仲田大人「IUP(初期後期旧石器石器群)をめぐる研究の現状」

 本論文は、文部科学省科学研究費補助金(新学術領域研究)2016-2020年度「パレオアジア文化史学」(領域番号1802)計画研究A02「ホモ・サピエンスのアジア定着期における行動様式の解明」の2018年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 20)に所収されています。公式サイトにて本論文をPDFファイルで読めます(P125-132)。この他にも興味深そうな報告があるので、今後読んでいくつもりです。本論文は、初期後期旧石器(上部旧石器)群(Initial Upper Paleolithic、以下IUP)の研究の現状を整理しています。本論文はまず、広い意味でのIUPの特徴を整理しています。

 IUPの定義およびその特徴は石刃製法です。もっとも広い意味での特徴は、硬質ハンマーによる打法、打面調整、固定された平坦な作業面もしくは半周作業面を半周させて石刃を打ち割ることです。平坦作業面をもつ石核はルヴァロワ(Levallois)式のそれに類似しています。ただ、上部旧石器時代の立方体(容積的な)石核との関連が見られることは異なります。また、石核小口面から小石刃を製作する彫器状石核を伴うこともあります。IUPは地中海東部においては、後期ムステリアン(Mousterian)の上層で前期オーリナシアン(Aurignacian)の下層に位置します。ヨーロッパ中部では中部旧石器時代後半と前期オーリナシアンの中間層に位置し、継続していくことはありません。シベリア・アルタイ地域ではムステリアンと上部旧石器時代前半(EUP)の間に位置づけられます。モンゴル北部では、IUPはプリズム式石刃技術を用いたEUPアセンブリッジに継続します。華北やモンゴル南部ではIUPの前後に石核・剝片石器群が残されます。較正年代では50000~35000年前頃の間に見られます。1ヶ所の遺跡において複数の年代値が得られている場合でも、最大で10000年の開きもあります。IUPには中部旧石器および上部旧石器に見られる石器型式が伴います。IUPに独特な二次加工石器はとくにレヴァント地域で発達しました。エミレー式尖頭器や基部を両面加工したルヴァロワ式尖頭器、平坦横打刻面をもつシャンフランです。また彫器状石核は、シベリアのアルタイ地域やモンゴルやトランスバイカル地域で組成されくます。IUPの石刃技術は多様で、特徴的なのは単方向または両方向の石刃石核です。アジア南西部ではこれらは時間的に連続し、後者がやや早くから現れます。非ルヴァロワ式のプリズム型石核や半周縁型石核の製作も石器群間で異なります。レヴァントのIUPにはビーズや骨角器やその他の「典型的」な上部旧石器的遺物があります。装飾品や骨角器は、トルコ・ブルガリア・シベリア・モンゴルの遺跡から報告されています。しかし、多くの遺跡ではそうした遺物を欠いています。ビーズと骨角器の有無ついては、保存状態によるものか、場所の機能か、または文化的実践の違いによるものかどうか、不明です。

 本論文はIUPの特徴を、石刃製法を主体的に有し、時に装飾品や有機製品などが伴う、と整理しています。こうした道具行動が突如として拡大し、それが各地の石器群シークエンスに侵入するかたちで把握されることは、IUPの担い手が現生人類(Homo sapiens)であることを強く示唆する、と本論文は指摘します。じっさいに、アジア南西部ではIUPに伴う現生人類遺骸が回収されています。しかし本論文は、IUPの石刃製法にはルヴァロワ式の石核技術によるものがあったり、中期的な二次加工石器も組成されたりと、中部旧石器期から上部旧石器への移行ないしは継続性を示す要素も見られることから、現生人類以外の人類が担い手であった可能性も否定しきれない、と指摘しています。

 IUPの理解において重要になるのは、イスラエルのボーカー・タクチット(Boker Tachtit、以下BT)遺跡です。BT遺跡では、両打面石核から単打面石刃石核への変化、つまりルヴァロワ式の収束石刃石核からいわゆる容積的(Volumetric)な石刃石核技術へ次第に変化していく様相が把握されました。BT遺跡第1層から第3層では両打面のルヴァロワ式石核と収束ルヴァロワ石片、さらにはレヴァントの「移行期」に特徴的なエミレー式尖頭器が伴うものの、よりあたらしい第4層においてはそうした組成の代わりに上部旧石器的な要素が主体になる、と指摘されました。そこから、移行期に相当するエミラン(Emiran)がいつ上部旧石器とみなされるのか、問題となりました。その後のトルコのユチャユズル(Üçağızlı)洞窟遺跡などの事例から、編年モデルが提示され、レヴァント地域一帯において上部旧石器的様相の石器群にはいずれもルヴァロワ式の石刃製法があること、遺跡によって組成差はあるものの、石器群の「地域化」が進行している状況を示す石器型式やシャンフランやエミレー式尖頭器やウンム・エル・トレル式尖頭器が見られるようになること、またレヴァントだけでなく、ヨーロッパ東部のボフニシアン(Bohunician)やアルタイのカラボム(Kara-Bom)などでもこれによく似た石刃製法や石器型式が見られることなどが指摘されました。こうした広義のIUPが提案された理由として、「エミラン」という用語は学史的に重要ではあるものの、その中にはエミランの特徴型式を有さない石器群も多いことと、エミランを「移行期」と呼ぶにしても、中部旧石器後半の石器群と上部旧石器のそれとの系統的な関係が充分に裏づけられていないことが挙げられ、中立的な把握としてのIUPという枠組みが提案されています。

 一方、IUPを広く把握するのではなく、インダストリーごとの変異に注目する見解もある、と本論文は指摘します。BT遺跡第1層・第2層の資料をエミランとして限定的に把握したり、両方向ルヴァロワ式の石核技術とエミレー式尖頭器をもつものを前期、単方向石刃石核とシャンフランやウンム・エル・トレル式尖頭器をもつ一群を後期として把握したりするような見解です。より細かくIUPを区分する見解では、レヴァントにはボーカリアン(Bokerian)、クサル・アキリアン(Ksar Akilian)といったレバノン山岳地帯に展開する集団と、イスラエルやパレスチナに生じたエミランの存在が提案されています。これらは単系的にではなく、地域や時間あるいは担い手さえも異なって現れ、現生人類の出アフリカに起因してレヴァント一帯で起きた「中部旧石器ルネッサンス」の産物ではないか、というわけです。このようにIUPの理解については、広汎な地理上に技術的にとてもよく似た石器群が分布しているという認識のもと、石器群をいったん包括的に把握する方向性が打ちだされる一方で、分布地理を広くとって見えてくる石器群の変異に注目し、エンティティの種類をとらえる立場も提出されている、と本論文は整理しています。

 IUPという用語は、BT遺跡第4層の石器群を基準としており、その範囲も当初はレヴァント地域を超えるものではありませんでした。しかし切子打面と硬質ハンマーによる直接打法と平坦石核という3点の技術的特徴を持つルヴァロワ的な石刃石核技術に加えて、上部旧石器的な石刃石核技術の組み合わせをもつ石器群をIUPと定義すれば、これに相当する石器群はレヴァント以外にも点々と分布している、と明らかになってきました。つまり、広汎な「文化現象」として理解されるようになったわけです。現在では、IUPの分布はレヴァントとヨーロッパ東部からアジア北東部にいたる広範な地域で確認されています。年代もおよそ47000年前から35000前で、1万年間以上の期間にわたって展開しました。しかし、IUP現象が世界各地で石器群シークエンスの一段階を必ずしも示さないことにとは注意すべきである、と本論文は指摘します。IUPは現時点で、ヨーロッパ中部以西および以北、ザグロスから南アジアにおいては類例が確認されていません。パキスタン北部のリウォトについてはその可能性が示唆されていますが、アジア南部について詳細は明らかではありません。また、考古層位の問題としても、IUPはレヴァントやヨーロッパでは中部旧石器群の上層かつ上部旧石器群の下層で見つかるものの、中国やモンゴルでは上部旧石器時代に通有の剥片石器群に上下を挟まれています。このように、各地の中部旧石器時代から上部旧石器時代への移行は一様ではありません。IUPもそうしたいくつかある状況の一つといえるかもしれない、と本論文は指摘します。

 IUPが広範な地域に見られる理由について、本論文はやや詳しく検証しています。まず、じっさいに各地の様子をみていくと、地中海レヴァント、チェコモラビア、シベリア・アルタイ、および環バイカル/モンゴル北部といった複数のIUP遺跡を含んだ「ホットスポット」が見られます。表面的に同型のようであっても、技術的・型式的には均質ではないだろう、というわけです。硬質ハンマーによる打撃や調整打面や平坦作業面石核という一般的特性には、地域的な変異も多く備わっています。こうした変異の理由について、担い手の違いも考えられます。ただ、ユーラシア東部では化石の共伴事例がまだないため、IUPの担い手は不明です。考古学的には、中部旧石器と上部旧石器の「移行」(レヴァント)または「連続的な発達」(アルタイ)の要素として仮定できるかもしれない、と本論文は提案します。ただ、突如として在地石器群の伝統のなかに入りこんでくる場合(ヨーロッパ中部および東部)もあれば、独自の技術や石器型式を作りだしてもいる場合(レヴァントやユーラシア東部)もあります。またIUPで準備した石刃技術を継続しない石器群もあります(水洞溝遺跡)。

 このように、IUPとはいっても地域間の違いは見られるわけですが、共通要素が広範な地域で見られることは否定できません。これについて、文化史的視点(伝播や移住)や適応論的な視点(行動選択)、つまり人類の移動の結果なのか、それとも各地で独自に開発されたのか、という問題が提起されています。本論文は、近年大きく進展した古代DNA研究が、この問題の解明に役立つ可能性を指摘しています。また、生物進化のみではなくそれに応じてヒトの文化も進化する「二重遺伝モデル」の発展により、文化的行動が集団内でどのように蓄積されるのか、または集団間で伝達されるのか、理論モデルも提示されています。

 生物系統学や分岐学から持ちこまれた見方を援用して、広範な地域のIUP現象についてのモデルが提示されています。これに関しては、3通りの仮説があります。最初は、広く分布しているIUP集団の少なくとも一部は、ユーラシアを横断する現生人類の初期の拡散経路を追跡している、という見解です。互いに離れた場所の石器群における類似はIUPが相同形質(homologous)を有していることになり、この場合、祖先集団が地理的に拡散する中でもたらされた文化的形質を継承してきた結果とみなされます。ただ本論文は、担い手が現生人類とは限らない、と注意を喚起しています。次は、石器群の分布は文化的アイデアの拡散を示すというもので、既存の集団ネットワークを伝って拡大していきます。この場合に共有される形質は相同性(homology)を示すことになります。アイデアや情報の伝播や拡散の背景には、じっさいの集団拡散というより遺伝子流入に類似したプロセスが想定されます。最後は、相互のIUPには文化的連続性はほとんどなく、観察される変異は、互いによく似た技術選択が各地域で独自に、なおかつ何度か繰り返されて収斂した結果とするもので、この場合、石器群間での類似は相似(homoplasy)を表すと理解されます。

 IUP現象に関しては、これら3モデルのどれが妥当なのか、まだ確定しておらず、これらのうちのいくつか、または全てが組み合わさっている可能性も指摘されています。重要なことは、相同か相似か、あるいは収斂進化か平行進化か、そのうちのどれかであると断定することではなく、まずは石器群の変異を明らかにし、それを評価するための適切なモデルを用意することだろう、と本論文は指摘します。IUPの変異を把握する場合、個別の石器型式よりも石器群を対象としての議論が望まれる、というわけです。石核技術などは水平伝達あるいは垂直伝達による知識や行動がともに観察できるからです。またモデルについては、仮想の系統樹作成の必要が指摘されていまする。最大節約法の系統樹は形質の有無とその変化率がわかっている場合はとくに有効で、その点で物質文化に応用しやすいのですが、考古学的アセンブリッジの系統関係や収斂進化について論じるのであれば、文化進化に特化した単純なモデルを構築するか、形質が徐々になおかつ垂直に伝達されるというモデルが必要になる、と本論文は指摘します。

 IUPに関してはユーラシア西部で検証が進んでおり、、(1)ルヴァロワ式石核や上部旧石器の石核技術を組み合わせて製作される石刃、とりわけ(2)縦長の尖頭石刃の製作、(3)石刃素材の二次加工石器として、端削器や彫刻刀型石器や裁断石器が新たに組成されるとともに、(4)中部旧石器的な側削器や鋸歯縁石器もよく見つかる、といった特徴が共通要素として指摘されています。同様の石器群はアジア北東部および東部にもありますが、それらをユーラシア西部と同じのものと把握できるのか、と問題提起されています。

 ユーラシア東部のIUPの傾向としては、まず石核技術に2モードあることが指摘されています。一つは、礫や板材を母材として石核整形や稜付石刃を割りとって石刃製作を進めていくものです。打面管理が一般的で、打面調整や頭部調整が加えられます。石核型式は単打面小口型石核、両打面平坦石核です。作業面が小口から幅広平坦面へ半周する石核も見られます。平坦石核はルヴァロワ式石核技術に類似するものの、典型的なそれではありません。最終形態の断面形は左右非対称になります。もう一つのモードは、石刃ないしは小石刃製作に関連するもので、彫刻器状石核が特徴です。素材は大型石刃製作のプロセスで得られた厚手石刃ないし剝片です。これら二つの石割り作業で目的剝片とされるのは尖頭石刃/小石刃や両側縁平行石刃や稜付き石刃です。それらが二次加工石器の素材とされ、上部旧石器的石器型式を組成するようになります。尖頭器や掻器が伴う一方で、真正な彫刻器や二次加工のある小石刃などは見当たらず、これにノッチや鋸歯縁石器が加わります。アルタイからモンゴル、さらには華北地域にかけて、ルヴァロワ式、あるいはそれに類似した平坦作業面石核が特徴的に見られます。非対称石核とルヴァロワ式石核の石核技術の組み合わせが見られるアルタイからモンゴル北部にかけての石器群は、相同的な関係のパッケージと指摘されています。一方で、モンゴル南部から華北の石器群においては今のところ彫刻器状石核がないか稀であることと、水洞溝ではルヴァロワ式石核技術こそみられるものの、それ以前の石器群は在地的な石核・剝片石器群ということもあり、石刃製作の進化的プロセスには不明な点が多く、アルタイ地域と相同とはみなせない、と指摘されています。

 石刃の分割方式に関しても、カラポムの大型石刃とその分割法の検証からは、石刃が意図的に分割された可能性も指摘されています。分割された石刃の破断面には、それらが台石上で打撃されたことを示すヘルツコーンや破断面両極に残る打撃点があり、曲げ折りや台石に石刃を直接打ちつけて分割したさいに生じる蝶番状剥離の痕跡が見られます。これらの分割片は、二次加工石器や彫刻器状石核の素材に変換されている、と指摘されています。同様の手法はモンゴルのトルボルやトルバガにおいても確認されています。これに関しては、同じく石刃分割片を多く回収している水洞溝遺跡の石刃が意図的に折断されたものではないか、と推測されています。水洞溝遺跡石器群に組み合わせ石器や複合石器の特徴があるのか、検証されましたが、観察所見(分割サイズ、破断面の打撃痕、着柄痕の有無)からは人為的意図は読みとれず、この分割は自然破損、すなわち剥離時の事故や踏みつけなどの結果だと指摘されています。数少ない比較資料ですが、シベリアおよびモンゴル北部と華北とでは、たとえ類似する表現形質であっても、重大な違いが潜んでいる可能性が示唆されます。水洞溝遺跡にかぎらず、アジア東部のIUPについては、いくつかの地域的変異が今後も見出されるだろう、と本論文は予想しています。

 本論文は日本列島におけるIUPの存在について、「敢えていえば」という限定つきで長野県の37000~36000年前頃となる八風山II遺跡の石器群を候補に挙げています。また本論文は、北海道のルベの沢やモサンル下層も候補に挙げています。IUPの石核技術は大別すると二つとなりそうで、一方(モードA)は、分割された板状素材が石核原型とされるものです。打面は平坦面で、作業面の稜形成は礫面と分割面の交差する稜上を横打加工して準備されます。作業面は小口に設定され、剥離の進行によって広い平坦面に移行することもあります。打面調整は顕著ではありません。ただ小剝片をとって頭部調整するものや打面転位により作業面管理がなされることもあります。目的剥片には尖頭石刃も含まれますが、多様な形態を示し、近位端が細部加工されてナイフ形石器(尖頭形石器)が作られます。もう一方(モードB)は、いわゆる彫刻器状石核に類似した樋状剥離をもつ厚手石刃で、素材の側縁が作業面に見立てられます。小石刃が打ち割られていますが、これが目的剝片かどうかは不明です。八風山II石器群は、モードAの小口型石核を備えていることになります。またモードB、つまり彫刻器状石核についても、積極的に評価するなら認められるかもしれないものの、ルヴァロワ式類似の平坦石核技術が決定的に欠落している、と本論文は指摘します。八風山II遺跡の石器群においては二次加工石器も貧相で、ナイフ形石器以外、定型的な石器はありません。これについては遺跡の性格も勘案しなくてはならず、この石器群がIUPの変異を示すのか、それとも在地適応で発達した石器群なのか、評価が重要になってくる、と本論文は指摘します。八風山II遺跡の石器群にも見られる小口型石核技術を有する石器群をBT-1、周縁型石刃石核をもつ石器群をBT-2として、EUP石器群という大きな枠組みで把握する見解も提示されています。ヨーロッパや中国や朝鮮半島の石器群との比較の結果、EUP石器群の石刃技術に最も類似するのが朝鮮半島の好坪洞や龍山洞などの石器群である、という見解も提示されています。小口型石核から周縁型石核への変化は、一つは、日本列島内での文化的な適応を示すと言えそうですが、もう一つは、古本州島と朝鮮半島の間で並行して起きていることを重視して、これらの地域間での集団と石器技術の何度かの拡散があったのではないか、というわけです。ただ本論文は、こうした見解も重要ではあるもののが、小口型石核をもつ石器群をグレード(段階)ではなく、クレード(分岐群)と把握できるかもしれない、との見解を提示しています。

 本論文は最後に、IUP現象の重要性を指摘します。考古学的には、中部旧石器時代から上部旧石器時代へどのように移行するのか、その鍵を握る石器群であることが挙げられています。また、IUP石器群がいくらかの変異を有しつつユーラシアに展開しているという文化的動態が、現生人類の拡散を示すのか、それとも現代人的行動の地域的な発達を示すのか、その解明にも寄与する、と本論文は指摘します。ただ、この問題に取り組むには、各地の石器群の変異を明らかにしていかねばならない、と本論文は注意を喚起します。また本論文は、石刃技術の系統関係を世界史的に把握していくことは、日本列島へのヒトの到来の時期と経路を解明する有力な手がかりになるので、IUP石器群の変異に日本列島の資料も含まれるのか、明らかにしていくことも課題として挙げています。


参考文献:
仲田大人(2019)「IUP(初期後期旧石器石器群)をめぐる研究の現状」『パレオアジア文化史学:アジアにおけるホモ・サピエンス定着プロセスの地理的編年的枠組みの構築2018年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 18)』P125-132

ノストラダムスは令和の危機も予言した――『大予言』著者・五島勉氏のいま

 表題の記事がデイリー新潮で公開されました。五島勉氏の、『大予言』シリーズには希望も書いていた、との「弁明」や、『大予言』刊行当時の子供たちにショックを与えたことは申し訳ない、との「懺悔」は、これまでの五島氏へのインタビューと大差のないもので、率直に言って、これといって注目すべきところのある記事ではありませんでした。あえて言えば、『大予言』シリーズが話題だった頃、シェルターの問い合わせが多かった、というシェルター会社の西本誠一郎社長の証言くらいでしょうか。

 内容自体はさほど目新しさのない記事でしたが、やはり、今年(2019年)11月には90歳になる五島勉氏が、今でもインタビューに応じられるくらい元気そうなのは、五島氏のファンである私としては嬉しいものです。五島氏には、黙示録を題材にした新作の構想があるそうですから(関連記事)、何とか書き上げてもらいたいものです。まあ五島氏も、さすがに新ネタを大きく取り入れることは難しいでしょうから、過去作の流用を基本に時事ネタを随所に入れる、といった内容になりそうですが、それでも、近年の情勢を五島氏がどう認識しているのか、ということも気になるので、刊行を楽しみにしています。

大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』第24回「種まく人」

 1923年9月1日の関東大震災により、東京は壊滅的な打撃を受けます。金栗(池部)四三は、シマが行方不明となったことで、自分を責めていました。嘉納治五郎は、完成間近の神宮競技場に被災者を収容するよう、東京市長の永田秀次郎に進言します。傷心の四三は帰省し、家族は暖かく迎えますが、四三の義母の池部幾江は、こんな時に東京を見捨てるのか、と四三を責め立てます。しかし、それは四三を励ますためのもので、兄の実次の言葉に自分の思い上がりを気づかされた四三は妻のスヤとともに東京に戻り、復興活動に尽力します。

 今回で金栗四三を主人公とする第一部は完結となり、次回からは田畑政治が主人公の第二部が始まります。今回は、関東大震災からの復興が庶民視点から描かれ、近代史を扱った歴史ドラマとして見ごたえがありましたが、極限状況での普遍的な人間ドラマとしてもよかったと思います。第一部の最後が復興運動会で、ストックホルム編の後はほとんど出番のなかった三島弥彦と大森安仁子も登場したのは、第一部の締めに相応しく、感慨深くもありました。人見絹枝も再登場し、第二部との接続も意識した構成になっていたように思います。視聴率低迷が面白おかしく取り上げられている本作ですが、第二部もたいへん楽しみです。