ディープインパクト死亡

 一昨日(2019年7月28日)頸部の手術を受け、昨日午前中に突然起立不能になったディープインパクトは、今朝のレントゲン検査で頸椎に骨折が見つかり、回復の見込みが立たないことから安楽死の処置が取られた、と公表されました。マスコミでも報道されています。ディープインパクトはまだ17歳で、種牡馬として大成功を収め、今年も日本国内の種牡馬成績で独走していただけに、たいへん残念です。競馬人気が低下していく中、日本で広く知名度を得たサラブレッドとしては、ディープインパクトが最後になるかもしれません。それだけ偉大な馬だったわけですが、もちろん、今後ディープインパクトやオグリキャップやハイセイコーを超えるような知名度の馬が出現するよう、願っています。

 今にして思うと、私は現役時代から種牡馬として実績を残すまで、ディープインパクトを過小評価してきたかもしれません。凱旋門賞で苦戦するだろうという予想は当たりましたが(結果は3位入線で失格)、弥生賞直後には、「着差はわずかだが、遅い流れで後方から進んで外を回ったことを考慮すると、強い勝ち方だったと思う。ただ、多頭数となるクラシックをすべて勝てるというほどの印象は受けなかった」と述べており、大外れでした(関連記事)。ただ、引退レースとなった2006年の有馬記念後の感想で述べた、「日本競馬史上最強馬候補の一頭ではありますが、そうだと断言するには、器用さが足りなかったように思われます」との評価(関連記事)は今でも変わりません。

 ディープインパクトに対する私の評価で何よりも大外れだったのは、種牡馬としては総額51億円という日本馬産史上最高額のシンジケートに見合うだけの成績は残せず、とても父サンデーサイレンスに及ばないだろう、と予想したことです(関連記事)。この予想は大外れで、今となっては本当に恥ずかしい限りです。ディープインパクトとその関係者の皆様には、今更ではありますが、謝罪申し上げます。ディープインパクトの種牡馬成績については、超一流馬がジェンティルドンナくらいしかいないのを不満に思う人もいるかもしれませんが、安定して一流馬を輩出している中でのことだけに、凄いものだと思います。

 また、ディープインパクト産駒の種牡馬成績は今のところさほどでもないようにも思いますが、父親が凄すぎて息子たちの壁になっている、という側面もあるように思います。ディープインパクトの種牡馬としての大成功は、同じく種牡馬として大成功した父の死後に種牡馬入りしたことも大きかったのではないか、と私は考えています。サンデーサイレンス産駒の初期の活躍馬のフジキセキやダンスインザダークは、種牡馬生活の序盤が父と重なっていなければ、もっと好成績を収めたのではないか、というわけです。ヨーロッパの事例では、史上最強馬とも言われるフランケルが、種牡馬としては父のガリレオの壁に阻まれ、期待されたほどではないように思われます。その意味で、今後ディープインパクト産駒が父に迫る種牡馬成績を残すこともあるかもしれません。

日本列島最古の石器を遺したのはデニソワ人などの旧人である

 種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)についてTwitterで検索していたら、Wikipediaの「日本列島の旧石器時代」の項目で、「現生人類(ホモ・サピエンス)は7〜6万年前に出アフリカを果たし、それ以前にはアフリカ外には分布していなかった。従って、日本列島最古の石器(砂原遺跡の12万年前)を遺したのはデニソワ人などの旧人である」との記述を見つけました。そもそも、12万年前頃とされる島根県出雲市の砂原遺跡で発見された「石器」については、本当に石器なのか、疑問が呈されています(関連記事)。しかし、仮にこれが人類の製作した12万年前頃の石器だとしても、その製作者が現生人類(Homo sapiens)である可能性は、現時点では一定以上認めるべきだろう、と私は考えています。

 この問題については、最近短く述べましたが(関連記事)、現生人類の初期の拡散をめぐる議論と関連しています。近年、ユーラシアからオーストラリア(更新世の寒冷期にはニューギニアと陸続きでサフルランドを形成していました)まで、現生人類はじゅうらいの想定よりも早くアフリカから拡散していたのではないか、との見解が相次いで提示されています。日本列島と関連しそうな事例としては、華南で発見された12万~8万年前頃と推定されている現生人類的な歯があります(関連記事)。

 しかし、華南の事例も含めて、こうした現生人類の早期拡散説には疑問も呈されています。それらは本当に現生人類の遺骸なのか、年代は信用できるのか、というわけです(関連記事)。ただ、最近もギリシアの21万年以上前とされる現生人類的頭蓋が報告されているように(関連記事)、広範な地域から複数の事例が報告されているので、その全てが年代もしくは分類の間違いとは考えにくいようにも思います。その意味で、現生人類が華南に12万年前頃に存在し、日本列島にまで拡散した可能性を、一定以上認めるべきだろう、と私は考えています。

 そうすると、上述のWikipediaの記事の「現生人類(ホモ・サピエンス)は7〜6万年前に出アフリカを果たし、それ以前にはアフリカ外には分布していなかった」との記述は間違いなのかというと、単純にそうとも言えない、と私は考えています。この問題は、現生人類の起源と拡散に関する近年の研究の進展を踏まえれば、整合的に解釈できるのではないか、と思います(関連記事)。その鍵となるのは、「アフリカ多地域進化説」という見解です。これは、現生人類の起源に関して、アフリカ単一起源説を前提としつつも、現生人類の派生的な形態学的特徴がアフリカ各地で異なる年代・場所・集団に出現し、比較的孤立していた複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流により現生人類が形成された、と想定します。

 遺伝学では、非アフリカ系現代人の主要な祖先集団は小規模で、その出アフリカは7万年前頃以降の1回のみだった、と想定されています(関連記事)。Wikipediaの記事は、この出アフリカ現生人類集団以前には、現生人類はアフリカからユーラシアへと拡散しなかった、と想定していますが、世界各地の事例から、初期現生人類が8万年以上前にアフリカからユーラシアへと拡散していた可能性は高い、と言えそうです。もっとも、「アフリカ多地域進化説」では、こうした初期現生人類は、現生人類の派生的な特徴をすべて有しているわけではなく、祖先的特徴も有していた、と想定されています。これらを広義の現生人類系統と考えれば、アフリカから華南、さらには日本列島まで拡散していた可能性は一定以上ある、と私は考えています。

 では、アフリカからユーラシアへと拡散した早期現生人類はどうなったのかというと、おそらく絶滅するか、人口で上回る後続の(非アフリカ系現代人の主要な祖先集団だった)出アフリカ現生人類系統に吸収されたのでしょう。そのため、非アフリカ系現代人には、早期出アフリカ現生人類集団固有のミトコンドリアDNA(mtDNA)系統もY染色体DNA系統も存在せず、非アフリカ系現代人のゲノムにも早期出アフリカ現生人類系統の痕跡がほとんど残らなかったのではないか、と私は考えています。具体的には、現代パプア人のゲノムの少なくとも2%が早期出アフリカ現生人類系統に由来する、と推測されており(関連記事)、今後、他地域の現代人集団でもそうした痕跡が報告されるかもしれません。

 現代日本人に関しては、現時点では早期出アフリカ現生人類系統の遺伝的痕跡は確認されていないようです。「12万年前から続く縄文文明の系譜」といった発言もありますが、開発が進み、更新世の考古学的発掘密度の高い日本列島において、4万年前頃以降にならないと人類の痕跡がほとんど発見されていないことからも、仮に12万年前頃の砂原遺跡の石器群が本物だとしても、その製作集団は絶滅し、現代日本人への遺伝的・文化的影響は皆無と考えるのが妥当なところでしょう。

 なお、12万年前頃の砂原遺跡の石器群が本物だった場合、上記のWikipediaの記事にあるように、現生人類ではなくデニソワ人が製作者だった可能性もあるとは思います。デニソワ人(関連記事)は、最近まで南シベリアのアルタイ山脈でしか確認されていませんでしたが、最近チベット高原東部でも確認されており、アジア東部からアジア南東部、さらにはオセアニアにまで広範に拡散していた可能性も想定されています(関連記事)。もちろん、これはまだとても確定的とは言えませんが、デニソワ人が10万年以上前に日本列島に到来した可能性は、低そうではあるものの、念頭に置くべきではないか、と思います。