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zoom RSS 文化伝播によるユーラシア東方草原地帯の牧畜の始まり

<<   作成日時 : 2018/11/07 18:37   >>

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 ユーラシア東方草原地帯における牧畜の起源に関する研究(Jeong et al., 2018)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。銅石器時代〜青銅器時代移行期に、ポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)からの遊牧民の移住により、ヨーロッパと中央アジアでは人類集団に大きな遺伝的変容が見られました(関連記事)。しかし、銅石器時代〜青銅器時代において、ユーラシア西方草原地帯における大変化と比較して、ユーラシア東方草原地帯については、たとえばモンゴルの埋葬に関して、後期銅石器時代〜前期青銅器時代にかけて中央アジアで栄えたアファナシェヴォ(Afanasievo)文化との埋葬の類似性も指摘されていますが、遺伝的構成はあまり明らかになっていません。また、ユーラシア西方草原地帯牧畜民(WSH)の拡散の一因は、草をタンパク質と脂肪の豊富な乳製品に変換する酪農にある、と考えられており、ユーラシア東方草原地帯においては、後に匈奴やモンゴル帝国のような拡大に成功した遊牧勢力が出現しますが、酪農を伴う牧畜がいつ始まったのかは、よく分かっていません。

 本論文は、モンゴル国北部のフブスグル(Khövsgöl)県アーブラグ(Arbulag)郡の、後期青銅器時代となる鹿石キリグスール複合(Deer Stone-Khirigsuur Complex)文化の埋葬地6ヶ所から、22人を対象にゲノム規模解析とプロテオーム解析(タンパク質の構造・機能の総合的研究)を行ない、ユーラシア東方草原地帯における酪農の起源を検証しました。鹿石キリグスール複合(DSKC)は、シカや他のモチーフを伴う直立した石と、埋葬と関連する巨石塚を含む、記念碑的な建築で知られています。いくつかの場所ではこれらの構造はひじょうに目立っており、遠距離から見られます。DSKCは、モンゴルにおいて、紀元前1200年よりも前の牧畜の証拠が最も明確かつ直接的に確認されている文化です。モンゴルではヒツジ・ヤギ・ウシ・ウマなどの家畜遺骸が紀元前14世紀までさかのぼりますが、酪農の証拠となる消費の痕跡は、直接的に確認されたわけではありませんでした。

 後期青銅器時代フブスグル人(LBAK)22人の、直接的な放射性炭素年代測定による較正年代は、最古の個体が紀元前1456年頃、最新の個体が紀元前980年頃となります。22人のうち20人に関して有効なゲノムデータが得られました。ゲノム解析の標的部位の平均網羅率は0.11〜4.87倍です。また、20人中2人に関しては、全ゲノムが解析されました(網羅率は3.3倍)。また、22人中9人のプロテオーム解析(タンパク質の構造・機能の総合的研究)が行なわれました。その結果、乳製品の消費が確認されました。20人のうち男性は12人、女性は8人です。ミトコンドリアDNA(mtDNA)のハプログループに分類できたのは19人で、おおむねシベリアに多いタイプ(A・B・C・D・G)となっており、そのうちC4aが最も多く、1人はユーラシア西部に多いU5aに分類されていることが注目されます。Y染色体DNAハプログループもおおむねシベリアに多いタイプ(圧倒的に多いQ1aと1人だけのN1c1a)となります。

 ゲノム解析の結果、ほとんどのLBAKは、現代人集団では、近隣のトゥバ人(Tuvinians)と類似しています。また、LBAKや他の古代シベリア人は、同地域の現代人よりも、アメリカ大陸先住民と遺伝的に近縁であることも明らかになりました。ただ、20人中2人(ARS017およびARS026)は他の後期青銅器時代フブスグル人とクレードを形成しないほど、異なる遺伝的構成になっています。ARS017は、他のほとんどの後期青銅器時代フブスグル人と比較して、「悪魔の門」遺跡の7700年前頃の住民(関連記事)や現代東アジア人と遺伝的に近縁です。ARS026は男性で、そのY染色体DNAハプログループが、ユーラシア西部に多いR1a(R1a1a1b2a2a)であることから推測できるように、WSHの遺伝的要素がやや強く見られます(10%以上)。しかし、WSH から6.1〜9.4%ほど遺伝的影響を受けているARS026を含めても、ほとんどのLBAKはWSHと遺伝的には明確に分離され、WSH からの遺伝的影響は限定的です。なお、鉄器時代になると、WSHに東アジア系の遺伝的影響が見られるようになります(関連記事)。

 現在、フブスグル(Khövsgöl)県の非都市圏の住民は、夏の摂取カロリーのうち、炭水化物の36〜40%、タンパク質の24〜31%、脂肪の39〜40%は乳製品から得ています。このように、酪農は牧畜文化圏ではひじょうに重要なのですが、モンゴルでは酪農がいつ始まったのか、定かではありません。しかし本論文は、歯石の分析により、LBAK22人中9人のプロテオーム解析に成功し、乳製品消費が確認されました。ウシ・ヒツジ・ヤギといった搾乳用家畜はモンゴル在来種の改良ではなく、WSHから導入されたようです。プロテオーム解析に成功したLBAKの最古の個体の年代から、紀元前15世紀半ばには、モンゴルでも乳製品の消費が始まっていた、と考えられます。しかし、LBAKに乳糖耐性関連遺伝子は確認されませんでした。

 これらの知見から、WSHはLBAKの近隣地域(アルタイ-サヤン地域)に拡散し、LBAKはWSHより家畜も含めて酪農文化を導入したものの、両者の遺伝子流動は限定的だった、と明らかになりました。ユーラシア西部では、銅石器時代〜青銅器時代のWSHの拡散は文化だけではなく人類集団の大規模な移住も伴っており、地域によってはほぼ全面的な置換も生じました(関連記事)。文化の変容・拡散は、各事例により様相が異なり、一律に単なる文化伝播もしくは新集団の移住とは決められない複雑なものだ、ということが改めて確認されたと思います。また、新たに拡散してきた優勢な集団が、先住の集団の文化を採用することもあっただろう、と思います。こうしたことは、現生人類(Homo sapiens)の間のことだけではなく、現生人類と他系統の人類との接触においても当てはまるのではないか、と私は考えています。ただ本論文は、ユーラシア東方草原地帯において、酪農を伴う牧畜文化の導入にさいして、LBAKの事例が一律に当てはまるのかどうか確定するには、もっと多くの文化集団の研究が必要とも指摘しています。

 また本論文は、後期青銅器時代以降、モンゴルの住民の乳製品依存度は高かったと推測されるにも関わらず、乳糖耐性関連遺伝子は、LBAKには確認されず、現代モンゴル人でも稀であることから、酪農社会の持続に遺伝的変異が不可欠とは言えず、モンゴル人の事例は、文化慣行や体内微生物叢の変化による適応ではないか、とも指摘しています。確かに、乳製品への依存度を高めた社会において、乳糖耐性関連遺伝子の定着を促進するような選択圧が生じた可能性は高いでしょうが、そうした選択圧が作用せずとも、乳製品への依存度の高い社会への適応はじゅうぶん可能である、というわけです。


参考文献:
Jeong C. et al.(2018): Bronze Age population dynamics and the rise of dairy pastoralism on the eastern Eurasian steppe. PNAS.
https://doi.org/10.1073/pnas.1813608115

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