大河ドラマ『風と雲と虹と』第45回「叛逆の道」

 板東では貢物の取り立てと徴兵が厳しく行われるようになり、常陸国府では、最高責任者の藤原惟幾の気が弱いということもあり、とくに厳しく取り立てが行われていました。そのような情勢の天慶2年(939年)の夏、武蔵と季重が板東にやって来ます。玄道の案内で玄明と再会した武蔵は、玄明に導かれて螻蛄婆とも再開します。玄道・玄明・螻蛄婆・武蔵・季重は、困窮している民人を救おうとし、玄明の提案で不動倉を打ち壊すことにします。玄道は、国府の役人の苛斂誅求から民人を守り、武蔵と季重は都への貢物を奪います。

 その頃、将門宛の藤原忠平の御教書を携え、都から多治助実が下総の国府に下向していたため、将門も下総の国府に出向いていました。忠平からの御教書を読んだ将門は、忠平の心を悩ませたことは申し訳ない、と言います。しかし将門は、自分と興世王・武蔵武芝が組んで源経基を襲ったというのは間違いだ、とはっきりと疑惑を否定します。多治助実は、事の成り行きを詳細に文書にし、諸国の国司に解文を書いてもらうよう勧め、将門も従うことにします。

 石井の館に帰宅した将門を、将頼・良子・豊田丸・員経・老郎党が迎えます。員経は、確かな噂だとして、次の下総守に将門が任じられるそうだ、と話します。しかし将門は、それはあくまでも噂だと言い、目出度いことだと言った将頼に、そうとは思わない、と言います。忠平の御教書のなかには、坂東の争乱の中心にはいつも将門がおり、力を蓄えてきたらしいことは結構だが、その力を坂東の国司を助けることに用いよとあった、と将門は言います。しかし将門は、貢物の取立てと徴兵を厳しく行なう現在の国司のやり方に憤りを持っており、自分の手で民人を苦しめることはできない、と言います。将頼は、諸国の国司から解文をもらうとはいっても、常陸介の藤原惟幾は貞盛とは姻戚関係にあり、難しいのではないか、と懸念を示し、員経も将門も肯きます。

 その惟幾は、貞盛の将門追討の任も解かれていないのに、と言って将門のために解文を書くことを拒否します。都の貴族たちは将門を処罰するつもりはなく、将門は次の除目で国司に任じられるとの噂もある、との報告を受けた惟幾は、考えておく、と不満気に言います。そこへ惟幾の長男の為憲が現れ、玄道・玄明兄弟が貢物を納めないよう扇動したり、国府の役人を武力で追い払ったりしている、と惟幾に報告します。為憲は自ら情報収集に赴き、玄明・玄道は将門の手先だと確信した、と惟幾に報告します。為憲は、自分はもう17歳になり、惟幾は弱気なので、時にはその代わりを務めねばならない、と言います。為憲は、手柄を立てるまたとない好機だ、と惟幾に促します。

 武蔵たちは、取り入れの終わる時期を待ちかねたように、次の行動を起こしました。武蔵たちはついに不動倉を襲撃し、倉から穀物を持ち出します。次の不動倉へと向かう途中、玄明の笛の音を聞いた武蔵は、幼少時の記憶を思い出しそうになりますが、どうしても思い出せません。武蔵たちが次の不動倉を襲撃したさいには、すでに知らせが届いていて役人たちも迎撃準備を整えていたため、激しい戦いとなりました。玄明と武蔵は、子供が矢を射られて死んだ母親にすがりついて泣いているのを見て、幼少時の悲惨な出来事を思い出します。武蔵と玄明の母親は殺され、玄明がすがりついて泣いている姿を見ているのが武蔵でした。武蔵と玄明が感慨に耽っているなか、玄明が刺されて重傷を負います。自分の命が長くないことを覚った玄道は、将門に会いたいと言います。

 玄明はその健脚で将門のいる石井の館へと急ぎ、将門に事の成り行きを報告します。将門は不動倉を襲撃したことの重大さを理解していましたが、玄道が会いたがっているということを聞くと、玄道を受け入れることにします。将門は、一つだけ訊いておきたいと言い、なぜ玄道は不動倉を襲ったのだ、と玄明に尋ねます。自分も一緒にいたのだ、と言う玄明に、兄とともに賊を働いたのか、と将門は尋ねます。玄明は、賊とは人を害し奪う者だとの以前の将門の発言を引用し、将門のほうは、ならば公も賊だと言った玄明のかつての発言を引用します。将門はそのとき、純友と同じ考えだな、と言ったことに玄明は言及します。公にとって純友も自分も賊だろうが、公が賊ならば自分たちは賊ではなく、いつか、どんな意味でも自分たちが賊と呼ばれない日が来て欲しいと思っている、と玄明は言います。将門は、賊が賊でなくなる日、との玄明の発言に感じるところがあったようです。

 玄道が石井の館に運ばれてくると、案外大事はないようだから、しばらく養生すれば大丈夫だろう、と将門は玄明を励まし、玄明は礼を言います。玄明は、探してきた人に会えたようだと言い、また戻ると約束して一旦去ります。老郎党はずっと、賊の玄道が将門に災いをもたらすような気がしていたので、将門を諫めようとしますが、案ずるな、と言って将門は老郎党の進言を退けます。しかし、将門の郎党たちの不安は、玄道が常陸の不動倉を襲撃したと知って、いっそう募りました。

 一旦石井の館から去った玄明は、武蔵と会っていました。武蔵から、玄明の名前(幼名と言うべきでしょうか)が、雪の降る日に生まれたことにちなんで雪丸だったことが語られます。武蔵の名前は、姉弟の母親が笛を好きだったことから、小笛だったことも武蔵から語られます。玄明という名前は、玄道の父である鹿島玄茂にちなんだものでした。武蔵・玄明の母親が頼ろうとしたのが、二人の父である武蔵竹芝の親友である鹿島玄茂でした。鹿島玄茂を頼ろうとした道中、武蔵・玄明の母親は浮かれ人を取り締まっていた役人に襲われ、殺されてしまいました。

 母親は、今際の際に通りかかった男性に玄茂の元へと言い、その男性は玄茂と似た名の玄明と雪丸に名付けて育てたのかもしれませんが、今となっては、真相はよく分かりません。武蔵は、都に向かう遊女にもらわれ、12歳のときに、武蔵掾だったという男に買われて養女となり、16歳のときに純友と出会いました。純友が都を離れると、武蔵は我慢できずに純友を追い、季重たちの夜盗の群れと遭遇しました。そこでの武蔵の身のこなしに一同は感服し、武蔵は季重たちの首領となったのでした。姉上なのだな、やはりと玄明がつぶやくと、そうだと思う、と武蔵は言います。武蔵と玄明は、姉弟として再会できたことを喜びますが、一方で、すでに父の武芝が亡くなったことに空しさに似た感情も覚えます。

 その頃、石井の館では玄道の処遇をめぐって会議が開かれていました。将頼は、玄道・玄明の兄弟(血のつながりはありませんが)は不動倉を襲撃して穀物を奪い取った大悪人だと言い、郎党たちも、これまでは国司の命に従わずとも無事にきたが、今回ばかりは将門が反逆者とされるかもしれない、と懸念を示し、玄道を国府に引き渡すよう進言します。公にたいする反逆の名をあえて引き受けるつもりなのか、と郎党から尋ねられた将門が、それでもよい、と肯くところで今回はこれで終了です。

 今回は、ついに将門が朝廷にたいする反逆の道を選ぶことも辞さない、と決意するにいたりましたが、これまでの話から自然な流れとなっており、説得力のある展開になっていると思います。玄明と武蔵の関係は、前半の時点で視聴者に分かりやすい脚本・演出となっていましたが、玄明と武蔵がそのことに気づくまでの展開は、まずまずよかったのではないか、と思います。こうなると、前回にも述べたのですが、玄明と武蔵の父である武蔵武芝を、前半からもっと登場させておけばよかったのではないか、と改めて強く思います。

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