16000年前頃までさかのぼる北アメリカ大陸における人類の痕跡(追記有)

 北アメリカ大陸における人類の痕跡が16000年前頃までさかのぼることを報告した研究(Davis et al., 2019)が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。日本語の解説記事もあります。以下、注記しない限り、年代は放射性炭素年代測定法により較正されたものです。アメリカ大陸への人類最初の移住に関しては、20世紀末頃までクローヴィス(Clovis)文化説が有力とされていました。これは、14800年前頃以降に北アメリカ大陸の氷床が後退して出現した無氷回廊を経由して人類はベーリンジア(ベーリング陸橋)からアメリカ大陸へと拡散し、その最初の集団がクローヴィス文化の担い手だった、と想定する説です。一方、クローヴィス文化に先行するアメリカ大陸における人類の痕跡の報告事例も蓄積されてきており、無氷回廊の出現前に人類はベーリンジアから太平洋沿岸を南下してアメリカ大陸へと拡散したのではないか、との見解も提示されていました。

 本論文は、アメリカ合衆国アイダホ州西部のクーパーズフェリー(Cooper’s Ferry)遺跡(以下、CF遺跡)の発掘調査結果を報告しています。CF遺跡はコロンビア川の支流であるサーモン川沿いに位置します。地元の先住民であるネズパース(Nez Perce)集団は、この地をニペヘ(Nipéhe)と呼んでいます。CF遺跡では、石器とともに石器製作時のものと思われる石の破片も発見されており、炉床も確認されています。動物遺骸も共伴しており、ほとんどは断片的なので詳細な区分は困難ですが、中型~大型の哺乳類と推測されています。CF遺跡の年代は、骨と木炭を試料として放射性炭素年代測定法により推定され、最古の試料が16265~15795年前とクローヴィス文化に先行し、最新の試料が8515~8345年前となり、長期にわたって繰り返し人類が利用していたのではないか、と本論文は推測しています。

 本論文はCF遺跡の石器の中で有茎尖頭器に注目しています。有茎尖頭器はアフリカやレヴァントやヨーロッパで5万年前以後に出現し、北太平洋沿岸の現生人類の存在の証拠とされています。日本と韓国では、30000~23000年前頃の尖頭器は厚い石刃の再加工により製作されます。CF遺跡の有茎尖頭器のうち1点は、13610~13275年前の試料の下で、光刺激ルミネッセンス法(OSL)による13710±2620年前の試料の上に位置します。別の有茎尖頭器は、13475~13060年前の試料の下で、13610~13275年前の試料の上に位置します。CF遺跡の有茎尖頭器は、クローヴィス文化に見られる基部の広い有樋尖頭器ではなく、より古い時代の樋状剥離のないタイプです。このCF遺跡の有茎尖頭器と技術的に類似しているのが、日本で発見された16000~13000年前頃の両面尖頭器です。これは、北海道(立川)・本州北部・本州中央部および西部の3タイプに分類されていますが、このうち立川タイプがCF遺跡の有茎尖頭器と技術的にひじょうに類似している、と本論文は評価しています。CF遺跡のタイプとは形態的に異なる有茎尖頭器は、カムチャッカ半島のウシュキ湖(Ushki Lake)で13440~12640年前頃に出現しますが、ベーリンジアからはより早期のものは発見されておらず、起源は他の地域にあるようです。CF遺跡の有茎尖頭器は年代・技術的に日本の尖頭器と顕著に類似している一方で、CF遺跡の人工物はクローヴィス文化に先行し、重なっている期間もありますが、技術的には異なります。CF遺跡の初期集団は、文化的にアジア北東部とのつながりを示していますが、遺伝的にも、アメリカ大陸先住民の主要な祖先集団としてアジア東部および北東部系集団が想定されています(関連記事)。CF遺跡は、クローヴィス文化に先行するアメリカ大陸の異なる系統の文化だった、と本論文は評価しています。

 遺伝学では、ベーリンジアの孤立集団が19500年前頃以降に北アメリカ大陸の氷床を越えてアメリカ大陸へと南進していき(関連記事)、17500~14600年前頃にアメリカ大陸における南北両系統へと分岐していった(関連記事)、と推測されています。CF遺跡では、人類が16560~15280年前頃には存在しており、これはアメリカ大陸における最初の人類集団拡大の年代の範囲内となります。上述のように、北アメリカ大陸への人類最初の移住に関しては、ベーリンジア東部から無氷回廊を経由したとする説(クローヴィス最古説)と、氷河のない太平洋沿岸を南下した、とする説(太平洋沿岸南下説)があります。本論文が示したように、CF遺跡は無氷回廊が開く前に無氷回廊の南方に人類が存在したことを示す直接的証拠となります。これは、無氷回廊説ではなく太平洋沿岸南下説の方と整合的です。これは、遺伝学で示唆されている(関連記事)、北アメリカ大陸への人類最初の拡散後、人類が無氷回廊を経由して再度拡散した可能性を排除するわけではありませんが、そうした人類集団の移動はアメリカ大陸最初の人類の移住ではなかった、と本論文は指摘します。

 本論文は、クローヴィス最古説が成り立たないことを改めて示した、と言えるでしょう。CF遺跡の石器と北海道の石器との類似性については、アジア東部および北東部集団がアメリカ大陸先住民の主要な祖先集団となったことを改めて確認した、と思います。この集団の文化的多様性や、CF遺跡の有茎尖頭器の起源地については、シベリア北東部の上部旧石器(後期旧石器)的文化の研究がもっと進めば、より詳しく解明されるのではないか、と期待されます。本論文で言及されていたカムチャッカ半島の13440~12640年前頃の有茎尖頭器は、CF遺跡のそれとは異なりますが、今後シベリア北東部の後期更新世の遺跡で、CF遺跡や日本の立川タイプと類似した有茎尖頭器が確認される可能性は高いように思います。おそらく日本の16000~13000年前頃の尖頭器の起源は、シベリア北東部にあるのでしょう。アメリカ大陸先住民集団の形成過程については、古代DNA研究の進展によりかなり詳しく解明されてきたように思います。一方、日本列島も含むアジア東部集団に関しては、ヨーロッパはもちろんアメリカ大陸よりも遅れていることは否めないでしょうから、今後の研究の進展が期待されます。


参考文献:
Davis LG. et al.(2019): Late Upper Paleolithic occupation at Cooper’s Ferry, Idaho, USA, ~16,000 years ago. Science, 365, 6456, 891–897.
https://doi.org/10.1126/science.aax9830


追記(2019年9月7日)
 ナショナルジオグラフィックでも報道されました。

アフリカ南部の初期ホモ属の授乳期間

 アフリカ南部の初期ホモ属の授乳期間に関する研究(Tacail et al., 2019)が報道されました。化石記録からの育児行動の推測は困難で、身体サイズや歯の発達や化学的な分析に基づいています。歯の組織の高解像度元素分析からは、幼少期の食性を推定できます。バリウムとカルシウムの比率から母乳育児とその経時的な減少を推定できますが、近年、乳歯のエナメル質のカルシウム同位体比(Ca44/Ca42)が、乳児期における授乳停止年齢に対応して変化する、と明らかになりました。本論文は南アフリカ共和国で発見された初期人類を対象に、歯のエナメル質のカルシウム同位体比を分析しました。対象となったのは、アウストラロピテクス・アフリカヌス(Australopithecus africanus)、パラントロプス・ロブストス(Paranthropus robustus)、初期ホモ属で、草食動物と肉食動物とゴリラが比較されました。

 分析の結果、母乳の消費を示す低いカルシウム同位体比は、初期ホモ属では測定されたものの、アフリカヌスとロブストスでは測定されませんでした。これは、アフリカヌスとロブストスでは、初期ホモ属よりも授乳量が少なく、なおかつ・あるいは授乳が低頻度で、授乳期間が短かったことを示唆します。初期ホモ属では、アフリカヌスとロブストスよりも長く授乳への依存度のずっと高い育児期間が続いた(おそらく3~4歳頃まで)、と推測されます。初期ホモ属におけるこの離乳の遅さは、出産間隔がアフリカヌスとロブストスよりも長かったことを示唆します。

 こうした初期ホモ属における母乳育児期間の長さ(離乳時期の遅さ)は、脳の発達のようなホモ属系統の特徴の出現と、社会構造の大きな変化に重要な役割を果たしたのではないか、と推測されています。この仮説を検証するには、化石記録におけるカルシウム同位体比のさらなる調査が必要となります。最近公表された研究でも、アフリカヌスの(母乳が主要な栄養源ではないという意味での)離乳時期の早さ(生後1年弱ほど)が指摘されていました(関連記事)。ただ、その研究では、アフリカヌスが定期的に食料不足に陥り、その時期には授乳で対応し、それが長期にわたった、とも推測されています。その意味で、アフリカヌスの方が初期ホモ属よりも出産間隔が短かったのか、まだ確定したとは言えないように思います。


参考文献:
Tacail T. et al.(2019): Calcium isotopic patterns in enamel reflect different nursing behaviors among South African early hominins. Science Advances, 5, 8, eaax3250.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aax3250

『卑弥呼』第2集発売

 待望の第2集が発売されました。第2月集には、

口伝7「暗闘」
https://sicambre.at.webry.info/201812/article_32.html

口伝8「東へ」
https://sicambre.at.webry.info/201901/article_6.html

口伝9「日見子誕生」
https://sicambre.at.webry.info/201901/article_38.html

口伝10「一計」
https://sicambre.at.webry.info/201902/article_8.html

口伝11「聖地」
https://sicambre.at.webry.info/201902/article_36.html

口伝12「四番目」
https://sicambre.at.webry.info/201903/article_9.html

口伝13「思惑」
https://sicambre.at.webry.info/201903/article_33.html

口伝14「女王国」
https://sicambre.at.webry.info/201904/article_8.html

が収録されています。連載時には「第*話」となっていましたが、単行本では「口伝*」となっています。単行本では「真説・邪馬台国伝」との副題がつけられています。それぞれの話については、上記の記事にて述べているので、ここでは繰り返しません。本作は207年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)頃の九州を舞台としています。これまでに明かされている世界観から推測すると、本作の邪馬台国は宮崎県(旧国名の日向)に設定されているようです。しかし、神武東征説話も取り入れられていることから、やがては畿内というか纏向遺跡が舞台になるかもしれません。本作の神武は、天照大神から数えて6代目の日見彦という設定です。おそらくは現在の奈良県にいるだろう神武(サヌ王)の子孫とヤノハがどう関わってくるのか、ということも今後注目されます。

 現時点ではほぼ九州の諸国・人物しか登場していませんが、今後は本州・四国、さらには朝鮮半島と後漢や魏も舞台になりそうで、司馬懿など『三国志』の有名人物の登場も予想されますから、ひじょうに雄大な規模の物語になるのではないか、と期待されます。現在の主要舞台である暈の国は、『三国志』の狗奴国で、後の熊襲でしょうから、日見彦たるタケル王は『三国志』の卑弥弓呼なのでしょう。そうだとすると、ヤノハが日見子(卑弥呼)と広く認められた後も、タケル王と鞠智彦(狗古智卑狗)は日見子たるヤノハと対立し、物語に深く関わってきそうです。現時点でもたいへん楽しめていますが、今後さらに面白くなりそうな要素が多いだけに、何とか長期連載になってほしいものです。

中新世のネズミの移動

 中新世のネズミの移動に関する研究(López-Antoñanzas et al., 2019)が公表されました。哺乳類の最大の亜科であるネズミ亜科は、1600万年前頃にアジア南部で出現したと考えられています。しかし、ネズミ亜科動物が最初に分散した時期と経路に関する仮説は明らかではありませんでした。この研究は、2013年と2018年にレバノンで発掘された歯の化石を分析して、これまでに発見されていなかった種の歯であることを明らかにし、新種(Progonomys manolo)に分類しました。この新種は1100万~1050万年前頃に生息していたProgonomys属の最古の種に形態学的に類似していると考えられ、Progonomys属の最も祖先的な種の一つだった、と示唆されています。Progonomys属は、ネズミ亜科動物が出現したと考えられているアジア南部から最初に分散したネズミ亜科動物です。レバノンはアフリカ大陸に近く、後にアフリカに定着したProgonomys属集団の祖先はこの新種である可能性が高い、と考えられています。

 Progonomys属のさまざまな種の歯の分析の結果、歯が進化の過程を通じて変化したことも明らかになりました。後期の種の方が臼歯の幅が広く、広食性種の雑食性食餌から狭食性種の草食性食餌への移行が示唆されました。これは、温暖湿潤だった中新世中期から乾燥の進んだ中新世後期への移行に関連しています。これらの新知見は、アラビア半島におけるProgonomys属の最初の記録となり、ユーラシア大陸とアフリカ大陸をつなぐレヴァント回廊の重要性を高め、ネズミ亜科の最古の大陸間分散についてさらに詳しい情報をもたらしています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【進化】中新世の「ネズミ」の移動の手掛かりとなる歯の化石

 先史時代のネズミ亜科動物(マウス、ラットやその近縁種が含まれる哺乳類の分類群)の新種が、レバノンで発見された化石から同定された。この新知見は、ネズミ亜科動物の最初のアジアからアフリカへの分散がレバント地方を経由したものだったことを示す初めての物理的証拠である。この研究結果を報告する論文が、今週掲載される。

 哺乳類の最大の亜科であるネズミ亜科は、1600万年前に南アジアで出現したと考えられている。しかし、ネズミ亜科動物が最初に分散した時期と経路に関する仮説は明確に示されていなかった。

 今回、Raquel Lopez-Antonanzasたちは、2013年と2018年にレバノンで発掘された歯の化石を分析して、これまでに発見されていなかった種の歯であることを明らかにし、この新種をProgonomys manoloと名付けている。Lopez-Antonanzasたちは、P. manoloが約1100万~1050万年前に生息していたProgonomys属の最も古い種に形態学的に類似していると考えており、このことからP. manoloは、Progonomys属の最も原始的な種の1つだったと示唆される。Progonomys属は、ネズミ亜科動物が出現したと考えられている南アジアから最初に分散したネズミ亜科動物である。

 レバノンがアフリカ大陸に近いことを考えると、後にアフリカに定着したProgonomys属集団の祖先がP. manoloである可能性が高いとLopez-Antonanzasたちは考えている。

 Progonomys属のさまざまな種の歯の分析が行われた結果、歯が進化の過程を通じて変化したことも明らかになった。後期の種の方が臼歯の幅が広く、広食性種の雑食性食餌から狭食性種の草食性食餌への移行が示唆された。これは、温暖湿潤だった中新世中期から乾燥の進んだ中新世後期への移行に関連している。

 以上の新知見は、アラビア半島におけるProgonomys属の最初の記録であり、ユーラシア大陸とアフリカ大陸をつなぐ「レバント回廊」の重要性を高め、ネズミ亜科の最古の大陸間分散についてさらに詳しい情報をもたらしている。



参考文献:
López-Antoñanzas R. et al.(2019): First levantine fossil murines shed new light on the earliest intercontinental dispersal of mice. Scientific Reports, 9, 11874.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-47894-y

内藤一成『三条実美 維新政権の「有徳の為政者」』

 中公新書の一冊として、中央公論社より2019年2月に刊行されました。三条実美の一般的な評価は高くない、と言えるでしょう。歴史ドラマでも、おおむね優柔不断で優秀ではない人物として描かれてきたように思います。内閣制度導入の一因として、政治力に欠ける三条実美の更迭が必要だった、とも指摘されているくらいです(関連記事)。本書も、三条の政治的な手腕は同時代の岩倉具視・木戸孝允・大隈重信・大久保利通・伊藤博文たちには遠く及ばない、と評価しています。

 しかし本書は、課題が山積し、瓦解の危機に瀕していた明治政府が立憲政治をともかく確立するに至ったことに、「徳望」の人である三条の果たした役割は大きかった、と指摘します。優れた群臣の上に立ち続けて政府の瓦解を防ぐのに、高貴な家柄の出身で高潔な人格の三条は適任だった、というわけです。明治時代には脱身分化が進んでいきましたが、人々の意識が一朝にして変わるわけではありません。そうした状況において、高貴な家柄の出身でありながら進取の気性に富み、私欲が薄く義理堅い三条は政府の指導者として相応しかった、と本書は論じます。

 大名や公家の中には守旧的な人物も多く、幕末段階では時代を主導するような役割を担いながら、明治時代になるとその急進的な流れについていけない人物も少なからずいました。島津久光もその一人で、薩摩藩出身の西郷隆盛や大久保利通だけではなく、三条も島津久光の攻撃対象となりました。本書は、三条が進取の気性に富んだ人物に成長していった一因として、八月十八日の政変により京都から長州、さらには大宰府へと落ち延びたことを挙げています。狭い公家社会を離れてさまざまな階層と接したことが、三条の革新志向を促したのではないか、というわけです。

アナメンシスの頭蓋(追記有)

 アウストラロピテクス・アナメンシス(Australopithecus anamensis)の頭蓋に関する二つの研究が報道されました。『ネイチャー』のサイトには解説記事(Spoor., 2019)が掲載されています。これらの研究はオンライン版での先行公開となります。既知のアナメンシス化石はおもに顎と歯で、年代は420万~390万年前頃と推定されています。アナメンシスは最古のアウストラロピテクス属とされており、370万~300万年前頃のアウストラロピテクス・アファレンシス(Australopithecus afarensis)の祖先と考えられてきました。しかし、350万年以上前のアウストラロピテクス属の頭蓋はほとんど発見されていないので、初期アウストラロピテクス属の進化についてはよく分かっていませんでした。

 一方の研究(Haile-Selassie et al., 2019)は、新たなアナメンシス頭蓋を報告しています。本論文の分析手法で優れている点として、化石形状の歪みを修正し、欠落部分を推定する広範囲のデジタル復元が指摘されています。この化石はエチオピアのアファール(Afar)地域のウォランソミル(Woranso-Mille)研究地域で2016年に発見されたほぼ完全な頭蓋(MRD-VP-1/1、以下MRDと省略)で、年代は380万年前頃です。初期アウストラロピテクス属の保存状態の良好な頭蓋としては初の事例となり、その意味でたいへん貴重と言えるでしょう。MRDは矢状稜が発達しており頑丈で、長く突出した顔面を有しています。MRDの右側犬歯は初期人類としては最大です。こうした特徴から、全体的なサイズが小さいにも関わらず、MRDは成体の男性と推測されています。MRDの犬歯はひじょうに摩耗しています。MRDの歯には、アルディピテクス・カダバ(Ardipithecus kadabba)やロリン・トゥゲネンシス(Orrorin tugenensis)といったMRDよりも前の初期人類と共通する特徴も見られます。MRDの上顎歯列はわずかにU字型です。MRDの顔面は、中部が広く上部が狭いという点で他のアウストラロピテクス属と類似しており、アウストラロピテクス属より早期の人類とは異なります。MRDの顔面はとくに上下に長く、アルディピテクス・ラミダス(Ardipithecus ramidus)の短く華奢な頭蓋とは対照的です。MRDの長くて狭い頭蓋に関しては、700万年前頃となる最初期人類(候補)のサヘラントロプス属との類似が指摘されています。MRDの神経頭蓋は多くの点で祖先的です。300万年前頃以降のアウストラロピテクス・アフリカヌス(Australopithecus africanus)やパラントロプス属とMRDの類似性については、収斂進化と考えられるものの、今後さらに調査が必要だと本論文は指摘します。

 これらの知見から、アファレンシスよりも祖先的な形態を有するMRDはアナメンシスに分類され、系統学的には一貫してラミダスとアファレンシスの間に位置づけられます。現時点では、アナメンシスには少なくとも4つの個体群が存在したと考えられます。一方、エチオピアのミドルアワシュ(Middle Awash)で発見された390万年前頃の部分的な頭蓋(BEL-VP-1/1)はアファレンシスに分類されるので、アナメンシスとアファレンシスは短くとも10万年共存したことになります。分類には議論の余地があるものの、エチオピアのフェジェジ(Fejej)で発見された400万年前頃の歯も、アファレンシスに分類できるかもしれない、と本論文は指摘します。この400万年前頃の歯とBEL-VP-1/1はMRDよりも古いため、MRDのアナメンシス分類群がアファレンシスの祖先だった可能性は低いと考えられます。アファレンシスはアナメンシスから向上進化(単一の進化系統においてアナメンシスの後にアファレンシスが出現したと想定されます)したわけではなく、分岐進化した、と考えられます。アナメンシスの一部系統からアファレンシスが派生し、一方でアナメンシス系統も存続し、両系統は短くとも10万年共存していた、というわけです。しかし、まだ断片的な化石証拠しかないので、分類や進化に関してまだ決定的なことは言えない、と慎重な姿勢を示す研究者もいます。

 本論文は、380万年前頃のアフリカ東部には少なくとも2系統の人類が存在していた可能性の高いことを示しました。ウォランソミル研究地域も含めてアフリカ東部で発見された400万~300万年前頃の人類化石に関しては、複数の人類種の存在の可能性が指摘されています(関連記事)。アウストラロピテクス属に分類されているものとしてはバーレルガザリ(Australopithecus bahrelghazali)やデイレメダ(Australopithecus deyiremeda)、異なる属としては、ケニアントロプス・プラティオプス(Kenyanthropus platyops)です。これらが単一種の形態多様性なのか、異なる種さらには属を示すのか、現時点の証拠ではとても断定できませんが、アウストラロピテクス属系統が400万年前頃には複数系統に分岐しつつあり、それが反映されている可能性はじゅうぶんあると思います。

 もう一方の研究(Saylor et al., 2019)は、MRDの年代を測定し、当時の環境を推定しました。火山灰層のアルゴン-アルゴン法により、MRDの年代は3804000±13000~3777000±14000年前と推定されました。MRDと共伴した脊椎動物化石および植物遺骸から、当時のウォランソミル地域は、あまり雨の降らない潅木地で、場所によっては草地と湿地と河畔林の割合が異なっていた、と推測されています。また、当時のウォランソミル地域は起伏が激しく、大地溝帯の活動を反映している、と考えられます。アナメンシスは多様な環境に適応していたようで、そうした中から、アファレンシスへと分岐していった系統も出現したのかもしれません。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【化石】アウストラロピテクス・アナメンシスの頭蓋骨と向き合う

 エチオピアで発見された380万年前のヒト族のほぼ完全な頭蓋骨化石について記述した2編の論文が、今週掲載される。著者は、この頭蓋骨がアウストラロピテクス・アナメンシス(Australopithecus anamensis)種のものだとしており、最も原始的なアウストラロピテクス属とその起源に関する新たな手掛かりがもたらされた。

 ヒト族のアウストラロピテクス属の最も原始的な種については、解明があまり進んでいない。これは、350万年前より古い頭蓋化石がほとんど見つかっていないためで、アウストラロピテクス属の最も原始的な系統として知られるアウストラロピテクス・アナメンシスの化石標本は420~390万年前のものとされ、主に顎と歯の化石だ。これに対して、後期の種については、350~200万年前のものとされる複数の頭蓋骨が知られている。

 今回、Yohannes Hail-Selassieたちの研究グループは、エチオピアのウォランソ - ミルで発見されたほぼ完全な頭蓋骨について、その歯と顎を基にアウストラロピテクス・アナメンシスの頭蓋骨としたことを報告している。この化石標本はサイズが小さいが、雄の成体のものである可能性が高い。一方、この頭蓋骨の形態が原始的であることから、この化石は、さらに古いヒト族(例えば、サヘラントロプス属やアルディピテクス属)との関連性を示しており、(有名な「ルーシー」の化石によって代表される)後代のアウストラロピテクス・アファレンシスとの直接的な関連性に関するこれまでの仮説に疑問を投げ掛けている。特に、この新知見は、向上進化(単一の進化系統においてアウストラロピテクス・アナメンシスの後にアウストラロピテクス・アファレンシスが出現した)ではなく、分岐進化(この2つの系統が少なくとも10万年間重複していた)が起こった可能性を示唆している。

 Hail-Selassieたちは、別の論文で、この頭蓋骨の年代と周辺環境について記述しており、アウストラロピテクス・アナメンシスが、あまり雨の降らない潅木地に居住し、その場所によって草地と湿地、河畔林の割合が異なっていたという見解を示している。

 同時掲載されるNews & Viewsでは、Fred Sporeが「この頭蓋骨が人類進化のもう1つの有名な象徴になりそうだ」と記し、この頭蓋骨の発見は「初期ヒト族の進化系統樹に関する[中略]我々の考え方に大きな影響を与えるだろう」と結論付けている。



参考文献:
Haile-Selassie Y. et al.(2019): A 3.8-million-year-old hominin cranium from Woranso-Mille, Ethiopia. Nature, 573, 7773, 214–219.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1513-8

Saylor BZ. et al.(2019): Age and context of mid-Pliocene hominin cranium from Woranso-Mille, Ethiopia. Nature, 573, 7773, 220–224.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1514-7

Spoor F. et al.(2019): Elusive cranium of early hominin found. Nature, 573, 7773, 200–202.
https://doi.org/10.1038/d41586-019-02520-9


追記(2019年8月31日)
 ナショナルジオグラフィックでも報道されました。



追記(2019年9月12日)
 論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。



古人類学:エチオピアのウォランソ・ミルで発見された380万年前のヒト族の頭蓋

古人類学:エチオピアのウォランソ・ミルで発見された中期鮮新世ヒト族頭蓋の年代とそれを取り巻く状況

古人類学:新たに発見された380万年前の頭蓋が明らかにするアウストラロピテクス属の起源

 アウストラロピテクス属(Australopithecus)の最初期のヒト族については、頭部の構造がほとんど知られていない。しかしそうした現状は、今回Y Haile-Selassieたちが、エチオピアのウォランソ・ミルで380万年前のアウストラロピテクス属の頭蓋を発見したことで変わるだろう。この頭蓋は、その特徴から、これまで主に顎と歯からのみ知られていたアウストラロピテクス・アナメンシス(Australopithecus anamensis)のものであることが示された。この頭蓋に見られる原始的な形態は、さらに古いヒト族であるサヘラントロプス属(Sahelanthropus)やアルディピテクス属(Ardipithecus)との関連性を示しており、「ルーシー」で知られるより年代の新しいアウストラロピテクス・アファレンシス(Australopithecus afarensis)との直接的な関係に疑問が投げ掛けられた。著者たちはまた、同時掲載の論文で、アウストラロピテクス・アナメンシスが、主に乾性低木林からなり、さまざまな割合で草原、湿地、水辺林を伴う環境で生活していたことを明らかにしている。

哺乳類では進化的には相関していない代謝率と体温

 内温動物の進化において基礎代謝率と体温に関する研究(Avaria-Llautureo et al., 2019)が公表されました。鳥類および哺乳類における内温性の起源は、脊椎動物の進化における重要な事象です。内温動物は、高い基礎代謝率(BMR)により持続的に産生される熱を主に用いて、幅広い環境温度にわたり体温(Tb)を維持できます。内温動物にはまた、TbがBMRに影響を及ぼすという、重要な正のフィードバックループも存在します。こうしたBMRとTbとの間の相互関係のため、生態学や進化生理学では広く、内温動物の放散においてBMRとTbが連動して進化し、類似の傾向を伴って変化したはずである、と考えられてきました。しかし、過去のより低温の環境は、熱損失率の増大を補ってTbを一定に保つためにBMRに対して強い選択圧をかけた、とも考えられます。このように、BMRの増大を介した低い環境温度への適応は、BMRとTbとを切り離し、異なる進化経路を経てもこれらの形質に見られる現在の多様性をもたらした可能性があります。

 この研究は、哺乳類系統樹の枝の約90%および鳥類系統樹の枝の約36%で、BMRとTbとが切り離されていることを示しています。哺乳類では、BMRは方向性のある長期的な傾向を持たずに急激で爆発的な進化を遂げたのに対し、Tbはより体温の高い共通祖先からより低い体温へとほぼ一定の速度で進化しました。一方、鳥類では、BMRは方向性のある長期的な傾向を持たず、おもに一定の速度で進化したのに対して、Tbはより低い体温への適応進化を伴ってはるかに大きな速度で不均一に進化しました。さらに、哺乳類の場合のみですが、BMRの増大と低下の両方をもたらした急激な変化は、より低い環境温度への突然の気温変化と関係していました。これらの知見は、自然選択が、不利なことの多かった過去の多様な温度環境下で、哺乳類のBMRにおける多様性を効果的に利用していた、と示唆しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


進化学:内温動物の進化において基礎代謝率と体温は本質的に独立していた

進化学:哺乳類では代謝率と体温は進化的には相関していない

 一般通念では、体温の上昇は生化学的な反応を加速させると考えられている。これは、代謝率が体サイズの分数乗に比例するという説、そしてそこから派生した、生態学的パターンの多くが体温と体サイズとの関係に関係しているという説の基盤となっている。しかし、体温と代謝率は関連している必要があるとする基本的な前提を疑う者はほとんどいない。今回C Vendittiたちは、系統発生を考慮に入れると、体温と代謝率との間には相関が見られないことを明らかにしている。それどころか、哺乳類が低温環境に定着した際に、自然選択は、予想される熱力学的影響から離れるように基礎代謝率を調節したのである。



参考文献:
Avaria-Llautureo J. et al.(2019): The decoupled nature of basal metabolic rate and body temperature in endotherm evolution. Nature, 572, 7771, 651–654.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1476-9

魚類の毒素蓄積における気候変動と乱獲の影響

 魚類の毒素蓄積における気候変動と乱獲の影響に関する研究(Schartup et al., 2019)が公表されました。海産物は30億人以上の人々の栄養源となっていますが、魚類は強力な神経毒であるメチル水銀の曝露源ともなっています。アメリカ合衆国では、メチル水銀への人口全体の曝露量の82%が海産魚介類の消費によるもので、マグロ(生および缶詰)だけで40%近くを占めています。無機水銀は、自然発生源および人為的排出源から大気中へ放出される量の約80%が海洋に沈着し、そこで一部が微生物によりメチル水銀に変換されます。捕食性魚類の体内では、環境中のメチル水銀濃度が100万倍またはそれ以上に濃縮されています。

 ヒトのメチル水銀への曝露は、小児での成人期まで持続する長期的な神経認知障害と関連づけられており、その社会的コストは世界で2兆円を上回ります。メチル水銀曝露のリスクを軽減するため、人為起源の無機水銀排出量を削減するための国際条約(水銀に関する水俣条約)が2017年に発効しました。しかし、この条約において国際目標が設定された時には、現在起こっている海洋生態系の変化が、人間に多く消費されている魚類(タラやマグロやメカジキなど)におけるメチル水銀の蓄積にどのように影響するのか、考慮されていませんでした。

 この研究は、海水温の上昇と乱獲が魚類のメチル水銀濃度に及ぼす影響を調査しました。この研究では、大西洋北西部のメイン湾の生態系および海底堆積物と海水中のメチル水銀濃度に関する30年以上のデータが用いられました。その結果、タイセイヨウマダラ(Gadus morhua)の組織中のメチル水銀濃度は、1970年代から2000年代までの間に最大23%上昇した、と明らかになりました。こうした変化の原因として、乱獲による魚類の食餌内容の変化が指摘されています。タラは、これまでより大型の被食魚(ニシンやロブスターなど)への依存度を高めており、これらの魚介類のメチル水銀濃度は、1970年代に餌としていた他の被食魚よりも高い、というわけです。

 この研究では、タイセイヨウクロマグロ(Thunnus thynnus)のメチル水銀蓄積量に対する近年の海水温変化の影響についても分析されました。その結果、海水温の低かった1969年以降の海水温上昇により、タイセイヨウクロマグロのメチル水銀濃度が推定で56%上昇した一因となった可能性も明らかになりました。以前の研究では、海水温の上昇が一部の魚類におけるメチル水銀濃度の上昇と関連づけられていましたが、野生種にどの程度の変化が生じているのかについては、ほとんど解明されていませんでした。世界の水銀排出量は横ばい状態と報告されていますが、この研究は、海洋温暖化と漁業が魚類の水銀濃度調節の役割を果たしている、と示しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【生態学】魚類における毒素蓄積に対する気候変動と乱獲の影響

 海水中の有毒なメチル水銀(MeHg)の濃度は1990年後半以降低下したにもかかわらず、海洋温暖化と乱獲による魚類の食餌内容の変化によって、人間が食べている魚類の一部でメチル水銀濃度が上昇している可能性のあることが明らかになった。この研究知見を報告する論文が、今週掲載される。

 海産物は多くの人々の栄養源となっているが、魚類は神経毒であるメチル水銀の曝露源ともなっている。メチル水銀曝露のリスクを軽減するため、人為起源の水銀排出量を削減するための国際条約(水銀に関する水俣条約)が2017年に発効した。しかし、この条約において国際目標が設定された時には、現在起こっている海洋生態系の変化が、人間が多く食べている魚類(タラやマグロなど)におけるメチル水銀の蓄積にどのように影響するかは考慮されていなかった。

 今回、Amina Schartup、Elsie Sunderlandたちの研究グループは、海水温の上昇と乱獲が魚類のメチル水銀濃度に及ぼす影響を解明するための研究を行った。この研究では、大西洋北西部のメイン湾の生態系と海底堆積物、海水中のメチル水銀濃度に関する30年以上にわたるデータが用いられた。その結果、タイセイヨウマダラの組織中のメチル水銀濃度は、1970年代から2000年代までの間に最大23%上昇したことが分かった。こうした変化の原因として、研究グループは、乱獲のために魚類の食餌内容が変化したことを挙げている。タラは、これまでより大型の被食魚(ニシン、ロブスターなど)への依存度を高めており、これらの魚介類のメチル水銀濃度は、1970年代に餌としていた他の被食魚よりも高い。

 今回の研究では、タイセイヨウクロマグロのメチル水銀蓄積量に対する近年の海水温変化の影響についても分析が行われた。その結果、海水温の低かった1969年以降の海水温上昇が、タイセイヨウクロマグロのメチル水銀濃度の(推定)56%上昇の一因となった可能性が明らかになった。以前の研究で、海水温の上昇が、一部の魚類におけるメチル水銀濃度の上昇と関連付けられていたが、野生種にどの程度の変化が生じているのかについてはほとんど解明されていなかった。

 世界の水銀排出量は横ばい状態であることが報告されているが、今回の研究は、海洋温暖化と漁業が魚類の水銀濃度を調節する役割を果たしていることを示している。



参考文献:
Schartup AT. et al.(2019): Climate change and overfishing increase neurotoxicant in marine predators. Nature, 572, 7771, 648–650.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1468-9

ヨーロッパにおけるブタの起源と遺伝的構成の変容

 ヨーロッパにおけるブタの起源と遺伝的構成の変容に関する研究(Frantz et al., 2019)が公表されました。近東で遅くとも12500年前頃に始まった農耕・牧畜は、8500年前頃にアナトリア半島からヨーロッパへと拡散し始めました。この過程でヨーロッパに導入された、穀類のような栽培化された植物とヒツジやブタのような家畜化された動物は、すべて近東固有の野生種に由来すると考えられています。ただ、家畜化されたヤギやヒツジの祖先はヨーロッパにいませんでしたが、ウシとブタの場合、家畜の祖先となり得る野生種がユーラシアに広く分布しており、ヨーロッパで独自に家畜化された可能性もあります。ブタの場合、野生種(イノシシ)と家畜種の区別は、これまでおもに考古学的文脈とサイズに基づいていました。最近では、形態や安定同位体の分析も用いられています。ヨーロッパでは、歯のサイズにより家畜と識別された最初のブタは、8000年前頃までの最初期新石器時代農耕民と関連する遺跡で発見されており、これらの歯のサイズの違いは先史時代から現代まで続いています。考古学的証拠からは、近東の農耕民が拡散してくる前のヨーロッパのイノシシは、いずれも家畜に分類できないことから、ヨーロッパの狩猟採集民が在来の野生イノシシを独自に家畜化したわけではない、と考えられています。

 しかし、ミトコンドリアDNA(mtDNA)に関しては、現代のヨーロッパのブタで近東系はほぼ完全に見られません。また、これまでの研究において、6000年前頃のパリ盆地のブタが近東系なのに対して、5900年前頃までにはヨーロッパ在来のイノシシ系統に置換されている、と明らかになっており、核DNAでも近東系が消滅した可能性は想定されます。このmtDNAの不連続の説明として、ヨーロッパ在来のイノシシからの遺伝子流動があります。家畜ブタは常に、野生集団と交雑している可能性があります。ニューギニアの事例からは、狩猟で雌の子ブタが捕獲され、成熟後に雄の家畜と交配する可能性が想定されます。そうすると、家畜ブタの子孫は母系ではヨーロッパ在来系となります。また、イノシシの雌の子孫が優れた特性を持っていると認識された場合、野生イノシシの雌の仔の獲得が慣行として定着したかもしれません。ヨーロッパの野生イノシシとの継続的な遺伝子流動のシナリオは、漸進的で不完全なゲノム置換を予測します。一方、ブタの家畜化がヨーロッパにおける完全に独立した事象だとしたら、ヨーロッパのブタはほぼ完全に在来のイノシシに由来する、と想定されます。本論文は、14000年前頃~現代のヨーロッパおよび近東のブタとイノシシ合計2099頭のDNAを解析し、ヨーロッパのブタの起源と遺伝的構成の変容を検証しました。そのうち古代標本は1318頭で、内訳はイノシシ262頭・家畜ブタ592頭・不明464頭です。古代のブタのゲノムデータに関しては、10倍以上の高網羅率が2頭、1~10倍の中網羅率が7頭、1倍未満の低網羅率が54頭となります。

 イノシシのmtDNAハプログループ(mtHg)は、大きく二分されます。一方はヨーロッパ系で、Italian・A・C・Y2です。もう一方は近東系で、Y1・ArmTです。これらのデータからも改めて、近東の農耕民がmtHg- Y1の家畜ブタを新石器時代にヨーロッパに持ち込んだ、と確認されました。ヨーロッパにおけるmtHg- Y1の最初の個体は新石器時代ブルガリアの8000年前頃のブタで、新石器時代における最後の個体は5100年前頃のポーランドのブタです。新石器時代以後にmtHg- Y1に分類されるブタは、ほとんどが地中海の島で確認されます。地中海島嶼部のmtHg- Y1の存在は、ヒツジとヒトの孤立したパターンと類似している、と本論文は指摘します。

 これらのデータはヨーロッパのブタにおけるmtDNAの完全な置換を示しますが、ヨーロッパ在来のイノシシからの遺伝子移入の結果なのか、在来のイノシシの家畜化の結果なのか、評価するのに決定的とは言えません。そのため本論文は、9000年以上にわたる、10倍以上の高網羅率の2頭、1~10倍の中網羅率の7頭、1倍未満の低網羅率の54頭の古代ゲノムデータを比較しました。家畜化に先行する古代のヨーロッパと近東のイノシシ遺骸内に、異なる系統(祖先)が存在します。38頭のイノシシのゲノムデータは、ギリシアの現代集団が近東系を33~38%、イタリアの現代集団は近東系を6~10%有している、と示します。これは、ヨーロッパの他地域よりも高い比率です。

 現代の家畜ブタのほとんどでは、そのゲノムに近東系統はほとんど見られません。ヨーロッパの家畜ブタを単一の集団とした場合、全体ではゲノムに占める近東系統は4%程度にすぎず、そのほとんどはイタリア・ハンガリー・スペインのいくつかの家畜品種(近東系は1.7~4.6%)に由来します。興味深いことに、こうしたヨーロッパの品種の大半は、現代の野生イノシシがより高い比率の近東系を有している地域に存在します。これらの品種は、19世紀に品種改良計画でヨーロッパに導入された中国のブタと混合しませんでした。これらのやや高い比率の近東系要素は、イタリア半島もしくはバルカン半島の在来イノシシとの交雑により獲得され、ヨーロッパに導入された中国ブタとの交雑の欠如の結果として維持された可能性が高そうです。現代のヨーロッパのブタでは、mtHgの約1/3は中国のブタに由来します。

 古代ブタのゲノムにおける近東系の比率も評価されました。青銅器時代のイラン(4300年前頃)とアルメニア(3500年前頃)のブタはヨーロッパ系統を有しておらず、ほぼ完全に近東のイノシシに由来します。ヨーロッパでは、高・中網羅率の古代家畜ブタのうち、近東系統を有している個体は、ドイツの7100年前頃の2個体で54%と9%、フランスの7100年前頃の1個体で15%、ブリテン島の4500年前頃の1個体で10%、1000年前頃のフェロー諸島の1個体で5%となります。このうち、近東系を54%ほど有するドイツの1個体はmtHgでも近東系のY1で、古代または現代のヨーロッパのイノシシのどれよりも多くの近東系を有しています。これらの結果は、近東から家畜ブタが導入されてから比較的短期間で、ヨーロッパのイノシシが家畜集団と混合していったことを示唆します。

 ヨーロッパの家畜ブタにおける近東系の消滅のより正確な年代と地域的違いを推定するために、54頭の低網羅率の古代ゲノムデータが比較されました。古代ヨーロッパのブタは、2集団に区分されます。第一集団は8頭で、近東のイノシシおよび古代近東の家畜ブタにより近い、と明らかになりました。その年代は、7650~6100年前頃です。この8頭のうち7頭は、近東系のmtHg- Y1を有しています。また、近東系に近いクリミアの7000年前頃の3頭は、在来系のmtHg-Y2を有しています。第二集団は、7100年前頃と6700年前頃の個体も含まれるものの、多くは第一集団より新しく、ヨーロッパの野生および現代の家畜ブタにより近縁です。つまり、ヨーロッパのブタにおいては、古いほど近東系の割合が高かったわけです。mtDNAのデータも考慮すると、5000年前頃にはミトコンドリアと核の両方で、ヨーロッパのブタからは近東系がおおむね消滅した、と本論文は推測しています。

 ヨーロッパの現代のブタでは、ゲノムに近東系が5%以上見られる品種はたいへん少なく、ヨーロッパのブタ全体での近東系の比率は最大でも4%程度で、ヨーロッパにおけるヒトによるブタの選択では、そのほとんどは近東系の遺伝子多様体ではなくヨーロッパ系のそれが対象になった、と推測されます。一方、メラノコルチン1受容体(MC1R)遺伝子の黒い毛をもたらす多様体は、アナトリア半島起源ながらヨーロッパにおいてもずっと存続してきた、と示唆されています。これもヒトによる選択の結果かもしれませんが、現時点では詳細は不明で、今後の研究の進展を俟たねばなりません。

 本論文の結果は、アナトリア半島のイノシシが10500年前頃に家畜化され、ヨーロッパに8500年前頃に導入された家畜ブタの祖先になった、と示します。しかし、5000年前頃の後期新石器時代までに、ヨーロッパのブタのゲノムにおける近東系の比率は大きく低下し、現代ヨーロッパのブタでは0~4%になりました。このほぼ完全なゲノム置換と近東系統の漸進的な消滅は、ヨーロッパ大陸部では3000年にわたって起き、それは近東系家畜ブタとヨーロッパのイノシシとの間の交雑の結果でした。これは、ヨーロッパのブタは独自に家畜化されたのではなく、外来の家畜ブタと在来のイノシシとのヒトによる意図的交配の継続的管理に由来することを示唆します。地中海地域では、ブタを季節的にヒトの居住地から離れさせるような管理がなされており、こうした慣行が、ブタとイノシシの間の遺伝子流動の機会をもたらしたのかもしれません。本論文は、ヨーロッパでは新石器時代にブタが導入された最初の頃から、こうした管理戦略が実践されていた可能性を示唆しています。

 ヨーロッパのイノシシから近東起源のブタへの遺伝子移入は、ヨーロッパのブタにおける近東系の比率を低下させました。しかし、上述のように、メラノコルチン1受容体(MC1R)遺伝子の黒い毛をもたらす多様体は、近東からヨーロッパへと初期農耕民により導入され、存続しました。本論文は、ヨーロッパの現代のブタの他のゲノム領域でも近東系の多様体は存在するかもしれないものの、そうした領域は4%以下と指摘します。ヨーロッパのブタにおける過去5000年のヒトの選択の大半は、近東農耕民が最初の2500年の家畜化の過程で選択したゲノム多様体ではなく、ヨーロッパのイノシシに由来するゲノム多様体だっただろう、と本論文は推測しています。

 外来集団が比較的小さく、在来の遺伝的に近縁な集団との交雑への強い障壁が存在しない場合、在来集団から外来集団への遺伝子移入の結果として、ほぼ全面的なゲノム置換も予想されます。ヨーロッパのブタはその事例となりますが、家畜種としては空前の大規模な置換だった、と本論文は指摘します。イヌやウマやウシなど、遺伝子移入は在来の野生集団と外来の家畜集団との間で一般的ですが、ブタはその起源系統が現代集団内ではほとんど検出できないほどの置換を経験した唯一の種だろう、と本論文は評価しています。他の家畜動物と比較して、ヨーロッパのブタは、導入された地域の近縁な野生種との生殖隔離の程度はずっと低かったのだろう、と本論文は指摘します。

 本論文はまとめとして、家畜化・栽培化は家畜化・栽培化された動植物の単純な拡散ではない、と指摘します。家畜化・栽培化は長く複雑な過程で、在来集団との継続的な交雑とヒトによる選択の結果として生じる、というわけです。緯度に大きな違いはなくとも、地形により気候は変わってきますし、病原体も同様です。近東とヨーロッパとで、ヒトの選択したブタの遺伝子多様体に大きな違いがあったとしたら、気候への適応と免疫が大きな要因だったのかもしれません。こうした家畜化・栽培化の検証はたいへん興味深く、より広範な地域での研究の進展が期待されますが、古代DNA研究ではやはりヨーロッパが他地域よりもずっと進んでいることは否定できないでしょう。今後は、日本列島も含めて他地域とヨーロッパとの差が縮小していくよう、期待しています。


参考文献:
Frantz LAF. et al.(2019): Ancient pigs reveal a near-complete genomic turnover following their introduction to Europe. PNAS, 116, 35, 17231–17238.
https://doi.org/10.1073/pnas.1901169116

縄文人と日本人には、遺伝的に何の繋がりも無いんだが

 表題の発言をTwitterで見かけました。来月(2019年9月)刊行予定の『神武天皇「以前」 縄文中期に天皇制の原型が誕生した』という単行本に対する、「ウヨの縄文推しもここまできた」との揶揄を受けての発言ですが、もちろん間違っています。日本列島の人類集団は、大別すると、北海道のアイヌ、本州・四国・九州を中心とする「本土」、南方諸島の琉球に三区分されます。現時点での「縄文人」の核DNA解析結果は、3000年前頃となる福島県相馬郡新地町の三貫地貝塚(関連記事)、2500年前頃となる愛知県田原市伊川津町の貝塚(関連記事)、3800年前頃となる北海道の礼文島の船泊遺跡(関連記事)からのものが報告されています。このうち高品質のゲノム配列が得られているのは、船泊遺跡の「縄文人」です。

 これら「縄文人」の核DNA解析から現時点でまず言えるのは、「縄文人」は既知の古代および現代の各地域集団との比較において、一つの分類群を形成するほど遺伝的に類似している、ということです。もちろん、今後ユーラシア東部において、「縄文人」と遺伝的により類似した古代集団が発見される可能性は低くありませんが、おそらく「縄文人」はユーラシア東部から日本列島到来した複数の集団の融合により形成されたので、「縄文人」そのものという遺伝的構成の古代集団が発見される可能性はかなり低いでしょう。考古学的にも、縄文文化は比較的孤立していることから(関連記事)、今後西日本の「縄文人」のDNA解析が進展しても、「縄文人」が、既知の古代および現代の各地域集団との遺伝的比較において、一つの分類群を形成する可能性はたいへん高い、と私は考えています。おそらく「縄文人」は、完全に一致するわけではないとしても、おおむね日本列島限定の孤立した文化集団で、遺伝的にも近隣地域の各地域集団とは明確に区別できただろう、と私は考えています。

 次に言えるのは、「縄文人」は現代の各地域集団との遺伝的比較で、大きくはアジア東部集団の変異内に収まりますが、その中でも日本列島も含めて沿岸部の地域集団とより類似している、ということです。これは、「縄文人」の祖先集団が、アフリカからユーラシア南岸経由でアジア南東部まで東進し、そこから北上したことを示唆します。あるいは、両者の類似性は一定以上の遺伝子流動の結果かもしれません。考古学的観点からは、シベリア中部のバイカル湖周辺地域に由来すると思われる細石刃が、北海道では25000年前頃以降、日本列島「本土」では20000年前頃以降に見られるので、「縄文人」の祖先集団の一源流として、北方からの流入も想定しておくべきかもしれません。また、「縄文人」は更新世に日本列島に拡散してきた集団の子孫である可能性が高いことも、「縄文人」のDNA研究では指摘されています。

 日本列島の各集団と「縄文人」との関係について諸研究で一致しているのは、縄文人との遺伝的近縁性の順番が、近い方からアイヌ集団→琉球集団→「本土」集団になる、ということです。船泊遺跡の「縄文人」のゲノムデータからは、「縄文人」の遺伝的影響は、アイヌ集団では66%、本土集団では9~15%、琉球集団では27%と推定されています。もちろん、これは幅の大きい推定値なので、今後修正される可能性は高いでしょう。とくに問題となるのは、西日本の「縄文人」のゲノムデータが得られていないことです。西日本の「縄文人」との比較では、「本土」集団への「縄文人」の遺伝的影響が20%程度になる可能性も提示されています(関連記事)。「本土」集団のゲノムに影響を及ぼした「縄文人」はおもに西日本集団で、東日本集団はほとんど影響を及ぼしていないかもしれない、というわけです。西日本の「縄文人」の遺伝的構成は既知の東日本の「縄文人」のそれとは一定以上異なっている可能性が高そうです。そうだとすると、「縄文人」の遺伝的多様性は現時点での推定より高くなりそうですが、それでも、古代および現代の各地域集団との比較において、「縄文人」が一つの分類群を形成する可能性は高いと思います。遺伝的影響の推定値に幅がありますし、各集団の違いも大きそうですが、現代日本人が「縄文人」の遺伝的影響を一定以上受けていることは間違いないでしょう。その意味で、表題の発言は間違いと断定しても大過ないと思います。

 1999年に扶桑社より刊行された西尾幹ニ『国民の歴史』(関連記事)も一定以上影響を及ぼしているのかもしれませんが、20世紀末以降、「愛国的」というか「反左翼的」もしくは「反リベラル的」論者の中では、縄文時代から現代まで継続する一貫した「日本」が措定され、現代日本社会の「確たる基盤・源流」として縄文時代が賞賛される傾向にあるように思います。そうした見解に疑問を抱く人々が、「縄文中期に天皇制の原型が誕生した」との謳い文句を揶揄し、否定したくなるのは理解できます。まあ、「原型」は使い勝手のよい言葉なので、天皇制の「原型」を強引に縄文時代に想定することもできるかもしれませんが。なお、天皇というか皇族が父系では「縄文系」との見解は、天皇の出自が「騎馬民族」の征服者だとか、百済王室の分家だとかいった与太話とは異なり、現時点では有力説の一つとして扱われるべきだと思います(関連記事)。

 縄文時代を称賛し、縄文時代から現代まで継続する一貫した「日本」を措定するような見解に懐疑的になるのは当然だと思います。しかし、現代日本人、とくに人口比率で圧倒的な多数派の「本土」集団のゲノムにおける、「縄文人」由来の領域の割合が10%程度と推定されていることを根拠として、弥生時代以降における縄文文化の影響はきわめて小さかった、と断定することもまた、問題だと思います。しかし、弥生時代以降に日本列島に渡来してきた集団は、一度に大量に移住してきたのではなく、何度かの大きな波はあったとしても、長期にわたる少数の集団で、後に人口増加率で遺伝的影響力を高めていった、と考えられますから、言語も含めて縄文時代の文化が、後の時代に強く継承されていった可能性は低くないと思います(関連記事)。ある地域の集団の遺伝的構成と文化の関係は、単純に置換もしくは継続で割り切れるものではない、と私は考えているからです(関連記事)。

 表題の発言者からは、私は有象無象の「ネトウヨ」の一人に他ならず、戯言を述べているように見えるかもしれません。しかし、縄文文化の弥生時代以降における影響云々といった私の見解はともかく、表題の発言は大間違いとの判断は正しいと確信しています。自分が嫌っていたり敵視したりしている政治思想や歴史認識の人の低水準な発言を見かけると、つい嬉しくなって一般化したり、粗雑な分類をしたりしたくなるのは、多くの人に共通する心理だと思います。もちろん、私も例外ではないので、自戒せねばなりません。その意味で、当然のことではありますが、表題の発言を根拠に、「アンチネトウヨ」の人類史認識はお粗末とか不勉強とか一般化するつもりはまったくありません。

ヒトの脳では老齢期でも新しいニューロンが発生する

 ヒトの脳における老齢木のニューロン生成に関する研究(Moreno-Jiménez et al., 2019)が公表されました。脳のニューロンの大多数は、ヒトが誕生するまでにすでにその場所に存在します。成体の脳における新しいニューロンの生成(成体ニューロン新生)は、海馬などの特定の領域では起こり得ます。以前の研究では、齧歯類や他の脊椎動物でこの現象が起きる、と明らかになっています。さらに以前の研究では、新しいニューロンがヒト組織に組み込まれることも示されています。しかし最近の研究では、ヒトの脳で成体ニューロン新生がどの程度あるのか、疑問が抱かれています。

 この研究は、58人の被験者由来の組織サンプルを解析し、ヒト脳の海馬では、加齢に伴ってある程度の減少はあるものの、成体ニューロン新生が一生にわたって観察される、と見出しました。また、ヒトアルツハイマー病の過程で、成体ニューロン新生が激減することも明らかになりました。ヒトでの成体ニューロン新生は検出されなかったという従来の研究結果とこの研究の食い違いは、用いた方法の違いか、調べた組織サンプルの質の違いによるのではないか、と指摘されています。この研究では、組織の固定技術や組織の切除から処理までの時間の遅れといった要因が、新生ニューロンの検出に不可欠な組織染色の質にいかに影響するか、示されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


老齢期でもヒトの脳では新しいニューロンが発生する

 90歳に達するまで、健康なヒトの脳で新しいニューロンが絶えず発生していることを報告する論文が、今週掲載される。今回の研究では、この新しいニューロンの生成がアルツハイマー病患者ではかなり減少することも明らかになった。

 脳のニューロンの大多数は、ヒトが誕生するまでにすでにその場所に存在する。成体の脳における新しいニューロンの生成(成体ニューロン新生)は、海馬などの特定の領域では起こり得る。以前の研究で、齧歯類や他の脊椎動物でこの現象が起こることが分かっている。さらに以前の研究では、新しいニューロンがヒト組織に組み込まれることも示されている。しかし最近の研究から、ヒトの脳で成体ニューロン新生がどの程度あるかは疑問が持たれている。

 今回Maria Llorens-Martinたちは、58人の被験者由来の組織サンプルを解析し、ヒト脳の海馬では、加齢に伴ってある程度の減少はあるものの、成体ニューロン新生が一生にわたって観察されることを見いだした。また、ヒトアルツハイマー病の過程で、成体ニューロン新生が激減することも分かった。

 Llorens-Martinたちは、ヒトでの成体ニューロン新生は検出されなかったというこれまでの研究結果と今回の結果との食い違いは、用いた方法の違いか、調べた組織サンプルの質の違いによるのではないかと述べている。今回の研究では、組織の固定技術や組織の切除から処理までの時間の遅れといった要因が、新生ニューロンの検出に不可欠な組織染色の質にいかに影響するかを示している。



参考文献:
Moreno-Jiménez EP et al.(2019): Adult hippocampal neurogenesis is abundant in neurologically healthy subjects and drops sharply in patients with Alzheimer’s disease. Nature Medicine, 25, 4, 554–560.
https://doi.org/10.1038/s41591-019-0375-9

中国史の画期についての整理

 画期という観点から、一度短く中国史を整理してみます。そもそも、「中国」とはどの範囲を指すのか、どのように範囲は変遷してきたのか、という大きな問題があります。また、この記事では更新世における人類の出現以降を扱いますが、もちろん、更新世に「中国」という地域区分を設定することは妥当ではありません。考えていくと大きな問題を多数抱えているわけですが、以前から一度整理しようと考えていたので、とりあえず、ダイチン・グルン(大清帝国)の本部18省を基本にします。更新世から叙述の始まる日本通史が珍しくないように、一国史の呪縛は未だに根強く、凡人の私では適切な区分は困難です。今後は少しずつ、より妥当な地域区分や名称を考えていきたいものです。紀元後に関しては、おもに『近代中国史』(関連記事)、『世界史とつなげて学ぶ中国全史』(関連記事)、『中国経済史』(関連記事)を参照しました。なお、西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です。


●人類の出現(212万年以上前)
 中国における現時点での人類最古の痕跡は212万年前頃までさかのぼり、陝西省で石器が発見されています(関連記事)。これは現時点では地理年代的にほぼ完全に孤立した事例で、どのように人類がアフリカから中国北西部まで到達したのか、まったく明らかになっていません。また、この石器をもたらした人類系統も不明です。おそらく、アフリカからユーラシア南岸を東進してきた、ホモ・ハビリス(Homo habilis)のような最初期ホモ属が、中国に到達して北上したと思われるので、今後、中国南部で220万年前頃の石器や人類遺骸が見つかる可能性は高い、と予想しています。

●「真の」ホモ属の拡散(170万年以上前)
 雲南省では、170万年前頃の初期ホモ属遺骸(元謀人)が発見されています。(関連記事)。陝西省では、上記の212万年前頃の石器が発見された近くの遺跡でホモ・エレクトス(Homo erectus)に分類されている藍田人が発見されており、その年代は165万~163万年前頃と推定されています(関連記事)。河北省では170万~160万年前頃の石器が発見されていますが、その製作者は不明です(関連記事)。212万年前頃の石器を製作した人類が、これら170万~160万年前頃の中国の人類集団の祖先なのか、現時点では不明ですが、そうではなく、180万年前頃以降に新たにアフリカからおそらくはユーラシア南岸を東進してきた「真の(アウストラロピテクス属的ではない)」ホモ属だった、と私は考えています。人類史において、アフリカからユーラシアへの拡散は珍しくなかっただろう、というわけです(関連記事)。

●後期ホモ属の拡散(60万年前頃以降?)
 現生人類(Homo sapiens)が拡散してくる前まで、中期~後期更新世のアジア東部には多様な系統のホモ属が存在した、と考えられます(関連記事)。中国各地では中期~後期更新世のホモ属遺骸が発見されていますが、その分類については議論が続いています。最近、チベット高原東部で発見された16万年以上前となる下顎骨が、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)と確認されました(関連記事)。この下顎骨と中期~後期更新世の中国のホモ属遺骸の一部とが類似しているため、中国には広くデニソワ人が存在したのではないか、とも指摘されています。しかし、デニソワ人の形態はまだほとんど明らかになっていないので(関連記事)、中期~後期更新世の中国のホモ属遺骸がすべてデニソワ人系統に分類されるのか、現時点では不明です。デニソワ人系統と現生人類系統との分岐年代に関しては諸説ありますが、早ければ80万年以上前と推定されています(関連記事)。したがって、上述の170万~160万年前頃の中国のホモ属とは異なる系統が、中期更新世に中国へと拡散してきた可能性はきわめて高そうです。ただ中国では、170万~160万年前頃のホモ属系統が中期更新世まで存続し、アフリカから新たに拡散してきたホモ属と共存し、交雑していた可能性もあると思います。

●現生人類の拡散(5万~4万年前頃?)
 中国における現生人類の拡散には、不明なところが多分にあります。中国における石器技術の画期は、35000年前頃となる、石刃をさらに尖頭器や削器などに加工する石刃石器群の出現との見解もあります(関連記事)。しかし、中国北部に関して、石器技術では様式1(Mode 1)が100万年以上前~2万年前頃か、もっと後まで続き、石器技術の変化は少なく、中国では現生人類の出現と石器伝統の変化が必ずしも対応していないかもしれない、とも指摘されています(関連記事)。じっさい、4万年前頃となる現生人類遺骸(田园男性)が、北京の近くで発見されており、DNAが解析されています(関連記事)。アジア東部におけるデニソワ人と現生人類との交雑の可能性も指摘されており(関連記事)、中国における現生人類拡散の様相には不明なところが多分に残っています。

●農耕・牧畜の開始(10000~8000年前頃)
 中国の現生人類集団は、農耕・牧畜開始の前後で南方系から北方系へと大きく変わった可能性が指摘されています(関連記事)。これは頭蓋データに基づくものですが、4万年前頃の田园男性に関しては、現代人には遺伝的影響を残していない可能性が指摘されています(関連記事)。しかし、この南方系集団と北方系集団がいつどの経路で中国に到来したのか、現時点では不明です。これと整合的かもしれないのは、現代漢人のミトコンドリアDNA(mtDNA)研究です(関連記事)。その研究では、漢人の遺伝地理的な区分として、南北の二分よりも黄河(北部)と長江(中部)と珠江(南部)の各流域という三分の方がより妥当で、この遺伝地理的相違は早期完新世にはすでに確立されていた、と推測されています。もちろん、核DNAやY染色体DNA、とくに後者ではまた違った遺伝的構成が見られるかもしれませんし、この問題の解明には古代DNA研究の進展が必須となりますが。

●青銅器時代~鉄器時代(紀元前1700~紀元前220年頃)
 この間、ユーラシア西方から家畜や金属器などが導入され、中国社会は複雑化していきます。その具体的指標として、性差の拡大が指摘されています(関連記事)。都市国家から領域国家、さらには巨大帝国の出現には、そうした社会的背景があるのでしょう。

●集住から散居(紀元後3~4世紀)
 それまで、中国の聚落形態は集住(都市国家)が主流でしたが、散居(村の誕生)へと変化し、商業も一時的に衰退します。城郭都市は、それ以前とは異なり行政・軍事に特化していました。またこれ以降、「士」と「庶」の二元的階層が確立していきます。

●唐宋変革(10世紀)
 温暖化により中国社会は経済的に大きく発展し、無城郭商業都市である「市鎮」が出現します。中国では南部の発展が著しく、経済・人口で北部を逆転して優位に立ちます。

●伝統社会の形成(14世紀)
 中国における伝統社会は、14世紀以降に形成されていきます。モンゴルによる中国も含むユーラシア規模の広範な統合は、14世紀の寒冷化により崩壊します。これ以降、「士」と「庶」の間の中間的階層も台頭し、社会はますます複雑化していきます。そのため、中央権力の支配は社会の基層にまで及びませんでした。またこれ以降、南北の格差は前代よりも縮まり、東西の格差が拡大していきます(西部に対する東部の優位)。これは、物流において海路が重要になっていったことと関連しています。また、ダイチン・グルン後期には、沿岸部各地域がそれぞれ外国と結びつくなど、経済の多元化がさらに強くなっていきました。

●中華人民共和国の成立(1949年)
 1840~1842年のアヘン戦争と1894~1895年の日清戦争は、ともに中国にとって大きな転機となりました。とくにアヘン戦争は中国近代史の起点として重視されてきましたが、アヘン戦争以後も中国の伝統的な社会経済構造は堅牢で、直ちに大きく変わったわけではありませんでした。中央権力の支配が社会の基層まで届かず、多元的な社会経済構造は、一元化への志向にも関わらず、容易に解消しませんでした。この牢乎として存続する中国伝統社会を大きく変えたのが、共産党政権の中華人民共和国でした。土地革命と管理通貨の実現により、基層社会へと中央権力が浸透し、経済は一体化していき、統合的な国民経済の枠組みが生まれました。中国共産党政権は、まさに革命的でした。


 以上、中国史の画期についてざっと見てきました。現在の私の関心・見識から、更新世の比重が高くなってしまいました。農耕・牧畜開始以降については近年ほとんど勉強が進んでいないので、かなり的外れなことを述べているかもしれず、少しずつ調べていきたいものです。なお、中国共産党政権は革命的と評価しましたが、もはや現在は、「革命的」が直ちに肯定的に評価される時代ではありません。冷戦構造の進展という時代背景はあったにしても、中華人民共和国と「西側」との経済関係はきわめて希薄となり、対外貿易から得られるはずだった先進技術や外国資本を失うことにより経済の活力が衰えた、とも言えます。一方で、そうした事情が、中華人民共和国における強力な金融管理体制と通貨統一を実現させました。「西側」との経済関係が希薄化するなか、共産党政権は物質的な統制を進め、大衆動員型政治運動により反対意見を抑え込んでいきました。物質・思想両面の統制が厳しくなるなかで、逃げ場を失った多くの中国人には、共産党による統治を受け入れるしか選択肢は残されていませんでした。

 そう考えると、統合的な国民経済の枠組みが多くの中国人にとって本当に幸福だったのか、大いに疑問が残ります。購買力平価ベースのGDPでは、第二次世界大戦前はもちろん、その後の1950年でも、中国が日本を上回っていました(関連記事)。本来ならば、購買力平価ベースのGDPで中国が日本を下回るようなことはほとんどあり得なかったはずです。それが、20世紀後半の一時期とはいえ日本に逆転されてしまったのは、明らかに共産党政権の失政だと思います。中国共産党の側に立つ人に言わせれば、「西側」の「敵視政策」が原因となるのでしょう。しかし、政治においては結果責任が厳しく問われるべきで、冷戦が進行していく中だったとはいえ、共産党政権の責任は重大だと思います。

 共産党政権が、中国近現代史において最悪もしくはそれに近い選択肢だったとは思いません。選択を誤れば、中国は今でも内戦に近い状態が続き、経済の発展が妨げられていたかもしれません。当然、現在よりも生活・技術・学術の水準は随分と見劣りしたでしょう。しかし、だからといって、共産党政権が中国近現代史において最良に近い選択肢だったかというと、かなり疑問が残ります。1980年代以降の中国の経済発展には目覚ましいものがあります。これを根拠に中国共産党の統治の正当性を称揚する見解は珍しくないかもしれませんが、現実的な別の選択肢では中国は現在もっと発展していたのではないか、との疑問は残ります。大躍進に代表される中国共産党政権の大失策がなければ、少なくとも、購買力平価ベースのGDPで比較的短期間とはいえ中国が日本を下回るようなことはなかっただろう、というわけです。その意味で、中国共産党、とくに毛沢東の責任は重大だと思います。毛沢東こそ、一時的とはいえ、中国を決定的に没落させた最大の責任者だろう、と私は以前から考えています。率直に言って、共産党政権は近現代中国において、むしろ悪い方の選択だったのではないか、と私は考えています。

 もちろん、中国近現代史において、史実よりも都合のよい選択肢はほとんどなく、中国は一度どん底を経験し、社会・経済を統合する必要があり、毛沢東の功績は大きかった、との見解もあるとは思います。私の見解はしょせん素人の思いつきにすぎないわけですが、大躍進や文化大革命などのような大惨事は本当に不可避だったのだろうか、との疑問はどうしても残ります。1980年代以降の中国の経済発展は確かに目覚ましいのですが、もともと経済規模で日本に劣るようなことはほとんどあり得ない中国が、比較的短期間だったとはいえ、共産党政権下で日本を下回ったという事実は、やはり無視できないように思います。こうした疑問は、中国共産党政権の評価、さらにはその公的歴史認識(体制教義)の検証にも関わってくる問題だと思います。最後に、以下に中国の土地改革について、日本での近年の見解を取り上げます(関連記事)。

 まず、中華人民共和国における土地改革の必然性とされてきた帝国主義および地主からの搾取という認識にたいしては、中華民国期の農家経営について、商品経済化や小農による集約的経営を通じて土地生産性が向上した、との見解が提示されています。また、世界恐慌下の地主による土地の兼併は、全国的かつ長期的にわたる趨勢として確認できるわけではない、とされています。共産党が土地の分配により農民の支持を獲得して内戦に勝利した、との見解も見直されつつあるそうです。1920年代末~1930年代前半、共産党は土地改革により勢力拡大を図りましたが、当時の共産党組織の脆弱さにより、国民党の反撃や在地の武装勢力の抵抗に遭って根拠地は短期間に崩壊しました。また、土地の分配を受けた農民が必ずしも積極的に共産党軍に加わったわけではなく、既存の雑多な武装人員が傭兵的に編入され、共産党の軍事力を担ったそうです。第二次世界大戦後、国民党と共産党の内戦が再発すると、共産党は土地改革を強く打ち出すようになります。この土地改革で地主・富農からの収奪だけではなく、中農の財産の侵犯が発生し、農業生産は大打撃を受けたそうです。共産党が短期間で多数の兵の徴募に成功した東北地区にしても、土地の分配により農民の自発的な支持を獲得したこと以上に、「階級敵」からの食糧・財産の没収を通じて、新兵の募集や雇用に必要な財を共産党が独占したことを重視する見解が提示されているそうです。

高齢者の作業記憶の回復

 高齢者の作業記憶の回復に関する研究(Reinhart, and Nguyen., 2019)が公表されました。作業記憶とは、後で用いるために情報を短時間保持する能力のことで、加齢によって低下します。作業記憶は、若年成人において、脳領域内と脳領域間の特異な神経相互作用と関連しています。この過程には、前頭前野と側頭野におけるガンマリズムとシータリズムという2種類の神経振動(脳波)のパターンが関係していると考えられています。前頭前野と側頭野のシータリズムの同期も作業記憶と関連しており、前頭前野と側頭野の間の長距離の相互作用を促進する可能性があります。

 この研究は、脳波検査(EEG)を使って、こうした相互作用が高齢者においてどのように変化し、作業記憶とどのように関連しているのか、調べました。そのさい、非侵襲的な脳刺激手順が実施され、作業記憶と関連する個別の脳波相互作用が調整されました。この研究では、42人の若年成人(20~29歳)と42人の高齢者(60~76歳)が、脳の刺激を行なった状態と行なわない状態で作業記憶課題を行ない、その成績が評価されました。脳を刺激しない場合、高齢者は若年成人より作業記憶課題の遂行が遅く、正確性も劣っていました。若年成人では、作業記憶課題の遂行中に左側頭皮質におけるシータリズムとガンマリズムの相互作用が増強され、前頭前野と側頭野のシータリズムの同期性が上昇していました。

 脳の能動的刺激を受けている間、高齢者の作業記憶課題遂行の正確性は改善され、若年成人並みになりました。この効果は、脳の刺激を行なってから50分間持続しました。課題遂行の正確性が改善されたことは、左側頭皮質におけるシータリズムとガンマリズムの相互作用の増強と相関しており、左側頭皮質と前頭前皮質のシータ脳波の同期性が上昇していました。これらの知見は、加齢に伴う認知機能低下を標的とする将来的な介入法の基礎となる可能性があります。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


高齢者の脳領域のリズムを同期させて作業記憶を回復させる

 脳の側頭野と前頭前野を特異的なリズムで刺激することで、加齢に伴う作業記憶の低下を回復させられるという新知見を報告する論文が、今週される。

 作業記憶とは、あとで用いるために情報を短時間保持する能力のことで、加齢によって低下する。作業記憶は、若年成人において、脳領域内と脳領域間の特異な神経相互作用と関連している。この過程には、前頭前野と側頭野におけるガンマリズムとシータリズムという2種類の神経振動(脳波)のパターンが関係していると考えられている。前頭前野と側頭野のシータリズムの同期も作業記憶と関連しており、前頭前野と側頭野の間の長距離の相互作用を促進する可能性がある。

 今回Robert ReinhartとJohn Nguyenは、脳波検査(EEG)を使って、こうした相互作用が高齢者においてどのように変化し、作業記憶とどのように関連しているのかを調べた。著者たちは、非侵襲的な脳刺激手順を実施して、作業記憶と関連する個別の脳波相互作用を調整した。

 今回の研究では、42人の若年成人(20~29歳)と42人の高齢者(60~76歳)が、脳の刺激を行った状態と行わない状態で作業記憶課題を行い、その成績が評価された。脳を刺激しない場合、高齢者は若年成人より作業記憶課題の遂行が遅く、正確性も劣っていた。若年成人では、作業記憶課題の遂行中に左側頭皮質におけるシータリズムとガンマリズムの相互作用が増強され、前頭前野と側頭野のシータリズムの同期性が上昇していた。

 脳の能動的刺激を受けている間、高齢者の作業記憶課題遂行の正確性は改善され、若年成人並みになった。この効果は、脳の刺激を行ってから50分間持続した。課題遂行の正確性が改善されたことは、左側頭皮質におけるシータリズムとガンマリズムの相互作用の増強と相関しており、左側頭皮質と前頭前皮質のシータ脳波の同期性が上昇していた。

 今回の成果は、加齢に伴う認知機能低下を標的とする将来的な介入法の基礎となる可能性がある。



参考文献:
Reinhart RMG, and Nguyen J.(2019): Working memory revived in older adults by synchronizing rhythmic brain circuits. Nature Neuroscience, 22, 5, 820–827.
https://doi.org/10.1038/s41593-019-0371-x

現生人類ユーラシア起源説

 現生人類(Homo sapiens)アフリカ単一起源説は現在では通説として広く認められているでしょうが、最近、アフリカ起源説が覆されている、といった認識も一部?で見られるようになりました(関連記事)。その根拠とされているのが、「今、ホモ・サピエンスのアフリカ起源説など人類史の常識が次々と覆されている」という記事です。その記事が依拠しているのは、『交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』です(関連記事)。しかし、すでに昨年(2018年)10月の時点で当ブログにて取り上げましたが(関連記事)、その記事は同書を誤読しています。同書が主張しているのは、「超旧人類」・現生人類・ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)・デニソワ人(Denisovan)の共通祖先集団はアフリカからユーラシアへと最初に拡散したホモ属であるエレクトス(Homo erectus)で、その一部がアフリカに戻って現生人類系統へと進化した可能性です。これを現生人類ユーラシア起源説と解釈するのには無理があると思います。

 同書はその根拠として、アフリカでのみこれらの系統がずっと進化したと仮定すると、アフリカからユーラシアへの大規模な移住が4回(180万年以上前の最初の出アフリカ、超旧人類の出アフリカ、ネアンデルタール人とデニソワ人の共通祖先の出アフリカ、現生人類の出アフリカ)必要なのにたいして、ユーラシアで進化したと仮定すると、大規模な移住は3回(180万年以上前の最初の出アフリカ、その系統の一部のアフリカへの「帰還」、アフリカで進化した現生人類のユーラシアへの拡散)で、より節約的であることを挙げています。直接的な証拠としては、スペインで発見され96万~80万年前頃と推定されているホモ属化石のアンテセッサー(Homo antecessor)に、現生人類とネアンデルタール人双方の特徴が見られる、ということが挙げられています。

 しかし、現代人と古代人のDNA解析で推定できる人類系統が、現時点では「超旧人類」・現生人類・ネアンデルタール人・デニソワ人というだけではないか、とも思います。つまり、現時点での現代人と古代人のDNA解析では検出できない複数の人類系統が存在し、そうした系統も含めると出アフリカは珍しくなかったのではないか、というわけです。更新世における人類(ホモ属)の出アフリカが珍しくなかったとすると、アフリカとユーラシアの間の想定移住回数の少ない仮説の方が妥当とは限らないだろう、と私は考えています。

 その状況証拠となるのが、ジャワ島のエレクトスは北京のエレクトスよりも前期更新世のアフリカおよびグルジアのホモ属化石の方と類似している、との見解です(関連記事)。これは、アフリカ起源のエレクトスが東方へ進出し、アジア東方において南北に別れ、南東部(ジャワ島)系統と北東部(北京)系統に進化していった、とする有力説と整合的ではありません。さらに、現生人類到達前のアジア東部においても、異なる系統のホモ属の共存の可能性が指摘されています(関連記事)。これらは、アフリカからユーラシアへのホモ属の拡散が少なくなかったことを示唆しているのではないか、と思います。なお、アフリカの初期エレクトスを別種エルガスター(Homo ergaster)と分類する見解もあります。

 アンテセッサーに現生人類とネアンデルタール人双方の特徴が見られることも、現生人類とネアンデルタール人の共通祖先系統と近縁な系統がヨーロッパにまで拡散していた事例として解釈でき、前期更新世でもホモ属の出アフリカが少なからずあったことを反映しているのではないか、と私は考えています。ただ、アフリカにおける90万~60万年前頃の人類化石記録の乏しさという問題は残っています。そのため、エレクトスもしくはエルガスターから、ネアンデルタール人と現生人類の最終共通祖先と想定される派生的なホモ属への進化が実証されているとはとても言えません。近年、アフリカ東部の85万年前頃のホモ属頭蓋に関して、初期ホモ属からハイデルベルク人(Homo heidelbergensis)のような派生的なホモ属への進化を示している、との見解も提示されています(関連記事)。今後アフリカで、現生人類とネアンデルタール人の最終共通祖先と考えられるような特徴の100万~80万年前頃のホモ属化石が発見される可能性はかなり高いだろう、と私は考えています。まあ現時点では、考えているというよりも、期待していると言うべきかもしれませんが。

大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』第32回「独裁者」

 1932年、ロサンゼルスの夏季オリンピック大会で日本水泳陣は大活躍し、女子水泳陣では前畑秀子がわずかな差で2位となりました。日本水泳陣が帰国すると、東京市長の永田秀次郎は前畑に、わずかな差だったのになぜ勝てなかったのかと責め、次回は勝つよう激励します。田畑政治は激昂し、永田は前畑に謝罪しますが、前畑は国民の期待が大きいことを実感します。前畑は、次回ベルリンで開催される夏季オリンピック大会は、もう22歳になることから諦めかけていましたが、再度挑戦する決意を固めます。

 今回は、1940年夏季オリンピック大会の東京招致、岸清一の死、田畑の結婚、金栗四三を訪れた有望な中学生走者と、豊富な内容でした。このうち、金栗を訪ねた中学生の話は、現在の主題というか本筋とはまだ関わっていないように見えますが、今後どう絡んでくるのか、楽しみです。現在の本筋は1940年夏季オリンピック大会の東京招致ですが、国際情勢も絡めた話になっており、ここは大河ドラマといった感じです。まあ、本作の軽さに憤激している大河ドラマ愛好者からすると、全然歴史を描けていない、という評価になるのかもしれませんが。

太田博樹「ゲノム人類学から見たふたご研究」

 取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、双子に関する研究(太田., 2017)が公表されました。哺乳類には、1回の出産で複数の個体を産む種と1~2仔しか産まない種が存在します。1回の出産で、たとえばマウスが8~12仔くらい産むのにたいして、霊長類が産むのは1~4仔です。霊長類の中でも比較的祖先型に近いと考えられている曲鼻猿類(メガネザルを含まない原猿)では2~3仔ですが、真鼻猿類(メガネザルを含む真猿)はより少なく、いわゆる新世界ザルのコモンマーモセットやタマリンは2仔出産ですが、その他の新世界ザルやいわゆる旧世界ザルでは、いずれも1仔出産が普通です。とくに、ヒトも含む類人猿(ヒト上科)では1仔出産が標準的です。これは、ヒトを含む霊長類が、多くの個体を産み競争させて生存力の強い個体を生き残らせるような戦略(r戦略型)ではなく、少数個体を産み親が大切にその少数個体を育てて生存力を高めるような戦略(K戦略型)を採用し、進化させてきた結果と言えそうです。

 複数仔の出産は多排卵(polyovulation)と関係しており、多排卵は性腺刺激ホルモンのゴナドトロピン(gonadotropin)により制御されていると考えられています。したがって複数仔出産は、ゴナドトロピンや黄体形成ホルモン、卵胞刺激ホルモンの活性の差違あるいはそれらの発現を制御する遺伝的要因によって決まる、と推定されます。その具体的な機序はまだ不明ですが、複数仔から1~2仔への進化の根拠となる遺伝的な変化を想定することは可能です。

 ヒトにおける二卵性双生児(dizygotic twin: DZ)は、多排卵による双子です。二卵性双生児に関しては、民族集団による出産頻度の違いが報告されています。これはゴナドトロピンなどの活性や発現量に関与する遺伝的多型の地域的な頻度差が原因だろう、と考えられています。一方、一卵性双生児( monozygotic twin: MZ )は受精卵の発生の極初期でおこる多胚化(polyembryony)が原因と考えられ、こちらは偶然による現象で遺伝的背景は考えにくいので、出産頻度は一卵性双生児の場合はランダムとなり、民族集団による頻 度差の報告はありません。


 本論文は双子に関する基本的情報をこのようにまとめたうえで、まず一卵性双生児は遺伝的にクローンなのか、と問いかけます。ゲノム解読に多額の費用と長い時間を要した頃の研究では、ゲノム中に存在するコピー数バリエーション(CNV: copy number variation)、つまり遺伝子のコピー数の個人差が調べられました。CNVは個人間での違いの他に同じ個体の中でも細胞によって異なっている場合がある、と知られており、その遺伝子コピー数の違いと疾患との関連がしばしば報告されているそうです。CNVの調査では、表現型の一致する群および不一致の群を含む一卵性双生児19組のどちらの群でも、ペア間でCNVの違いが存在する、と発見されました。

 一卵性双生児では、受精卵が2つに分かれ、独立して成長します。その過程における細胞分裂において2個体の間でCNVの違いが生じる(somatic mutation:体細胞突然変異)、という可能性が考えられています。1個体でも、CNVが存在するモザイク状態になっていることも想定されます。つまり、一卵性双生児でも遺伝的に完全にクローンではない、というわけです。表現型においても、左右非対称性や変形部位や成長や子宮内胎児死亡など、一卵性双生児が互いに示す不一致(discordance)は古くから報告されています。本論文は、一卵性双生児の不一致の原因となり得るメカニズムとして、幹細胞の不均一な配置、染色体のモザイク状態、受精後に起きた変異、X染色体の不活性化の偏り、ゲノム刷り込み、ミトコンドリアの不均一分布、テロメア長の違い、繰り返し配列多型の繰り返し回数の違い、CNV の違いなどを挙げています。

 本論文はこのうち、X染色体の不活性化の偏りを取り挙げています。これは哺乳類のメスでX染色体の一方が不活性化することを指しますが、本論文はその理由として挙げているのは、過剰な遺伝子発現量を避けることです。女子の一卵性双生児では、それぞれX 染色体の片方が不活性化されていますが、それはランダムなので、不活性化されるX染色体が、母親由来のX 染色体か父親由来のX染色体かは偶然決まります。X 染色体上の同じ遺伝子でもそこに多型があり、母親由来のタイプと父親由来のタイプとで機能や発現量に差があれば、姉妹で発現する遺伝子タイプに違いが生じるかもしれません。一方、男子の一卵性双生児では、X 染色体は必ず母親由来なので、兄弟で差はありません。女子の一卵性双生児と男子の一卵性双生児のペアを比較した研究では、言語を操る能力や知性と関連する形質の一部で、女子のペアより男子のペアの方が似ていたそうです。ヒトで精神的な障害を引き起こすリスクが報告されている遺伝的欠損のうち、約10%がX染色体に載っている、と知られています。一卵性双生児のX 染色体の不活性化が、女子ペアでヒトの言語能力や知性とより関連する結果はそのためかもしれない、と本論文は指摘します。

 X染色体の不活性化の偏りやゲノム刷り込みなどの要因は、エピジェネティクス(epigenetics)として知られています。エピジェネティクスの分子基盤は基本的に、ヒストン(染色体でDNA が巻き付いているタンパク質)のメチル化やアセチル化、およびDNA塩基の1つであるシトシン(C)のメチル化による、遺伝子発現の抑制あるいは促進です。本論文はエピジェネティクスな特性を、 「DNA の塩基配列の変化をともなわず、染色体における変化によって生じる安定的に受け継がれうる表現型」と定義しています。

 DNA の塩基配列には、タンパク質に翻訳される部分と、そうでない部分が多く含まれますが、遺伝子の上流配列に遺伝子発現を制御するプロモーター領域があり、プロモーターに転写制御因子が結合することで、発現が抑制されたり促進されたりします。こうしたDNA の塩基配列に記述されたタンパク質の情報や発現制御のメカニズムは、生殖細胞ができるときに起こる突然変異によって変化する以外、原則的に不変です。

 一方、エピジェネティクスによる発現制御は変化します。ヒストンのアセチル化(アセチル基の付加)は遺伝子発現を促進させ、DNA のメチル化(メチル基の付加)は遺伝子発現を抑制します。こうしたアセチル化やメチル化は、1人の個体の中の様々な組織の様々な細 胞で異なっており、食べ物や薬などによって変化し、 年齢によっても同じ個人でもそのパターンが変化します。ヒトに関してエピジェネティクスと関係がありそうな現象は、癌や生活習慣病や自閉症や双極性障害や統合失調症などが挙げられており、行動や記憶などとの関係も指摘されているそうです。

 一卵性双生児は、DNAのメチル化の程度を比較するのに適しています。一卵性双生児と二卵性双生児のそれぞれ100人前後を対象としてゲノム全体のメチル化を調べた研究では、一卵性双生児に特異的なメチル化箇所が約6000あったそうです。この6000箇所は、遺伝的に規定された(塩基配列に依拠した)メチル化箇所と言える、とこの研究では主張されています。それが親から生殖細胞を介して継承されたメチル化かどうかは不明です、年齢によるメチル化パターンの変化も考慮すべきですが、この主張が正しいとすれば、逆にそれ以外のメチル化箇所は環境要因によって変化するメチル化パターンと推定できる、と本論文は指摘します。

 主要組織適合遺伝子複合体(major histocompatibility complex: MHC)は免疫にとって重要なゲノム領域ですが、一卵性双生児と二卵性双生児を対象としてMHC領域のメチル化を調べた研究では、二卵性双生児のペア間より一卵性双生児のペア間のメチル化の違いは小さかったそうです。二卵性双生児のペア間には兄弟・姉妹と同様の遺伝的な違い(塩基配列の違い)があるので、遺伝的に規定されている(塩基配列に依拠している)メチル化領域は一卵性双生児のペア間より少ないのは当然ですが、全体としてメチル化の遺伝性が低かった結果は、免疫が環境要因によって影響を受けていることと整合性があるだろう、と本論文は指摘します。

 自己免疫疾患である乾癬を一卵性双生児のペアで調べた研究では、メチル化の違いで発症の有無が決まる、と示唆されたそうです。上述のようにメチル化は食べ物や薬などによって変化するので、遺伝的に乾癬を発症する因子を持っていたとしても、食べ物や薬などを制御することで発症を抑えることができる、というわけです。2型糖尿病でも同じような結果が得られているそうです。2 型糖尿病を発症している一卵性双生児ペアおよび未発症のペア、合計27ペアでゲノム規模のメチル化を検出したところ、MALT1 という遺伝子のプロモーター領域(遺伝子発現を制御する領域)において、発症している一方と発症していないもう一方の一卵性双生児ペア間で大きな差が見られたそうです。

 18~89歳の一卵性双生児のペアを対象としたエピジェネティクスの変化を調査する研究では、DNA のメチル化の程度に関して、一部の遺伝子を除いて、一卵性双生児ペア間での不一致は、年齢が高いペアほど低いペアより大きかった、と明らかになりました。ゲノムが(ほぼ) 100% 同じの一卵性双生児でも、年齢を重ねると DNA のメチル化の程度がペア間で異なってくるわけで、遺伝要因よりも環境要因のほうがメチル化に影響している可能性を示唆しています。メチル化の程度が異なれば、遺伝子発現も異なる可能性があるので、結果的に表現型にも違いが生じてくる、と予想されます。一卵性双生児ペアでも年齢が高いほど、お互いに似なくなってくる可能性があるわけです。こうした成果を踏まえて、双子のゲノムのメチル化における個体差のカタログ作成なども進んでいるそうです。双子2603人を対象とした包括的な分析では、メチル化の遺伝性がゲノム全体ではバラバラであると示されたそうです。一方、1000あまりの箇所は、性に関連するか年齢によってメチル化の程度が異なっており、メタボリックな特徴や喫煙歴と関連していたそうです。

 エピジェネティクスは、生理人類学においてこれまで「馴化(acclimatization)」と記載されてきた現象の多くを説明できるのではないか、と本論文は指摘します。遺伝的多型に関しては、20世紀初頭から始まる集団遺伝学で精緻な理論が構築され、生物進化の基本理論となっています。このため、遺伝的多型と生理的多型の関連を見つけることは、環境適応に関連する進化を理解するのにきわめて重要だ、と本論文は指摘します。一方、DNA の塩基配列が変化しなくても、DNA のメチル化などで環境に応答するメカニズムの理解が進み、遺伝的多型とは関係しない生理的多型が、こうしたメカニズムで理解できる可能性もある、と本論文は指摘します。生物進化はDNA の塩基配列の変化を前提としていますが、その変化を伴わないエピジェネティクスが、塩基配列に起こった突然変異の固定が起こる以前の環境適応に果たす役割が、どのように生物進化と関係してくるのか、理解することがたいへん重要というわけです。今後はエピジェネティクスを視野に入れたヒトの生理反応の研究が重要になってくる、と本論文は予想しています。


参考文献:
太田博樹(2017)「ゲノム人類学から見たふたご研究」『日本生理人類学会誌』第22巻第2号P91-96
https://doi.org/10.20718/jjpa.22.2_91

河辺俊雄『人類進化概論 地球環境の変化とエコ人類学』

 東京大学出版会より2019年3月に刊行されました。本書は大学初年次クラスの自然人類学の教科書として執筆されたとのことで、人類の誕生から農耕の始まりの頃までを概観しています。表題にあるように、環境変化を重視しているのが本書の特徴で、最初に1章を割いて地球環境の変化を解説しています。本書は700万年にわたる人類の身体および行動面での進化を概観し、ホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)の下限年代について旧説(12000年前頃)を採用しているなど(新説では5万年前頃)、古い知見もあるものの、全体的には近年の研究成果を取り入れた適切な内容になっており、人類進化の教科書としてたいへん優れていると思います。本書は当分、人類進化史に関心を抱き始めた人にまず勧めるべき概説書となることでしょう。私も人類進化史に関する認識を自分なりに整理でき、たいへん有益な一冊となりました。

 本書は人類進化史を、地球環境の変化だけではなく、霊長類進化史の文脈にも位置づけており、視野の広さが窺えます。霊長類進化史についてあやふやな私にとって、有益な解説となりました。また、人類進化史の概説とはいっても、単に年代順に淡々と解説しているのではなく、直立二足歩行と脳の進化に1章ずつ割いているように、とくに重要と思われる事項を重点的に取り上げていることも、教科書として優れている点であるように思います。確かに、直立二足歩行と脳の大型化は、人類の重要な特徴と言えるでしょうから、妥当な配分だと思います。

 霊長類の集団の分類について、本書は母系・父系・非単系と3区分しています。ヒト上科(類人猿)では、チンパンジー属が父系、テナガザルとオランウータンとゴリラが非単系です。これまで当ブログでも述べてきましたが、現生類人猿社会はヒトの一部社会を除いて非母系です。その観点からも、人類社会がもともと母系だった可能性は低いように思います。まあ、人類系統がチンパンジー属系統と分岐した後に、母系社会に移行し、そこから多様化していった、という可能性も「全否定」はできませんが、その可能性はきわめて低いだろう、と私は考えています。なお、「デニソワ人のDNAは東アジアやヨーロッパの集団には認められていない」とありますが(P126)、その前のページでは「現在東アジアや南アジアに住む人にもデニソワ人のDNAが0.2-0.6%含まれている」とあり、「東アジア」は「西アジア」の誤記だと思います。


参考文献:
河辺俊雄(2019)『人類進化概論 地球環境の変化とエコ人類学』(東京大学出版会)

火星の生命体の手がかりになるかもしれないアタカマ砂漠の微生物

 火星表面の環境に似ていることでよく知られている、チリ北部のアタカマ砂漠の微生物に関する研究(Azua-Bustos et al., 2019)が公表されました。この研究は、微生物が風で運ばれる塵粒子とともにアタカマ砂漠を移動できるかどうか、調査しました。その目的は、アタカマ砂漠の微生物がどこで生まれたのかを明らかにすることで、これは、極限環境に生息する微生物にとって重要な意味を持つ可能性があります。

 この研究は、アタカマ砂漠の超乾燥コア地帯を横断する2地域に、それぞれ3ヶ所のサンプリング地点を設定し、細菌23種と菌類8種の試料を採集しました。この超乾燥コア地帯は、極度の乾燥気候に加えて、高塩分/高酸化土壌が存在し、紫外線量が極めて多いことで知られています。この2地域の両方で採集されたのはわずか3種で、アタカマ砂漠では、地域ごとに異なる大気浮遊微生物の生態系が存在している、と示唆されました。採集された試料から特定された細菌と菌類には、最初は水生環境中の細菌として論文報告されたOceanobacillus oncorhynchiと、植物から単離されたBacillus simplexが含まれていました。こうした観察結果は、これらの微生物が太平洋とアタカマ砂漠の海岸山脈から超乾燥コア地帯に到達した可能性を示しています。

 この研究は、午前中に採集された微生物細胞が近隣地域から到来した傾向があるのに対し、午後になると、遠隔地から海洋エアロゾルと塵粒子に付着した微生物が風に運ばれてきたことを発見しました。この新知見は、地球上で最も乾燥し、紫外線量の多い砂漠を微生物が効率的に移動できる、と示唆しています。また、火星に存在している可能性のある微生物も同じような方法で、その分布を拡大させている可能性がある、と指摘されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【微生物学】アタカマ砂漠の微生物が火星の生命体に関する手掛かりに

 火星表面の環境に似ていることでよく知られたアタカマ砂漠(チリ北部)で行われた調査研究によれば、火星の微生物は、風で運ばれる塵粒子によって火星上を移動している可能性があるという。この新知見を発表する論文が今週掲載される。

 今回、Armando Azua-Bustosたちの研究グループは、微生物が風で運ばれる塵粒子とともにアタカマ砂漠を移動できるかどうかを調査した。その目的は、アタカマ砂漠の微生物がどこで生まれたのかを明らかにすることであり、これは、極限環境に生息する微生物にとって重要な意味を持つ可能性がある。

 この研究グループは、アタカマ砂漠の超乾燥コア地帯を横断する2つの地域にそれぞれ3か所のサンプリング地点を設定して、細菌23種と菌類8種の試料を採集した。この超乾燥コア地帯は、極度の乾燥気候に加えて、高塩分/高酸化土壌が存在し、紫外線量が極めて多いことが知られている。この2つの地域の両方で採集されたのはわずか3種で、アタカマ砂漠では、地域ごとに異なる大気浮遊微生物の生態系が存在していることが示唆された。採集された試料から特定された細菌と菌類には、最初は水生環境中の細菌として論文報告されたOceanobacillus oncorhynchiと、植物から単離されたBacillus simplexが含まれていた。こうした観察結果は、これらの微生物が太平洋とアタカマ砂漠の海岸山脈から超乾燥コア地帯に到達した可能性を示している。

 Azua-Bustosたちは、午前中に採集された微生物細胞が近隣地域から到来した傾向があるのに対し、午後になると、遠隔地から海洋エアロゾルと塵粒子に付着した微生物が風に運ばれてきたことを発見した。この新知見は、地球上で最も乾燥し、紫外線量の多い砂漠を微生物が効率的に移動できることを示唆している。また、火星に存在している可能性のある微生物も同じような方法で、その分布を拡大させている可能性があるとAzua-Bustosたちは推論している。



参考文献:
Azua-Bustos A. et al.(2019): Aeolian transport of viable microbial life across the Atacama Desert, Chile: Implications for Mars. Scientific Reports, 9, 11024.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-47394-z

天皇のY染色体ハプログループ

 天皇というか皇族のY染色体ハプログループ(YHg)について、D1bとの情報がネットで出回っており、確定したかのように喧伝されているので、以前から一度調べてみるつもりだったのですが、さほど優先順位が高いわけでもないので、後回しにしていました。今回、少し調べてみたのですが、査読誌に掲載された論文や、信頼できる研究機関の報告では見つけることができませんでした。もちろん、そうしたものが存在する可能性はあるわけですが、私の現在の見識と気力ではこれ以上検索しても徒労に終わるだろうと判断して、打ち切りました。

 とりあえず、元ネタになりそうな有名人のYHgというサイトを見つけたのですが、そこでは、日本語ブログが典拠とされていました。その日本語ブログはもう閉鎖されているので、インターネットアーカイブで該当記事を検索すると、「皇室は、第113代 東山天皇の男系子孫 複数名から採取された口腔内粘膜の解析により、縄文人のD1b(D-M64.1)に属するD1b1a2の系統と言われ」とありました。「東山天皇の男系子孫 複数名から採取された口腔内粘膜の解析」にはリンクが貼られているのですが、インターネットアーカイブで検索しても見つかりませんでした。

 また、2016年5月8日時点での情報ですが、『天皇家のハプログループについて「第113代 東山天皇の男系子孫 複数名から採取された口腔内粘膜の解析」とあるにもかかわらずリンク先には全くデータは示されていない』とあります。したがって、東山天皇の男系子孫がYHg-D1b1a2とは確定できないでしょう。もちろん、そうである可能性もじゅうぶんあるとは思うので、否定もできませんが。上記サイトによると、別人の皇族子孫が検査したところ、YHg- D1b1a2b1a1だったそうで、「東山天皇の男系子孫 複数名」の事例と整合的ですが、典拠は明示されていません。

 けっきょくのところ、皇族がYHg-D1bとの情報に確たる信頼性を認めるのは難しいように思います。ただ、上述のように、その可能性は一定以上あると思います。仮に東山天皇の男系子孫がYHg-D1b1a2だとすると、同じく東山天皇の男系子孫である現在の皇族(もちろん、男性限定ですが)もYHg-D1b1a2だろう、と推定するのは合理的です。問題となるのは、「間違い」が起きていた場合です。たとえば、エドワード3世に始まる男系では、どこかで系図とは異なる父親が存在した、と明らかになっています。これは海外の事例ですが、日本でも、同様の可能性が起きていた可能性は否定できません(関連記事)。ただ、その可能性はさほど高いとも思えないので、今回は考慮しません。

 YHg-D1bは「縄文人」由来と推定されており、最近の研究でもその推定が改めて支持されています(関連記事)。したがって、皇族は縄文時代以来日本列島で継続している父系だ、と考えるのは妥当なところです。その意味で、皇族は「縄文系」と言っても、少なくとも大間違いとは言えないと思います。「縄文人」の現代日本人への遺伝的影響は、アイヌ集団では66%、「(本州・四国・九州を中心とする)本土」集団では9~15%、琉球集団では27%と推定されています(関連記事)。これは北海道の「縄文人」の高品質なゲノムデータに基づいているので、西日本の「縄文人」のゲノムデータが得られて比較されると、「本土」集団における「縄文人」の遺伝的影響はもっと高くなるかもしれません。

 ただ、「本土」集団のYHg-D1bの割合は35.34%なので(関連記事)、父系において不自然に「縄文人」の影響が高いようにも思われます。しかし、皇族がYHg-D1bだとすると、皇族の男系子孫は武士になって日本各地に定着していき、養子も珍しくなかったとはいえ、原則として父系継承だったので、「本土」集団のゲノムでは弥生時代以降にアジア東部から日本列島へ到来した集団の影響が強くても、父系では「縄文人」の影響が強く残ったというか、中世以降に影響を高めて現代のような比率になった、と想定しやすくなります。その意味でも、皇族が父系では「縄文系」だった可能性はじゅうぶんある、と言えるでしょう。

 ただ、ここで問題となるのは、皇族がYHg-D1b1a2あるいはそのサブグループD1b1a2b1a1だとして、「縄文系」と断定できるのか、ということです。現時点では、「縄文人」のYHgはD1b2しか確認されておらず(関連記事)、現代日本人で多数派のYHg-D1b1の祖先とはなりません。もっとも、まだ東日本の「縄文人」しか解析されていないので、西日本の「縄文人」の中にはYHg-D1b1も一定以上の割合でいるかもしれませんし、東日本の「縄文人」でも今後YHg-D1b1が確認されるかもしれません。しかし、現時点で「縄文人」においてはYHg-D1b1が確認されていない、という事実は無視できないと思います。YHg-D1b1が弥生時代以降にアジア東部から到来した集団に由来する可能性も現時点では一定以上ある、と私は考えています(関連記事)。その意味で、仮に皇族がYHg-D1b1a2だったとして、父系では「縄文系」と断定するのは時期尚早だと思います。

平等と協力の関係

 平等と協力の関係に関する研究(Hauser et al., 2019)が公表されました。直接互恵性は、反復的な相互作用に基づく協力の進化における効果的な機構です。直接互恵性には、相互作用する個人同士が十分に平等で、協力または裏切りによって各人が同等の結果に直面することが必要とされます。公共財ゲームのような互恵性モデルの大多数ではこれまで、参加者があらゆる面で同様だと仮定されています。しかし、現実の人間集団では、初期保有額(最初に与えられる富の量)および生産性(自らが生み出す富の量)が異なっているように、至る所に不平等が見られ、それが協力および福利を損なっている、と一般には考えられています。

 この研究は、こうしたモデルに修正を加えて、不平等な個人間の直接互恵性を研究するための一般的な枠組みを紹介しています。そのモデルは、不平等の複数の原因を考慮に入れており、初期保有額と生産性および公共財から得られる利得が異なる対象を扱えます。参加者が最初にいくらの金銭を所有しているか、参加者が他者のためにどれほどの利益を生み出せるか、参加者が公共財からどれだけの利益を得られるか、などといったことを考慮に入れたわけです。

 その結果、極端な不平等があれば協力は妨げられるものの、もし参加者の生産性に個人差があり、生産性の高い参加者の方が多額の金銭を得られるようにすれば、協力が生まれる、と見いだされました。この知見は、人間が参加したオンライン行動実験(2人で行なうゲーム)によって裏づけられました。不均一性の原因がうまく調整されていれば、全体の福利が最大限になる、というわけです。対照的に、初期保有額と生産性がうまく調整されていないと、協力は急速に瓦解します。また、全ての参加者が平等な場合には協力が起きない傾向にある、ということも明らかになりました。この研究は、協力を最大化するために必要なのは、異なるタイプの富の不平等の間の微妙なバランスを取ること、たとえば、社会財の生産性の高い者が多額の金銭を得られるようにすることである、との見解を提示しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


【社会学】平等は協力の必須条件でないかもしれない

 中程度の富の不平等は、グループ内での協力を生み出す可能性があることが、理論モデルと行動実験の分析によって示唆された。極端な不平等は協力を妨げるが、もし社会的生産性に個人差があるのであれば、協力を優勢にするためには行為者が受け取る金額に多少の不平等を生じさせることが必要な場合があるというのだ。この研究結果を報告する論文が、今週掲載される。

 社会的ジレンマの状況においては、全体の福祉は、全ての個人が協力すれば最大となり、これは個人が繰り返し交流する場合にそうなりやすい。この直接互恵性のコンセプトのモデルの大部分は、協力する意思の有無以外の点で、参加者に差がないことを前提としている。しかし、実生活では、どれだけの資源を受け取れるのか、どれだけ効率的に社会財を生産できるかなどの点で個人差がある。

 今回、Martin Nowakたちの研究グループは、こうしたモデルに修正を加えて、個人間の不平等のさまざまな原因(例えば、参加者が最初にいくらの金銭を所有しているか、参加者が他者のためにどれほどの利益を生み出せるか、参加者が公共財からどれだけの利益を得られるか)を考慮に入れたモデルを設計した。その結果、極端な不平等があれば協力は妨げられるが、もし参加者の生産性に個人差があり、生産性の高い参加者の方が多額の金銭を得られるようにすれば、協力が生まれることが見いだされた。この研究知見は、人間が参加したオンライン行動実験(2人で行うゲーム)によって裏付けられた。

 Nowakたちは、協力を最大化するためには、異なるタイプの富の不平等の間の微妙なバランスを取ること、例えば、社会財の生産性の高い者が多額の金銭を得られるようにすることが必要だと結論している。


社会科学:不平等な人々の間の社会的ジレンマ

社会科学:富のわずかな不平等が役に立つ理由

 公共財ゲームの大多数は、協力あるいは裏切りの傾向を除いて、参加者があらゆる面で同様だと仮定している。しかし、現実では、参加者は初期保有額(最初に与えられる富の量)および生産性(自らが生み出す富の量)が異なっている。M Nowakたちは今回、こうした不平等をモデル化して何が起こるかを調べ、実際の人々を参加させるオンライン実験でそのモデルを検証した。協力は、全ての参加者が平等な場合には起こらない傾向があった。また、参加者が極端に不平等な場合にも、協力が瓦解する傾向があった。全体として、福利に必要なのは、生産性と初期保有額の傾向がそろうといった、わずかな不平等だった。つまり、生産性の高い個人はより多くの報酬を受け取ることが必要なのである。対照的に、初期保有額と生産性がうまく調整されていないと、協力は急速に瓦解する。



参考文献:
Hauser OP. et al.(2019): Social dilemmas among unequals. Nature, 572, 7770, 524–527.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1488-5

森林火災の増加による北方林からの炭素放出

 森林火災の増加による北方林からの炭素放出に関する研究(Walker et al., 2019)が公表されました。北方林で自然発生する火災は、おもに有機土壌の燃焼を通して大気中へ大量の炭素を放出します。しかし、これらの火災では毎回、燃えた層の下の土壌の一部の土壌が燃焼を免れ、その後の度重なる火災を経て、土壌に閉じ込められた有機土壌炭素(レガシー炭素)の蓄積を形成します。レガシー炭素の蓄積に助けられ、こうした森林は正味の炭素シンクとなり、陸域炭素の約30~40%を保持しています。しかし、気候の温暖化と乾燥化によって、森林火災がより激しくより頻繁になっているため、北方生態系の炭素収支が正味の蓄積から正味の損失へ変わり、正の気候フィードバックをもたらす恐れがあります。

 この研究は、カナダのノースウェスト準州の乾燥した若い森林(林齢60年未満)で2014年に起きた森林火災後の、レガシー炭素の損失を定量的に評価しました。その結果、カナダ北西部の北方林の過去の森林火災発生間隔より古い森林では、レガシー炭素が燃焼した証拠は見いだされませんでした。乾燥地域にある火災発生時に林齢60年未満の森林では、以前の火災サイクルで燃焼を免れたレガシー炭素が燃焼していました。この研究は、2014年の森林火災で燃えた34万haの若い森林(林齢60年未満)で、レガシー炭素の燃焼が生じていた可能性を指摘しています。これは、連続的な森林火災において炭素循環が変化し、北方林が大気に対する正味の炭素シンクではなく正味の炭素源になっていることを示唆しています。レガシー炭素の燃焼が起こる若い森林の面積はおそらく、北方の森林火災の規模・頻度・強度が増大するにつれて増大し、北方の炭素収支の変化に重要な役割を担うことになります以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


生物地球化学:森林火災の増加によって脅かされる北方林の土壌の古い炭素シンク

Cover Story:火急の課題:森林火災の増大は北方林を炭素シンクから放出源に変える恐れがある

 表紙は、カナダのアルバータ州で2016年に起こった森林火災の様子である。北方林で自然発生する火災は、主に有機土壌の燃焼を通して大気中へ大量の炭素を放出する。しかし、これらの火災では毎回一部の土壌が燃焼を免れ、その後の度重なる火災を経て、土壌に閉じ込められた「レガシー炭素」の蓄積を形成する。レガシー炭素の蓄積に助けられてこうした森林は正味の炭素シンクとなり、陸域炭素の約30~40%を保持している。今回X WalkerとM Mackたちは、カナダのノースウェスト準州の乾燥した若い森林(林齢60年未満)で森林火災後に起こった、レガシー炭素の損失を明らかにしている。著者たちの知見は、北方林の森林火災の規模、頻度、強度が増大するのに伴って、連続的な火災の間に若い森林が正味の炭素放出源になり、北方の炭素収支がシンクからソースに変わる可能性があることを示唆している。



参考文献:
Walker XJ. et al.(2019): Increasing wildfires threaten historic carbon sink of boreal forest soils. Nature, 572, 7770, 520–523.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1474-y

ヒマラヤ山脈の人類遺骸のゲノム解析(追記有)

 ヒマラヤ山脈のインド側の人類遺骸のゲノム解析結果を報告した研究(Harney et al., 2019)が報道されました。この記事の年代はすべて紀元後です。直径40mほどのループクンド湖(Roopkund)はヒマラヤ山脈のインド側に位置し、海抜は5029mです。ループクンド湖は、湖岸に数百もの人類遺骸が散乱しているため、「スケルトン・レイク」とも呼ばれています。これらの人類遺骸の起源について、これまでほとんど知られていませんでした。地元の民間伝承では、近くの寺院への巡礼にさいして、王と女王と多くの随行者が祝いの席で不適切な振る舞いをしたために、神の怒りに触れて死んでしまった、とされます。また、嵐に巻き込まれた隊商もしくは軍隊、さらには伝染病の犠牲者との説も提示されています。本論文は、ループクンド湖の人類遺骸のDNAと安定同位体を解析し、放射性炭素年代測定法により年代を提示します。

 ループクンド湖の人類遺骸のうち、38人でゲノム規模データが得られました。標的領域での網羅率は平均0.51倍(最大は1.547倍)です。また、71人のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)も決定されました。Y染色体DNAハプログループ(YHg)も決定されています。骨格分析からは、治癒しなかった骨折のある個体も3人ほど見られたものの、ループクンド湖の人類遺骸はおおむね健康な個体だった、と推測されています。また骨格分析からは、アジア南部集団ほぼ全員の範囲外となる、たいへん頑丈で高身長の個体群と、より華奢な個体群が確認され、異なる2集団の存在が示唆されています。ゲノム規模データの得られた38人中、遺伝的には男性は23人、女性は15人で、形態学的分析と一致します。男女の比率がさほど変わらないので、軍隊説は整合的ではない、と本論文は指摘します。この38人では、3親等以内の近親関係は検出されませんでした。また、細菌性病原体に感染している証拠も見つかりませんでしたが、検出するには低すぎる濃度だったかもしれない、と本論文は注意を喚起しています。

 ゲノム規模データが得られた38人は、遺伝的に明確に3区分(A・B・C)されます。A(23人)は、ほぼアジア南部現代人集団の変異内に収まります。しかし、密集したクラスタに分類されるわけではなく、アジア南部集団内の多様な集団に起源があることを示唆します。B(14人)はユーラシア西部現代人集団と近縁で、その中でもギリシア本土集団およびクレタ島集団にとくに近い、と示されました。Cは1人のみで、アジア南東部現代人集団との近縁性が示されます。Bは遺伝的には、現代人集団ではクレタ島集団との単系統群(クレード)を形成します。これは、Bの起源地がクレタ島であることを確証するわけではありませんが、Bとクレタ島現代人集団とが比較的最近まで祖先を共有していた、と示します。Aに関しては、クレードを形成する現代人集団は見つからず、アジア南部集団内の(社会経済的にも)多様な集団に起源がある、と改めて示唆されます。Cに関しても、クレードを形成する現代人集団は見つかりませんでしたが、マレー系82%およびベトナム系18%とモデル化でき、アジア南東部起源を示します。A・B・Cいずれも、ループクンド湖近隣の現代人集団との遺伝的近縁性は見つかりませんでした。遺伝的にアジア南部現代人集団の変異内に収まるAでは、ユーラシア西部関連系統に関して性差が見られ、男性の方がやや低くなっています。これは、アジア南部における人類集団の混合のさいの性差を反映している、と考えられます。

 加速器質量分析法(AMS法)による放射性炭素年代測定の結果は興味深いものです。Aでは最古の年代値が675年、最新の年代値が985年で、最古級の個体は675~769年(以下、95%の信頼性)、最新級の個体は894~985年となります。Bでは最古の年代値が1653年、最新の年代値が1945年で、最古級の個体は1668~1945年(以下、95%の信頼性)、最新級の個体は1706~1915年となります。Cは1653年以降と推定されています。つまり、7~10世紀のAと、17~20世紀のBおよびCとの間には1000年近い年代差があり、明確に分かれるわけで、ループクンド湖の人類遺骸が、少なくとも2回の事象により堆積したことを示します。これは、ループクンド湖の人類遺骸を1回の事象によるものとする以前の見解の比定となります。さらに、Aは年代の重ならない個体もあることから、同時に死亡したわけではない可能性が高そうです。一方、BおよびCは、全個体の年代の重複期間があるので、同時に死亡した可能性も想定されます。

 45人(このうち37人でゲノム規模データが得られています)の大腿骨のコラーゲンの安定同位体(炭素13および窒素15)も分析されました。大腿骨のコラーゲンは死亡前10~20年の食事により決まるので、遺伝的系統とは必ずしも相関しません。しかし、AとBおよびCの間では明確な違いが見られました。Bは小麦・大麦・米などのC3植物(なおかつ、もしくはC3植物を食べた動物)を消費していた、と明らかになりました。雑穀はほとんど消費していなかっただろう、というわけです。対照的に、AはC4植物の雑穀も消費していた、と示されました。

 本論文は複数の証拠から、Aの少なくとも一部の起源は説明できる、と主張します。ループクンド湖は主要な交易経路に位置していませんが、現在の巡礼経路に位置しています。巡礼の儀式に関する信頼できる記述は19世紀後半以降となりますが、近隣の8~10世紀の寺院の碑文は、巡礼がもっと古くから存在したことを示唆します。巡礼中に大勢が死亡したという仮説について、Aの少なくとも一部に関してはもっともらしい、と本論文は評価しています。Bについて本論文は、アレクサンドロス大王の征服活動以降のギリシア系に由来するとの仮説は、アジア南部集団との混合を想定するとありそうになく、孤立した集団だとしたら遺伝的多様性はもっと低いだろう、と指摘します。そのため本論文は、Bをオスマン帝国期の地中海東部集団と推測しています。安定同位体分析から、この集団は陸棲生物をおもに食べており、内陸部に住んでいた、と推測されます。この集団が巡礼に参加したのか、他の理由でループクンド湖に赴いたのか、不明です。ただ、ヒンズー教が浸透していなかった地中海東部起源の集団が巡礼を行なったとすると、その理由は不明です。一方、アジア南東部起源のCにとって、ヒンズー教的な巡礼の可能性はあり得そうだ、と本論文は指摘します。本論文はひじょうに興味深い結果を提示しています。とくにBについては、不明な点が多々残されており、今後の研究の進展が期待されます。本論文の見解は、学術的観点からだけではなく、SFや伝奇ものといった創作にも使えそうという点でも注目されます。たとえば、シグマフォースシリーズ(関連記事)でそのうちループクンド湖が取り上げられるかもしれません。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【考古学】「骨の湖」の謎解きに新たな手掛かり

 インドのループクンド湖(俗に「スケルトン・レイク」と呼ばれている)から採集された人骨(38人分)について、年代測定が行われて紀元800~1800年のものとされ、抽出されたDNAの解析によって祖先の異なる3つのグループに分類された。これらの人骨は、約1000年を隔てた複数の事象によって堆積したものであり、そのうちの1つのグループは、年代測定で紀元1800年頃のものとされ、東地中海地方に特有の祖先を有する14人が含まれている。この研究結果を報告する論文が、今週掲載される。

 ループクンド湖は、ヒマラヤ山脈の海抜5000メートルを超える地点に位置する小水域で、その湖畔には数百体の骨格遺物が散乱している。これらの骨格遺物の起源を説明するためにいくつかの仮説が提唱されたが、この遺跡の性質のために、これらの遺骨の由来を判定することが難しかった。

 今回、David Reich、Niraj Raiたちの研究グループは、ループクンド湖で発見された人骨(38人分)のDNA解析を行い、放射性炭素年代測定を行った。その結果、別々の時期にループクンド湖に到達した3つの遺伝的に異なるグループが同定された。そのうちの1つには、南アジア出身の23人が含まれており、人骨の年代は紀元前800年頃と決定され、2回以上の事象によって堆積したことを示す証拠が得られた。この他に、東地中海地方出身の14人と東アジア出身の1人については、いずれも紀元約1800年頃と年代決定された。今回の研究で得られた知見は、すべての人骨が1回の天変地異事象によって堆積したとするこれまでの学説に対する反論となっている。地中海地方からの移住者がいたという謎を解くには、記録文書の研究をさらに進める必要がある。



参考文献:
Harney É. et al.(2019): Ancient DNA from the skeletons of Roopkund Lake reveals Mediterranean migrants in India. Nature Communications, 10, 3670.
https://doi.org/10.1038/s41467-019-11357-9


追記(2019年8月27日)
 ナショナルジオグラフィックでも報道されました。

腸内の細菌断片中和による自己免疫の改善

 腸内の細菌断片中和による自己免疫の改善に関する研究(Huang et al., 2019)が公表されました。細菌は強力な免疫系活性化因子です。以前の研究では、ヒトの微生物相(ヒトの体内や体表に正常に生息している細菌)と自己免疫疾患の発症に関係がある、と示唆されています。また、微生物相から細胞壁の断片が血液中に放出される可能性があることや、そうした細胞壁が動物の自己免疫疾患を悪化させる場合があることも明らかにされています。

 この研究は、ペプチドグリカンサブユニットと呼ばれる細胞壁断片が免疫系を活性化し、自己免疫性関節炎を悪化させる、とマウスで明らかにしました。次にこの研究は、こうした断片を特異的に中和する抗体を開発し、この抗体をマウスに投与すると、いくつかの自己免疫疾患の程度が軽減したり、発症が減ったりすることを示しました。この研究は、自己免疫疾患に対する新しい治療の道が開ける可能性を提示しました。望ましくない副作用の可能性がある免疫抑制剤を使う代わりに、細菌性の免疫シグナルを除去する抗体を投与するという方法です。ただ、この中和治療が安全で、ヒトの自己免疫疾患患者にも有効かを判断するには、さらに研究を進める必要がある、とも指摘されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


腸内の細菌断片を中和すると自己免疫が改善する

 細菌細胞壁の特定の断片を中和する抗体が、マウスで数種類の自己免疫疾患の程度を軽減することを報告する論文が、今週掲載される。この中和治療が安全で、ヒトの自己免疫疾患患者にも有効かを判断するには、さらに研究を進める必要がある。

 細菌は、強力な免疫系活性化因子である。以前に行われた研究では、ヒトの微生物相(ヒトの体内や体表に正常に生息している細菌)と自己免疫疾患の発症に関係があることが示唆されている。また、微生物相から細胞壁の断片が血液中に放出される可能性があることや、そうした細胞壁が動物の自己免疫疾患を悪化させる場合があることも明らかにされている。

 今回Yue Wangたちは、ペプチドグリカンサブユニットと呼ばれる細胞壁断片が免疫系を活性化し、自己免疫性関節炎を悪化させることをマウスで明らかにした。次に、Wangたちはこの断片を特異的に中和する抗体を開発し、この抗体をマウスに投与するといくつかの自己免疫疾患の程度が軽減したり、発症が減ったりすることを示した。

 この研究によって、自己免疫疾患に対する新しい治療の道が開ける可能性がある。望ましくない副作用の可能性がある免疫抑制剤を使う代わりに、細菌性の免疫シグナルを除去する抗体を投与するという方法である。



参考文献:
Huang Z. et al.(2019): Antibody neutralization of microbiota-derived circulating peptidoglycan dampens inflammation and ameliorates autoimmunity. Nature Microbiology, 4, 5, 766–773.
http://dx.doi.org/10.1038/s41564-019-0381-1

『卑弥呼』第23話「膠着」

 『ビッグコミックオリジナル』2019年9月5日号掲載分の感想です。前回は、山社(ヤマト)の楼観の上に、眩しい光を背景にヤノハが現れる場面で終了しました。今回は、暈(クマ)の国にある「日の巫女」集団の学舎である種智院(シュチイン)の祈祷部(イノリベ)の長であるヒルメが、閉じ込められていた穴蔵より外へ出るよう命じられる場面から始まります。ヒルメは取り乱した様子で、自分をどうするつもりだ、と取り囲んだ者たちに問い詰めます。ウサメが新たな種智院の長になった、と聞かされたヒルメは、これが謀反とは思わないのか、と自分を取り囲んだ者たちに訴えますが、全員ヒルメに冷ややかな視線を向け、種智院から去るよう、ヒルメに伝えます。

 そこへ種智院の戦部(イクサベ)の師長であるククリが、石槌を持って配下の者たちと共に現れます。ククリはヒルメに、天照様に背いた祈祷女(イノリメ)には、掟に従って四肢を砕く罰が下される、と告げます。恐怖のあまり取り乱すヒルメに、ククリは冷静に石槌を振り下ろします。ククリはヒルメの四肢を砕き、この近くには狼や野犬が多いので、自分ならまず火を起こす 、と言ってヒルメを置き去りにします。手足の動かないヒルメは、どうやって火を起こすのか、と自嘲します。狼の鳴き声が聴こえてきて、ヒルメは死を覚悟し、モモソ待っていてくれ、と呟きます。狼が10匹ほどヒルメに近づいてきますが、それを人間が率いていました。

 山社(ヤマト)では、暈軍が目前まで迫っていながら、も3日も攻めずに対陣を続けていました。タケル王はテヅチ将軍に、なぜ攻め込まないのか、と不満げに尋ねます。聖地の山社を血で汚せば、天照様の怒りを買い、この世は永久に暗黒に包まれる、とテヅチ将軍は答えます。辛抱強く待つよう、進言するテヅチ将軍にタケル王は不満ですが、敵の食糧はいずれ尽きるので、その時に山社軍が出てくれば我が軍の勝利は確実だ、とテヅチ将軍はタケル王を説得します。その夜、山社の暈軍の陣営に伝令が到着し、那軍が大河(筑後川と思われます)を渡って攻め寄せてきてオシクマ将軍は戦死し、暈軍はほぼ全滅した、とヌカデテヅチ将軍に伝えます。トメ将軍が鞠智(ククチ)の里ではなく山社に向かっており、1日も経てば我々の背後に到達する、と伝令から報告を受けたテヅチ将軍は愕然とします。

 暈軍が攻め込んでこないのは、聖地を血で汚せば天照様に祟られると信じているからだ、とクラトが言うと、別の理由もある、とミマアキは言います。暈軍は山社に到着した日、日見子(ヤノハ)様の神々しい姿を見て、自分たちが担ぐ日見彦(タケル王)様が本物なのか、疑問に思っただろう、というわけです。日見子を名乗ったヤノハは、暈軍は山社に到着して以降ずっと、楼観に籠って誰とも会っていませんでした。そこへアカメが報告に戻って来ます。アカメがヤノハの指示により噂を流したことで、裏切る気のなかったミマト将軍は本当に謀反人となりました。那のトメ将軍についてヤノハに訊かれたアカメは、ヤノハが見込んだ通り、勇猛果敢で公明正大だ、と答えます。トメ将軍は王になってもよい男か、とヤノハに問われたアカメは、王になれる男だが、その気はまったくないようだ、と答えます。那軍が2日ほどで山社に到着する、とアカメから報告を受けたヤノハは、明後日にもこの戦いは終わる、ヌカデの手柄だ、と言います。ヤノハはアカメに、那に戻ってトメ将軍に関する噂を流すよう、指示を与えます。それは、トメ将軍は暈軍を蹴散らした後、急遽那に引き返し、王を殺して自ら王座に就く、というものでした。トメ将軍は王になる野心を持たない正真正銘の武人で、新生の「山社国」の力になろうとしているのに陥れるのか、と言ってアカメは反対します。それに対してヤノハが落ち着いた様子で、面白いだろう、と不敵な笑みを浮かべるところで、今回は終了です。


 前回、ヌカデがトメ将軍に迫った約束について具体的には描かれなかったのですが、鞠智の里や鹿屋に攻め込むのではなく、山社に向かってヤノハを暈軍から救う、ということだったようです。トメ将軍はヌカデに、暈軍の兵が数日間河岸からいなくなる、という日見子(ヤノハ)の予言が実現すれば、自分も日見子を支持する、と約束していましたが(第19話)、具体的な行動は明示されていませんでした。そのトメ将軍を陥れるような噂を流すよう、ヤノハがアカメに指示した意図はよく分かりませんが、トメ将軍に那国を見限らせ、これからヤノハが建てようとしている「山社国」に迎え入れるための謀略なのかもしれません。ここまではヤノハの思惑通り進んでいる感もありますが、鞠智彦と暈最強の権力者とされるイサオ王がどう動くのか、ヤノハ視点では不気味なところです。

 今回、もう一つ注目されるのは、四肢を砕かれたヒルメの前に現れた10匹ばかりの狼を率いていた人物です。この人物は顔もはっきりと描かれておらず、正体不明なのですが、その髪型から推測すると、ヤノハの弟のチカラオだと思います。チカラオは集落を賊に襲われた時に死んだ、とヤノハは考えていますが、生きていてヤノハの前に現れるのではないか、と予想しています。おそらく、『三国志』にあるように、卑弥呼(日見子)となったヤノハを支える「男弟」となるのでしょう。チカラオがどのような人物なのか、どうやって生き延びてきたのか、ということも注目されます。まあ、チカラオがまだ存命とは確定していませんが。

クサウオの形態とゲノム

 クサウオの形態とゲノムに関する研究(Wang et al., 2019)が公表されました。海面下6000~11000mは、海洋の深度区分で最も深い領域です。超深海と呼ばれるこの領域は、高い静水圧・暗黒・低温・低酸素濃度・食物資源の欠乏により、地球上で有数の過酷な場所です。しかし超深海では、クサウオ類など数百種の生物が見つかっています。クサウオ類は超深海の食物網の頂点捕食者で、超深海の魚類動物相を支配しています。

 この研究は、マリアナ海溝の水深約7000メートルのいくつかの地点で、複数のクサウオを捕獲しました。超深海のクサウオは、潮間帯凹地に生息する近縁種とは異なり、透明な皮膚・大きな胃・細い筋肉・わずかに骨化した骨格・不完全に閉じた頭蓋など、深海に対する複数の適応を示しています。この研究は、組織の石灰化と骨格の発達を調節するオステオカルシンの遺伝子が、超深海のクサウオでは短くなっていることを明らかにしました。これは、クサウオの独特の頭蓋と柔軟な骨格に寄与している可能性がありまます。

 暗黒環境での生活に伴って、超深海のクサウオは複数の光受容体遺伝子を失い、明所での視覚が低下していました。またこの研究は、細胞膜の流動性を高めるさまざまな遺伝子のコピーを複数見いだしており、これらは超深海の極端な高圧下で細胞が機能するのを助けている、と推測しています。超深海のクサウオのゲノムが明らかになったことは、深海の極限環境に対する生物種の適応を解明するのに役立つ可能性がある、と指摘されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


クサウオは暗い深海でどのように生存しているのか

 クサウオの形態、体の構造、および高品質ゲノムについて報告する論文が、今週掲載される。この研究は、クサウオがマリアナ海溝の深くて暗い高圧条件下で生存することを可能にした適応を明らかにしている。

 海面下6000~1万1000メートルは、海洋の深度区分で最も深い領域である。超深海と呼ばれるこの領域は、高い静水圧、暗黒、低温、低酸素濃度、および食物資源の欠乏により、地球上で有数の過酷な場所である。にもかかわらず、超深海では、クサウオ類など数百種の生物が見つかっている。クサウオ類は超深海の食物網の頂点捕食者であり、超深海の魚類動物相を支配している。

 今回Wen Wangたちは、マリアナ海溝の水深約7000メートルのいくつかの地点で、複数のクサウオを捕獲した。超深海のクサウオは、潮間帯凹地に生息する近縁種とは異なり、透明な皮膚、大きな胃、細い筋肉、わずかに骨化した骨格、不完全に閉じた頭蓋など、深海に対する複数の適応を示している。

 Wangたちは、組織の石灰化と骨格の発達を調節するオステオカルシンの遺伝子が、超深海のクサウオでは短くなっていることを明らかにした。このことは、クサウオの独特の頭蓋と柔軟な骨格に寄与している可能性がある。暗黒環境での生活に伴って、超深海のクサウオは複数の光受容体遺伝子を失い、明所での視覚が低下していた。またWangたちは、細胞膜の流動性を高めるさまざまな遺伝子のコピーを複数見いだしており、これらが超深海の極端な高圧下で細胞が機能するのを助けていると考えている。

 今回、超深海のクサウオのゲノムが明らかになったことは、深海の極限環境に対する生物種の適応を解明するのに役立つ可能性があると、Wangたちは結んでいる。



参考文献:
Wang K. et al.(2019): Morphology and genome of a snailfish from the Mariana Trench provide insights into deep-sea adaptationowth. Nature Ecology & Evolution, 3, 5, 823–833.
https://doi.org/10.1038/s41559-019-0864-8

近年における過去100万年の人類進化史研究の進展

 近年における過去100万年の人類進化史研究の進展を概観した研究(Galway‐Witham et al., 2019)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。本論文は最近15年ほどの研究の進展を対象としており、広範な分野の研究の進展を簡潔に紹介するとともに、現時点での問題点を整理し、今後の展望も示しており、たいへん有益な人類進化史概説にもなっていると思います。近年の人類進化研究を把握するうえで、当分は必読の文献となるでしょう。以下、本論文の簡単な紹介です。


●21世紀初頭の時点での人類進化史理解

 21世紀初頭の現生人類(Homo sapiens)アフリカ単一起源説では、過去50万年間の人類進化は比較的単純でした。古代型のハイデルベルク人(Homo heidelbergensis)が広範に拡散し、化石記録から消える前の40万年前頃に2系統に分岐した、と想定されていました。「古代型」とは、現生人類ではないホモ属のほぼすべての構成員を指し、長くて低い頭蓋や強くて連続的な眉弓が形態的特徴です。これは、現生人類の球状の頭蓋や弱い眼窩上隆起や頤や狭い骨盤とは対照的です。

 ハイデルベルク人の子孫は、ユーラシア西部ではネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)、アフリカでは現生人類へとじょじょに進化しました。その2系統のうち最古の人類遺骸は、ネアンデルタール人系統では40万年前頃となるイギリスのスウォンズクーム(Swanscombe)頭蓋、現生人類系統では13万年以上前となるオモ・キビシュ1(Omo Kibish 1)遺骸(オモ1号)です。ネアンデルタール人系統は寒冷気候に、現生人類系統は熱帯気候に適応した、と考えられます。現代人の遺伝データからは、現生人類がアフリカからユーラシアへと55000年前頃に拡散して、45000年前頃にオーストラリアへ到達し、3万年前頃までにユーラシアのネアンデルタール人は現生人類と最低限交雑したか、もしくはまったく交雑せずに、現生人類に置換されました。

 中国では、陝西省渭南市の大茘(Dali)遺跡や広東省韶関市の馬壩(Maba)遺跡で古代型ホモ属化石が報告されており、ジャワ島では現生人類が拡散してきた45000年前頃まで、エレクトス(Homo erectus)が存在していました。アジアとオセアニアの分布境界線であるウォレス線を越えて東進できたのは、外洋航海が可能だった現生人類だけでした。ヨーロッパでは、「現代的」行動が現生人類の到達した4万年前頃に突然出現した、と考えられていました。「現代的」行動は認知能力の進化に伴い一括して出現した、と想定されていました。

 こうした認識は、この15年ほどの研究の進展により大きく変わらざるを得ませんでした。予想外の人類遺骸が相次いで発見されるとともに、「現代的」行動はアフリカで想定よりもずっと古くからじょじょに出現してきた、という証拠が蓄積されてきました。以下、本論文はこの15年ほどの研究の進展を整理します。


●気候変動

 100万~70万年前頃には気候変動が激しく、94万~87万年前頃には、アフリカ北部とヨーロッパ東部で乾燥化が進展しました。これにより、人類も含むアフリカ起源の大型哺乳類がヨーロッパ南部へと拡散した、との見解も提示されています。人類にとって比較的好条件の環境期間も60万~10万年前頃の間で特定されており、それが人類の出アフリカを可能としたかもしれません。更新世の前期から中期への移行は、一般的には78万年前頃とされますが、大まかには922000~640000年前頃の移行期により分離されます。

 概して、穏やかな間氷期には人類の居住範囲は拡大したようです。こうした人類の居住可能範囲が変動するなかで、更新世においてアジア南西部の気候は一貫して、人類の居住に適している可能性が指摘されています。26500~20000年前頃となる最終氷期極大期(LGM)に近づくにつれて、平均乾燥度は増加し、タール砂漠のような地域は断続的に居住に適さなくなりました。一方、気候変動にともない、サハラ砂漠やアラビア砂漠のような居住に適さない地域も、海洋酸素同位体ステージ(MIS)5となる130000~118000年前頃、106000~94000年前頃、89000~73000年前頃や、MIS3となる59000~47000年前頃には、モンスーン活動の増加により植物が繁茂したこともありました。また、軌道も千年単位での急激な気候変動の要因となり、人類の移動に大きな影響を及ぼしたかもしれません。


●混乱が続く中期更新世における人類進化の理解

 78万~13万年前頃の中期更新世における人類進化についての理解は、多くの人類遺骸の発見と古代DNA研究の進展にも関わらず、混乱したままです。その焦点の一つは、ハイデルベルク人の評価です。上述のように、ハイデルベルク人はアフリカとユーラシアの広範な地域に拡散し、ヨーロッパのネアンデルタール人とアフリカの現生人類の祖先だった、との見解が以前は主流でした。一方、ハイデルベルク人の正基準標本とされているドイツのマウエル(Mauer)で発見された下顎骨はネアンデルタール人と現生人類の共通祖先と想定するにはあまりにも特殊化しているとか、ハイデルベルゲンシスは形態学的に多様性が大きく一つの種に収まらないほどの変異幅があるとかいった見解も提示されるようになりました(関連記事)。

 そのため、ザンビアのブロークンヒル(Broken Hill)で発見された頭蓋をローデシア人(Homo rhodesiensis)と分類し、アフリカの現生人類の祖先と想定する見解も提示されました。ローデシア人を現生人類の祖先系統とする見解では、ネアンデルタール人系統と現生人類系統のより古い分岐が想定され、たとえば、スペイン北部で発見された85万年前頃のホモ・アンテセッサー(Homo antecessor)は、ネアンデルタール人と現生人類の最終共通祖先の形態に近いのではないか、と推測されています。ネアンデルタール人系統と現生人類系統の分岐年代に関してはまだ確定しておらず、60万~50万年前頃とする見解や、80万年以上前とする見解も提示されています(関連記事)。

 本論文は、中期更新世には少なくとも2つの異なる顔の系統があったかもしれない、と指摘します。一方は、祖先的ではあるものの、現生人類とも類似している華奢な系統で、上述のアンテセッサーと、中国の南京やモロッコのジェベルイルード(Jebel Irhoud)で発見された人類遺骸です。もう一方は、比較的高身長のより派生的な系統で、スペイン北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」(以下、SHと省略)やギリシアのペトラローナ(Petralona)やザンビアのブロークンヒル(Broken Hill)で発見された人類遺骸です。

 43万年前頃のSH集団は、頭蓋(関連記事)でも頭蓋以外の形態(関連記事)でも核DNAでも(関連記事)ネアンデルタール人系統に位置づけられます。形態的に現生人類系統に位置づけられる人類遺骸として最古のものは、SH集団よりは新しい315000年前頃となり、モロッコのジェベルイルード(Jebel Irhoud)遺跡で発見されました(関連記事)。これより明確に現生人類系統に位置づけられる人類遺骸としては、エチオピアのオモ1号があり(関連記事)、年代は195000年前頃と推定されています(関連記事)。

 現生人類の起源に関しては、アフリカ単一起源説を前提としつつも、現生人類の派生的な形態学的特徴がアフリカ各地で異なる年代・場所・集団に出現し、比較的孤立していた複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流により現生人類が形成された、との「アフリカ多地域進化説」が提示されています(関連記事)。アフリカ外では、イスラエルのカルメル山にあるミスリヤ洞窟(Misliya Cave)で発見された194000~177000年前頃と推定されているホモ属の上顎(関連記事)と、ギリシア南部のマニ半島のアピディマ(Apidima)洞窟で発見された21万年以上前のホモ属頭蓋(関連記事)が現生人類と区分されていますが、遺骸が断片的なので、分類に慎重な研究者もいます。


●ホモ・フロレシエンシス

 上述のように、ウォレス線以東に拡散できた人類は現生人類だけだと長年考えられていました。しかし、インドネシア領フローレス島で2003年に発見された更新世の人類遺骸は、ホモ属の新種フロレシエンシス(Homo floresiensis)と分類されました。フロレシエンシスの正基準標本はLB1です。フロレシエンシスの身長は105cmほど、脳容量は420mlと現生人類平均値の1/3以下で、樹上生活に適しているように見える上半身や祖先的な手首や比較的短い脚など、祖先的で特異的な特徴を示しています。一方、LB1の顔はより派生的で、歯は現生人類のサイズと類似しているものの、祖先的もしくは特異的な特徴も見られます。

 LB1について、当初は病変の現生人類との見解が強く主張されました。しかし、そうした病変現生人類説はいずれも、LB1の全体的な形態を整合的に説明できず、現在では新種説でほぼ確定したと言えるでしょう。ただ、LB1が現生人類ではないとしても、何らかの病変を示している可能性も指摘されています。フロレシエンシスについては、2016年に大きく研究が進展しました(関連記事)。当初フロレシエンシスの下限年代は12000年前頃と推定されていましたが、5万年前頃までさかのぼり、フローレス島中央のソア盆地のマタメンゲ(Mata Menge)遺跡では、フロレシエンシスと類似した70万年前頃の人類遺骸が発見されています。フローレス島では100万年以上前の石器群も発見されており、フロレシエンシス系統が100万年以上にわたってフローレス島で進化してきた可能性も考えられます。

 フロレシエンシスの起源については、ジャワ島のホモ・エレクトス(Homo erectus)から進化したとする説と、より祖先的(アウストラロピテクス属的)な人類、たとえばホモ・ハビリス(Homo habilis)から進化したとする説とが提示されており、まだ議論が続いています。更新世のフローレス島への進出には渡海が必要ですが、フロレシエンシス系統がどのようにフローレス島に到達したのかは不明で、海流を考慮するとスラウェシ島から到達した可能性が高い、と推測されています(関連記事)。


●ホモ・ナレディ

 2015年、南アフリカ共和国のライジングスター洞窟(Rising Star Cave)にあるディナレディ空洞(Dinaledi Chamber)で発見された多数の人類化石が公表されました(関連記事)。この人類集団はホモ属の新種ナレディ(Homo naledi)と分類されました。発見場所が洞窟の奥深くであることから、埋葬の可能性も指摘されています。ナレディの脳容量は400〜610mlで、現生人類やネアンデルタール人のような派生的特徴と、ハビリスのような祖先的特徴とが混在しています。総合的にみると、ナレディの形態の個々の特徴は他の人類集団にも見られるものの、その組み合わせが独特と言えます。ナレディの脳はホモ属と分類するのを躊躇うくらい小さいのですが、その前頭葉、とくに下前頭回および外側眼窩回において、他のホモ属種との共通点が指摘されています(関連記事)。

 ナレディの年代は335000~236000年前頃と推定されています(関連記事)。フロレシエンシスと、今年(2019年)公表された(関連記事)ルソン島のホモ・ルゾネンシス(Homo luzonensis)は、孤立した島で独自に進化した祖先的特徴を有する人類集団と考えられますが、現生人類系統も含むホモ属も存在したアフリカ南部で、ナレディのような祖先的特徴を有する人類が30万年前頃以降も存在していたのは、どのように他のホモ属と共存していたのか、という問題を提起します。ナレディの進化史は現時点ではほぼ完全に不明で、アフリカの他の人類化石がナレディの系統に分類できるかもしれませんし、既知の石器群の中にナレディが製作したものもあるかもしれません。

 このようにアフリカでも、中期更新世に現生人類へと進化していくという観点で単純に進化史を把握できなくなりました。本論文は、30万年前頃のアフリカには、モロッコのジェベルイルード(Jebel Irhoud)に代表される現生人類系統、ザンビアのブロークンヒル(Broken Hill)で発見されたローデシア人(Homo rhodesiensis)系統、ナレディ系統という、少なくとも3系統の人類が存在していただろう、と指摘しています。アフリカにおいて中期更新世後期以降も複数系統の人類が存在した可能性は、遺伝学からも提示されています(関連記事)。


●現生人類とネアンデルタール人およびデニソワ人との交雑

 古代DNA研究の飛躍的な進展により、過去100万年の複雑な人類進化史が明らかになりつつあります。この分野での大きな成果は、ネアンデルタール人のゲノム解析と、形態学では区分できないような断片的な人類遺骸から、デニソワ人(Denisovan)という分類群を定義できたことです(関連記事)。デニソワ人の種区分は未定です。今では、現生人類とネアンデルタール人およびデニソワ人との間に交雑があった、と広く認められています(関連記事)。ネアンデルタール人と現生人類の交雑は、6万~5万年前頃にアジア南西部で起きた可能性が高そうです。

 現代人へのネアンデルタール人の遺伝的影響として、皮膚や髪や免疫系などが挙げられています。ネアンデルタール人の現代人への遺伝的影響は、サハラ砂漠以南のアフリカ系ではほとんど見られず、非アフリカ系では多少見られ、大きな違いはありませんが、ユーラシア西部系現代人よりもユーラシア東部系現代人の方が、ネアンデルタール人の遺伝的影響は高くなっています。デニソワ人の現代人への遺伝的影響に関しては大きな地理的違いがあり、オセアニアにおいてとくに高くなっており、アジア東部および南部でもわずかに確認されます。どのようにこうした地域的な違いが生じたのか、現時点では確定していません。


●現生人類のDNA解析

 現生人類の古代DNA解析は、アフリカでは15000年前(関連記事)、ユーラシアでは45000年前(関連記事)までしかさかのぼりません。しかし、現代人のゲノムデータは多数得られており、現生人類の進化史の推定に役立っています。現生人類系統では遅くとも20万年前頃には遺伝的多様化が始まっており(関連記事)、出アフリカは6万年前頃と推定されています。しかし、それ以前のアフリカ外における現生人類の存在も複数報告されています(関連記事)。これは、6万年前よりも前の出アフリカ早期現生人類集団が、絶滅したか、後続の現生人類集団により同化されてしまったことを示唆します。



●頭蓋以外の形態の進化傾向

 過去100万年の形態的な人類進化史は、おもに歯を含む頭蓋の分析に依拠しています。頭蓋以外の化石は、比較対象の少なさから特定の分類群に区分することが困難な場合もあります。また、現時点での証拠からは、現生人類と他の古代型ホモ属との違いのほとんどは頭蓋にあることも、頭蓋以外の形態での分類を困難にしています。頭蓋以外の形態でのおもな違いとして、後肢の頑丈さがありますが、後期ホモ属は形態的には、他の分類群よりも多様性が低く、前期ホモ属までよりも大柄という特徴を共有しています。この傾向に合致しないのが、身長146cmほどのホモ・ナレディと、身長106cmほどのホモ・フロレシエンシスです。


●エネルギー消費の変化

 過去100万年の人類進化史における大型化は、エネルギー消費の増加をもたらした、と考えられます。しかし、化石記録からの直接測定は困難です。そこで、移動様式の効率性からエネルギー消費が推定されています。現代人のような移動様式は、100万年前頃以降に出現した、と推測されています。ネアンデルタール人はヨーロッパのアフリカより寒冷な気候に適応し、現生人類よりも頑丈な体格だったので、現生人類よりも1日あたり100~350kcal余分に摂取する必要があった、と推定されています。一方、フロレシエンシスのように島嶼科により小型化したと思われる人類もいますが、これは、利用可能な資源というかエネルギー消費量の制約に起因するかもしれません。


●技術と身体的進化

 脳の進化と技術開発には相互作用的なところがあり、脳の進化が技術革新をもたらし、その技術革新が大きな脳の維持に必要なエネルギー消費をより容易にした、という側面があります。これは、正のフィードバックシステムと呼ばれています。脳に限らず、身体的特徴と技術も含めた広い意味での文化進化には、しばしば相互作用が見られます。人類の適応に重要な役割を果たした可能性がある技術として火の制御がありますが、衣服も重視されています。衣服は長期間の保存に適さないため、更新世の衣服の使用に関しては骨針が考古学的指標となります。現時点では、骨針は4万年前頃までさかのぼります。履物の使用は、現生人類では4万年前頃までさかのぼりそうです(関連記事)。ネアンデルタール人に関しては、衣服も履物も使用していたのか、そうだとしてどの程度だったのか、まだ明確ではありません。


●人類の行動に関する考古学的視点

 「現代的」行動の起源について、アフリカで後期(5万年前頃)に出現し、急速に世界中へと拡散した、とする見解が以前は主流でしたが、それ以前にアフリカで漸進的に発展した、との見解が現在では有力です。しかし、現生人類との比較におけるネアンデルタール人やデニソワ人といった古代型ホモ属の行動水準、さらには現生人類と古代型ホモ属との相互作用に関しては、議論が続いています。この問題の解決で注目されているのは、研究の進んでいるヨーロッパにおけるネアンデルタール人と現生人類との共存期間で、以前は最大で数万年ほど想定されていましたが、近年では5000年程度との見解が有力です(関連記事)。


●古代型ホモ属における行動の複雑さ

 過去100万年の更新世の考古学的記録は、最近10年で飛躍的に増加しました。その結果、非現生人類(古代型ホモ属)の行動の複雑さも明らかになってきました。たとえばヨーロッパ西部では、30万~20万年前頃に、下部旧石器となるアシューリアン(Acheulean)石器群と中部旧石器とが共存していました(関連記事)。ヨーロッパにおいてアシューリアンは70万年前頃以後に出現し、50万年前頃までは断続的ですが、その後は持続的な人口増加が見られ、これは脳容量の増大と関連している、と考えられます。ヨーロッパのアシューリアン集団は、50万年前頃にはヨーロッパの厳しい環境にも適応していきました。こうした持続性は、石器技術そのものというより、火の制御も含む一連の行動に基づいている、と本論文は指摘します。こうして人類がヨーロッパに持続的に生息していくことになったのは、ハイデルベルク人のような新種が出現したためかもしれませんが、本論文はその妥当性について判断を保留しています。

 ユーラシア東部に関しては長年、アジア東部および南東部ではアシューリアンが存在しない、とされてきました。いわゆるモヴィウス線による石器技術の区分ですが、近年では、モヴィウス線の東方でもアシューリアンの存在が確認されています。ただ、モヴィウス線の東方では確認されているアシューリアンが少ないことも確かで、これに関しては、アシューリアン石器に適した石材が少ないからではないか、と推測されています。そのため以前から、たとえば竹が道具の材料として使用されていたのではないか、との見解も提示されています。

 アフリカの考古学的な時代区分は、前期石器時代(20万年前頃まで)→中期石器時代(30万年前頃~2万年前頃)→後期石器時代(4万年前頃以降)となります。アフリカは広大なので、一気に文化が変わるわけではなく、複数の文化の長期の共存というか移行期間が存在します。前期石器時代のうちアシューリアンは、エレクトスとハイデルベルク人に関連していると考えるのが妥当ではあるものの、例外もある、と本論文は指摘します。中期石器時代の担い手に関しては、現生人類系統と後期ハイデルベルク人系統など複数系統の人類だった可能性が提示されています。上述のように、中期石器時代のアフリカには、現生人類系統だけではなくナレディも存在しており、複数系統が存在したことは確実です。後期石器時代は通常、現生人類が担い手と考えられています。


●ネアンデルタール人の行動の見直し

 ネアンデルタール人の行動に関する知見も、過去10年で飛躍的に発展しました。考古学的な時代区分としては、今でも伝統的な石器技術の5段階区分(様式1~5)がある程度は有効です(関連記事)。ヨーロッパに関しては、様式4となるオーリナシアン(Aurignacian)の出現が、上部旧石器時代への移行および現生人類の到来と関連づけられています。上述のように、現在有力な年代観では、ヨーロッパにおいて現生人類が到来してから5000年以内に、ネアンデルタール人は絶滅したと考えられます(より正確には、ネアンデルタール人の 形態的・遺伝的特徴を一括して有する集団は現在では存在しない、と言うべきかもしれません)。

 ヨーロッパの末期ネアンデルタール人の行動に関して議論となっているのは、中部旧石器と上部旧石器の混合的特徴を示す「移行期インダストリー」です。具体的には、フランス南西部およびスペイン北部のシャテルペロニアン(Châtelperronian)や、イタリアおよびギリシアのウルツィアン(Uluzzian)などです。両者ともに、担い手が現生人類とネアンデルタール人のどちらなのか、あるいはどちらもなのか、という点をめぐって議論が続いています。上部旧石器的なインダストリーの担い手がネアンデルタール人なのか否かという問題は、その認知能力の評価にも関わってきます。

 現時点では、シャテルペロニアンの少なくとも一部はネアンデルタール人の所産である可能性が高い、と言えそうです(関連記事)。しかし、シャテルペロニアンは、ネアンデルタール人が中部旧石器時代となるムステリアン(Mousterian)から独自に発展させたのか、それとも現生人類の影響を受けたのか、現時点では不明です。ウルツィアンをめぐる議論も複雑です。ウルツィアンはずっと、ネアンデルタール人の所産と考えられてきました。しかし近年、現生人類が担い手である可能性も提示されており(関連記事)、さらにはそれに対する反論も提示されています(関連記事)。

 この他に、ヨーロッパ北西部・中央部・南東部やロシアでは、LRJ(Lincombian-Ranisian-Jerzmanowician)やボフニシアン(Bohunician)やバチョキリアン(Bachokirian)やセレッティアン(Szeletian)やストレーレスカヤン(Streleskayan)といった「移行期インダストリー」が知られていますが、その担い手にはついては確定していません。「移行期インダストリー」は現生人類とネアンデルタール人の行動および認知能力の比較の重要な指標となり得ますが、現時点では評価が難しいことも否定できません。

 中部旧石器時代後期には、ネアンデルタール人の文化は地域的に多様化していきます。フランス南西部とブリテン島北西部では、握斧の優占するアシューリアン伝統ムステリアン(MTA)、ヨーロッパ中央部および東部ではカイルメッサー(Keilmesser)グループ(KMG)、フランス北部やベルギーといった両者の中間地域では両面加工石器ムステリアン(MBT)です。これらは、石材もしくは機能の反映では説明できず、文化的伝統と考えられています。MBTは、MTAとKMGの移動性の高いネアンデルタール人集団の境界地帯として解釈されています。

 そのため、ヨーロッパの後期ネアンデルタール人には、明確な地域化された文化的行動があった、と考えられています。ネアンデルタール人の文化が多様だったことは、死者の扱いが時空間的に異なることからも指摘されています。たとえば、ヨーロッパから近東にかけて、埋葬しなかったり、身体の一部を埋葬したり、自然の地形を利用して土葬したり、一部では副葬品を伴って埋葬したり、肉を削ぎ落としたりといったように、多様性が見られます。ネアンデルタール人の食人行為についても、単に栄養摂取目的のものだけではなく、文化的目的も指摘されています。

 オーカーの体系的な利用は「現代的行動」の指標の一つとされますが、ネアンデルタール人によるオーカーの使用例は複数報告されており、20万年以上前までさかのぼりそうな事例もあります(関連記事)。これは、アフリカにおけるオーカーの使用の始まりと時間的に近接しています。オーカーの使用目的としては、治療・防腐・接着・社会的意思伝達などが想定されています。民族誌の記録では、オーカーの使用は「実用的」というよりはおもに「社会的」なのですが、ネアンデルタール人に関しても、47000年前頃のルーマニアの事例は「社会的」と解釈されています。

 「現代的行動」の重要な指標の一つは芸術です。線刻の最古の事例は50万年前頃までさかのぼるかもしれず、その作者はエレクトスと考えられています(関連記事)。これは、芸術に通ずる行動の起源が現生人類の出現前だったことを示唆します。洞窟壁画は芸術の重要な指標とされており、現生人類のみの所産と考えられていました。以前は、最初期の洞窟壁画はヨーロッパで出現したと考えられていましたが、近年では、ヨーロッパの最初期の洞窟壁画とほぼ同年代のものが、スラウェシ島(関連記事)やボルネオ島(関連記事)で確認されています。これらは現生人類の所産と考えられ、アフリカで一連の「現代的行動」が潜在的に可能になった現生人類集団が、世界各地に拡散していった、と考えられます。

 一方、ネアンデルタール人の所産と考えられる洞窟壁画も報告されており(関連記事)、しかも年代は現生人類のものよりずっと古く6万年以上前とされています。ただ本論文は、ネアンデルタール人は個人的装飾品など他の象徴的文化の方を好み、洞窟壁画は比較的珍しかったようだ、と指摘しています。ネアンデルタール人の個人的装飾品の報告事例は、13万年前頃となる加工されたオジロワシの鉤爪(関連記事)など蓄積されつつあり、この点に関してはアフリカや近東の早期現生人類と大きくは変わらない程度と考えられます。ただ本論文は、現生人類とは異なり、ネアンデルタール人による形象的な芸術作品はまだ確認されておらず、そこが象徴的表現におけるネアンデルタール人と現生人類の違いかもしれない、と指摘します。

 本論文は、ネアンデルタール人の行動は総合的に、同時代となるアフリカの中期石器時代の現生人類と大きく異なるものではない、との見解(関連記事)を支持しています。また本論文は、ネアンデルタール人にも言語を含む複雑な意思伝達体系が存在した可能性は高いものの、それが厳密には現生人類と異なっていただろう、ということも指摘しています。また、ネアンデルタール人がタールなどの接着剤による着柄技術を用いていたこと(関連記事)や、薬用植物の効用をよく理解して治療のために使用していたと推測されること(関連記事)なども、ネアンデルタール人の認知能力が一定水準以上だった証拠とされています。本論文は、現時点での遺伝的証拠からは、ネアンデルタール人が現生人類よりも少ない人口と低い遺伝的多様性で、柔軟に環境に適応した、と指摘します。


●結論

 本論文は、21世紀になっての人類進化研究の進展を概観してきました。それらは、新たな発見か新たな手法による既知のデータの再分析に基づいています。しかし、そうしたデータに地域的偏りがあることも否定できません(関連記事)。アフリカはほぼ全域から更新世の人工物が発見されていますが、人類遺骸が発見された地域はアフリカ全土の10%未満です。アジア南東部ではこの回収率はさらに低く、フロレシエンシスやルゾネンシスなど新たな人類遺骸の発見もありましたが、更新世の人類遺骸が乏しいため、その進化系統はまだ不明です。

 ネアンデルタール人の行動は、その絶滅が始まった時点でも、現生人類との生物学的違いにも関わらず、現生人類とはほとんど差がないように見えるまで、研究が進展した、と本論文は評価しています。ただ本論文は、上述のヨーロッパ南部における20万年以上前の現生人類の存在との報告から、ネアンデルタール人が独自に象徴的行動を発展させた、との見解にやや慎重な姿勢を示します。古代DNA研究の飛躍的な進展は、現生人類と古代型ホモ属との交雑を明らかにし、生物種概念という古くからの問題を改めて再考させます。本論文は、人類の形態および行動の進化の要因は複雑で、複数の仮説のうちいくつかの組み合わせが真実に近いかもしれない、と指摘します。もちろん、まだ提示されていない仮説が真実に近い可能性もあるわけで、今後の研究の進展が期待されます。


参考文献:
Galway‐Witham Y, Cole J, and Stringer C.(2019): Aspects of human physical and behavioural evolution during the last 1 million years. Journal of Quaternary Science.
https://doi.org/10.1002/jqs.3137

2002年狂気のワールドカップを覚えてる

 メモ帳を整理していたら、表題の発言を参考用として残していたことに気づきました。もう1年半以上の発言ですが、以下に引用します。

2002年狂気のワールドカップを覚えてる。「別に韓国戦見るつもりない」「あの判定はおかしかった」と言ったら「お前韓国人じゃないのか?」とどれだけ叩かれたことか。

それ以来サッカーに完全に興味を失ってしまった。「群衆」が嫌いになったのもその時。


 2002年に日本と韓国でサッカーワールドカップが共催された時、サッカーには興味のない私も、韓国は自チームに有利な判定により勝ち上がった、誤審というよりむしろ審判買収ではないか、といった疑惑が一部で声高に主張されていることに気づきました。これが誤審なのか、さらに審判買収の結果なのか、サッカーに詳しくないというか、サッカー事情についてほとんど知らない私には分かりませんが、その時とその後少し検索した限りでは、とくに韓国に対して悪感情を抱いてなさそうだった人でも、昔からのサッカーファンで韓国戦での判定に激怒している人を複数見かけましたから、問題のある判定だったのかもしれません。

 当時、韓国では自国チームの快進撃に国民がたいへん盛り上がっている、と日本でも報道されていたように記憶しています。その意味で、韓国戦を見るつもりはないとか、韓国戦での韓国に有利な判定はおかしかったとか発言する韓国人がいれば、叩かれるような雰囲気だったとしても不思議ではありません。もっとも、2002年サッカーワールドカップ大会時には、日本でも、強烈ではないとしてもそうした雰囲気があったように記憶しており、サッカーに興味のない私にとって、居心地の悪い期間でした。

 その期間で強く印象に残っているのは、確か夕方の民放のニュース番組だったと記憶していますが、韓国で国民に自国の快進撃についてインタビューしたコーナーです。その時、何人かの韓国人は、興味はないし騒ぎすぎだとか、韓国に有利な判定はおかしかったとか答えて、冷ややかな態度を示していました。日本の報道は、韓国では国全体が自国チームの快進撃に盛り上がっている、といった感じで伝えていましたが、さすがに人口の多い国(当時は4700万人ほど)だけあって、さまざまな反応があるものだな、と改めて思ったものです。まあ、そうした人々も、自国の報道機関相手にはなかなか本音を言えない雰囲気があったのでしょうが。当たり前の話ではありますが、大規模集団における意思の統一は現実的にはあり得ない、ということなのでしょう。

ネアンデルタール人と現生人類との交雑をめぐる認識の変遷

 現在では、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と現生人類(Homo sapiens)との交雑はほぼ定説として確立した、と言ってよいでしょう。しかし、10年ほど前までは、ネアンデルタール人と現生人類との交雑に否定的な見解が主流でした。たとえば、原書が2009年に刊行された『そして最後にヒトが残った ネアンデルタール人と私たちの50万年史』(関連記事)がそうです。同じく原書が2009年に刊行された『人類20万年遥かなる旅路』(関連記事)は、ネアンデルタール人と現生人類との交雑の可能性を完全に排除しているわけではないとしても否定的で、交雑が起きたとしても取るに足らない程度だった、と主張しています(P344)。

 この状況が大きく変わったのは2010年5月に公表された『サイエンス』論文(関連記事)で、これ以降、ネアンデルタール人と現生人類との交雑を認める見解が優勢になり、現在ではほぼ定説として認められています。日本語環境でも、これ以前には交雑否定説が圧倒的に優勢だったように記憶しています。おそらく、ネアンデルタール人と現生人類との交雑に否定的な見解が最も優勢だったのは、ネアンデルタール人のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析結果が初めて報告された1997年から2010年5月までだったのでしょう。

 しかし、この間も、ネアンデルタール人と現生人類との交雑の可能性を指摘した遺伝学的研究はあり、たとえば、まだネアンデルタール人のゲノム解析結果がまったく公表されていない2006年7月の時点で、ヨーロッパ系現代人にネアンデルタール人の遺伝的影響があることを報告した論文が公表されています(関連記事)。私は2003~2004年頃に、現生人類によるネアンデルタール人などユーラシアの先住人類との完全置換説から交雑説へと転向したので(関連記事)、交雑説に否定的な見解が圧倒的に優勢な状況で、交雑説に肯定的な研究を心強く思ったものです。

 ただ、だからといって、ネアンデルタール人と現生人類との交雑に否定的だった人々を責めることは妥当ではない、と私は考えています。ネアンデルタール人の核DNA解析の詳細な結果が公表されるまで、ネアンデルタール人と現生人類の直接的なDNA比較はミトコンドリアだけで可能でした。mtDNAの比較では、当時も今もネアンデルタール人と現生人類の交雑の痕跡は見つかっておらず、今後も見つかる可能性は皆無に近いでしょう。その意味で、ネアンデルタール人と現生人類との交雑に否定的な見解が主流だったことは、強く批判されるべきではない、と思います。

アジア中央部および北東部における現生人類の早期の拡散

 アジア中央部および北東部における現生人類(Homo sapiens)の早期の拡散に関する研究(Zwyns et al., 2019)が公表されました。現生人類(Homo sapiens)の出アフリカに関しては、回数・年代・経路などをめぐって議論が続いています(関連記事)。近年では、現代のアジア南東部集団とオーストラリア先住民集団とが、遺伝的系統の近縁性ではアフリカ系現代人と比較して同程度であることや、考古学的証拠から、海洋酸素同位体ステージ(MIS)3(59000~29000年前)前半に、アフリカからユーラシア南岸沿いにアラビア半島とアジア南部を経て、急速にアジア南東部とオーストラリアへと現生人類は拡散した、という南岸拡散仮説が有力と考えられるようになってきました(関連記事)。

 しかし、シベリアにおけるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と現生人類の存在は、ユーラシア北部の草原地帯でもホモ属の拡散があったことを示します。この地域の人類遺骸は少ないのですが、考古学的記録の大きな変化から人類の拡散が示唆されています。初期上部旧石器時代(Initial Upper Paleolithic、以下IUP)の技術的特徴は特定の石刃技法で、それは硬質ハンマーによる打法、打面調整、固定された平坦な作業面もしくは半周作業面を半周させて石刃を打ち割ることです(関連記事)。また、IUPは骨器や装飾品との関連も指摘されています。IUPはシベリアに突然出現し、新たな人類集団の到来を示唆しますが、その年代や存続期間に関しては議論が続いています。

 本論文は、シベリアとモンゴル北部の中間地点に位置し、比較的標高の低い(海抜1169m)地域に位置する、モンゴルのイクトルボリンゴル(Ikh-Tolborin-Gol)地域のトルボー16(Tolbor-16)遺跡の調査結果を報告しています。トルボー16遺跡は北部ハンガイ(Hangai)山脈のトルボー川(Tolbor River)渓谷西側に位置し、トルボー川はその13km南方でセレンゲ川(Selenga River)と合流します。トルボー16遺跡では2011~2016年にかけて調査が行なわれました。

 トルボー16遺跡ではMIS3から完新世までの6区分の考古学的層位(AH)が確認されており、最深部はAH 6です。遺跡の年代は、多鉱物を対象とした赤外光ルミネッセンス法(IRSL)の改良法(post-IR IRSL)と、石英の光刺激ルミネッセンス法(OSL)と、放射性炭素年代測定法により推定されました。AH2はMIS2、AH3とAH5は38500~35100年前頃、AH6は45600~42500年前頃と推定されています。トルボー16遺跡一帯の気候に関しては、MIS3に複数回の変動があった、と推定されています。AH6は、堆積物の有機物含有量が高いことから、比較的湿潤な時期だったと推測されています。AH6の後、気候は乾燥化します。AH6の石器群は、そのほとんどが地元の石材で製作されています。石器群はおもに石刃とその関連人工物(加工品)で構成されています。AH6の石器群は技術的には明確にIUPに分類され、他のIUPと同様に、中部旧石器的要素も見られます。

 IUPは45000年前頃にはアジア北東部に到達した、と推測されています。トルボー16遺跡の明確にIUPに分類されるAH6石器群は、IUPがアルタイ地域とほぼ同じ時期にセレンゲ川流域に出現したことを確証します。この現象の最も節約的な説明は、アジアのIUPは比較的統一されていたか、技術複合だったというもので、IUPはシベリアを横断してモンゴルへと45000年前頃に到達し、その後は南方と東方へ移動して中国北西部に、さらにはおそらくチベット高原まで到達しました。上述のように、トルボー16遺跡のIUPは温暖湿潤な時期に出現した、と推測されます。この時期はグリーンランド亜間氷期12(GI12)とされており、GI12にヨーロッパでは、その前の気候悪化でネアンデルタール人が激減した後、人口が増加した、と推測されています。それは、ユーラシア西部におけるIUPとされるエミレオ・ボフニシアン(Bohunician)の出現と一致します。エミレオ・ボフニシアンは、レヴァントからヨーロッパ中央部への現生人類の拡散を反映している、と考えられています。温暖湿潤だった45000年前頃には、人類は北緯72度という北極圏にまで進出しています(関連記事)。トルボー16遺跡一帯のIUPの終焉は、4万年前頃のハインリッヒイベント4(HE4)による気候悪化と関連しているようです。

 トルボー16遺跡のIUP石器群には、人類遺骸が共伴していないので、その担い手がどの人類系統なのかという問題は、状況証拠から推測するしかありません。シベリアでは、西部のウスチイシム(Ust'-Ishim)で45000年前頃の現生人類遺骸が発見されています(関連記事)。モンゴルでは、東部のサルキート渓谷(Salkhit Valley)で35000~34000年前頃の現生人類遺骸が発見されています(関連記事)。AH6は両者の中間に位置し、年代は西方の現生人類とほぼ同年代で、東方の現生人類よりも1万年ほど古いことになります。セレンゲ川流域では、ビーズのような装飾品や骨器の最古の事例はIUPと関連づけられており、上部旧石器時代以降のそうした人工物は、ほぼすべてが現生人類の所産と考えられています。そのため、トルボー16遺跡のIUPの担い手は現生人類である可能性が高い、と本論文は指摘します。

 一方で本論文は、トルボー16遺跡のIUPの担い手が現生人類ではない在来の人類集団である可能性も検証しています。ネアンデルタール人はアルタイ地域にまで拡散していました。しかし現時点では、アルタイ地域北西部よりも東方でネアンデルタール人の痕跡は確認されていませんし、GI12のシベリア・モンゴル・中国北西部において現生人類ではない人類遺骸は発見されていません。また、ネアンデルタール人がIUPの出現時期までシベリアに存在した可能性はありますが、オクラドニコフ(Okladnikov)洞窟遺跡のネアンデルタール人の文化は、IUPとは異なるムステリアン(Mousterian)に分類されています。種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)はアルタイ地域とチベット高原で確認されていますが(関連記事)、現時点で確認されている年代は、アルタイ地域におけるIUPの出現よりも前です。

 こうしたことから本論文は、トルボー16遺跡のIUPの担い手は現生人類である可能性が高い、と指摘します。IUPはシベリアとモンゴルで温暖湿潤なGI12に突然出現しますが、そうした人類の文化の大きな変化は現生人類の拡散を反映しているだろう、というわけです。また本論文は、現生人類の早期の拡散が、ユーラシア南岸だけではなく、比較的高緯度の草原地帯でも起き、この頃に現生人類とデニソワ人が交雑した可能性を提示しています。上述のように、現生人類の早期の拡散に関して近年ではユーラシア南岸経路が注目されており、確かにオーストラリア先住民の祖先集団はこの経路でアフリカから東進したのでしょうが、一方で、温暖湿潤な時期を中心に、ユーラシアの比較的高緯度の草原地帯も現生人類の早期の拡散経路だったのでしょう。


参考文献:
Zwyns N. et al.(2019): The Northern Route for Human dispersal in Central and Northeast Asia: New evidence from the site of Tolbor-16, Mongolia. Scientific Reports, 9, 11759.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-47972-1

大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』第31回「トップ・オブ・ザ・ワールド」

 1932年、ロサンゼルスで開催中の夏季オリンピック大会は後半戦に入り、前畑秀子は200m平泳ぎに決勝に出場し、健闘しますが、惜しくも2位に終わります。オリンピック水泳競技で日本人女子選手がメダルを獲得したのは初めてでした。田畑政治はNHKの河西三省アナウンサーの「実感放送」を誉めますが、河西は臨場感を伝えられなかったと悔み、次は実況で日本人に感動を伝えたい、と誓います。日本水泳陣の快進撃は続き、男子は6種目中5種目で金メダルを獲得します。アメリカ合衆国で迫害されてきた日系人からも感謝された日本選手団は意気揚々と帰国します。

 今回は、前畑が冒頭で大きく扱われ、河西が「実感放送」に満足しておらず、悔いがあることも描かれました。帰国した前畑は東京市長の永田秀次郎から、なぜ勝てなかったのか、と責められます。これらはおそらく、次にベルリンで開催される夏季オリンピック大会の伏線なのでしょう。ベルリン大会では、前畑は大きく扱われそうです。その後は暗い展開となるので、中盤の山場はベルリン大会での前畑の金メダル獲得でしょうか。ここは河西の実況とともに有名な場面なので、どのような脚本・演出になるのか、楽しみです。

遺伝学および考古学と「極右」

 遺伝学および考古学と「極右」に関する研究(Hakenbeck., 2019)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。遺伝学は人類集団の形成史の解明に大きな役割を果たしてきました。とくに近年では、古代DNA研究が飛躍的に発展したことにより、じゅうらいよりもずっと詳しく人類集団の形成史が明らかになってきました。古代DNA研究の発展により、今や古代人のゲノムデータも珍しくなくなり、ミトコンドリアDNA(mtDNA)だけの場合よりもずっと高精度な形成史の推測が可能となりました。こうした古代DNA研究がとくに発展している地域はヨーロッパで、他地域よりもDNAが保存されやすい環境という条件もありますが、影響力の強い研究者にヨーロッパ系が多いことも一因として否定できないでしょう。

 現代ヨーロッパ人はおもに、旧石器時代~中石器時代の狩猟採集民と、新石器時代にアナトリア半島からヨーロッパに拡散してきた農耕民と、後期新石器時代~青銅器時代前期にかけてポントス・カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)からヨーロッパに拡散してきた、牧畜遊牧民であるヤムナヤ(Yamnaya)文化集団の混合により形成されています(関連記事)。この牧畜遊牧民の遺伝的影響は大きく、ドイツの後期新石器時代縄目文土器(Corded Ware)文化集団は、そのゲノムのうち75%をヤムナヤ文化集団から継承したと推定されており、4500年前までには、ヨーロッパ東方の草原地帯からヨーロッパ西方へと大規模な人間の移動があったことが窺えます。

 現代ヨーロッパ人におけるヤムナヤ文化集団の遺伝的影響の大きさと、その急速な影響拡大から、ヤムナヤ文化集団がインド・ヨーロッパ語族をヨーロッパにもたらした、との見解が有力になりつつあります。また、期新石器時代~青銅器時代にかけてインド・ヨーロッパ語族をヨーロッパにもたらしたと考えられるポントス・カスピ海草原の牧畜遊牧民集団は、Y染色体DNA解析から男性主体だったと推測されています(関連記事)。そのため、インド・ヨーロッパ語族のヨーロッパへの拡大は征服・暴力的なもので、言語学の成果も取り入れられ、征服者の社会には若い男性の略奪が構造的に組み込まれていた、と想定されています。

 インド・ヨーロッパ語族のヨーロッパへの拡散について以前は、青銅器時代にコーカサス北部の草原地帯からもたらされたとする説と、新石器時代にアナトリア半島の農耕民からもたらされたとする説がありましたが、古代DNA研究は前者と整合的というか前者に近い説を強く示唆しました。こうして古代DNA研究の進展により、一般的にはヨーロッパ人およびインド・ヨーロッパ語族の起源に関する問題が解決されたように思われましたが、本論文は、飛躍的に発展した古代DNA研究に潜む問題点を指摘します。

 本論文がまず問題としているのは、古代DNA研究において、特定の少数の個体のゲノムデータが生業(狩猟採集や農耕など)もしくは縄目文土器や鐘状ビーカー(Bell Beaker)などの考古学的文化集団、あるいはその両方の組み合わせの集団を表している、との前提が見られることです。埋葬者の社会経済的背景があまり考慮されていないのではないか、というわけです。また、この前提が成立するには、集団が遺伝的に均質でなければなりません。この問題に関しては、標本数の増加により精度が高められていくでしょうが、そもそも遺骸の数が限られている古代DNA研究において、根本的な解決が難しいのも確かでしょう。

 さらに本論文は、こうした古代DNA研究の傾向は、発展というよりもむしろ劣化・後退ではないか、と指摘します。19世紀から20世紀初期にかけて、ヨーロッパの文化は近東やエジプトから西進し、文化(アイデア)の拡散もしくは人々の移住により広がった、と想定されていました。この想定には、民族(的な)集団は単純な分類で明確に区分され、特有の物質的記録を伴う、との前提がありました。イギリスでは1960年代まで、すべての文化革新は人々の移動もしくはアイデアの拡散によりヨーロッパ大陸からもたらされた、と考えられていました。

 1960年代以降、アイデアやアイデンティティの変化といった在来集団の地域的な発展が物質文化の変化をもたらす、との理論が提唱されるようになりました。古代DNA研究は、1960年代以降、移住を前提とする潮流から内在的発展を重視するようになった潮流への変化を再逆転させるものではないか、と本論文は指摘します。じっさい、ポントス・カスピ海草原の牧畜遊牧民集団のヨーロッパへの拡散の考古学的指標とされている鐘状ビーカー文化集団に関しては、イベリア半島とヨーロッパ中央部とで、遺伝的類似性が限定的にしか認められていません(関連記事)。中世ヨーロッパの墓地でも、被葬者の遺伝的起源が多様と示唆されています(関連記事)。

 本論文が最も強く懸念している問題というか、本論文の主題は、こうした古代DNA研究の飛躍的発展により得られた人類集団の形成史に関する知見が、人種差別的な白人至上主義者をも含む「極右」に利用されていることです。上述のように、20世紀初期には、民族(的な)集団は単純な分類で明確に区分され、特有の物質的記録を伴う、との前提がありました。ナチズムに代表される人種差別的な観念は、こうした民族的アイデンティティなどの社会文化的分類は遺伝的特徴と一致する、というような前提のもとで形成されていきました。本論文は、20世紀初期の前提へと後退した古代DNA研究が、極右に都合よく利用されやすい知見を提供しやすい構造に陥っているのではないか、と懸念します。

 じっさい、ポントス・カスピ海草原という特定地域の集団が、男性主体でヨーロッパの広範な地域に拡散し、それは征服・暴力的なものだったと想定する、近年の古代DNA研究の知見が、極右により「アーリア人」の起源と関連づけられる傾向も見られるそうです。こうした極右の動向の背景として、遺伝子検査の普及により一般人も祖先を一定以上の精度で調べられるようになったことも指摘されています。本論文は、遺伝人類学の研究者たちが、マスメディアを通じて自分たちの研究成果を公表する時に、人種差別的な極右に利用される危険性を注意深く考慮するよう、提言しています。本論文は、研究者たちの現在の努力は要求されるべき水準よりずっと低く、早急に改善する必要がある、と指摘しています。


 以上、本論文の見解を簡単にまとめました。古代DNA研究に関して、本論文の懸念にもっともなところがあることは否定できません。ただ、古代DNA研究の側もその点は認識しつつあるように思います。たとえば、古代DNA研究においてスキタイ人集団が遺伝的に多様であることも指摘されており(関連記事)、標本数の制約に起因する限界はあるにしても、少数の個体を特定の文化集団の代表とすることによる問題は、今後じょじょに解消されていくのではないか、と期待されます。また、文化の拡散に関しては、多様なパターンを想定するのが常識的で、移住を重視する見解だからといって、ただちに警戒する必要があるとは思いません。

 研究者たちのマスメディアへの発信について、本論文は研究者たちの努力が足りない、と厳しく指摘します。現状では、研究者側の努力が充分と言えないのかもしれませんが、これは基本的には、広く一般層へと情報を伝えることが使命のマスメディアの側の問題だろう、と私は考えています。研究者の役割は、第一義的には一般層へと分かりやすく情報を伝えることではありません。研究者の側にもさらなる努力が求められることは否定できないでしょうし、そうした努力について当ブログで取り上げたこともありますが(関連記事)、この件に関して研究者側に過大な要求をすべきではない、と思います。

 本論文はおもにヨーロッパを対象としていますが、日本でも類似した現象は見られます。おそらく代表的なものは、日本人の遺伝子は近隣の南北朝鮮や中国の人々とは大きく異なる、といった言説でしょう。その最大の根拠はY染色体DNAハプログループ(YHg)で、縄文時代からの「日本人」の遺伝的継続性が強調されます。しかし、YHgに関して、現代日本人で多数派のYHg-D1b1はまだ「縄文人」では確認されておらず、この系統が弥生時代以降のアジア東部からの移民に由来する可能性は、現時点では一定以上認めるべきだろう、と思います(関連記事)。日本でも、古代DNA研究も含めて遺伝人類学の研究成果が「極右」というか「ネトウヨ」に都合よく利用されている側面は否定できません。まあ、「左翼」や「リベラル」の側から見れば、「極右」というか「ネトウヨ」に他ならないだろう私が言うのも、どうかといったところではありますが。


参考文献:
Hakenbeck SE.(2019): Genetics, archaeology and the far right: an unholy Trinity. World Archaeology.
https://doi.org/10.1080/00438243.2019.1617189

岡本隆司『世界史とつなげて学ぶ中国全史』

 2019年7月に東洋経済新報社より刊行されました。本書は経済を中心とした社会構造の観点からの中国通史です。政治史的要素は薄く、英雄譚的な要素も希薄なため、人間関係中心の通史を期待して読むと、失望するかもしれません。しかし、中国史の大きな構造が提示されているという点で、読みごたえがあります。もちろん、個人による広範な地域を対象とした通史なので、各時代・地域の専門家からすると、異論が少なくないかもしれません。著者の他の一般向け著書である、『世界史序説 アジア史から一望する』(関連記事)と『近代中国史』(関連記事)を読んでいれば、本書を理解しやすいと思います。

 本書の特徴は、気候の違いに起因する生業の違いが、中国史、さらにはユーラシア史の歴史的展開を規定した、という史観です。乾燥した草原地帯の遊牧民社会と、より湿潤な地域の農耕民社会との相互作用により中国史も含むユーラシア史は展開していった、というわけです。これには類型化されたところもあり、じっさい本書で定義されている遊牧地域でも農耕は行なわれているわけですが、大局的には、本書の提示する歴史観に大過はなく、かなりのところ有効だろう、と私は考えています。

 本書はこの遊牧民と農耕民との相克を前提に、中国史を多元的実態と統一志向の観点から把握しています。本書はまず、中国はもともと、多くの勢力が割拠し、身分階層も分化している多元的世界だった、と指摘します。それが、秦と漢による広範な地域の統合の結果、均質化に向かいます。しかし、紀元後3~4世紀の寒冷化によりこの傾向は逆転し、多元化が進展します。3世紀以降、中国では「士」と「庶」の二元的階層が確立していきます。9世紀頃からのユーラシアにおける温暖化により中国社会は経済的に大きく発展し、周辺地域もその影響を受けつつ発展していきます。そうした中から、モンゴルによるユーラシア規模での統合が達成されます。

 ところが、この大統合も14世紀の寒冷化により崩壊し、中国は多元的世界に逆戻りします。大元ウルスの統治体制が弛緩し、まず華南、次に華北を喪失するという混乱した状況のなかで、明が中国(と一般的に認識されているだろう地域)を統一します。本書は、この明代こそ、現代に続く中国の伝統的構造が形成された時期だと指摘します。3世紀以降、中国では江南の人口比率が増加していったのですが、その傾向は大元ウルス治下の13世紀末で終了し、それ以後は中国内部で南北格差は依然としてあるものの、東西格差が拡大していきます。つまり、先進的な沿岸部の東と後進的な内陸部の西というわけです。これは、モンゴル帝国のユーラシア規模での統合が失われて以降、流通路の比重がユーラシア内陸経路から海路へと移っていったことを反映していた、というのが本書の見通しです。

 本書は、明代以降、3世紀以来の士と庶の階層分化に加えて、その中間的な階層も出現し、地域的には、南北に加えて東西の格差も生じ、中国社会はますます複雑化・多元化していった、と指摘します。日本史研究では日本の多様性が主張されることもあるものの、中国社会と比較すると日本社会はずっと単一的で均質的だ、と本書は評価します。さらに本書は、明代以降の中国社会と日本社会の違いとして、前者では下層社会が肥大化し、政権が下層社会をじゅうぶんに掌握できなくなったことを指摘します。本書は、均質化を志向する近代化において、そうした違いが中国には不利に、日本には有利に作用した、との見通しを提示しています。また本書は、物流において海路が重要になっていき、中国の沿岸地域がそれぞれ外国と結びつく傾向がダイチン・グルン(大清帝国)後期になって強くなっていった、と指摘します。これも、中国の近代化の障壁となりました。

 こうした複雑で多元的な中国社会の構造は近代になっても変わらず、国民党も共産党も国民国家の形成で試行錯誤していきます。共産党政権(中華人民共和国)は、肥大化した下層社会の掌握を優先し、資本家層や知識層を弾圧していきます。本書はこの毛沢東の方針が、中国の統一(一元化)を強く志向し、豊かな江南の地主およびそこに基盤のある官僚を弾圧していった明初期の朱元璋(洪武帝)と類似している、と指摘します。この毛沢東路線が経済的には破綻した後、鄧小平による改革開放路線が進められますが、それは、中華理念と皇帝専制を残したまま、明の対外方針を転換させたダイチン・グルンと重なる、と本書は指摘します。中央と下層の乖離や地域間格差といった現代中国の問題は歴史的に形成されてきたものであり、ヨーロッパ基準では理解が容易ではないだろう、というのが本書の見解で、これには学ぶべきところが多いのではないか、と思います。

ヨーロッパのホラアナグマの絶滅における現生人類の影響(追記有)

 ヨーロッパのホラアナグマ(Ursus spelaeus)の絶滅における現生人類(Homo sapiens)の影響に関する研究(Gretzinger et al., 2019)が公表されました。この研究は、スイス・ポーランド・フランス・スペイン・ドイツ・イタリア・セルビアと、ヨーロッパの東部・中央部・西部の14地点で採取した骨試料からホラアナグマのミトコンドリアDNA(mtDNA)の全配列59点を再構築し、以前に発表されたmtDNAの全配列64点と比較することで、後期更新世におけるそれぞれのホラアナグマ個体群の生息地と移動経路を示しました。

 この研究で特定されたミトコンドリアDNAの主要な5系統は、451000年前頃の共通祖先を起源としてヨーロッパ全土に分散しましたが、これは、ホラアナグマの分布が以前考えられていたよりも複雑なことを示唆しています。この研究は、ホラアナグマの個体数が4万年前頃まで比較的安定していたと推定していますが、その間には2つの寒冷期があり、複数の寒冷現象が発生しています。最終氷期の寒冷気候が始まったのは、3万年前頃とかなり後だったため、この研究知見は、ヒトによる狩猟など他の要因が大きな影響を及ぼしたかもしれない、と示唆しています。

 気候の寒冷化とそれにより植物由来食物が入手しにくくなったことで、ホラアナグマの個体群全体が、気候が穏やかで、さまざまな植物を大量に入手できる小規模な生息地に生息する亜個体群に分裂した可能性が指摘されています。4万年前頃よりも少し前に現生人類はヨーロッパに拡散を始めたと推定されており、現生人類がこれらの亜個体群間の連結性を遮断することにより、ホラアナグマの絶滅に決定的な役割を果たしたのかもしれない、とこの研究は推測しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【進化】ホラアナグマの絶滅にヒトが重要な役割を果たしていたかもしれない

 最終氷期の末期にヨーロッパのホラアナグマが絶滅した際に、ヒトが大きな役割を果たしていた可能性のあることを示した論文が、今週掲載される。この研究知見は、ホラアナグマの個体数が約4万年前に激減し始めたことを示唆しているが、これは、気候の寒冷化よりも前のことであり、ヨーロッパで解剖学的現生人類の地理的分布が拡大した時期と一致している。

 今回、Verena Schuenemann、Herve Bocherensたちの研究グループは、スイス、ポーランド、フランス、スペイン、ドイツ、イタリア、セルビアの14地点で採取した骨試料からホラアナグマのミトコンドリアゲノム(59件)を再構築し、以前に発表されたミトコンドリアゲノム(64件)と比較することで、更新世後期におけるそれぞれのホラアナグマ個体群の生息地と移動経路を示した。

 今回の研究で特定された5つの主要なミトコンドリアDNA系統は、約45万1000年前の共通祖先を起源としてヨーロッパ全土に分散したが、これは、ホラアナグマの分布が以前考えられていたよりも複雑なことを示唆している。Schuenemannたちは、ホラアナグマの個体数が約4万年前まで比較的安定していたと推定しているが、その間には2つの寒冷期があり、複数の寒冷現象が発生している。最終氷期の寒冷気候が始まったのは、かなり後(約3万年前)のことであったため、この研究知見は、ヒトによる狩猟などの他の要因が大きな影響を及ぼした可能性を示唆している。

 気候の寒冷化とそれによって植物由来食物が入手しにくくなったことで、ホラアナグマの個体群全体が、気候が穏やかで、さまざまな植物を大量に入手できる小規模な生息地に生息する亜個体群に分裂した可能性がある。ヒトは、これらの亜個体群間の連結性を遮断することによって、ホラアナグマの絶滅に決定的な役割を果たしたのかもしれない。



参考文献:
Gretzinger J. et al.(2019): Large-scale mitogenomic analysis of the phylogeography of the Late Pleistocene cave bear. Scientific Reports, 9, 10700.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-47073-z


追記(2019年8月24日)
 ナショナルジオグラフィックネイチャーでも報道されました。

フィンランド人のエキソーム塩基配列解読

 フィンランド人のエキソーム塩基配列解読に関する研究(Locke et al., 2019)が公表されました。エキソーム(ヒトゲノムのタンパク質コーティング領域)塩基配列解読研究は通常、複雑な形質に大きな影響を及ぼす有害なアレル(対立遺伝子)の特定に関しては、そうした遺伝子の大半がまれであるために、検出力が不充分とされています。フィンランドの北部と東部の集団は、一連のボトルネック(瓶首効果)の後に隔離された状態で著しく拡大しており、これらの集団の個体には。多数の有害なアレルが比較的高頻度で存在します。

 この研究は、これらの地域の約2万人のフィンランド人についてエキソーム塩基配列解読を行ない、得られたデータを用いて、臨床に関連する循環代謝の量的形質における、稀なコーディング多様体の役割を調べました。64の量的形質についてのエキソーム規模関連研究から、関連する有害な26の対立遺伝子が新たに見つかりました。これら26のアレルのうち19は、フィンランド人に固有、もしくはフィンランド人において他のヨーロッパ人より20倍以上頻度が高く、フィンランド人集団に特徴的なメンデル遺伝性疾患の変異と同等の地理的な集中が観察されました。こうした特有の歴史を持たない集団の塩基配列解読研究でこの研究と同等の関連検出力を得るには、数十万人から数百万人の参加者が必要になると推定されています。


参考文献:
Locke AE. et al.(2019): Exome sequencing of Finnish isolates enhances rare-variant association power. Nature, 572, 7769, 323–328.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1457-z

子宮内無菌仮説

 子宮内無菌仮説に関する研究(de Goffau et al., 2019)が公表されました。人間の胎盤は、健康な妊娠では微生物のいない無菌環境だと長い間考えられてきました。最新のゲノム塩基配列解読法を用いた以前の研究では、子宮内で細菌のDNAが検出され、無事出産した女性と妊娠合併症を経験した女性とでは子宮内の微生物の組成が異なっている、という見解が示されていました。これに対して他の研究では、これらの検出結果に関して、コンタミネーションを原因とする偽陽性結果であった可能性が指摘されていました。この疑問を正確に調べるには、経膣分娩と帝王切開分娩を対比させたさまざまな出産転帰を含む大きな標本規模加えて、方法間での一致を判定するための、さらには可能性のあるコンタミネーションの原因を特定するための厳密な実験対照群が必要となります。

 この研究は、この種の研究としては最大規模となる、500人以上の女性から採取した胎盤試料の分析に基づき、DNA塩基配列解読法により微生物を探索しました。この実験方法は、偽陽性結果が生じる可能性を最小限に抑えるように設計されました。たとえば、細菌のDNAを検出するために、2種類のDNA抽出キットといくつかの分子レベルの手法が用いられました。その結果、無事出産した女性と妊娠合併症を経験した女性のいずれの場合も、大部分の試料に細菌の定着を示す証拠は見られませんでした。ただ、新生児敗血症の主要な原因であるB群連鎖球菌(Streptococcus agalactiae)は例外で、胎盤試料の約5%からコンタミネーションではないシグナルとして検出されました。

 これらの知見は、胎盤が乳児の微生物相の主要な供給源となっている可能性は低いことを示している、と指摘されています。この研究は、人間の微生物相が新生児において確立された正確な機序について最終的な結論は得られていませんが、胎盤は微生物の貯蔵庫ではないと確信できるようになった、と指摘しています。ただ、胎盤におけるB群連鎖球菌の周産期獲得の可能性はある、とも指摘されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


【微生物学】子宮内無菌仮説を裏付ける研究結果

 数百点の胎盤試料の分析によって、健康なヒトの胎盤には微生物が定着していないことを示した論文が、今週掲載される。この研究結果は、長い間主張されてきた「子宮内無菌」仮説を裏付けるものであり、胎盤の細菌感染が、有害な妊娠転帰の一般的な原因でないことも示唆している。

 人間の胎盤は、微生物のいない無菌環境だと長い間考えられてきた。最新のゲノム塩基配列解読法を用いた以前の研究では、子宮内で細菌のDNAが検出され、無事出産した女性と妊娠合併症を経験した女性とで子宮内の微生物の組成が異なっているという見解が示されていた。これに対して、他の研究では、これらの検出結果がコンタミネーションを原因とする偽陽性結果であった可能性が指摘されていた。

 今回、Gordon Smithたちの研究グループは、この種の研究としては最大規模の研究において、500人以上の女性から採取した胎盤試料を分析して、DNA塩基配列解読法を用いて微生物を探索した。Smithたちの実験方法は、偽陽性結果が生じる可能性を最小限に抑えるように設計された。例えば、細菌のDNAを検出するために、2種類のDNA抽出キットといくつかの分子レベルの手法が用いられている。無事出産した女性と妊娠合併症を経験した女性のいずれの場合も大部分の試料に細菌の定着を示す証拠は見られなかった。ただし、新生児敗血症の主な原因であるB群連鎖球菌は例外で、胎盤試料の約5%から検出された。

 以上の研究知見は、胎盤が乳児の微生物相の主要な供給源となっている可能性は低いことを示している、と同時掲載のNicola SegataのNews & Viewsで指摘されている。人間の微生物相が新生児において確立された正確な機序について最終的な結論が得られていないが、「胎盤が微生物の貯蔵庫ではないと確信できるようになった」とSegataは付言している。


微生物学:ヒト胎盤には病原体が見られる場合はあるものの、マイクロバイオームは存在しない

微生物学:子宮内無菌仮説へ逆戻り

 ヒトの子宮は、健康な妊娠では無菌であると長い間考えられてきたが、最近の研究からは、ヒトの胎盤には独自の微生物相があることが示唆されている。この疑問を正確に調べるには、経膣分娩と帝王切開分娩を対比させたさまざまな出産転帰を含む大きなサンプルサイズに加えて、方法間での一致を判定するための、そして可能性のあるコンタミネーションの原因を特定するための厳密な実験対照群が必要となる。M de Goffauたちは今回、そのような研究の結果を報告しており、ヒトの胎盤には微生物相がないことを明らかにしている。ただし、試料の約5%では、日和見病原体であるB群連鎖球菌が見つかった。これらの知見は、胎盤の細菌感染は妊娠の有害転帰における一般的な原因ではないこと、そして、ヒトの胎盤は通常は無菌であることを示唆している。



参考文献:
de Goffau MC. et al.(2019): Human placenta has no microbiome but can contain potential pathogens. Nature, 572, 7769, 329–334.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1451-5

二酸化炭素排出源だった熱帯

 熱帯は二酸化炭素排出源だった、と報告した研究(Palmer et al., 2019)が公表されました。熱帯の陸上生態系では、植物と土壌に大量の炭素が貯留しています。この炭素の運命(生物圏への炭素の貯留が続くのか、二酸化炭素として大気中に放出されるのか)を予測することは、熱帯全体の観測結果が少ないために困難でした。この研究は、複数の人工衛星観測の結果を用いて、2009~2017年の熱帯地域での二酸化炭素排出量の季節的傾向をマッピングしました。アジアとオーストラリアと南アメリカの各熱帯地域は、二酸化炭素を吸収・貯留する二酸化炭素吸収源ですが、アフリカの熱帯地域からは年間約1兆2500億kgの炭素が排出されており、これまでの推定値を大きく上回っている、と明らかになりました。この研究は、持続的な土地劣化を原因とする土壌からの二酸化炭素放出が、この観測結果に重要な役割を果たした可能性を指摘しています。

 これらの知見は、これまで知られていなかった二酸化炭素排出量の多い地域を特定し、パリ協定のような気候変動緩和策をどのように見直す必要があるのか、浮き彫りにしています。こうした緩和策は、天然の二酸化炭素吸収源が引き続き機能して、目標を達成することに大きく依存しています。しかし、熱帯地域の二酸化炭素排出量の急増という予想外の結果は、こうした目標を達成するための努力が、人為起源の変化によって妨げられる可能性を浮き彫りにしています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【気候科学】熱帯が二酸化炭素排出源だったという意外な結果

 温室効果ガスの一種である二酸化炭素(CO2)の北アフリカの熱帯地域からの排出量は、これまで考えられていたよりもはるかに多いことが、人工衛星観測による研究で明らかになった。この研究で、熱帯地域全体が正味のCO2排出源だとする予想外の結果になった。この研究について報告する論文が、今週掲載される。

 熱帯の陸上生態系では、植物と土壌に大量の炭素が貯留している。この炭素の運命(生物圏への炭素の貯留が続くのか、CO2として大気中に放出されるのか)を予測することは、熱帯全体の観測結果が少ないために困難だった。

 今回、Paul Palmerたちの研究グループは、複数の人工衛星観測の結果を用いて、2009~2017年の熱帯地域でのCO2排出量の季節的傾向をマッピングした。アジア、オーストラリア、南米の各熱帯地域は、CO2を吸収・貯留するCO2吸収源であるが、アフリカの熱帯地域からは年間約1兆2500億キログラムの炭素が排出されており、これまでの推定値を大きく上回っている。Palmerたちは、持続的な土地劣化を原因とする土壌からのCO2放出が、この観測結果に重要な役割を果たした可能性があると考えている。

 以上の結果は、これまで知られていなかったCO2排出量の多い地域を特定し、パリ協定のような気候変動緩和策をどのように見直す必要があるのかを浮き彫りにしている。こうした緩和策は、天然のCO2吸収源が引き続き機能して、目標を達成することに大きく依存している。しかし、熱帯地域のCO2排出量の急増という予想外の結果は、こうした目標を達成するための努力が人為起源の変化によって妨げられる可能性のあることを浮き彫りにしている。



参考文献:
Palmer PI. et al.(2019): Net carbon emissions from African biosphere dominate pan-tropical atmospheric CO2 signal. Nature Communications, 10, 3344.
https://doi.org/10.1038/s41467-019-11097-w

気候変動懐疑論者のメディアにおける可視性の評価

 気候変動懐疑論者のメディアにおける可視性の評価に関する研究(Petersen et al., 2019)が公表されました。この研究は、気候変動懐疑論者の可視性と権威性の生成に関する調査を行ない、気候変動懐疑論者(学者・科学者・政治家・実業家)386人と、気候変動の一因が人間の活動だとする見解に同意する気候科学者386人の、デジタルフットプリントを追跡調査しました。この調査はおもに、北アメリカとヨーロッパに拠点を置くメディアソースの約10万点の記事とブログ記事に基づいています。

 全体では、気候変動懐疑論者のメディアにおける可視性は、気候変動科学者よりも49%高かった、と明らかになりました。これに対して、(従来の編集基準による情報の品質管理を実施している)30の主要メディアソースを特に調べたところ、両者の可視性はほぼ同じでした。この研究は、新しいメディア、とくに厳格な情報品質評価基準を適用していない可能性のある情報源やブログによるコンテンツ配信の拡張性が、気候変動懐疑論者の人目を引く発言に対して有利に働いている可能性がある、と指摘しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【気候変動】気候変動懐疑論者のメディアにおける可視性の評価

 2000~2016年にデジタルメディアと印刷メディアに掲載された記事の分析が行われ、気候変動懐疑論者を取り上げた記事が、人間の活動を気候変動の一因とする大多数の見解を支持する科学者を取り上げた記事よりも49%多かったことが明らかになった。しかし、主要報道機関だけに絞った比較では、この可視性の差は1%に過ぎなかった。この結果を報告する論文が、今週掲載される。

 今回、Alexander Petersenたちの研究グループは、気候変動懐疑論者の可視性、権威性の生成に関する調査を行い、気候変動懐疑論者(学者、科学者、政治家、実業家)386人と気候変動の一因が人間の活動だとする見解に同意する気候科学者386人のデジタルフットプリントを追跡調査した。今回の調査は、主に北米とヨーロッパに拠点を置くメディアソースの約10万点の記事とブログ記事を用いて行われた。全体では、気候変動懐疑論者のメディアにおける可視性は、気候変動科学者よりも49%高かったことが判明した。これに対して、(従来の編集基準による情報の品質管理を実施している)30の主要メディアソースを特に調べたところ、両者の可視性は、ほぼ同じだった。

 Petersenたちは、新しいメディア、特に厳格な情報品質評価基準を適用していない可能性のある情報源やブログによるコンテンツ配信の拡張性が、気候変動懐疑論者の人目を引く発言に対して有利に働いている可能性があると主張している。



参考文献:
Petersen AM, Vincent EM, and Westerling AL.(2019): Discrepancy in scientific authority and media visibility of climate change scientists and contrarians. Nature Communications, 10, 3502.
https://doi.org/10.1038/s41467-019-09959-4

NVMeのSSDを導入

 先日、新たにデスクトップパソコンを購入したものの(関連記事)、SSDの速度が期待していたほど出なかったので(関連記事)、今後重い処理を行なう場合も考えて、NVMeのSSDを購入しました。市場に現れたばかりのPCI-Express4.0対応のSSDはまだ高く、発熱も心配だったので、PCI-Express3.0対応のSSDとしました。新たなデスクトップパソコンの温度が予想以上に高いので、NVMeのSSDを購入すべきか、躊躇ったのですが、先代のデスクトップパソコンよりも高性能なCPUとメモリになったので、この機会にNVMeのSSD(1TB)を導入しました。

 発熱はかなり心配だったので、ヒートシンクも購入しました。何とか無事に装着し、OSでも認識されたのでフォーマットし、SATA3.0接続SSD(1TB)のCドライブをクローンコピーし、起動ドライブを入れ替えようとしたところ、BIOSのブート優先順位で選択肢に出てこず、ここで躓いてかなりの時間を要してしまいました。結局、私の見落としにより選択肢に出なかったでけで、起動ドライブに指定できたのですが、起動すると、相変わらずSATA3.0接続SSDがCドライブのままでした。そこで、UEFIモードにすると、BDドライブからの起動ができなくなるものの、NVMeのSSDの方で起動できました。これならば、最初からNVMeのSSDを選択すべきだったかもしれませんが、そうした場合よりやや安上がりとなったので、苦労したものの、これでよかったかな、とも思います。起動ドライブしてからの速度は、

Sequential Read (Q=32,T=1) :3119.855 MB/s
Sequential Write (Q=32,T=1) :2235.645 MB/s
Random Read 4KiB (Q=8,T=8) :1651.310 MB/s [403151.9 IOPS]
Random Write 4KiB (Q=8,T=8) :2172.604 MB/s [530420.9 IOPS]
Random Read 4KiB (Q=32,T=1) :551.841 MB/s [134726.8 IOPS]
Random Write 4KiB (Q=32,T=1) :466.497 MB/s [113890.9 IOPS]
Random Read 4KiB (Q=1,T=1) :52.779 MB/s [12885.5 IOPS]
Random Write 4KiB (Q=1,T=1) :181.157 MB/s [44227.8 IOPS]

となりました。ネットではもっと速度の出ているパソコンも見かけましたが、これだけ速ければ満足すべきでしょうか。PCI-Express4.0対応のM.2スロットに接続すれば、もう少し速くなるかもしれませんが、3~4年後にPCI-Express4.0対応のSSDが安くなっていれば、その時に導入する予定です。アクセスしていない時点では他のSSDより5~6度ほど低く32度前後なので、ヒートシンクの効果はなかなかのようです。まあ、先代のデスクトップパソコンと比較すると、マザーボードがより熱くなっているためか、SATA3.0接続のSSDの温度が高めになっているのもありますが。一方、リムーバブルケースに入れているハードディスクの方は、先代と比較してもほとんど温度は変わりません。しかし、ディスク速度測定のように負荷をかけると、NVMeのSSDの温度は他のSSDに負荷をかけた場合よりも10度ほど高く、60度近くまで上昇しました。冷房を使用している部屋での使用としてはやや心配な温度ですが、何とか許容範囲でしょうか。起動ドライブだったSATA3.0接続のSSDの方は、バックアップ用として今後も使っていくつもりです。これで、先代のデスクトップパソコンからの移行は完了したと思いますので、今後は以前から構想していた長文の執筆にも取りかかろう、と考えています。

地域的な偏りのある人類進化研究

 人類進化研究に地域的な偏りがあることは否定できません。手薄な地域よりも密度の濃い地域を挙げていった方が早そうで、アフリカ東部および南部、ヨーロッパ、アジア南西部、アメリカ大陸、オーストラリア、アジア東部では日本列島といったところでしょうか。こうした地域的格差が生じた理由は複合的ですが、最大の要因は(アメリカ合衆国やオーストラリアなども)ヨーロッパ系研究者にとっての関心と研究条件でしょうか。近代的な学問はヨーロッパから始まったので、ヨーロッパ系研究者が関心を抱いた地域・時代と、ヨーロッパ系研究者にとって研究をしやすい条件の地域が優先されたことは否定できないでしょう。

 ヨーロッパ系研究者にとって最も関心が高い地域はやはりヨーロッパでしょうし、近代はヨーロッパから始まり、社会資本整備と大学の普及および研究環境の構築が最も早く進んだことも、ヨーロッパにおける人類進化研究を促進しました。アフリカは、ダーウィンが人類の起源地としてアフリカを示唆していたにも関わらず、偏見から人類進化研究ではあまり注目されていませんでしたが、東部および南部は人類の起源と関わりそうな遺骸が次々と発見されたことから、研究者が集中することになり、研究が促進されました。アフリカ南部に関しては、南アフリカ共和国の経済力の高さも研究の進展の要因になったと思います。

 アジア南西部は、聖書との関連でヨーロッパの起源として注目されたことから考古学的研究が進み、人類進化研究が促進されました。ただ、アジア南西部では政治的対立が続き、治安状態も悪いことから、21世紀以降では他地域と比較して研究の進展が遅くなっているかもしれません。アメリカ大陸は、アメリカ合衆国が世界最大の経済規模の国となり、研究環境が進展したことにより、人類進化研究が大きく進みました。他地域よりも人類拡散の歴史がずっと浅いことにより、研究密度が向上していると言えるかもしれません。オーストラリアも、アメリカ大陸よりは人類拡散の歴史が古そうですが、比較的歴史は浅く、何よりもヨーロッパ系の主導により早期に進展した近代化が、人類進化研究を促進したと言えそうです。日本列島は、非ヨーロッパ地域の中では近代化が早期に進展し、狭い国土で開発が進んだことから、人類進化研究でも大きな進展が見られました。ただ、日本列島はおおむね酸性土壌で、南西諸島を除いて更新世の人類遺骸がほとんど発見されていないことは、他地域と比較して人類進化研究の大きな制約となっています。

 その他の地域では人類進化研究が比較的遅れているわけですが、経済発展に伴い、社会資本と研究環境が整備されていき、開発の進展に伴う発掘機会の増加により、そうした地域でも人類進化研究は急速に進んでいく、と期待されます。とくにアジア東部の大半を占める中国は、すでに世界第2位の経済規模の国となり、人類進化研究も近年では大きく進展しており(関連記事)、今後のさらなる進展が期待されます。中国の場合、近代に列強の侵略を受けたものの、決定的に植民地化されたわけではなく、1949年に共産党政権が成立してからは、1970年代後半まで閉鎖的だったことが、研究水準と経済力の高いヨーロッパ系研究者を遠ざけることになり、人類進化研究が遅れることになりました。しかし、中国の研究水準は世界第2位の経済力に裏づけられては今や世界でもかなり高いと言えるでしょうから、近年の研究の進展も当然だとは思います。ただ、中国の人類進化研究に関しては、ナショナリズム的性格を危惧する見解もあることが懸念されます(関連記事)。

 アジア南部および南東部といったその他の地域も、経済発展に伴う研究の進展が期待されます。どちらも、現生人類(Homo sapiens)のアジア東部やオセアニアへの拡散の解明という観点からも大いに注目されます。また、現生人類ではない人類も、アジア東部への拡散にはアジア南部および南東部を経由した可能性が高いでしょうから、その意味でも注目されます。中国北部では212万年前頃までさかのぼる石器が発見されているのですが(関連記事)、これは現時点では、地域的にも年代的にもほぼ完全に孤立した事例となっています。パキスタンでは180万年前頃とされる石器も報告されていますが、確定的ではないので(関連記事)、今後、アジア南部および南東部で、その空白を埋める発見があるのではないか、と期待されます。

大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』田畑政治の人物造形

 大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』第二部の主人公である田畑政治の人物造形について、以下のような指摘があります。

とある年配の方と話をしていると、今の大河の阿部サダヲの演技がけたたましすぎて、全然重厚感がない、昔の人はあんなではなかったはずと仰るのだけど、実際に田畑政治を知る人の感想は「生き返ったようにそっくり」だそうで、昔の人は軽くない、偉かったはずだという幻想はなかなか根強い。

 確かに、昔の大河ドラマは重厚感があってよかった、とよく言うような古株の大河ドラマ愛好者の中には、このように考える人は少なからずいそうです。では、じっさいどんな感じだったのだろうと思っていたところ、この指摘を裏づけるような記事が掲載されました。1964年に東京で開催された夏季オリンピック大会の組織委員会に入り、じっさいに田畑と会った吹浦忠正氏は、「本当にそっくり。化けて出たかと思った」、「所作も言葉遣いも口調も、とにかくあのまんまでした」と証言しています。本作がかなり丁寧に作りこまれていることを改めて実感した記事でした。

今上陛下と先祖が同じ方は皆皇族です

 Twitterで、表題の発言への批判を見かけました。まず元の発言は

旧、元という表現に気を付けるべきだと思います。例えば「旧皇族」です。皇族は血統です。離れても、今上陛下と先祖が同じ方は皆皇族です。事実上、GHQの強制であったいわゆる「皇籍離脱」は書類上の話であり、血の繋がりに関係ありません。しかも占領後は無効にできます。だから、皇族は皇族です。

で、それに対する批判は

今上天皇と先祖が同じなら皆皇族というなら、桓武平氏や醍醐源氏や清和源氏や村上源氏や宇多源氏や嵯峨源氏等の血を引く者は皆皇族

です。確かに、元発言に対して上記批判は有効ですし、そもそも、「今上陛下と先祖が同じ方は皆皇族」ならば、現代人は全員、共通祖先を有しているので皇族となってしまいます。その意味で、元発言にたいして揶揄があっても仕方のないところですが、発言主はウクライナ人のグレンコ・アンドリー(Gurenko Andrii)氏とのことですから、私としてはあまり揶揄する気にはなりません。アンドリー氏は1987年にキエフで生まれ、2010~2011年と2013年~2019年までは日本に留学・滞在し、現在は京都市在住とのことです。

 アンドリー氏は日本語能力検定試験1級に合格したそうですが、そうだとしても、日本語を母語としない人がこうした微妙な政治的問題において日本語文章で自分の考えを的確に表現するのはなかなか難しいと思いますし、ましてや140文字制限のTwitterでの呟きですので、上記の元発言を文字通りに解釈すべきではないかもしれません。日本で生まれ育って日本語を母語とする私からすると、日本語が母語ではない人にとって、話し言葉の習得の難易度はさほど高くはなさそうではあるものの、書き言葉の習得はかなり難易度が高いように思います。実のところ、日本語を母語とし、日本で生まれ育った私も、書き言葉としての日本語には未だに自信を持てません。

 アンドリー氏はこの元発言の前に、

過去の物を表す旧、元という表現に気を付けるべきだと思います。例えば「旧日本軍」「旧皇族」、北方領土の「元島民」は非常に違和感があります。日本軍について言えば、いつの間にか日本は別の国になったのか?どの時代でも日本軍は日本軍です。時代を限定したいなら「帝国陸海軍」と言えばいいです。

発言しており、その後には

旧、元という言葉に気を付けるべきだと思います。例えば、北方領土に住んでいた方々について元島民と言います。私は元という字に違和感があります。島民はソ連による侵略のため、避難さぜるを得ず自分の意思で移住したのではありません。今でも北方領土は彼らの土地です。だから「島民」は正しいです。

発言しています。その意味で、第二次世界大戦後の皇籍離脱が「GHQの強制」だという前提に立てば、「今上陛下と先祖が同じ方」とは、この時に皇籍離脱した皇族とその(父系?)子孫に限定されるのがアンドリー氏の真意なのかな、とも思います。とはいえ、「今上陛下と先祖が同じ方は皆皇族」との発言が迂闊だったことは否定できません。ただ、日本語が母語ではない人のTwitter上での発言の迂闊さをあまり責めるのには疑問も残ります。まあ、上述のように私も日本語を母語としながら書き言葉を使いこなせている自信はありませんし、そもそも日本語を母語としているか否かに関わらず、Twitter上での呟きについて安易に揶揄すべきではないのでしょう。私も、ついTwitter上での変な呟きを嘲笑してしまうことはありますし、時にはこのようにブログで取り上げることもありますが、今後は安易に嘲笑・揶揄するような態度を慎もう、と反省しています。

遺伝的近縁性と親近感

 遺伝的近縁性と親近感に関して考えさせられる発言をTwitterで見かけました。以下に引用します。

日本人のDNAのゲノムを調べれば、誰もが半島にゆかりがあることがわかる。それなのにヒステリックに嫌韓に走る人の気が知れない。屈折した自己嫌悪だ。

 現代日本人は遺伝的には、北海道のアイヌ、本州・四国・九州を中心とする「本土」、南方諸島の琉球という3集団に大きくは区分されます。このうち人口比率で他の2集団を圧倒している「本土集団」は、世界の他地域の集団との遺伝的比較において、とくに朝鮮民族と近縁とは言えるでしょう。その意味で、日本人は「半島にゆかりがある」と言っても大過はないでしょうが、遺伝的近縁性を根拠に嫌ってはならないと主張することもまた問題だろう、と思います。

 自分の血縁者を身びいきすることは霊長類で広く見られ、人間も例外ではありませんから(関連記事)、遺伝的により近いと判断した集団に親近感を抱くことは、「自然な行為」とも言えます。しかし、だからといって、そうあるべきだとか、嫌ってはならないとか、嫌うのはおかしいとか主張することは、自然主義的誤謬として批判されるべきです。あくまでも一般論ですが、両親など身近な血縁者であっても、信用ならない人間であれば、忌み嫌う権利はあって当然です。これを遺伝子ではなく文化に置き換えても同様で、文化的に近縁だから嫌ってはならない、という理屈は通りません。

 人間にも身びいきは強く見られ、それはかなりの程度生得的なものでしょうが、それは血縁者に限定されず、土地・学業・職業・宗教(思想)など様々な縁でも見られることです。こうした血縁関係だけに束縛されない柔軟性こそ人間の特徴で、それには大きな争いをもたらす側面もあるとはいえ、友好的な関係をもたらす側面も強くあります。血縁であれ文化であれ、どれかが近いから仲良くすべきとか嫌うべきではないとか嫌う人間はおかしいとかいった発想は、人間の重要な特徴である柔軟性を損なうものだと思います。そうした発想は人間社会を硬直化させ、大きな損害をもたらしかねませんし、何よりも、発言主の主観とは異なり、帝国主義時代の人種主義と強く通ずる危険性があると思います。その意味で、上述の発言にはまったく同意できません。

 2002年に日本と韓国でサッカーワールドカップが共催された時、サッカーには興味のない私にも、なぜ同じ(東)アジアの韓国ではなく対戦相手のヨーロッパの方を応援する日本人がいるのか、といった反応がマスコミやネットで目に入ってきました。この場合、遺伝的にも文化的にも、日本人はヨーロッパ人よりも韓国人の方と近いではないか、という意味合いが込められていたのでしょう。しかし、上述のように人間関係は多様な縁で構成されるものであり、地縁・血縁・(総合的な)文化を優先させねばならない、といった固定観念は有害です。

 私はサッカーには興味はないので、サッカーファンの気持ちを実感できませんが、競馬ファンである自分の心理から推測して、強いチームが完勝することを望み、地縁・血縁・文化的近縁性よりも優先した、という人も少なからずいたように思います。先月(2019年7月)、イギリスでキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスが行なわれ、日本からシュヴァルグランが出走し、私もそれなりに応援したものの、それよりもずっと強くイギリスのエネイブルの方を応援しました。まあ、競馬は個体単位、サッカーは団体単位という違いはありますが。それはさておき、サッカーに疎い私でも、アジアよりヨーロッパや南アメリカの方がずっと高水準と知っているので、韓国とヨーロッパの強豪国が対戦した場合、後者を応援する日本人のサッカーファンがいても不思議ではないと思います。

 もちろん、自国開催(共催)ということで、サッカーファンとは言えないような日本人で一時的に強い関心を抱いた人は少なくないでしょうし、韓国への嫌悪・蔑視などといった感情から韓国の対戦相手を応援した日本人も少なくなかったでしょう。しかし、たとえそうした感情から韓国の対戦相手を応援する人がいた場合、蔑視という感情自体は批判の対象になるとしても、同じ(東)アジアだから日本人はヨーロッパよりも韓国を応援すべきという意見は、素朴というか「自然」な感情の発露ではあるものの、とても同意できません。個体・団体の違いやスポーツ・文芸・音楽などの違いに関わらずどの分野でも、血縁や地縁などよりも優先する基準があったとしても、その基準自体にとくに問題がなければ、責められるべきではないと思います。

皇室の生存戦略

 今年(2019年)5月1日に天皇の代替わりがありました。それ以降、新天皇の徳仁氏とその妻である皇后の雅子氏を称賛する記事が増えてきたように思います。天皇夫妻を称賛するサイトの中には、秋篠宮家にたいする批判・中傷(というのは私の判断ですが)・嘲笑に熱心なところもあります。そのようなサイトは、雅子氏もしくは天皇夫妻のファンか、雅子氏ファンの心理をよく理解した、営利目的も兼ねた人が運営しているのだろうな、と私は推測しています。

 雅子氏が皇太子妃時代に強く批判されていたことは、今でも多くの日本人の記憶に残っているでしょうが、そうした中で、雅子氏もしくは天皇(当時は皇太子)夫妻のファンには、被害者意識を強めて蓄積していった人が少なからずいるのだろうな、と私は考えています。雅子氏への誹謗中傷があまりにも激しかったことから、そうした被害者意識には仕方のない面もあるとは思います。そうした雅子氏ファンの中には、今でもそうであるように、秋篠宮家への強烈な反感・憎悪を隠さない人も少なくないように思います。とくに、秋篠宮文仁親王との間に男子(悠仁親王)を出産した紀子氏は、雅子氏ファンに強く敵視されてきました。

 元々、先代天皇(現在は上皇)明仁氏の二人の息子の妻で、年齢も近いことから、雅子氏と紀子氏は比較対象とされてきました。それだけでも、雅子氏ファンにとって強く意識せざるを得ない対象なのに、男子を産めなかったことで責められた雅子氏にたいして、紀子氏は男子を産んだわけですから、この点でも敵意の対象となったことでしょう。しかも、皇室に40年以上男子が生まれなかったなか、紀子氏は2006年9月6日に40歳目前で男子を産みました。紀子氏の妊娠が広く知られる前には、女性天皇・皇位の女系継承容認も議論されており、雅子氏の娘の愛子内親王の即位が想定されていました。

 そうした中で、紀子氏が40歳目前にして男子を産み、愛子内親王の即位を可能とする法改正の機運が一気に消滅したわけですから、もう皇室に(その時点での夫婦からは)男子は生まれず、将来は愛子内親王が即位するだろうと予想・期待していた雅子氏ファンの紀子氏に対する反感・憎悪は強烈で、ブログのコメント欄で紀子氏を批判する人は珍しくありませんでしたし、今はもう残っていないと思いますが、中には紀子氏を陰険な野心家と罵倒する人もいて呆れました。

 しかし、雅子氏ファンが紀子氏を敵視するのは、男子出産の有無だけではなく、公務への対応も大きいと思います。雅子氏が公務をさぼっていると批判される一方で、紀子氏は夫の文仁氏と共に公務に励んでいると評価され、徳仁氏は皇太子の地位を辞し、弟である文仁氏に譲るべきだ、との意見さえそれなりに発行部数のある雑誌に掲載されたくらいです。雅子氏ファンが紀子氏というか秋篠宮家を敵視する理由としては、男子の有無以上に、公務への評価の方が大きいかもしれません。

 これは、単に東宮家(現在は天皇家)と秋篠宮家に留まる問題ではなく、先代天皇(現在は上皇)明仁氏とその妻である皇后(現在は上皇后)美智子氏も深く関わっている問題だと思います。明仁氏は皇位継承後、積極的に公務に励み、日本国民と関わってきました。明仁氏の在位期間には大規模な災害がたびたび起きましたが、明仁氏は積極的に被災地を訪れ、国民を励ましてきました。それを深く支えてきたのが、妻である皇后(現在は上皇后)の美智子氏でした。しかし、こうして増えた公務に、雅子氏は上手く適応できなかったように思われ、それが発病の一因だったのでしょう。一方、紀子氏は、過剰適応と揶揄されるくらい、義母となる美智子氏に倣って増加してきた公務にも対応しました。

 そのため雅子氏ファンの中には、雅子氏発病の根本的な責任が明仁氏と美智子氏にあると考えていた人も多いだろう、と私は推測しています。もちろん、国民も子供を期待していますよ、と明仁氏が雅子氏に声をかけたと報道されたことなども、明仁氏とその妻である美智子氏に対する雅子氏ファンの反感・敵意を募らせたことでしょう。そうしたことも含めて、徳仁氏の人格否定発言により、雅子氏ファンの中には、先代の天皇・皇后である明仁氏・美智子氏を敵視していった人も少なくないのだと思います。すでに紀子氏が男子を出産した2006年頃には、明仁氏と美智子氏を批判・罵倒する雅子氏ファンのコメントがネットでは散見されました。もちろん、明仁氏と美智子氏や秋篠宮家を批判しているのは、雅子氏ファンだけではありませんが。

 しかし、こうした(一部?の)雅子氏ファンの批判・感情には一理あるとも思います。明仁氏が妻の美智子氏とともに進めた国民と触れ合う公務の拡大路線は、日本国憲法で直接定められたものではありません。しかも、高齢化により肥大化した公務をこなせなくなったとして明仁氏は法律に定められていない退位を要求し、それを多数の国民が支持したため政府は無視できず、特例法により近代以降で初の退位を実現させるに至りました。冷ややかに見れば、明仁氏は自分勝手な人物とも言えます。しかし、明仁氏と美智子氏の公務拡大路線が日本国民の間で高い支持を得たことも確かで、これが現在の皇室への高い支持率につながっているのでしょう。明仁氏と美智子氏に励まされた日本国民は少なくないのだと思います。

 明仁氏は皇位継承時に日本国憲法を守り従うと述べており、現憲法を強く意識していると思われます。現憲法の第1条には、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とあります。明仁氏は、「日本国民の総意」なくして皇室の存続は叶わないと強く意識し、国民と触れ合う公務の拡大路線を進めたのだと思います。それが雅子氏を苦しめた側面は多分にあるでしょうが、現在の天皇・皇后への好感は、単に徳仁氏と雅子氏への個人的親近感からだけではなく、先代の天皇・皇后である明仁氏・美智子氏が積み重ねてきた実績への日本国民の高い評価にも由来していると思います。

 ただ、明仁氏は妻の美智子氏とともに、公務拡大路線で国民の支持を確保しようとして成功しましたが、現在では過労がさらに問題視されていますから、今後その路線が奏功するとは限らないでしょう。その意味で、病気を抱えている雅子氏が得意分野で精選された公務を積み重ねていき、日本国民の支持を獲得していくようなことになれば、日本社会にとっても悪くはないように思います。時代とともに柔軟に在り様を変えてきたのが皇室なので、生前退位(譲位)は許さないといった、大日本帝国体制を絶対視するような意見に過度に引きずられないことが、存続の重要な鍵となるでしょう。明仁氏は、自分が進めた公務拡大路線を息子の徳仁氏にも継承してもらいたいようにも見えますが、現天皇の徳仁氏はまた、どうすれば皇室の存続が叶うのか、自分なりに模索しているように思います。

アフリカ東部における4万年以上前までさかのぼる人類の高地への進出

 中期石器時代のアフリカ東部における人類の高地(海抜2500m以上)への進出を報告した研究(Ossendorf et al., 2019)が公表されました。『サイエンス』のサイトには解説記事(Aldenderfer., 2019)が掲載されています。高地は、酸素濃度が低く、低温で乾燥しており、紫外線量が多く、食資源に乏しいので、人類には厳しい環境です。そのため、人類による高地への拡散は、人類史でかなり最近になってからのことと考えられてきました。高地は熱帯雨林や北極圏や砂漠とともに人類にとって極限環境なので、そうした環境に拡散できた人類は現生人類(Homo sapiens)だけだった、との見解も提示されています(関連記事)。

 高地への人類の早期進出の事例は、チベット高原やアンデス高地で確認されています。アンデス高地では、海抜4000m以上での12000年前頃の人類の痕跡が確認されており、おそらくはある程度長期的な居住で、季節的だった、と推測されています(関連記事)。チベット高原では、海抜4000m以上での12000~7400年前頃の人類の痕跡が確認されており、通年の居住だったと推定されています(関連記事)。チベット高原の事例では人類遺骸は確認されていませんが、どちらも担い手は現生人類と考えて間違いないでしょう。

 チベット高原に関しては、近年になって、さらに古い高地における人類の痕跡が報告されています。一方は、チベット北部のチャンタン(Changthang)地域にある、海抜約4600mに位置する尼阿底(Nwya Devu)遺跡です(関連記事)。4万~3万年前頃と推定されている尼阿底遺跡では人類遺骸は発見されていませんが、現生人類である可能性が高そうです。現代チベット人のゲノム解析から、チベットへの最初の移住は6万~1万年前頃で、最終氷期極大期(LGM)を通じて小規模な人類集団が継続した、と推測されています。尼阿底遺跡の人類集団は、現代チベット人の祖先の一部だったかもしれません。もっとも、上記解説記事は、尼阿底遺跡は人類の永続的な居住地だったのか、考古学的には確証されておらず、報告者たちも慎重な姿勢を示している、と指摘しています。

 もう一方は、海抜約3280mとなる中華人民共和国甘粛省甘南チベット族自治州夏河(Xiahe)県の白石崖溶洞(Baishiya Karst Cave)で発見された16万年以上前と推定されているホモ属の下顎骨で、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)と分類されています(関連記事)。こちらは、現生人類ではない人類の高地への進出として初めて確認された事例となります。しかし、上記解説記事は、白石崖溶洞下顎骨に関しては、考古学的データが提示されていないことから、現時点では現生人類ではない人類による高地適応の確定的な事例ではない、と指摘します。

 現生人類の起源地であるアフリカにおける高地への人類の適応は、中期石器時代以前に関してはほとんど知られていません。アフリカの山地は湿潤で、低地が乾燥している時期には、他の生物と同様に人類にとっても、待避所になった可能性があります。じっさい、以前の研究では、エチオピア高原の海抜2400m地点において、ガデブ(Gadeb)で150万~70万年前頃、メルカクンチュレ(Melka Kunture)で150万年前頃~中期石器時代となる、人類の短期利用の可能性が指摘されています。これらで発見された石器と類似したアシューリアン(Acheulean)様式の握斧が、エチオピアの海抜3000mの開地遺跡で発見されており、50万~20万年前頃と推定されていますが、確実な年代測定ではないことから、上記の解説記事は人類による早期の高地進出の確実な事例として扱うことには慎重です。

 本論文は、アフリカ東部における人類の高地への早期進出を検証するために、エチオピアのベール山脈(Bale Mountains)を調査しました。ベール山脈では、海抜4200mで黒曜石が確認されており、剥片石器が豊富に発見されています。黒曜石の産地から10kmほど離れ、700mほど低い海抜3469mにあるフィンチャハベラ(Fincha Habera)岩陰遺跡では、人類の痕跡を含む河川堆積物が発見されています。この堆積物の新しい層は過去800年のもので、家畜の排泄物が確認されていますが、より古い層の排泄物は人類のものと推定されています。加速器質量分析法(AMS法)による放射性炭素年代測定では、下層の年代が47000~31000年前頃となる中期石器時代と推定されました。フィンチャハベラの中期石器時代石器群は、海洋酸素同位体ステージ(MIS)3後期となる同年代のエチオピアの後期石器時代の石器群といくつかの点で類似している、と本論文は指摘します。フィンチャハベラ遺跡の黒曜石は、ほぼ完全にベール山脈のもので、14点の石器は、化学組成分析により、海抜4200mの黒曜石で製作された、と明らかになりました。

 フィンチャハベラ遺跡の住民は、デバネズミの地域固有種(Tachyoryctes macrocephalus)を食べており、とくに中期石器時代の堆積層では動物群の93.5%を占めます。このデバネズミの骨の分析から、おもに焼いて食べられていた、と推定されています。フィンチャハベラの齧歯類の骨には、ハイエナによる消費を示唆する痕跡は確認されていませんが、ハイエナの排泄物からはデバネズミの骨が発見されています。その他には、ウシ科も食べられていたようです。ダチョウの卵殻の断片も確認されており、低地から持ち込まれた、と推測されています。

 人類がベール山脈高地に拡散し始めた45000年前頃には、氷河が黒曜石産地から数百mほどまで迫っており、フィンチャハベラ遺跡から10kmほど離れた地点まで氷河に覆われていたことになります。この氷河が、人類も含めて当時の生物にとっての水源になった、と推測されます。本論文は考古学的データから、フィンチャハベラが繰り返し居住地として用いられた、と推測しています。食資源としてデバネズミがあり、氷河からは水が供給されたので、人類にとって長期の居住が可能だっただろう、というわけです。ただ本論文は、ベール山脈高地における中期石器時代の人類の永続的な居住を証明するには、同時代の他の遺跡の確認が必要で、現時点では永続的な居住は証明も否定もされていない、と慎重な姿勢を示します。フィンチャハベラ遺跡で発見されたダチョウの卵殻と由来不明の石英製石器からも、中期石器時代における高地のフィンチャハベラの人類集団が低地と関わっていたのは確実と本論文は指摘します。ただ本論文は、当時のこの地域では低地と高地の人類集団が共存していただろうと考えており、ベール山脈が待避所だったとする見解には否定的です。

 本論文は、アフリカ東部において47000~31000年前頃に人類集団が海抜3469mの高地を繰り返し利用していただろう、との見解を提示します。ただ本論文は、それが永続的なものだったのか、まだ確証はない、と慎重な姿勢を示します。あるいは、季節的な利用だったのかもしれません。本論文は、ベール山脈が乾燥期における人類の待避所だったとする見解には否定的で、低地集団と高地集団の共存の可能性を指摘していますから、そうだとすると、集団間の交易が行なわれていたのでしょう。その場合、高地の黒曜石と低地の(装飾品としての)ダチョウの卵殻が交換されていたのかもしれません。フィンチャハベラ遺跡の人類集団は、現生人類だった可能性がきわめて高いでしょう。


参考文献:
Aldenderfer M.(2019): Clearing the (high) air. Science, 365, 6453, 541–542.
https://doi.org/10.1126/science.aay2334

Ossendorf G. et al.(2019): Middle Stone Age foragers resided in high elevations of the glaciated Bale Mountains, Ethiopia. Science, 365, 6453, 583–587.
https://doi.org/10.1126/science.aaw8942

大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』第30回「黄金狂時代」

 1932年7月30日、ロサンゼルスで夏季オリンピック大会が始まりました。日本水泳選手団の総監督の田畑政治は水泳競技での全種目制覇を強く訴えます。まず男子100m自由競争で宮崎が優勝し、意気軒昂な田畑ですが、1940年の夏季オリンピック大会の東京への招致は見通しが厳しい、と嘉納治五郎から告げられます。日本は欧米から遠いことと、満洲事変以降、国際社会での日本への視線が厳しいこともありました。田畑は嘉納から、ドイツで差別主義的なヒトラーが台頭していることなど、国際情勢の不穏と平和への強い想いを聞かされます。

 今回は古今亭志ん生(美濃部孝蔵)の場面が1932年と1960年代の両方でともにやや長く、本編との関連もあったとはいえ、相変わらず上手く接続できていない感は否めません。ずっとここが本作の弱点となっており、視聴率低迷の要因になっているのでしょうが、いつになったら解消されるのでしょうか。男子800mリレーをめぐって、田畑が情に流されそうになったところを松澤監督が諫めた場面は、前回とは役割が逆になっており、なかなか上手く構成されているな、と思います。視聴率低迷のため酷評されている本作ですが、私は相変わらず面白いと思っており、次回もたいへん楽しみです。

日韓「半島外交」失敗の歴史で見える「中臣鎌足」の正体

 表題の記事が記事されました。ヤフーに転載されており、コメントも公開されています。日本(ヤマト政権)は古代において狡猾な百済に何度も煮え湯を飲まされ、海外の工作員たちにつけ込まれて外交に失敗し、大国の唐を相手に無謀な戦いを挑んで大敗し、滅亡の危機に追い込まれてしまった、現代でもさまざまな国のロビー活動や「工作」に警戒しなければならない、といった趣旨です。古代における工作員として具体的に挙げられているのが中臣(藤原)鎌足で、百済の王子の豊璋と同一人物とされています。この記事の執筆者は関裕二氏で、関氏の本を随分前に読んだことがあるので、この記事にはとくに驚きませんでした。

 率直に言って、疑問だらけの記事なのですが、その全てを詳細に検証するだけの気力と見識は現在の私にはないので、とくに問題と思う点を述べていきます。まず、「ヤマト建国後7世紀に至るまで、ヤマトの王に実権は与えられず」との評価ですが、その頃までには摂関政治以降のような幼年の君主がいないことからも、ヤマトの王(大王、後の天皇)は実権を有する強力な君主と考えられます。じっさい、『日本書紀』でも、敏達・推古・皇極などの天皇(大王)の主体的判断が述べられています。この頃は、律令制以降と比較して、天皇(大王)および「中央(ヤマト)政権」による「日本全土」の支配力がずっと劣っていたことは確かでしょうが、だからといって天皇(大王)に実権がなかったとは言えないでしょう。

 次に、日本(ヤマト政権、倭)の外交政策についての認識が問題です。関氏は、蘇我氏が百済に冷淡になったので、ヤマト政権の外交方針を変えるために、親百済派の中大兄(天智)と中臣鎌足が乙巳の変で蘇我入鹿を殺害した、と指摘します。確かに、日本と百済が以前はたいへん親密だったとすると、推古朝~皇極朝における日本の外交政策は百済に冷淡と言えるかもしれません。この時期、『日本書紀』からは、日本は百済・新羅・高句麗とおおむね等距離外交を続けていたように思われるからです。

 ここで問題となるのが、『日本書紀』は親百済派の歴史書との関氏の認識で、これは基本的に妥当だろう、と思います。百済滅亡後、百済から日本に支配層(知識層)が少なからず亡命してきましたが、そうした百済系知識層が『日本書紀』の編纂に関与した可能性は高いでしょうし、『日本書紀』は百済系史料からの引用を明記しています。それだけに、『日本書紀』の編纂時期に日本と新羅との関係が悪化していき、新羅が唐を朝鮮半島に引き入れて百済を滅亡に追い込んだことも踏まえると、日本と百済との関係は、とくに史料が少なかっただろう崇峻朝以前に関しては、実態以上に良好に描かれていた可能性が高いと思います。逆に、日本と新羅との関係は実態以上に険悪に描かれていたのではないか、と私は推測しています。祖国が滅亡し、もはや日本で生きていく決意を固めた百済系知識層には、日本と百済との歴史的に親密な関係を強調する動機が強くあったでしょう。その意味で、推古朝~皇極朝にかけて、百済が日本の外交方針の転換に不満を抱いていた、との認識にはかなり疑問が残ります。

 次に疑問なのは、乙巳の変で百済に冷淡な蘇我入鹿を殺害したのに、その後の孝徳朝では百済と国交断絶した、との関氏の見解です。孝徳朝でも百済からの使者は来日していますし、儀式において百済・新羅・高句麗の王族や医者や学者が出席しています。孝徳朝においても、推古朝~皇極朝と同様に、日本は百済・新羅・高句麗とおおむね等距離外交を続けており、こうした状況は基本的に、斉明朝において百済滅亡の報せが届くまで続いたように思います。また、孝徳朝において、親百済派の中大兄と中臣鎌足が主導して蘇我入鹿を殺したことへの対抗として百済と国交断絶するくらいなら、なぜ首謀者の中大兄と中臣鎌足は粛清されなかったのか、という疑問が残ります。両者は天皇(大王)でも粛清できないくらいの勢力を有していたとするなら、そもそも百済と国交断絶することは困難でしょう。まあじっさいには、上述のように孝徳朝でも百済との関係は続いているので、関氏の見解は間違っているわけですが。

 日本の外交方針が大きく変わるのは斉明朝において百済滅亡の報せが届いてからです。関氏は、百済救援軍が、民衆も負けるに決まっていると非難するなか(当時、民衆がそう考えていたのか、はなはだ疑問ですが)で派遣され、じっさいに惨敗した、と指摘します。日本が唐・新羅相手に百済救援という無謀な戦いを選択したのは、狡猾な百済の工作に乗せられてしまったからだ、というのが関氏の見解です。さらに関氏は、中大兄(天智)から信頼されていた中臣鎌足は百済の王子である豊璋と同一人物だった、との見解を提示しています。中大兄は即位のために鎌足と手を組み、ついには鎌足の要請に応じて鎌足の祖国である百済を復興させるために無謀な戦いに挑んだ、というわけです。

 関氏の挙げる鎌足=豊璋説の根拠は、いずれも確たる証拠ではありません。まず墓については、阿武山古墳が鎌足の墓だとして(その可能性は高そうですが)、「百済の王墓と同じ様式」との評価は疑問で、百済古墳の影響を受けている、というくらいの評価が妥当でしょうし、そもそも7世紀後半の日本(ヤマト政権、倭)の支配層の古墳には、阿武山古墳以外にも百済古墳の影響が見られます(関連記事)。百済滅亡後、百済から多くの支配層・知識層が日本に亡命するなか、百済の文化的影響が墓制でも見られる、というだけのことでしょう。次に、鎌足と豊璋がほぼ同年代の人物という可能性は確かにありますが、それを同一人物説の証拠とするのはたいへん苦しいと思います。

 また、豊璋が白村江の戦いの前後の百済に帰国していた時期に、鎌足の動向が見えないとの指摘については、豊璋が帰国する前の斉明朝の記事においても鎌足の動向は『日本書紀』に明記されていないことから、同一人物説の根拠にはとてもならないでしょう。鎌足は一臣下としては『日本書紀』において登場回数の多い人物でしょうが、そもそも紀伝体ではない『日本書紀』において、一臣下の動向が生涯にわたって詳しく描かれることはまずあり得ないと考えれば、とくに同一人物説の根拠とはならないでしょう。なお、この記事では言及されていませんが、鎌足は臨終時に天智にたいして、「生則無務於軍國」と述べており、これは一般的には白村江の戦いでの敗北を意味している、と解釈されているでしょう。これも鎌足と豊璋を同一人物とする説の根拠にされるかもしれませんが、単に、鎌足も百済救援軍派遣に積極的で、中大兄の決断を後押ししたのに、惨敗に終わったことから、『日本書紀』編纂時の権力者である、鎌足の息子の不比等に配慮して、白村江の戦いへと至る鎌足の動向は省略された、と解釈する方が妥当だと思います。

 なお、関氏は日本による百済救援軍派遣を無謀と批判しており、この認識は現代日本社会でも一般的だと思います。そこから、日本と百済との特別に親密な関係を想定する見解は珍しくないでしょうし、日本は百済の植民地だった、との見解さえ提示されています(関連記事)。しかし、結果的に白村江の戦いでの惨敗に終わった日本による百済救援は、当時の「国際情勢」で理解できる妥当なものであり、それはその後の対朝鮮半島外交も同様なので、日本と百済との特別に親密な関係を想定する必要はないと思います(関連記事)。また、百済復興運動の中心となった鬼室福信のもたらした情報から、唐は戦いに介入してこないだろう、と日本の首脳層が判断していたと考えられることからも(関連記事)、日本による百済救援軍派遣が当時の多くの人々から無謀と批判されていた、とは想定しづらいと思います。客観的にも、唐の高宗(李治)は百済(残党)にたいする大規模な軍の派遣に慎重だったものの、劉仁軌の進言により大規模な唐水軍が朝鮮半島へと派遣された、という事情があり、百済救援軍派遣を単に無謀と言えるのか、私は疑問視しています。

 もちろん、日本が激動の朝鮮半島情勢を傍観する選択肢も、唐・新羅と組む選択肢もあったわけですが、百済救援方針が無謀とは考えられなかったことと、窮地にある百済にたいして決定的に優位に立てそうなことから、百済救援方針が採用されたのでしょう。日本は、長年日本に滞在し、復興百済の王に迎えられることになった余豊璋に織冠を授けており、(将来の)百済王を明確に臣下に位置づけられる、という政治的成果に大きな価値を認めたのでしょう。おそらく鎌足もそうした観点から百済救援軍派遣を支持し、中大兄もその進言を受け入れたのでしょう。

 このように、関氏の歴史認識は基本的に間違っていると思うのですが、この記事では韓国を批判し、警戒を促すような趣旨になっているためか、悪名高いヤフーコメント欄においてさえ、以下に引用(改行は基本的に省略しました)するような好意的感想が見られるのはたいへん残念です。

やはり半島の人は裏切りと嘘の歴史が現在まで繰り返しである事が理解できました。やはり付き合いは距離を置くべきと先人は教えを認識せざる得ません。
本当ならばすごいはつけん。藤原氏は百済王家の生き残りということになる。いずれにせよ、嘘つきというところは、一千年ぐらいじゃ治らない。つまり、淡々と自滅を待つのがベストてとこでしょうかね
ということは、藤原氏は百済のお家柄なんですね。大臣の蘇我氏をクーデターで亡き者にし、中臣が藤原と改名して実権を握り乗っ取り完了。日本人って昔からアマアマだったのね…
すごいなぁ。1400年も前のことを研究して詳細を推察する学問は興味深いです。ただ、その昔から、かの国は同じようなことをしているんですね。民族のDNAですね。日本はやっと普通の対応をし始めたので、これからの関係性が期待できます。


 もちろん、関氏の歴史認識を批判するコメントもあるわけですが、「ネトウヨ」や「嫌韓派」の一定以上の割合の動機は、「愛国」や「郷土愛」よりむしろ、韓国、さらには日本の「左派」や「リベラル」といった「進歩的で良心的な」人々への反感の方が強く、前近代史に強い関心はないため、「愛国的」見解との整合性もとくに問わない、という以前からの私の見解を補強しているように思います。百田尚樹『日本国紀』にもそうした傾向が見られ(前編および後編)、「愛国的」観点からは、とくに古代に関して「売国的」・「反日的」と言えるような記述もあるのですが、Amazonでの評価は高く、絶賛する人が少なからずいます。

 もちろん、『日本国紀』での「反日的」記述を批判する「ネトウヨ」もいるでしょうし、「ネトウヨ」のような雑な区分では、その内部の意見は多様に決まっている、ということなのだと思います。こうした現象を、日本社会の劣化と解釈する人は少なくないでしょうが、人権意識に関して昔はもっとひどく、インターネットの普及により可視化されるようになった、という側面が大きいと思います。もっとも、人権意識に関して、昔(たとえば1970~1980年代)と現代とで、ヨーロッパ北部および西部諸国との相対的な格差が拡大している、という可能性は高いかもしれませんが。まあ、こうして他人事のように述べている私も、「左派」や「リベラル」といった「進歩的で良心的な」人々から見たら「ネトウヨ」に他ならないのでしょうから(関連記事)、上述の私見もヤフーコメント欄と大して変わらず「ネトウヨ」的だ、と批判・罵倒・嘲笑されそうではありますが。

 なお、個人的にたいへん残念なのは、ヤフーコメント欄において、鎌足と豊璋は同一人物だったとする説を知らなかった、との感想が散見されることです。『天智と天武~新説・日本書紀~』は、まさに鎌足と豊璋は同一人物だったとの設定を採用していたのですが、やはり知名度の低い漫画作品だったのでしょうか。『天智と天武~新説・日本書紀~』の連載が始まってまだ1年が経過していない頃、当ブログの記事 に「この天智と天武は関さんが原案だとばかり思いました」とのコメントが寄せられました。私もそうですが、関氏の見解を知っていれば、『天智と天武~新説・日本書紀~』が関氏の見解を採用している、とすぐに考えることでしょう。もっとも、大海人(天武)が通説にしたがって中大兄よりも年少といった根本的設定のいくつかは、関説とは異なるわけですが。

長澤伸樹『楽市楽座はあったのか』

 シリーズ「中世から近世へ」の一冊として、平凡社より2019年2月に刊行されました。以前は「楽市楽座」について強い関心を抱き、色々と調べましたが、もう15年以上勉強を怠っていたので、最近の研究成果を把握するために読みました(まあ、15年前に最新の研究成果を把握できたいたのかというと、そうではないのですが)。本書は「楽市楽座」に関する各史料を個別の状況に即して検証しており、学説史も簡潔に紹介していますから、「楽市楽座」に関する一般向け書籍として現時点では決定版と言えるでしょうし、長く参考にされ続けると思います。私のような非専門家が「楽市楽座」について今後何か発言しようとしたら、まず本書を参考にすべきでしょう。

 本書はまず、「楽市楽座」とはいっても、関連文書22通で、「楽市」は14通、「楽市楽座」は7通、「楽座」は1通での使用が確認されている、と指摘します。「楽座」はより限定的な場面でしか使用されなかった、というわけです。また本書は、そもそも「楽市楽座」関連文書自体、時間的にも地理的にも限定されていた、と指摘します。現存文書では、時間的には1549年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)~1610年まで、地理的には東は武蔵国、西は播磨国までとなります。日本史上、「楽市楽座」はかなり限定的な使用だったことになります。

 そこから本書は、そもそも「楽市楽座」には、近世への道を切り拓いたというような政策的効果があったのか、疑問を呈しています。本書は「楽市楽座」関連文書を個別に検証し、戦乱後の市場の復興や、敵対的勢力との関係の中での物流の確保といった、独特の事情があったことを指摘します。中世から近世への大きな流れの中、それを推し進める役割を果たしたというよりは、個別の事情により「楽市楽座」が要請された、というわけです。また本書は「楽市楽座」に関して、大名側からの恣意的側面だけではなく、地域社会の働きかけという観点も重視しています。

 さらに本書は、「楽市楽座」により市場の繁栄が保証されたわけではなく、衰退した場合もそれなりにあり、江戸時代には人々が「楽市」や「楽座」といった用語に無関心だったことからも、「楽市楽座」は近世を切り拓くような画期的政策ではなかった、と指摘します。この観点からは当然、織田信長の「楽市楽座」を先進的・画期的とする見解は否定されます。私は20年以上前から信長の「先進(革新)性」を強調する見解に疑問を抱いてきたので(ネット上で最古の関連記事は2001年5月17日公開)、信長の保守的傾向を強調する近年の傾向や、本書の見解には基本的に同意します。

 「楽座」についての本書の見解はなかなか興味深いものです。私は以前、「楽座」とは特定の座に属していない商人も「楽市場」では商売可能なことを意味する、と考えていました。本書はもちろん、「楽市楽座」に近世への道の開拓という積極的側面を強調する見解で想定される、座の廃止を否定しているのですが、むしろ、大名側が座に特権商売の対価として義務づけてきた役銭の支払を免除し、負担を伴わない本来あるべき姿たる「楽」へと立ち返らせる政策だった、と主張しています。本書は、「楽座」が「楽市」よりも限定的だったのは、座からの役銭に財政基盤(の一部)を依存していた大名側の都合によるものだった、と推測しています。それでも時として「楽座」を大名側が認めたのは、上述のような個別の事情があったからでした。もちろん信長にも、他の戦国大名と同様に座を廃止する必要はなく、信長は伝統的な体制を活用して勢力を拡大していきました。

 本書は、座の解体策を進めたのは豊臣秀吉だった、と指摘します。本能寺の変直後の秀吉にとって、信長が構築した支配体制をいかに継承し、自身の正当性を示すのかが重要でしたが、1585年7月に関白に任じられた頃から、座を否定して商人支配体制を大規模に再構築するという新たな政策を実行していった、と本書は推測します。「楽座」の最後の事例が1585年10月であることは、そうした状況変化を反映しているのだろう、と本書は指摘します。一般に「織豊政権」と呼ばれますが、信長と秀吉との違いは大きいのではないか、と以前から私は考えていました。商人統制の観点からも、信長と秀吉の違いは大きいようです。

肉食と菜食の環境への影響

 肉食と菜食の環境への影響に関する研究(Eshel et al., 2019)が公表されました。この研究は、コンピューターモデルを用いて、牛肉のみ、またはアメリカ合衆国の主要な3種類の肉(ウシ・トリ・ブタ)の代わりになる野菜を使った食事(数百種類)を考案しました。野菜を使った食事は、おもにダイズ・ピーマン・カボチャ・ソバ・アスパラガスにより構成されています。この研究では、代替対象の肉を使った食事よりも有益である必要はないものの、少なくとも同程度の栄養価のある野菜を使った代替食をモデル化し、環境への影響も評価することが目的とされました。それぞれの食事は、代替対象の肉のタンパク質含有量(牛肉由来のタンパク質が1日当たり13グラム、3種類の肉由来のタンパク質の合計が1日当たり30グラム)と正確に一致し、その他の43種類の栄養素(ビタミンや脂肪酸など)の必要量も満たすようにモデル化されました。

 肉を全量代替する食事の総タンパク質含有量の1/3は、ソバと豆腐によって賄われましたが、そのための窒素肥料と水の使用量は、代替対象の肉を生産するために必要な量の12%にとどまり、その栽培に必要な耕作地の規模は、肉を生産するために必要な牧草地の22%弱でした。牛肉の代替食の総タンパク質含有量において最も大きな割合を占めたのがダイズで、ダイズ栽培に要する窒素肥料の使用量は、牛肉生産に必要な全窒素肥料のわずか6%でした。アメリカ合衆国では、野菜を使った肉の代替食により、1年間に約2900万ヘクタールの耕作地、30億キログラムの窒素肥料の使用量、2800億キログラムの二酸化炭素排出量が削減されると推定され、食品関連の水使用量は15%増加すると予測されました。肉食は環境負荷が高い、との認識は広く浸透しているでしょうが、このように具体的に検証されることの意義は大きいと思います。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【環境】肉食と栄養的に健全な菜食の環境影響分析

 このほど実施されたモデル化研究で、米国人が肉の代わりにタンパク質含有量の変わらない野菜を使った食事をとれば、基本的な栄養所要量を満たしつつ、牧草地を全く使用せずにすませることができ、食料生産に現在必要な耕作地を35~50%削減できることが明らかになった。これにより窒素肥料の使用量と温室効果ガスの排出量を削減できる反面、食料関連の水使用量だけが増加することが示唆されている。この研究知見を報告する論文が、今週掲載される。

 今回、Gidon Eshelたちの研究グループは、コンピューターモデルを用いて、牛肉のみ、または米国の主要な3種類の肉(牛肉、鶏肉、豚肉)の代わりになる野菜を使った食事(数百種類)を考案した。野菜を使った食事は、主にダイズ、ピーマン、カボチャ、ソバ、アスパラガスによって構成されている。今回の研究におけるEshelたちの目標は、代替対象の肉を使った食事よりも有益である必要はないが、少なくとも同程度の栄養価のある野菜を使った代替食をモデル化し、環境への影響も評価することだった。それぞれの食事は、代替対象の肉のタンパク質含有量(牛肉由来のタンパク質が1日当たり13グラム、3種類の肉由来のタンパク質の合計が1日当たり30グラム)と正確に一致し、その他の43種類の栄養素(ビタミン、脂肪酸など)の必要量も満たすようにモデル化された。

 肉を全量代替する食事の総タンパク質含有量の3分の1は、ソバと豆腐によって賄われたが、そのための窒素肥料と水の使用量は、代替対象の肉を生産するために必要な量の12%にとどまり、その栽培に必要な耕作地の規模は、肉を生産するために必要な牧草地の22%弱だった。牛肉の代替食の総タンパク質含有量において最も大きな割合を占めたのがダイズで、ダイズ栽培に要する窒素肥料の使用量は、牛肉生産に必要な全窒素肥料のわずか6%であった。米国では、野菜を使った肉の代替食により、1年間に約2900万ヘクタールの耕作地、30億キログラムの窒素肥料の使用量、2800億キログラムの二酸化炭素排出量が削減されると推定され、食品関連の水使用量は15%増加すると予測された。



参考文献:
Eshel G. et al.(2019): Environmentally Optimal, Nutritionally Sound, Protein and Energy Conserving Plant Based Alternatives to U.S. Meat. Scientific Reports, 9, 10345.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-46590-1

SSDの速度が遅い

 先日、新たにデスクトップパソコンを購入し(関連記事)、データの移行もおおむね終了しましたが、ディスク速度の確認を忘れていたので実行したところ、起動ドライブとなる新規購入のSATA3.0接続のSSD(1TB)の速度が意外に遅く、困惑しました。先代のデスクトップパソコンで3年3ヶ月ほど起動ドライブとして使用していたSSD(480GB)の速度が

Sequential Read (Q=32,T=1) :534.118 MB/s
Sequential Write (Q=32,T=1) :442.288 MB/s
Random Read 4KiB (Q=8,T=8) :217.487 MB/s [53097.4 IOPS]
Random Write 4KiB (Q=8,T=8) :177.879 MB/s [43427.5 IOPS]
Random Read 4KiB (Q=32,T=1) :214.643 MB/s [52403.1 IOPS]
Random Write 4KiB (Q=32,T=1) :179.532 MB/s [43831.1 IOPS]
Random Read 4KiB (Q=1,T=1) :29.265 MB/s [7144.8 IOPS]
Random Write 4KiB (Q=1,T=1) :80.219 MB/s [19584.7 IOPS]

なのに対して、1TBのSSDは

Sequential Read (Q=32,T= 1) :402.518 MB/s
Sequential Write (Q=32,T= 1) :397.300 MB/s
Random Read 4KiB (Q=8,T= 8) :248.145 MB/s [60582.3 IOPS]
Random Write 4KiB (Q=8,T= 8) :175.180 MB/s [42768.6 IOPS]
Random Read 4KiB (Q=32,T= 1) :220.730 MB/s [53889.2 IOPS]
Random Write 4KiB (Q=32,T= 1) :192.500 MB/s [46997.1 IOPS]
Random Read 4KiB (Q=1,T= 1) :40.741 MB/s [9946.5 IOPS]
Random Write 4KiB (Q=1,T= 1) :87.464 MB/s [21353.5 IOPS]

で、Sequentialが明らかに遅くなっています。念のために先々代のデスクトップパソコンで録画した8 GBのファイルをディスク内でコピーしたところ、480GB のSSD が約35秒だったのに対して、1TBのSSDの方は約40秒とやや遅い結果になってしまいました。性能に大きな違いはなく、しかも3年3ヶ月ほど使用していたことから、これはおかしいと思い、色々と検証してみました。まず考えられるのは温度ですが、40度代なので原因ではない、と判断しました。こうした問題で原因としてよく言われるのがSATA2.0への接続なのですが、Sequential Readで400MB/s超の数値が出ており、そもそもマザーボードにSATA2.0はありませんし、CrystalDiskInfoでもSATA3.0接続で表示されていることから、この点は問題ないと判断しました。初期不良も考えましたが、全体的には極端に遅くなっているわけでもないので、こちらも可能性は低いと判断しました。次に、ケーブルを交換してみましたが、速度に大差はありませんでした。

 この問題ではSATAポートへの接続を変えてみることもよく言われるので試してみました。初期設定ではSATAポート1に接続されているので、まず空いているSATAポート2に変更してみましたが、速度に大差はありませんでした。もうほとんど諦めかけていたのですが、最後にSATAポート6に接続すると、

Sequential Read (Q=32,T=1) :547.667 MB/s
Sequential Write (Q=32,T=1) :465.445 MB/s
Random Read 4KiB (Q=8,T=8) :183.089 MB/s [44699.5 IOPS]
Random Write 4KiB (Q=8,T=8) :155.030 MB/s [37849.1 IOPS]
Random Read 4KiB (Q= 32,T=1) :230.014 MB/s [56155.8 IOPS]
Random Write 4KiB (Q=32,T=1) :192.955 MB/s [47108.2 IOPS]
Random Read 4KiB (Q=1,T=1) :40.371 MB/s [9856.2 IOPS]
Random Write 4KiB (Q=1,T=1) :93.718 MB/s [22880.4 IOPS]

とRandomで一部遅くなったものの、Sequentialはまずまずの速度となりました。これでも、ネットで検索した結果と比較すると明らかに遅いのですが、とりあえずSATAポート6に接続して使用することにしました。タスクマネージャーでは、起動ドライブが増設ドライブよりも下に表示され、あまり見栄えはよくないようにも思いますが、仕方のないところでしょうか。今のところ体感では速度に不満はないのですが、今後重い処理を行なうこともあるでしょうから、価格もそれなりに下がってきたNVMeのSSDを購入し、SATA3.0接続の1TB のSSDをバックアップ用にすることも考えています。

紅藻類の姉妹群である非光合成捕食

 紅藻類の姉妹群である非光合成捕食についての研究(Gawryluk et al., 2019)が公表されました。紅色植物門(紅藻類)は、色素体の一次細胞内共生起源という特徴を共有する真核生物の巨大系統群(スーパーグループ)である、アーケプラスチダ(古色素体類)を構成する3系統の1つで、残り2系統は、緑藻類および緑色植物からなる緑色植物門と、灰色植物類と呼ばれる原生生物群です。紅藻類は、ゲノムの小ささとイントロンの少なさや、中心小体や鞭毛、運動性に関連した細胞骨格構造など、系統分類に有用な数多くの形態的特徴を欠くために、その進化の解明および他の生物群との比較が困難です。

 この研究は、現時点では2種の複雑な原生生物からなる、新たな真核生物門(Rhodelphidia)を報告しています。これら2種は紅藻類に近縁な姉妹群ですが、光合成を行わない捕食性の鞭毛虫類です。これらは、混合栄養摂食(捕食と光合成栄養との組み合わせ)がアーケプラスチダの進化において長く存続したことを示し、紅藻類の起源、さらにはアーケプラスチダ進化の全体像に関するじゅうらいの見解を変えるものとなりました。

 Rhodelphis類と紅藻類との間の最も顕著な違いは、その遺伝子含量にあります。たとえば、Rhodelphis類は、中心小体の祖先的な構成要素であることが明らかにされている18のタンパク質のうち15をコードしているのに対し、紅藻類は中心小体を完全に欠いています。また、色素を欠くことと一致して、Rhodelphis類は光合成電子伝達やATP合成に関与するタンパク質をほとんどコードしておらず、色素体ゲノムの存在を裏づける証拠も存在しません。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


進化生物学:紅藻類の姉妹群である非光合成捕食者

進化生物学:紅藻類に近縁な捕食者

 紅色植物門(紅藻類)は、色素体の一次細胞内共生起源という特徴を共有する真核生物の巨大系統群(スーパーグループ)であるアーケプラスチダ(古色素体類)を構成する3つの系統の1つである(残りの2系統は、緑藻類および緑色植物からなる緑色植物門と、灰色植物類と呼ばれる原生生物群)。紅藻類は、ゲノムが小さくてイントロンが少なく、中心小体や鞭毛、運動性に関連した細胞骨格構造など、系統分類に有用な数多くの形態的特徴を欠くために、その進化を解明するのが難しく、これが他の生物群との比較を困難にしている。今回R Gawrylukたちは、現時点では2種の複雑な原生生物からなる、新たな真核生物門Rhodelphidiaを報告している。これら2種は紅藻類に近縁な姉妹群だが、光合成を行わない捕食性の鞭毛虫類である。彼らは、混合栄養摂食(捕食と光合成栄養との組み合わせ)がアーケプラスチダの進化において長く存続したことを示しており、今回の発見は、紅藻類の起源、そしてアーケプラスチダ進化の全体像に関する我々の見方を変えるものとなった。Rhodelphis類と紅藻類との間の最も顕著な違いは、その遺伝子含量にある。例えば、Rhodelphis類は、中心小体の祖先的な構成要素であることが明らかにされている18のタンパク質のうち15をコードしているのに対し、紅藻類は中心小体を完全に欠いている。また、色素を欠くことと一致して、Rhodelphis類は光合成電子伝達やATP合成に関与するタンパク質をほとんどコードしておらず、色素体ゲノムの存在を裏付ける証拠も存在しない。



参考文献:
Gawryluk RMR. et al.(2019): Non-photosynthetic predators are sister to red algae. Nature, 572, 7768, 240–243.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1398-6

サハラ砂漠以南のアフリカにおける地下水の復元力

 サハラ砂漠以南のアフリカにおける地下水の復元力に関する研究(Cuthbert et al., 2019)が公表されました。サハラ砂漠以南のアフリカの人間社会は、地下水を含む水資源の持続可能性に深く依存しています。地下水の涵養についての観測結果は乏しく、そうした結果の統合が困難なため、地下水涵養が降水・気候・地質によりどのように制御されているのか、理解は困難です。この研究は、数十年間のハイドログラフのデータセットを集め、涵養を支配する簡単な関連性は存在しないことを見いだしました。

 乾燥地域では、降水量が閾値を超えている限り、比較的乾燥している年でも涵養量がきわめて多い、と明らかになりました。一方、湿潤な地域では、降水量が年ごとに変動するにも関わらず、涵養量はほぼ一定のレベルを示し、涵養速度は気候ではなく地質によって左右される、と明らかになりました。これらの知見は、サハラ砂漠以南のアフリカでは、起こり得る気候変動パターン(豪雨の頻度は減りますが、より強いものとなります)では、地下水資源は必ずしも減少しないことを示唆しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


水文学:サハラ以南のアフリカにおける気候変動に対する地下水の復元力についての観測された制御機構

水文学:一時的な強い降雨による効率の良い地下水の涵養

 サハラ以南のアフリカの人間社会は、地下水を含む水資源の持続可能性に深く依存している。地下水の涵養についての観測結果は乏しく、そうした結果の統合が困難なため、地下水涵養が降水、気候、地質によってどのように制御されているか理解することは難しい。今回M Cuthbertたちは、数十年間のハイドログラフのデータセットを集め、涵養を支配する簡単な関連性は存在しないことを見いだしている。乾燥地域では、降水量がしきい値を超えている限り、比較的乾燥している年でも涵養量が極めて多い。一方、湿潤な地域では、降水量が年ごとに変動するにもかかわらず、涵養量はほぼ一定のレベルを示し、涵養速度は気候ではなく地質によって左右されている。まとめると今回の結果は、サハラ以南のアフリカでは、起こり得る気候変動パターン(豪雨の頻度は減るがより強いものとなる)では、地下水資源は必ずしも減少しないことを示唆している。



参考文献:
Cuthbert MO. et al.(2019): Observed controls on resilience of groundwater to climate variability in sub-Saharan Africa. Nature, 572, 7768, 230–234.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1441-7

地球温暖化による暑熱関連死の予想

 地球温暖化による暑熱関連死の予想に関する研究(Wang et al., 2019)が公表されました。この研究は、産業革命前からの全球の気温上昇が摂氏1.5度の場合と2.0度の場合の中国の27都市(人口の合計は2億4700万人超)における暑熱関連の死亡率をモデル化し、その上で、2010~2100年について予想される、5つの異なる社会経済的シナリオにおける暑熱関連の死亡率を調べました。その結果、暑熱関連死亡率が中国全土で上昇し、上昇ペースは中国北部で速くなる可能性が高い、と示唆されました。

 気温上昇に対する社会経済的適応がない場合には、暑熱関連の死亡率が、気温上昇が摂氏1.5度だと100万人当たり約104~130人、摂氏2.0度だと100万人当たり約137~170人に増加する可能性があります。なお、気温上昇への適応を評価に組み込んだ場合には、暑熱関連の死亡率は、気温上昇が摂氏1.5度の場合には100万人当たり約49~67人、摂氏2.0度の場合には約59~81人と推定されました。この研究は、気温上昇を摂氏1.5度に抑えれば、摂氏2.0度の場合よりも死亡率を18%低下させられる可能性がある、と結論づけています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【健康科学】地球温暖化による暑熱関連死に関して中国の主要都市の死者数を試算する

 産業革命前からの気温上昇が摂氏2.0度になると、中国の主要都市における暑熱関連の死亡者数が1.5度の場合より少なくとも2万7900人増える可能性があるという研究知見を報告する論文が、今週掲載される。

 今回、Yanjun Wang、Buda Su、Tong Jiangたちの研究グループは、産業革命前からの全球の気温上昇が摂氏1.5度の場合と2.0度の場合の中国の27都市(人口の合計は2億4700万人超)における暑熱関連の死亡率をモデル化し、その上で、2010~2100年について予想される5つの異なる社会経済的シナリオにおける暑熱関連の死亡率を調べた。その結果、暑熱関連死亡率が中国全土で上昇し、上昇のペースが中国北部で速くなる可能性の高いことが示唆された。気温上昇に対する社会経済的適応がない場合には、暑熱関連の死亡率が、気温上昇が摂氏1.5度の場合には100万人当たり約104~130人、摂氏2.0度の場合には100万人当たり約137~170人に増加する可能性がある。なお、気温上昇への適応を評価に組み込んだ場合には、暑熱関連の死亡率が、気温上昇が摂氏1.5度の場合には100万人当たり約49~67人、摂氏2.0度の場合には約59~81人となった。

 Wangたちの研究グループは、気温上昇を摂氏1.5度に抑えれば、摂氏2.0度の場合よりも死亡率を18%低下させられる可能性があると結論付けている。



参考文献:
Wang Y. et al.(2019): Tens of thousands additional deaths annually in cities of China between 1.5 °C and 2.0 °C warming. Nature Communications, 10, 3376.
https://doi.org/10.1038/s41467-019-11283-w
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椅子を購入

 デスクトップパソコンの購入(関連記事)を契機に、椅子も買い替えました。デスクトップパソコンよりも前に注文していたのですが、届くのはこちらのほうが遅くなってしまいました。これまで、最高でも8000円程度の椅子しか購入したことはなく、3年ほど使っている椅子は約4000円で購入したのですが、毎日使用して健康にも関わってくるだけに、やや高い椅子にしようと決断し、初めて1万円台の購入を購入しました。商品紹介では「ゲーミングチェア」となっていますが、ゲーム用途限定というわけではなさそうだったので、この商品を選択しました。

 組み立てに関しては、丁寧にも動画がYouTubeにアップロードされており、役立ちました。私は手先が器用ではないので、パソコンで増設・交換する時や、椅子の組み立てではいつも平均以上に苦労していると思うのですが、動画も参考にしつつ、さほど困らずに組み立てられました。さすがに座り心地は先代の椅子よりもずっと良く、できるだけ長く使い続けたいものです。また、付属のUSBクッションが期待以上で、つい腰に当ててずっと使いたくなる心地良さであることも高評価です。デスクトップパソコンの処理能力が大きく向上し、ブログの1記事の制限文字数も約2万文字から13万字に増えて、椅子の座り心地も良くなったので、そろそろ以前から構想していた長文の執筆に取り掛かろう、と考えています。

『卑弥呼』第22話「血斗」

 『ビッグコミックオリジナル』2019年8月20日号掲載分の感想です。前回は、山社(ヤマト)の人々が自分を日見子(ヒミコ)と認めている様子を見て、ヤノハが満足そうに微笑む場面で終了しました。今回は、那軍が大河(筑後川と思われます)を渡って暈(クマ)軍に攻め入り、暈軍が壊滅した場面から始まります。一方那軍は、数名が戦死しただけでした。しかし、暈軍を率いるオシクマ将軍は投降せず、那軍の兵士をことごとく返り討ちにしていました。オシクマ将軍から一騎討ちを申し込まれたトメ将軍は、面白いと言って応じます。オシクマ将軍の提案した条件は、トメ将軍が勝てば自分は抵抗をやめて俘虜となるが、部下の命は助けてもらいたい、自分が勝った場合は、自分を含めて生存者全員の撤兵を認めてもらいたい、というものでした。トメ将軍はその提案を受け入れ、戦い続けたオシクマ将軍の体調を考慮し、水と塩を与え、オシクマ将軍が休憩した後に闘うことを提案します。感謝するオシクマ将軍に、暈一の使い手のオシクマ将軍が真の力を見せてくれねば、自分が後悔する、と言います。

 暈にある「日の巫女」集団の学舎である種智院(シュチイン)では、日の巫女の長であるヒルメが、山杜(ヤマト)の祈祷女(イノリメ)の長であるイスズを楼観にて出迎えていました。なぜヤノハを捕らえなかったのか、とヒルメに問われたイスズは、ヤノハは本物の日見子(ヒミコ)だ、と答えます。呆れた様子のヒルメに、ヤノハは本物の日見子だ、とイスズは繰り返します。するとヒルメは、本物も偽物も関係ない、タケル王が千人の兵を率いてヤノハの手足を砕いて荒野に放ち、一件落着だ、と言います。イスズ、ヒルメがタケル王の山社入りを阻止せよと言っていたではないか、と言って驚きます。どちらも偽物なら、どちらが死んでもかまわない、と言うヒルメを、謀反人だとイスズは断定します。イスズは、種智院の戦部(イクサベ)の師長であるククリに、ヤノハとヒルメのどちらにつくのか、選択を迫ります。ヒルメは、部下のククリが自分に従うと確信していますが、ヒルメを捕らえるようイスズに命じられたククリは、ヒルメが私怨から日見子様の出現を認めようとしないばかりか、殺そうとしたのは重大な天照様への冒涜だと告げ、愕然としているヒルメを捕らえます。

 暈軍と那軍が対峙していた戦場では、オシクマ将軍とトメ将軍の一騎討ちが始まりました。トメ将軍の刀はオシクマ将軍にとって見慣れないもので、漢の柳葉刀でした。オシクマ将軍は刀を縦に持つ蜻蛉という構えで、トメ将軍は半身で刀を後ろに下げる虎の尾という構えで対峙します。トメ将軍は、オシクマ将軍の構えが、暈で用いられる初太刀にかける剣法だと悟り、警戒します。後の示現流の一の太刀の起源という設定でしょうか。両者ともに力量は互角と認識し、先に仕掛けた方が死ぬと考えているため、構えたまま動こうとしません。那軍の兵士は、トメ将軍の構えが変則的なので、オシクマ将軍が勝つ、と予想していました。オシクマ将軍はトメ将軍がわずかに動いたのを見て踏み込みますが、トメ将軍はその初太刀を交わしてオシクマ将軍の首を斬り、オシクマ将軍は、見事と言って絶命します。虎の尾とは、百獣の王である虎の尻尾が目にも止まらぬ速さで左右に動くことを模した剣技とのことです。勝ったトメ将軍ですが、力量の優れたオシクマ将軍の死を惜しみます。那軍の兵士たちはトメ将軍の勝利に歓声をあげ、トメ将軍は、天照様は勝利を我が軍に与えた、このまま南下して鞠智の里と鹿屋を一気に攻め滅ぼす、と兵士たちを鼓舞します。そこへ大河を泳いできたヌカデが現れ、日見子(ヤノハ)様の予言通り那軍が大勝したので約束を守ってください、とトメ将軍に念押しします。トメ将軍はヌカデに、暈軍の兵が数日間河岸からいなくなる、という日見子(ヤノハ)の予言が実現すれば、自分も日見子を支持する、と約束していました(第19話)。

 山社では、タケル王の率いる軍勢が門前に迫り、テヅチ将軍は山社のミマト将軍に、自軍を入場させ、偽の日見子(ヤノハ)を引き渡すよう、伝えます。するとミマト将軍は、自分を「山社国」の将軍と称し、テヅチ将軍は「山社国」という表現に違和感を覚えます。ミマト将軍は高らかに、天照様に守られた女王国には謀反人は絶対入れない、早々に立ち去れ、とテヅチ将軍に返答します。すると楼観の上に、眩しい光を背景にヤノハが現れる、というところで今回は終了です。おそらく、イクメが背後で銅鏡を日光に当てて反射させているのでしょう。


 今回はヤノハがほとんど登場せず、暈と那の戦いの決着および種智院でのヒルメの失脚が描かれました。オシクマ将軍は武人として優れており、トメ将軍とは敵ながら互いの力量を認め合う関係だったようです。ただ、謹厳実直な感じのオシクマ将軍とは対照的に、トメ将軍は遊び心のある感じです。これが、トメ将軍とオシクマ将軍との一騎討ちの勝敗を分けた一因でしょうか。もっとも、トメ将軍はいつか自分の遊び心に足をすくわれるというか、ヤノハがそれを利用してトメ将軍を失脚・敗死させるようなことがあるかもしれません。ヌカデに日見子(ヤノハ)の予言通り事態が進めば日見子を支持する、と約束していたトメ将軍がどのような行動に出るのか、注目されます。

 暈の種智院では、ヤノハを抹殺しようとし続けたヒルメが失脚しました。ヤノハにとって、ヒルメの存在は大きな障壁になっていただけに、これはヤノハの構想実現には大きな前進となりそうです。しかし、暈は『三国志』の狗奴国と思われますので、日見子(卑弥呼)たるヤノハとは対立を続けることになりそうです。おそらく、種智院はヤノハに従うものの、暈のタケル王はもちろん、イサオ王も鞠智彦(ククチヒコ)麑(カノコ)もヤノハを日見子と認めず、対立を続けるのでしょう。なお、今回初めて人物相関図が掲載されましたが、タケル王は「わがままで、幼稚な性格」と紹介されており、的確な評価だと思います。今回もひじょうに面白く読み進められましたので、次回もたいへん楽しみです。

久々にデスクトップパソコンを購入(追記有)

 2011年10月にデスクトップパソコンを購入(関連記事)してから7年10ヶ月ほど経過し、やっと新たにデスクトップパソコンを購入しました。先代となったデスクトップパソコンの使用期間は、これまでで最長となりました。AMD製CPUの第1世代Ryzenが2年前(2017年)に発売されて間もない頃、先代のデスクトップパソコンが不調になったので(関連記事)、その時点ですでに5年以上使っていたため、買い替えようと考えたのですが、メモリの価格が高かったので、見送りました。その後、さらにメモリの価格が上昇し、デスクトップパソコンの方もさほど支障なく使えるようになったので、買い替えをずっと見送ってきました。

 しかし、メモリとSSDの価格が下がってきたことや、最近Intel製CPUのセキュリティ問題が頻繁に報告され、パッチを適用すると性能が低下することや(私の環境でも、ディスクアクセス速度が低下しました)、ワードでの文章作成、とくに貼り付けのさいの動作の遅さを体感するようになったことや、CPU温度が以前より上昇してきたことなどから、最近発売され(関連記事)、第2世代よりも大きく性能が向上した第3世代Ryzen(Zen2アーキテクチャ)搭載のデスクトップパソコンの購入を決断しました。

 短くとも5年以上の使用を想定しているので、CPUは12コアの3900Xも考えましたが、価格と、12コアではメモリバス2チャンネルはバランスが悪そうなことを考慮して、8コアの3700Xにしました。マザーボードも消費電力の観点などから悩んだのですが、長く使うことを想定して、PCI-Express4.0対応のX570としました。これは、第3世代Ryzenの安定的な運用には前世代よりもX570の方がよいだろう、と判断したからでもあります。メモリはDDR4-3200・32GB(16GB2枚)です。SSDは、NVMeにすべきか、悩んだのですが、私の使い方では速度の違いを体感できる場面はほとんどなさそうなので、SATA3.0接続の1GBを選択しました。GPUは、やりたいゲームが重いようなら買い替えればよいと考えて、低スペックのGeForce GTX1650を選択しました。電源は、550Wでもよいかな、とも考えたのですが、長く使って電源が消耗することも考えて、80PLUS Goldの750Wとしました。OSはWindows10 Proの64bit版です。

 購入を決断したまではよかったのですが、今回はデータの移行で大失敗してしまいました。先代のSSD(SSD2)を作業用として新たなデスクトップパソコンに移そうと考えて、先代のデスクトップパソコンでSSD2の前に使っていたSSD(SSD1)にバックアップ用としてクローンコピーしようとしたのですが、SSD1をSATA3.0に接続しても認識されず、SATA2.0接続だと認識されました。このまま速度の低下を我慢してコピーすればよかったのですが、もう1回SATA3.0に接続したら、OSが起動しなくなったというか、起動中の回転表示が極端に遅くなったので、再起動や電源を落としたうえでのマザーボード上の電池の抜き差しを試してみたら、ついにSATAに接続していたSSDもブルーレイディスクドライブもハードディスク(HD1)も認識されなくなりました。修復用のUSBメモリで起動しようとすると、やはり起動中の回転表示が極端に遅くなり、起動の目途がまったく立たない状態になりました。その後、SATAケーブルの抜き差しにより、SATAに接続したディスクドライブは認識されるようになりましたが、途中までは起動するものの、その後は真っ暗な画面のまま先に進まず、USBメモリとブルーレイディスクから修復を試みてもことごとく失敗したので、先代のデスクトップパソコンの活用はとりあえず諦めました。本当は、先代のデスクトップパソコンを起動して画面を確認しながら、新たなデスクトップパソコンで設定しようと考えていたのですが。

 一応重要データはバックアップを取っていたので、最悪の事態ではありませんが、自分の諦めの悪さが面倒な事態を引き起こしてしまったわけで、ひじょうに後悔しています。SSD2とHD1は新たなデスクトップパソコンに移動して使う予定だったので、認識されないようだと、少なくともHDは新たに購入しなければならなかったのでずが、幸いにも残念ながらSSD2もHD1も新たなデスクトップパソコンで認識され、データを使用できました。先代のデスクトップパソコンが故障してしまったことにより、Office 2016をアンインストールできなくなり、新たなデスクトップパソコンでは電話認証することになりました。こちらは何とかインストールでき、温度表示ソフトなど最低限必要なその他のソフトもインストールしたうえで、音楽ソフトのリストの復元などもやり、おおむね先代のデスクトップパソコンと同じ状態を復元できました。この間、ノートパソコンでの検索が役に立ちました。やはり、予備でノートパソコンを購入しておいて正解だった、と改めて思ったものです。

 データの移行はずっと意識していたので、割と順調でしたが、音楽ソフトのリストの復元はほぼ失念していたので、最初からやり直さないといけないかな、と覚悟しました。しかし、すんなりと移行できたのは何よりでした。『ウイニングポスト』シリーズをプレイするには再インストールしなければなりませんが、当分プレイ予定はないので、インストールも後にしようと思います。まあ、ディスクがどこにあるのか、探すのが面倒ということもありますが。『三國志曹操伝』は一応再インストールし、音楽再生の設定も無事に完了しました。『三國志曹操伝』は1998年発売で、その時点では公式にはWindows 9x系にしか対応していなかったと記憶していますが、64ビット版のWindows 10でも動作することにはやや感動します。

 Chromeやワードを使った感じでは、やはりかなり性能が向上しているようです。単に、CPUのコア・スレッド数が倍になったこともありますが、CPUのシングルスレッドとメモリの性能が大きく向上したからなのでしょう。先代のデスクトップパソコンではまともに再生されなかった8K動画も、滑らかに再生されました。先代のデスクトップパソコンでは、4K動画の再生となると8スレッド(4コア)全ての使用率が90%前後になりましたが、新たなデスクトップパソコンでは最大使用率のスレッドでも20%程度に留まっており、性能の向上をとくに実感しました。ただ、予想以上にCPUの温度が高く、クーラーは標準装備品ではなく、もっと高価なものにしておけばよかったかな、とやや後悔しています。X570はそれだけ熱いということなのでしょうか。先代のデスクトップパソコンと比較すると、合計では20万円弱とやや安く購入できましたが、メモリ容量が2倍、SSD容量が4倍になったとはいえ、その時点での相対的な性能で比較すると、GPUはかなり劣りますし、CPUもやや劣るので、当時よりは割高感もあります。それなりの価格での購入となったので、先代とまではいかずとも、できれば6年以上使い続けたいものです。


追記(2019年8月5日)
 部屋を整理していたら『三國志曹操伝』のパッケージに気づき、改めて確認したら、『三國志曹操伝』はWindows NT系にも対応していました。ならば、32ビットと64ビットの違いはあっても、Windows 10で動作しても不思議ではなさそうです。

アジア東部で最古となる線刻

 アジア東部で最古となる線刻を報告した研究(Li et al., 2019)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。線刻は、現生人類(Homo sapiens)に特有の象徴的思考の考古学的指標とされてきました。たとえば南アフリカ共和国では、6万年前頃の線刻のある大量のダチョウの卵殻が発見されており、現生人類の所産と考えられています(関連記事)。同じく南アフリカ共和国で発見された現生人類の所産と考えられる遺物としては、6本の線と3本の線による斜交平行模様の描かれた73000年前頃のオーカー(鉄分を多く含んだ粘土)があり、最古の描画とされています(関連記事)。

 しかし近年、現生人類の所産ではなさそうな線刻も報告されています。たとえばジャワ島では、54万~43万年前頃と推定されている線刻のある貝が発見されており、ホモ・エレクトス(Homo erectus)の所産と考えられています(関連記事)。ジブラルタルでは、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の所産とされる39000年以上前の岩盤の線刻が発見されています(関連記事)。また線刻に限らず、現生人類ではないホモ属による象徴的思考の指標とされる遺物も報告されており、たとえばクロアチアで発見された、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の所産と考えられる13万年前頃の装飾品です(関連記事)。

 しかし、現生人類の拡散前に人類の存在したアジア東部では、こうした象徴的思考の指標となるような遺物は乏しく、非現生人類の所産とされた数少ない事例も、年代や人為性が疑問視されてきました。また、4万年前頃以降の現生人類の所産とされる象徴的思考の指標となるような遺物も、他地域より少ないのが現状です。本論文は、中華人民共和国河南省許昌市(Xuchang)霊井(Lingjing)遺跡で発見された125000~105000年前頃の、意図的な線刻のある風化した断片的な骨2点を報告します。この2点の骨は、祖先的特徴と派生的特徴の混在するホモ属頭蓋(関連記事)と同じ層で発見されました。この人類は、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)かもしれない、と指摘されています。

 霊井遺跡は1965年に発見され、11層が確認されています。第1~4層は完新世、第5層が最終氷期極大期からヤンガードライアス期、第10~11層が後期更新世早期です。線刻のある2点の骨(9L0141と9L0148)、および祖先的特徴と派生的特徴の混在するホモ属頭蓋は第11層で発見されています。光刺激ルミネッセンス法(OSL)では、第11層の年代は125000~105000年前頃で、温暖とされる海洋酸素同位体ステージ(MIS)5の早期段階に相当します。第11層で発見された動物遺骸はおもに、ウマ(Equus caballus)とアジアノロバ(Equus hemionus)とオーロックス(Bos primigenius)です。四肢が60%以上と高い割合で発見され、解体痕(cut marks)も約34%と高頻度で観察されることから、霊井遺跡第11層の人類は草食動物を屠殺して食べていた、と推測されています。第11層の石器群はほとんど石英および珪岩製で、破片や摩耗痕が確認されていることから、霊井遺跡で石器は製作・使用された、と推測されています。

 線刻のある2点の標本は、断片的すぎて分類を特定できませんが、大型哺乳類の成体の肋骨と推定されています。この2点の断片的な骨に刻まれた線は、解体痕のような他の哺乳類の骨の傷跡が死後すぐのものなのに対して、時間が経過して硬くなった後のものだという点で、屠殺目的であることが否定されます。また、線は骨の窪みにも見られ、ひじょうに鋭い石により刻まれた、と推測されています。さらに、ほぼ重なる線が何本も刻まれており、同じところを何度もなぞったと考えられることから、人為的ではあるものの、屠殺のような「実用的」行動の結果ではない、と推測されました。また、9L0141の線には赤い残留物が確認されたものの、第11層にはそうした残留物の証拠は見られませんでした。そのため、意図的にオーカーが塗られたのではないか、と推測されています。なお、線の非対称性と彫り込みの方向から、刻んだ人物は右利きと推測されています。

 大型哺乳類の成体の断片的な肋骨である9L0141と9L0148に刻まれた線は、明らかに人為的なものです。しかも、屠殺のような「実用的」行動の結果ではなく、オーカー(と思われる物質)をわざわざ塗ったと推測されることから、象徴的行動の証拠と解釈できます。霊井遺跡の線刻は、アジア東部における最古級の象徴的思考の証拠と言えるでしう。オーカーのような顔料は、30万年前頃にはアフリカで広範かつ定期的に用いられていた、と推測されています(関連記事)。また、ネアンデルタール人が25万年前頃にオーカーを用いていた可能性も指摘されています(関連記事)。もはや、象徴的行動の指標となるような行動の少なくとも一部は、現生人類ではない人類にも可能だった、と考えるべきでしょう。おそらく、現生人類とネアンデルタール人の最終共通祖先の段階で、象徴的行動の少なくとも一部を可能とする潜在的能力は備わっていたのでしょう。

 その意味で注目されるのは、霊井遺跡第11層で発見された線刻のある骨を残したのが、どの人類だったのか、という問題です。上述のように、霊井遺跡第11層ではホモ属頭蓋が発見されており、デニソワ人の可能性が指摘されています。この「霊井人」と類似したホモ属として、中華人民共和国河北(Hebei)省張家口(Zhangjiakou)市陽原(Yangyuan)県の許家窯(Xujiayao)遺跡で発見された、10万年以上前のホモ属遺骸(関連記事)があります。最近報告された、チベット高原東部で発見されたデニソワ人の下顎骨に関しては、この「許家窯人」との類似性が指摘されており(関連記事)、この点からも、「霊井人」がデニソワ人だった可能性は低くなさそうです。

 しかしデニソワ人については、とくに形態面の情報がまだ少ないため(関連記事)、現時点ではとても断定できません。それでも本論文は、霊井遺跡の線刻が、現生人類とネアンデルタール人以外では初めて、デニソワ人にも象徴的行動が可能だった証拠になる可能性を指摘しています。もっとも、まだ広く認められていないとはいえ、デニソワ人が象徴的思考の指標となり得る装飾品を製作していた、との見解もすでに提示されていました(関連記事)。ネアンデルタール人の象徴的思考の痕跡はすでに少なからず蓄積されていますので、今後はデニソワ人についても、同様の事例がじょじょに報告されていくのではないか、と期待されます。


参考文献:
Li Z. et al.(2019): Engraved bones from the archaic hominin site of Lingjing, Henan Province. Antiquity, 93, 370, 886–900.
https://doi.org/10.15184/aqy.2019.81

大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』第29回「夢のカリフォルニア」

 1932年、ロサンゼルスで夏季オリンピック大会が開催され、日本も選手団を派遣します。しかし、日本選手団はそこでアメリカ合衆国における人種差別を目の当たりにします。それでも田畑政治は意気軒昂ですが、メダルに拘る田畑と、選手としてはすでに全盛期を過ぎた主将の高石との確執は続いていました。メダルに拘る田畑は、高石を本番で起用するつもりはなく、衰えを自覚している高石は、それも仕方ないと半ば諦めている反面、主将なのに自分を出そうとしない田畑への反感を深めていき、鬱憤が蓄積していました。

 しかし、夜中に練習をしている高石の姿を見ていた後輩たちは、高石を出すよう松澤監督に頼み込みます。松澤も田畑に高石を出すよう頼み込みますが、メダルに拘る田畑は高石を出そうとせず、松澤に真意を明かします。田畑は、五・一五事件後の暗い世相のなか、日本に少しでも明るいニュースを届けようと、メダルに拘っていました。本番の出場選手を決める選考会で高石は大きく遅れた最下位となり、田畑は高石を選出しませんでしたが、田畑の真意を聞いていた高石は、納得して出場する選手を励ますことにします。

 今回はロサンゼルス大会の開会式までが描かれました。人種差別が激しく、日系人への偏見が強かった頃のアメリカ合衆国の状況を背景に、なかなか面白くなっていました。このような日本選手団にとって厳しい状況で、田畑のような強気で騒々しい人物が総監督でいることにより、日本選手団が委縮せずに練習に励めていた、という描写になっていたのは面白いと思います。今回の中心人物である高石の葛藤と焦燥もよく描かれており、本番での話も楽しみです。

大木毅『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』

 岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2019年7月に刊行されました。本書は独ソ戦の一般向け概説となりますが、戦況の推移や軍部指導層の思惑や兵器についてのみ取り上げた「狭義の軍事史」ではなく、「絶滅戦争」とも言われる独ソ戦のイデオロギー的性格や、当時の独ソ両国の政治状況も重視しており、独ソ戦を広い視野から位置づけています。独ソ戦について調べようと思った日本人がまず参照すべき基本書として、長く読まれ続けるのではないか、と思います。

 独ソ戦当初、ドイツ軍がソ連軍を圧倒したことはよく知られていると思います。本書は、ソ連軍が開戦当初に圧倒された理由として、スターリンの責任を指摘します。スターリンには、ドイツが間もなくソ連に侵攻してくることを予想した報告が多く届いていました。それをスターリンは無視し、ドイツを刺激しないよう軍部に指示し、前線のソ連軍はドイツ軍にたいして無警戒・無防備とも言える体制で攻撃を受けることになりました。ドイツ軍のソ連侵攻はソ連軍にとって奇襲となり、貴重な航空戦力が大損害を受けるなど、開戦当初のソ連軍は大混乱しました。本書は、スターリンの判断の誤りにより、一部は避け得たはずの被害をソ連が受けてしまった、と指摘します。こうしたスターリンの判断の誤りには、将校の大量粛清によるソ連軍の弱体化がありました。もちろんこれも、スターリンの決断によるものです。

 スターリンはソ連軍の弱体化を認識しており、それ故にまだドイツ軍と戦う時期ではないと考え、ドイツ軍による侵攻はない、との判断に傾きました。一種の現実逃避と言えそうです。このスターリンの判断の要因として、根強いイギリスへの不信があったことも、本書は指摘します。ドイツ軍がソ連に侵攻してくるとの情報は、ソ連とドイツを争わせようとするイギリスの謀略ではないか、とスターリンは疑っていたわけです。スターリンのイギリスに対する不信感にはもっともなところがあったとは思いますが、それがスターリンの判断を誤らせてしまいました。スターリンには、ドイツがイギリスと講和していない時点でソ連に攻め込めば、第一次世界大戦のような二正面作戦になるので、ドイツはイギリスと講和するまでソ連には攻め込んでこないだろう、との判断もあったのかもしれません。また本書は、開戦当初のソ連軍が、状況に適していないドクトリンに拘ったことも、ソ連軍の被害を大きくした、と指摘します。当時のソ連軍のドクトリンは先進的だったものの、攻撃を重視していました。大粛清によって弱体化し、無警戒でドイツ軍の奇襲を受けて大混乱していた開戦当初のソ連軍には、このドクトリンへの拘りは被害を拡大する有害なものだったわけです。

 一方のドイツ軍ですが、国防軍最高司令官でもあったヒトラーも含めてドイツ軍首脳部がソ連軍を過小評価していた、と本書は強調します。もっとも、独ソ開戦の1年半ほど前に始まった冬戦争でソ連軍はフィンランド軍相手に苦戦していたので、この判断にはある程度仕方のないところもあるだろう、とは思います。この過小評価により、ドイツ軍は冬季の装備も含めて補給体制が明らかに不充分なまま、ソ連に侵攻することになりました。その結果、ソ連で略奪も起き、反発した住民の中にはパルチザン闘争に加わる者も出ました。ドイツがソ連への侵攻をいつ決断したのか、という問題について、本書はある程度段階的だった、と解説しています。また本書は、対ソ侵攻はヒトラー単独の決断ではなく、ドイツ陸軍も全体的には積極的だった、と指摘します。

 開戦当初、ドイツ軍がソ連軍を圧倒したことは上述の通りですが、すでに開戦から間もない時点で、ドイツ軍の被害は戦車を中心として無視できないほど大きく、ドイツ軍首脳部にとって誤算が生じていた、と本書は指摘します。これは、ソ連軍がドイツ軍の攻勢により孤立しても、しぶとく戦い続けたことも大きかったようです。独ソ戦の当初とその前年のフランスの敗北は、ドイツ軍による「電撃戦」の輝かしい成果として語られていますが、本書は、当時のドイツ軍には「電撃戦」というドクトリンはとくになく、この言葉は多分に宣伝的なものだった、と指摘します。「電撃戦」は、基本的には第一次世界大戦中にドイツ軍により完成された「浸透戦術」を新たな装備で実行したものだった、というのが本書の評価です。

 このように、ドイツ軍は当初予定通り快進撃を続けているように見えながら、ソ連軍の孤立しつつもしぶとい戦いにより戦車を中心として被害も大きく、また上述のように補給が軽視されていたため、機械化部隊の機動力を活かせないところも多分にあったようです。総合的に見て、やはりドイツ軍首脳部がソ連軍を過小評価していた、ということなのでしょう。そのため本書は、ヒトラーの誤判断・作戦介入がなければ、ドイツ軍はモスクワを占領できて勝っていた、というような第二次世界大戦後のドイツ軍首脳部の回想について、補給の観点からも自軍の被害の観点からも現実的ではなかった、と評価しています。また本書は、ドイツ軍がモスクワを占拠していたらソ連に勝っていた、という前提にも疑問を呈しています。

 本書は全体的に、独ソ戦におけるドイツ軍の敗北は、開戦翌年(1942年)に始まったスターリングラードの戦いでの敗北(スターリングラードのドイツ軍が降伏したのは1943年2月)ではなく、1941年の時点で決定していた、との見解に傾いているように思います。ヒトラーも含めてドイツ軍首脳部は、前線でソ連軍主力を撃破・無力化することによる短期決戦を想定していたのですが、それが達成できなかった時点で、ドイツ軍の敗北は決定的になった、ということでしょうか。根本的には、ヒトラーも含めてドイツ軍首脳部によるソ連への過小評価が、ドイツの敗因と言えそうです。

 上述のように、ヒトラーも含めてドイツ軍首脳部の短期決戦構想が破綻し、一方でソ連軍も緒戦の被害が甚大だったため、直ちにドイツ軍を自領から撤退させることはできず、独ソ戦は長期化が決定づけられました。本書は、これにより独ソ戦においては、軍事的合理性に基づき敵軍の継戦意志を挫くことで戦争を終結させようとする「通常戦争」の側面が後景に退き、「世界観戦争」と「収奪戦争」の性格が濃くなった、と指摘します。もちろん、ドイツ視点での西部戦線においても、ドイツによる収奪・虐待はあったのですが、本書を読むと、それは独ソ戦(東部戦線)の比ではなかった、と了解されます。

 「世界観戦争」の根底にあったのはヒトラーのイデオロギーで、ソ連も含む東方地域を植民地化して「人種的再編成」を行なう構想でした。また本書は、独ソ戦の「収奪戦争」的性格を指摘します。もっとも、ドイツの「収奪戦争」は独ソ戦の前に始まっていました。本書は、ドイツ首脳部が国民生活の維持と軍備拡張の両方を追及したからだ、とその理由を説明します。ドイツ支配層には、生活水準低下に伴う国民の反抗による、第一次世界大戦での敗北への恐怖感が強く残っていました。しかし、ドイツとその勢力圏だけでは両方の目標を達成できるだけの資源は得られないため、ドイツは第二次世界大戦前から収奪国家的性格を強めていきました。

 一方ソ連の側では、スターリン体制への不満から、独ソ戦当初はドイツ軍を解放者として歓迎する動向さえ広く見られました。しかし、上述の理由から、ドイツはソ連の住民を収奪・追放・殺害対象としてしか見ておらず、すぐにドイツ軍への反感が高まりました。ソ連指導部は、スターリン体制への国民の不満を、ナショナリズムとの融合により一定以上解消し、戦時動員に成功しました。ソ連でもイデオロギーとナショナリズムとが融合していき、独ソ戦は妥協の困難な「世界観戦争」としての性格を強めていき、さらに凄惨な被害がもたらされることになりました。日本も絡めての、ドイツとソ連を講和させるという構想はあったのですが、「世界観戦争」と「収奪戦争」に拘ったヒトラーは拒絶し続けました。一方、スターリンの方は、独ソ戦の途中まではドイツとの講和も選択肢にあっただろう、と本書は推測していますが、戦況が有利になるにつれて、ドイツを打倒しての権益拡大方針を固めていったようです。

 こうした「世界観戦争」・「収奪戦争」としての独ソ戦は、双方の略奪・虐待を助長しました。ソ連にとっては、当初ドイツに攻め込まれて略奪・虐殺・虐待を受けたことへの報復という側面もありました。1944年半ば以降、ドイツの敗北は決定的となりましたが、第一次世界大戦とは異なり、ドイツ国民は大規模な抵抗運動を起こすことはなく、最後まで戦い続けました。本書はその要因として、国家の統制力の向上とともに、「収奪戦争」によりドイツ国民が特権を得ていたことも指摘しています。ドイツ国民は、収奪に支えられていた特権を失うことと、敗北による報復を恐れた、というわけです。

 独ソ戦に関する私の認識はかなり古く、本書により知見を更新できたのは何よりでした。私が昔読んだ独ソ戦関連の一般向けの本・雑誌では、専門家であるドイツ国防軍の意見を軍事素人のヒトラーが無視し、自分の意見に固執した結果、ドイツは戦略規模でも少なからぬ特定の戦場でも勝機を逸した、という論調のものが少なくなかったように思います。こうした論調に関しては、ドイツ国防軍を擁護するためにヒトラーにたいして実態以上に失敗の責任を負わせている側面が多分にあるのではないか、と思っていたのですが、私の能力・知見の問題と、優先順位がさほど高くないことから、放置していました。その後、ドイツによるユダヤ人などの迫害に、親衛隊などナチス組織だけではなく、国防軍も深くかかわっていた、との知見を本・雑誌などで得ましたが、軍事面に関しては、知識の更新を怠ったままでした。本書により、第二次世界大戦後に、ドイツの高級軍人やその擁護者などの主張における、第二次世界大戦におけるドイツ軍の軍事的失敗の責任をヒトラーに負わせる傾向は偏っていた、と確認できたので、その意味でも私にとって本書は有意義でした。

 これと関連しているのは、第二次世界大戦後、独ソ戦は異なる政治的立場の人々により偏向した主張がなされてきた、ということです。ソ連は体制擁護、ドイツの高級軍人やその擁護者はドイツ国防軍擁護の観点から、独ソ戦を語ってきました。それが独ソ戦の実証的な研究を妨げてきた、と本書は指摘します。また本書は、NATOの一員としてソ連(を盟主とするワルシャワ条約機構)と最前線で対峙するドイツ連邦共和国(西ドイツ)において、第二次世界大戦でドイツはソ連の圧倒的な物量に負けただけで、質や作戦・戦略ではドイツが優位に立っていた、というような言説が好まれてきたことを指摘します。しかし、本書が明らかにしたのは、ソ連は独ソ戦中盤以降、戦略次元でドイツに対して優位に立っていた、ということです。上述のように、ソ連の軍事ドクトリンは独ソ戦の前から元々高く評価されており、独ソ戦前半での苦戦の中かから、近視眼的傾向のあるドイツ軍を上回る大局的な軍事的知見を形成していった、と言えるでしょうか。期待値の高かった本書ですが、期待値以上のものが得られて満足しています。

頻繁に手が触れる場所における多剤耐性菌の存在度

 頻繁に手が触れる場所における多剤耐性菌の存在度に関する研究(Cave et al., 2019)が公表されました。この研究は、感染症を引き起こすと知られている細菌群である抗生物質耐性ブドウ球菌の存在度を比較するため、ロンドン東部とロンドン西部で人間の手が触れることの多い部位の表面を検査用綿棒で拭き取って試料を採取しました。具体的には、一般市民が利用する場所のドアの取っ手や肘掛けやトイレの便座などの表面と、受付やトイレや廊下やエレベーターなど病院内の共用部分です。この研究は、採取された試料から、計600のブドウ球菌分離株を特定しました。そのうちの281株(46.83%)は2種類以上の抗生物質に耐性を示し、耐性の多かった順は、ペニシリン(80.42%)→フシジン酸(72.4%)→エリスロマイシン(54.45%)でした。

 多剤耐性菌の割合が高かったという点では、病院内の共用部分(49.5%)が病院以外の一般市民の利用場所(40.66%)を上回り、ロンドン東部で採取した試料(56.7%)がロンドン西部で採取した試料(49.96%)を上回りました。この研究は、病院内での抗生物質使用の増加と、ロンドン西部より高いロンドン東部の人口密度が、結果に反映されている可能性がある、と指摘しています。これらの試料からは、抗生物質耐性を付与するさまざまな遺伝子が見つかっており、その中には以前明らかにされていなかったものも含まれていました。こうした一般市民の利用する場所で発見された抗生物質耐性菌が最初に出現した場所を確定するには、さらなる解析が役に立つかもしれません。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【微生物学】英国ロンドンで頻繁に手が触れる場所における多剤耐性菌の存在度

 英国ロンドンの地下鉄の駅やショッピングセンターのように、一般市民が利用する場所やロンドン内の病院の共用部分の表面から採取した試料に多剤耐性菌がどの程度含まれているのかを評価する研究が行われ、その結果について報告した論文が、今週掲載される。

 今回、Hermine Mkrchytanたちの研究グループは、感染症を引き起こすことが知られている細菌群である抗生物質耐性ブドウ球菌の存在度を比較するため、ロンドン東部とロンドン西部で人間の手が触れることの多い部位の表面を検査用綿棒で拭き取って試料を採取した。具体的には、一般市民が利用する場所のドアの取っ手、肘掛け、トイレの便座などの表面と病院内の共用部分(受付、トイレ、廊下、エレベーターなど)である。Mkrchytanたちは、採取された試料から、計600のブドウ球菌分離株を特定した。そのうちの281株(46.83%)は、2種類以上の抗生物質に耐性を示し、耐性の多かった順はペニシリン(80.42%)、フシジン酸(72.4%)、エリスロマイシン(54.45%)だった。

 多剤耐性菌の割合が高かったという点では、病院内の共用部分(49.5%)が病院以外の一般市民が利用する場所(40.66%)を上回り、ロンドン東部で採取した試料(56.7%)がロンドン西部で採取した試料(49.96%)を上回った。Mkrchytanたちは、病院内での抗生物質使用の増加とロンドン東部の人口密度がロンドン西部より高いことが結果に反映されている可能性があると述べている。これらの試料からは、抗生物質耐性を付与するさまざまな遺伝子が見つかっており、その中には以前明らかにされていなかったものも含まれていた。このような一般市民が利用する場所で発見された抗生物質耐性菌が最初に出現した場所を確定する上では、さらなる解析が役に立つかもしれない。



参考文献:
Cave R. et al.(2019): Whole genome sequencing revealed new molecular characteristics in multidrug resistant staphylococci recovered from high frequency touched surfaces in London. Scientific Reports, 9, 9637.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-45886-6

ヒトスジシマカの根絶方法

 ヒトスジシマカの根絶方法に関する研究(Zheng et al., 2019)が公表されました。ヒトスジシマカ(Aedes albopictus)は世界各地に侵入している蚊で、デング・チクングニア・ジカなどのウイルスの伝播を媒介します。ヒトスジシマカの個体数を従来の手法によって減らすのは難しいと証明されています。放射線照射によって雄を不妊化してから野生に戻すという昆虫の個体数調節法は、こうした雄の繁殖上の競争力が野生の個体群より劣るため、蚊では充分には成功していません。別の方法として、雄を共生細菌の一種であるボルバキア属(Wolbachia)細菌に感染させるというものもあります。この雄が同じボルバキア属細菌株に感染していない雌と交尾すると、不和合を起こして卵が育たなくなります。ただし、この方法では、同じボルバキア属細菌株に感染した雌が偶発的に野外に放たれると、その地域の個体群に取って代わり、このボルバキア属細菌株に依存した将来的な個体数抑制が阻害される恐れもあります。

 この研究は、野生の個体群において生じる可能性が低い3種のボルバキア属細菌株の組み合わせを新たに作り出し、ヒトスジシマカに感染させた上で、同じボルバキア属細菌株を保有する雌の偶発的放出の回避のために放射線照射を実施し、その際には、雄の繁殖上の競争力が損なわれないよう放射線量を低く抑えました。中国の広州で行われた野外試験では、3種のボルバキア属(Wolbachia)細菌株に感染した数百万匹のヒトスジシマカが放出され、2年間で野生のヒトスジシマカの個体群がほぼ消失しました。野生型ヒトスジシマカの平均個体数は1年で約83~94%減少し、蚊の放出から最大6週間後まで野生型ヒトスジシマカが検出されませんでした。集団遺伝学解析では、残存する少数のヒトスジシマカはおそらく、研究対象外地域から移動してきた個体である、と示されました。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


【感染症】ヒトスジシマカの根絶を目指した二重の処置

 侵入性が高く病気を媒介する蚊をほぼ根絶できることが、中国で行われた野外試験で実証された。今週掲載される論文では、蚊の個体数を調節するために雌の不妊化と雄の細菌感染を組み合わせた、環境に優しく費用対効果の高い方法が説明されている。

 ヒトスジシマカ(Aedes albopictus)は、世界各地に侵入している蚊で、デング、チクングニア、ジカなどのウイルスの伝播を媒介する。ヒトスジシマカの個体数を従来の手法によって減らすのは難しいことが証明されている。放射線照射によって雄を不妊化してから野生に戻すという昆虫の個体数調節法は、こうした雄の繁殖上の競争力が野生の個体群より劣るため、蚊では十分に成功していない。別の方法として、雄を、共生細菌の一種であるボルバキア属(Wolbachia)細菌に感染させるというものもある。この雄が同じボルバキア属細菌株に感染していない雌と交尾すると、不和合を起こして、卵が育たなくなる。ただし、この方法では、同じボルバキア属細菌株に感染した雌が偶発的に野外に放たれると、その地域の個体群に取って代わり、このボルバキア属細菌株に依存した将来的な個体数抑制が阻害される恐れがある。

 今回、Zhiyong Xiたちの研究グループは、野生の個体群において生じる可能性が低い3種のボルバキア属細菌株の組み合わせを新たに作り出し、ヒトスジシマカに感染させた上で、同じボルバキア属細菌株を保有する雌の偶発的放出を避けるために放射線照射を実施し、その際には、雄の繁殖上の競争力が損なわれないよう放射線量を低く抑えた。中国の広州で行われた野外試験では、3種のボルバキア属細菌株に感染した数百万匹のヒトスジシマカが放出され、2年間で野生のヒトスジシマカの個体群がほぼ消失した。野生型ヒトスジシマカの平均個体数は、1年で約83~94%減少し、蚊の放出から最大6週間後まで野生型ヒトスジシマカが検出されなかった。集団遺伝学解析では、残存する少数のヒトスジシマカはおそらく、研究対象外地域から移動してきた個体であることが示された。


感染症:不和合虫放飼法と不妊虫放飼法の組み合わせによる蚊の除去

感染症:蚊の侵入種の野外におけるほぼ完全な除去

 Z Xiたちは今回、デングウイルス、チクングニアウイルス、ジカウイルスを媒介する強健で侵略的な蚊であるヒトスジシマカ(Aedes albopictus)の個体群抑制を目的として、中国で行われた野外試験の結果について報告している。中国広州市の2つの実験場で、ボルバキア属(Wolbachia)の細菌を感染させて放射線照射した蚊を放飼した結果、標的とした蚊個体群がほぼ完全に除去された。



参考文献:
Zheng X. et al.(2019): Incompatible and sterile insect techniques combined eliminate mosquitoes. Nature, 572, 7767, 56–61.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1407-9

神経性無食欲症の遺伝的基盤

 神経性無食欲症の遺伝的基盤に関する研究(Watson et al., 2019)が公表されました。神経性無食欲症は、複雑で重篤な疾患で、死亡率は他の精神疾患よりも高いとされています。この研究は、神経性無食欲症遺伝学イニシアチブ(Anorexia Nervosa Genetics Initiative)と精神医学ゲノミクスコンソーシアム(Psychiatric Genomics Consortium)の摂食障害ワーキンググループ(Eating Disorders Working Group)が収集したデータを基に、神経性無食欲症の患者(16992人)と対照被験者(55525人)のゲノムを解析しました。

 その結果、神経性無食欲症に関連する8種類の遺伝的マーカーが突き止められ、神経性無食欲症の遺伝的構造の解析がこれまでよりも正確に行なわれました。また、神経性無食欲症は、強迫性障害や大鬱病などの精神疾患との間だけでなく、身体活動や代謝特性との間にも遺伝的相関関係がある、と明らかになりました。この研究は、以上の知見は神経性無食欲症が代謝精神疾患の一種であることを示す証拠であり、代謝疾患と精神疾患の両方の側面に気を配ることで、有効性を高めた治療法に到達できる可能性がある、との結論を提示しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


神経性無食欲症の遺伝学的解明を前進させる新知見

 神経性無食欲症(約1万7000症例)の解析によって8種類の重要な遺伝的マーカーが見つかったことを報告する論文が、今週掲載される。今回の研究は、神経性無食欲症についてこれまでで最大規模のゲノムワイド関連解析である。

 神経性無食欲症は、複雑で重篤な疾患で、死亡率は他の精神疾患よりも高い。

 今回Cynthia Bulikたちの研究グループは、神経性無食欲症遺伝学イニシアチブ(Anorexia Nervosa Genetics Initiative)と精神医学ゲノミクスコンソーシアム(Psychiatric Genomics Consortium)の摂食障害ワーキンググループ(Eating Disorders Working Group)が収集したデータを基に、神経性無食欲症の患者(1万6992人)と対照被験者(5万5525人)のゲノム解析を行った。その結果、神経性無食欲症に関連する8種類の遺伝的マーカーが突き止められ、神経性無食欲症の遺伝的構造の解析がこれまでよりも正確に行われた。また、神経性無食欲症は、強迫性障害や大うつ病などの精神疾患との間だけでなく、身体活動や代謝特性との間にも遺伝的相関関係があることも分かった。

 Bulikたちは、以上の知見は神経性無食欲症が代謝精神疾患の一種であることを示す証拠であり、代謝疾患と精神疾患の両方の側面に気を配ることで、有効性を高めた治療法に到達できる可能性があると結論している。



参考文献:
Watson HJ. et al.(2018): Genome-wide association study identifies eight risk loci and implicates metabo-psychiatric origins for anorexia nervosa. Nature Genetics, 51, 8, 1207–1214.
https://doi.org/10.1038/s41588-019-0439-2

鳥の胚は卵の中で成鳥の警戒声を知覚する

 鳥の胚の警戒声知覚に関する研究(Noguera, and Velando., 2019)が公表されました。多くの種において、胚は両親からホルモンや音声によって情報を受け取っており、こうした情報は、出生後の環境に対処するために発生をプログラムするのに役立っています。巣の中で卵として発生する種では、発生の速さを卵の振動によって伝えられるため、きょうだいが同時に孵化できます。しかし、外部環境に関する情報が卵によって知覚され、それが巣の中で伝達され得るかどうかは、知られていませんでした。

 この研究は、異なるキアシセグロカモメ(Larus michahellis)の、卵3個のきょうだいのグループを複数作り、これらを録音した成鳥の捕食者警戒声、または無音状態に曝露しました。録音した成鳥の捕食者警戒声を再生したきょうだいでは、巣内の卵3個のうち2個だけにその音声を聞かせ、警戒声が胚発生に影響を与えるかどうか、その情報が第3の卵に伝達されるかどうかを確かめました。

 その結果、無音状態に置かれた対照の卵と比べ、警戒声を聞かされた卵は、振動が活発であまり声を出さず、孵化が遅れる、と明らかになりました。警戒声を聞かされた卵のヒナは、孵化後のストレス関連ホルモンのレベルが高く、捕食者警戒声に対して、より素早くうずくまって反応しました。きょうだいが警戒声を聞かされた第3の卵のヒナもストレス関連ホルモン値が高く、きょうだいと同じ行動を取る、と明らかになり、その情報源がきょうだいの振動であると示唆されました。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


鳥の胚はきょうだいが出す振動による捕食リスク信号を知覚する

 鳥の胚は卵の中で成鳥の警戒声を知覚し、その情報を振動によって巣内の他の卵へ伝達することができることを示した報告が、今週掲載される。こうした情報は、発生する胚の孵化後の外部環境適応に役立っている可能性がある。

 多くの種において、胚は、両親からホルモンや音声によって情報を受け取っており、こうした情報は、出生後の環境に対処するために発生をプログラムするのに役立っている。巣の中で卵として発生する種では、発生の速さを卵の振動によって伝えることができるため、きょうだいが同時に孵化することができる。しかし、外部環境に関する情報が卵によって知覚され、それが巣の中で伝達され得るかどうかは知られていない。

 今回、Jose NogueraとAlberto Velandoは、異なるキアシセグロカモメの、卵3個のきょうだいのグループを複数作り、これらを録音した成鳥の捕食者警戒声、または無音状態に曝露した。録音した成鳥の捕食者警戒声を再生したきょうだいでは、巣内の卵3個のうち2個だけにその音声を聞かせ、警戒声が胚発生に影響を与えるかどうか、そしてその情報が第3の卵に伝達されるかどうかを確かめた。

 その結果、無音状態に置かれた対照の卵と比べ、警戒声を聞かされた卵は、振動が活発であまり声を出さず、孵化が遅れることが明らかになった。警戒声を聞かされた卵のヒナは、孵化後のストレス関連ホルモンのレベルが高く、捕食者警戒声に対して、より素早くうずくまって反応した。きょうだいが警戒声を聞かされた第3の卵のヒナもストレス関連ホルモン値が高く、きょうだいと同じ行動を取ることが明らかになり、その情報源がきょうだいの振動であると示唆された。



参考文献:
Noguera JC, and Velando A.(2019): Bird embryos perceive vibratory cues of predation risk from clutch mates. Nature Ecology & Evolution, 3, 8, 1225–1232.
https://doi.org/10.1038/s41559-019-0929-8