『週刊新発見!日本の歴史』第28号「江戸時代1 徳川家康の国家構想」

 この第28号は、豊臣秀吉の死から徳川家康の死までを対象としています。家康のみならず秀吉も死後に神格化され、織田信長にもそうした構想があったらしいことは、一般にもよく知られていると思います。この第28号では、その背景に中世~近世にかけての思想上の変化があったと指摘されており、ここが「新発見」的でしょうか。人の本質を清浄と見る密教思想などの影響が拡大していく中、一部の神職の間で逝去した当主を聖なる存在として祀ることが始まった、と指摘されています。

 この第28号には、秀吉に臣従してから死にいたるまでの家康の居所表が掲載されており、有益です。この家康の居所の分析から、征夷大将軍としての家康は伏見城を拠点に全国統治を図った、とする見解が提示されており、「新発見」的と言えるでしょうか。家康が大名を在京させ、大名と国元の家臣団とを分離し、大名交戦権を凍結したり、統合された公儀の軍団によって大名の改易・転封を行なったりしたことにより、統治体制の確立を推進していった、との指摘も「新発見」的でしょうか。もっとも、これは豊臣政権でも行なわれていたことも指摘されています。

 戦国時代以降、日本における金銀の産出量が増加したことはよく知られているでしょうが、そのピークは家康の時代だった、と指摘されています。また、家康が貴金属の精錬法の改良を企図し、メキシコの水銀アマルガム法を導入しようとした事実も紹介されており、これも「新発見」的でしょうか。もっとも、この計画は頓挫してしまいますが。禁中並公家諸法度と呼びならわされてきた法令の正式名称は禁中並公家中諸法度であり、天皇の非政治化を目的としたものではなく、公家社会再建も意図したものであった、との見解も「新発見」的でしょうか。

 家康が秀吉に臣従してから大老になる前までの時期を取り上げていることも、この第28号の特徴と言えそうです。この時期の家康が、東国大名たちに豊臣政権への服属を促したり、東国大名間の対立を調停したりしたことが指摘されています。また、家康が豊臣政権による小田原攻めや九戸政実攻めといった有事のさいには、先鋒や指揮官を務めたことも指摘されています。関ヶ原の戦いのおり、関ヶ原やその周辺のみならず、東北から九州まで広範に戦闘が見られたことは一般にもよく知られているでしょうが、この第28号ではその様相が地図にまとめられており、有益です。

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