原田実『つくられる古代史』

 新人物往来社より2011年7月に刊行されました。邪馬台国関連の遺跡や旧石器捏造事件や『東日流外三郡誌』問題や飛鳥時代の遺跡や聖徳太子実在論争など、具体的に取り上げられている歴史的事象・遺跡は多岐にわたっているのですが、遺跡そのものの学術的価値よりも、現代人の利益・利権という観点から遺跡の保存の有無が決まってしまう現状と、後世の人間の価値観・利害などから古代史が「造られる」ことへの警鐘が一貫した主題となっているので、雑多とかまとまりがないとかいった印象は受けませんでした。

 聖徳太子については、『日本書紀』などにより誇大に事跡が伝えられているという見解が、現代日本社会では優勢であるように思われるのですが、本書では、斑鳩での発掘などの考古学的成果から、聖徳太子はむしろ『日本書紀』でその事跡が過小評価されているのではないか、と主張されています。聖徳太子架空人物説の論者は、聖徳太子が架空の人物であることは確定した史実である、と主張することが多いように思うのですが、聖徳太子の「実在」をめぐる議論が架空説で確定したとは、とても言えない状況でしょう。

 本書の旧石器捏造事件にかんする記述については、毎日新聞の報道前から捏造を指摘していた研究者の見解の影響を受けているのか、石器文化と人類種との関係を固定的にとらえすぎていることが気になりました。レヴァントのムステリアン(ムスティエ文化)の担い手には、ネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス)だけではなく現生人類(ホモ=サピエンス)もおり、最初期の確実なサピエンスとされるサヘル人(現代人の亜種であるホモ=サピエンス=イダルツと分類されています)の骨と共伴していた石器の一部は、「原人」が担い手とされるアシューリアン(アシュール文化)でした。さまざまな石器の製作の大前提として、それぞれに対応した解剖学的構造と認知能力があることは当然ですが、それを「人類種区分」と対応させることには慎重でなければならないだろう、と思います。

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