「宗教なんて迷信に過ぎないから歴史の解明には一切必要ない」という日本歴史学者

 井沢元彦氏が以下のように発言しています。

私はあなた方宗教学者のために「宗教なんて迷信に過ぎないから歴史の解明には一切必要ない」という日本歴史学者に対して「それは違いますよ」と四半世紀にわたって戦ってきました。私の愛読者のみならず宗教学会の先輩なら誰でも知っている事実です。それにあなたの批判には事実誤認があります。

 率直に言って、これは藁人形論法としか言いようがありません。仮に「宗教なんて迷信に過ぎないから歴史の解明には一切必要ない」というような趣旨の発言をした日本の歴史学者がいたとしても、きわめて例外的で、とても日本の歴史学において主流もしくは常識だったとは思えません。第二次世界大戦後の日本通史の代表格である中公版『日本の歴史』で、第5巻の土田直鎮『王朝の貴族』は1章を立てて怨霊について解説しています。同書は、当時の人々が怨霊を恐れて信じ、それが上流社会における陰惨な流血事件を減らしたのかもしれない、と指摘しています。同書の刊行は井沢氏の言論活動が始まるずっと前の1965年で、私が所有しているのは1990年刊行の文庫版第22版です。

 土田氏は「バリバリの左翼」ではない、との「反論」もあるかもしれないので、「バリバリの左翼」の歴史学者の著書を挙げると、同じく中公版『日本の歴史』で、第4巻の北山茂夫『平安京』は、桓武天皇が怨霊への恐怖に囚われており、それが平安京遷都へと天皇を動かした、と論じています。同書の刊行は1965年で、私が所有しているのは1986年刊行の文庫版第17版です。『石母田正著作集』第12巻には『日本史概説』が所収されていますが、平城天皇が怨霊に悩まされていた、と指摘しています(P103)。また同書は、平安時代末期には末法思想が広範な階層で受け入れられたことを論じています(P202~204)。『石母田正著作集』第12巻の刊行は1990年(私が所有しているのは2001年発行の第2刷)、同書に所収されている『日本史概説』は1980年の改版で、初版は1955年刊行です。

 日本の歴史学者、とくに「左翼寄り」の人々の歴史における宗教の意義への認識は甘いとか、社会背景の解説に偏っている、というような批判なら、あるいは成り立つかもしれません。まあ、そうと言えるのか、私はやや懐疑的ですし、井沢氏がこの件で的確に批判できる可能性は低いとも思いますが。しかし、「宗教なんて迷信に過ぎないから歴史の解明には一切必要ない」という趣旨の発言をした日本の歴史学者がいたとは思えませんし、仮にいたとしても、主流だったとはとても言えないでしょう。

 人間は生きていくうえで、虚勢を張らねばならない時もあるとは思います。しかし、正当防衛や緊急避難の範疇を超えてしまうような虚勢は、批判・嘲笑されても仕方ないでしょう。井沢氏が、「専門馬鹿」の歴史学者を「常識的な観点」から「鋭く」批判し続けてきた歴史作家、というような立ち位置(自己認識)にあるのだとしたら、歴史学者からの批判は作家生命に関わるので「正当防衛」の範囲として反撃せざるを得ない、ということなのかもしれませんが、あまりにも的外れなので、批判や「正当な」反撃ではなく、誹謗中傷にしかなっていません。このような誹謗中傷が日本の歴史学者によりおおむね見過ごされてきたのは、単に井沢氏の発言の多くが日本の歴史学者にとって、わざわざ相手にする価値のないものだったからにすぎないのでしょう。井沢氏にはそれが、「常識的な観点」からの「鋭い」批判にたいして「黙殺」せざるを得ず、「こっそり」自説を取り入れる「卑劣な」行為に見えているのかもしれませんが。

 まあ、私は井沢氏の歴史認識とはひじょうに相性が悪いので(関連記事)、井沢氏にたいしてかなり厳しい見方になってしまったかもしれません。井沢氏には、歴史学の研究者に無謀な喧嘩を売るより、なかなか私好みの設定だった小説『銀魔伝』の続きを執筆してもらいたいものです。もっとも、井沢氏の一連の発言をまとめ記事のコメント欄では、著書の宣伝ではないか、との憶測もあります。そうだとすると、私も井沢氏に上手く踊らされてしまった一人なのでしょう。

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