強い日本においては、杉山氏のような歴史叙述は依然として重要だと言えるでしょう。

 本書の主題は、モンゴル帝国の人類史における重要性と、それを必ずしも理解できていなかった従来の知の在り様にたいする批判です。モンゴル帝国の出現は人類史における画期であり、後々までその影響力は残って、現代のロシア(20世紀のソ連)や中国もいわばモンゴルの遺産と言えるのに、中華・イスラーム・近代欧州という「文明」を自認する側の偏見により、モンゴル帝国像は大いに歪められてきたとされます。そうした主張が、痛快・過激な杉山節で語られており、以下、とくに面白いと思った箇所を引用しておきます。


(P103)
 近年、中華人民共和国や台湾を中心に、鄭和の航海についての異常な高評価と莫迦げた空想が横行しているが、鄭和の航海それ自体はモンゴル時代の継続・遺産にすぎず、むしろこれを最後に、中華とアジア東方は組織化された海への展望を急速に失ってゆくことのほうが重大なのである。

(P104)
 人類史上で、いわゆる人種差別はさまざまにあったが、「大発見の時代」以降の欧米人による人種差別ほど強烈で見苦しく、罪深いものはない。その影は、いまも脈々とつづいている。

(P130)
 近代・現代のような大量の戦死者・戦傷者を出しつづけている「野蛮な時代」は別として

(P146)
 だが、「ロシア・東欧」のみならず、ヨーロッパ全体の危機をあれこれいうのは、欧米学者の得意というか、ひとつの癖である。所詮は従来、西洋史の発想・感覚で世界史のお話づくりがおこなわれてきた結果なのだろう。

(P163~164)
 ロシア人史家たちの愛国主義は、かなりはげしい。そして、おおむねはロシアのことだけを見つめがちであり、あまり他の要素・状況・データを気にしない。率直にいって、やや歴史的センスに欠ける。結果として、彼らの主張は、妥当さと説得力を欠くことが多い。(中略)
 (モンゴルの破壊・虐殺は)ギリシア正教とロシア・ツァーリズムという名の創作であった。そうしたいわくつきのものをもって、根本史料だとしてルーシーの不幸、モンゴルの悪逆を語るのが常道となってきたのであった。モンゴルは、ロシアを「遅らせた」張本人とされ、そのおそるべき災厄からロシアを救い出したツァーリ以下の権力者・宗教者は聖なる存在とされた。ロシア民衆にとって、モンゴルは一貫して悪魔であり、権力者にとってはみずからを正当化してくれる麻薬なのであった。
 ここにおいて、客観的な歴史像などは、はるかに遠い。知の虚構は、歴史の虚構であるとともに、政治的パワーや演出への仕掛けともなる。ロシア帝国以来、ソ連をへて現在にいたるまで、ロシアにとってモンゴルは愛国の炎を燃えさせる便利な手立てのひとつなのである。

(P169~170)
 世界史上で特筆大書される「ヴァールシュタットの戦い」は、ドイツ拡大主義が生んだ歴史の幻影である。

(P303~304)
 中華地域では、明皇帝となった朱元璋(洪武帝)のもとで、人類史上でも屈指の専制独裁・文化弾圧の恐怖政治が展開する。前後五度にわたる政府官僚を中心とする大虐殺は、文化人・知識人をほとんど一掃してしまうほどのすさまじさであった。どこか原始共産制をおもわせる国家・社会政策をはじめ、みずから絶対存在とし、自分以外の人間を唯々諾々たる羊とみなすような異様な原理主義は、モンゴル治下の自由奔放の社会・経済を一変させたにとどまらず、文明としての中華なるものの精華も、多くこの時に失われた。その結果、明代前半は学術・文化・出版の暗黒時代がつづく。

(P350)
 西洋取宝船と呼ばれる数十隻の艦隊については、近年ことに中国・台湾を中心に極端な評価というか、ほとんどことさらな誇大イメージがあおりたてられている。すなわち、その最大船は8000トンを超える巨艦であり、アメリカ大陸などもその艦隊が「発見」したといった類の虚説である。だが、木造帆船として400トンがせいぜいであり、そんな巨大艦がそもそも帆船として動くのか、またインド洋の荒波に木造の大船がこわれずにいられるのかなど、ほとんど信じられない空想が語られる。まして、アメリカの「発見」云々も出鱈目である。こうした背景には、中国などの大国化や経済発展・外交戦略、および海上への意欲が潜む。国家・政権が政治目的のために壮大な歴史像を語って国民を鼓舞するのは常套手段だが、まま歴史学者や国際関係学者などが、それに追従したり便乗したりするのは残念である。なお、鄭和の航海そのものについての文献やデータは、その後の明政権によって滅却されて、実像がつかみがたいことが根底にある。

(P350~351)
 歴史上に名高い数々の遠征のうちでも、前4世紀アレクサンドロス大王による東方遠征は、ギリシア風の文明が大きく広まり、西方世界が東方世界を、ヨーロッパがアジアを征服せしめた最初の際立った事例として、ややもすれば欧米本位の立場から声高に語られがちであった。しかし、実際においては、アレクサンドロスは、ハカーマニシュ帝国のもと、豊かな富と文明にあふれる東方に憧れて旅立ったのであった。また、彼の足跡も、広大なハカーマニシュ領をおおむねなぞったものであり、未知なる世界を切り開いたとするのは、ヨーロッパ側のまなざしによる「ロマン」といわざるをえない。実のところ、アレクサンドロス自身は、戦争と制服しか考えていなかったように見える。「野蛮」を「聖性」に置き換えるのは、いわゆる後知恵だろう。たとえば、イラン以東にはたしてどれほど「ヘレニズム」なる残滓があるのだろうか。彼が他界すると、瞬間的な大領域はたちまち数個に分裂した。1830年代に、ドロイゼンが夢想した「ヘレニズム」なるものが、もしあったとするならば、その多くは東方ではなく西方、つまりローマの抬頭にこそ求めるべきではないか。アレクサンドロスの東征とその生涯がいちじるしく美化されるのは、19~20世紀のヨーロッパ、とりわけドイツにおいてであり、そこに時代状況が大いに投影されている。ヨーロッパ帝国主義が創作したレジェンド、ないしは「文明化の使命」という名の照り返しによる壮大な歴史の述作について、もうそろそろありのままに眺めることが必要ではないか。

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