本郷恵子『蕩尽する中世』

 新潮選書の一冊として、新潮社から2012年1月に刊行されました。著者の以前の著書『選書日本中世史3 将軍権力の発見』
http://sicambre.at.webry.info/201104/article_26.html
が面白かったので、購入しました。『選書日本中世史3 将軍権力の発見』の時もそうでしたが、本書も、一見すると細かな実証が提示されつつも、日本史上の大きな問題が常に意識された構成・叙述となっており、奥深い一冊になっていると思います。

 さらに本書では、現代社会の在り様をめぐる議論にも通ずる問題意識が示唆されていますが、著者はあくまでも実証史学の範疇から大きく逸脱することなく、大きな問題への手がかりを示唆するにとどめており、禁欲的な姿勢を崩さないところには好感が持てます。そうした著者の姿勢は、現代社会の問題点への示唆について、世界史の基本法則とか歴史の必然とかいった浮ついた(と言ってしまうと、無知な素人の傲慢な発言だと「進歩的で良心的な」人々から批判・嘲笑されそうですが)言説ではなく、地に足のついたものになっているところにも窺えるように思います。

 本書では、蕩尽という行為を手がかりとして、日本中世社会の在り様が叙述されていますが、著者の視点の根底には、日本中世社会は具体的にどのように動いていたのか、どのような人々がどのように担っていたのか、という問題意識があるように思います。観念的・抽象的な議論の展開ではなく、じっさいの行動が具体的に検証されていき、主張の根拠となっており、著者の禁欲的で堅実な姿勢が反映されているように思います。本書の概要については、P241~246の「おわりに」で述べられており、邪道かもしれませんが、最初に「おわりに」を読み、その後に本文を冒頭から読み進めると、さらに理解しやすくなるかもしれません。本書を読んでとくに印象深かったのは、P203~206の「悪党とはなにか」の項で、以下に一部引用します。

 「悪党」、あるいは有徳人は、幕府崩壊への兆しがあらわれた時代にどのような意味を持ったのだろうか。前章では、千葉氏の所領経営や財務の状況をとりあげ、支配と被支配の連鎖、暴力と恐怖の関係、はてしなく細分化され転嫁される債権について分析した。
 このような連鎖がおこる根本の原因は、公家・武家両政権の財政構造が、資金の蓄積をほとんど意図しておらず、必要に応じて調達するのみだったためと考えられる。これが可能だったのは、彼らが依存する荘園公領制という枠組みが中世を通じて動かなかったからで、荘園や公領、知行国等を支配する地位(上位の職)を握っている限り、先細りの傾向はあるにせよ、資金の調達はどうにかまにあっていたのである。要するに中世の政権は、資産はあるが資金が乏しい状態で、必要が生じる都度に、より下位の者に調達を請け負わせた。資金調達は場当たり的に下位者に押し付けられ、政権の弱体化につれて、請負はさらに下位の者に及び、調達の質も低下していったのである。

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この記事へのコメント

みら
2012年03月04日 22:28
こんばんわ

「悪党」の条件・・・は、今も昔も変わらないようなきがしますね。
そういえば先日購入してまだ読み始めていない『平家の群像』をそろそろ読みたくなってきました。
禁欲生活を送りながら・・読んでみたいと思います(そもそも抑えるほどの欲望もなく近年は喪失気味)
先日、地元の古文書会に参加したら「まだ早いんじゃないの」とか言われるし・・中途半端な年齢を迎えつつ衰えは感じるこの頃。


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