『週刊新発見!日本の歴史』第24号「室町時代3 応仁・文明の混迷と戦乱」

 まだ日付は変わっていないのですが、12月4日分の記事として3本掲載しておきます(その一)。この第24号は、義持の将軍就任の頃から応仁の乱の終結の頃までを対象としています。この第24号も「新発見」的な見解を複数提示しています。大名が任国ではなく京都で幕政に関与していたという見解は、教科書などに掲載されている守護の分布状況図が強い印象を残すだけに、少なからぬ人にとっては「新発見」的な見解かもしれません。この時期の相国寺の巨大伽藍と七重大塔は、「新発見」というか、一般にはよく知られていない史実の紹介と言うべきでしょうか。一般には室町幕府の最盛期は義満の時代と認識されているでしょうから、義持の時代が室町幕府の最安定期だったとの見解も「新発見」的と言えるでしょう。

 日野富子を応仁の乱の原因とする説に確たる根拠がないという見解も、「新発見」的と言えるでしょうか。その応仁の乱の契機として、幕政を壟断でき、騒乱が長期化はしないだろう、との山名持豊(宗全)の判断があったことを指摘した見解も「新発見」的でしょうか。前者は伊勢貞親と季瓊真蘂らが失脚した文正の政変を前提とし、後者は山名持豊のみならず当時の支配層全員の想定するところだった、と指摘されています。応仁の乱の意義についての、「幕府政治の主導権争いが結果として幕府政治の解体を招いてしまったのである」との見解は的確だろう、と思います。

 コシャマインの戦いについて、単純なアイヌ対和人という構図ではなく、和人(領主の一部)とアイヌが組むこともあっただろうし、その背景として東アジアにおける利権争いがあっただろう、との見解も「新発見」的です。しかし、この見解は状況証拠からの推論に基づくものであり、とても実証されたとは言い難いように思います。室町時代における経済構造の転換を指摘した論考も、「新発見」的と言えるでしょうか。それは、生産の技術革新や大規模化とも関連した、物流の変化(京都や鎌倉といった政治的拠点への集約的な流通経路から、各地域の拠点間の流通の拡大)です。これと関連して、物流の担い手である商人の系譜にも15世紀と16世紀で断絶が見られる、との見解も提示されており、内藤湖南の有名な応仁の乱論とも通ずるように思われます。

 室町時代の天皇が幕府将軍(というか室町殿)にさまざまな面で配慮し、自制していたことを指摘した見解も、通俗的な室町時代認識と合致していそうだとはいえ、その具体的な史実自体は「新発見」的と言えるでしょう。室町時代の天皇は、貴族や寺社と同様に室町殿から所領を安堵される存在だった、との見解が提示されています。この第24号の扱う時代はかなり不人気でしょうから、そもそもこの時代の研究成果が一般にはよく知られていないように思います。その意味で「新発見」的な見解が多くなっているのではないか、とも思います。

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