逆張りがしたいだけ

 これは10月30日分の記事として掲載しておきます。興味深い記事を読みました。私のような単純な人間は、優れた業績を残している歴史学の研究者が残念な発言をすることもあるし、歴史修正主義や(それと密接に関連している)差別主義の批判に熱心な人が無自覚に差別主義的な発言をすることもある、という素朴・単純な常識論につい落ち着いてしまいます。研究者がネットで専門から外れる分野にて問題のある発言をしても、それが専門分野における能力・業績を直ちに否定できるものではない、という素朴な常識論を忘れてしまい属人批判に走ると、しばしば誹謗中傷になりかねない、というわけで私も自戒しなければならない、と改めて思ったものです。

 しかし上記の記事は、そうした素朴な常識論にとどまらず、(該当分野の専門家ではないという意味での)素人による専門家への安易な批判、および差別主義的発言の横行するネットの在り様や、差別意識の自覚という問題についても考えさせられる奥深い内容になっていると思います。上記の記事で取り上げられている石濱裕美子氏については、このブログで言及したこともあり、何年もブログを読んできました。上記のブログでも取り上げられている石濱氏の著書には興味があるのですが、私の現時点での見識では咀嚼できそうにないので、もっと基礎的な知識を蓄積してからにしよう、と考えています。

 そういうわけで、私には石濱氏の専門家としての力量を的確に判断できるだけの見識はありませんが、優れた研究者の可能性が高いな、と思わせられるブログ記事を読んだことがあり、このブログでも取り上げたことがあります(関連記事)。これを読むと、上記の記事で引用されている石濱氏への「史料批判」が的外れであることがよく分かります。普通であれば、歴史学の研究者がそんな単純なことを言うのだろうか?と疑問に思うところでしょうが、石濱氏への嫌悪感が先立つと、的外れなことを言ってしまう、ということなのかもしれません。

 上記の記事で批判されている人は、日夜歴史修正主義者と戦っているそうで、おそらく差別主義も強く批判しているのでしょう。ところが、その人は

 「アイヌを祖先にもつ人間」が右翼とつるんでアイヌに悪口雑言というのはおかしいのではないのか、そういうことを俺は言いたかったことはあの駄文を読めばわかるような気がするのですが。

 という発言をしており、上記の記事でも指摘されているように、明らかに差別的です。さらに、

 「ダライのオウムからの金受領」「日本ウヨとの不適切なつきあい」とかチベットの愚行を一言も批判しない人たちがそう言うこと言っても俺個人は反感しか感じませんね

 という発言もしており、これも上記の記事で指摘されているように、反歴史修正主義を強く批判してきた人がよく用いている論理です。おそらく、歴史修正主義を強く批判している人の中にも、時としてこうした残念な人がいるのだろうな、と常識的には思います。しかし、それをどう説明・表現すべきかとなると、私の見識では困難でした。上記の記事では、

 「右翼」への逆張りがしたいだけであって人権とかは本心ではどうでもいいと思っているんだろうなあ

 と表現されており、なるほどそうかもしれないなあ、と感心したものです。もちろん、この「右翼」には多くの用語が代入可能で、とにかく何でも「左翼」批判に結びつけて熱心に語る人が、かつて私の周囲にいました(もう十数年間会っていませんが)。もちろん、私にも自覚できていない差別意識はあるでしょう。また、逆張りがしたい、という誘惑にかられることも珍しくありません(私の場合は、小沢一郎氏・勝谷誠彦氏・小島毅氏などがその対象です)。その意味で、自戒しなければいけないことが多々ある、と改めて思わされた記事でした。

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