『週刊新発見!日本の歴史』第27号「戦国時代2 戦国大名たちの素顔」

 まだ日付は変わっていないのですが、12月25日分の記事として掲載しておきます。この第27号は、戦国大名の支配構造を中心に扱っています。戦国時代は現代日本社会において最も人気の高い時代でしょうが、多くの人が関心を持ち詳しく知っているのは、英雄譚を中心とした人物中心の物語(「格好よく」言えば、人物中心の政治史)でしょう。小説・漫画・映像作品・ゲームなどで展開される戦国時代の物語は、現代社会との類比を強調し、現代にも通ずる普遍的な人生訓として人々に受容されることが多いように思います。

 おそらく、戦国時代の社会構造や戦国大名の権力構造といった問題は、戦国時代に強い関心を抱いている一般層のなかでも、強く意識している人は少ないのではないか、と思います。その意味で、戦国時代の好きな一般層がこの第27号を読んだ場合、「新発見」的な見解が多いな、と思う人が少なからずいることでしょう。この第27号もそうですが、毎号なかなか丁寧な作りになっているだけに、もっと売れてもらいたいものではあります。やはり、オールカラーページとはいえ薄いので、割高感が敬遠されているのでしょうか。以下、この第27号の「新発見」的見解についての備忘録です。

 戦国大名でも、東国と西国との違いが指摘されています。そうした指摘は以前よりありましたが、地理的要因から、東国大名よりも西国大名の方がアジア東部(東アジアや東南アジア)とのつながりが強かったこと(「海外交易」の比重の高さ)を重視するところが、「新発見」的でしょうか。これとも関連しますが、土着した公家が戦国大名化した事例として有名な土佐一条氏について、近隣の大内氏・大友氏との婚姻も通じて、海運・流通に依拠して地域権力を確立していったことを指摘した論考も、「新発見」的でしょうか。

 戦国大名の領国経営・支配構造については、おもに後北条氏の事例を中心に、村が基盤となっていたことが指摘されています。村同士・領主同士の争いを仲裁し、安全を保障することで、戦国大名の権力は成立していました。したがって、戦国大名が村の安全を保障できないとなると、村が戦国大名を見限ることもありました(領主も同様です)。そのため、戦国大名は村の安定を重視し、徳政や年貢の免除や訴訟制度の充実化といった政策で対応していました。こうして支配を固めていった戦国大名の画期性は、排他的な領域的支配を達成したことにある、と指摘されています。

 戦国大名が村の安全を保障して領国支配を強化していくと、戦国大名が自身の危機にさいして、「御国」のためは村のためでもある、との論理で村に負担を求めることもありました。こうして、村が自らの帰属すべき政治領域として、戦国大名を意識するようになりました。この第27号は、それこそ現在に連なる領域国家の起源と言えるのではないか、と主張しています。

 この他には、北条早雲(伊勢宗瑞)の通俗的な人物像を訂正する論考が「新発見」的でしょうか。早雲の出自や年齢について、じゅうらいの俗説が否定されていること(出自不明ではなく、俗説より24歳若い)は一般にもよく知られるようになってきたでしょう。この第27号はさらに、早雲が野心に満ちた人物で当初から積極的に支配地を拡大していこうとしたというよりも、周囲の要請をうけて行動した結果、戦国大名になったのではないか、とも指摘しています。豊臣政権下での兵農分離政策の推進を否定し、中世においてすでに「兵」と「農」が分離していたことを重視する論考も注目されます。

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