アフリカ東部の5000年前頃の巨大な墓地

 取り上げるのが遅れてしまいましたが、アフリカ東部の5000年前頃の巨大な墓地に関する研究(Hildebrand et al., 2018)が報道されました。巨大建造物の出現は社会の複雑さを示す指標とされ、それは階層化の進展を伴う人類史における画期として注目されてきて、人口密度の高い定住社会で発達した、と以前は考えられていました。本論文はこの問題に関して、ケニア北西部のトゥルカナ湖(Lake Turkana)近くのロサガム北柱遺跡(Lothagam North Pillar Site、以下ロサガム遺跡)について報告し、複雑な社会の発達が人口密度の高い定住社会以外でも起きる可能性を提示しています。

 ロサガム遺跡は約700㎡の高台と、その東方の少なくとも9ヶ所のストーンサークルと6ヶ所の石塚から構成される700㎡ほどの区域を有する巨大な墓地です。詳しく調査された1区画では新生児から高齢者まで多様な年齢の男女36人が埋葬されており、被葬者は全体で580人ほどと推定されています。この巨大墓地を建造したのはアフリカ東部で最初の牧畜民集団で、年代は5000~4300年前頃です。本論文はこの背景として、14800~12000年前頃に始まったアフリカの湿潤期が5500~5000年前頃に終わったことを挙げます。この湿潤期に、漁撈狩猟採集民が現在のサハラ砂漠、当時は「緑のサハラ」に居住するようになり、岩絵などを残しました。7400~6500年前頃に牧畜民もサハラ砂漠へと拡散し、同じく岩絵などを残しました。

 しかし、6500年前以後に乾燥化が進み、トゥルカナ湖周辺の景観は大きく変わりました。前期完新世には、漁撈狩猟採集民が定期的に湖岸を利用していましたが、5300~4000年前頃にトゥルカナ湖の水位は約55m低下しました。これは草食動物にとって新たな生息地をもたらしました。乾燥化により牧畜民はサハラ砂漠から南方や東方へと拡散しましたが、トゥルカナ湖周辺に拡散してきたのには、草食動物にとっての生息地の拡大という環境変化もあったようです。このように気候と環境が大きく変動するなか、アフリカ東部にも5000年前頃に初めて牧畜民集団が拡散してきて、これ以降、アフリカ東部では集団間の複雑な相互作用が進展していき(関連記事)、社会的ネットワークと文化も変容します。前期完新世の漁撈民はおもに地元の石材を使用していましたが、中期完新世の牧畜民は遠方の黒曜石を使用し、土器の様式も変わりました。

 ロサガム遺跡の墓地では多数の副葬品も確認されています。副葬品には、鉱物製のビーズやカバの牙の腕輪や象牙の指輪などがあります。405個のアレチネズミの歯でできた頭飾りも発見されており、当時アレチネズミは家畜化されていなかったので、わざわざ多数を捕らえたことになります。このように豪華な副葬品もありますが、被葬者の安置パターンと副葬品からは、社会的階層化進展の証拠は見つかっていません。本論文は、アフリカ東部の初期牧畜民集団の間では、気候変動と在来の漁撈狩猟採集民集団との微妙な関係の中で、団結を誇示するような巨大墓地が建造されたのではないか、と指摘します。ロサガム遺跡の事例は、社会の複雑さの指標となる巨大建造物は人口密度が高く階層化の進展した定住社会で初めて出現する、という以前には有力だった想定に大きな修正を迫ります。アジア中央部の事例でも、巨大建造物が遊動的な集団で発達する、と示されています。社会的複雑さへの経路は単一ではなかった、というわけです。ただ、ロサガム遺跡に関しては、より広い区画を発掘することで、階層化を示唆する証拠が見つかるかもしれない、とも指摘されています。


参考文献:
Hildebrand EA. et al.(2018): A monumental cemetery built by eastern Africa’s first herders near Lake Turkana, Kenya. PNAS, 115, 36, 8942–8947.
https://doi.org/10.1073/pnas.1721975115

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