「文化強国」を目指す中国

 読売・朝日など、今月16日付の日本の一般紙で報道されていましたが、今月15日に北京で始まった、中国共産党の第17期中央委員会第6回総会(6中総会)で、「文化強国」を目指す国家戦略が掲げられたそうです。国内総生産で世界第2位となった反面、立ち遅れた精神文明を復興させ、世界市場で劣勢なソフトパワーを強化する、とのことです。中国共産党の中央機関紙である人民日報には、「文化強国への中国ロード」と題した論説が今月15日付で掲載されたそうですが、その論説では、「文化面で優勢に立てなければ、国家の文化主権も守ることが出来ない」と危機感が訴えられており、さらに、「文化支持用を制する者はイデオロギーの陣地を占有できる」と強調されている、とのことです。政府主導で国際競争力のある文化産業を育成し、国家のマイナスイメージを改善するよう提唱されている、と読売新聞では解説されています。

 近年、ますます侵略的な帝国主義・覇権主義路線を強化しつつある中華人民共和国ですが、「文化強国」を目指すとの目標は、現時点での中国政府の自己認識を率直に表明したものだと思います。中国政府の要人は、自国が経済・軍事・政治面で大国になったものの、文化面はまだ弱い、としっかりと認識しており、それを率直に表明しているのは、難問山積とはいえ、それだけ自国の経済・軍事・政治力への自信を深めていることの表れでもあるのでしょう。

 確かに、現代中国の文化面での弱さは否定しがたく、魅力的な文化を世界に発信できていないことは否定できません。現代中国の魅力・脅威は、経済・軍事力にありますが、経済力は総体としては高いものの、国民一人当たりとなるとまだ弱く、富裕層が増えつつあるとはいっても、かつてのヨーロッパ先進諸国やアメリカ合衆国のように、魅力的な生活様式を世界に提示できているとは言い難いでしょう。また、大衆文化だけではなく政治思想でも弱いところがあり、世界に魅力あるものを発信できていないでしょう。

 正直なところ、「西洋の衝撃」により中華文化・価値観が没落して以降では、第三世界の代表として「高邁な理想」を掲げていた毛沢東政権期のほうが、今よりも文化面での影響力が大きかったのではないか、と思います。もちろん、その内実は、今よりもずっとひどかったわけですが。ただ、中国政府の一党独裁・人権抑圧・経済成長優先・特権層の既得権強化という在り様が、現代の世界各地の独裁国家にとって希望の星となっていることは確かだろう、と思います。もちろん、それは多数の人々の支持を得ているわけではありませんが。

 「中国四千年の歴史」として括られることの多い(その実態・妥当性はさておき)、思想や茶などさまざまな文化は現代人をも魅了している、との見解もあるかもしれませんが、しょせんは少数派の好事家にすぎず、大衆性に欠けるところがあるのは否定できません(おそらく日本は、関心の対象が狭いとはいえ、現代では例外的に「中国伝統文化」への関心が高い地域で、ある意味では現代漢人以上かもしれません)。中国政府は、この点をしっかりと認識しているようです。

 こうした文化面での劣勢を、中国は政府主導で克服しようとしているわけですが、それは世界の多くの国が意識していることでもあるのでしょう。そうした意識が強く前面に出ている国家の一つが韓国なのでしょうが、近隣の中国や韓国と比較して、日本政府には、そうした意識の強い人は少ないように思います(麻生元首相は例外だったと言えるかもしれませんが)。ただ、国家主導により成功するのかというとそうとは限らず、やはり民間の活力に任せたほうが結果的に上手くいくのではないか、とも思います。日本政府について、もっと積極的に文化発信をしていけば、日本の国際的評価はもっと高くなるのではないか、と考えている日本人は多いかもしれませんが、政府が前面に出たら、胡散臭さがつきまとい、かえって評価を落とすこともあるのではないか、とも思います。もっとも、この記事は素人の思いつきを述べただけなので、的外れなことを述べてしまっている可能性も高いのですが。

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この記事へのコメント

noga
2011年10月20日 06:44
中国は、中原に鹿を追う伝統的な覇者の国。
だから、中国人に覇権主義は避けられない。
力を示したものが覇者となる。
漢民族が、東夷 (とうい)・西戎 (せいじゅう)・南蛮 (なんばん)・北狄 (ほくてき)に対して種々の要求をする。
議論を好まない。覇者はただその力を示す。
口実は、その後からついてくる。

中国語には、時制がない。
中国人は、現実しか語らない。
聖人と呼ばれる孔子でさえそうであった。
宗教の内容など、彼らにとってどうでもよいことである。宗教は、何でもあり・何でもなしである。
自分の都合が悪くなれば、覇者は書を燃やし儒者を坑する(儒者を生き埋めにする)。
このやりかたは、今日に至るまで変わることがない。

力は正義である。(Might is right).
自分の考えている「あるべき姿」の内容を相手に穏やかに話し、手には棍棒を持っているのが上策である。さすれば、正義は我が方に来る。
日本の武士の子孫は、余念のない刀の手入れを怠っているのではないか。
力不足であっては、実効支配もままならない。
それでは、歌詠みにでもなるか。文武両道は難しい。


http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

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  • 「文化強国」を目指す中国の今後

    Excerpt:  先日、このブログで、中華人民共和国が「文化強国」を目指す方針を明らかにしたことを記事にしましたが、 http://sicambre.at.webry.info/201110/article_20... Weblog: 雑記帳 racked: 2011-10-27 00:00