野村啓介『ナポレオン四代 二人のフランス皇帝と悲運の後継者たち』

 中公新書の一冊として、中央公論社より2019年2月に刊行されました。本書はボナパルト家の「ナポレオン四代」の視点からの近代フランス・ヨーロッパ史になっています。「ナポレオン四代」とは、初代が1804年に即位した有名な皇帝、二代目がその嫡男たるライヒシュタット公(ローマ王)、三代目が初代の甥である皇帝、四代目が三代目の嫡男です。新書一冊で「ナポレオン四代」を扱うので、個々の解説はやや薄くなっていますが、ナポレオンの威光がフランス政治において長く重要な動因だったことが了解されます。

 フランスを中心にヨーロッパで長く続いたボナパルト家の威光の源泉は、もちろんナポレオン一世の業績にあります。本書は、「ナポレオン伝説」が根づいた要因として、ナポレオンの軍事・政治的業績だけではなく、「百日天下」も大きかった、と指摘しています。ナポレオン一世がフランスにとって異邦人であったことはよく知られているでしょうが、本書は、「ナポレオン四代」全員にそうした特徴が認められる、と指摘します。二世も三世も四世も一世や三世の没落によりフランスからの亡命を余儀なくされたからです。本書はまた、二世と三世と四世の共通点として、自身が「ナポレオン」の後継者たることを強く意識し、「異国」で研鑽に励み、功績を挙げようとしたことを挙げています。

 この四人のうち、一世の知名度が群を抜いているでしょうが、一世には遠く及ばないとしても、三世の知名度は二世と四世よりもずっと上で、ヨーロッパ近代史に多少なりとも関心のある人々には、一世とともに歴史上の重要人物として記憶されていると思います。本書は、悪辣で無能な独裁者という通俗的な三世像にたいして、パリの整備など功績が大きく、プロイセンとの戦争にしても三世は乗り気ではなく、世論に抗しきれずに開戦したのであり、プロイセン軍に対するフランス軍の不利を認識していた、と指摘します。

 三世の評価が一世よりも大きく劣るのは、王政派を否定する共和派が、一世をフランス革命とともに栄光の歴史として語ったのにたいして、三世を基本的には否定する立場にあり、普仏戦争での敗戦の責任を三世に押しつけたからだ、と本書は指摘します。また本書は、第二帝政崩壊後の帝政復帰の現実的な可能性を認めており、三世が病死せず健康であれば、少なくとも第三共和政は史実よりも不安定になっただろう、と推測しています。これはフランス近代史に疎い私にはなかなか興味深い見解でした。

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