間野英二「“シルクロード史観”再考」

 まだ日付は変わっていないのですが、6月10日分の記事を掲載しておきます。今年3月2日分の記事にて、森安孝夫『興亡の世界史05 シルクロードと唐帝国』(講談社、2007年)を取り上げました。同書では、間野英二氏の中央アジア論が徹底的に批判されていたのですが、これにたいする間野氏の反論「「シルクロード史観」再考─森安孝夫氏の批判に関連して─」が、『史林』第91巻2号(2008年)に掲載されました。

 『シルクロードと唐帝国』を読んだとき、「シルクロード史観論争」について論じられた箇所における、間野氏への森安氏の批判が妥当なのか否か、気にはなっていたのですが、間野氏の著書・見解をわざわざ読もうというほどの関心がなかったので、とくに調べることはしませんでした。しかし、間野氏による森安氏への徹底的な反論が『史林』に掲載されたとネットで知り、『史林』が一般販売されるようになって、私のような関東在住の研究者ではない人間でも容易に入手できるようになったので、読んでみようと思った次第です。

 この問題の論点は、中央アジア史をどのように把握するのか、さらに、中央アジア史においてシルクロードの果たした役割はどれほどのものだったのか、ということです。間野氏は30年以上前の著書(『中央アジアの歴史─草原とオアシスの世界』講談社現代新書、1977年)で、中央アジア史においてシルクロードが過大評価されているが、シルクロードが重要な役割を担っていた前近代においても、中央アジアの経済は基本的に農業によって支えられており、中央アジアは単なる東西交渉の経由地ではなく、一つの完結した地域として把握すべきだろう、と指摘しました。

 間野氏らのこうした見解にたいして、森安氏は『シルクロードと唐帝国』P93にて、「あえて極端にいえば、これは中央アジア史からシルクロードを学問的に抹殺しようという動きである」と述べ、「私はとうていこれを容認することはできない」と批判しています。しかし、間野氏も海上交通路の発達以前におけるシルクロードの重要性を30年以上前に指摘しており、「あえて極端にいえば」ということであったとしても、森安氏の批判は曲解に基づく一方的なもの、との間野氏の批判は妥当だと言わざるを得ないように思います。

 この問題と関連して、ソグディアナの都市の豊かさを、ソグド商人の隊商活動(国際貿易)によるものとの前提で議論を進める森安氏にたいして、ソグディアナの豊かさの源泉が農業を中心とする産業だったのか、それとも隊商活動だったのか、隊商の規模や往来頻度について正確なことが不明な現時点では明確ではない、と間野氏は指摘します。さらに、壁画からも、ソグディアナ社会が商人の優越した社会との証拠は確認できない、と間野氏は指摘します。こうした間野氏の指摘は、おおむね妥当なものだと思います。

 森安氏の間野氏への批判は、中央アジアのイスラーム化にたいする評価にも及んでいます。9~10世紀を中央アジアのテュルク・イスラーム時代の発端とする間野氏の見解にたいして、森安氏は東トルキスタン全体がイスラーム世界になるのは15世紀からにすぎないと指摘し、間野氏の見解をイスラーム中心主義と批判しています。

 しかし、東トルキスタン東部のトルファン地方のイスラーム化は15世紀だとしても、東トルキスタン西部のイスラーム化は9~10世紀にすでに始まっており、11世紀にはイスラーム文化の成熟も見られるのであって、トルファン地方は中央アジア全体から見るとあくまでも特殊な地域として扱うのが適切だ、との間野氏の反論のほうが説得力があるように思われます。

 以上、間野氏の森安氏にたいする反論についてざっと見てきました。間野氏は、森安氏の自説にたいする批判は曲解に基づく一方的なものであり、一部を除いて受け入れることができない、と反論しています。専門家ではない私に判断できるだけの見識があるかというと疑問ですが、率直な感想を述べると、間野氏の反論のほうが妥当だろうと思います。


参考文献:
間野英二(2008)「「シルクロード史観」再考─森安孝夫氏の批判に関連して─」『史林』第91巻2号、P402-422

森安孝夫(2007)『興亡の世界史05 シルクロードと唐帝国』(講談社)、関連記事

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