大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』田畑政治の人物造形

 大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』第二部の主人公である田畑政治の人物造形について、以下のような指摘があります。

とある年配の方と話をしていると、今の大河の阿部サダヲの演技がけたたましすぎて、全然重厚感がない、昔の人はあんなではなかったはずと仰るのだけど、実際に田畑政治を知る人の感想は「生き返ったようにそっくり」だそうで、昔の人は軽くない、偉かったはずだという幻想はなかなか根強い。

 確かに、昔の大河ドラマは重厚感があってよかった、とよく言うような古株の大河ドラマ愛好者の中には、このように考える人は少なからずいそうです。では、じっさいどんな感じだったのだろうと思っていたところ、この指摘を裏づけるような記事が掲載されました。1964年に東京で開催された夏季オリンピック大会の組織委員会に入り、じっさいに田畑と会った吹浦忠正氏は、「本当にそっくり。化けて出たかと思った」、「所作も言葉遣いも口調も、とにかくあのまんまでした」と証言しています。本作がかなり丁寧に作りこまれていることを改めて実感した記事でした。

今上陛下と先祖が同じ方は皆皇族です

 Twitterで、表題の発言への批判を見かけました。まず元の発言は

旧、元という表現に気を付けるべきだと思います。例えば「旧皇族」です。皇族は血統です。離れても、今上陛下と先祖が同じ方は皆皇族です。事実上、GHQの強制であったいわゆる「皇籍離脱」は書類上の話であり、血の繋がりに関係ありません。しかも占領後は無効にできます。だから、皇族は皇族です。

で、それに対する批判は

今上天皇と先祖が同じなら皆皇族というなら、桓武平氏や醍醐源氏や清和源氏や村上源氏や宇多源氏や嵯峨源氏等の血を引く者は皆皇族

です。確かに、元発言に対して上記批判は有効ですし、そもそも、「今上陛下と先祖が同じ方は皆皇族」ならば、現代人は全員、共通祖先を有しているので皇族となってしまいます。その意味で、元発言にたいして揶揄があっても仕方のないところですが、発言主はウクライナ人のグレンコ・アンドリー(Gurenko Andrii)氏とのことですから、私としてはあまり揶揄する気にはなりません。アンドリー氏は1987年にキエフで生まれ、2010~2011年と2013年~2019年までは日本に留学・滞在し、現在は京都市在住とのことです。

 アンドリー氏は日本語能力検定試験1級に合格したそうですが、そうだとしても、日本語を母語としない人がこうした微妙な政治的問題において日本語文章で自分の考えを的確に表現するのはなかなか難しいと思いますし、ましてや140文字制限のTwitterでの呟きですので、上記の元発言を文字通りに解釈すべきではないかもしれません。日本で生まれ育って日本語を母語とする私からすると、日本語が母語ではない人にとって、話し言葉の習得の難易度はさほど高くはなさそうではあるものの、書き言葉の習得はかなり難易度が高いように思います。実のところ、日本語を母語とし、日本で生まれ育った私も、書き言葉としての日本語には未だに自信を持てません。

 アンドリー氏はこの元発言の前に、

過去の物を表す旧、元という表現に気を付けるべきだと思います。例えば「旧日本軍」「旧皇族」、北方領土の「元島民」は非常に違和感があります。日本軍について言えば、いつの間にか日本は別の国になったのか?どの時代でも日本軍は日本軍です。時代を限定したいなら「帝国陸海軍」と言えばいいです。

発言しており、その後には

旧、元という言葉に気を付けるべきだと思います。例えば、北方領土に住んでいた方々について元島民と言います。私は元という字に違和感があります。島民はソ連による侵略のため、避難さぜるを得ず自分の意思で移住したのではありません。今でも北方領土は彼らの土地です。だから「島民」は正しいです。

発言しています。その意味で、第二次世界大戦後の皇籍離脱が「GHQの強制」だという前提に立てば、「今上陛下と先祖が同じ方」とは、この時に皇籍離脱した皇族とその(父系?)子孫に限定されるのがアンドリー氏の真意なのかな、とも思います。とはいえ、「今上陛下と先祖が同じ方は皆皇族」との発言が迂闊だったことは否定できません。ただ、日本語が母語ではない人のTwitter上での発言の迂闊さをあまり責めるのには疑問も残ります。まあ、上述のように私も日本語を母語としながら書き言葉を使いこなせている自信はありませんし、そもそも日本語を母語としているか否かに関わらず、Twitter上での呟きについて安易に揶揄すべきではないのでしょう。私も、ついTwitter上での変な呟きを嘲笑してしまうことはありますし、時にはこのようにブログで取り上げることもありますが、今後は安易に嘲笑・揶揄するような態度を慎もう、と反省しています。

遺伝的近縁性と親近感

 遺伝的近縁性と親近感に関して考えさせられる発言をTwitterで見かけました。以下に引用します。

日本人のDNAのゲノムを調べれば、誰もが半島にゆかりがあることがわかる。それなのにヒステリックに嫌韓に走る人の気が知れない。屈折した自己嫌悪だ。

 現代日本人は遺伝的には、北海道のアイヌ、本州・四国・九州を中心とする「本土」、南方諸島の琉球という3集団に大きくは区分されます。このうち人口比率で他の2集団を圧倒している「本土集団」は、世界の他地域の集団との遺伝的比較において、とくに朝鮮民族と近縁とは言えるでしょう。その意味で、日本人は「半島にゆかりがある」と言っても大過はないでしょうが、遺伝的近縁性を根拠に嫌ってはならないと主張することもまた問題だろう、と思います。

 自分の血縁者を身びいきすることは霊長類で広く見られ、人間も例外ではありませんから(関連記事)、遺伝的により近いと判断した集団に親近感を抱くことは、「自然な行為」とも言えます。しかし、だからといって、そうあるべきだとか、嫌ってはならないとか、嫌うのはおかしいとか主張することは、自然主義的誤謬として批判されるべきです。あくまでも一般論ですが、両親など身近な血縁者であっても、信用ならない人間であれば、忌み嫌う権利はあって当然です。これを遺伝子ではなく文化に置き換えても同様で、文化的に近縁だから嫌ってはならない、という理屈は通りません。

 人間にも身びいきは強く見られ、それはかなりの程度生得的なものでしょうが、それは血縁者に限定されず、土地・学業・職業・宗教(思想)など様々な縁でも見られることです。こうした血縁関係だけに束縛されない柔軟性こそ人間の特徴で、それには大きな争いをもたらす側面もあるとはいえ、友好的な関係をもたらす側面も強くあります。血縁であれ文化であれ、どれかが近いから仲良くすべきとか嫌うべきではないとか嫌う人間はおかしいとかいった発想は、人間の重要な特徴である柔軟性を損なうものだと思います。そうした発想は人間社会を硬直化させ、大きな損害をもたらしかねませんし、何よりも、発言主の主観とは異なり、帝国主義時代の人種主義と強く通ずる危険性があると思います。その意味で、上述の発言にはまったく同意できません。

 2002年に日本と韓国でサッカーワールドカップが共催された時、サッカーには興味のない私にも、なぜ同じ(東)アジアの韓国ではなく対戦相手のヨーロッパの方を応援する日本人がいるのか、といった反応がマスコミやネットで目に入ってきました。この場合、遺伝的にも文化的にも、日本人はヨーロッパ人よりも韓国人の方と近いではないか、という意味合いが込められていたのでしょう。しかし、上述のように人間関係は多様な縁で構成されるものであり、地縁・血縁・(総合的な)文化を優先させねばならない、といった固定観念は有害です。

 私はサッカーには興味はないので、サッカーファンの気持ちを実感できませんが、競馬ファンである自分の心理から推測して、強いチームが完勝することを望み、地縁・血縁・文化的近縁性よりも優先した、という人も少なからずいたように思います。先月(2019年7月)、イギリスでキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスが行なわれ、日本からシュヴァルグランが出走し、私もそれなりに応援したものの、それよりもずっと強くイギリスのエネイブルの方を応援しました。まあ、競馬は個体単位、サッカーは団体単位という違いはありますが。それはさておき、サッカーに疎い私でも、アジアよりヨーロッパや南アメリカの方がずっと高水準と知っているので、韓国とヨーロッパの強豪国が対戦した場合、後者を応援する日本人のサッカーファンがいても不思議ではないと思います。

 もちろん、自国開催(共催)ということで、サッカーファンとは言えないような日本人で一時的に強い関心を抱いた人は少なくないでしょうし、韓国への嫌悪・蔑視などといった感情から韓国の対戦相手を応援した日本人も少なくなかったでしょう。しかし、たとえそうした感情から韓国の対戦相手を応援する人がいた場合、蔑視という感情自体は批判の対象になるとしても、同じ(東)アジアだから日本人はヨーロッパよりも韓国を応援すべきという意見は、素朴というか「自然」な感情の発露ではあるものの、とても同意できません。個体・団体の違いやスポーツ・文芸・音楽などの違いに関わらずどの分野でも、血縁や地縁などよりも優先する基準があったとしても、その基準自体にとくに問題がなければ、責められるべきではないと思います。

皇室の生存戦略

 今年(2019年)5月1日に天皇の代替わりがありました。それ以降、新天皇の徳仁氏とその妻である皇后の雅子氏を称賛する記事が増えてきたように思います。天皇夫妻を称賛するサイトの中には、秋篠宮家にたいする批判・中傷(というのは私の判断ですが)・嘲笑に熱心なところもあります。そのようなサイトは、雅子氏もしくは天皇夫妻のファンか、雅子氏ファンの心理をよく理解した、営利目的も兼ねた人が運営しているのだろうな、と私は推測しています。

 雅子氏が皇太子妃時代に強く批判されていたことは、今でも多くの日本人の記憶に残っているでしょうが、そうした中で、雅子氏もしくは天皇(当時は皇太子)夫妻のファンには、被害者意識を強めて蓄積していった人が少なからずいるのだろうな、と私は考えています。雅子氏への誹謗中傷があまりにも激しかったことから、そうした被害者意識には仕方のない面もあるとは思います。そうした雅子氏ファンの中には、今でもそうであるように、秋篠宮家への強烈な反感・憎悪を隠さない人も少なくないように思います。とくに、秋篠宮文仁親王との間に男子(悠仁親王)を出産した紀子氏は、雅子氏ファンに強く敵視されてきました。

 元々、先代天皇(現在は上皇)明仁氏の二人の息子の妻で、年齢も近いことから、雅子氏と紀子氏は比較対象とされてきました。それだけでも、雅子氏ファンにとって強く意識せざるを得ない対象なのに、男子を産めなかったことで責められた雅子氏にたいして、紀子氏は男子を産んだわけですから、この点でも敵意の対象となったことでしょう。しかも、皇室に40年以上男子が生まれなかったなか、紀子氏は2006年9月6日に40歳目前で男子を産みました。紀子氏の妊娠が広く知られる前には、女性天皇・皇位の女系継承容認も議論されており、雅子氏の娘の愛子内親王の即位が想定されていました。

 そうした中で、紀子氏が40歳目前にして男子を産み、愛子内親王の即位を可能とする法改正の機運が一気に消滅したわけですから、もう皇室に(その時点での夫婦からは)男子は生まれず、将来は愛子内親王が即位するだろうと予想・期待していた雅子氏ファンの紀子氏に対する反感・憎悪は強烈で、ブログのコメント欄で紀子氏を批判する人は珍しくありませんでしたし、今はもう残っていないと思いますが、中には紀子氏を陰険な野心家と罵倒する人もいて呆れました。

 しかし、雅子氏ファンが紀子氏を敵視するのは、男子出産の有無だけではなく、公務への対応も大きいと思います。雅子氏が公務をさぼっていると批判される一方で、紀子氏は夫の文仁氏と共に公務に励んでいると評価され、徳仁氏は皇太子の地位を辞し、弟である文仁氏に譲るべきだ、との意見さえそれなりに発行部数のある雑誌に掲載されたくらいです。雅子氏ファンが紀子氏というか秋篠宮家を敵視する理由としては、男子の有無以上に、公務への評価の方が大きいかもしれません。

 これは、単に東宮家(現在は天皇家)と秋篠宮家に留まる問題ではなく、先代天皇(現在は上皇)明仁氏とその妻である皇后(現在は上皇后)美智子氏も深く関わっている問題だと思います。明仁氏は皇位継承後、積極的に公務に励み、日本国民と関わってきました。明仁氏の在位期間には大規模な災害がたびたび起きましたが、明仁氏は積極的に被災地を訪れ、国民を励ましてきました。それを深く支えてきたのが、妻である皇后(現在は上皇后)の美智子氏でした。しかし、こうして増えた公務に、雅子氏は上手く適応できなかったように思われ、それが発病の一因だったのでしょう。一方、紀子氏は、過剰適応と揶揄されるくらい、義母となる美智子氏に倣って増加してきた公務にも対応しました。

 そのため雅子氏ファンの中には、雅子氏発病の根本的な責任が明仁氏と美智子氏にあると考えていた人も多いだろう、と私は推測しています。もちろん、国民も子供を期待していますよ、と明仁氏が雅子氏に声をかけたと報道されたことなども、明仁氏とその妻である美智子氏に対する雅子氏ファンの反感・敵意を募らせたことでしょう。そうしたことも含めて、徳仁氏の人格否定発言により、雅子氏ファンの中には、先代の天皇・皇后である明仁氏・美智子氏を敵視していった人も少なくないのだと思います。すでに紀子氏が男子を出産した2006年頃には、明仁氏と美智子氏を批判・罵倒する雅子氏ファンのコメントがネットでは散見されました。もちろん、明仁氏と美智子氏や秋篠宮家を批判しているのは、雅子氏ファンだけではありませんが。

 しかし、こうした(一部?の)雅子氏ファンの批判・感情には一理あるとも思います。明仁氏が妻の美智子氏とともに進めた国民と触れ合う公務の拡大路線は、日本国憲法で直接定められたものではありません。しかも、高齢化により肥大化した公務をこなせなくなったとして明仁氏は法律に定められていない退位を要求し、それを多数の国民が支持したため政府は無視できず、特例法により近代以降で初の退位を実現させるに至りました。冷ややかに見れば、明仁氏は自分勝手な人物とも言えます。しかし、明仁氏と美智子氏の公務拡大路線が日本国民の間で高い支持を得たことも確かで、これが現在の皇室への高い支持率につながっているのでしょう。明仁氏と美智子氏に励まされた日本国民は少なくないのだと思います。

 明仁氏は皇位継承時に日本国憲法を守り従うと述べており、現憲法を強く意識していると思われます。現憲法の第1条には、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とあります。明仁氏は、「日本国民の総意」なくして皇室の存続は叶わないと強く意識し、国民と触れ合う公務の拡大路線を進めたのだと思います。それが雅子氏を苦しめた側面は多分にあるでしょうが、現在の天皇・皇后への好感は、単に徳仁氏と雅子氏への個人的親近感からだけではなく、先代の天皇・皇后である明仁氏・美智子氏が積み重ねてきた実績への日本国民の高い評価にも由来していると思います。

 ただ、明仁氏は妻の美智子氏とともに、公務拡大路線で国民の支持を確保しようとして成功しましたが、現在では過労がさらに問題視されていますから、今後その路線が奏功するとは限らないでしょう。その意味で、病気を抱えている雅子氏が得意分野で精選された公務を積み重ねていき、日本国民の支持を獲得していくようなことになれば、日本社会にとっても悪くはないように思います。時代とともに柔軟に在り様を変えてきたのが皇室なので、生前退位(譲位)は許さないといった、大日本帝国体制を絶対視するような意見に過度に引きずられないことが、存続の重要な鍵となるでしょう。明仁氏は、自分が進めた公務拡大路線を息子の徳仁氏にも継承してもらいたいようにも見えますが、現天皇の徳仁氏はまた、どうすれば皇室の存続が叶うのか、自分なりに模索しているように思います。