筒井清忠編『昭和史講義─最新研究で見る戦争への道』

 ちくま新書の一冊として、筑摩書房より2015年7月に刊行されました。現代日本社会において昭和史への関心は高く、毎年多くの一般向け書籍が刊行されています。しかし、そうした書籍のなかには、現在の研究水準では否定されている見解がいまだに提示されているなど、問題のあるものも多いので、第一線の研究者たちによる一般向けの昭和史を企画した、とのことです。一般向けの昭和史に問題のあるものが少なくない一因として、昭和史の研究は細分化されていて、専門家の間でさえ、分野・時代が多少ずれると、最新の研究成果が共有されなくなっていることが多い、という事情があるようです。

 「最新研究で見る戦争への道」とあるように、戦争へといたる内政・外交的要因についての解説が主で、経済面の解説が少なく、文化・思潮面の解説がほとんどないことは残念ですが、占領期までの昭和史の最新の研究成果を知ることができますし、昭和史の復習にもなるので、良書だと思います。関心の高い昭和史だからこそ、新書でのこうした企画も可能なのでしょうが、他の時代でも同様の新書を刊行してもらいたいものです。戦国時代と幕末ならば、ある程度以上売上が見込めそうなきがするのですが。まあそれはさておき、以下、本書で提示された興味深い見解について備忘録的に述べていきます。


●渡邉公太「ワシントン条約体制と幣原外交」P13~30
 第一次世界大戦後の「ワシントン体制」については、その枠組み自体を見直そうとする動向が強まりつつあるようです。これと関連して、戦間期の幣原外交についても、単純に対英米協調主義だったのではなく、その対中不干渉主義傾向が、相対的な国力低下により東アジアへの干渉が難しくなったイギリスとの対立を招いたことも、指摘されているそうです。幣原外交の破綻については、中国ナショナリズムの盛り上がりや世界恐慌後の自給自足圏構想に対応できなかったことと共に、派閥や特殊な人脈を築こうとしなかった、幣原自身の(日本的な官僚モデルから外れた)個性も指摘されています。


●小山俊樹「普通選挙法成立と大衆デモクラシーの開始」P31~48
 護憲三派内閣を成立させ、政党政治の時代を開いた第二次護憲運動については、第一次護憲運動と比較して国民の広範な支持が得られず、盛り上がらなかった、との評価もありましたが、近年では、都市の民衆や農村の青年などを中心に、広範な支持があったことが指摘されています。戦前の政党政治期の選挙では、内務省を掌握できたことから与党が有利となる傾向があったようですが、もう一つの傾向として、得票の大きな変動が挙げられます。これは、一般の有権者が激増した都市部を中心に、大量の浮動票が生まれたことが背景としてあるようです。


●家近亮子「北伐から張作霖爆殺事件へ」P49~71
 いわゆる第二次北伐前に日本を訪れた蒋介石と、当時の日本の首相である田中義一との会談も取り上げられています。この会談で、両者は反共という点で一致しており、蒋介石の方は、一定の了解が成立したと考えていたようですが、両者の間には意識の大きなずれがあったようで、それが山東出兵へとつながったのでしょう。時代や立場を問わず、意思の疎通は難しい問題であり、それが権力者同士のこととなると、国家間の関係にも大きく影響し、対立を深める契機にもなる、ということなのでしょう。


●畑野勇「ロンドン海軍軍縮条約と宮中・政党・海軍」P73~88
 ロンドン海軍軍縮会議に関する当時の論点の変容と、その後の影響への見通しが解説されています。当初は兵力量の問題だったのが、野党の政友会により統帥権干犯問題が大きく取り上げられ、その後の政治に大きな影響を及ぼすことになりました。また、当時の浜口内閣は、天皇と宮中勢力の支持も得て条約締結には成功するものの、反対派との意思疎通という点では欠けた点があり、反対派を結集させてしまったことが、大きな問題点であったことも指摘されています。


●等松春夫「満州事変から国際連盟脱退へ」P89~106
 満州事変の前提として、ソ連が日本にとって脅威だという認識も大きかったようです。これは、ソ連のイデオロギーもさることながら、張学良が仕掛けた中ソ戦争においてソ連が圧勝し、ソ連軍の訓練と装備が優れていることが認識されたことも大きかったようです。日本の国際連盟脱退については、全権の松岡洋右の本意ではなかったことも指摘されています。しかし、国内世論はこの決定を大歓迎し、日本の国際連盟復帰への道(脱退が発効するのは通告から2年後で、それもあって国際連盟や列強は日本の復帰を期待して、満州問題で静観を続けました)を閉ざしてしまいました。国民の意向が外交にも大きな影響を及ぼすようになったことの弊害が強く出ているとも言えるかもしれませんし、それは現代においても同様なのでしょう。


●柴田紳一「天皇機関説事件」P107~120
 天皇機関説事件は裾野の広いものであった、と指摘されています。多様な勢力・人物が、さまざまな目的・手段で関与した事件だった、というわけです。政友会が美濃部達吉を執拗に攻撃した理由として、虎の門事件で山本内閣が辞職したことを引き合いに、桜田門事件で犬養内閣が辞職しなかったことを痛烈に批判した12名の知識人の筆頭に、美濃部がいたことも挙げられています。天皇機関説事件が、単なる学説上の問題ではなく、政争でもあったことをよく表していると言えそうです。


●筒井清忠「二・二六事件と昭和超国家主義運動」P121~139
 2・26事件の背景として、平準化を求める動きが指摘されています。これは、国内的には経済格差の問題であり、国際的には、英米をはじめとする列強と植民地との問題でもありました。両者は連関しており、国内の「特権階級」は対英米協調派とみなされたため、この平準化の動向では英米との対立が想定されることになりました。こうした昭和超国家主義運動は、政治的には2・26事件で敗北したものの、国内の平準化は戦中・戦後を通じてじょじょに実現されていった、と指摘されています。


●岩谷將「盧溝橋事件─塘沽停戦協定からトラウトマン工作まで」P141~156
 塘沽停戦協定から盧溝橋事件を経て全面的な日中戦争にいたるまでの経緯が解説されています。この間、両国の間で和平の動きがなかったわけではありませんし、盧溝橋事件の直後においても、必ずしも全面的な日中戦争が必然だったわけではないようです。しかし、日中ともに中央政府が外交・軍事を一元的に把握できていなかったことと、直近の情勢判断と希望的観測により、結局は全面的な戦争に突入した、と言えそうです。こうした問題は、大規模な組織にあってはどの時代にも起き得ることなのでしょう。


●戸部良一「日中戦争の泥沼化と東亜新秩序声明」P157~173
 日中戦争が膠着状態に陥っていった経緯が解説されています。よく知られているように、日中戦争は法的には最後まで戦争ではなく、あくまでも事変でした。そのため、簡単に収束するのではないか、との楽観的観測が日本国民の間では根強かったことが指摘されています。日本は兵力不足もあり、拡大した日中戦争を有利な条件で終結させる手段を見出せなくなります。そこに、ヨーロッパでの大戦の勃発と、ドイツの快進撃という事態が出現します。こうした情勢変化を受けて日本では、「世界的大変動」の一環として日中戦争を解決しよう、との発想が強まっていったようです。


●花田智之「ノモンハン事件・日ソ中立条約」P175~191
 今では日本でもよく知られるようになったと言えるかもしれませんが、ノモンハン事件では日本軍よりもソ連軍の方が死傷者が多かったことが指摘されています。とはいえ、だからといって日本軍が勝利したとはとても言えそうにありませんが。また、日本軍において中央と現地とで対立が見られ、中央が現地を統制できていなかったことはよく知られているでしょうが、ソ連軍においても、同様の事態が見られたことが指摘されています。日ソ中立条約が不可侵条約とならなかった理由については、日中の間で正常な関係が回復されるまで、ソ連は日本と不可侵条約を締結しない、との方針が中国側に提示されていたことが指摘されています。


●武田知己「日独伊三国同盟への道」P193~210
 日独伊三国同盟締結へといたる過程が解説されています。日独防共協定から日独伊三国同盟締結にいたるまでは、国際情勢の激変にともない、紆余曲折がありました。この間の経緯から、日本とドイツの思惑に大きな違いがあることが明らかなのですが、そうした思惑の違いは、結局日独伊三国同盟締結後も解消されなかった、と言えそうです。そのため、日独伊三国同盟は実質を欠いており、相互不信が激しかったことも指摘されています。また、日独防共協定から日独伊三国同盟締結へといたった背景として、近代日本における親ドイツ感情が根強くあったことも指摘されています。


●牧野邦昭「近衛新体制と革新官僚」P211~227
 新体制は経済面では統制を志向しました。その背景として、日中戦争の膠着化・マルクス主義や国家社会主義への共感などが挙げられていますが、それらだけではなく、大恐慌後の財政膨張による景気回復が好景気の実現により過熱気味になったため、各種の経済統制が必要になった、という事情もあるようです。いわゆる革新官僚については、理念によって政策を正当化しつつも、「計画的オポチュニスト」として現実に対応して各種の統制を実行し、国民を戦争に動員していったのではないか、と指摘されています。


●森山優「日米交渉から開戦へ」P229~246
 太平洋戦争の勃発へといたる日米交渉の経緯について解説されています。いわゆるハル・ノートにおいて、米国側が日本への条件を突如として釣り上げた理由について、複数の仮説が提示されていますが、今でも決定的な理由は不明とのことで、それは今後も変わらないようです。米国も日本と同じく、政府・軍有力者の思惑が一致していなかった、という当たり前の事情が背景としてあったのでしょう。真珠湾陰謀説は否定されていますが、不在の証明は不可能なので、今後も繰り返し提示され続けるだろう、との見通しが提示されています。


●鈴木多聞「「聖断」と「終戦」の政治過程」P247~264
 ポツダム宣言受諾の要因として、原爆投下とソ連参戦のどちらが大きかったのか、という議論は今でも決着していないそうです。なお、日本政府はソ連の参戦を予想していたものの、その時期に関しては確証がなかったようで、本土決戦が始まるまでソ連は参戦しないだろう、との希望的観測も情勢判断を誤らせた一因のようです。ポツダム宣言の受諾に関しては、個人レベルでの考察の必要性が指摘されているのも注目されます。戦争末期に指導者たちは睡眠不足に陥るなど、心理的に追い詰められており、それが指導者たち個々の判断に影響を与えたのではないか、というわけです。


●井口治夫「日本占領─アメリカの対日政策の国際的背景」P265~281
 占領期およびその後の日本の動向を規定した国際的要因として、冷戦構造の確立と中国の凋落とが挙げられています。国民党は共産党との内戦に敗北して台湾のみを統治する政権となり、共産党政権(中華人民共和国)とソ連とを離間させる政策が失敗したため、米国は第二次世界大戦後のアジアにおけるジュニア・パートナーとして日本を選択し、冷戦構造においてソ連と対峙するために敗戦国の日本やドイツ(西ドイツ)の経済復興を企図した、というわけです。戦後の日本が冷戦構造において多分に受益者であった側面は否定できないでしょうが、それが今でも多くの日本人の意識を制約している、とも言えるかもしれません。

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