中野等『太閤検地 秀吉が目指した国のかたち』

 中公新書の一冊として、中央公論新社から2019年8月に刊行されました。本書は太閤検地を、一貫した方針・基準のもとに遂行されたものとして把握するのではなく、その時々の政治情勢から読み解いていきます。豊臣政権に服属したばかりの大名の領地、豊臣秀吉から疑いを抱かれていた大名の領地、秀吉により改易され、新たな領主が入部することになった地域など、太閤検地は多様な状況で行なわれ、豊臣政権中枢の奉行の関与も、見地の基準もそれぞれ異なっていた、というわけです。

 本書は太閤検地の歴史的意義として、国家・国制の水準での変化を挙げます。第二次世界大戦後、太閤検地の歴史的意義として、重層化した土地権利の一元化と中間搾取たる小作料(加地子)の否定が重視されてきました。しかし本書は、検地帳の記載に関係なく土地移動が行なわれており、土地所持の慣例や移動の実態も領主によって把握されていない、と指摘します。本書は、太閤検地は農民の土地保有権や経営権の確保などではなく、境界の確定による「村」の立ち上げと村請制の確立を目指したもので、富の掌握と再分配という点ではじゅうらいの諸権力と変わらない、と指摘します。

 しかし本書は、豊臣政権が検地結果の朝廷への報告という形式を採用し、多分に虚構的なところもあったとはいえ、何よりも石高という単一の基準を採用したことから、国家・国制の水準での太閤検地の歴史的意義は大きかった、と指摘します。太閤検地により、豊臣政権は臣下を容易に異動させられるようになりました。本書は、豊臣政権において戦国時代以来の故地を領有し続けた毛利家などこそ例外で、原理的にすべての「国土」は天皇あるいは豊臣政権に属することになり、江戸時代の「鉢植え」領主を準備した、と指摘します。もちろん、中世後期の変化を前提としてのことですが、豊臣政権が近世を切り開いたとの評価は過言ではないように思います。

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