最近の「チベット」情勢についての平野聡氏の見解
本日付の朝日新聞「私の視点」に、今年3月4日分の記事で取り上げた『興亡の世界史17 大清帝国と中華の混迷』(講談社、2007年)の著者の平野聡氏の“「中華民族」国家造り 限界”と題する見解が掲載されました。主な点を列挙すると次のようになります。
●少数民族の経済発展と中央政府への信頼感の確保に自信があるなら、中国政府は外部からの懸念にも応える開かれた対応をとり得るはずだ。中国政府が恐怖政治で抗議を封じ込めるなら、対立の根はさらに深まるだろう。
●今回の悲劇的な対立の奥底にある問題は、近代中国における「中華民族という名の単一民族国家」造りの限界が露呈したことである。
●清末の中国ナショナリストは、日本を手本に単一民族国家を志向し、チベットやモンゴルにたいする仏教排斥や漢語教育を断行したが、それが流血の事態を招き、両民族は次第に独立を志向していった。
●その後の中国は「五族協和」・「統一多民族国家」へと自己像を修正し、少数民族が漢民族の主導下で列強の侵略に共に抗しながら経済建設に進めば、「中華民族という名の単一民族意識」を共有しうると考え、今日に至っている。
●だが漢民族中心の発想は、毛沢東時代の「社会主義化」の美名の下、チベット人の自主性の否定と社会・文化的な壊滅的打撃をもたらし、逆に「チベット人意識」が強まった。
●近年の「西部大開発」は、沿海部などからの外部資本にチベット人が従属する構図を強めた。観光業の爆発的拡大は仏教寺院に喧噪をもたらし、漢民族観光客とチベット人との摩擦を深めた。
●第二の宗教指導者パンチェン・ラマの生まれ変わりの選出過程に端を発する、中国政府とダライ・ラマとの関係悪化により、チベット人は踏み絵に等しいダライ・ラマ批判を強いられている。
●チベット人は、「中華民族の一体性を創出する」という名の下で繰り返される苦境への抗議の声を上げたのであり、その抜本的解決は、中国が現在のような抑圧を続ける限りあり得ず、中国とチベット人が率直に対話して共存の道を探るしかない。
●しかし、統治の論理や行政区画の変更は、「類似の問題」を抱える新疆ウイグル・内モンゴル両自治区、さらには台湾にも波及する可能性がある。最悪の場合、国土の半分を失いかねない事態を中国は恐れている。
専門家の見解だけに、歴史的経緯も踏まえた現状分析には聴くべきところがあると思います。しかし提言については、かなり疑問が残ります。中国とチベット族が率直に対話して共存の道を探るしかないとのことですが、一方で、統治の論理や行政区画の変更により、最悪の場合、国土の半分を失いかねない事態を中国は恐れているとも述べられています。
これでは、中国がチベット族と「率直に対話し」、その結果として「チベット問題」の「抜本的解決」がなされる可能性はほとんどないと言っているのも同然でしょう。提言については、実現性の低い建前論に終始しており、奇麗事を並べているだけといった感があります。もっとも、発行部数の多い大新聞に掲載される見解となると、そのようにならざるを得ないところがあるので、仕方のないところでしょうか。
また、チベット族の間の温度差について触れられていないのも気になりますが、紙幅が限られているだけに、これは仕方のないところでしょうか。チベット族の老人がラサでの「暴動」を糾弾しているとの報道もありますが、直接的な被害を受けなかったチベット族のなかにも、同様の感情を抱いている人は少なからずいるだろうと思います。もっともその感情は、中国政府への積極的支持ではなく、チベット族が中国政府に抗議をしたり「暴動」を起したりしても、中国政府の抑圧政策が厳しくなるだけだ、との判断に由来するものだろうと思いますが。
●少数民族の経済発展と中央政府への信頼感の確保に自信があるなら、中国政府は外部からの懸念にも応える開かれた対応をとり得るはずだ。中国政府が恐怖政治で抗議を封じ込めるなら、対立の根はさらに深まるだろう。
●今回の悲劇的な対立の奥底にある問題は、近代中国における「中華民族という名の単一民族国家」造りの限界が露呈したことである。
●清末の中国ナショナリストは、日本を手本に単一民族国家を志向し、チベットやモンゴルにたいする仏教排斥や漢語教育を断行したが、それが流血の事態を招き、両民族は次第に独立を志向していった。
●その後の中国は「五族協和」・「統一多民族国家」へと自己像を修正し、少数民族が漢民族の主導下で列強の侵略に共に抗しながら経済建設に進めば、「中華民族という名の単一民族意識」を共有しうると考え、今日に至っている。
●だが漢民族中心の発想は、毛沢東時代の「社会主義化」の美名の下、チベット人の自主性の否定と社会・文化的な壊滅的打撃をもたらし、逆に「チベット人意識」が強まった。
●近年の「西部大開発」は、沿海部などからの外部資本にチベット人が従属する構図を強めた。観光業の爆発的拡大は仏教寺院に喧噪をもたらし、漢民族観光客とチベット人との摩擦を深めた。
●第二の宗教指導者パンチェン・ラマの生まれ変わりの選出過程に端を発する、中国政府とダライ・ラマとの関係悪化により、チベット人は踏み絵に等しいダライ・ラマ批判を強いられている。
●チベット人は、「中華民族の一体性を創出する」という名の下で繰り返される苦境への抗議の声を上げたのであり、その抜本的解決は、中国が現在のような抑圧を続ける限りあり得ず、中国とチベット人が率直に対話して共存の道を探るしかない。
●しかし、統治の論理や行政区画の変更は、「類似の問題」を抱える新疆ウイグル・内モンゴル両自治区、さらには台湾にも波及する可能性がある。最悪の場合、国土の半分を失いかねない事態を中国は恐れている。
専門家の見解だけに、歴史的経緯も踏まえた現状分析には聴くべきところがあると思います。しかし提言については、かなり疑問が残ります。中国とチベット族が率直に対話して共存の道を探るしかないとのことですが、一方で、統治の論理や行政区画の変更により、最悪の場合、国土の半分を失いかねない事態を中国は恐れているとも述べられています。
これでは、中国がチベット族と「率直に対話し」、その結果として「チベット問題」の「抜本的解決」がなされる可能性はほとんどないと言っているのも同然でしょう。提言については、実現性の低い建前論に終始しており、奇麗事を並べているだけといった感があります。もっとも、発行部数の多い大新聞に掲載される見解となると、そのようにならざるを得ないところがあるので、仕方のないところでしょうか。
また、チベット族の間の温度差について触れられていないのも気になりますが、紙幅が限られているだけに、これは仕方のないところでしょうか。チベット族の老人がラサでの「暴動」を糾弾しているとの報道もありますが、直接的な被害を受けなかったチベット族のなかにも、同様の感情を抱いている人は少なからずいるだろうと思います。もっともその感情は、中国政府への積極的支持ではなく、チベット族が中国政府に抗議をしたり「暴動」を起したりしても、中国政府の抑圧政策が厳しくなるだけだ、との判断に由来するものだろうと思いますが。
この記事へのコメント
ダライ・ラマの主張を無理難題というのは、今回、中国政府に懸念を表明したいずれの西側諸国も、本気で台湾独立やチベット独立、更には「大チベット区」構想を支持するはずがないからです。
ただ、これがなかなか実現困難であることは認めざるを得ませんが。
ただ、ダライ=ラマ14世は高齢なので、今後思い切って譲歩する可能性もあるとは思いますが。
日本の近代の正しさを再発見すると同時に、すでに地球は、つぎの時代を模索している。西欧人のつくった「自決権にもとづく民族国家のモデル」では対応できない難問が多発している。EUは、その回答のひとつかもしれない。ダライラマはチベットの完全独立を要求しているわけではない。近未来の中国に、ゆるい連邦制のイメージなんかがあるのかもしれない。