難波の倭王を百済の王が承認したのが「天皇」の始まり

 天皇には「キリスト生誕年を起点にしてる西暦より長い2679年の歴史」があり、天皇は「世界で現存する唯一の皇帝」で「ローマ法王やエリザベス女王より格上の位」との発言(記事を公開しようとしたら削除されていました)にたいして、「ただのファンタジー」との揶揄があり、それにたいして、

1500年前に漢字が入ってくるよりさらに1100年前に「神武」という名前の「天皇」がいたんですね。不思議ですね。
まあ、実際は難波の倭王を百済の王が承認したのが「天皇」の始まりなんですけど。


との返信がありました。確かに、元の発言には問題があり、仮に自分のネットでの発言を多数の人々にある程度詳しく知られたならば、一定以上の人々からは「ネトウヨ」と認定されるだろう、と自覚している私でさえ(現時点では知名度が限りなく皆無に近いので、「ネトウヨ」と罵倒されることもないわけですが)、同意できないところが少なくありません。まず、現代というか近代以降の日本社会において、ヨーロッパの一部の君主(ロシアのロマノフ家やオーストリアのハプスブルク家など)を「皇帝」と表記し、漢字文化圏の伝統的な皇帝と同質とみなす観念が定着しているように思いますが、まずここが問われるべきでしょう。次に、天皇が「ローマ法王やエリザベス女王より格上の位」との観念は、現代日本社会において一部?の人々の間で常識とされているようですが、現在の各国の君主は基本的に同格で、「序列」は在位年で判断されているものだと思います。「王」が「皇帝」より格下という観念は、漢字文化圏の前近代的観念を(歪に?)継承したところが多分にあり、現代では破棄すべきと私は考えています。現代日本社会にとって、もはや保守すべきものは「西洋近代」ではないか、というのが最近の私の見解です。

 ただ、難波の倭王を百済の王が承認したのが「天皇」の始まり、との見解も、意味をよく理解できず、困惑します。天皇とは本来「もう一つの中華世界の皇帝(天子)」に他ならず、遅くとも推古朝以降の「(中華世界的)普遍性」を追求した長い歴史の中に位置づけるべきで、百済王の「承認」により始まると解釈できる問題ではない、と思います(関連記事)。また、日本(倭)と百済との関係については、百済の承認により倭の側の言動・観念が変容するといった百済上位の関係を想定するのは難しく、そもそも両者の密接な関係が現代日本社会の一部?では過大評価されており、それが歴史認識を歪めているのではないか、との疑問も残ります(関連記事)。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック