板橋拓己『アデナウアー 現代ドイツを創った政治家』

 中公新書の一冊として、中央公論新社から2014年5月に刊行されました。本書はアデナウアーの伝記ですが、ドイツ第二帝政の成立した5年後に生まれ、1967年に死去した政治家アデナウアーの伝記となると、第二帝政→ヴァイマル体制→ナチス体制→西ドイツという、二度の世界大戦も含む激動のドイツ近現代史と大きく重なります。本書は、政治家アデナウアーの伝記であり、アデナウアーを軸とするドイツ近現代史にもなっています。ただ、やはり第二次世界大戦後の分量が多く(第2章~第4章)、それ以前は簡潔な解説となっています(第1章)。

 本書は、アデナウアーの政治家としての意義として、ヨーロッパにおいて東西間を天秤にかけながら行き来する「ブランコ外交」や、西欧を出し抜いてソ連と提携する「ラパロ外交」や、中東欧を勢力圏とする「中欧」政策を特徴とするドイツのじゅうらいの外交政策から、ドイツを西側世界に徹底的に結びつける反共主義色の強い「西側結合」へと転換したことを挙げています。このアデナウアーの政策転換は、その後の西ドイツの外交政策を強く規定するものでした。ただ一方で本書は、アデナウアーの個性とその影響力の強さを認めつつも、「西側結合」が時勢に沿ったものであることも指摘しています。

 アデナウアーの個性の形成には、地域と家庭の影響が大きかったようです。アデナウアーが生まれ育ったケルンのカトリック市民層は、「実際的」で「開放的」で「リベラル」な性格が強かったようで、バイエルンのようにカトリックが反自由主義的な勢力を代表していたのとは違っていたようです。家庭に関しては、アデナウアーの父親はかなり厳格な性格だったようで、アデナウアーは規律と服従を重視する権威主義的な性格を育んでいったようです。これは、アデナウアーがヴァイマル体制下で調整役としての首相を務めることを拒否し、「君主」たるケルン市長として君臨するのを選択したことや、後の西ドイツ首相時代の振る舞いにも反映されているようです。

 上述したように、第二次世界大戦前の記述は少ないのですが、第一次世界大戦が勃発したさいに、ケルン市の首席助役だったアデナウアーは、戦争は短期間で終結すると考えていた参戦国の多くの国家指導層とは異なり、当初から戦争の長期化を予想していた、との解説が印象に残ります。この点ではアデナウアーに先見の明があったと言えそうです。ただ、さすがにアデナウアーも当初からドイツの敗戦を予期できていたわけではなかったようですが、第一次世界大戦後半ともなると、ドイツの敗北を覚悟していたようです。

 第二次世界大戦後、ナチス政権によって追放され、二度にわたって収監されていたアデナウアーは、ケルン市長として復権しました。しかし、連合国の占領軍との関係は、米国とは良好だったものの、労働党政権だった英国とは対立的であり、これが後のアデナウアーの外交路線に影響を与えた可能性が指摘されています。首相時代前半のアデナウアーは、連合国占領軍との「特権的対話者」であることが権力の源泉となっていたようです。これには、アデナウアーが第一次世界大戦後にケルン市長として占領軍と交渉した経験が活きているようです。

 首相としてのアデナウアーの功績は、外交面で顕著でした。ナチス体制を経て厳しい視線が向けられていた西ドイツを、「西側結合」政策による限界もあったとはいえ、国際社会に復帰させることに成功しました。第二次世界大戦後にドイツ人の集団的罪責を一貫して否定し続けたことや、旧ナチス党員への「融和策」など、ドイツの「おぞましい犯罪行為」への責任の取り方・認識が不充分だったとして、アデナウアーはよく批判されますが、本書はそうしたアデナウアーの限界を認めつつも、イスラエルとの交渉など、アデナウアーがじっさいに和解に乗り出したことも指摘しています。

 アデナウアーの政治家としての業績として、本書はケルン市長時代の近代化も挙げつつ、その最大の功績として上述の外交政策を評価していますが、西ドイツに民主主義を定着させたことも指摘しています。もっとも本書は、アデナウアーの独善的で猜疑心が強く権威主義的な個性からも、アデナウアーを素直に民主主義者と呼ぶことは躊躇われる、とも述べています。さらに本書は、アデナウアーの権威主義的な政治指導である「宰相民主主義」は、西ドイツ国民に政治に積極的に関与しようとしない「おまかせ民主主義」を根づかせることにもなった、とも指摘しています。

 こうした政治文化は、1960年代になって西ドイツにおいて克服の対象となりました。東側との融和路線など変容を遂げつつも、アデナウアーの「西側結合」政策がその後の西ドイツの外交政策を強く規定したように、政治家アデナウアーには西ドイツの「国父」・「創建者」としての性格も強く認められます。しかし一方で、「アデナウアー的な政治」からの脱却も西ドイツにおける政治的課題であり、じっさいにアデナウアー時代とは異なってきている側面もあるようです。

 西ドイツ首相時代のアデナウアーは、その終盤には政治的判断にさいして迷走が目立ち、しだいに影響力を失っていったようです。アデナウアーは首相就任時にすでに高齢でしたから、加齢による判断能力の衰えもあったのかもしれません。しかし、ナチス体制前のケルン市長時代にも、在任期間が長引くと強引な政治運営から反感を買っていたことが窺えますから、上述した権威主義的なアデナウアーの個性もあって、政権運営とその判断が硬直化していった、という側面もあるのかもしれません。また、アデナウアーほどの人物といえども、長期政権での弊害は避けられない、ということでもあるのでしょう。

 本書は全体的になかなか読みやすく、新書という性格を意識した構成・叙述になっていると思いますし、ドイツ近現代史の復習にもなるので、門外漢の私にとってはかなりの良書でした。やはり、伝統もあって優秀な編集者がいるだろうということで、中公新書には当たりが多いということなのでしょうか。本書によると、アデナウアーは首相時代後半から東西統一を経て現在まで一貫して、調査において最も偉大なドイツ人の第1位とのことです。本書を読むと、アデナウアーの限界も色々と指摘されてはいるものの、その評価に肯けるところはあります。

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