岡本隆司『袁世凱─現代中国の出発』

 岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2015年2月に刊行されました。本書は、日本でも中国でも未だに評判の悪い袁世凱を取り上げています。本書によると、清末民初の時代背景はかなり詳細に解明されつつあり、袁世凱の再評価も進んでいるそうです。しかし、悪評に満ちたじゅうらいの袁世凱像に替わる的確な人物像が新たに提示されているのかというと、そうではない、と本書は指摘します。本書の狙いは、現時点での研究水準に即して新たな袁世凱像を提示することにあり、辛亥革命以前の比重が高いのが特徴となっています。

 本書の提示する袁世凱像は、実務の処理を黙々粛々とこなす典型的な官僚タイプであり、目的達成のためには手厚い社交も冷酷な暗殺も厭わない、というものです。「世評のごとき奸雄の器にあらずして堕弱なる俗吏なりき」との袁世凱についての北一輝の評言は、「堕弱」なのか否かはともかく、意外に当を得ている、と本書は評価しています。俗吏・実直な官僚たる袁世凱は、最新流行の時代思潮や理論的・抽象的なイデオロギーに迎合することはなく、ファッショナブルな人物ではなかった、と本書は評価しています。ここに、袁世凱が現在でも不人気である理由の一因があるのかもしれません。

 袁世凱を俗吏・実直な官僚と評価する本書は、袁世凱は目に見えることを目の届くかぎりで処理できたものの、中国全体に関わる大計を扱うにはふさわしくなかった、と指摘しています。袁世凱が出世していた時期は、「督撫重権」体制のもと、経済的にも軍事的にも地方の自立的な性格が強くなっていきました。つまり、袁世凱が「統一されていた中国」を分裂させてしまったのではなく、袁世凱が出世して権力を掌握していく過程ですでに分裂状態だったわけで、この点でも袁世凱に関する通俗的な悪評は見直される必要があるのでしょう。

 そうした清末民初の状況において、有力者たちが失脚などで退場していき、袁世凱は輿望を集めて中央の最高権力者となりました。本書を読むと、俗吏・実直な官僚たる袁世凱にとって、ナショナリズムが盛り上がり、一体化・中央集権化が希求される一方で、分権的な社会構造が確立している状況は荷が重かったのかな、とも思います。しかし本書は、蒋介石や毛沢東など後の最高権力者も壁にぶつかっては挫折を繰り返していたと指摘し、袁世凱政権には財政金融改革など先駆者としての側面もあった、と評価しています。また、袁世凱の悪評を決定づけた皇帝即位に関しても、当時としては完全な時代錯誤とは言えなかったことも指摘されています。

 本書の提示するこのような袁世凱像は、「変法派」や「革命派」を正統とみなすような通俗的歴史観(中華人民共和国の「正統的」な歴史観と通ずるところがあります)の見直しとも関連しています。たとえば、康有為や光緒帝への評価はかなり冷ややかです。現代日本社会に生きていると、心情的にどうしてもそうした通俗的歴史観に惹かれやすいかもしれませんから、本書のように新書という形式で一般層に指摘することは、意義があると言えそうです。本文中にもあるように、本書は意図的に私生活から窺える袁世凱像にはほとんど言及していないのですが、新書という形式で時代背景への解説の行き届いた、良質な袁世凱伝になっていると思います。

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