金子拓『織田信長<天下人>の実像』

 講談社現代新書の一冊として、講談社より2014年8月に刊行されました。本書は、対朝廷・天皇の観点から、信長の志向を検証しています。本書の背景には、領地支配・流通政策などにおいて、信長の革新性を見直すという戦国時代の研究動向があります。本書を読む前は、信長の領地支配・流通政策などについても、通俗的に語られている革新性を検証していくのかな、と期待していたのですが、それらの「考察はしかるべき時機にゆだねざるをえない」とのことで、正直なところこの点では残念でした。しかし、信長と朝廷・天皇との関係についての解説は丁寧で、読みごたえがあると思います。

 本書は基本的には信長と朝廷との関係を協調的と把握し、両者の関係を対立的に把握する見解を、史料に基づいて批判していきます。近年では、両者の関係を対立的に把握する見解はさほど支持されておらず、協調的な関係にあった、とする見解が優勢なようです。本書は、天正改元・蘭奢待切り取り・正親町天皇の譲位問題・絹衣相論・興福寺別当職相論・左大臣推任問題などを取り上げ、信長の影響力が過大評価されていたり、信長の意図が誤認されていたりしたことを論証していきます。

 本書の描く信長像は、先例を重視し、自身の理念に忠実であろうとした、実行力のある人物である、というものです。信長は「天下静謐」を自身の責務とし(信長にとってというか同時代の「天下」は、「日本全土」ではなくもっと狭い意味でした)、判断基準として行動するという意味で、明快であり一貫していました。そのさいの政権構想は、畿内を中心とした将軍権力と地域の大名権力が併存した緩やかな体制という、室町幕府的なものと大きくかけ離れてはいませんでした。天下静謐維持を自身の責務とした信長は、これに敵対する勢力にたいして軍事行動を起こし、滅ぼしたり服属させたりしました。信長が全国統一に邁進して領国を拡大していたかのように見えたのは、結果論にすぎない、というのが本書の見解です。

 しかし本書は最後に、信長は最晩年になって天下静謐から征服欲をむき出しにした領土拡大へと方針を変えたのではないか、との仮説を提示しています。その具体的な現れが、本能寺の変の原因として挙げられることもある四国政策の転換です。本書は、四国政策の転換により光秀が面目を失ったことだけではなく、信長の方針が大きく変わったことも、本能寺の変の一因になったのではないか、と指摘します。信長最晩年の方針転換に関する本書の仮説は、それまでの信長の志向に関する検証と比較すると、まだかなり弱い感は否めませんので、今後の研究の進展に期待しています。

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