近藤修「ネアンデルタール恥骨成長分析の試み」

 本論文は、文部科学省科学研究費補助金(新学術領域研究)2016-2020年度「パレオアジア文化史学」(領域番号1802)計画研究A01「アジアにおけるホモ・サピエンス定着プロセスの地理的編年的枠組みの構築2018年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 20)に所収されています。公式サイトにて本論文をPDFファイルで読めます(P133-138)。この他にも興味深そうな報告があるので、今後読んでいくつもりです。本論文は、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の恥骨(Os pubis)成長の分析について報告しています。

 内外側に長くかつ上下に平らな恥骨上枝(superior pubic ramus)は、ネアンデルタール人の特徴的な骨格形態の一つとして古くから報告されてきました。なお、ネアンデルタール人的特徴を有する43万年前頃のイベリア半島北部の集団には、こうしたネアンデルタール人の派生的特徴は見られないそうです(関連記事)。こうしたネアンデルタール人の恥骨形状が進化した理由については、機能的観点あるいは進化的観点から議論されてきましたが、妊娠・出産期間に生じるなんらかの制約と関連するという見解や、直立姿勢や二足歩行姿勢に関連するという見解などが提示されており、まだ明確ではないようです。個体成長変化の観点では、いくつかの未成人段階のネアンデルタール恥骨上枝が内外側方向に延長している、と報告されています。シリアのデデリエ(Dederiyeh)洞窟出土の幼児骨格(デデリエ1号人骨)にも恥骨が保存されており、その恥骨上枝は大腿骨の長さと比較して長く、ネアンデルタール人的な形質の一つとして報告されています。

 本論文は、この幼児恥骨形態を現生人類(Homo sapiens)とネアンデルタール人の成長変化の枠組みのなかで評価します。そのため本論文はまず、恥骨形態の成長変化パターンを現代人コレクションより抽出しました。具体的には、さまざまな成長段階の、年齢・性別ともに既知の近現代日本人女性21個体および男性27個体です。このうち27個体は未成人です。次に本論文は、さまざまな成長段階の恥骨をマイクロCTでスキャンし、表面形状を解剖学的な相同点に基づく格子状の複数点座標により代表し、幾何学的形態測定法により形態変異を分析しました。その上で本論文は、ネアンデルタール人ではイスラエルのケバラ(Kebara)遺跡で発見された成人男性1個体(ケバラ2号)、現生人類ではイスラエルのスフール(Skhul)遺跡で発見された1個体(スフール4号)の化石模型を3次元スキャナーにてデジタル化し、ネアンデルタール人幼児1個体(デデリエ1号人骨)の幼児恥骨とともに、現代人サンプルの変異のなかで評価しました。

 本論文の標本は、現代人と「縄文人」と化石人骨から構成されます。現代人はさまざまな成長段階の、年齢・性別ともに既知の近現代日本人女性21個体および男性27個体の恥骨の形状が収集されました。このうち未成人が27個体含まれています。本論文は、これらの標本の恥骨部分をマイクロCTにて撮影し、3次元データを得ました。本論文は基本的に恥骨右側を用いましたが、恥骨結合面などの保存程度を考慮し、一部の標本は左側を用いた、とのことです。「縄文人」では、千葉県姥山貝塚と愛知県伊川津貝塚で発見された幼児標本2個体が用いられました。恥骨の大きさから3~5歳程度と推定されています。

 ネアンデルタール人の恥骨、とくに恥骨上枝の形態については、内外側に長くかつ上下に偏平であると古くから報告されており、現代人の骨盤の性差との関連が議論されてきました。現代人の骨盤の性差については、「出産ジレンマ」説で語られることが多い、と本論文は指摘します。同説では、当初、狭い骨盤がより適応的であるという直立二足歩行の進化と、幅広い骨盤がより効果的であるとするヒト進化における脳の大型化の間の「ジレンマ」として説明されましたが、その後、骨盤の性的二型を説明するものへと転用されました。より幅広い女性骨盤は、より大きな脳と体を持つ新生児を出産するさいに、リスクが少ない、というわけです。

 一方で、ネアンデルタール人の骨盤、とくに恥骨形態については、さまざまな解釈が提示されてきました。骨盤の内腔(産道を構成する部分)のサイズを拡大させるだろうという仮定に基づいて、妊娠期間や出産戦略ーに関連するとの見解や、出産ジレンマ説を発展させて、母親と出産児の体サイズ関係と性的二型に帰する見解や、移動や姿勢に関連する形質として考える見解が提案されてきました。未成人のネアンデルタール恥骨についても、恥骨上枝が内外側に長い、と報告されてきました。しかし、成長という観点で恥骨形態を論じたものはない、と本論文は指摘します。本論文は、こうした個体成長の観点から恥骨形態を分析し、現代人における性差とネアンデルタール人に特有な形態の関連を検証しました。

 本論文は平均形状からの個体変異を主成分分析し、第1主成分と第2主成分の得点をプロットしました。第1主成分は恥骨の内外側方向の変異を表し、第2主成分は上下方向の変異を表しています。性差は第1および第2主成分では表現されておらず、第3主成分で弱い性差が確認されました。本論文は、サイズ変化を取り除いた恥骨形態の成長変化の大部分には、性差が明確に現れないかもしれない、と指摘しています。また本論文は、成長にともなう形態変化を検証するため、中心サイズと第1主成分得点をプロットしました。横軸はサイズ変化を示し、それはほぼ成長軸だろう、と本論文は判断しています。この図からは、大きいサイズのサンプルには性差が見られ、女性の方で第1主成分得点が高くなっています。これは、同じ成人サイズでも、女性の恥骨の方が内外側方向に広がった形であることを示しています。さらに、化石人骨の位置からは、ネアンデルタール人のケバラ2号と現生人類のスフール4号は上下に対照的な位置を占めています。どちらも男性とされていますが、ケバラ2号の恥骨は第1主成分得点が高く、近現代日本人女性の範囲に入ります。一方スフール4号の恥骨は男性の範囲に収まります。ネアンデルタール人のデデリエ1号幼児は現代人サンプルの上限となりますが、およそその変異内にプロットされました。

 恥骨の形態は、骨盤の性的二型の出現と関連して成長とともに性差が表れると予想されています。骨盤形態の性的二型に関しては、上述のように「出産ジレンマ説」に基づいて理解されることが多くなっています。現代人の成長に伴う骨盤形態の性差は、思春期以降に顕在化して女性の骨盤は急拡大し、出産にかかわる部分のサイズを増大させます。40歳以降の変化様式は、男性と変わらず出産にかかわるサイズを減少させます。本論文の恥骨形態による分析においても、成人サイズに達するまでは性差を見出せず、成人のみにある程度の性差が見られました。本論文は骨盤の出産に関わるサイズ変化と関連のある恥骨形態として、恥骨の内外方向の長さ(幅)を想定しています。成人段階でこの方向(第1主成分)に性差が見られたのは、これまでの知見と整合するものだろう、と本論文は評価しています。

 ネアンデルタール人男性のケバラ2号の恥骨が、現代人の女性的であるという結果について本論文は、形態的には内外側に長い恥骨を持っているというこれまでの報告と整合的であるものの、進化・適応の観点からは理解を難しくしている、と指摘しています。男性個体であるケバラ2号に「出産仮説」をあてはめるのは困難なので、別な進化的解釈が必要になる、というわけです。本論文はは成長という観点からこの問題を検証し、成人段階の性的二型およびネアンデルタール人の成人1個体(ケバラ2号)と現生人類の成人1個体(スフール4号)に関しては、形態変異の傾向が検出できました。一方で、ネアンデルタール人の幼児であるデデリエ1号については、明確ではありませんでした。未成人段階の恥骨の形状からは、デデリエ1号と現代人では内外方向のサイズ以外にも形態的差異がありそうなので、本論文が用いた方法ではその差がうまく検出されていないかもしれない、と推測されています。本論文は、個体変異という観点からは、現代人の成長シリーズを拡張すると同時に、ネアンデルタール人を含む化石人類の成長シリーズにアプローチする必要があるだろう、と指摘しています。


参考文献:
近藤修(2019)「ネアンデルタール恥骨成長分析の試み」『パレオアジア文化史学:アジアにおけるホモ・サピエンス定着プロセスの地理的編年的枠組みの構築2018年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 18)』P133-138

大河ドラマ『平清盛』の全体的な感想のまとめ

 現在放送中の大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』がほぼ間違いなく更新しそうですが、2012年放送の大河ドラマ『平清盛』(関連記事まとめ)は、大河ドラマ史上最低の平均視聴率(関東地区)だったことから、今でもネットでは罵倒・嘲笑されることが珍しくありません。しかし、本放送時から現在まで、私は本作を傑作と評価し続けています。ついでに言うと、私は『いだてん~東京オリムピック噺~』も高く評価しており、楽しみに視聴を続けています。『いだてん~東京オリムピック噺~』の方はまだ暫定的な評価なのでさておくとして、『平清盛』への私の評価は、「声が大きく」、「正統派」の大河ドラマ愛好者にとっては噴飯ものでしょうが、これは今後もずっと変わらない、と確信しています。『平清盛』は私にとってたいへん思い入れの深い作品なので、全体的な感想もかなり力を入れて執筆しました。その結果、かなり長くなってしまい、以下の5回に分割して掲載しました。

全体的な感想(1)主人公の清盛について
https://sicambre.at.webry.info/201301/article_5.html

全体的な感想(2)脚本・演出の特徴と音楽
https://sicambre.at.webry.info/201301/article_7.html

全体的な感想(3)平氏・源氏側の人物造形と配役
https://sicambre.at.webry.info/201301/article_10.html

全体的な感想(4)人物造形と配役(平氏・源氏側以外)
https://sicambre.at.webry.info/201301/article_16.html

全体的な感想(5)大河ドラマと歴史学との距離
https://sicambre.at.webry.info/201301/article_21.html

 これらの記事の合計文字数は2万を超えるので、ウェブリブログではじゅうらい1記事に収まらなかったのですが、本日(2019年7月2日)、ウェブリブログの大規模メンテナンスおよびリニューアルにより、制限文字数が約2万文字から約13万文字に増えたので、本当に機能しているのか確認する目的もあり、これらの全体的な感想記事を一つにまとめてみます。説明文や他の記事へのリンクは省略しましたが、ほぼ当時の文章を再掲しました。今ではやや考えが変わっているところもあるのですが、今後再視聴した時に、余裕があれば新たに感想を掲載するつもりです。正直なところ、大河ドラマの感想記事の執筆に関しては、本作で力尽きてしまった感があり、本作以後の大河ドラマの感想記事は、各回にしても全体的なまとめにしても、手抜きになってしまっています。まあ、ドラマも含めての歴史娯楽作品や、そもそも歴史の優先順位が以前よりも低下している、ということもありますが。今後、本作を超えるような大河ドラマの新作を視聴したいものではあります。以下、本文です。



●主人公の清盛について

 まずは簡単に全体的な話の構造について触れますが、活力にあふれる武士が、退廃的で乱れた王家・貴族に見下されつつも、彼らに取って代わって新しい世を作る、という現代日本社会では広く浸透している歴史観に基づいたものになっています。また、清盛や重盛の描写をはじめとして後半は、かなりのところ「平家物語史観」に依拠しているように思われ、話の根本的なところは、現代日本社会では馴染みの歴史観というか物語に準じたものになっている、と言えそうです。

 その意味で、この作品は多くの視聴者にとって親しみやすいものになる可能性もあったわけですが、大河ドラマとしては空前の低視聴率に終わってしまいました。その要因として、コーンスターチの多用に象徴される見づらい映像だったことや、大河ドラマとしては過激な性的描写も挙げられそうですが、それらは次回以降に述べることにします。根本的なところで馴染みのある歴史観・物語に準じているということは、陳腐な話になる可能性もあるわけですが、この作品には大将同士の不自然な一騎討ちなど陳腐な描写も少なからずあったとはいえ、それゆえに多くの視聴者が見離した、というわけではないように思います。

 では、大河ドラマとしては空前の低視聴率という観点で、何が問題だったのかというと、それは主人公の清盛の立ち位置が定まらなかったというか、清盛の人物像がふらついているように見えたからではないか、と思います。それは一つには、清盛の本質を描くにあたって、武士、物の怪の血、既存の権威への反発者・無頼者というように、多面的な性格を盛り込んだためでもあるでしょう。ただ、この作品の清盛を構成するこうした要素は、それぞれ個別に存在して結果として多重人格の清盛像が提示されているというわけではなく、物の怪の血を受け継いでいることが既存の権威への反発者として顕現するという側面もあっただろう、と思います。

 清盛の人物像がふらついているように見えたのは、清盛の英雄譚というよりも、清盛を主人公としつつも、平安時代末期の群像劇を目指したように思われるこの作品の志向とも関連しているのでしょう。偉大な主人公にすべてが収斂する単純明快な物語を志向しなかったように、主人公をはじめとして主要人物についても、単純明快な人物造形にするのではなく、多様な側面を描こうとしたのではないか、と思います。頼長や信西もそうでしたが、主要人物については、ある側面だけを強調するのではなく、人間の複雑なところをできるだけ描こうとしたのでしょう。

 もう一つの問題点は、清盛の若い頃に既存の権威への反発者・無頼者としての本質から青臭さが強調された一方で、有能なところや人間的魅力があまり描かれなかったことで、この期間が長すぎたことが、主人公としての清盛の魅力を乏しいものにしてしまった感があります。それは、棟梁になる前の清盛をそれなりに詳しく描きながらも、清盛が伊勢平氏一門の棟梁として相応しい大人物になるための最後の関門として、叔父である忠正の斬首を設定するという、物語上の構造に起因するものでした。おそらく、これは物語を構築するにあたってかなり早い段階で決まった構想であり、それに合わせて清盛の言動・人物像が構築されていったのではないか、と思います。それが成功したのかとなると、忠正の斬首までに半分近くを費やすという時間配分からして、むしろ失敗したという側面のほうが大きかったのではないか、と思います。

 確かに、忠正は魅力的に描けていましたし、保元の乱前後の忠正の描写はこの作品を盛り上げましたから、この創作はあるていど成功したとは思います。しかし、物語の半ば近くまで主人公の覚醒を引っ張ったのは、1年続く連続テレビドラマとしては、問題のある構成だったように思います。忠正の斬首を清盛にとって最後の関門とするならば、保元の乱をもっと早く迎えるような時間配分にすべきだったように思いますが、保元の乱へといたる過程にもあるていど時間を割かねばならないでしょうし、じっさいにこの作品では面白い話も多かったので、あえて清盛にとって最後の関門を設定するとしたら、祗園闘乱事件が相応しかったかもしれません。

 また、清盛の最終的な「覚醒」は忠正の斬首にしても、白河院の御前での舞・義朝との競馬・海賊討伐・結婚・最初の妻の死・祗園闘乱事件・忠盛の死と棟梁の座の継承・保元の乱直前の不穏な政治情勢などを通じて、清盛はじょじょに成長していったのですが、最終的な「覚醒」が忠正の斬首であるため、保元の乱が近づくにつれて、人物像のぶれがより強く印象づけられることににったのではないか、とも思います。これは物語の基本的な構想に起因する問題なので、途中での修正はなかなか難しかったかもしれません。

 ただ、青臭い頃の清盛が魅力に欠けたとはいっても、では「覚醒」後の清盛が魅力的だったかというと、大河ドラマの主人公としては疑問の残るところです。「覚醒」後の清盛は大人物として朝廷で重きをなし、政治が綺麗事だけでは動かないことをよく理解した、清濁併せ呑む大政治家として描かれました。自身および平家一門の地位・権力を高めつづけた清盛は、自身の国造りに邁進します。清盛の思い描く国造りは、青臭かった若い頃からの理想を抱き続けているかのようであり、先進的な宋との交易を通じて豊かになって、民も虐げられることなく幸せに暮らす世の実現が目指されました。

 しかし、自身の権力を高めていった清盛は、しだいに権力への妄執を強め、専制的になっていき、白河院を髣髴とさせます。ここで、清盛が白河院という物の怪の血を受け継ぐ者であるという設定が活きてきます。反体制的というか既存の権威に反抗する無頼者であった若い頃にも、清盛が物の怪の血を受け継ぐ者であることを、雅仁親王(後白河院)が指摘したり、清盛の最初の妻である明子が死んだ時に伊勢平氏一門が危惧したりしていました。私は、清盛が白河院の御落胤という説を支持していませんが、この作品で御落胤説が採用されたのは、たんによく知られている説だからということ以上の意味が込められており、物語としては面白くなっているように思います。

 清盛は、物の怪の血を受け継いでいるとともに、忠盛に引き取られて武士として育てられた、という自覚・自己認識も有していました。清盛の養父の忠盛は、清盛の生母である舞子を殺してしまうような白河院の理不尽な政治に憤り、武士の世を目指し、白河院をはじめとして王家・貴族の腐敗・堕落に憤っていた清盛も、父の理想を受け継いで武士の世を目指します。武士の世を目標とする国造りについて、清盛が若い頃には理想に重点が置かれていた感がありますが、家貞や時忠などの台詞にて、しだいに私欲が根本にあることが明かされていきました。これが、復讐を動機とする清盛の国造りという話につながるのですが、これは西光(藤原師光)が絡んできて、なかなか面白い創作になっていたと思います。

 物の怪の血と武士の魂の間で苦悩するのが後半~終盤の清盛で、清盛は一時物の怪の血のほうに強く引きずられるものの、ともに武士の世を目指した義朝の子である頼朝の挙兵により、武士の魂を回復する、というのが後半の大きな話の流れになっています。後半~終盤にかけて、清盛に内在する物の怪の血が強く顕現したとき、清盛はひじょうに加虐的で冷酷な独裁者として物語の世界に君臨します。こうした専制的で残酷な清盛像は、『平家物語』などの古典に源泉のある、現代日本社会では馴染みの伝統的な歴史観に基づくものと言えるでしょうが、この作品では、たんに地位・権力が高まって驕った結果としてではなく、物の怪の血を受け継いでいるという、清盛の宿命に基づくものとの設定になっており、物語としてより深みがあるのではないか、と思います。

 ただ、こうした清盛の人物像が、大河ドラマの主人公として魅力的かというとそうではなく、むしろ頼朝や義経を主人公とした作品において、敵役として映える人物造形になっているのではないか、と思います。こうしたところも、後半~終盤にかけて視聴率が回復するどころかさらに低迷した一因になっているのではないか、と思います。もっとも、基本的には一話完結ではない長丁場の大河ドラマでは、最終回かその直前でもないかぎり、途中から新規の視聴者が大量に参入するとか、一度離れた視聴者が戻ってくるという可能性は低そうだという事情もあるでしょう。

 以上、低視聴率の一因になったと思われる、この作品における清盛の人物像について概観しましたが、人間の個性は単純に割り切れるものではないでしょうから、清盛を理想に向かって一直線に邁進する大人物というように描かず、さまざまに苦悩しながら決断していく存在として提示しようとしたことは、間違いではなかったように思います。もっとも、最終的な「覚醒」が作品の半ば近くになってしまったという時間配分の問題と、それまでに有能なところや大物感をあまり描けていなかったことは否定できないでしょうから、大河ドラマの主人公という観点からは、人物造形に失敗したところが多分にあるように思います。ただ、群像劇の主要人物の一人としてならば、これでもよいかな、とも思います。

 このように清盛が魅力に欠けるところのある主人公になってしまった理由を考えると、邪推になるのですが、脚本家の思い入れが、脇役である璋子(待賢門院)・頼長・西光よりも低かったためではないかな、という気もします。本放送の視聴でもそう思いましたが、小説版を読むと、璋子・頼長・西光への脚本家の思い入れが強いことがよく分かります。これは、配役の問題も絡んでいるのかもしれず、西光役の加藤虎ノ介氏は、同じ脚本家の『ちりとてちん』の時の縁もあってか、明らかに脚本家のお気に入りの俳優だろう、と思います。一方、清盛については、脚本家はNHKから清盛を主人公とする作品を依頼され、色々と調べて執筆したものの、どうも清盛にあまり魅力を感じず、そのこともあって、群像劇的性格の強い作品になったのではないか、と思うのですが、これは的外れな見解かもしれません。


●脚本・演出の特徴と音楽

 この作品を最初から最後まで貫く特徴として、河内源氏と伊勢平氏、清盛と義朝・頼朝、璋子(待賢門院)と得子(美福門院)など対照的な二者を対比する脚本・演出が挙げられます。頼長と信西(高階通憲)や璋子と得子や由良と常盤など、主人公の周囲から外れた人物の対比的描写にも印象的なところがありましたが、やはり主人公の清盛をめぐる対比的な描写にもっとも力が入れられていたように思います。清盛のライバルは、武士では、序盤から中盤までが義朝で、ライバルというには終盤まで力不足なところがありましたが、中盤~終盤までが頼朝だったように思います。清盛の場合、これら加えて後白河院とのライバル関係が、後白河院の即位前より最終回の直前まで続きます。

 清盛と義朝とは、当初義朝のほうが有能で魅力的に描かれ、対照的に清盛は情けないところや青臭さが強調されます。これが保元の乱後の処理を境に逆転し、清盛が大人物としての風格を身に着けていくのにたいし、義朝には焦りと器の小ささが目立つようになります。清盛と頼朝の関係も同様で、清盛がその地位・権力を高め自身に満ち溢れていたとき、頼朝は伊豆で逼塞しており、恋仲の八重との別離・息子の殺害のために、すっかり無気力になってしまいました。しかし、地位・権力を高めた清盛の中の物の怪の血が強く出て、清盛が自分を見失いつつあったとき、頼朝は政子との出会いにより覚醒しました。清盛と後白河院との場合、もともと身分・立場が大きく異なるということもあってか、対照的な状況の比較という演出ではなく、ともに自らの権力を高めていこうと駆け引きをすることが、双六により象徴的に表現されました。

 また、ライバル関係にある対照的な二者それぞれの場面を交互に見せる演出もこの作品の特徴でしたが、成功ばかりとは言えず、失敗も少なからずあったのではないか、と思います。失敗の代表例が、第42回「鹿ヶ谷の陰謀」における、清盛と頼朝・政子だったのではないか、と思います。明日を見失いつつあった清盛と、見失っていた明日を再度見つけた頼朝の対比という脚本・演出の意図はよく伝わってきましたが、正直なところ、冗長になって緊張感を失わせたのではないか、と思います。西光役の加藤虎ノ介氏の熱演を活かすためにも、西光への拷問の場面に伊豆の頼朝・政子の場面を挿入するというか、交互に場面を切り替えていく演出ではないほうがよかったのではにないか、と思います。

 成功例として即座に思い浮かぶのは、第21回「保元の乱」における帝方と上皇方の軍議との対比で、『孫子』を用いての信西と頼長との違いを浮き彫りにする脚本・演出は、役者の好演もあって、素晴らしい場面になっていたと思います。第21回「保元の乱」への期待は大きかったので、前半でこの場面を見た時には、大傑作回になるのではないか、と興奮したものです。全50回のなかで、私がもっとも盛り上がったというか、期待が高まったのが、この場面でした。ただ、第21回はその後に冗長で不自然な一騎討ちがあったのがたいへん残念でした。

 この冗長で不自然な一騎討ちは、第6回「西海の海賊王」や第27回「宿命の対決」でも見られましたが、主要人物同士の一騎討ちという演出はドラマ・映画のお約束といった感があり、陳腐な感が否めません。私はこのお約束に昔からなじめないので、こうした演出がどうも好きになれませんでした。この作品は、演出・映像造りという点で、2010年の大河ドラマ『龍馬伝』を志向していたのでしょうが、そうした新たな試みが強く見られる一方で、主要人物同士の一騎討ちのような陳腐な演出も同居しており、やや雑然とした印象を受けました。

 前半の脚本・演出で目立ったのは過激な性的描写で、とくに宮中において顕著でした。白河院・鳥羽院・璋子・得子の関係は保元の乱へといたる過程を説明するうえで重要だったので、性的描写が不要とは思いませんが、それにしてもやり過ぎた感は否めません。年齢制限のある映画でも放送時間帯が深夜の連続テレビドラマでもなく、日曜午後8時に日本中で放送されているわけですから、脚本・演出にもっと工夫があってしかるべきだったのではないか、と思います。おそらく、過激な性的描写により離れた視聴者も少なくないのではないか、と思います。天皇家以外の性的描写では、頼長と家盛との関係で男色が描かれました。こちらのほうが衝撃的だったかもしれませんが、放送は第14回「家盛決起」だけだったので、視聴者離れという点では、宮中での性的描写ほど影響はなかったように思います。

 伏線の多用もこの作品の特徴で、これは同じ脚本家による朝の連続テレビ小説『ちりとてちん』でも同様でした。清盛に受け継がれた物の怪の血は、終盤になって一時強く表れ、清盛が白河院の実子であることが改めて印象づけられるとともに、御落胤説の採用が意味のあるものだったことを認識させられました。若い頃には物の怪たる白河院とその政治にたいする反発の目立った清盛が、最初の妻である明子の死の時などに見せた言動は、完結した今になってみると、後年の清盛の振る舞いを示唆するものでした。また、後白河院も即位前から、清盛が物の怪の血を受け継いでいることを指摘していました。

 この他にも、重盛をめぐる後白河院と清盛との双六や、清盛と信西の出会いと信西の最期や、時忠と幼い頃の宗盛との会話や、若き日の清盛・義朝・義清(西行)が夢を語り合った場面や忠正の竹馬など、伏線が多用されました。最初から最後まで熱心に視聴を続けた人ならば、こうした伏線の発見もこの作品の魅力になったでしょうが、こうした伏線を意識した作りは、新規の視聴者の獲得を難しくして、視聴率が低迷した一因でしょうし、伏線を狙いすぎた感もある作りにうんざりとした視聴者も少なからずいるかもしれません。

 コーンスターチを多用した「画面の汚し」は、この作品においてとくに評判の悪い演出で、都での多用も不満でしたが、海戦でもコーンスターチを多用した時には、さすがに唖然としました。これと暗い画面により見辛かったことが、視聴率低迷の一因だったのでしょう。確かに、現代日本社会では想像しにくいような汚さが、中世初期の都にはあっただろうとは思うのですが、砂漠地帯にあるわけでもない平安京の汚さが、コーンスターチの多用により表現されるとはとても思えません。コーンスターチの多用は出演者にも大いに負担をかけているようですし、今後の大河ドラマではこの作品のように多用されることがないよう、願っています。

 小道具への拘りが強いこともこの作品の特徴で、清盛の宋剣・清盛と後白河院との双六・頼長の鸚鵡(鸚鵡を小道具というのも変な気がしますが)・鳥羽と璋子の水仙などが挙げられます。これらの小道具は象徴的に上手く使われており、納得することが多々ありました。清盛の宋剣は、清盛の強さと清盛の国造りの礎にある宋への憧れの象徴となっており、終盤になって清盛が迷走したときに剣が錆びていたのは、見事な演出だったと思います。清盛と後白河院との関係を双六遊びにたとえたのも、鳥羽院と璋子との関係というか絆の象徴となった水仙の使い方も上手かったと思いますが、なんといっても大成功だったのは頼長の飼っていた鸚鵡です。鸚鵡は頼長の象徴だった感があり、頼長の才と孤独とを表現していたのではないかな、とも思います。頼長と鸚鵡の最期は、たいへん印象に残るものでした。

 この作品の音楽は素晴らしく、それ故に『平清盛×吉松隆:音楽全仕事 NHK大河ドラマ《平清盛》オリジナル・サウンドトラック』を購入し(関連記事)、これを聴きながらこの記事を執筆していますが、つい記事の執筆よりも音楽のほうに気を取られてしまうこともあるくらいです。ただ、個々の曲自体は素晴らしいものの、場面に合っていないというか、どうも違和感のある選曲になっていたことが何度かあり、これは演出の問題だと思います。また、「遊びをせんとや」の曲があまりにも多用された感は否めません。音楽自体は素晴らしいものの、適切な使用ができていなかったのではないか、というのが正直な感想です。


●人物造形と配役

 全体的には、配役はおおむね成功だったのではないか、と思います。まずは主役の清盛についてですが、その人物造形については、上記の全体的な感想で述べたので省略します。清盛役の松山ケンイチ氏について、放送開始前はよく知らなかったのですが、予告を見て演技に不安を覚えました。じっさいに放送が始まると、前半は不満に思うところが少なからずありましたし、一部?で言われているほど演技力があるわけでもない、と思ったものですが、後半、とくに老境(現代日本社会では老境というほどの年齢ではありませんが)に入ってからは、メイク担当の方の頑張りもあって、見応えのある演技になっていたと思います。

 松山氏は全体的にはかなり健闘しており、大河ドラマとしては前代未聞の低視聴率になった原因を松山氏の演技に求める見解には同意できません。ただ、1年間通して視聴して、松山氏にはスター俳優としての華はないように感じたので、低視聴率の一因として松山氏の問題点を挙げるとするならば、華のなさということになるのかもしれません。ただ、一部?の世評ほど高くはないにしても、松山氏の演技力は若手としては上位のほうでしょうし、松山氏は今後経験を積んでいけばさらに伸びそうなので、高倉健・吉永小百合・木村拓哉の各氏のようなスター俳優にはならなくとも、存在感のある俳優として第一線で長く活躍し続けていくのではないか、と思います。

 まずは平氏および平氏配下の人物についてです。初回の実質的な主役だった忠盛は、初回の前半では青臭さを見せていましたが、それ以降は清濁併せ呑む大人物で、清盛の導き手となりました。『風と雲と虹と』の良将や『独眼竜政宗』の輝宗と同じく、厳しさと優しさを兼ね備えた、理想の父親像を見せたと思います。忠盛役の中井貴一氏の好演も期待通りでした。忠盛の父の正盛は、中村敦夫氏が演じるということで注目していたのですが、初回の前半で退場となったのは残念で、もっと見たかったものです。

 忠盛の正妻である宗子(池禅尼)は、伊勢平氏の頭領の妻として、自分はもちろん夫の実子でもない清盛を実子二人と分け隔てなく育てようとし、普段は良妻賢母なのですが、家盛が木から落ちた時や死んだ時など、時として情念というか生の感情を露わにすることがあり、序盤は普段から清盛との距離感を出さねばならないところなど、演じるのがなかなか難しい役だったと思います。そうした難しい役回りの宗子を、和久井映見は期待通り好演しました。清盛の弟たちのうち、実母が宗子ではない経盛・教盛・忠度にはあまり見せ場がありませんでしたが、それぞれ文・武・和歌に長けた人物という性格付けがなされ、完全に埋没しなかったのはよかったと思います。

 家盛・頼盛という宗子の実子二人にはそれなりに見せ場があり、ともに直接には血縁関係にない兄の清盛にたいする複雑な想いが表現されていましたし、二人ともかなりの好演だったと思います。とくに家盛は、清盛との対比で恋仲の女性を諦めねばならなかったことなど、若い頃の清盛と対照的に優等生的に描かれ、母の宗子と伊勢平氏一門のことを思って忠盛の後継者の座に名乗り出るものの、それが一門の分裂を招く行為であることを悟って愕然とするところなど、登場期間は短かったのですが、大東駿介氏の好演もあって深く印象に残りました。

 平家の家人では、序盤から登場していた家貞・忠清・盛国の三人に期待していましたが、放送開始前の期待・予想と比較すると、意外なほどに目立ちませんでした。とくに盛国は、上川隆也氏が演じるということもあって、ひじょうに重要な役になるのではないか、と予想していたのですが、所々で有能なところを見せるものの、とくに清盛が棟梁となって以降は置物と化した感があり、盛国の妻も結婚後にまったく触れられなかったのはなんとも残念です。ただ、三人とも演技にまったく不満はありませんでしたが。この三人が目立たなかったくらいですから、清盛の乳父の盛康・家盛の乳父の維綱・頼盛の乳父の宗清・家貞の息子の貞能にも見せ場が少なく、それぞれ力量のある俳優を配しただけに、もったいなかったなあ、と思います。

 清盛の妻子では、清盛の最初の妻である明子が、結婚の回と退場の回くらいしか見せ場がなかったものの、控えめな賢妻という感じで好印象でした。この作品には性別を問わず癖のある人物が多かったので、常識人というか裏のない明子の人柄にはほっとさせられるところがありました。明子役は加藤あい氏ということで、放送開始前は演技力がかなり不安だったのですが、役に合っていたということもあるのか、懸念していたよりもはるかによかったと思います。テレビ朝日系の『風林火山』の頃より、時代劇の演技力が向上していた、ということもあるのでしょう。

 清盛の後妻である時子は、放送開始前にはメインヒロインだと予想していたのですが、それなりに台詞はあり、『源氏物語』に憧れる夢見る少女から、伊勢平氏一門の棟梁の正妻としての覚悟を決め、壇ノ浦で入水するまでの成長過程には確かに見どころがあったものの、予想していたよりずっと見せ場が少なく、意外なほど置物と化した感があります。こちらも、演じるのが深田恭子氏ということでかなり不安だったのですが、深田氏の適性を考慮した人物造形になっていたように思いますし、演技に不満の残るところもありましたが、懸念していたよりはよかったと思います。

 清盛の子供たちは、重盛にかなりの見せ場があったものの、若くして死んだ基盛は仕方ないにしても、宗盛・知盛・重衡・徳子といった清盛と時子との間の子供たちには意外なほど見せ場が少なかったように思います。おそらくそれと関連して、2005年の大河ドラマ『義経』と比較すると、清盛の子供を演じた俳優の知名度(それぞれ放送時点での比較)がかなり劣ることは否めません。だからといって、この作品の清盛の子供を演じた俳優の演技に大きな不満はなく、むしろ高く評価してはいるのですが、『義経』では重盛・宗盛・知盛・重衡の妻にも知名度の高い女優が起用されたことと比較すると、この作品では清盛の息子たちのうち妻が登場したのは重盛だけということからも、清盛の子供たちの比重が軽かったことが分かります。

 ただ、宗盛・知盛・重衡には見せ場が少なかったとはいっても、それぞれしっかりと性格付けがなされており、完全に埋没したということはありませんでした。宗盛は、幼い頃より暗愚を予感させる描写となっており、終始頼りない無能な人物として描かれましたが、息子の清宗への態度など人のよさそうなところや、兄の重盛にたいする劣等感など屈折したところも見られ、なかなか見応えのある人物になっていたように思います。知盛・重衡は宗盛よりもさらに見せ場が少なかったのですが、知盛の冷静なところや、重衡の屈託のなさは印象に残りました。

 清盛の子供たちのなかで他を圧倒して重要な役割を担った重盛は、基本的には『平家物語』などに基づくおなじみの人物像に近かったと思います。ただ、この作品では大物の清盛と比較して小物だ、という設定が強調された感がありました。そこは残念ではありましたが、この作品ではそれが物語のうえで重要な構造を担っており、連続テレビドラマとしてはなかなかよかったのではないか、と思います。重盛が弟たちに威厳を見せようとする場面と、偉大な父の前で無力感を味わう場面とを演じ分けるなど、窪田正孝氏の演技は強く印象に残るものであり、『ゲゲゲの女房』を視聴していたのでそれなりに期待していたのですが、その期待をはるかに上回る熱演で、大いに評価を高めたのではないか、と思います。

 清盛の息子たちの妻のうち唯一登場した重盛の妻である経子は、重盛の母である明子と同じく、癖がなく控えめな賢妻という感じで好印象でした。ただ、経子は明子と比較して、兄が成親ということで、平氏一門にあって難しい立場にあったというか、背負っているものが大きく、そのことに重盛が苦悩する、という側面もありました。そうしたなかで、重盛・経子夫妻がお互いを労わる姿には好感が持てましたし、経子が壇ノ浦まで平氏一門と行動を共にしたという設定も、悲惨な運命ではありますが、ほっとさせられたところもあります。経子役の高橋愛氏の演技は放送前にはやや不安だったのですが、全体的にはなかなかの好演だったと思います。

 源氏については、河内源氏も摂津源氏も一まとめにした扱いで、頼政が義朝の配下であるかのような描写になっていたことに疑問がありますが、この問題は次回述べることにします。その頼政は、登場場面が少なかったのですが、なかなか存在感はあったように思います。主人公の清盛にとって前半の好敵手だった義朝は、保元の乱後は、大物として描かれるようになった清盛と対照的に、器の小ささが強調された感がありますが、全体的には、粗野なところがあるものの、有能で魅力的に描かれていました。義朝役の玉木宏氏の演技には不満なところもありましたが、全体的には好演だったと思います。

 義朝の父の為義は、かなり情けない人物として描かれました。じっさいの為義はここまで情けない人物ではなかったでしょうが、河内源氏の低迷期を印象づけるための人物造形ということでしょうから、あるていど仕方のないところかな、と思います。そうした人物造形を前提とすると、為義の演技には満足しました。第三部で清盛と対照的に描かれた頼朝は、全体の語りも担当し、かなり重要な役割を担いました。伊豆では無気力な時期が長く、もどかしい人物造形になっていましたが、清盛との対比を意識したというか優先したということなのでしょう。正直なところ、序盤の語りはかなり下手でしたが、終盤は序盤よりよくなっていたと思います。演技については、幼少期・少年期ともかなり良かったと思うのですが、成人後は物足りないところのあった感が否めません。

 義経は知名度が高いということで公式サイトでも宣伝に力が入れられていたように思うのですが、さほど重要な役ではなく、これといって見せ場もありませんでした。むしろ、義経配下の弁慶のほうが、頼朝・義経に清盛の役割を伝えるという意味で、重要な役割を担ったように思います。義経も弁慶も、演技自体には満足しています。義朝の弟たちでは、為朝が少ない出番ながら強烈な印象を残しました。配役発表の自伝で為朝にはかなり期待していましたが、演出で戯画化されたところがあったとはいえ、大満足の演技でした。義朝の子供たち頼朝・義経以外では、粗野なところは戯画化された感もありますが、義平が存在感を示しました。

 源氏側の女性では、由良・常盤・政子が主要人物と言えるでしょうが、由良は喜劇的な場面で登場することが多く、多少そんな役回りなのかな、とも思いましたが、保元の乱の前後で武士団の棟梁の妻らしい覚悟が描かれ、見せ場があったのは何よりでした。演技も、なかなかよかったと思います。常盤は、登場前に予想していたよりも難しい役で、声には最後まで慣れませんでしたが、演じた武井咲氏は健闘していたと思います。政子は頼朝を覚醒させる役割を担い、この作品でもとくに戯画化のなされた人物造形になったように思うのですが、演技自体は懸念していたよりも悪くなかったと思います。

 天皇家には強烈な個性の持ち主がそろいました。実質的な登場が第1回・第2回・第34回のみだった白河院は、強烈な存在感を示すとともに、終盤まで主人公の清盛にとって重荷となり続けました。白河院はこの作品世界における禍の源泉とも言うべき存在であり、主人公の清盛をはじめとして多くの登場人物は、白河院の播いた禍の種に苦しめられました。そうした位置づけの白河院は「物の怪」と表現され、物語後半の清盛は、この物の怪の血の顕現により迷走することになります。白河院役が伊東四朗氏と発表された時には多少不満もありましたが、迫力のある演技でたいへんよかったと思います。白河院の寵愛を受けた祇園女御(乙前)は、配役発表の時点で覚悟していたものの、晩年もきょくたんに若く見えたのは残念でした。

 鳥羽院は魅力的な人物の多いこの作品でも有数の当たりキャラで、鳥羽院役が三上博史氏と発表された時から大いに期待していましたが、繊細なところをじつに上手く表現し、それゆえに発狂した場面を強く印象づけることに成功するなど、期待以上の演技を見せてくれて、大満足でした。ただ、鳥羽院の人物像が璋子(待賢門院)・得子(美福門院)という女性との関係のみに収斂されてしまったところが多分にあり、鳥羽院の権威により朝廷の秩序が保たれていた、という大政治家としての側面がほとんど前面に出なかったのは残念でした。頼長が直接鳥羽院を見下しているような場面が何度か見られ、おそらくじっさいにはそんなことはとてもなかったでしょうが、この作品の鳥羽院ならば頼長に見下されても仕方ないな、と思ったものです。

 崇徳院は最初から最後まで不遇な人として描かれましたが、繊細で和歌に優れた教養人としての側面とともに、権力への執着を垣間見せるところもあり、井浦新氏の好演もあり、ひじょうに魅力的な人物になっていたように思います。崇徳院の最期の演出は賛否両論でしょうが、私の好みには合わなかったものの、悪いというわけではなかったように思います。この作品では色々な人に裏切られた崇徳院でしたが、保元の乱でも崇徳院に付き従った教長の出番はそれなりにあり、教長の存在は崇徳院にとって少ない救いになっていたように思います。

 後白河の初登場は第9回とわりと早く、この時は即位前でした。清盛と後白河が本格的に関わり合うのは、後白河が即位してからのことで、これ以降清盛にとって、義朝・頼朝という武士とともに、後白河も好敵手となりました。ただ後白河の場合、清盛にとっては、好敵手というより相互に利用しつつも乗り越えるべき壁として描かれた側面が強く、その結末が第49回「双六が終わるとき」であり、もはや天下の権を争うのは天皇家・公卿ではなく武士であることが、清盛と後白河との関係を象徴する双六によって示されました。

 後白河(雅仁親王)は当初史実通り皇位継承争いから外れた存在として登場し、それ故に今様にはまるなど気ままな生活を送る奇人変人として描かれました。その後白河が思いもかけず即位する直前、自身が不要な存在なのではないか、との悩みを抱えていることを告白します。これは、第10回「義清散る」での得子の発言を、その時は受け流して気にしていないように見せていたことが伏線になっており、じつは内心悩んでいたことが後になって分かるようになっています。「脚本・演出の特徴と音楽」でも述べましたが、こうした伏線の多用もこの作品の特徴となっています。

 即位後の後白河は相変わらずの奇人変人なのですが、自身の存在理由を見出したいということなのか、曾祖父の白河院を超える存在になろうとし、清盛と相互に利用し合いつつ、自身の権力を高めていこうとします。後白河の即位が当時の多くの人々にとって思いもかけないことであったことは作中でも触れられていましたが、後白河は二条帝までの中継ぎとして即位したのであり、廷臣から軽んじられるところも少なからずあった、ということも作中で描かれていれば、後白河の権力志向にもっと説得力が与えられてよかったのになあ、と思います。

 人間心理の洞察に長けている後白河の言動には見応えがありましたが、それは、放送開始前にはこの作品最大の地雷になるのではないか、と懸念していた松田翔太氏の好演が大きかったと思います。『篤姫』の家茂役での演技を見てかなり不安だったのですが、家茂のような優等生ではなく、癖のある人物の役に適しているということなのでしょう。これは配役の勝利と言うべきかもしれません。また、これまで平安時代末期の映像作品ではベテラン男優が演じることの多かった後白河に若い松田氏を起用したことは、作中での後白河の実年齢を考えると、松田氏が好演したという結果に関わりなく、老獪な政治家である後白河という固定観念への意欲的な挑戦と高く評価できるのではないか、と思います。今後も、大河ドラマではこのような固定観念への挑戦を続けてもらいたいものです。

 近衛帝・二条帝・高倉帝は登場期間が短く、とくに近衛帝には見せ場がほとんどありませんでしたが、ネットで検索したかぎりでは、近衛帝・二条帝がこれまで娯楽映像作品に登場することはほとんどなかったようなので、描写不足とはいえ、近衛帝・二条帝の立場と動向がそれなりに説明されたことはよかったのではないか、と思います。二条帝は公式サイトでは賢帝として紹介されていましたが、作中ではそうした描写がほとんどなく、実父の後白河院との対立的関係に主眼が置かれたのは残念でした。高倉帝は誠実な感じで、徳子との夫婦関係は、重盛・経子夫妻とともにこの作品における癒しになっていたように思います。

 鳥羽の中宮である璋子は序盤のメインヒロインとも言うべき存在で、放送開始の少し前に案内本を読むまでは、そうなるとはまったく予想していませんでした。璋子は作中では、白河院とともに世の乱れの元凶とも言うべき役割を担っており、メインヒロインと言っても異端的なところが多分にあったのですが、正統的ヒロインになるべき明子・時子の存在感がやや薄かったこともあり、とにかく強烈な印象を残しました。心が空だった璋子が人並みな感情を持つようになり、ずっとすれ違いだった鳥羽院と最期に心を通わせるという話は面白かったのですが、清盛が主人公ということを考えると、鳥羽院をめぐる女性関係の描写はやや長かったかもしれません。璋子役の檀れい氏のことは放送前にはよく知らなかったのですが、適役だったと思います。配役の勝利と言うべきでしょうか。

 璋子と対立関係にあった得子は、野心溢れる強い女性として描かれましたが、演者の実年齢が璋子とほぼ同じということが放送開始前は疑問でした。しかし、作品が完結した今にして思うと、璋子に負けないだけの迫力・演技力が要求されるということで、松雪泰子氏の起用は大成功だったと思います。作中では、権勢とともに鳥羽院の愛を求め、璋子を失脚させることにも成功した得子でしたが、けっきょく鳥羽院の愛は璋子に向けられており、権勢を振るったとはいえ、やや不遇な扱いを受けた人物のようにも思えます。璋子とともに、こちらも配役の勝利と言うべきでしょうか。得子の娘の八条院(暲子内親王)は、大らかな人物と思っていたのですが、作中では得子の娘らしい強気な女性として描かれました。八条院が娯楽映像作品に登場することは今後もほとんどないでしょうから、この作品の人物像が浸透するとなると、やや残念ではあります。

 滋子(建春門院)は、奇人変人である後白河院に寵愛されたということから、変わった女性という人物造形になりましたが、どうも成功したように思えません。メイクにも演技にも不満が多く、成海璃子氏が演じるということで放送開始前には不安を抱きつつも期待していたのですが、この作品で最大の期待外れの人物となりました。聡明で美しい女性として描いてもらえなかったものだろうか、と残念でなりません。成海氏はあるいは時代劇に向いていないのかもしれませんが、どうも役者として伸び悩んでいるようにも見えます。まだ今後の成長に期待してはいるのですが。

 摂関家には魅力的な人物がそろいましたが、小説版を読むと、本放送では省略された場面が少なからずあるようで、何とも残念です。忠実は出番こそ少なかったものの、存在感はさすがで、前半の平家にとっての高い壁をじつによく象徴的に表現できていたと思います。ただ、本放送では省略されたところがあるので仕方ないところもありますが、頼長との関係をもう少し丁寧に描いておけば頼長との別れがもっと印象深くなったでしょうから、その点が残念ではあります。忠通は、父の忠実や弟の頼長と比較すると地味な人物像になりましたが、作中での伊勢平氏への対応の変化から、伊勢平氏の地位向上を印象づけるという役割を担い、大きな見せ場はなかったのですが、重要な人物だったと思います。

 頼長には配役発表時点で大いに期待していたのですが、脚本家のお気に入りだったようで、人物造形にも力が入れられていたように思われ、期待値以上の出来になったので大いに満足しています。とくに、鸚鵡を使った頼長の描写は見事でした。才知に溢れる隙のない人物として登場した頼長は、死が近づくにつれて情けないところが見られるようになり、最期は悲惨でしたが、厳格すぎる性格が周囲の反感を買い、追いつめられていった感があります。頼長はこの作品最大の当たりキャラで、脚本に力が入っていたということもありますが、とにかく山本耕史氏の演技が見事でした。次に大河ドラマで頼長が登場するのはずいぶんと先になりそうですが、頼長を演じる男優には高い壁ができたように思います。

 忠通の子供たちについては、基実の配役に疑問が残りました。それは、演技力にたいしてではなく、基実は若くして亡くなったのに、40代後半の村杉蝉之介氏を起用したことにたいしてです。ただ、おそらくはこれまで娯楽映像作品ではほとんど登場しなかっただろう基実が登場し、その早過ぎる死が清盛にとって痛手であったと描かれたということだけでも、意義があったと言うべきかもしれません。基実の弟である基房・兼実も存在感を示しましたが、あまりにも戯画化が行き過ぎた感があるのは否めません。これは他の公卿についてもあてはまることが多かったのですが、貴族と武士とを対立的に描くという作品の基本構想に沿ったものなのでしょう。忠通の孫となる基通は出番が少なかったのですが、これまで娯楽映像作品に登場することが少なかったでしょうから、平家との関係の深さが描かれただけでもよしとすべきでしょうか。

 他の貴族にも、出番は少なくても目立った人物が多く射ました。信西(高階通憲)は主要人物の一人であり、才覚に溢れる野心家としての性格がよく表現されていました。演技自体は、期待していたほどではなかったのですが、悪いということはありませんでした。家保・家成・成親の三代、とくに家成・成親の親子は、出番も多く重要な役割を担いました。家成は、従兄弟の宗子(池禅尼)が忠盛の正妻ということから、伊勢平氏に親切で、やたらと陰険な人間の多い貴族のなかにあって、数少ない良心派という印象を視聴者に与えたように思います。成親は小賢しく世渡りの上手い陰険な人物といった感じで、義弟の重盛を小物と見下していましたが、窮地に陥った時の態度から、成親自身はそれ以上の小物だという印象を受けました。家保・家成・成親の三代は演技もよく、この配役は成功だったと思います。

 家成の養子となった西光(藤原師光)は信西の後継者としての自負を抱き、信西の志を継ぐと自認している清盛と対比させるという脚本・演出はよかったと思いますが、何よりも加藤虎ノ介氏の熱演には見応えがありました。この作品では上位に入る当たりキャラになったと思います。脚本家の力が入っているように思えたのは、脚本家のお気に入りである加藤虎ノ介氏が演じるという前提だったからでしょうか。西光は、清盛の国造りが宋との交易により民も豊かになるという志だけではなく、復讐心によるものでもあるということを明らかにしたという意味でも、重要な役割を担ったと思います。

 その他には、わずか2回だけの登場でしたが、得子の父である長実が、いかにも気弱で無能という感じで、印象に残りました。経宗は、この作品における貴族像をきょくたんに戯画化した人物といった感じで、さすがにやり過ぎといった感は否めませんが、有薗芳記氏の演技力に助けられたところが大いにあるように思います。私は、やり過ぎとは思いつつも有薗氏の演技が楽しみで、経宗の登場を心待ちにしていたものです。経宗が拷問を受けて配流処分とされたことは本放送では触れられませんでしたが、経宗の作中での役回りを考えると、仕方ないかな、とは思います。平治の乱の発端において、その経宗とともにというか、もっとも重要な役割を果たした人物とも言える信頼は、この作品の主要人物には珍しく、よいところがまったくと言ってよいほどなく、情けない無能な悪役として描かれました。もう少しよいところを描いてもよかったように思うのですが。

 宗教関係では、厳島神社の佐伯景弘が、案外目立たず、見せ場がなかったのが残念でした。延暦寺の明雲は、出番こそ少なかったものの、迫力のある演技で存在感を示し、強い印象を残しました。もっと出番があるとよかったのですが。西行(佐藤義清)は、出家してからすっかり存在感が薄くなり、本当に主要人物の一人なのだろうか、と思ったくらいですが、終盤になって存在感を示しました。出家するさいの経緯から、視聴者には印象の悪い人物になってしまったかもしれませんが、晩年の最高権力者となった清盛に直言できるほとんど唯一の人物ということで、終盤になって見せ場が増えたのは何よりでした。放送開始前には不安だった演技も、悪くはなかったと思います。

 まだ取り上げていない重要人物もいるでしょうが、さすがに疲れるので、ここまでにしておきます。テレビドラマとしての全体的な感想は今回で終了となるので、最後に、とくに面白かった回を順番に列挙していきます。なお、場面単位でもっとも面白かったというかよい意味で興奮したのは、「脚本・演出の特徴と音楽」でも述べたように、第21回「保元の乱」における帝方と上皇方の軍議との対比です。『孫子』を用いての信西と頼長との違いを浮き彫りにする脚本・演出は、役者の好演もあって、素晴らしい場面になっていたと思います。。


●大河ドラマと歴史学との距離

 大河ドラマがどこまで史実に忠実であるべきか、というか歴史学の研究成果に沿うべきか、というのは難問であり、答えのない問題と言うべきかもしれませんが、それでも限度はあると思います。たとえばこの作品でいうと、清盛や義朝や後白河院が、月に人を送り込むとか、大陸間弾道ミサイルで高麗・金・南宋を攻撃するとかいった計画を立てるという場面が描かれれば、明らかに問題というか誤りだとほとんどの人には分かるでしょう。それは極端にしても、清盛がトマトやジャガイモを使った料理を食べている場面を描けば、批判されても仕方ないでしょう。まあ、トマトやジャガイモの事例もまだ極端と言えそうですが、私も含めて一般人の多くは、平安時代末期の常識をこの時代の研究者よりもはるかに知らないわけで、研究者やこの時代に詳しい人から見ておかしな描写がどこまで許されるかとなると、線引きがたいへん難しいとは思います。

 そもそも、言葉からして、忠実に再現しようとすると、現代日本社会では字幕が必要になり、娯楽映像作品には適さないでしょう。歴史ものの映画でよく見られるように、地域・時代に関わらず人々が英語で話す作品が少なからずあるように、言葉の問題はあるていど割り切らなければならないだろう、とは思います。ただ、それでもやはり限度はあり、平安時代末期の日本を舞台にした大河ドラマで、トイレに行くとか遺伝子などという言葉が出るのは問題でしょう。もっとも、これも線引きの難しいところがあり、トイレは極端にしても、当時の言葉・概念だけで台詞を構成するというのは難しく、研究者が考証を担当しても、見逃すこともあるのではないか、とも思います。

 このように線引きが難しいとなると、最終的には各視聴者が自分で基準を設けて判断すればよいのではないか、とも思うのですが、やはり専門家の見解が重視されるべきではないかな、と思います。現代では、さまざまな分野で専門家への懐疑が強まっているようですが、専門家の見解はもっと尊重されるべきだろう、とは思います。もちろん、だからといって専門家の見解を鵜呑みにしろということではなく、たとえば大河ドラマは専門家の見解にすべてしたがって制作されるべきだ、と主張するつもりはありませんし、以下の私見はすべてそれを大前提としたうえでのことです。

 あくまでも新聞・雑誌・ネットなどでの私の見聞の範囲内ではありますが、この作品の舞台となっている平安時代末期というか中世初期・前半を専門とする歴史学の研究者の間で、この作品はきわめて評判が悪く、とくに脚本への評価はたいへん低くなっています。これは、研究者だけではなく、この時代に詳しい一般人の間でも同じ傾向が見られます。この作品、とくに脚本を誉めているこの時代の研究者となると、二人いる時代考証担当の一方である本郷和人氏だけです。この時代に詳しい人がこの作品に肯定的な見解を述べた例となると、この時代を専攻とする歴史学の研究者ではありませんが、『新潮45』2012年10月号にて小谷野敦氏がこの作品をそれなりに高く評価していたことくらいでしょうか。

 もちろん、ネットでも既存メディアでも声の大きな主張が目立ち、批判というものは往々にして声高なものではありますし、私の見聞範囲は限定されているのですが、研究者か否かを問わず、平安時代末期に詳しくこの作品について語っている人のほとんどがこの作品を厳しく批判し、とくに脚本にたいして低い評価を下している一方で、脚本も含めてこの作品を絶賛しているのが本郷氏だけということは、この作品の歴史ドラマとしての価値を考えるうえで、とても無視できないだろう、とは思います。とはいえ、私にはそうした批判も咀嚼したうえで有意義な議論を展開するだけの見識はとてもなく、まとまりのない思いつきの羅列になりそうですが、以下、この問題についての雑感を述べていくことにします。

 この作品は低視聴率ということでマスメディアに面白おかしく取り上げられることが多かったのですが、とくにネット上のニュースサイトに掲載される記事には、本当に視聴したうえでの批判なのか、と疑問に思うものが少なくなく、まともなものは少なかったように思います。そうした批判的な記事のなかには、この作品を擁護する見解も申し訳程度に掲載されているものが多かったのですが、この擁護も批判と同じく紋切型というか、視聴したうえでのものではなく、大河ドラマとしては前代未聞の低視聴率という負の話題性を題材にした、机上の作文との感は否めませんでした。

 そうした紋切型の記事でよく見られたこの作品への擁護が、リアルな映像作りや史実に忠実で人間関係が複雑といったものでしたが、この作品を高く評価している私でさえ、そうした評価は的外れだろう、と考えているくらいです。まず、とくに序盤で顕著だったコーンスターチを多用した映像作りは、平安京が砂漠地帯にあったわけではないというほとんどの日本人にとって周知の事実からも、とてもリアルとは言い難いものでした。このコーンスターチの多用を海賊討伐の海戦場面でもやってしまったのですから、この作品の映像作りがテレビドラマとして優れていたとか効果的だったとかいう議論はあり得るかもしれませんが、リアルとはとても言えないように思います。

 また、若き日の清盛の姿が汚すぎることからも、とてもリアルな映像作りとは言えないように思います。おそらく、若き日の清盛の姿を現代において忠実に映像化するための根拠になり得るような文献はないでしょうから、この作品における若き日の清盛の姿が間違いだと断定できるわけではなさそうですが、清盛の誕生時点ですでに祖父も父も国守を務めたことがあるわけで、清盛自身も数え年12歳で従五位下となり、その後も30歳の時の祗園闘乱事件の直前まではわりと順調に出世していったのですから、この作品で描かれたような、30代半ばまで薄汚れた格好で都を歩き回っていた、というようなことはまずあり得なかっただろう、と思います。

 次に、人間関係が複雑という擁護についてですが、たとえば、藤原公教がほとんど端役扱いで、平治の乱でも重要な役割を果たさなかったとか、宗子(池禅尼)が重仁親王の乳母だったことが無視されているとか、清盛と信頼との姻戚関係とか、人間関係はかなり簡略化されており、テレビドラマとして分かりやすいように構成しよう、という意図が伝わってきました。少なくとも、この作品の人間関係がきょくたんに複雑だったということはないでしょう。あくまでも私の見聞の範囲内ではありますが、この時代に詳しく、おそらくこの作品で提示された人間関係を複雑とは思わない人たちのほとんどが、面白くない、脚本が駄目だと言っているわけですから、この作品の人間関係は低視聴率の根本的な原因ではないだろう、と思います。

 これらのことからも、史実に忠実という擁護は疑問なのですが、根本的な問題は、活力にあふれる武士が、退廃的で乱れた王家・貴族に見下されつつも、彼らに取って代わって新しい世を作る、というこの作品の基本的な話の構造にあるのではないか、と思います。この作品の基本的な世界観は、現代日本社会では馴染みの通俗的歴史観に依拠したものである、と言えるわけです。この作品では、そうした世界観のもとに、忠盛や義朝や清盛が保元の乱の前より、多分に曖昧なところがあったとはいえ、武士の世を目指す、という明確な目標を立て、その実現のために奮闘しました。これは、悪い意味で後世の視点が露骨に出てしまっているというか、結果論的解釈になってしまっている感は否めません。

 また、この作品における経宗・基房・兼実などといった公卿の戯画化も、上述した世界観に基づくものと言えるでしょう。さらに、源氏と平氏を類型化して対照的に描き、源氏を一まとめにし、頼政も義朝に従属していたかのように説明していることも、上述した基本的な世界観に淵源があると言えるでしょう。この作品の基本的な世界観が多分に依拠している通俗的歴史観は見直しも進んでいるわけで、そうしたことからも、通俗的歴史観にかなりのところ依拠したこの作品への批判・不満は大きかったのではないか、と思います。

 また、この作品の後半~終盤にかけての清盛が専制化していく描写は、かなりのところ「平家物語史観」に依拠しているように思われ、その意味でも、現代日本社会では馴染みの通俗的歴史観に依拠している、と言えそうです。清盛と同じく、重盛・宗盛・信頼の人物描写も、通俗的歴史観に依拠したところが多分にあり、人物造形が陳腐である、との批判はあるだろうと思います。ただ、この作品でもこれまでの一般的印象通り無能と描かれた宗盛と信頼の見直し論については、興味深い見解ではあるものの、まだ確証されたとは言えないように思います。

 一方で、この作品は戦後の歴史学の研究成果を取り入れたところもあり、平治の乱において、それまで対立していた後白河院政派と二条帝親政派の公卿層が反信西で一致する、という動向を描くところもありました。基本的な世界観は通俗的歴史観に依拠しているものの、多くの視聴者にとって馴染み深い物語にするという方針を徹底するわけではなく、ところどころの話では戦後の歴史学の研究成果を取り入れるといったところは、娯楽映像歴史作品としてやや中途半端になったのではないか、とも思います。ただ、この私見にはあまり自信はありません。

 鳥羽院を中心とした序盤の宮中の描写なども、かなり戯画化されて現実離れしたところがありましたから、この作品が当時の身分社会を描けておらず、全体的に史実には忠実ではないというか、戦後の歴史学における見直しがあまり反映されず、古臭い通俗的歴史観を再生産する役割を果たしたばかりか、若き日の清盛の無頼など、新たな捏造(だろうと私は考えています)を提示したという意味で、この時代の専門家か否かに関わらず、この時代に詳しい人々の間できわめて不評だったのは、かなりのていど仕方のないところなのかな、とは思います。

 正直なところ私も、放送開始前にこの作品の時代考証担当が髙橋昌明氏と知った時は(当初は、時代考証担当が二人とはしりませんでした)、近年の歴史学での見直しを取り入れ、比較的史実に忠実な物語になるのではないか、と期待していましたし、本放送よりもずっと史実に近い話にしても、さらに面白い話にするのは困難ではなかっただろう、と考えているだけに、残念ではあります。ただ、作品が完結した今になってみると、映像作りなどで不満はありましたが、実父白河院から引き継いだ物の怪の血と、武士である伊勢平氏の長男として育ったこととの間で時として悩み迷走しつつも、交易による豊かな国造りを目指して主人公を軸としつつも、その周囲の個性あふれる人物たちを魅力的に描いた群像劇となっていて、1年間の連続テレビドラマとしてはたいへん楽しめました。

 歴史ドラマとしては欠陥が多かったことは否めませんし、そうした諸々の欠陥がどこまで許容範囲なのか、あるいは是正すべきなのか、という点について、現在の私の見識では的確に答えられませんし、おそらく一生かかっても無理でしょうが、そうした問題を考えさせられる重要な契機になったという意味でも、私にとっては記念碑的な作品となりました。けっきょくのところ、上手くまとめられず雑然とした感想の羅列になってしまいましたが、今回の本題はこれで終わりとします。


 以下、とくに面白かった回を上位から挙げていきます。

1位:第22回「勝利の代償」
https://sicambre.at.webry.info/201206/article_4.html
頼長の最期と鸚鵡の使い方が抜群の上手さでした。

2位:第20回「前夜の決断」
https://sicambre.at.webry.info/201205/article_21.html
平氏・源氏それぞれの別れ・再会・覚悟がよく描かれ、中盤第一の山場である保元の乱に向けての盛り上がりとしては申し分なかった、と思います。

3位:第37回「殿下乗合事件」
https://sicambre.at.webry.info/201209/article_24.html
重盛の苦悩・挫折感とともに、重盛・経子夫妻の絆が印象に残りました。

4位:第43回「忠と孝のはざまで」
https://sicambre.at.webry.info/201211/article_6.html
とにかく重盛の熱演が光ります。

5位:第8回「宋銭と内大臣」
https://sicambre.at.webry.info/201202/article_27.html
初登場の頼長の存在感が強烈でした。

6位:第42回「鹿ヶ谷の陰謀」
https://sicambre.at.webry.info/201210/article_29.html
西光の熱演と清盛の狂気が見どころです。

7位:第5回「海賊討伐」
https://sicambre.at.webry.info/201202/article_6.html
鳥羽院と璋子・得子との関係があまりにも刺激的です。

8位:第46回「頼朝挙兵」
https://sicambre.at.webry.info/201211/article_26.html
清盛の狂気がよく表現されていました。

ニコチン受容体遺伝子と大麻の乱用との関係

 ニコチン受容体遺伝子と大麻の乱用との関係についての研究(Demontis et al., 2019)が公表されました。大麻は世界中で最も頻繁に使用されている違法な精神活性物質で、使用者のおよそ10人に1人が依存状態になります。大麻使用障害(CUD)は、他の種類の嗜癖と同様に、高頻度の有害な使用によって発症し、対人関係や楽しい活動への関与が減り、薬物を摂取しないと渇望や離脱症状が起きます。合法化により大麻製品が入手しやすくなるにつれて、大麻使用障害の罹患率も上昇すると予想されています。

 この研究は、デンマークの全国規模のコホートを用いて、大麻使用障害患者2000人以上のゲノムと対照被験者5万人近くのゲノムを解析し、比較的高頻度の遺伝的多様体と大麻使用障害の関連を特定しました。その結果、大麻使用障害は、脳で神経伝達物質アセチルコリンの受容体をコードする、ニコチン様アセチルコリン受容体α2 (CHRNA2)遺伝子の発現を制御する遺伝的多様体と関連している、と明らかになりました。次にこの研究は、アイスランドの遺伝学研究のコホートに含まれる大麻使用障害患者5500人と対照被験者30万人以上の遺伝的解析を行ない、上記の解析結果を再現しました。また、大麻使用障害患者において、認知能力の低下に関連する遺伝的多様体の全体的な多さが、大麻使用障害リスクの増加と関連していることも明らかになりました。

 この研究はこうした知見について、大麻使用障害と特定の遺伝子を結び付けた初めての大規模研究だと結論づけています。こうした遺伝的差異が大麻使用障害の発症に寄与する生物学的機構を解明し、この情報を治療法の改善に用いる方法を突き止めるためには、さらなる研究が必要と指摘されています。なお、別の遺伝子(SLC6A11)ですが、現代人(Homo sapiens)において、ニコチン依存症の危険性を高める、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)由来と推測される多様体も確認されています(関連記事)。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


ニコチン受容体遺伝子が大麻の乱用と関係していた

 このほど行われたゲノム規模関連解析研究で、大麻使用障害(CUD)の遺伝的マーカーが突き止められたことを報告する論文が、今週掲載される。このマーカーは、ニコチンに結合する脳受容体の量的制御にも関係すると考えられている。

 大麻は世界中で最も頻繁に使用されている違法な精神活性物質で、使用者のおよそ10人に1人が依存状態になる。CUDは、他の種類の嗜癖と同様に、高頻度の有害な使用によって発症し、対人関係や楽しい活動への関与が減り、薬物を摂取しないと渇望や離脱症状が起こる。合法化によって大麻製品が入手しやすくなるにつれて、CUDの罹患率も上昇すると予想されている。

 今回、Ditte Demontisたちの研究グループは、デンマークの全国規模のコホートを用いて、CUD患者2000人以上のゲノムと対照被験者5万人近くのゲノムを解析し、比較的高頻度の遺伝的バリアントとCUDの関連を特定した。その結果、CUDは、脳で神経伝達物質アセチルコリンの受容体をコードするCHRNA2遺伝子の発現を制御する遺伝的バリアントと関連していることが明らかになった。次にDemontisたちは、アイスランドの遺伝学研究のコホートに含まれるCUD患者5500人と対照被験者30万人以上の遺伝的解析を行って、上記の解析結果を再現した。また、CUD患者において、認知能力の低下に関連する遺伝的バリアントが全体的に多いことがCUDリスクの増加と関連していることも明らかになった。

 Demontisたちは、今回の研究について、CUDと特定の遺伝子を結び付けた初めての大規模研究だと結論付けている。こうした遺伝的差異がCUDの発症に寄与する生物学的機構を解明し、この情報を治療法の改善に用いる方法を突き止めるためには、さらなる研究が必要とされる。



参考文献:
Demontis D. et al.(2019): Genome-wide association study implicates CHRNA2 in cannabis use disorder. Nature Neuroscience, 22, 7, 1066–1074.
https://doi.org/10.1038/s41593-019-0416-1

ヨーロッパのジャガイモの複雑な進化史

 ヨーロッパのジャガイモの複雑な進化史に関する研究(Gutaker et al., 2019)が公表されました。ジャガイモは南アメリカ大陸のアンデス地方が起源で、現在では世界各地に見られます。ヨーロッパのジャガイモに関する歴史記録は、16世紀後半のスペインまでさかのぼります。ジャガイモの塊茎の成長は、日長や温度などの複数の環境要因の影響を受けます。こうした環境要因はアンデス地方とヨーロッパとで異なっているため、ヨーロッパでジャガイモが普及するには、新しい環境条件への適応が必要でした。

 この研究は、チリとヨーロッパの過去のジャガイモ(1660~1896年のもの)のゲノムを解析しました。調べられた標本の中には、ダーウィンがビーグル号での航海で収集したものも含まれます。この研究は、南アメリカ大陸とヨーロッパの現在の地方品種のゲノムも解析しました。その結果、1650~1750年に収集されたヨーロッパのジャガイモは、アンデス地方に由来する、と明らかになりました。その後の100年でヨーロッパのジャガイモは新たに導入されたチリのジャガイモと交配され、20世紀にはヨーロッパで栽培されるジャガイモと野生種との遺伝子交換が行なわれました。

 現在のヨーロッパのジャガイモは、長日への適応と関連するCDF1遺伝子の多様体を有しています。CDF1の長日多様体は、19世紀のヨーロッパの試料では確認されましたが、1650~1750年の試料では確認されませんでした。これは、CDF1の長日対立遺伝子がヨーロッパで最初に出現したことを示唆しますが、先コロンブス期のチリにわずかながら存在していた可能性も指摘されています。この研究は、南アメリカ大陸のさまざまなジャガイモ品種がヨーロッパで交配され、野生種との交配と相まって、現在のヨーロッパのジャガイモの多様性に寄与している、と結論づけています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


現在の欧州のジャガイモの複雑な進化史

 最初に欧州に導入されたジャガイモはアンデス地方の品種に近縁で、それが後にチリの品種と交配されたことを報告する論文が、今週掲載される。

 ジャガイモは南米のアンデス地方が起源で、現在では世界各地に見られる。欧州大陸のジャガイモに関する歴史記録は、16世紀後半のスペインまでさかのぼる。ジャガイモの塊茎の成長は、日長や温度などの複数の環境要因の影響を受ける。こうした環境要因はアンデス地方と欧州とで異なっているため、欧州でジャガイモが普及するには、新しい環境条件への適応が必要であった。

 今回Hernan Burbanoたちは、チリと欧州の過去のジャガイモ(1660~1896年のもの)のゲノムの塩基配列を明らかにした。調べた標本の中には、ダーウィンがビーグル号での航海で収集したものも含まれる。Burbanoたちはまた、南米と欧州の現在の地方品種のゲノムの塩基配列解読も行った。その結果、1650~1750年に収集された欧州最古のジャガイモは、アンデス地方に由来することが分かった。その後の100年で、欧州のジャガイモは新たに導入されたチリのジャガイモと交配された。そして20世紀には、欧州で栽培されるジャガイモと野生種との遺伝子交換が行われた。

 現在の欧州のジャガイモは、長日への適応と関連するCDF1遺伝子のバリアントを有している。CDF1の長日バリアントは、19世紀の欧州の試料には認められたが、1650~1750年の試料には認められなかった。これは、CDF1の長日対立遺伝子が欧州で最初に出現したことを示唆するが、コロンブスによるアメリカ大陸発見以前のチリにそれがわずかながら存在していた可能性もある。

 Burbanoたちは、南米のさまざまなジャガイモ品種が欧州で交配されたことが、野生種との交配と相まって、現在の欧州ジャガイモの多様性に寄与していると結論付けている。



参考文献:
Gutaker RM. et al.(2019): The origins and adaptation of European potatoes reconstructed from historical genomes. Nature Ecology & Evolution, 3, 7, 1093–1101.
https://doi.org/10.1038/s41559-019-0921-3

ドローンに反応するミドリザル

 ドローンに反応するミドリザルについての研究(Wegdell et al., 2019)が公表されました。アフリカ東部のベルベットモンキー(Chlorocebus pygerythrus)は、ヒョウやヘビ、ワシなどのさまざまな捕食者の存在を知らせる警戒音を発し、それぞれの警戒音に対して異なる反応を示します(関連記事)。セネガルに生息する近縁のミドリザル(Chlorocebus sabaeus)も類似の行動を示しますが、ワシに対して警戒音を発した観察例はありませんでした。

 この研究は、ミドリザル80頭の上空でドローンを飛行させ、空を飛ぶ未知の脅威にどう反応するか、調べました。ドローンを視認したミドリザルは、ヘビやヒョウに対するものとは異なる警戒音を発しました。その新たな警戒音は、ワシを見つけた際にベルベットモンキーが発する音声によく似ていました。この研究は、こうした警戒音の類似性は、警戒音の構成があらかじめ決められたもので、両種の進化史に深く根差していることを示すのではないか、と考えています。これらのサルのうち16頭に向けてドローンの音を再生すると、サルたちは空を見回したり逃げたりしたことから、サルはその音の示すものを直ちに学習した、と示唆されます。これは動物界での複雑なコミュニケーション法の進化解明の手掛かりとなります。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


ミドリザルはドローンに反応する

 アフリカ西部のミドリザルは、空を飛ぶ未知の脅威に遭遇すると独特の決まった警戒音を発し、なじみのないその音が何を示すかを直ちに学習することを明らかにした論文が、今週掲載される。この研究は、動物界での複雑なコミュニケーション法の進化を明らかにするものである。

 アフリカ東部のベルベットモンキー(Chlorocebus pygerythrus)は、ヒョウやヘビ、ワシなどのさまざまな捕食者の存在を知らせる警戒音を発し、それぞれの警戒音に対して異なる反応を示す。セネガルに生息する近縁のミドリザル(Chlorocebus sabaeus)も類似の行動を示すが、ワシに対して警戒音を発した観察例はなかった。

 今回、Julia Fischerたちの研究グループは、ミドリザル80頭の上空でドローンを飛行させ、空を飛ぶ未知の脅威にどう反応するかを調べた。ドローンを視認したミドリザルは、ヘビやヒョウに対するものとは異なる警戒音を発した。その新たな警戒音は、ワシを見つけた際にベルベットモンキーが発する音声によく似ていた。

 Fischerたちは、この警戒音の類似性は、警戒音の構成があらかじめ決められたものであり、両種の進化史に深く根差していることを示すのではないかと考えている。これらのサルのうち16頭に向けてドローンの音を再生すると、サルたちは空を見回したり逃げたりしたことから、サルはその音の示すものを直ちに学習したと示唆される。



参考文献:
Wegdell F, Hammerschmidt K, and Fischer J.(2019): Conserved alarm calls but rapid auditory learning in monkey responses to novel flying objects. Nature Ecology & Evolution, 3, 7, 1039–1042.
https://doi.org/10.1038/s41559-019-0903-5