河内祥輔、新田一郎『天皇の歴史04 天皇と中世の武家』

 『天皇の歴史』全10巻の第4巻として、2011年3月に講談社より刊行されました。平安時代後期~鎌倉時代までを扱う第一部を河内氏、室町時代(南北朝時代~戦国時代)を扱う第二部を新田氏が担当しています。正統という概念をキーワードとし、朝廷再建運動という観点から中世史が展望されるのですが、意識して武士対貴族という観念から脱しようとしてきた私も、やはり近代以降の武士中心の史観に慣れているということもあってか、違和感のある見解の提示が少なくなく、とくに第一部には、疑問の残る見解が少なくありません。

 このシリーズは天皇の歴史を扱うのですから、天皇を中心とした視点になるのは当然なのですが、第一部の冒頭ではいきなり、平安時代の秩序は安定し、平和は長く維持された、とされているのには違和感があります。確かに、平安時代初期の薬子の変から末期の保元の乱の間は、都において皇位をめぐる武力衝突はなく、壬申の乱や藤原仲麻呂の乱などのあった平安時代初期以前や、保元の乱以降の政治史を考えると、秩序は安定していたと言えるかもしれませんが、群党蜂起や承平天慶の乱や平忠常の乱や刀伊の入寇や前九年・後三年の役など、むしろ平安時代は不安定な時代だと私は考えてきただけに、本書の意図も分からないではありませんが、どうも違和感があります。

 ただ、第一部で提示された見解には、朝廷再建運動の担い手としての鎌倉幕府、鎌倉幕府の打倒を考えていたわけではない後鳥羽、後醍醐を退位に追い込もうとするための謀略であり、後醍醐にはその時点では討幕の意思がなかった正中の変など、色々と面白いものが少なくなく、直ちに本書の見解に賛同するわけではないにしても、今後詳しく調べてみたい、とも思いました。こうした問題については、幕府・武士と朝廷・貴族とを対立的なものとみなす武士中心的な史観による偏見があったのかもしれませんし、その後の歴史の流れ・結果を知っている後世の人間にありがちな、結果論的歴史解釈が大きな影響を及ぼした、ということもあるのかもしれません。

 第二部は、京都への求心的政治構造が応仁の乱と明応の政変を機に崩壊し、それに伴い、武家に依存していた朝廷の公事も衰退したものの、京都を中心として畿内の経済が政治構造から自立し、それを支えた商人・職人層が、古典を鑑とする、「文明」の中心・文化発信地としての天皇・朝廷を支えるという構造への変化を指摘しています。さらに第二部は、公家の地方への「下向」と居住などに伴う「文明」の普及という日本列島の規範化と、古典文化を体現する天皇・朝廷という存在意義を指摘し、近世史への展望を示していますが、これは、幕府と朝廷が併存するという意味では同じではあるものの、中世と近世とではその構造が異なる、ということでもあります。

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この記事へのコメント

Gくん
2011年04月06日 21:40
こんばんは!管理人さん!
他の記事を含め、読書レビューいつも読んでいます。
第4巻もう読了ですか! 前半と後半で著者が異なるのですね!
ご指摘の点、留意して読んでみようと思いました。
2011年04月06日 21:53
第4巻も、なかなか興味深く読み進められました。

第5巻の刊行は5月の予定とのことです。
Gくん
2011年04月07日 17:26
お返事ありがとうござます!
進行中の記事はもちろん、第5巻のレビューも期待しております。

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