シンボリルドルフの海外遠征をめぐる議論

 13年前(2006年8月28日)、1980年代半ば~1990年代半ばの10年近く、最強クラスの馬の海外遠征が途絶え、これは明らかにシンボリルドルフの海外遠征の失敗の影響が大きかったと思う、と述べました(関連記事)。シンボリルドルフは4歳(当時の表記では5歳)までに無敗での三冠達成も含めて15戦13勝と素晴らしい実績を残し、日本の競馬界の大きな期待を背負って、1986年3月、アメリカ合衆国のサンタアニタ競馬場で行なわれたサンルイレイステークスGI(現在はサンルイレイハンデキャップGII)に出走しましたが、7頭立6着と、おそらくはほとんどの日本の競馬ファンにとって予想外の惨敗を喫してしまいました。結果的には、これがシンボリルドルフにとって最終レースとなりました。

 すでに遠征前よりオーナーと厩舎側は対立しており、遠征にはほぼ厩舎側は関われなかったのですが、惨敗後、野平調教師が週刊誌でシンボリルドルフは本調子には見えなかった、というような発言をしたことで、オーナー側と調教師側の間で「論争」になり、シンボリルドルフのような歴史的名馬にしては、何とも残念な現役晩年になってしまいました。当時、シンボリルドルフを嫌っていた私でも、シンボリルドルフの海外遠征での惨敗を残念に思いましたし、その後にオーナー側と調教師側が「論争」を始めたことに、居たたまれない気持ちになったものです。

 この「論争」に関して、手元に文献がないので正確ではありませんが、大橋巨泉氏は、調教師の言い分がほぼ全面的に正しい、と評価していました。調教師側の非としては、最初に週刊誌でオーナー側を批判したことが挙げられていた、と記憶しています。当時の論調をはっきり覚えているわけではありませんが、シンボリルドルフの状態をよく見極めずに強引に出走させたのではないか、との疑念から、オーナー側に批判的な声が大きかったように思います。一方、山野浩一先生のこの「論争」に関する評価は異なっています。以下、山野浩一『【競馬】全日本フリーハンデ1983-1988』(リトルモア、1997年)からの引用です(P569-570)。


敗戦の後にシンボリルドルフを巡って和田共弘オーナーと野平祐二調教師との間の週刊誌での大喧嘩があった。多くの人は醜い悪口の言い合いとか、シンボリルドルフのためによくないとか、両者のイメージダウンとかいうが、そういう考えこそ日本人の「甘えの構造」と「村意識、あるいは家族制度意識」というものに束縛された日本病的な考えだと思う。はっきりいって極めてレベルの高い議論で、日本競馬の問題点をよくついており、第二、第三のシンボリルドルフを生むためには避けて通れない問題だと思う。そして、シンボリルドルフのためにも、正しく必要不可欠な喧嘩である。もともと、オーナーと調教師の喧嘩などはいつの時代にもあるし、世界の競馬国のどこでも間断なくおこなわれていることだ。和田氏の発言が穏当でないという人もいるが、これも馬に本気の情熱をかける人間には当然のことで、外国の雑誌にはこれぐらいのことはいつも載っている。私はこういう議論を本気でせずに、人間の世界だけが円く治まることだけを考えてきたところに日本の競馬の最大の醜さを感じるし、日本文化の卑しさも感じるのである。誰もが本気で馬を愛するのなら、自らまず傷つかなければならない。私はそれを堂々と行った和田共弘氏と野平祐二調教師に真のホースメンの姿を感じることができる。その議論が競馬雑誌ではなく、通俗週刊誌に掲載されたことは残念だが、まあ、実情を知る人間にはしかたのないことと思う。現実に私も和田氏のあのような発言を耳にしていても、それを原稿にはできない。私個人としては書きたいが、雑誌社には雑誌社の事情もありポリシーもある。現実にこの議論を称賛する人間は私以外にさほどいないだろうから。
議論の内容に関していえば、全体としてやはり野平調教師の発言にごまかしがあると思う。むろん、野平祐二氏の調教師としての技能についてどうこうというところは、和田氏の発言が単に悪口にしかなっていない。これは野平調教師の今後の手腕に是非期待したいと思うし、一面で和田氏自身が長く評価してきたものを確実に持っていることは和田氏も認めなければならないだろう。だが、シンボリルドルフの管理について「シンボリルドルフだけを預かっているわけでないし、公人として他の仕事もある」というような発言はホースマンのものとは思えない。少なくとも、シンボリルドルフの存在よりも大きな意味を持つ用事など、この馬の調教師にとってはありえないはずだ。自分のことを言って恐縮だが、私は『新しい名馬のヴィジョン』を書くときには、作家としての仕事の90%を捨ててかかった。小説のほうでしなければならないことがあった時期には、競馬関係を『競馬ブック』一誌だけにしていた。ライフワークとはそういうものだと思う。そして、シンボリルドルフが野平調教師のライフワークでないというのなら、これも和田氏の発言を認めざるを得ないだろう。故尾形藤吉調教師がメイズイのためにどんなことをしていたか、武田文吾調教師がシンザンのためにいかなる日々を送ったかについては、野平調教師が我々部外者よりももっとよく知っているはずだ。
だが、むろん私は野平調教師を批判しようとしているのではない。野平調教師が故尾形調教師や武田調教師よりも愛馬精神がないなどとはまったく考えていない。一括したシステム管理の美浦トレーニング・センターで、故尾形調教師や武田調教師のような大御所ではない野平調教師にできることがどれだけ限定されていることか。野平調教師は、かなり昔から和田オーナーにあの発言のようなことを指摘されながらも、ずっと耐えてきたし、自分のプライドや面子を捨てるだけで治まることなら、そのようにしてきた。もともと、野平調教師と和田オーナーは同じ夢を見て、同じ希望を抱いてフランスに乗り込み、日本の競馬の貧しさを知り、本当の競馬の高い格調と研ぎ済まされた技術とすばらしい精神性に触れあった仲だ。だからこそ私は、野平調教師の発言にごまかしがあると思うのである。そして、そのようにごまかす必要もまた、先に述べたようなところに明らかである。
おそらく、和田オーナーもそう思うだろうし、私を含めた野平ファンの多くがそう思うだろうが、野平調教師が今の日本の競馬の世界で特別な存在であるのは、決して組織の中の人間としてうまくやっていけるからではない。野平調教師こそ、シンボリルドルフのために和田オーナーから指摘されるようなことしかできなかった状況に対し、本当の調教師の在り方を追求し、トレーニング・センターの馬不在の状況を改革していく人と期待してのものである。和田オーナーの名はシンボリルドルフによる革命的な調教方式によって日本の競馬史に大きな名を遺すであろう。しかし、組織の中の歯車の名はすぐに次の歯車に取り替えられるだけで忘れられるものだ。一人の野平ファンとして言わせていただくなら、「祐ちゃん、そこまで耐えることはないよ」と言いたい。カッコよく、感性の赴くままに精彩を放ってきた野平調教師が、「組織の一員」などと言わねばならないことに、私は大きな悲しみを禁じ得ない。もっとわがままをやろうよ。いざとなれば民間の牧場だって大歓迎してくれるし、我々のような競馬評論家の仕事だって決して見捨てたものではない。華々しく戦って、散ってしまったっていいではないか!

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