中野三敏『写楽 江戸人としての実像』

 これは6月11日分の記事として掲載しておきます。中公文庫の一冊として、中央公論新社より2016年9月に刊行されました。本書の親本は、同じ題名で中公新書の一冊として中央公論新社から2007年2月に刊行されました。東洲斎写楽はおそらく浮世絵師のなかでも知名度では最上位を争うくらいの人物で、「謎解き」の観点から高い関心が寄せられてきました。写楽の正体に関しては、もう幕末に近い天保年間の『増補浮世絵類考』に、阿波藩お抱えの能役者である斎藤十郎兵衛とあり、本来ならば詮索は無用だったはずですが、同時代の有名人と同一人物ではないか、との議論がとくに第二次世界大戦後に盛り上がりました。

 その結果、喜多川歌麿・葛飾北斎・十返舎一九・歌川豊国・谷文晁など、写楽の浮世絵を描けそうな同時代の有名人の多くが、写楽の正体の候補者として挙げられるに至りました。とくに1980年代には写楽の正体探しが盛り上がったように思われ、当時思春期を過ごしていた私もこうした「謎解き」に関心を持ち、関連する本や雑誌を読んだものです。確かこの頃以降、テレビや雑誌などで、写楽の正体に関する論争は、邪馬台国の位置論争・坂本龍馬暗殺犯(黒幕)の解明とともに、日本史三大ミステリーと呼ばれるようになった、と記憶しています。

 私は、1990年代以降、写楽の正体探しには以前ほどの関心を持てず、たまに思い出したように本や記事を読むこともありましたが、このブログでも写楽について言及したことはほとんどありません。写楽の肉筆画がギリシアの美術館で発見されたこと(関連記事)と、『週刊新発見!日本の歴史』の該当号(関連記事)と、大河ドラマの題材の予想(関連記事)とで言及したくらいです。このように写楽の正体探しへの関心を失った理由は、それらのブログ記事で言及したように、原点回帰で写楽=斎藤十郎兵衛説が有力になったことでした。

 本書の著者は、写楽=斎藤十郎兵衛説が承認されていくうえで重要な役割を果たしたようで(この問題に関する評価は、私の見識では難しいところですが)、本書は著者の見解の一般向け解説となります。本書の特徴は、副題からも窺えるように、可能なかぎり同時代の文脈で写楽を理解しようと努めていることです。江戸時代の文化を「雅」と「俗」の観点から把握する本書は、阿波藩お抱えの能役者が「俗」の文化たる歌舞伎の役者絵を描くことはあってはならない、との強烈な社会観念から、写楽の実名は『江戸方角分』では空欄とされ、それが『増補浮世絵類考』に記載されるのは写楽が活躍した半世紀後、斎藤十郎兵衛が没してからおそらく20年以上経過した頃にまで下るのだ、と論じます。

 阿波藩お抱えの能役者である斎藤十郎兵衛の実在は多くの人の努力により証明され、写楽に関する文献を残した人の人脈・見識などからも、写楽=斎藤十郎兵衛説はほぼ確定ではないか、と思います。それでもなお、写楽の浮世絵が刊行された当時、苦境にあったと思われる蔦屋重三郎が、雲母摺を用いてまで実績のない絵師を起用したのはなぜか、という疑問が門外漢には残ります。もっとも、これは的外れな疑問かもしれません。斎藤十郎兵衛が密かに描いていた絵が当時の「俗」の文化世界の一部で知られており、それに人脈の広い蔦屋重三郎が気づいて起用したのだ、とも想定できるように思います。まあ、これも門外漢の妄想であり、斎藤十郎兵衛がなぜ蔦屋重三郎に起用されたのかは、永遠に謎として残りそうではありますが。

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