丸島和洋『戦国大名の「外交」』

 講談社選書メチエの一冊として、2013年8月に刊行されました。本書はまず、「外交」という表現を用いる理由を説明します。それは、戦国時代には「日本」という「国家」の統合力が弱まり、戦国大名という「地域国家」によって日本列島が分裂していた、という歴史認識に基づいています。以下、本書では戦国大名の外交の具体的様相が叙述され、古文書学的な知識も言及されています。ただ、後書とも関連しますが、本書の本当の狙いは、戦国大名の外交の具体的様相の解明というよりも、戦国大名論であるように思います。以下、本書の興味深い見解について、簡潔に述べていきます。

 本書はおもに、武田・北条・上杉・今川という東国大名間の外交を検証していますが、戦国大名とまでは言えない国衆と大名との交渉にもかなりの分量を割いていますし、九州の島津についても1章を割いて言及しています。本書は、戦国大名間の外交における取次の役割に注目しています。本書の云う取次とは、戦国大名の外交担当者のなかでも、とくに権力の中枢に位置する人物を中心としています。本書は取次を大きく二分して把握しています。一つは大名の近臣で、もう一つは一門・宿老といった重臣です。もちろん、身分は後者の方が上となります。

 戦国大名の外交において、対象が大名級であれ国衆級であれ、それぞれには固定の外交担当者たる取次がいました。取次となる契機は、取次と交渉対象者との個人的な縁の場合もありますし、重臣であれば、大名に服属する以前の国衆だった頃からの縁(隣接しているなど)の場合もあります。興味深いのは、取次は一名に固定されているのではなく、二名いることも珍しくなかった、ということです。その場合、近臣と重臣とがそれぞれ取次を務めたことが多かったようです。

 なぜこうした慣習が定着していったのか、という疑問の解明が本書の主題の一つになっています。本書によると、それは戦国大名の政権の在り様に起因します。戦国大名は独裁・専制的な政権運営(領国支配)を行なえたわけではなく、重臣層によって代表される「家中」の意思にも大きく左右されました。それ故に、戦国大名の外交において、書状のやり取りでは大名からだけではなく重臣の副状も重視されました。また、戦国大名の領国支配が未整備であり、制度の整った室町幕府においては裏側に潜んでいた取次が、戦国大名の領国においては前面に展開した、とも指摘されています。

 一方で、大名の個性にもよりますが、やはり大名の意向が重要であることも間違いありません。重臣は地域支配を任されることが多く(他勢力との前線を任されることも多く、重臣が取次となるおもな契機の一つでした)、大名との意思疎通は近臣よりも困難でした。こうした理由から、重臣だけではなく近臣も取次を務めることになりました。重臣・近臣で構成される取次の在り様は、外交の当事者双方の要望でもありました。現代社会と比較して意思疎通のはるかに困難な前近代社会における、交渉の在り様の一例と言えるのではないか、と思います。

 戦国大名は独裁・専制的な政権運営を行なえたわけではない、との認識について、本書は戦国大名の外交における実例を提示しています。取次を務める重臣や(服属して間もない)国衆は、時として大名の意向に背いて行動します。このような場合、大名と取次たる重臣・国衆との力関係などにもよりますが、大名が叱責して処断することもあるものの、大名が取次に配慮した措置をとることもあります。戦国大名の権力の在り様は、こうしたことからも窺えるように思います。

 また本書では、取次が交渉相手の大名から知行を受けることもあり、取次が交渉相手の意向を代弁する存在になることが珍しくなかった、とも指摘されています。それ故に、取次は一種の権益となっており、取次を交代させることは、担当していた家臣の不満を高めることにもなりました。取次は交渉相手から知行を受けていても、あくでも主従関係はありません。しかし、主家の没落・衰退や交渉相手の強大化などにより、取次を務める自立的なところのある家臣のなかには、やがて知行を受けている交渉相手の家臣となる場合もありました。一方で、取次が親密な関係を築いていた大名と主家との関係が悪化した場合、取次の家中での立場が悪化し、失脚することもありました。

 こうした不安定な戦国大名権力の在り様とも関連しているように思うのですが、戦国大名間の外交関係(国衆との関係も含まれます)は脆いものでした。それ故に、大名たちは頻繁に外交関係(とくに同盟関係にある場合)の維持を確認しました。ある大名(領国)の取次を重臣と近臣の双方が務めることが珍しくなかったのも、そうした文脈で解されるのではないか、と思います。

 なお、取次の介在する戦国大名の外交の仕組みは、勢力圏内でも同様であり、大名に服属する国衆は、取次を介して大名とつながっていました。現代人の私には、外交は内政と異なる特殊な作法に基づき進められる、との思い込みが無意識のうちにあったように思います。しかし戦国大名の外交は、領内統治の在り様と共通するというか、その延長線上にあったと言えるように思います。

 また、戦国大名の外交における主要な目的の一つたる和睦交渉が、特殊な作法ではなく中世社会の慣行に基づくものであることも指摘されています。戦国大名の和睦交渉において、しばしば紛争当事者ではない大名による仲介が見られます。これは、紛争当事者双方が中人と呼ばれる第三者に問題解決を委託し、中人の調停によって和解するという中世社会の紛争解決方法に基づいています。戦国大名権力が中世社会の中から形成されていったことをよく示しているのではないか、と思います。

 本書は、終章にて近世への展望も提示しています。応仁の乱後の室町幕府の将軍も、戦国大名間の和睦交渉に関与しました。しかし、軍事力の裏付けに欠けるため、その効果には限界があった、というのが本書の見解です。これを乗り越えた中央権力になりかけたのが末期の織田政権で、豊臣政権により名実ともに達成されます。その豊臣政権における取次の在り様は、戦国大名のそれの延長線上にあった、と本書では指摘されています。また、見直しの盛んな豊臣政権の惣無事についても、中世の中人制の伝統に則り行なわれたものとされており、中世と近世の連続性を意識した見解になっているように思います。

 この他にも興味深い見解は多いのですが、簡潔と言いつつやや長くなってしまったので、ここまでにしておきます。本書はひじょうに読みやすく、これは著者が意図してのことだろう、と思います。だからといって、低俗というわけでもなく、研究成果を一般読者に平易に伝えられる内容になっていると思います。本書の読者の多数派として想定される、戦国時代に関心を抱いており、一定水準以上の予備知識(その妥当性はさておくとしても)を持っている一般人にとって、得るところの多い一冊と言えるでしょう。戦国時代の勉強が停滞している私にとっては、大当たりの一冊となりました。

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