筒井清忠『戦前日本のポピュリズム 日米戦争への道』

 中公新書の一冊として、中央公論新社から2018年1月に刊行されました。日本も含めて世界では近年話題のポピュリズムですが、本書は、第二次世界大戦終結前の日本においてもすでにポピュリズムが見られる、と指摘し、その内実・変遷を検証しています。本書が日本におけるポピュリズムの始まりとしているのが、1905年の日比谷焼き打ち事件です。それまでの政治・社会運動では、少数の活動家が主体で民衆が主体的に参加していたわけではないのにたいして、日比谷焼き打ち事件では初めて、民衆が主体的に政治的影響を及ぼした(大衆の出現)、と本書は評価しています。

 このポピュリズム的傾向が強まっていき、政策論争ではなくポピュリズムによる政党政治が進展していくことにもなります。しかし本書は、普通選挙制の成立を経て二大政党制が定着していくなかで、日本社会が分極化していき、警察でさえ各二大政党の支持勢力に分断されてしまったことを指摘しています。これを不満に思う大衆が、今度は中立的だと考える天皇・軍部・官僚に期待していき、政党政治は崩壊します。本書は、この第二次世界大戦前における政党への不信と政党政治の崩壊が、現代日本社会における政党政治への不信の源流になっている、と指摘します。

 本書は、ポピュリズムにおいて政治シンボルとしての天皇が絶大な有効性を発揮した、と指摘します。これは、明治以来の教育の成果でもあるのでしょうが、上述したように、二大政党のもとで日本社会が分極化していくなか、中立的な立場と考えられた天皇への期待が大きかったことも要因としあるようです。本書はメディアの役割も重視し、かなりの分量を割いています。メディアが、大衆社会のなかで売上のためにポピュリズム的傾向の強い報道を続け、短期間で正反対の意見を主張することもあった、と本書は指摘します。本書は、メディアが政党政治を育てるよりも批判することに熱心だったことを指摘するとともに、だからといって単にメディアを批判・攻撃するのではなく、国民が政党とともにメディアを育てることも必要ではないか、と提言しています。

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