『天智と天武~新説・日本書紀~』第70話「入鹿との再会」

 『ビッグコミック』2015年8月25日号掲載分感想です。前回は、天智帝(中大兄皇子)が斑鳩寺(法隆寺)の焼打ちを兵士たちに命じ、祟りを怖れる兵士たちがその命を拒むところで終了しました。今回は、天智帝の命を拒んだ兵士たちが殺されることを怖れるなか、激怒した天智帝が単独で斑鳩寺を焼打ちに行こうとする場面から始まります。天智帝は、祟りが存在しないことを証明してみせる、と宣言し、兵士たちを腰抜けと罵倒して斑鳩寺へと向かいます。

 天智帝は、今は亡き藤原(中臣)鎌足(豊璋)までもが、晩年に蘇我入鹿の幻に翻弄されていたことに苛立っていました。近江大津宮から斑鳩までは、直線距離で40km~50km程度ありそうですが、帝でありながら夜中に一人で行こうとするところに、天智帝の行動力と子供っぽさがよく現れているように思います。本作の天智帝ならば、こうした行動に出ても不思議ではないので、まあいつものことだなあ、という感じで微笑ましくさえなります。

 天智帝が単独で斑鳩寺を焼打ちしようとしている、と自邸にて鵲より報告を受けた大海人皇子(天武帝)は、蘇我入鹿を模した仏像(現在では法隆寺夢殿に安置されている救世観音像)がまだ斑鳩寺に安置されていることから、慌てて自ら斑鳩寺へと向かいます。父の入鹿がふたたび異父兄の天智帝の手にかかるようなことがあってはならない、と決意を固める大海人皇子ですが、一度くらい好きにさせてやる、と余裕だったわりには焦っており、相変わらずの甘ちゃんです。大海人皇子も天智帝も、成長しているようでそうでもないところも残っている、というところは変わりません。

 大海人皇子の配下が斑鳩寺から入鹿を模した仏像を運び出そうとしていたところに、天智帝が到着します。大海人皇子の配下の見張りは天智帝に燃水(石油)をかけられて炎上してしまいます。五重塔にも放火してきた、お前たちも燃水をかけられたいのか、と脅迫された大海人皇子の配下たちは、入鹿を模した仏像を置いて逃げ去ります。天智帝は、燃やす前に仏像の顔を見ようと考えて、仏像を覆っていた布をはぎ取ります。

 天智帝は仏像の顔に入鹿を見て切なそうな表情を浮かべ、入鹿との日々を回想します。天智帝が仏像に触れようとしたところ、大海人皇子が現れ、汚れた手で父上に触るな、と言います。大海人皇子は天智帝に、斑鳩寺から出ていってください、と言います。大海人皇子は、斑鳩寺をどうしようとかまわないが、入鹿を模した仏像にだけは手出しをさせない、と天智帝に言います。天智帝は、じっくりと見ると入鹿の容貌と異なると分かるのに、なぜこうも入鹿を想起させるのか、これが鎌足の言っていた「生々しさ」だろうか、と言います。

 仏像制作を発願した蘇我倉山田石川麻呂とそれを引き継いだ孝徳帝、製作した新羅の仏師、完成まで隠し通した大海人皇子の想いが仏像にこもっているのだろう、と言う天智帝にたいして、入鹿も石川麻呂も孝徳帝も兄上と鎌足が殺したようなものだが、死ぬ前に彼らは悔い改めることができ、その証がこの仏像なのだ、と大海人皇子は言います。すると天智帝は、鎌足はともかく、自分が手にかけたのは二人だけだ、と言います。大海人皇子には、それが自分の父の蘇我入鹿と、自分と天智帝の母である斉明帝のことだと、ただちに分かりました。

 天智帝は陶酔したような狂気にとりつかれたような表情を浮かべ、この手で殺して、誰のものでもない、自分のものになったのだ、と言います。それはただの幻想であり、永久に兄上の手の届かないものになっただけだ、と大海人皇子が冷静に反論すると、そうかもしれない、と天智帝は認めます。しかし天智帝は、自分は入鹿と母の最期の声・息・鼓動を聞いた、自分だけしか知らない、自分だけのものだ、と言い放ち、さすがに大海人皇子も唖然とします。しかし天智帝は、殺したはずの入鹿は、お前とこの仏像を通していつも蘇り、生き続ける、絶対に自分のものにはなりきらない、と言って自嘲します。

 すると大海人皇子は涙を流し、愛を奪うことでしか示せないとは、なんと悲しいことか、と言います。一瞬怯んだ天智帝は、そういうお前はどうなのだ、私を愛しながらも命を奪おうとしているではないか、と問いかけます。すると大海人皇子は、もうやめませんか、と言って天智帝を抱きしめます。孤独の地獄は鎌足亡き今一層暗く深いはず、もう充分ではないか、と大海人皇子は天智帝に語りかけます。火が大海人皇子と天智帝のいるお堂にも燃え移ろうとしたのを見て鵲が心配し、大海人皇子と天智帝が入鹿を模した仏像の前で向き合う、というところで今回は終了です。


 今回は、本作の主題とも言える、天智帝と大海人皇子との兄弟喧嘩というか、心理戦が描かれました。近江遷都以降、天智帝の即位に鎌足の死と、大きな出来事が駆け足気味に描かれているようにも感じられたので、単行本第9集あたりで完結するのではないか、と一時は不安だったのですが、今回を読んだ限りでは、大海人皇子と天智帝との心理戦は今後も丁寧に描かれそうなので、完結は単行本第10集以降になりそうだな、とやや安心しています。大海人皇子と天智帝との心理戦は、天智帝の崩御前にも描かれるでしょうから、単行本第11集(92話~93話?)くらいまで続くのではないか、と期待しています。

 今回改めて、天智帝が入鹿を深く愛していることが描かれました。もっとも、天智帝から入鹿へは、愛だけではなく憎悪も向けられていたわけですが・・・。天智帝のこの感情は子供の頃からずっと変わらず、おそらくそれは最期まで変わらないのでしょう。今回問題となるのは、大海人皇子の意図です。素直に読むと、天智帝を孤独から救い、和解しようと考えていることになりそうです。天智帝に心理戦を仕掛けているとも解釈できるかもしれませんが、大海人皇子は父の入鹿のこととなると冷静でいられなくなることがあるので、おそらくは本心だろうと思います。

 何度か兄の天智帝を救い、和解しようとしたにも関わらず、兄から裏切られたり拒絶されたりしたため、大海人皇子は復讐に邁進する決意を固めました。しかし、またしても天智帝を救い、和解しようとするところが、大海人皇子の甘いところだとも言えます。天智帝がずっと子供っぽさを残しているのにたいして、大海人皇子の方は、非情な復讐者に徹しようとしてもそうできない、という甘さをずっと克服できていないようです。しかし、それが大海人皇子の優しさ・寛大さにつながっており、大海人皇子が人々から慕われる要因になっているように思います。

 今回天智帝は、大海人皇子が自分を愛している、と言っていましたが、これは勘違い発言のようにも思われます。大海人皇子が天智帝に執着していることは間違いありません。また、天智帝に復讐したいと考えている一方で、かつての身内発言(第30話)からは、天智帝と身内としての親しい関係を築きたい、という願望もあるようです。しかし、天智帝から大海人皇子へと向けられているような性愛的側面は、その逆方向にはないように思われます。大海人皇子が天智帝と和解しようとしているというか、天智帝を孤独から救おうとしているのは、父も祖父も殺され、家族を欲していることと、生来の甘さ(優しさ)のためではないか、というのが私の解釈です。

 大枠では通説にしたがって話が進むでしょうから、けっきょく大海人皇子と天智帝とは最終的に和解することはないのでしょう。しかし、その前に一時的な和解が成立し、それにより話が動いていく、という展開も考えられるので、次回が楽しみです。今回、年代が明示されていなかったのですが、鎌足の死後間もなくのことでしょうから、669年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)のことだと思います。そうすると、斑鳩寺はこの火事では全焼せず、翌年4月30日に全焼することになりそうです。かりに大海人皇子と天智帝が和解するとしても、すぐに破綻するのでしょう。まあ、これまでの話から推測すると、けっきょく今回も大海人皇子と天智帝が和解することはなさそうなので、天智帝はこの後も執拗に斑鳩寺を狙い、ついには焼打ちに成功することになりそうです。

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