アフリカ北部は現生人類の出アフリカの出発地だったのか?

 現生人類(ホモ=サピエンス)の出発点として北アフリカに注目が集まっていることが報道(Balter., 2011)されました。現生人類の起源や出アフリカについて最近まで有力視されてきた説は、現生人類はサハラ砂漠以南のアフリカにおいて20万年前頃に出現し、7~5万年前頃にアフリカ東部から紅海を渡ってアラビア半島へと進出し、世界中へと進出しましたが、その出アフリカは1回のことでした、というものです。しかし最近では、現生人類の出アフリカは複数回あったのではないか、と考える研究者が多くなってきています。

 じっさい、アフリカ以外の地域における確実な最古の現生人類人骨は、現在のイスラエルにあるスフールおよびカフゼー洞窟で発見されており、その年代は13~10万年前頃とされています。したがって、出アフリカの経路として北方を想定する見解も根強くあったのですが、アフリカ東部から紅海を渡ってアラビア半島へという南方経路が有力視されたのは、遺伝学の研究成果と、最古の現生人類人骨がアフリカ東部で発見されている(19万5千年前頃のオモ人骨と、16万年前頃のヘルト人骨)という形質人類学の成果のためでした。アフリカ北部で発見された人骨のなかでも、16万年前頃とされるジェベルイルード人骨は、現生人類の起源との関係で注目されましたが、絶滅した古代型ホモ属というのが有力な見解でした。また、「現代的行動」の起源地として注目されてきたのも、アフリカ北部ではなくアフリカ南部で、とくに南アフリカのブロンボス洞窟は有名です。

 しかし近年では、アフリカ北部のアテーリアン(アテール文化)の年代の見直しや、アテーリアン遺跡の人骨と他の人骨との比較や、新たな考古学的発見などから、現生人類の出アフリカの出発地や「現代的行動」の起源地として、北部アフリカが注目されつつあります。アテーリアンは、放射性炭素年代測定法の限界もあり、遅い年代の文化だと考えられてきて(1997年刊行の『人類学用語辞典』では、40000~27000年前とされています)、それもあって、現生人類の起源や出アフリカの問題でアフリカ北部があまり注目されなかったのですが、光ルミネッセンス・熱ルミネッセンス年代測定法により、しだいに年代が繰り上がっていき、近年では145000年前にまでさかのぼるアテーリアン遺跡もあります。こうした年代の見直しのなかで、モロッコの貝殻製のビーズが82000年前までさかのぼることが指摘され(関連記事)、現在では、モロッコの大西洋岸の“Grotte des Contrebandiers” の洞窟(Smuggler's Cave)で発見された、10万8千年前頃と推測される貝殻製のビーズが研究されています。これらの年代は、アフリカ南部のブロンボス洞窟の装飾品よりも古く、「現代的行動」の起源地の候補として、アフリカ北部が重視されつつあります。

 アテーリアン遺跡で発見された人骨は、アフリカ以外の地域で発見された最初期の現生人類人骨との類似性も指摘されており、アフリカ北部が現生人類の出アフリカの出発地として注目される理由となっています。モロッコの“Dar es-Soltan”で発見された8万年前頃の頭蓋骨は、ジェベルイルード遺跡(これはアテーリアンではありません)で発見された16万年前頃の頭蓋骨と同様に、カフゼーの頭蓋骨と似ていますが、ネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス)の頭蓋骨やもっと新しい年代の現生人類の頭蓋骨とは似ていません。また、アテーリアン遺跡で発見された人類の歯を、他の地域の人類の歯と比較すると、アテーリアン遺跡のそれはカフゼーやスフールのそれにもっとも近く、ルーマニアの“Peştera cu Oase”で発見された、4万年前頃のヨーロッパ最古の現生人類のそれとも似ていました。また以前より、エジプトの“Nazlet Khater”の4万年前頃の人骨と、“Peştera cu Oase”人骨との類似性も指摘されていました。

 現生人類の出アフリカは南方経路でなされた、という現在有力視されている説と、アフリカ北部を出アフリカの出発地とする北方経路説とは対照的ですが、北方経路説では、現在までの遺伝学的成果はおもに現代人を対象としたものであり、過去の人類の移住パターンをとらえきれていないかもしれない、と指摘されています。また北方経路説では、サハラ砂漠が障壁になるとの疑問にたいしては、現在のサハラ地域は、現生人類の最初の出アフリカがなされたと考えられる13~10万年前頃には、川や湖のある過ごしやすい地域であり、サハラ地域の乾燥化・砂漠の拡大が進む6万年前頃までは、アテーリアン遺跡がサハラ地域で確認されている、との反論がなされています。また北方経路説では、6万年前以降にサハラ地域の乾燥化・砂漠の拡大が進み、サハラ地域で6万年前以降のアテーリアン遺跡が発見されなくなることから、サハラ地域のアテーリアンの担い手が東方や南方に移住した可能性も指摘されています。

 現生人類アフリカ単一起源説の代表的論者であるストリンガー氏は、アテーリアン遺跡の人骨はほとんどモロッコで発見されており、アフリカ北東部のアテーリアン遺跡の人骨がもっと必要だ、と指摘します。さらにストリンガー氏は、“Peştera cu Oase”人は、後にオーリナシアン(オーリニャック文化)やグラヴェティアン(グラヴェット文化)をヨーロッパに持ち込んだ現生人類とは、近縁関係になかったかもしれない可能性を指摘しています。ネアンデルタール人研究の世界的権威であるトリンカウス氏は、“Peştera cu Oase”人はネアンデルタール人と現生人類との混血であり、巨大な臼歯といったアテール人と“Peştera cu Oase”人との類似は表面的だ、と指摘します。さらにトリンカウス氏は、アテーリアンの担い手はじゅうぶん現代的というわけではなく原始的なところがあり、現代人の祖先だったのではなく絶滅したのだ、と考えています。しかし、多くの人類学者はトリンカウス氏のこうした見解を支持していません。

 以上、ざっとこの報道について見てきましたが、この報道と同じく『サイエンス』に、1ヶ月も経たないうちに、現生人類の南方経路での出アフリカが10万年以上前までさかのぼる可能性を指摘した研究が掲載されました(関連記事)。その研究と、現在有力な説と、この報道で紹介された北方経路説とは、一見するとそれぞれ相容れないようにも思えるのですが、現在有力な説で現生人類の出アフリカは1回のみという時、「成功した出アフリカ」という前提があることを見逃してはならないでしょう。つまり、北方経路にせよ南方経路にせよ、10万年以上前に出アフリカを果たした現生人類集団は、絶滅してしまったか、後に南方経路で出アフリカを果たした現生人類集団に吸収され、固有のY染色体やミトコンドリアDNAが失われてしまった、と考えることもできるでしょう。もちろん、現時点ではこの問題について断定することはできず、今後の研究の蓄積・進展を待たねばなりません。


参考文献:
Balter M.(2011): Was North Africa the Launch Pad for Modern Human Migrations? Science, 331, 6013, 20-23.
http://dx.doi.org/10.1126/science.331.6013.20

渡辺直経編(1997)『人類学用語辞典』(雄山閣)

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