ネットの活用の難しさと恐ろしさ

 私がインターネットを利用するようになって今年で17年となりますが、ネットの活用は難しいな、との考えはずっと変わりません。ずいぶん前に、ネットの恐ろしさについてこのブログに雑感を掲載したことがあります。ネットでは迂闊なことは言えない、との考えは、ツイッターの普及によりさらに確固たるものになりました。私はこのブログで割と率直に自分の見解を述べてきましたが、それは過疎ブログで注目されていないからという安心感があるためです。しかしそれでも、一応ある程度は自制しているつもりです。

 私もそうですが、ネット上で意見を表明する人のほとんどは本名を名乗っていないでしょう。何かとしがらみのある世の中ですから、本名だと言いにくいこともあります。そのため、私自身が本名では発言していないということもありますが、本名での発言ではないと価値がない、とは私は考えていません。ただ、本名でないと発言に無責任になりがちだとは言えるかもしれません。おそらく、本名だと用いないだろう罵倒表現や差別発言をネットで発信する人は、少なからずいるでしょう。

 本名での発信ではないという安心からそうなってしまうのでしょうが、この場合、本名だと自制するような罵倒表現を用いるだけではなく、自分を「大きく」語ってしまうこともあるようです。本人の主観としては違うのかもしれませんが、そうした自慢めいたところや、「全能感」を閲覧者に意識させてしまうと、傲慢だとして揶揄の対象となってしまいます。さらに、その自慢めいた話で自分語りを多くしてしまうと、身許詮索の重要な手がかりとなることもあります。

 ネットにはさまざまな情報が掲載されていますから、分からないだろうと油断していても、特定されることもあるでしょう。こうなったら手遅れで、一度判明してしまうと、ネットであっという間に拡散してしまいます。そうなると、実は本名でも情報を発信しており、発言内容自体に矛盾があるとか、そうではないとしても、本名とそうでない場合とで態度がまるっきり違う、などといった新たな事実も判明するかもしれません。そうすると、本名ではないのをいいことに箍の外れたことをする人なのだ、と本人の評判を下げる結果になるでしょう。

 ネット上で本名ではないことを前提とした発信者の身許を詮索するのは、あまりよいことだとは思えません。しかし、当人の主観とは異なっているとしても、傲慢だと受け取られかねない発言を繰り返し、自慢めいた自分語りを繰り返しているような場合は、自業自得と言われても仕方のないところでしょう。最近のネット上のやり取りを見て、有益な情報も多く発信できているのに、残念なことになりかけているなあ、と思う事例があったので、雑感を述べてみた次第です。

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