アジア中央部および北東部における現生人類の早期の拡散

 アジア中央部および北東部における現生人類(Homo sapiens)の早期の拡散に関する研究(Zwyns et al., 2019)が公表されました。現生人類(Homo sapiens)の出アフリカに関しては、回数・年代・経路などをめぐって議論が続いています(関連記事)。近年では、現代のアジア南東部集団とオーストラリア先住民集団とが、遺伝的系統の近縁性ではアフリカ系現代人と比較して同程度であることや、考古学的証拠から、海洋酸素同位体ステージ(MIS)3(59000~29000年前)前半に、アフリカからユーラシア南岸沿いにアラビア半島とアジア南部を経て、急速にアジア南東部とオーストラリアへと現生人類は拡散した、という南岸拡散仮説が有力と考えられるようになってきました(関連記事)。

 しかし、シベリアにおけるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と現生人類の存在は、ユーラシア北部の草原地帯でもホモ属の拡散があったことを示します。この地域の人類遺骸は少ないのですが、考古学的記録の大きな変化から人類の拡散が示唆されています。初期上部旧石器時代(Initial Upper Paleolithic、以下IUP)の技術的特徴は特定の石刃技法で、それは硬質ハンマーによる打法、打面調整、固定された平坦な作業面もしくは半周作業面を半周させて石刃を打ち割ることです(関連記事)。また、IUPは骨器や装飾品との関連も指摘されています。IUPはシベリアに突然出現し、新たな人類集団の到来を示唆しますが、その年代や存続期間に関しては議論が続いています。

 本論文は、シベリアとモンゴル北部の中間地点に位置し、比較的標高の低い(海抜1169m)地域に位置する、モンゴルのイクトルボリンゴル(Ikh-Tolborin-Gol)地域のトルボー16(Tolbor-16)遺跡の調査結果を報告しています。トルボー16遺跡は北部ハンガイ(Hangai)山脈のトルボー川(Tolbor River)渓谷西側に位置し、トルボー川はその13km南方でセレンゲ川(Selenga River)と合流します。トルボー16遺跡では2011~2016年にかけて調査が行なわれました。

 トルボー16遺跡ではMIS3から完新世までの6区分の考古学的層位(AH)が確認されており、最深部はAH 6です。遺跡の年代は、多鉱物を対象とした赤外光ルミネッセンス法(IRSL)の改良法(post-IR IRSL)と、石英の光刺激ルミネッセンス法(OSL)と、放射性炭素年代測定法により推定されました。AH2はMIS2、AH3とAH5は38500~35100年前頃、AH6は45600~42500年前頃と推定されています。トルボー16遺跡一帯の気候に関しては、MIS3に複数回の変動があった、と推定されています。AH6は、堆積物の有機物含有量が高いことから、比較的湿潤な時期だったと推測されています。AH6の後、気候は乾燥化します。AH6の石器群は、そのほとんどが地元の石材で製作されています。石器群はおもに石刃とその関連人工物(加工品)で構成されています。AH6の石器群は技術的には明確にIUPに分類され、他のIUPと同様に、中部旧石器的要素も見られます。

 IUPは45000年前頃にはアジア北東部に到達した、と推測されています。トルボー16遺跡の明確にIUPに分類されるAH6石器群は、IUPがアルタイ地域とほぼ同じ時期にセレンゲ川流域に出現したことを確証します。この現象の最も節約的な説明は、アジアのIUPは比較的統一されていたか、技術複合だったというもので、IUPはシベリアを横断してモンゴルへと45000年前頃に到達し、その後は南方と東方へ移動して中国北西部に、さらにはおそらくチベット高原まで到達しました。上述のように、トルボー16遺跡のIUPは温暖湿潤な時期に出現した、と推測されます。この時期はグリーンランド亜間氷期12(GI12)とされており、GI12にヨーロッパでは、その前の気候悪化でネアンデルタール人が激減した後、人口が増加した、と推測されています。それは、ユーラシア西部におけるIUPとされるエミレオ・ボフニシアン(Bohunician)の出現と一致します。エミレオ・ボフニシアンは、レヴァントからヨーロッパ中央部への現生人類の拡散を反映している、と考えられています。温暖湿潤だった45000年前頃には、人類は北緯72度という北極圏にまで進出しています(関連記事)。トルボー16遺跡一帯のIUPの終焉は、4万年前頃のハインリッヒイベント4(HE4)による気候悪化と関連しているようです。

 トルボー16遺跡のIUP石器群には、人類遺骸が共伴していないので、その担い手がどの人類系統なのかという問題は、状況証拠から推測するしかありません。シベリアでは、西部のウスチイシム(Ust'-Ishim)で45000年前頃の現生人類遺骸が発見されています(関連記事)。モンゴルでは、東部のサルキート渓谷(Salkhit Valley)で35000~34000年前頃の現生人類遺骸が発見されています(関連記事)。AH6は両者の中間に位置し、年代は西方の現生人類とほぼ同年代で、東方の現生人類よりも1万年ほど古いことになります。セレンゲ川流域では、ビーズのような装飾品や骨器の最古の事例はIUPと関連づけられており、上部旧石器時代以降のそうした人工物は、ほぼすべてが現生人類の所産と考えられています。そのため、トルボー16遺跡のIUPの担い手は現生人類である可能性が高い、と本論文は指摘します。

 一方で本論文は、トルボー16遺跡のIUPの担い手が現生人類ではない在来の人類集団である可能性も検証しています。ネアンデルタール人はアルタイ地域にまで拡散していました。しかし現時点では、アルタイ地域北西部よりも東方でネアンデルタール人の痕跡は確認されていませんし、GI12のシベリア・モンゴル・中国北西部において現生人類ではない人類遺骸は発見されていません。また、ネアンデルタール人がIUPの出現時期までシベリアに存在した可能性はありますが、オクラドニコフ(Okladnikov)洞窟遺跡のネアンデルタール人の文化は、IUPとは異なるムステリアン(Mousterian)に分類されています。種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)はアルタイ地域とチベット高原で確認されていますが(関連記事)、現時点で確認されている年代は、アルタイ地域におけるIUPの出現よりも前です。

 こうしたことから本論文は、トルボー16遺跡のIUPの担い手は現生人類である可能性が高い、と指摘します。IUPはシベリアとモンゴルで温暖湿潤なGI12に突然出現しますが、そうした人類の文化の大きな変化は現生人類の拡散を反映しているだろう、というわけです。また本論文は、現生人類の早期の拡散が、ユーラシア南岸だけではなく、比較的高緯度の草原地帯でも起き、この頃に現生人類とデニソワ人が交雑した可能性を提示しています。上述のように、現生人類の早期の拡散に関して近年ではユーラシア南岸経路が注目されており、確かにオーストラリア先住民の祖先集団はこの経路でアフリカから東進したのでしょうが、一方で、温暖湿潤な時期を中心に、ユーラシアの比較的高緯度の草原地帯も現生人類の早期の拡散経路だったのでしょう。


参考文献:
Zwyns N. et al.(2019): The Northern Route for Human dispersal in Central and Northeast Asia: New evidence from the site of Tolbor-16, Mongolia. Scientific Reports, 9, 11759.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-47972-1

大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』第31回「トップ・オブ・ザ・ワールド」

 1932年、ロサンゼルスで開催中の夏季オリンピック大会は後半戦に入り、前畑秀子は200m平泳ぎに決勝に出場し、健闘しますが、惜しくも2位に終わります。オリンピック水泳競技で日本人女子選手がメダルを獲得したのは初めてでした。田畑政治はNHKの河西三省アナウンサーの「実感放送」を誉めますが、河西は臨場感を伝えられなかったと悔み、次は実況で日本人に感動を伝えたい、と誓います。日本水泳陣の快進撃は続き、男子は6種目中5種目で金メダルを獲得します。アメリカ合衆国で迫害されてきた日系人からも感謝された日本選手団は意気揚々と帰国します。

 今回は、前畑が冒頭で大きく扱われ、河西が「実感放送」に満足しておらず、悔いがあることも描かれました。帰国した前畑は東京市長の永田秀次郎から、なぜ勝てなかったのか、と責められます。これらはおそらく、次にベルリンで開催される夏季オリンピック大会の伏線なのでしょう。ベルリン大会では、前畑は大きく扱われそうです。その後は暗い展開となるので、中盤の山場はベルリン大会での前畑の金メダル獲得でしょうか。ここは河西の実況とともに有名な場面なので、どのような脚本・演出になるのか、楽しみです。